【新企画】桜志会のイメージキャラ小説

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【新企画】桜志会のイメージキャラ小説

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    • 一井 亮治
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        桜志会を擬人化したマスコットキャラ案――『桜子と志郎』ーーの連載を試みるマイ企画です。

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      • 一井 亮治
        参加者

          『桜子と志郎』

           一話

          「私は、自分が嫌い」
           嫌悪感を吐露するのは、女子高生の源桜子だ。上に三つ離れた兄・志郎がおり、既に税理士資格を有し、大学の傍ら税理士事務所を営む父を補佐している。
           いわゆる源家自慢の兄であり、桜子にとってコンプレックスの対象だ。志郎はいう。努力は裏切らない、と。
          「対して私は……」
           嘆く桜子は、頭を抱えた。とにかく不器用なのだ。いつしか兄と比べられることに嫌気が指し、最低限の努力すらしなくなった。
           今日も授業をサボり、屋上でタバコを吸いながら、進路の提出用紙を眺めている。
          「進路も何も、どうせ私は落ちこぼれよ」
           鼻を鳴らす桜子だが、そこへ突風が吹き進路の用紙が飛んだ。慌てた桜子がその用紙を追った矢先、足を踏み外してしまった。
           ――ヤバいっ……。
           既に片足は屋上にない。桜子は真っ逆様に転落するや地面に激突し、意識を失った。

           どれほど時間が経過したことだろう。はたと目を覚ました桜子は、己の姿に息を飲んだ。体は透け宙に浮いており、その下には昏睡状態の肉体が病床の上で寝かされているのだ。
           周囲には、泣き崩れる家族の嗚咽が響き渡っている。幽体離脱中の桜子は、愕然としながら呟いた。
           ――私、死んだの?
           傍らの医者が曰くには、桜子は植物人間状態にあり、余程のことがなければ意識が戻ることはないだろう、との事だった。
           切り裂くような親の号泣に桜子は、胸を引き裂かれる思いだ。そこへ背後から声が響いた。
          「ま、そう言うことさ」
           振り返ると、いかにも生意気といった天使とも悪魔とも取れる少年の姿がある。
          「僕はシュレ、死神だ。桜子、君をあの世から迎えに来た……と言いたいところだが、ちょっと事情があってね」
           シュレは、意味深な笑みとともに続けた。
          「桜子、実は君は閻魔から無作為に選ばれたんだ。生き返らせてやってもいい。ただ条件がある」
          「条件?」
           聞き耳を立てる桜子にシュレは、続けた。曰く、日本は霊界ともに危機にあり、亡国の憂き目にある。もし救国の任務を受けてくれれば、生き返らせてやってもいいとの事だった。
          「どうだい。いい条件だろう?」
           腕を組み鼻で笑うシュレに桜子は、しばし考えた後、大きくかぶりを振った。
          「いらない」
          「おいおい桜子、生き返れるんだぜ」
          「もういい……十分よ」
           桜子は自嘲気味に嘆いた。
          「源家のお荷物の私が国を救う? そんなのムリよ。これまでも色々努力はしたよ。でも何をやってもダメ。むしろ、そう言う崇高な仕事は、優秀な志郎兄がやればいい」
           桜子の言葉にシュレは、肩をすくめながら言った。
          「桜子。キミは一つ誤解をしてるよ」
          「誤解?」
           聞き耳を立てる桜子にシュレが言った。
          「努力は裏切らない。必ず結果が伴うって思ってる? 違うよ。平気で裏切る。正しくやらないとね。しかも何が正しいかは時代によって変わるし、効果も人によってまちまちだ」
           淡々と語るシュレに桜子は、返す言葉がない。シュレは畳み掛けた。
          「要するに単なるトライさ。あくまで挑戦であって、確実に見返りが保証されている訳じゃない。でも前進するにはトライしかない。難儀な話さ」
          「じゃぁ、私は……」
          「あぁ、今のままじゃ、どんなに頑張ってもお兄さんみたいにはなれないね」
           断言するシュレに桜子は、改めて己を嫌悪した。そんな心中を察したようにシュレが続けた。
          「ただね。キミには、そんなお兄さんに頼る権利はある。才能には恵まれずとも親兄弟には恵まれた。ならそれを十二分に活用して、自分にしか出来ない事をやればいいじゃないか」
           ――自分にしか出来ない事……
           桜子は改めて考えた。そんなものがあるなら、真っ先にでも頼りたい気持ちだ。
           さらにこうも思った。国を救うなど大それた事が出来なくとも、親兄弟の力を得てなら、こんな自分にも何か出来るのではないか、と。
          「どうだい。この契約、受ける気になった?」
           改めて問うシュレに桜子は、しばし考慮の後、うなずく。
          「えぇ……いいでしょう。ただし、こちらにも条件があるわ」
          「ほぉ、何だ?」
           聞き耳を立てるシュレに桜子は、言った。
          「救国とはいえ、まず守るのは家族。もし、それが破られたら、私は迷わずこの国を棄てる」
          「ふむ。なるほど……まぁ、確かに国なんて、沈めば乗り換える船みたいなもんだ。オーケー、契約成立だ。期待してるぜ」
           シュレは、パチンと指を鳴らす。すると見る見るうちに桜子の透けた魂が、病床の肉体へと戻り、それまでピクリとも動かなかった桜子が、はっきりとまぶたを開いた。
           驚いたのは、家族だ。
          「桜子!」
          「志郎兄……」
           布団から出す桜の手を志郎兄が握りしめる。慌てて戻ってきた医者の診断を受けながら、桜子は感涙する家族を前に誓いを立てた。
           ――手に入れたこの命。もう一度、大事に使ってみよう。皆のために……。
           決意を固めるその目には、力強い光が宿っていた。

        • 一井 亮治
          参加者

            『桜子』『志郎』のキャラ絵

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          • 一井 亮治
            参加者

               二話(※十日ごとの連載予定です)

               退院から数日後、桜子はシュレとともに荒廃した大地に立っている。
              「これが百年後の日本……」
               あまりの惨状に絶句する桜子にシュレが言った。
              「止まらない少子高齢化、国際競争力を失う製造業、天文学的な財政赤字、インフレ……その行くつく先がこれさ」
              「シュレ、何とか未来を変える方法はないの?」
               愕然としつつ、問いを投げる桜子にシュレが肩をすくめながら答えた。
              「なくはないよ。ただ、そのためには歴史のクリスタルを集める必要がある」
              「何それ。どこにあるのよ?」
              「それがよく分かっていない。ただ歴史を揺るがす大事件に絡んで現れるのは、事実だ。要は段階を踏もうってことさ。今、君は僕とこの国の暗い未来を確認した。なら次にすべきはこの国の成り立ちを見直すこと」
              「つまり、過去へ飛ぶってことね」
               確認する桜子にシュレはうなずき、意味深に問うた。
              「桜子、日本って国の出発点ってどこだと思う?」
              「え……そりゃぁ税制かな。租・庸・調が整備された頃じゃない?」
              「ハッハッハッ……さすが税理士一家だけあるね。確かに一理あるが、まずは日本の風土を決定づける出発点へ飛ぼう。おそらくそこに歴史のクリスタルがある。鍵はここに書かれているよ」
               シュレは、一冊の書物を差し出した。
              「これって、古事記じゃない!」
              「そうだよ。日本の歴史の出発点だもん。じゃぁ健闘を祈るよ」
               そこでシュレは指を鳴らした。その直後、桜子の視界から未来の景色が消え、その身が時空の移動空間に投げ込まれた。桜子は体の上下もままならないまま、いきなり大昔の時空へと放り出された。
              「ここが、太古の日本……」
               桜子は、文明らしきものがほとんど見られない情景に困惑しつつ、古事記を開く。そこには、日本という国が神々から生み出された出発点が記されている。いわゆる〈国産み〉だ。
              「イザナギとイザナミの二神が、泥の海を矛で掻き混ぜ、滴り落ちたものが島となり日本の原型になった、か。トンデモ本ね」
               桜子は鼻で笑いつつ、古事記を閉じた。まずは視察とばかりに西へ向かうと、広大な水場が広がっている。
              「あれは、日本海?」
               試しに波打ち際へ歩み寄り、調べてみてみると、意外に淡水湖だった。ただ、そのサイズは海の如く広い。琵琶湖など比べ物にならないほどだ。
               さらに驚くべきことに、一本の浜辺を挟んだ向こうには、まごうことなき大海原が広がっていた。
               そうこうするうちに天候が崩れ始めた。風が強まり波が激しさを増していく。
               ――嵐が来る。早く避難を。
               桜子は、叩きつけるような雨風に晒されながら、近辺の丘へと避難した。よじ登った頂上から一帯を見下ろすと、今まさに海と湖を隔てる浜辺が切れかかっている。
               その光景に桜子は、はっと息を飲んだ。
               ――もしかして、これって……。
               実は以前、兄・志郎から太古の日本は大陸と地続きである事実を聞かされていたのだ。
               ――間違いない。今まさに日本を決定づける大事件が起ころうとしている。
               その直後、心臓が止まるかと思うほどの雷が落ちた。稲妻は地上に矛を突き立てるが如く浜辺の岩を打ち砕き、蟻の一穴となって海水をなだれ込ませた。
               そこから始まったのは、一大スペクタルである。まさに古事記にある『神が矛でかき混ぜる』が如く、怒涛の勢いで淡水湖を海へと変えていった。
               それは、古代の人々にとって忘れられない出来事となったはずだ。この嵐が去った後には湖は海水に変わっており、大陸から切り離され島国になっていたのである。
               まさに国が生まれ変わったが如くだ。その歴史的瞬間を目の当たりにした桜子の前に光る物体が現れた。
              「あれだっ! 歴史のクリスタル!」
               迷うことなく駆け出し丘から跳び込んだ桜子は、クリスタルをその手で掴んだ。その瞬間、桜子の体はまばゆい光に包まれ、体が時空の移動空間に飲まれていく。
               気がついたときには、周囲は現代に戻っていた。目の前には、笑顔のシュレが立っている。
              「桜子、どうやら成功したようだね」
               桜子は大いにうなずく。
              「日本の歴史の出発点は、大陸から切り離され島国になった瞬間って事ね」
              「そう。島国となったことを機に日本は、大陸の影響を色濃く受けつつも、独自の文化を育んでいくことになる。税制も然りさ」
               諭すように語るシュレを前に桜子は、改めてクリスタルを見る。そこには美しさと妖しさを兼ねあわせた独特の輝きがあった。

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            • 一井 亮治
              参加者

                 三話
                 
                「日本の特徴?」
                 桜子の問いに首を傾げるのは、兄・志郎である。書籍が山積みの部屋で大学の研究に向き合っていたところを、桜子が割って入り答えを求めたのだ。
                 無論、狙いはシュレから求められている歴史のクリスタルの解明にある。そんな桜子に志郎が切り出した。
                「やはり税制でみれば、シャウプ勧告だろうな。社会情勢に応じ修正されてきたとはいえ、現在も我が国の税制の基礎だ」
                「や、税理士としての模範解答はそうなんだろうけど、もっと分かりやすいやつってない?」
                 安直さを求める桜子に志郎は、腕を組み考慮の後、言った。
                「日本語かな。平仮名やカタカナがあり、漢字に至っては訓読みと音読みに分かれ、困ったことにその使い分けに法則性がない。だが、そんな複雑さを持ち前の器用さで使いこなしてしまう。まさにガラパゴスだ」
                「確かに」
                 納得する桜子に持ち前の知的好奇心をそそられたのか、志郎は「研究してみよう」と机上のパソコンを立ち上げた。
                「桜子、『黄金虫』って知ってるか?」
                「何それ、おいしいの?」
                「食い物じゃない。エドガー・アラン・ポーの短編推理小説だ。そこに暗号解読が出てくる。使用頻度を調べ最も多い記号が、アルファベットでよく使われる〈e〉だとして解読していくんだ」
                「へぇ、頭っいい! じゃぁ日本語はどうなんだろう」
                「それを調べるのさ」
                 志郎は、画面に夏目漱石の『草枕』を開くと、さらにエクセルを立ち上げ縦軸にアイウエオの母音を、横軸にアカサタナの子音を作りリストにした。
                 そこで、草枕の文章に出てくる文字の使用頻度を一つ一つ入力していったのだが、集計すると思わぬ傾向が出た。桜子が画面を指差しながら言った。
                「志郎兄、これって……」
                「あぁ、間違いない。母音の〈ア〉が多く、〈エ〉が少ない。なぜだ?」
                 顎を手に乗せ画面を睨む志郎に、桜子は素直な意見を出した。
                「〈ア〉の母音が一番、発音しやすいからじゃない?」
                「あぁ……確かにそうだ。桜子、お前の言うとおりだ。凄いじゃないか」
                 驚く志郎に桜子は、思わず照れつつもさらに言った。
                「この傾向って、どの場合でも同じなのかな」
                「人名とかどうだ。女性なら〈子〉で終わる場合が多いから、母音も〈オ〉が多そうだ。おそらく違う傾向が働くはずだ」
                 そこから知的探究心に火がついた二人は、日本語の言語研究をデータから読み解き始めた。まさにID野球ならぬID文学である。
                 やがて、二人の研究が佳境に入り始めた矢先、桜子のポケットが光を放ち始めた。歴史のクリスタルである。
                「おい桜子、何だよそれ!?」
                「や、これはその……歴史のクリスタルって言ってね」
                 桜子の説明もままならないうちに、二人はクリスタルが放つ光に飲み込まれ、現代から姿を消した。

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              • 一井 亮治
                参加者

                    四話
                   
                   上下もままならないまま時空を移動した二人は、見知らぬ空間へと乱暴に放り出された。
                  「痛っ……」「何だよ、ここは!?」
                   上体を起こした桜子と志郎だが、そこで一人の女性を下敷きにしているのを見つけ、慌てて場所を退いた。雛人形の如く重ね着をまとったその女性は、ぶつけた頭を押さえつつ声を上げた。
                  「あなた達は一体、何ですか。いきなり!」
                  「や、それが俺達もいきなりここに放り出されて……」
                   戸惑いの声を上げる志郎だが、傍らの桜子が周囲を眺めつつ素早く頭を働かせた。
                   ――この感じ。多分、平安時代ね。そこで日本の特徴や起源に行き着くとすれば……。
                  「もしかしてあなたは、紫式部さん?」
                  「おい桜子、お前何言ってんだよ」
                   笑う志郎だが、その女性は乱れた身なりを整えつつ、返答した。
                  「えぇ、紫式部ですが、なぜそれを?」
                  「実は私達、未来から来たんです」
                   これには紫式部は言わずもがな、傍らの志郎も驚きを隠せない。そんな二人に桜子は、事の顛末を手短に説明していく。
                  「つまり、歴史のクリスタルとやらに呼ばれて、日本の起源を探るべく平安時代にタイムリープしたってことか?」
                  「そうなの志郎兄。と言っても信じてもらえないだろうけど……」
                  「いえ、私は信じますよ」
                   声を上げるのは、紫式部である。
                  「感じるんです。遣唐使の廃止に伴い国風文化とでも言いましょうか、この国……つまり、桜さんの仰る〈ニホン〉の根幹たる日本語が独自の形に作り変えられていくのを。でもね……」
                   そこで紫式部は表情を曇らせ、その目に涙を滲ませた。驚く桜子と志郎に紫式部は「ごめんなさんね」と謝りつつ、説明した。曰く、夫の宣孝に先立たれ生きる希望を失いかけている、と。
                  「もういっそのこと、この身ともども……」
                  「や、ダメです紫式部さん。あなたにはやらねばならぬことがあるでしょう!」
                   吠える桜子に紫式部は首を傾げている。やむなく桜子は、言った。
                  「『源氏物語』ですよ! 世界最古の長編小説にして、日本が誇る萌え萌え宮廷ゴシップノベル! あなたは、その元祖なんです」
                  「フフッ……確かに書き掛けの小説はあるのですが、とても人にお見せできるものでは。それに私如きがそんな大それたこと……」
                   恥じらう紫式部に、前のめりになる桜子だが、それを志郎が手で制す。目配せの後、志郎は思わぬ角度から紫式部を刺激した。それはまさに寸鉄人を刺す一言だった。
                  「そういえば、清少納言さんも有名ですね」
                   これに紫式部はピタリと体を止める。ジロっと睨む紫式部に脈ありと見た志郎は、朗々と『枕草子』の一節を詠みあげた。
                  「春は、あけぼの。ようよう白くなりゆく山ぎは、すこし明かりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる……」
                  「志郎さん」
                   紫式部は、咳払いの後、厳かに言った。
                  「私の前であの女の話は、なさらないでくださるかしら」
                  「や、しかし名文ですし……」
                  「名文?! ちょっと漢文が読めるからって皆に煽られて得意げになって、実に浅ましい。よく読めばあの人の漢文は未熟だし「人と違うんですよ、私は」って思い込んでるだけでしょう。ふん、馬鹿らしい。こうしちゃいられないわ」
                   紫式部は、いても立ってもいられなくなったのか、書き掛けの小説を机に広げ言った。
                  「桜さんと志郎さん、悪いけど出ていってもらえるかしら。執筆の邪魔だから」
                   人が変わったように己の世界に没頭する紫式部に二人は、笑顔でうなずき合う。そこで歴史のクリスタルが光を放った。
                   たちまち二人は、その光に飲まれ平安時代から姿を消し、元いた現代へと舞い戻った。周囲が志郎の部屋であることを確認した桜子がしみじみと言った。
                  「志郎兄。平安時代って、要するにヒキコモリの時代よね」
                  「あぁ。ある時は繋がり、ある時は鎖ざす。そうやって大陸から多分に影響を受けつつ、島国としての独自性も構築した。それが現代日本さ」
                   桜子はうなずきつつ、志郎に問うた。
                  「ところで志郎兄は、開国派? 鎖国派?」
                  「もちろん前者さ。鎖ざした国に待つのは没落のみ。未来はないね。桜子は違うのか?」
                   問い返す志郎に桜子は、複雑な笑みを浮かべながら、輝きを増した歴史のクリスタルを眺め続けた。

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                • 一井 亮治
                  参加者

                     五話
                     
                    「へぇ。随分と輝かせたじゃないか」
                     歴史のクリスタルを手に微笑むのは、シュレだ。あれ以降、桜子と志郎は救国の糧を過去に求め、日本のルーツを様々な角度から研究することで理解を深め合っていた。
                     感心するシュレに、志郎が徐ろに切り出した。
                    「シュレ、実は行きたい時空があるんだ」
                    「どこだい?」
                    「15世紀のベニスだ」
                     これには、シュレも驚かざるを得ない。救国の時空探検を海外に求めてきたのだ。理由を問うシュレに志郎は、断言した。
                    「俺が税理士だからさ」
                     意を察しかねるシュレに志郎は、続けた。
                    「シュレ、今まで俺は国を変え未来を救うには、政治家か官僚になるしかないと思っていた。だが、今は違う。救国は税務の現場から起こしたい。その為にも税制の基礎を担う会計……つまり、複式簿記のルーツと日本への伝来をこの目で確かめたいんだ」
                    「私も日本を内側からだけでなく、外からも眺めてみたいわ」
                     志郎の熱弁に桜子も続く。そんな二人にシュレは腕を組み考慮の後、うなずいた。
                    「オーケー、イタリア語は喋れるかい?」
                    「簡単な会話ならな」
                    「いいだろう。ただ海外の時空は僕の念力にも限界がある。リスクは伴うよ」
                    「あぁ構わん」「承知の上よ」
                     声を揃えて同意する二人に頼もしさを覚えつつ、シュレは言った。
                    「オーケー。じゃぁ一つ、頼まれてもらおうか。前にも言った通り、クリスタルは、歴史を揺るがすものに大きな反応を受ける。そのキーアイテムを入手するんだ」
                    「『スンマ』だな?」
                     返答する志郎にシュレがうなずく。一方の桜子はその正体が分からない。
                    「スンマ?」
                     首を傾げるものの、シュレは構わず指を鳴らした。たちまち二人の体が光に包まれ、現代から姿を消した。
                     時空を駆け光の空間を抜けた二人は、例の如く上下逆さまになって乱暴に放り出された。
                    「痛っ……」「どうでもいいがこの着地、なんとかならないのか」
                     二人は憤りを覚えつつ上体を起こすと、そこにはいかにも中世ヨーロッパといった風景が広がっている。どうやら港町の様だ。
                     風に帆を膨らませた船が、海上を力強く行き交う中、志郎は桜子を手招きした。
                    「桜子、行こう」
                    「いいけど、どこへ?」
                    「市場さ。認識・測定・記録・伝達……まさに会計の現場を見に行くんだ。会いたい人もいるしね」
                     桜子は期待に胸を膨らませる志郎に連れられ、港町近辺の賑やかな街中へと向かった。二人の場違いな格好に皆が不審な目を向ける中、桜子の心は色鮮やかな品々や、行き交う人の活気に、高揚している。
                    「ここがベニス、かぁ……」
                     一方の志郎は通行人や店主に話しかけ、聞き取り調査を始めた。どうやら意中の人物の住処が分かった様である。
                    「桜子、こっちだ」
                     志郎の手招きに応じ、桜子が向かった先は酒場だった。そこに五十前後と思しき二人の男性が熱心に話し合っている。
                     そこに志郎がやや強引に割って入ったのだが、会話のツボがハマったらしく、すっかり意気投合し、互いの意見をぶつけ合い始めた。
                     言葉の分からない桜子は、取り残された感でいっぱいだ。
                    「志郎兄、どういうことよ?」
                     改めて問う桜子に志郎は、笑みを浮かべながら二人を紹介した。
                    「桜子、この方はルカ・パチョーリ。数学者で『スンマ(算術、幾何、比及び比例全書)』を著し、初めて複式簿記を学術的に説明された簿記会計の父だよ。そして、この方がルカさんの生徒であるレオナルド・ダ・ヴィンチさんだ」
                    「え、あのモナリザの?」
                    「そう。今はルカさんから数学と会計学を学んでおられる。要するに天才のお二人さ」
                     やがて、志郎は二人の天才に別れを告げると、桜子を伴って周囲を一望できる高台へと移った。その手には、ルカから譲り受けた著書『スンマ』が握られている。
                    「この本が複式簿記の始まりなのね」
                     感慨深げに問う桜子に志郎がうなずく。
                    「これから世界は、大航海時代へと突入する。冒険商人が王族に出資を仰ぎ、インドから香辛料を持ち帰り莫大な利益を上げていく。その取引を克明な記録として残す仕組みとして簿記が開発され、このベニスで大いに発展するんだ。このスンマは、そこに一石を投じたキーアイテムって訳さ」
                    「へぇ、会計学の誕生ね」
                    「もっともこの時点で重視されたのは、BS中心の静態論だけどね」
                    「BS? 衛星放送のこと?」
                     素っ頓狂な桜子の問いに、志郎は呆れつつ説明を続けた。
                    「バランスシート……貸借対照表の事だよ。清算前提で継続企業の概念がないんだ。これを東インド会社が変えていく。航海毎に清算しない仕組みを維持する組織を持った事で、会計帳簿も途中経過を報告する適正な期間計算という概念が生まれた。PL中心の動態論の始まりさ」
                    「あぁ、PL。高校野球の強かったとこね?」
                    「……損益計算書のことだよ」
                     志郎は頭を抱えつつ、根気よく説く。
                    「PLを中心に大きく発展した現代会計学だが、さらに時代が進むと、今度は収益費用アプローチから資産負債アプローチへと変貌し、再びBSが重視される時代となっていく」
                    「何よそれ。行ったり来たり」
                    「フフッ。まぁ、日頃から何気なく接している会計も、その背景には悠久の歴史が横たわっているってことさ。俺もその流れに一石投じたいと思ってる。桜子、一緒にやろう」
                     思わぬ勧誘を受け桜子は、声を上げた。
                    「はぁ!? ちょっと待ってよ志郎兄。大体、私みたいなテストの偏差値もろくに……」
                    「そう! その偏差値もそうさ。昔はなかった。だが、新たな概念が受験の形を大いに変えた」
                    「あぁ……得点と平均点が全く同じでも、偏差値が異なってくるってやつね」
                     桜子はゲンナリとうなずく。つまり、仮に平均点が60点で最高得点が70点だとして、それが1人しかいなかった場合、平均点付近に得点が集中し、70点の人は「とても優秀」となるが、点数がバラつき70点以上を取った人がたくさんいれば、その70点は「まあまあ優秀」という程度に落ちる。
                     点数のバラツキ(標準偏差)を加味した上で、全体の中でその人がどのくらいに位置するかを偏差値が数学的に示し、受験制度に定着した。
                     これと同様に税務の現場で新たな概念を生み出し、救国に尽くそうというのが志郎の言い分だった。
                     ――やっぱり志郎兄は、違うわ。
                     桜子は改めて実感している。志の高さゆえに着眼点が異なっており、それが積もり積もって今の自分との差を生んでいるように思われた。
                     ――救国は、志郎兄に任せよう。私如きが関われる世界じゃない。
                     脱帽感でいっぱいの桜子だが、ここで志郎が小声でつぶやく。
                    「ところで桜子、あのシュレだがな。お前はどう思う?」
                     首を傾げる桜子に志郎は続けた。
                    「奴の正体の話だ。お前の説明によれば、シュレは死神で閻魔から特別に命を救われたって話だが、俺は違うと思う。おそらく奴の正体は〈シュレディンガーの猫〉だ」
                     ――何? 今度は猫の話?
                     困惑する桜子に志郎は、自説を説いた。はじめは眉唾モノで聞いていた桜子だが、その結論を聞いて考えを改めた。
                    「確かにその可能性はあるかもしれない」
                     納得する桜子だが、その背後から突如、女性の声が響いた。
                    「あら、よく分かったわね。お二人さん」
                     驚いた桜子と志郎が振り返ると、背後に二十代半ばと思われる奇抜な髪色の女性が立っている。さらにその背後には、屈強な男達が二人を包囲せんと機をうかがっていた。
                    「何者だ!」
                     声を上げる志郎に、その女性は丁寧にお辞儀しつつ名乗った。
                    「はじめまして、セツナと申します。以後、お見知り置きを」
                    「一体、私達に何の用よ?」
                     桜子も負けじと吠えるものの、セツナは構わず言った。
                    「決まっているでしょう。あなたが持っている歴史のクリスタル、それをこっちに渡してもらえるかしら」
                    「お断りだ!」
                    「じゃぁ、仕方がないわね」
                     吠える志郎にセツナは、目を細めつつ命じた。
                    「二人を捕らえてしまいなさい!」
                     襲いかかる男達に、二人は果敢に立ち向かうものの多勢に無勢は免れない。逃げようにも周囲は塞がれている。たちまちその身柄を押さえられしまった。
                     ――何なのよ。コイツらは!?
                     憤る桜子だが、その上体を地面に抑え込まれた、歴史のクリスタルを奪われてしまった。
                    「おーほっほっ……これで未来は、私達のもの」
                     高笑いを浮かべるセツナだが、突如、歴史のクリスタルが強烈なエネルギーを放ちはじめた。
                    「熱っ……」
                     セツナが歴史のクリスタルを掌から落とす中、光は桜子を包み込み、たちまち異なる時空へと吸い込んでいった。

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                  • 一井 亮治
                    参加者

                       六話
                       
                       桜子が新たに放り込まれた場所――それは、寺小屋らしき古風な部屋である。突如として現れた妙ななりの桜子に周囲の塾生は「お前は何者だ!?」と、驚き慄いている。
                       幸い言葉が通じることから、場所が日本であることは確認できた。皆が目を丸くする中、塾の講師と思しき初老の男が前へ出た。問題はその顔である。日頃から使い崇めている紙幣との切っても切れないその人相に桜子は思わず声を上げた。
                      「あなたは、福沢諭吉っ!」
                      「先生を呼び捨てにするとは、まかりならん!」「そうだ。曲者め!」
                       周囲が非難轟々となる中、福沢諭吉は桜子が持つ一冊の本に目をつけ、小さく笑いながら言った。
                      「その本、『スンマ』ですな?」
                      「え……あ、はい。何でも複式簿記の記述があるらしくて」
                      「うむ。なるほど。どうやら訳ありの様だ。いいでしょう。皆、しばし自習しておいてくれ」
                       福沢諭吉は食い下がる塾生を手で制し、桜子を自身の書斎へと促した。そこで事情を話す桜子に福沢諭吉は、驚きつつも興味深げな顔で聞き役に徹している。
                      「そうですか、未来から歴史のクリスタルの導きを経てこちらに……」
                       うなずく福沢諭吉に桜子は、ふと山積みされた書籍を見て言った。
                      「諭吉さんは、本当に勉強家なんですね」
                      「ふっ、大半は無駄な努力ですよ。黒船が来てこれからは外国だ、と漢語ではなく蘭語をすすめられたが、世界の主流は英語だった。努力も方向を間違えば、とんだ徒労に終わるってことです」
                      「でも、確か『学問のすすめ』だっけ? 勉学を奨励されておられる」
                      「えぇ、ただ学問の捉え方が違います。以前は、難しき字を知り、解し難き古文を読むことが正しいとされていた。だが、これからは違う。金儲けの功利主義・通俗主義的道具と非難されていた実学こそ、合理的な教養となるべきだ。あなたが持つスンマの様にね」
                       福沢諭吉は目尻を下げつつ、一冊の書籍を取り出し、桜子に手渡した。
                      「『帳合之法』ですか?」
                      「えぇ、複式簿記を中心とした会計にまつわる私の翻訳著書です。学者に学問の実用性を、商人に勘と経験から脱却した会計による商いを求め、欧米に負けない国を目指したい。おそらくこの本が桜子さんの持つ歴史のクリスタルのキーアイテムとなるのではないですか?」
                       福沢諭吉から諭された桜子は、試しに帳合之法にクリスタルをかざすと、内部から眩い光を放ち始めた。
                      「諭吉さん。どうやら私のいた時空に帰れそうです」
                       頭を下げる桜子に福沢諭吉は、目尻を下げつつ言った。
                      「いいですか桜子さん。あなたの一家が専門とする税金。これは、国と国民との約束なんです。どうかそれを忘れずに」
                      「はい。諭吉さんもお元気で」
                       桜子はペコリと頭を下げ、歴史のクリスタルに導かれるまま、元いた時空に戻っていった。

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                    • 一井 亮治
                      参加者

                         七話
                         
                        「桜子じゃないか!?」
                         声を上げるのは、現代で待機していたシュレである。連絡が途切れ困っていたらしい。
                        「シュレ、私は大丈夫よ。それより志郎兄は?」
                        「いない。セツナに拉致されてしまったらしい」
                         頭を抱えるシュレに桜子は、しばし考慮の後、ズバリと切り込んだ。
                        「ねぇシュレ。あなたは以前、閻魔の計らいで、私に命と引き換えに救国活動の従事を求めたわよね」
                        「あぁ、僕はその死神さ」
                        「ウソね」
                         桜子は、鋭い視線で志郎が述べていた仮説をぶつけた。
                        「シュレ、あなたは死神なんかじゃない。未来のテクノロジーで、巧みにそう見せかけ私を蘇生させたエージェントってところよ。そして、あのセツナって女は、あなたの近親者なのでしょう」
                        「へぇ……よく分かったね」
                        「茶化さないで! 私は本当のことを知りたい。あなた達は一体、何者? 本当の目的は何?」
                         問い詰める桜子にシュレは観念したように肩をすくめ、掌に身分証明書らしきものを映し出した。
                        「時空課税局査察部、エレキナノマシン・エージェント?」
                         桜子が首を傾げる中、シュレが説明した。
                        「通称ENMA(エンマ)、当局で内密に設計された情報生命体……つまり、ゴーストさ。セツナはそのプロトタイプモデルに当たる。時空の異なる、ね」
                        「どう言うことよ?」
                         怪訝な表情を浮かべる桜子にシュレは、説明した。
                        「桜子、あらゆる物質は細かく分割する原子、さらに電子等の素粒子に行き着く。そこは、確率としてあちこちに分身する非日常的な世界なんだ。僕らはシュレディンガーの猫理論に基づき、量子論的に不確定な……まぁ、煎じ詰めて言えば科学的に構成された幽霊(ゴースト)ってところさ」
                        「……よく分からないけど、要するに私達を騙してたってことね?」
                        「そうでもないさ。十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。どうせ事実を説明しても意味が分からないだろうし、ゴーストなんて君達から見たら死神みたいなもんだろう?」
                         全く悪びれることなく開き直るシュレに桜子は半ば呆れつつ、さらに問いを重ねた。
                        「じゃぁ、セツナは一体、何が目的で歴史のクリスタルを?」
                        「決まってるさ。脱税だ」
                         キョトンとする桜子に、シュレが鼻で笑いながら打ち明けた。
                        「桜子。僕らの世界では、タイムリープの際に時空税が課されるんだ」
                        「え、時空移動に税金がかかるの!?」
                        「当然さ。取りやすいところから取る、それが税金だからね。時空計算上、移動する期間の長さに応じ高税率を課す超過累進がとられている。だが歴史のクリスタルは、その負担を合法的に回避出来るんだ」
                        「つまり、タックスヘイブンみたいな?」
                        「そう。プロトタイプのセツナには、致命的な欠陥があった。バクに侵され課税当局から逃れて闇の勢力と繋がってしまった。もし歴史のクリスタルがセツナの手に渡れば、膨大なアングラーマネーが反社会的勢力の手によってマネーロンダリングされてしまう。それを防ぐのが僕の役目だ」
                         自慢げに説くシュレに桜子は、困惑しつつ根本的な疑問を投げかけた。
                        「じゃぁ、未来を救国するっていうのは……」
                        「それは事実さ。なぜなら歴史のクリスタルがそれを求めているからね。セツナに拉致された君のお兄さんの行方も、このクリスタルが知っているはずだよ」
                        「え……クリスタルが?!」
                         驚く桜子にシュレはうなずき、歴史のクリスタルを額にかざすよう促した。言われるがままに従うと、クリスタルは強烈な光を放ち、桜子を次なる時空へと連れ去っていった。

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                      • 一井 亮治
                        参加者

                           八話

                           例の如く、歴史のクリスタルによって乱暴に放り出された時空――それは一面が稲で覆われた一帯である。
                          「ここは?」
                           地面から起き上がった桜子が辺りを見渡していると、戸惑う男達の声が上がった。
                          「何だ何だ?」「お前は何者だ!?」
                           突然、宙が光り見たこともない身なりの女性が現れたのである。驚くのも無理もないのだが、一人の男が何やら思い当たる節があったらしく、周囲に指示を下した。
                          「皆、控えろ!」
                           たちまち男達は桜子の前に平伏した。
                          「え、何?!」
                           困惑する桜子に一人の男が切り出した。
                          「貴女様のことは姫様より伺っております。是非、直々にお会いになりたいと」
                          「姫様? 誰よそれ?」
                          「いやいや。お名前を口にするのも恐れ多い方にございます」
                           それを聞いた桜子は、思わず唸った。どうやら今度は、日本の歴史でもかなりの最古の時代に来てしまったらしい。
                           その後、桜子は男達に連れられ姫と奉られる女王の神殿へと案内された。恐る恐る中へと足を踏み入れた桜子は、そこに見知った人影を発見し、声を上げた。
                          「志郎兄!」
                          「おぉ、桜子じゃないか!」
                           二人は駆け寄り、再会を喜び合った。
                          「志郎兄、なぜこの時空に? セツナに捕えられてたんじゃ……」
                          「上手く隙をついて逃げ出したんだ。そこで追手から逃げてたら導きの声があって、この時空に放り込まれたって訳さ。全てはこの方のおかげだよ」
                           そう手を差し出して案内するのは、祭壇に佇む一人の女性である。いかにも昔の巫女といったその人相風体に、桜子は声を上げた。
                          「え、もしかして卑弥呼!?」
                          「桜子、ちゃんと〈様〉をお付けしろ」
                           志郎の注意に卑弥呼は「構いませんよ」と微笑んで見せている。
                          「でも志郎兄、なぜクリスタルは弥生時代を?」
                          「多分、日本において租税にまつわる最古の記録が残された時代だからだろう。『魏志倭人伝』に〈租賦を収む。邸閣あり〉と記述がある」
                          「へぇ、そうなんだ」
                           納得する桜子に志郎は改めてうなずき、卑弥呼に頭を下げた。
                          「卑弥呼様。ありがとうございます。おかげで俺達兄妹は再会できました」
                          「構いませんよ。私は生まれつき特異体質でね。そう言ったことが出来るんです。それにお二人を助けたのには、理由がありましてね」
                          「え、それはなんですか?」
                           桜子が志郎とともに聞き耳を立てていると、卑弥呼は苦悩の表情で一本の稲穂を手に切り出した。
                          「全ては、このコメが始まりなの」
                          「コメ? 稲作のこと?」
                           キョトンとする桜子に志郎が補足した。
                          「稲作って、この時代の一大革命だったんだ。狩猟採集から人類を解放した訳だからな」
                          「えぇ、志郎さんの言う通り、コメは人を幸せにするはずだった。これまででは出来なかった貯えができた訳ですから。ただ、この貯えは同時に貧富の差も生んだ。土地や水をめぐる争いの種ともなってしまったの」
                           卑弥呼は、一息つくや二人に訴えた。
                          「私はコメがもたらした負の側面をなくしたいの。どうすればいいと思う?」
                          「俺は放っておくべきだと思います」
                           そう主張するのは、志郎だ。曰く、富める者がより豊かになれば、貧しいものにもその恩恵が滴り落ちる、と。いわゆるトリクルダウン理論である。
                           だが、桜子はこれを否定した。
                          「私は、ある程度の公権力が必要だと思う」
                           このいわゆる小さな政府と大きな政府の是非は、現代社会においても一つの争点となり続けている。
                           延々と論争を広げる二人だが、おぼろげながらも答えは出ていた。格差の是正は税金が一つの解となり得る、と言う点だ。
                          「公平な租税で格差を是正する、と言う訳ですね。お二人の話はわかりますが、何を持って公平とすべきなのか……」
                          「えぇ、全員に一律の税を課す水平的公平と、高い担税力を持つ者により重い負担を課す垂直的公平に分かれます。俺達の時空では、そのバランスが鍵なんですが、まだこの国はその時期にない」
                           志郎は一息つくや考慮の後、卑弥呼に進言した。
                          「卑弥呼様、どうでしょう。ここは一つ、進んだ国に学ぶと言うのは?」
                          「進んだ国……つまり、魏に学べ、と?」
                           卑弥呼の問いに志郎は、うなずく。
                          「租税は歴史の中で、そのカタチを何度も変えてきました。社会の変化によって、求められるあり方も変わるからです。この国は、いい意味でも悪い意味でも島国だ。今は大陸に使者を派遣し、教えを乞うべきときかと」
                          「しかし、我が国は小さい。果たして魏が応じてくれるかどうか」
                          「小さいからこそ、です。胸襟を開き多くの知恵や進んだ考えを取り入れ、この国なりの形にアレンジする。そうすれば、おのずと答えが見つかりましょう」
                           志郎の説得に卑弥呼は、大いにうなずいている。その表情は実に晴れやかだ。
                           そこで桜子が持つ歴史のクリスタルが光を放ち始めた。
                          「どうやらお別れのようですね」
                           名残惜しそうな卑弥呼に、桜子が歩み寄りその手を取り合った。
                          「卑弥呼様、頑張ってください」
                          「えぇ、あなた達もね。応援しているわ」
                           卑弥呼と互いの健闘を誓い合った桜子・志郎は、クリスタルに導かれるが如く光に飲まれ、この時空から姿を消した。

                          「結局、卑弥呼様って何者だったのかな」
                           現代に戻った桜子の疑問にシュレが応じた。
                          「時代に対する共感能力が強かったんだろう。時空理論上、ごく稀にそういった力が宿ることがある」
                          「シュレ、俺も聞きたいことがある」
                          「なんだい?」
                           聞き耳立てるシュレに志郎が、言った。
                          「あのセツナだが、妙にこの現代に感度がいい、というか独特のこだわりを感じるんだ。奴の狙いは、歴史のクリスタルによる時空を超えた巨額脱税だろう。その背後に、この時代の税理士が絡んでいるって線はないか?」
                          「ふっ、相変わらず志郎は勘がいいね。丁度、同じことを考えていたところさ。十分にありえる話だ。もしそうなら……」
                          「いずれこの時空で対決するときが来る、だな?」
                           念を押す志郎にシュレは、黙ったまま静かにうなずいて見せた。

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                        • 一井 亮治
                          参加者

                             九話

                             長かった梅雨が明け、初夏を迎えた頃、桜子にちょっとした事件があった。なんと告白を受けたのだ。
                            「え、私を?!」
                             驚く桜子に頭を下げるのは、一学年下の〈平林翔〉というひょうきんな性格で同性に人気のある後輩だ。
                            「センパイの事が好きなんです!」
                             体育館の裏に呼ばれ、そう告白された桜子は、戸惑いを隠せない。劣等生の問題児で何ら誇れるものがない桜子なだけに、面食らっている。
                            「あの……こんな私のどこがいいの?」
                             思わず問いかける桜子に翔は、何ら恥じる事なく断言した。
                            「全てです。実に愛しております」
                             あまりのストレートさに気恥ずかしさで真っ赤になった桜子だが、翔の目は真剣そのものだ。むしろこんな自分を受け入れてくれた事に嬉しさすら覚えた。
                             やがて、翔は思いの丈を延々と桜子にぶつけた挙句、遊園地のチケット差し出した。言わずもがな、デートの誘いである。
                            「お願いしますっ!」
                             オーバーなくらいの平身低頭さを見せる翔に桜子の心は大いに揺らいでいる。やがて「ありがとう」と二つ返事でデートの誘いを受けた。
                             こんな私にも彼氏が出来た――喜びいさむ桜子は早速、志郎にメールを送った。七月十日と期限の迫る源泉の納特に追われ忙しいことは承知していたが、それでも自慢せずにはいられなかったのだ。
                             だが、志郎の返答は実に桜子の意に反するものである。
                             〈お前に告白!? それは絶対に怪しい。セツナの一派が仕掛けた罠って線はないか?〉
                             これには、桜子もカチンとした。確かに疑いはしたものの、桜子から見て翔は純粋さに溢れており、決して騙そうとするものには思えない。
                             〈それはない。私にだってそのくらいは分かる〉
                             憤慨気味に返信し、やり取りを重ねたものの意思疎通は図れず、桜子は「もういいっ!」と一方的にやり取りを切り上げた。
                             
                             
                             
                             その週末、十分にめかし込んだ桜子は、志郎に内緒で翔が待つ遊園地へと繰り出した。ゆうに三十分程、前もって集合場所に着いた桜子を翔は笑って受け入れ、ともに遊園地へ入った。
                            「翔君。私、あれに乗りたい!」
                            「はっはっはっ……僕もです。気が合いますね。行きましょう!」
                             絶叫系を攻める桜子に翔は、喜んで付き合った。
                             ――こんなに楽しいの……何年ぶりだろう。
                             桜子は改めて考えた。国際税務ライターの母・ソフィアは海外取材に忙しく、また善次郎・善次郎や在学中の兄・志郎も税理士業務の追われ、家庭を振り返る余裕がない。
                             それだけに才能が欠落し落ちこぼれの桜子の心は、ずっと満たされずにきた。
                            「うちもそうです。家族は皆、多忙で。センパイの気持ち、凄く分かりますよ」
                             笑って理解を示す翔に共感を覚えた桜子の気分は、大いに高揚している。
                             楽しい時間はあっという間に過ぎ、二人は最後の乗り物として観覧車に乗った。二人きりの空間で桜子は満面の笑顔で、幸せそうに言った。
                            「今日は、本当に楽しかった!」
                            「僕もです」
                             翔も笑ってうなずく。強い夕日に眼下の景色がくっきりとしたコントラストを見せる中、桜子は熱に浮かされたように翔と甘いひとときをともにしている。
                             さらに翔の気を引こうと、桜子はポーチからもっとも大切なものを取り出した。
                            「ねぇ翔君。これ、何か分かる」
                             自慢げに桜子が見せたのは、歴史のクリスタルである。
                            「綺麗でしょ。でもこれ、ただの宝石じゃないのよ。実はね……」
                            「歴史のクリスタル、でしょ」
                             ニヤリとほくそ笑む翔に桜子は、はっと息を飲む。そこには、今まで見せなかった翔の本性が露わになっていた。
                            「ちょ、ちょっと翔君!?」
                             戸惑う桜子を翔は、力任せに押し倒すや、その手からクリスタルを奪い取った。
                            「奪ったぞ!」
                             吠える翔に、桜子は理解が追いつかない。
                            「翔君、どういうこと?!」
                            「どうもこうも、そういう事ですよ。センパイって本当に頭が悪いですね」
                             立ち上がった翔は、床に倒れ込む桜子をバカにしながら、用済みとばかりに一周した観覧車から出て行った。
                            「ちょっ……待って!」
                             慌てて翔の背中を追う桜子だが、そこに見知った顔ぶれを見て愕然と声を上げた。
                            「セツナっ!?」
                             驚く桜子にセツナは、配下の男達とともに高笑いを浮かべている。
                            「ほっほっほっ……アンタみたいなおバカさん、騙すのは簡単よ。それとも何? 本当にアンタみたいな落ちこぼれに惚れる男がいたとでも思ったのかしら?」
                            「卑怯者っ!」
                             叫びながら飛びかかる桜子だが、周りの屈強な男達に止められ、地面にねじ伏せられた。桜子は満足げに去っていくセツナや翔達を、ただ呆然と黙って見送るしかなかった。
                             ――私、何て事を……。
                             桜子は己がおかしたことへの懺悔と、まんまと騙された情けなさに立ち上がることすら出来ない。完膚なきまでに打ちのめされた桜子だが、不意にその背後から声が響いた。
                            「大丈夫だよ、桜子」
                             振り返った先にいたのは、志郎である。その手には、奪われたはずの歴史のクリスタルが握られている。驚く桜子に志郎が笑って言った。
                            「こっちが本物、アイツらが持って行ったのはクリスタルに似せた偽物だ」
                            「え……じゃぁ、志郎兄は、アイツらが騙しにきたって分かってて……」
                            「あぁ、どうせ何を言ってもお前は聞かないだろう。だからシュレと相談して、すり替えたんだ。もう安心していい」
                             そう聞かされた桜子は、がくりと肩を落とした。安堵を覚える以上に凄まじい自己嫌悪にかられたのだ。
                             その後、ベンチで志郎と肩を並べた桜子は、スカートを握り締め思いの丈を吐いた。
                            「志郎兄。私、こんな惨めな自分が嫌っ! どうしたらいいのか、分からない……」
                            「そこまで自分を責めなくてもいい。ただ、軽率さを気をつければいいだけだよ」
                            「それは、志郎兄だから言えるのよっ!」
                             桜子は思わず声を荒げ、涙を拭いながら訴えた。 
                            「そりゃ志郎兄は、何をやってもそつなくこなすし頭もいい。スポーツも万能で……けど、私は逆。私みたいな劣等生の気持ち、分かんないわよ」 
                             肩を震わせ嘆く桜子を志郎はじっと眺めていたが、しばし考慮の後、思わぬ話を切り出した。それは、全てを変える魔法の一言である。
                            「桜子。お前、税理士を目指してみないか?」
                             桜子は、思わず言葉を失った。自分の能力からあまりにもかけ離れた提案に、怒りを超え呆れすら覚えている。
                            「志郎兄、何言ってるのよ。そんなのムリに決まってるじゃない! ろくに勉強も出来ない一家のお荷物の私なんかに……」
                            「いや、これはずっと思っていたことなんだ。桜子、お前は税理士に向いているよ」
                             ――自分が税理士に向いている!?
                             桜子は自問したものの、とてもその言葉を受け止める要素が見当たらない。かぶりを振る桜子に志郎はさらに続ける。
                            「桜子、税金の本質ってなんだと思う?」
                            「そんなの取る側と取られる側の騙し合いよ」
                            「お前がそう思うならそれでいい。代表なくして課税なし。政府と人民の約束なり。皆、色々言うけど、それぞれに各々の事情があるからな。ただ仮にこれを騙し合いとするなら、賢く振る舞った側の勝ちだ」
                             じっと聞き役に徹する桜子に志郎は、畳み掛けた。
                            「税理士試験もそうさ。出題者との騙し合い。なら勝たないと。幸いうちの事務所は基盤も安定している。皆でサポートするよ。歴史のクリスタルも含めてな」
                             こんこんと説く志郎だが、桜子は全く自信が持てない。確かに税理士一家に生まれた以上、憧れはしたが、その難度ゆえに端から諦めていた。それだけに今、改めて己に問うている。
                             ――このまま人生の敗者を続けたくない。こんな自分を変えたい。けど……。
                            「志郎兄。私、数字に弱いよ」
                             不安を晒す桜子に志郎は、笑って言った。
                            「大丈夫。秘策があるんだ。桜子、お前は数字をどう読んでる?」
                            「そりゃぁ〈イチ・ニイ・サン〉よ」
                            「短縮するんだ。〈イチ・ニイ・サン〉を〈イ・ニ・サ〉と通常の読みの半分にすれば、負担が半減し計算力が倍になるだろう」
                            「確かに……」
                             思わず唸る桜子に、志郎は「他にも方法は、色々あるんだ」と前置きし、桜子の肩をポンっと叩いた。
                            「桜子、一人で悩まなくてもいい。皆が応援するから。だって家族だろう。お前には、そこに甘える資格がある」
                             志郎の断言に桜子は、涙が止まらない。悩みを一緒に背負ってくれる家族がいる――その事実がたまらなく嬉しかった。
                             同時にその心は、新たな決意に固まっている。
                             ――どこまで出来るか分からない。けど、私も目指してみよう。税理士を……。
                             閉園の音楽が流れる中、桜子は大きな一歩を踏み出した。

                             ※第一部 完(第二部は月曜日の週刊で連載予定です)

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                               十話

                               税理士への決意から数日後、桜子は志郎やシュレと敵対勢力のセツナを調べている。丁度、両親が海外に出払っていたこともあり、税理士事務所を陣取り情報収集に励んだ。
                               鍵は翔だ。先日のデートで桜子を嵌めた後、忽然と姿を消したのだが、その痕跡からセツナらに絡む巨額脱税の全容が明らかになり始めたのだ。
                              「どうやら、かなり凄腕の税理士が絡んでいるみたいぜ」
                               入手した資料から憶測を述べるのは、志郎だ。曰く、至るところで現代会計と税法を駆使し、時空課税をもみ消す操作がなされているという。
                              「こんなスキーム、普通の税理士では思いつかない。相当なやり手だ」
                               志郎の意見にシュレも同意し、感想を述べた。
                              「かなり大掛かりなヤマになるね。時空を超えて政・官・財に根を張る巨大シンジケートだ。武器密売に違法カジノ、巨額脱税、まさにアングラーマネーのオンパレードさ」
                              「シュレ、お前の力で何とかならないのか?」
                              「難しいね。僕らは所詮、量産型ゴーストに過ぎない」
                              「つまり、プロトタイプに劣るってこと?」
                               口を挟む桜子にシュレが苦々しくうなずく。それを見た志郎は、首を傾げながら尋ねた。
                              「シュレ、普通は試作機の方が後継機種に劣るはずだ。OSが違うのか?」
                              「組み込まれたAIが違うんだ。未知のテクノロジーが使用されていたらしい。それが外部からのハッキングにより暴走し、逃亡を許してしまった」
                              「そのうえクリスタルまで奪われれば、セツナは地下経済を牛じる女王になってしまう訳か」
                               腕を組み唸る志郎にシュレも同意している。だが、桜子は今一つ納得がいかない。試しに聞いてみた。 
                              「ねぇシュレ。セツナにそこまでの力があるなら、もっと強引に奪いに来てもよさそうじゃない? わざわざ翔を使って回りくどいよ」
                              「ふっ、そこが歴史のクリスタルの難しいところさ。コイツはね。一定の条件下でしか譲渡できないんだ。先日は意図的にその状況を作って翔を誘い出した。だが、今度はそうはいかないだろう」
                              「オーケー。まずは、この現代でセツナの協力者を探ろう」
                               志郎はノート端末を開くや、独自に組んだサーチエンジンで検索プログラムを走らせてみた。そこでヒットした項目をリストアップしたのだが、奇妙な共通点が見て取れた。
                              「志郎兄、この〈ハル税理士法人〉って……」
                               画面を指差す桜子に志郎がうなずく。
                              「昨年、閉鎖した税理士法人だ。おそらくダミーだろう。時空工学上のトンネル会社に悪用していた可能性がある。シュレ、何か手掛かりはないか?」
                              「ノーコメント」
                               シュレは肩をすくめ、お手上げの仕草で言った。
                              「悪いけど、ここは僕らにとってアンタッチャブルな領域なんだ。イエスともノーとも言えないね」
                              「何よそれ!」
                               声を上げる桜子を志郎がなだめながら言った。
                              「俺が行こう。虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ」
                              「だったら私も行く!」
                               立ち上がる桜子を志郎は、手で制す。
                              「桜子、お前まで危険に晒せないよ」
                              「気にしないで。これは私が持ち込んだ案件よ。人任せになんか出来ない」
                               頑なに首を振る桜子に志郎は仕方なくうなずき、ともに家を出た。
                               約半時間ほど電車に揺られた二人は、駅を降りハル税理士法人が入っていた雑居ビルへと入った。
                               目的の階でエレベーターを降り、部屋の前へとたどり着いた志郎は、桜子を下がらせ慎重にノブを捻ると扉が自然と開いた。
                              「鍵が空いたままだ……」
                               志郎はしばし躊躇した後、桜子とこっそり部屋へ忍び込んだ。中は実に閑散としており、税理士法人があった痕跡は残されていない。
                              「おかしい。確かにここがセツナが時空移動を行う拠点だったはずだ。一体、どうなっているんだ……」
                               桜子とともに首を傾げる志郎だが、その背後の扉が閉まり、図太い男の声が響いた。
                              「よく来たね。源志郎君、桜子君」
                               二人が驚いて振り返ると、そこには一人の成人男性が立っている。背広を羽織っている手前、ビジネスマンとも見て取れるが、その顔は二十歳半ばと若さに溢れている。
                               やがて男は、神経質そうにメガネを手で押さえるや、名刺を取り出し志郎の足元に投げた。恐る恐るその名刺を拾った志郎は、そこに記された名を読み上げた。
                              「アラン・オニヅカ?!」
                              「え、それって確か不祥事を働いて税理士資格を剥奪されたってニュースが……」
                               記憶を辿る桜子にオニヅカがうなずく。
                              「その通りだ。君達なら必ずここへ来ると思っていたよ」
                              「セツナの一派か。悪いが歴史のクリスタルを渡すつもりはねぇよ」
                               吠える志郎にオニヅカは、笑ってかぶりを振る。
                              「ふっ、いつまで強がりを言っていられるかな。まぁ、本来は俺の出る幕じゃなかったんだがね。翔の奴がしくじったから、出ざるを得なくなった。困った話だ」
                               オニヅカは肩をすくめつつ、二人に言った。
                              「歴史のクリスタルで救国ごっことは実に嘆かわしい。そんなことをしても、この国はもう助からないさ。なら溺れる船でひと稼ぎと行こうじゃないか。どうだ。手を組むつもりはないか?」
                              「お断りだ!」「この売国奴!」
                               罵る志郎と桜子にオニヅカは、やれやれとため息混じりに手を振り、背を向ける。部屋を出ようとした手前で、意味深なセリフを吐いた。
                              「〈リクドウ・シックス〉。調べてみることだ。セツナにまつわる情報に行き着く」
                               志郎はキョトンとしつつ、オニヅカに問うた。
                              「なぜそんな情報を俺達にバラす?」
                              「ハンディだよ。せいぜい健闘したまえ」
                               オニヅカは不気味に笑いつつ、その場を去って行った。

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                            • 一井 亮治
                              参加者

                                 十一話

                                 オニヅカとの接触から数日間、桜と志郎は〈リクドウ・シックス〉について調べを進めたものの、大した情報に行きつかない。
                                「参ったな……」
                                 頭を抱える志郎に桜子も困り果てている。調査が暗礁に乗り上げる中、志郎のスマホに一本のメールが入った。
                                 送信主は海外に出張中の父・善次郎である。予定を切り上げ帰国するとの内容だったのだが、問題はメールの後半にある。
                                「母さんも一緒らしい」
                                「えぇ!?」
                                 桜子は思わず驚きの声を上げた。この母・ソフィアは著名な国際税務ライターとして海外取材に明け暮れ、滅多に戻ってくることはない。桜子や志郎と同様に褐色の肌を持ち、ラテン系の血を引いている。
                                 性格もよく言えば天真爛漫、要するに自己中で周りに惑わされず我が道を突き進むその姿勢は、一家を散々に振り回してきた。
                                「とにかく空港へ迎えに行こう」
                                「分かった」
                                 桜子はうなずき志郎と家を出た。車に乗りハンドルを手に取る志郎の隣で、桜子は頭を痛めている。というのも、ソフィアが帰ってくるとロクなことがないのだ。
                                「今回も色々と引き摺り回されそうよ」
                                 嘆く桜子に志郎は「まぁ、そう言うなよ」と早くも諦め顔だ。
                                 その後、高速のインターを出て空港へと到着した二人が車内で待っていると、遠方から手を振る人影が現れた。両親の善次郎とソフィアである。
                                「突然にすまなかったな。母さんが急遽帰国すると言い出してな」
                                 恰幅のいい善次郎が突き出た腹を揺らせながら、穏やかな顔で二人に笑いかける。一方のソフィアは桜子に目をくれたまま、じっと固まっている。
                                 何を言い出すのかと待っていれば、思い立ったようにこう言い放った。
                                「ランチ。寿司が食べたいわ」
                                 ちなみに予定では直帰し、家族水入らずの昼食となっていたのだが、鶴の一声で外食に変更とあいなった。そこから始まったのは、完全なるソフィアの独壇場である。
                                 寿司をペロリと平らげるや、やれショッピングだやれ展望台だと一家を引き摺り回していく。いつものこととは言え、桜子は嘆きが止まらない。
                                 ――困った母親だ。
                                 志郎や善次郎と目配せを交わしつつ、母の気まぐれに貴重な休日が潰されていく徒労感を感じている。やがて、桜子はため息混じりにソフィアに問うた。
                                「それで母さん、今回はいつまで日本にいられるの?」
                                「そうね、あと三時間ってとこかしら」
                                「えぇ!? 今日帰国したばかりじゃない」
                                「桜子、タイムイズマネーよ」
                                 ソフィアは、突き立てた指をチッチッチッと振って見せた。いつもの事とはいえ桜子は、善次郎や志郎とともに呆れている。
                                 そんな中、善次郎のスマホに着信が入った。どうやら仕事の関係で顧問先に赴くことになったらしい。
                                「桜子、悪いが母さんを頼む」
                                 そう言い残し、去っていく善次郎と志郎を見送った桜子は、ソフィアとともに空港へと戻った。
                                 すでに時間は夕刻で日が大きく傾いている。外から強い西日が差し込む中、二人はベンチで肩を並べフライトまでの時間を待った。
                                 すでに疲労困憊の桜子だが、ソフィアは徐ろに切り出した。
                                「桜子。アンタ、何かあったわね?」
                                 これには桜子も返事に詰まった。
                                「や、何かって、別に何も……」
                                「嘘、会った瞬間に分かったわ。あぁ、変わったなって。試しに今日一日、ずっと見ていたけど間違いない。以前は目が死んでいたけど、今は何かと闘っている目になってる」
                                 ソフィアの鋭い観察眼に桜子は、言葉を失っている。確かにあれから色々あった。だが全ての事情を晒す訳にもいかず、可能な範囲内で現状を伝えた。
                                 その一つ一つをソフィアは黙って聞いていたが、話が佳境に入るや驚きの表情で腕を組み、最後には唸り声を上げた。
                                「ふーん……歴史のクリスタルねぇ。救国とともに税理士を目指す決意を固めた、か」
                                「もちろん、皆に迷惑がかからないようにするつもりだから」
                                「桜子、それがアンタの悪いところよ」
                                 ソフィアはピシャリと否定し、持論を展開した。
                                「いい? 桜子、迷惑はかけていいの。遠慮するあまり引きずられる側に甘んじるか、逆に周囲を引きずり回してでも時代や世界を変える側になるか、この二つしかない。だったら常に騒動の中心にいないと」
                                「それは、母さんだから出来るのよ。私は特に取り柄もないし、いつも周りに振り回され放し……」
                                「私もそうだった。褐色の肌で差別も受けたわ。けど、次第にそういったことに慣れて、今は逆に振り回す側になっている。少なくとも私は、そうやって生きてきたし、その結果として今の地位がある」
                                 フライトのアナウスが流れる中、ソフィアは立ち上がると、桜子にURLが書かれたメモ書きを手渡した。
                                「桜子、アンタの言う〈リクドウ・シックス〉だけどね。ここを当たりなさい。おそらく手がかりになるから」
                                「え、あぁ……ありがとう」
                                 ソフィアは、メモ書きを受け取る桜子の手をギュッと握った。
                                「力(リキ)を送ってあげる。でっかく飛びなさい。地球の裏側からでも応援するから。アンタの成長を楽しみにしてるわ」
                                 やがて、ソフィアは桜子と別れ機内へと消えていく。その背中を見送る桜子の手には、ソフィアの温もりが残り続けていた。

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                              • 一井 亮治
                                参加者

                                   十二話

                                   帰宅した桜子は早速、志郎とともにソフィアから受け取ったURLをノートパソコン上に表示させた。だが、出てきたのは広告のページばかりで、これといった内容に辿り着かない。
                                  「おい桜子、どう言うことだよ。何かの間違いか?」
                                   異議を唱える志郎に桜子は、かぶりを振る。
                                  「分からない。でもURLはここで間違っていないはずよ」
                                   二人は画面の至る所を調べるものの、めぼしい手がかりは無さげである。だが桜子には、確信があった。
                                   ――あの母さんがすすめたサイトだ。必ず何かある。隠れた手がかりが仕込まれているはずよ。
                                   その後も盛んにマウスを転がし続けた桜子だが、ふと画面の端に反応する何かを見つけた。
                                  「志郎兄。これって」
                                  「隠しリンクかぁ……」
                                   志郎が唸る中、桜子が右クリックをしてみると、画面が別のページへと切り替わった。そこには、検索窓が開いている。
                                  「ここに要件を打つって感じのよね。志郎兄、これってこのページの管理人と繋がってるのかな?」
                                  「いや。多分、AIだ。試しに何か入力してみようぜ」
                                   志郎に促され桜子は早速、リクドウ・シックスについて問うてみた。すると十数秒後に返答がきた。曰く、機微に触れる案件につき答えられないとの事である。
                                  「何よそれ」
                                  「桜子、交代だ。作戦を変えよう」
                                   志郎は桜子と入れ替わりノートパソコンの前に陣取るや、キーボードを叩いた。内容は時空移動をめぐる課税理論とその争点である。
                                   遡る時間の長さに応じて超過累進を取ることが、果たして富の再分配につながるのか、担税力の有無から負担の応益・応能説、さらには公平の垂直・水平的考慮に至るまで考えうる限りの議論をぶつけた。
                                  「さぁ、どうだ」
                                   志郎が反応を見守ると、AIの対応が明らかに変わってきた。当初に見せた頑なな対応が緩やかなものへと変化したのだ。
                                  「志郎兄、これってどう言うことよ?」
                                  「俺達のアカウントのレベルが上がったんだよ。より深くやり取りが出来る相手だと、AIが認識を変えたのさ」
                                   志郎は、ここで改めてリクドウ・シックスについて質問を投げかけてみた。すると、AIは画面上に不可解な紋様絵図を映し出して来た。
                                  「何これ?」
                                   首を傾げる桜子に、志郎が応じた。
                                  「多分、輪廻転生をめぐる六道思想の絵図だ。真ん中に描かれているのが閻魔で、その周囲を六つの世界が取り巻いている感じだな」
                                  「あのさ志郎兄。悪いけど、この私にも分かるように説明してくれない?」
                                   桜子の要請に志郎は苦笑しつつ、噛み砕いて説明した。曰く、世界は閻魔の監視の下、天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道という六つの世界に分かれ、死と共に別の世界へと生まれ変わる輪廻転生を繰り返すのだと。
                                  「要するに坊主の説法さ」
                                   志郎が要約して見せるものの、桜子は今ひとつ納得がいかない。
                                  「その坊主の説法がリクドウ・シックスとどう関係するのよ?」
                                  「どうもシュレやセツナの様なENMA(エンマ)シリーズのゴーストをプログラミングする際の設計思想と共通しているみたいなんだ」
                                  「え、ちょっと待ってよ。閻魔大王に舌をひっこ抜かれたり、魂がぐるぐる輪廻転生したりって、昔からよく言うやつが、なんで未来のプログラミングと関係するのよ?」
                                  「過去を時空課税の財源にするためさ」
                                   怪訝な表情を浮かべる桜子に志郎は、問うた。
                                  「桜子、未来人が一番恐れるのは、何だと思う?」
                                  「や、分かんないけど」
                                  「過去の人間に未来を改変されることさ。だから、逆らえば地獄に落ちるだの閻魔の裁きがあるだの、伝承を流し過去の人間を未来から盲従させた」
                                  「じゃぁ、私に救国活動をさせるのも……」
                                  「何か魂胆があってのことだろう。全ては確実な時空課税のためってわけだ。それともう一つ、セツナの設計者のこと、覚えているか?」
                                  「あぁ、確か消されたっていう……」
                                  「俺は違うと思う」
                                   そう結論づける志郎の仮説に桜子は、言葉が見つからない。
                                   一方の志郎はさらなる核心に迫るべく、AIとのチャットを加速させていく。その矢先、突如として歴史のクリスタルが光を放った。
                                   たちまち二人はその光に飲まれ、新たなる時空へと連れ去られていった。

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                                • 一井 亮治
                                  参加者

                                     十三話

                                     桜子と志郎が新たに放り込まれた時空――それは、嵐で荒波に揉まれる木造船の中だった。
                                    「船が沈むぞっ!」
                                    「あぁ、南無阿弥陀仏……」
                                     怒声と悲鳴が飛び交う中、船を支える柱に亀裂が走った。
                                    「桜子、危ないっ!」
                                     志郎が桜子の手を取るや、甲板へと逃れた。その直後、轟音とともに柱が倒れ、船内の数人が下敷きになった。
                                    「誰か、手を貸してくれっ!」
                                     叫ぶ男に桜子と志郎は、顔を見合わせ駆けつけた。見ると四十前と思しき僧である。
                                    「大丈夫ですか!?」
                                     声をかける桜子にその僧は、叫んだ。
                                    「柱の下に鑑真様がおられるんだ」
                                    「え、鑑真!?」
                                     驚きの声を上げる志郎に対し、桜子はそれが誰なのか分からない。ただ下敷きになっていることだけは確かな様だ。
                                    「いくぞ」「せいのっ」「えいっ」
                                     三人は声を合わせ倒れた柱を持ち上げ、中に倒れている鑑真を救い出すことに成功した。
                                    「大丈夫ですか。鑑真様!」
                                     慌てつつも声をかける僧に鑑真は、微笑みで応じた。
                                    「大丈夫です。ありがとう。普照」
                                     普照と呼ばれた僧は、鑑真の無事に涙を流している。どうやら鑑真は、目が見えないらしく、身の回りの世話をするのが普照の役目のようだ。
                                     やがて、雨風や止み嵐が収まったところで、普照は我に返った様に言った。
                                    「ところでお前ら二人は何者だ? そのナリといい奇妙で見たことがない」 
                                    「や、その……ねぇ、志郎兄」
                                    「あぁ、ちょっとこれには、事情が……」
                                     アタフタする二人にますます疑念の目を向ける普照だが、それを鑑真が制した。
                                    「普照や、そのお二人は命の恩人だ。話を聞こうではないか」
                                     船内が落ち着きを取り戻す中、二人は事のあらましを伝え、鑑真と会話を交わした。
                                     何でも仏教の乱れを嘆いた聖武天皇の願いに応えるべく渡日を目指したものの、ことごとく失敗し、今回が六度目の挑戦だという。
                                     その過酷さに普照の相方である栄叡が倒れ、鑑真自身も心労から視力を失ったらしい。
                                     ――それでもなお、日本への意欲を失わないなんて……。
                                     桜子は、驚きとともに心を大いに揺さぶられている。やがて鑑真が問うた。
                                    「お話によれば、あなた方は遥か未来から来られたという。そこでは仏教は根付いておりますか?」
                                    「えぇ、それはもう。ただ、私達の時空より先の未来が真っ暗で……」
                                    「救国すべく奮闘されておられる、と」
                                     鑑真の要約に桜子は、うなずくや逆に問い返した。
                                    「もし鑑真さんが私達の立場なら、どうされますか?」
                                    「立ち上がります。それこそ何度でも。それで民が救えるならお安いものです」
                                     鑑真の力強い言葉に、桜子の心情は複雑だ。志郎によれば、その教えは時空課税理論に組み込まれたものだという。いわば未来人にうまく利用されているとも取れるだけに、心が痛んだ。
                                     だが、意外なことに鑑真はそれを見抜いている様である。
                                    「桜子さん。あなたの仰りたいことは、何となく分かります。ですが、私は一向に構いません。それで世に安寧をもたらせるのなら、何度でもこの身を投げ打ちましょう」
                                     やがて、普照のすすめで休みに入る鑑真を見送った桜子は、志郎と海を前に考えている。
                                    「ねぇ志郎兄、仏教は日本に救いをもたらしたのかな」
                                    「歴史的に果たした役割は、小さくないだろう。特に鑑真の功績は、大いに評されるべきだ」
                                    「私には、あそこまでの行動力が理解出来ない。五度失敗して、なおもチャレンジする心を失わないなんて……」
                                    「だからこそ、日本人は鑑真の仏教を心から受け入れたんだ。確かに未来の課税省庁の思惑はある。だが、行き着くところ時代を作るのは、教えの是非じゃない。情熱なんだ」
                                     拳で自身の胸を叩いて見せる志郎に、桜子はしみじみとうなずく。そこへ背後から声が響いた。
                                    「まぁ、そういう事さ」
                                     驚いた二人が振り返ると、そこにはシュレが立っていた。すかさず桜子が問うた。
                                    「シュレ、アンタはどうなのよ。時空ゴーストとして、歴史をどう捉えているの?」
                                    「税収のための財源さ。建前はね。ただ……」
                                     シュレは前置きの後、続けた。
                                    「ただ、時にそれだけでは説明し切れない事象が歴史にはある。そんな人類の不可解さを僕は見守りたい」
                                     深遠な笑みを浮かべるシュレの目は、是とも非とも取れるものである。やがて、三人はクリスタルの放つ光とともに、船上から姿を消していった。

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                                  • 一井 亮治
                                    参加者

                                       十四話

                                       本格的な夏が迫る中、桜子に変化が訪れている。これまでほとんど見向きもしなかった学問に目覚め始めたのだ。
                                       紫式部、福沢諭吉、卑弥呼、鑑真――歴史上の様々な著名人との接触は、明らかに桜子の人生観に影響を与えつつある。投げやりだった生き方を前向きなものへと変貌させていた。
                                       ――情熱が時代を作る、か。
                                       桜子は志郎の言葉を口ずさんだ。同時に「人類には理屈で説明し切れない潜在力がある」と言うシュレの歴史観にも感銘を受けている。
                                       無論、その正体は桜子にも分らないが、手がかりは座学の中に潜んでいるように思われた。
                                       そんな桜子の姿勢の変化に気づいたのが、担任の中村である。桜子を職員室に呼び、改めて進路を問うた。
                                      「桜子、希望は税理士でいいんだな」
                                      「はい。大学は経営系で考えています」
                                       桜子の返答に中村は、神経質そうにうなずきつつ桜子の成績表を前に言った。
                                      「これは俺の持論だがな。人の成長には三パターンある。一つ目は早熟系、スタートダッシュは凄まじいが次第に伸びが鈍化し、そこそこに収まる器用貧乏タイプだ」
                                       聞き役に徹する桜子に、中村は続けた。
                                      「二つ目は、はじめこそ伸びは鈍いが、何かを掴んだ途端に爆発的な伸びを見せ、もっとも伸びるタイプ。そして、三つ目はそういったムラがなく平均的に伸びていくタイプだ。多分、お前は二つ目の大器晩成タイプだと思う」
                                      「はぁ。あの……それは、いいことなんでしょうか?」
                                      「俺的にはな。だが、今は時代の変化が早い。大器が晩成する前に次の波が来て、それまでの努力が無に帰してしまう。これからは、器用貧乏と蔑まれようともスタートダッシュに重きを置く早熟タイプの時代だろう」
                                       中村の理屈によれば、時代を先取りして先行利得を稼ぎ、周囲が追いつき始めた頃には、次の波に乗り換えるウサギが勝ち、不器用ながらも一つの道を極めるカメは絶滅していくとのことだった。
                                      「不器用な努力が美徳とされた時代は、終わったんだ。それを踏まえた上で進路をどう取るか、考えるんだな」
                                       中村はそう説くや、桜子を解放した。
                                       ――時代、かぁ……。
                                       職員室を出た桜子は、教室に戻りながら考えている。中村の理屈は、桜子にもよく分かった。問題は、それを自分では選べない点である。カメはどう頑張っても、ウサギにはなれないのだ。
                                       ――嫌な時代だよ。
                                       憤慨する桜子だが、そこへ着信が入った。見ると志郎からである。
                                      「どうしたのよ、志郎兄」
                                      「桜子、シュレによると近々、セツナがオニヅカを使って大規模な時空テロを目論んでいるらしい」
                                      「どう言うこと? 狙いは歴史のクリスタルじゃないの?」
                                      「それもあるが、どうやら作戦を変えてきたらしい」
                                       志郎曰く、歴史改変に絡む大規模な動きが見られるとのことだった。
                                      「桜子、帰りに事務所に寄れるか?」
                                      「いいよ。分かった」
                                       桜子は着信を切るや、気持ちを戦闘モードに切り替えた。
                                       

                                       学校を終え事務所へ向かうと、志郎とシュレが待っている。
                                      「お待たせ。何か詳しいことは分かった?」
                                      「まぁな、ちょっと込み入ってる」
                                       目配せで発言を促す志郎に、シュレはうなずき説明に入った。
                                      「セツナがこの時代に時空戦を仕掛けようとしているんだ。オニヅカを先兵に大掛かりな時空テロを目論んでいるらしい。ターゲットはリクドウ・シックス全般で、その鍵をクリスタルが握っている」
                                       シュレの説明に桜子は、首を捻りながら問うた。
                                      「あのさシュレ。私にはそのリクドウ・シックスというのが、今ひとつ理解できないんだけど」
                                      「過去を統括し、歴史の秩序を守る未来の課税システムと思ってくれればいい」
                                       シュレが説くものの、桜子は合点がいかない。やむなく志郎が補足を入れた。
                                      「桜子、要するに税務署の系統部署みたいなもんさ。天道は法人、人道は所得、修羅道は消費、畜生道は管運、餓鬼道は酒、地獄道は徴収を受け持っている。そのシステムが毎年七月に輪廻転生の名の下、大異動するんだ。システムの構成を環流させアップデートを図るんだと」
                                      「ふーん。で、セツナらはその混乱に乗じて事を起こそうとしているわけね」
                                       桜子は唸るや腕を組み頭を働かせた。クリスタルが手の内にある以上、セツナらは何らかのアクションを仕掛けてくることは想像に難くない。
                                       それをいかに防ぐかだが、ここでシュレが思わぬ策を切り出した。
                                      「桜子、ここは逆にこちらから仕掛けよう。君達に行って欲しい時空がある」
                                      「いいよ。今度はいつの時代?」
                                      「三日後さ」
                                      「え、現代!?」
                                       桜子は意表を突かれ声を上げた。てっきり過去の歴史線上にある時空だと思っていただけに意外さを覚えている。
                                      「行くのはやぶさかでないけど、一体、何をしに?」
                                      「この人物と接触して欲しいんだ」
                                       シュレが示した人物――それは十歳程と思しき少年で、名を浦島俊介といった。
                                      「じゃぁ、頼んだよ」
                                      「えっ、ちょっと待って……」
                                       唐突さに慌てる桜子だが、シュレは構うことなく指を鳴らした。その途端、クリスタルが光を帯び、桜子と志郎を三日後の未来へと連れ去って行った。

                                       桜子と志郎が放り込まれた場所は、意外にも海外だった。マンハッタンの一角でイエローキャブが盛んに出入りを繰り返す中、桜子は立ち上がり志郎に問うた。
                                      「志郎兄、ここってアメリカよね? 浦島君は海外なの?」
                                      「らしいな。とにかく行こう。セツナ一派から守る必要がある」
                                       二人はシュレから与えられた情報を元に歩道を進んだ。ニューヨークの行政区を担うこのマンハッタンは五番街やタイムズスクエアなどの繁華街が栄え、世界中から訪れた観光客で沸いている。
                                       金融街で名高いウォール街も賑わっており、街中はイタリア系やユダヤ系、中国系、プエルトリコ系など多くの人種が混在するその様は、まさに人種のるつぼだ。
                                      「凄い熱気ね。街全体が活気付いてる」
                                       桜子は超高層ビルが密集して林立する摩天楼の景観に息を飲んでいる。やがて、一帯に閑静で広大な緑溢れる公園が現れた。ニューヨークを代表するセントラルパークだ。
                                       そこで桜子は、思わぬ人物を目撃する。
                                      「あれは翔君!」
                                       かつて桜子に告白し、たぶらかした挙句、罠に嵌めようとした翔がセントラルパークを歩いていた。どうやらこちらには、気づいていないようである。
                                      「追おう」
                                       志郎の言葉に桜子はうなずき、翔をそっと尾行した。
                                       追跡すること約十分、翔の前に目的の人物が現れた。浦島俊介である。どうやら一人のようで、様子から察するに両親とはぐれ迷子になっているようだ。
                                       ここで翔が動く。徐ろにポケットからスマホを取るや、どこかと連絡を取り始めた。
                                       ――一体、何をする気?!
                                       桜子が見守る中、事件が始まった。突如として黒いワンボックスカーが現れ、中から飛び出した男達が浦島俊介を掻っ攫ったのだ。
                                      「大変だ……」
                                       一部始終を目撃した志郎は、慌てて近辺のイエローキャブを捕まえ、ドライバーに英語で捲し立てた。
                                      「ハリーアップ!」
                                      「オッケー。アーユーレディ?」
                                       いかにもラテン系といった成人男性のドライバーは、状況を正しく認識したらしく、腕を捲りエンジンを噴かすや、ハンドルを切りタクシーを急発進させた。
                                       やがて、その前方に目的のワンボックスカーが現れる。
                                      「ヘイ、シロウ。ザッツエネミー・ライト?」
                                      「イエスっ! カルロス。レッツゴー!」
                                      「オーケー!」
                                       ワンボックスカーを指差す志郎に、カルロスという名と思しきドライバーが威勢よく応じ、アクセル全開でニューヨークの街を駆け抜けていく。
                                       ぐんぐん加速する車内で、荒い運転の反動をモロに受けた桜子は、悲鳴を上げている。
                                       だが、志郎は構う事なく、ドライバーにワンボックスカーを追わせた。ここで桜子は、ワンボックスカーの中に見覚えのある顔を見つけ叫んだ。
                                      「オニヅカ!」
                                       どうやら向こうもこちらに気付いたようだ。陰湿な目でニヤリとほくそ笑むや、メガネをくいっと押さえ何かを命じた。そこで両脇の男達が取り出したものに桜子は、目を見張る。
                                      「銃っ!?」
                                       何と窓を開けこちらに向けて発砲してきたのである。そこから始まったのは、映画さながらのカーチェイスだ。信号無視のワンボクスカーを、これまた制限速度無視のイエローキャブが迫っていく。
                                       やがて、カルロスは巧みなハンドル捌きで、ワンボックスカーを高速へと追いつめた。
                                      「オーケー……」
                                       カルロスがほくそ笑み、タクシー無線でどこかと連絡を取り始めた。訝る桜子に志郎が「大丈夫さ」と目配せを送る。
                                       その数分後、事態は明らかになった。周囲にアメリカのポリスが次々に現れ、カルロスに加勢し始めたのだ。
                                       さらにワンボックスカーの前方を他のパトカーが塞ぎジ・エンド。ここで男達は敢えなくお縄頂戴となり、浦島俊介は解放された。
                                      「ヘイ、シロウ。アーユーオッケー?」
                                      「イエス。サンキューカルロス」
                                       完全に打ち解けた志郎とカルロスは、ハイタッチで笑顔を交わしている。
                                       やがて、桜子の前を意味深な笑みを浮かべるオニヅカが連行されていく。その背中を見送った桜子は、まだあどけなさを残す浦島俊介に歩み寄った。
                                      「浦島君、大丈夫?」
                                       浦島俊介はこくりとうなずくものの、まだ緊張状態が解けないようだ。青ざめた顔でこちらを伺いつつ、ニューヨーク市警に保護されて行った。
                                      「何とか助かったらしいな」
                                       ほっと安堵のため息をつく志郎に、桜子が問うた。
                                      「志郎兄、あの浦島君は何者なの?」
                                      「時空課税上の最重要人物さ。とにかく無事でよかったよ」
                                       志郎の返答に桜子は、頭を捻っている。
                                       ――未来人の最重要人物……ということは、つまり……。
                                       閃きがよぎる桜子に志郎がうなずく。どうやらあの浦島俊介少年は、タイムマシンの開発者上において重要な何かを握る人物のようだ。とそこで桜子のクリスタルが光を放ち、二人を元の時空へと連れ戻していった。

                                    • 一井 亮治
                                      参加者

                                         十五話

                                         三日前の日本へと戻ってきた桜子と志郎だが、何かがおかしい。地震とは異なる強烈な振動が違和感となって襲ったのだ。
                                        「時空震だ!」
                                         声を上げる志郎に桜子が首を傾げる。
                                        「時空震? 何それ」
                                        「シュレが言っていた。時空課税の根底を覆す何かが進行中だって。多分、これがそうだ。桜子、急げ!」
                                         いきなり走り出す志郎に桜子は、戸惑いを隠せない。だが、目の前に飛び込んできた光景に思わず息を飲んだ。シュレが肉体を破壊され倒れているのだ。
                                        「シュレっ!」「しっかりして!」
                                         叫ぶ二人にシュレは声を絞り出した。
                                        「セツナ……に……気をつけて……」
                                         シュレが完全に機能を停止する中、周囲の一帯では無秩序な破壊が起こり始めた。
                                         目には見えないものの、何かが進行していることは明らかだ。
                                        「事務所が危ないっ!」
                                         叫ぶ志郎に桜子は混乱しつつも、走った。やがて、目の前に上がる火の手に二人は、愕然とした。
                                        「うちの事務所がっ……」
                                        「親父っ!」
                                         桜子と志郎は、炎に包まれる事務所に飛び込むや、中で倒れる父・善次郎に飛びつく。
                                         どうやらまだ息はある様だ。
                                        「桜子っ、手を貸してくれ」
                                        「分かった」
                                         二人は息を揃え、善次郎を事務所の外へと運び出した。その後、志郎が盛んに蘇生措置を施すものの、善次郎に反応は見られない。
                                         焦りに額が汗で濡れる中、救急車が駆けつけた。同行する志郎と桜子は、気が気でない。
                                         やがて、病院につくや善次郎は集中治療室へと運ばれた。手術中のランプが赤く点る中、事の真相を理解した志郎が舌打ちした。
                                        「陽動、か……セツナにまんまと騙された」
                                         
                                         
                                         
                                         善次郎の手術が終わった。無菌室でパイプに繋がれ横になる善次郎を、桜子と志郎は外から見守っている。
                                         包帯が巻かれた痛々しい姿を眺める二人だが、そこへ聞き覚えのある声が響く。
                                        「さて、どうしたものかしらね? お二人さん」
                                         驚き振り返る桜子と志郎は、背後に立つ人影に目を見開いた。諸悪の根源であるセツナが男達を引き連れ立っているのだ。
                                        「セツナ。どういうつもりだ!」
                                        「どうもこうもそういうことよ」
                                         吠える志郎にセツナは、肩をすくめながら切り出した。善次郎の命運は自分が握っており、いかようにも未来を改変できる、と。
                                        「条件は一つ、歴史のクリスタルよ」
                                         交渉を持ちかけるセツナに桜子の心中は揺れている。だが、志郎は即断した。
                                        「セツナ。残念だがお断りだ。未来をお前らの好き放題にはさせない」
                                        「あら、随分と威勢がいいのね。すでに勝負はあったというのに」
                                         笑うセツナに志郎は、かぶりを振る。
                                        「セツナ、勝負はこれからさ。確かに時空テロを防げず、その点で俺達負けたかもしれない。だがセツナ、お前はまだクリスタルに承認されていない。つまり、俺達の意のままにある状況は変わっていないってことさ」
                                         吠える志郎にセツナは、にんまり目を細めている。どうやら図星の様だ。セツナは満面の笑みを浮かべながら、言った。
                                        「志郎。アンタって本当にいいわ。この状況にあって冷静さを失わない。大したものよ。いいでしょう。条件を変えましょう」
                                         ――え、どういうこと?
                                         桜子が怪訝な表情を浮かべる中、セツナは意外な切り口で迫った。
                                        「志郎、条件はあなたよ」
                                        「ほぉ、俺をどうする気だ!?」
                                         志郎の問いかけに、セツナは構うことなく続けた。
                                        「あなたの身柄をしばらくの間、私達が頂く。安心なさい。危害は加えないから。ただ少しの間、行動をともにするだけよ」
                                        「志郎兄を連れていくですって!? 何言ってるのよセツナ。そんな条件、飲めるはずがないでしょう」
                                         憤慨する桜子だが、傍らの志郎が手で制し小声で囁いた。
                                        「桜子、親父とクリスタルを頼む」
                                        「え、ちょっと待ってよ。まさか志郎兄、セツナの条件を飲むっていうの?!」
                                         驚く桜子に志郎は、うなずく。
                                        「あらかじめ予想はしていたんだ。それしか妥協点はないからな。心配するな桜子。俺は必ず帰ってくる」
                                         志郎は桜子の肩をポンと叩くと、セツナに言った。
                                        「いいだろう。その条件を飲もう」
                                        「オーケー、交渉成立ね」
                                         セツナは満足げにうなずくや、男達に志郎の身柄を拘束させた。両脇を固められながら、連れ去られていく志郎の背中を、桜子は力なく見送るしかなかった。

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                                      • 一井 亮治
                                        参加者

                                          「志郎を持っていかれた、か」
                                           桜子の報告に頭を痛めるのは、新たに送られてきた量産型シュレ二号機だ。どうやら記憶は共有されているらしく、会話もこれまで同様で何ら変わることがない。
                                          「一体、どうすれば……」
                                           嘆く桜子にシュレは断言した。
                                          「僕は歴史のクリスタルをさらに強化すべきだと思う。それがセツナへの抑止にも繋がるからね」
                                          「でも、私一人じゃ……」
                                           すっかり弱気に転じた桜子に、憤りを覚えたシュレは混乱の収まらない街を指差し吠えた。
                                          「桜子、現状を理解してる? 君達はセツナに時空兵器で攻撃されたんだよ。この時空震は、しばらく収まらないだろう。死者も出てる。なのに反撃もせずに、ただ黙って見てるだけなの?!」
                                          「そうは言うけど、どう立ち向かうのよ。志郎兄を人質に取られているのに」
                                          「だからこそ、クリスタルが重要になってくるんじゃないか。君の時空トラベルがクリスタルを強化し、ひいてはセツナに対する交渉力を高めることにも繋がる」
                                           こんこんと説くシュレに桜子も異論はない。だが、その自信がなかった。不安で押し潰されそうになる桜子だが、そこへ一本の着信が入った。母のソフィアである。
                                           桜子は父の無事と兄の拉致を伝え、クリスタルをめぐる現状と、ありのままの思いをぶつけた。
                                          「私には自信がない。志郎兄と違って無能だし、どう戦えばいいのか分からない。分不相応もいいところよ」
                                          「桜子、一ついい? あなたにあって志郎にないものがある。何か分かる?」
                                          「そんなものないわよ!」
                                           嘆く桜子だが、ソフィアの答えは意外なものだった。
                                          「クリスタルが選んだのが、志郎ではなくあなただったってことよ」
                                           これには、桜子も黙らざるを得ない。確かにクリスタルは万能な兄ではなく、無能な自分を選んだ。それは偽らざる事実だ。
                                           さらにソフィアは意外な心中を吐露した。曰く、自分は桜子よりむしろ志郎の方が心配だ、と。
                                          「え、どう言うこと?」
                                          「これは初めて言うんだけど、私は志郎を叱ったことがないの。まぁ、叱るところが無かったって言うのもあるけど、本当は叱るともう立ち直れないんじゃないかって思うくらい脆い部分があってね」
                                          「や、でも私、志郎兄と違って褒められたことってほとんどないよ」
                                          「それは、褒めることが人をダメにする側面を持っているから。私はライターとして、賞賛を一身に浴びた人がその能力を発揮できないまま潰れていくのをいっぱい見てきた」
                                           黙って聞き役に徹する桜子に、ソフィアはさらに続けた。
                                          「桜子。あなたはさっき分不相応って言ったわね。確かに身の程をわきまえるっていうのは、大事よ。特に調和を重んじる日本ではね。でも身の丈を超えない限り、成長もないわ。クリスタルは志郎ではなく、あなたの方に伸び代と潜在的な魅力を感じたのよ」
                                           ――私に伸び代と魅力?
                                           思わぬ事実を知らされた桜子は、言葉を失っている。やがて、ソフィアが締めた。
                                          「桜子。事務所のことは、私が知り合いの先生に話をつけるから安心しなさい。あなたは今、すべきことをすればいい。分かった?」
                                          「分かった……」
                                           桜子はポツリと答えるや、通話を終えた。徐ろに歴史のクリスタルを手に取るや、密かに決意を固めた。
                                           ――どこまで出来るか分からない。伸び代なんて全く感じないけど、やれる限りのことをやってみよう。
                                           そんな桜子にクリスタルは、慈愛の灯火を放ち続けた。

                                           

                                           学校が夏休みに入った。この頃になると、桜子の学問に対する熱もかなりのものとなっている。
                                           シュレが家庭教師となって、歴史という日本がかつて歩んで来た道を伝えると同時に、いずれ行くイバラの道について進んだ考えを説いていく。
                                          「要するに歴史って、哲学なんだ」
                                           シュレの教えに桜子は、首を捻る。
                                          「シュレ、悪いけど哲学って実社会で何の役にも立たない暇人の禅問答でしょ?」
                                          「違う。発想が逆だ。実社会の発展の上に哲学じゃない。哲学が整備されてはじめて実社会が成り立つ。仮に今、大怪我をしても外科治療で治せるだろう。それはデカルトが物心二元論で精神と身体を切り離したからこそ、医者が安心して身体を科学的に研究できる倫理ができ、医学の発展につながった」
                                          「じゃぁ、歴史はどうなのよ?」
                                           桜子の問いにシュレは、しばし考えた後、返答した。
                                          「統治だね。いかに国を回していくか。民主制か君主制に行き着く」
                                          「どっちがいいの?」
                                          「一長一短さ。君主制は独裁を生み民主制は衆愚を生む。その時々で最適なものを選ぶのがベストだろう。ま、座学はこんなところさ。実践に移ろう」
                                           シュレがパチンっと指を鳴らす。たちまち歴史のクリスタルから光が溢れ、桜子を太古の時空へと連れ去っていった。
                                           シュレが次に照準を合わせた時空は、〈日本〉という国号が初めて歴史に登場した大化の時代である。
                                           例の如く時空移動により乱暴に放り出された桜子が一帯を見渡すと、宮中の様だ。楽しげな声の元へ向かうと、何やら鞠らしきものを高く蹴り合う男達がいる。
                                          「いた。あそこね。中大兄皇子!」
                                           桜子は物陰に隠れて機をうかがった。すると、その中大兄皇子が蹴りに乗じて靴を放り飛ばしてしまった。
                                           苦笑する中大兄皇子に靴を拾い近づいた人物こそ、古代日本において絶対的な権力を手にする藤原氏の祖――中臣鎌足である。
                                           ここで二人は、何かを囁き合った。一瞬ではあったものの、何かを察し合ったようだ。互いに意味深な笑みを浮かべ別れた。
                                          「よし、行こう」
                                           桜子は意を決し、中臣鎌足の元へと歩み寄った。案の定、桜子のナリに中臣鎌足は驚いている。だが、意外にも何かを察したようにうなずき、こう述べた。
                                          「君、未来からの使者だね?」
                                           流石に桜子も驚きを隠せない。
                                          「え……あの、なぜそれを?」
                                          「以前に似たような妙なナリの青年が来たからね。君と少し面影が似ている。肌の色も」
                                           ――それって志郎兄じゃ……。
                                           食い入るように見つめる桜子に中臣鎌足は、優しげな笑みを浮かべながら言った。
                                          「そんなナリでここにいたら、怪しまれる。私の家に来なさい。話を聞こうじゃないか」
                                           
                                           

                                           その後、中臣鎌足に招かれた桜子は、事情を晒した。
                                          「ほぉ、歴史のクリスタルで救国をねぇ。君の気持ちはよく分かるよ。私も身分の低い役人ながら、この国の未来を危惧する者だ。特に蘇我氏の横暴は目に余る。聖徳太子様の血を引く山背大兄王様すら葬ってしまった。一族もろともだ。何とかしたいのだが、肝心の中大兄皇子が煮え切らない」
                                           苦悩の表情を浮かべる中臣鎌足に、桜子は同意しつつ問うた。
                                          「鎌足様は、日本をどんな国にしたいですか?」
                                          「律令国家だ。租・庸・調を整備し、唐のような立派な国にしたい。それだけではない。この国を未来に輝く偉大な国にしたいのだ」
                                           そこから始まったのは、中臣鎌足による一大演説会である。ほとばしる情熱で熱弁を振るうその熱気に桜子は、圧倒されている。
                                           だが同時に頭もクールに働かせた。脳裏によぎるのは、中臣鎌足が以前に会ったという志郎のことだ。
                                           気になった桜子がその旨を問うと、中臣鎌足はこれまた意外な答えが返って来た。なんと蘇我入鹿を唆し山背大兄王様を討たせたのは、志郎だという。
                                          「それはないっ!」
                                           思わず声を荒げる桜子だが、中臣鎌足は間違いないと断言する。
                                          「君には悪いが、あの志郎という男はかなりの危険人物と見た。おそらく君がいう歴史の改変を目論んでいるんじゃないか」
                                           ――志郎兄が歴史改変を……。
                                           言わずもがな、歴史改変は時空課税の理論を根底から覆す大罪である。どうやら志郎は、セツナに唆されダークサイドに身を投じてしまったらしい。
                                           愕然とする桜子に中臣鎌足は同情しつつ、非情な論理を説いた。
                                          「桜子、おそらく君は志郎と対決する。覚悟しておいた方がいいだろう」
                                           ――志郎兄と、対決……。
                                           あまりの衝撃に桜子は、言葉が出ない。これまで志郎を頼りにずっとやってきた。その志郎と対決など、できようはずがない。何よりあの志郎が、自分を裏切るはずがないのだ。
                                           やがて、中臣鎌足と別れた桜子は急ぎ現代に戻り、その旨をシュレに伝えた。流石のシュレも事態の深刻さに、顔色を変えている。
                                          「志郎が寝返ったのか……」
                                           困惑の面持ちで未来の課税当局と連絡を取り始めたものの、セツナがあらゆる時空で同時多発的に起こした時空テロの混乱を受け未だ復旧できずにいる。
                                           そんな中、ようやく返した答えが「志郎にまつわる情報の収集に努めよ」とのことだった。
                                          「シュレ、どうすればいい?」
                                           必死の面持ちで問う桜子に答えるべく、シュレはあらゆる時空に検索エンジンを走らせた。そこで一つの事案がヒットする。
                                          「西暦645年6月12日の飛鳥、ここに志郎のものと思しき痕跡が確率として見られる」
                                          「分かった。すぐ行く」
                                          「待って、桜子。罠の可能性がある。今、闇雲に動くのはあまりに危険だ」
                                           はやる桜子を引き止め再考を促すシュレだが、桜子の決意は固い。
                                          「シュレ。危険は承知の上、でも今は動くべきときよ」
                                          「作戦も無しにどう動くっていうのさ!」
                                          「そんなものは、動きながら考えるものなのよ! 少なくとも今まで会って来た歴史上の偉人は、そうだった。皆、自分から時代にぶつかって、歴史を引き寄せていたわ」
                                           桜子の強行姿勢にシュレは苦悩の表情を滲ませ、ため息まじりに嘆いた。
                                          「桜子、君は事態の深刻さが分かっていない」
                                          「大丈夫よシュレ、任せて。志郎兄が裏切るなんてあり得ない。絶対、何か理由があるはずなの」
                                          「それが甘いんだ。後ろで糸を引いているのは、あのセツナなんだ」
                                           シュレはリスクをこんこんと説くものの、桜子は頑として引き下がらない。一見、無謀とも思える桜子の決断だが、その主張はあながち間違ってはいない。
                                           それを成長と取るか未熟と取るかは、分からないものの、自らの意思を鮮明にする桜子にシュレは折れた。桜子の条件を飲んだのだ。
                                          「伸るか反るかの大博打、いずれ来るとは思っていたが、こんなに早く到来するとは、ね……」
                                           そんな独り言をつぶやきながら、シュレは準備を整え、桜子に釘を刺した。
                                          「いいかい桜子、君が今まから活動出来る時間は、きっかり二十四時間。これより一秒でも遅れれれば、君は時空課税庁の管轄を離れ、現代に戻ってこれなくなる。それとこれはお守り。いざとなったら開けてくれ。もしかしたら役に立つかもしれない」
                                          「分かったよシュレ。礼を言う」
                                          「これが僕に出来る限界だ。健闘を祈る」
                                           シュレは全てを託し、桜子を再度、過去の時空へと送り出した。

                                        • 一井 亮治
                                          参加者

                                             第十七話

                                             桜子が訪れた時空は、飛鳥の宮中である。どうやら三韓の使者をもてなす儀式が進行中の様だ。皇極天皇を前に石川麻呂が使者の文を読み上げていた。
                                             無論、蘇我入鹿も同伴している。
                                             ――いよいよね。
                                             桜子がつぶやき様子をうかがうものの、何ら変化は見られない。すでに石川麻呂の読む文は終盤に差し掛かっている。
                                             どうしたことかと首を傾げていると、それは起きた。怖気付く手勢の兵に代わって中大兄皇子が自ら白刃を引き抜き、蘇我入鹿に襲いかかったのだ。
                                             この突然の出来事に王の間は、騒然となった。手傷を負った蘇我入鹿が叫ぶ。
                                            「大王様、私に何の罪があってこの様な仕打ちを……」
                                             だが、中大兄皇子は手を緩めない。やがて、周りの手勢も加わり、たちまち蘇我入鹿を討ち取ってしまった。
                                             蘇我入鹿の首が刎ねられる中、中大兄皇子は皇極天皇に曽我氏の横暴からクーデターに及んだ旨を説明している。さらに中臣鎌足が周囲の兵に命じた。
                                            「いくさだ。曽我氏を一掃する」
                                             この乙巳の変を機に歴史は、大化の改新へと大きく舵を切ることとなる。次々に兵が中大兄皇子の指揮の下に入り、蘇我蝦夷らの討伐へと動いていく。
                                             一方、桜子に気付いた中臣鎌足が声を上げた。
                                            「桜子じゃないか。なぜここへ?」
                                            「兄の行方を追ってやって来たんです」
                                             桜子の返答に中臣鎌足は、大いにうなずき言った。
                                            「志郎だね。彼ならおそらく飛鳥寺だ。これから軍勢を送るつもりだが……」
                                            「鎌足さん。私を連れて行ってください!」
                                             桜子の懇願を中臣鎌足は了承し、行軍に加えた。当初は少数だったこの軍だが、クーデター成功の噂を聞いた豪族達が次々に加わり、いつしか一大兵力へと膨れ上がった。
                                            「こんなに大勢の軍が……」
                                             驚く桜子に中臣鎌足がうなずく。
                                            「それだけ曽我氏が権力を独り占めにして、多くの豪勢の恨みを買っていたってことさ。だが、これでようやく本来の政治ができる。唐に負けない律令国家を目指せるのだ」
                                            「中大兄皇子は大王に?」
                                            「いや、それは難しいだろう。強引に権力を簒奪したんだ。すぐ大王になれば反感を買う。まずは皇太子として政治改革を進めて頂こう」
                                             中臣鎌足は改革へと熱弁を振るった。公知公民・租庸調の整備・班田収授等、やることは山積だ。
                                            「あとは、唐にならって年号を定める必要があるな。何か改革を知らしめるいい名は、ないものか……」
                                             頭を捻る中臣鎌足に桜子が言った。
                                            「鎌足さんの思いが伝わる名がいいですね」
                                            「ふむ。私は常々思っていた。この国は、まだその潜在力を発揮し切れていない。これを機に大化けさせたいのだが……そうだな。〈大化〉でいこう」
                                             うなずく中臣鎌足の表情は、実に満足げだ。
                                             やがて、前方に蘇我蝦夷氏が防備を固める屋敷が現れた。だが、その兵力は微々たるものだ。数と勢いに押され、すでに落城寸前である。
                                            「蝦夷の首は、見つかったか?」
                                             中臣鎌足が問うものの、伝令の兵はかぶりを振っている。焦りを覚える中臣鎌足の傍らで、桜子は首を傾げている。
                                             ――確か正当な歴史では、蘇我蝦夷はここで自害するはずだ。だが、その首が見つからないなんて……。
                                             そんな矢先、桜子は炎に包まれる屋敷の中に求めていた人影を見つけた。
                                            「志郎兄!」
                                             声を上げる桜子に中臣鎌足は、うなずき桜子を解放した。
                                            「行きなさい。くれぐれも気をつけて」
                                            「はい。鎌足様もお元気で」
                                             別れを告げた桜子は志郎を求め、炎の中へと飛び込んだ。至る箇所で柱が崩れ落ちる中、屋敷の裏手から野原へと抜けた桜子は、目の前に佇む人影に声を上げた。
                                            「志郎兄っ!」
                                            「桜子か、久しいな」
                                             振り返るその顔は、紛れもなく志郎そのものだ。ただ、その表情はどこかよそよそしい。
                                            「志郎兄。一体、どこへ行く気? 一緒に帰ろう」
                                            「桜子、悪いが俺は帰らない」
                                            「どう言うことよ!?」
                                             声を荒げる桜子に志郎は、思わぬ返答をよこした。曰く、セツナ一派に加わり歴史を改変してでも、この国を変えるつもりだ、と。
                                            「俺は分かったんだ。もうこの国は助からない。亡国の憂き目にあうくらいなら歴史を改変してでも、救国の財源を時空移動に求めるしかないって」
                                            「ちょっと待ってよ志郎兄、それは歴史のクリスタルで……」
                                            「手緩い。もう手遅れなんだ。桜子もこっちに来いよ」
                                             志郎の勧誘に、桜子は動揺を隠せない。
                                             ――あの志郎兄は、すっかりセツナに洗脳されてしまっている。
                                             桜子は愕然としつつ、なおも説いた。歴史に犠牲を強いるセツナのやり方はあまりに急進的であり、時空課税の枠組みを根本的に覆すものだ、と。
                                             だが、志郎の耳には届かない。
                                            「桜子、俺はシュレではなくセツナに賭ける。民主主義ごっこで何一つ決められない日本に君主制を敷き、犠牲を強いてでも未来を変える」
                                            「志郎兄、それはあまりに性急過ぎる。歴史って皆で作るものでしょう?」
                                            「大方はな。だが、時としてごく限られた人間にその裁量を委ねるときがある。今がその時なんだ!」
                                             志郎の強行姿勢を前に、桜子の言葉はことごとく弾かれる。ついに交渉は決裂した。
                                            「桜子、これは最後通牒だ。セツナを中心とした俺達改革一派を取るか、それとも手緩いシュレ一派でぬるま湯に浸り続けるか、今決めろ」
                                             強引に答えを迫る志郎に、桜子は答えに窮している。それを拒絶と解釈した志郎は、桜子に背を向けた。
                                            「次会うときは、敵同士だ。俺は俺の道を行く」
                                             志郎の宣戦布告とも取れる発言に、桜子はなおも説得を試みるが、志郎は振り返ることなく、この時空から姿を消した。残された桜子はあまりの急展開に考えが追いつかない。
                                             そうこうするうちに野原に火の手がまわり、桜子は完全に逃げ場所を失ってしまった。
                                             ――熱いっ、早く時空スポットまで移動しないと、時間が二十四時間を超えてしまう。
                                             焦るものの目の前が炎で遮られ進む事ができない。にっちもさっちも行かなくなった桜子は、はたとシュレから手渡されたアイテムを思い出し手に取った。
                                             するとそのアイテムは眩い光を放ち、一本の剣へと姿を変えた。
                                            「これって、もしかして草薙の剣!?」
                                             桜子は驚きつつ、その草薙の剣で一帯を刈り取り、炎の草原から活路を開いていく。
                                             ――もう時間がないっ……。
                                             焦る気持ちを抑えつつ、何とか炎の草原からの脱出に成功した桜子は、光の灯る時空スポットに飛び込んだ。
                                             その途端、桜子の体は光に包まれ、飛鳥の時代から姿を消した。時空移動の空間を漂い現代に戻った桜子は、頭から地面に叩きつけられ転がり込んだ。
                                            「痛っ……」
                                             強引な体勢で何とか現代に戻ることに成功した桜子が時間を確認すると、残り時間が一秒を切っている。
                                            「桜子、今回はマジでヤバかった」
                                             目の前でシュレがほっと安堵のため息をつく。一方の桜子は徐ろに上体を起こすや、よろよろと立ち上がり嘆いた。
                                            「志郎兄は、セツナの手に堕ちた。シュレ。私、どうしたらいい?」
                                            「どうしようもないさ。残された道は対決あるのみ」
                                            「そんな事、出来るわけないでしょう!」
                                             異議を唱え涙を見せる桜子だが、見守るシュレに答えはなかった。

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                                          • 一井 亮治
                                            参加者

                                               第十八話

                                               父・善次郎の病状が芳しくない。一時は回復に向かっていたものの、その後、悪化に転じ今は意識を失ったままだ。
                                               幸い事務所は、母・ソフィアの知り合いが助っ人に入り回っているものの、いつまでも頼り放しではいられない。それだけに桜子は、セツナの手に堕ちた志郎の心境が理解できない。
                                               ――ラボのバグで暴走し、設計者を消失させ時空テロを起こすセツナにつくなんて。
                                               憤慨する桜子に応じるのは、シュレだ。
                                              「それがセツナの怖ささ。奴はゴーストとして言葉巧みに囁き、人を陥れる。特に志郎みたいなタイプにはね」
                                              「どういう事?」
                                              「有能で挫折知らずだろう。それでいてなまじ使命感があるから一度、負に転じればなかなか戻らない」
                                               肩をすくめるシュレに、桜子は頭を抱え嘆いた。
                                              「シュレ。私、どうすればいい?」
                                              「答えはクリスタルにある。歴史のクリスタルが君を認証している限り、こちらの優位は変わらないさ」
                                              「けど、もし奪われれば、タックスヘイブンだけでなくマネーロンダリングまで可能になるんでしょう?」
                                              「だからこそ、君はクリスタルに向き合う必要がある。この国が取るべき道は成長か成熟か、政府は大きくあるべきか小さくあるべきか。国の未来が歴史のクリスタルに眠っているんだ」
                                               現状を説くシュレに桜子はうなずき、クリスタルを取り出す。内部に漂う淡い光を眺めながら、意を決したように言った。
                                              「分かったよシュレ。それで次はいつの時空に行けばいいの?」
                                              「ある人物を看取って欲しいんだ」
                                               キョトンとする桜子に構わず、シュレは指を鳴らしクリスタルを発動させた。たちまち桜子の体は光に包まれ、現代の時空から姿を消した。
                                               
                                               
                                               
                                               例の如く、乱暴に放り出された桜子が辺りをうかがうと、水辺が広がっている。どうやら琵琶湖近辺のようだ。そこへ聞き覚えのある年老いた声が響く。
                                              「君は、桜子じゃないか!?」
                                               驚き振り返った桜子は、思わず声を上げた。
                                              「中臣鎌足さん!?」
                                              「ハッハッハッ……今は藤原鎌足だ。昨日、帝から長年の功を評されてな。ワシの出生地である藤原(現・奈良県高市郡)にちなんでこの姓を賜った。懐かしのう。大化の改新以来か」
                                               目を細める鎌足に桜子は、頭を下げた。
                                              「その節は、お世話になりました」
                                              「いやなに。あの頃のワシは怖いもの知らずだったからな。ゴホゴホ……」
                                              「大丈夫ですか!?」
                                               気遣う桜子を鎌足は手で制し、「少し休もう」と近くの倒木に並んで腰掛けた。
                                               初夏の心地よい風がそよぐ中、桜子は琵琶湖を眺めながら話した。
                                              「都を飛鳥から近江に移されたんですね」
                                              「あぁ、大化の改新の理想を実現すべく人心の一新を図りたかった。それとワシの手落ちもある」
                                               鎌足曰く、白村江で唐・神羅連合軍に敗戦し、天然の要害であり交通の要衝でもある大津に遷都したとのことだった。
                                              「生きては軍国に務無し(私は軍略で貢献できなかった)。軍事と外交を司る身として、己と日本の未熟さを思い知ったよ」
                                              「でもその分、鎌足さんは内政で貢献されたじゃないですか」
                                              「フフッ、当時皇子だった帝と蘇我入鹿・蝦夷を討ち、阿部倉梯麻呂や石川麻呂を失脚に追いやった。ひたすら帝に尽くし大錦冠、大紫冠の地位についた。人生をかけて己の仕事を果たせたと思っている」
                                               鎌足は穏やかに語りつつ、湖辺で戯れる幼い息子の不比等を眺めながら言った。
                                              「財を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上。それがワシの信念だが、果たしてどうだったのだろうか」
                                              「その全てを残されたと思います」
                                               桜子の返答に鎌足は、照れくさそうに笑っている。もっとも誇張ではない。事実、鎌足は日本の歴史における最大氏族〈藤原氏〉の始祖となり、一族繁栄の礎を築いたのだ。
                                               その旨を伝えると、鎌足は大いにうなずきながら、問うた。
                                              「桜子、君はどうなんだ。お兄さんとの関係は、改善したのかい」
                                              「それが……」
                                               桜子は苦悩の表情を浮かべながら、窮状を説いた。鎌足はその一つ一つにうなずいていたが、やがて考慮の後、桜子に言った。
                                              「骨肉の争いだな。いつの時代も変わらない。おそらくワシの死後、次の帝の地位を巡って争乱が起きるよう。帝の兄弟をめぐる争いだ」
                                              「兄弟や身内の争いが国を滅ぼす……虚しいですね」
                                              「それでも人は前に進み、営みを続ける。それが歴史だ」
                                               鎌足は穏やかに微笑み、幼い不比等を眺めながらそっと口を閉じた。鎌足の体はぐったりもたれかかったまま、ピクリとも動かない。
                                               それは波乱に満ち、時代に翻弄されながらも歴史という大舞台で命を張ってきた偉人の静かな最期だった。

                                               
                                               
                                              「ご苦労だったね」
                                               鎌足の死を看取った桜子をシュレが出迎える。桜子は感慨深げに言った。
                                              「シュレ、志郎兄は以前〈歴史は時としてごく限られた人間にその裁量を委ねるときがある〉と言っていた。鎌足さんは、どうだったんだろう」
                                              「残した功績は大きいね。鎌足の死後、壬申の乱を制した大海人皇子(天武天皇)の治世へと繋がっていく。同時に鎌足が理想とする唐をモデルとした律令国家の志は脈々と引き継がれ、息子の藤原不比等らによって結実した」
                                              「大宝律令ね」
                                               桜子の返答にシュレがうなずく。
                                              「そうさ。日本で初めて確立された統一的な税制だ。租・庸・調という唐の均田法にならった税の仕組みが完成したんだ。まさに人類の叡智だ。ゆえにその改変は、許されない」
                                              「分かってる。志郎兄の一件は、この私が引き受けるから。差し違えてでもね」
                                               そう語る桜子の目は、確固たる決意に溢れていた。

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                                            • 一井 亮治
                                              参加者

                                                 第十九話

                                                 父・善次郎の意識が戻った。知らせを受けた桜子が我先に病院へ駆けつけると、病床から善次郎が笑顔で出迎えている。
                                                「父さん、よかった……」
                                                 桜子は善次郎の元に駆け寄るや、目に涙を滲ませた。
                                                「桜子、心配をかけたな」
                                                「本当よ! 一時は、どうなることかと……あのまま別れも言えずに〈さようなら〉なんて私、絶対に許さないから……」
                                                 怒ってみせる桜子に善次郎は、苦笑を禁じ得ない。やがて、会話もそこそこに桜子は善次郎の着替えを整理しつつ、現状を説明した。
                                                「そうか。志郎は出て行ったきりか」
                                                「うん……歴史を改変してでも、この国を救うんだって」
                                                「なるほど。アイツらしいな」
                                                「感心している場合じゃないでしょう。父さんがこんなになってるって言うのに」
                                                 声を上げる桜子に善次郎は理解を示しつつ、ふと思い出したように切り出した。
                                                「そういえば桜子、お前が言っていたオニヅカという元税理士だがな。父さんも一度、関わったことがある」
                                                「え……本当?! 何か情報はある?」
                                                 食いつく桜子に善次郎は、記憶を辿りながらオニヅカの情報を話し始めた。曰く、志郎同様に試験を一発合格した天才で、ヤマ当てがうまく生粋のギャンブラーで鳴らしていたと言う。
                                                「何でもカジノを自ら編み出した必勝法で何件か潰したらしい。その恨みを買って課税当局にタレコミされ査察にやられたって話だ」
                                                「ふーん……そう言うことね」
                                                 桜子は腕を組み考えを巡らせる。どうやらオニヅカは、歴史を哲学ではなく壮大な賭博場と捉えているようだ。
                                                 ――まぁ、あながち間違ってもいないか。
                                                 桜子は心の中でうなずく。と言うのも歴史上の偉人には、どこか己を賭け金に相場を張る勝負師としての側面が感じられるのだ。
                                                 やがて、面会時間が来たところで桜子は立ち上がった。
                                                「父さん。貴重な情報をありがとう」
                                                「あぁ、だが桜子。ムリは禁物だぞ」
                                                「分かってる。じゃぁね」
                                                 桜子は別れを告げ病院を出た。帰路の電車に揺られながら、スマホを取り出し母・ソフィアから教えられたサイトのAIへと繋ぐ。
                                                 善次郎から得た情報をもとに調べていくと、奇妙な情報がヒットした。
                                                「オニヅカの本名?」
                                                 その名を問うと、AIは思わぬ名字を挙げた。それは、桜子がよく知る氏である。
                                                「フジワラ、かぁ……」
                                                 どうやらオニヅカは先日、桜子が看取った鎌足の子孫に当たるようだ。シュレだけでなくセツナもこだわる藤原氏とは、果たしていかなる一族なのか。
                                                 さらに調べを進める桜子だが、ふと気配を感じ顔を上げた。
                                                「今、誰かに見られていたような……」
                                                 不審を感じ辺りをぐるりと見渡したものの、特に異変はない。
                                                 ――気のせいか……。
                                                 そうこうするうちに電車が駅に着いた。桜子は気を取り直すや、電車を出て家路についた。

                                                「藤原氏と税制の関係? あるよ」
                                                 帰宅するや質問を投げかける桜子に、シュレは答えた。
                                                「鎌足の子、不比等らが大宝律令で税制を整えたのは以前、見ただろう」
                                                「えぇ、私が知りたいのは、その結果よ。ちゃんと国や民のためになったの?」
                                                 前のめりな桜子にシュレは、しばし考え冷静に返した。
                                                「桜子。君、勘違いしてないか。歴史って、先に進むほど皆が幸せになれるとか思ってる?」
                                                「そうよ、違うの?」
                                                「とんでもない誤解さ。確かに鎌足や不比等らによって日本は律令国家となった。ようやく一人前の国になってきたと言っていい。だが、歴史は次の時代に光だけでなく影も落とす」
                                                 シュレ曰く、租庸調、つまり稲や布、地産品といった税は都まで自費で運ばねばならず、民は盗賊に怯え餓死と隣り合わせの命懸けな旅を強いられたという。
                                                 その日暮らしで不安定ながらも、皆で分け合う縄文時代の文化は、完全になくなったのだ。
                                                「さらに厄介なのは、公地が足りなくなったことだ。国が墾田永年私財法で開墾を促したものの、それが出来るのは余力がある豪族だ。彼らはこれを有力者への寄付を装い、租税回避を図った。荘園の始まりさ」
                                                「国司は、課税出来なかったの?」
                                                「不輸の権を盾に拒まれた。〈ここは田畑でなく私の庭園なんです〉とか言われてね」
                                                「何よそれ!」
                                                 憤慨する桜子にシュレは苦笑しながら、言った。
                                                「この荘園をもっとも効果的に使ったのが、藤原氏さ。彼らは日本最大の荘園領主として、道長の時代に絶頂を極めた。セツナは、藤原の血を引くオニヅカにこのシステムを転用させ、時空上の租税回避という大博打を張らせたいのさ」
                                                「なるほどね……」
                                                 桜子はシュレに同意しつつ、腕を組み考えている。
                                                 先日の時空テロで未来の課税省庁の軸をなすリクドウ・シックスは、完全に復旧できていない。
                                                 そもそも消失したセツナの設計者は、遺体すら見つかっていないのだ。
                                                 ゆえにセツナ達の動きが近いうちに予測され、それは平安時代と推測された。
                                                 ――問題は志郎兄ね。何としても目を覚まさせる必要がある。
                                                 有能で才に長けた志郎に対するコンプレックスは、桜子の中で不動のものだ。それでも、この兄を出し抜かねばならない。
                                                 ――ここは、策に頼ろう。
                                                 桜子は、シュレに問うた。
                                                「シュレ。現状で未来の課税省庁の稼働率は、どこまで見込める?」
                                                「天道(法人)、人道(所得)で二、三割と言ったところだね」
                                                「私が囮になるわ。それで可能な作戦を立てて」
                                                 この桜子の申し出にシュレは、驚いている。だが、桜子は本気だ。
                                                 やむなくシュレは、未来と連絡をとり始めた。そこで決まったのは、助っ人を寄越すとの事である。
                                                「明日、その助っ人がやって来る。作戦の成否は、桜子とその人物にかかっている。覚悟はいいね?」
                                                 念を押すシュレに桜子は、真剣な眼差しで同意した。
                                                 その夜、桜子は布団の中で考えている。
                                                 ーー本当に私なんかが勝てるのだろうか。
                                                 不安に押し潰されそうになりながらも、気持ちを強引に落ち着かせ眠りについた。

                                                「あーアンタが桜ちゃん?」
                                                 翌日、ガサツな声で話しかけるのは、不揃いなショートカットが印象的な、桜子と同い年と思しき娘である。
                                                 あまりに馴れ馴れしい態度に面食らう桜子に、シュレが紹介した。
                                                「彼女は藤原京子。この時空を監視するエージェントだ。今回の作戦の立案者でもある」
                                                「ま、そういうこと。ヨロシクぅ」
                                                「こちらこそ。藤原さん……」
                                                「いいっていいって。京子って呼んでくれれば」
                                                 京子はポンっと桜子の肩を叩くや、家の中にヅカヅカと入った。その軽々しさに桜子は不安さを隠せない。すかさずシュレに小声で問うた。
                                                「ちょっとシュレ、あの娘で大丈夫なの?」
                                                「あぁ、まぁちょっと性格はアレだけど、エージェントとしてはうってつけだから。末裔には末裔で対抗って事さ」
                                                 そう語るシュレに桜子も異論はない。ためらいつつ桜子もあとに続いた。リビングに入った京子は、ペラペラと身の内を捲し立てている。
                                                「京子。そろそろ始めてくれ」
                                                 見かねたシュレの注意を受け、京子は「あーゴメンゴメン」とこれまた軽々しく詫びるや、カバンからノート端末を取り出し、桜子の前に広げた。
                                                「桜ちゃん。いい? この作戦の肝はオニヅカのギャンブルを覆すこと。桜ちゃんはその囮になる。つまり陽動よ。その間、構成員が包囲に動くから、可能な限り引きつけ時間を稼いで」
                                                「分かったけど、京子は?」
                                                「あたいは、桜ちゃんと一緒だよ」
                                                「え、でも危険じゃ……」
                                                「いいじゃんいいじゃん。そんなのうちらの仲じゃん。お互い様ってことで」
                                                 陽気に笑って見せる京子に桜子の内心は、揺らいでいる。
                                                 ――本当にこの娘で大丈夫?
                                                 そんな心配をよそに京子は、言った。
                                                「じゃぁシュレ、作戦決行よ」
                                                「オーケー、準備はいいかい?」
                                                 シュレの問いかけに京子と桜子は、うなずく。
                                                「よし、現時刻をもって僕らは対セツナ戦に入る。標的はオニヅカ、作戦名は〈トトカルチョ〉だ。健闘を祈る」
                                                 作戦開始を高らかに告げるや、シュレは指を鳴らす。たちまち桜子と京子の体は光に包まれ、現代の時空から姿を消した。

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                                              • 一井 亮治
                                                参加者

                                                   第二十話

                                                   二人が訪れた時空――それは真夏の夜の宮中である。突如、現れた二人に殿上人装束の男が悲鳴をあげた。
                                                  「ひぃっ、もののけだ。お助けぇ……」
                                                   腰を抜かし逃げ去る男に桜子が憤慨する。
                                                  「誰がもののけよ。失礼ね!」
                                                  「フフッ、あれは藤原道隆ね。随分と気の小さい男じゃん」
                                                   笑う京子だが、さらに別の場所からも悲鳴が聞こえ人影が走り去った。道隆の弟の道兼だ。
                                                   どうやら肝試しをやっているようである。
                                                  「さて、お目当ての殿方はどうなのかな」
                                                   京子は意味深に笑うや、桜子と大極殿へと向かった。すると暗闇の中を小刀で柱に細工を施す男がいる。藤原道長である。
                                                   桜子と京子の気配に気がついた道長は、声を上げた。
                                                  「何だお前達は!?」
                                                  「時空の旅人でーす。やーご先祖様にお会い出来て光栄っす」
                                                   実に軽いノリの京子に道長は、怪訝な表情を浮かべている。やむなく傍らの桜子が事情を話した。
                                                  「ほぉ、未来からの使者、と……」
                                                   道長は驚きの表情を浮かべている。そこへ突如、宙に光が放たれ、見覚えのある男が手下と思しき者達を引き連れ現れた。
                                                  「オニヅカ!」
                                                   吠える桜子にオニヅカは、眼鏡を手で押さえながら笑った。
                                                  「久しいですな、お嬢さん。わざわざ危険を承知で乗り込んでくるとは、大胆なことだ」
                                                  「アンタの狙いは、このクリスタルでしょう」
                                                  「いかにも。だが今回、用があるのはそちらの御仁だ」
                                                   オニヅカは、道長の方を向き跪いた。
                                                  「道長様、お迎えに参りました」
                                                  「それはどういう事だ?」
                                                  「こういう事です」
                                                   怪訝な表情を浮かべる道長に対するオニヅカの答えは、驚くべきものだった。なんと懐から銃を取り出し、発砲したのだ。
                                                   自分の祖先を撃てば、それは子孫の自身にも跳ね返ってくる。にも関わらず、オニヅカは道長を倒してしまった。
                                                   驚き慄く桜子に京子が囁く。
                                                  「大丈夫よ、桜ちゃん。多分、麻酔銃だから」
                                                   その上でオニヅカに吠えた。
                                                  「オニヅカ、アンタとあたいは同じ藤原の血を引いている。一体、どういうつもりなのさ?」
                                                  「簡単な事です。私がこのギャンブルでベットするのは、伊周様。道長様には別の道を歩んで頂きたいのです」
                                                  「出家でもさせるつもり?」
                                                  「推測はご自由に。さて藤原京子、お前には実弾をくれてやろう」
                                                   引き金に指をかけるオニヅカだが、遠方から銃声が響きその銃が弾かれた。
                                                  「くそっ……仲間がいたのか」
                                                   オニヅカは腕を押さえ舌打ちするや、手下の男達に命じた。
                                                  「この小娘らをひっ捕えろ!」
                                                   周りを男達に取り囲まれる中、桜子と京子は背中合わせになって身構えた。
                                                  「どうするのよ、京子?!」
                                                  「大丈夫。桜ちゃんは道長さんを守って」
                                                   京子は背中越しに囁くや、何と包囲を狭める男達に向かって逆に打って出た。
                                                   体格差をものともせず、見事な体捌きで男達を倒していく京子に、桜子は驚きを隠せない。
                                                   ――凄いっ……。
                                                   固唾を飲んで見守る中、ついに京子は全ての男達を片付けてしまった。
                                                  「おのれ小娘がっ!」
                                                   オニヅカは床に落とした銃を拾い直し京子に照準を合わせる。だが、その顔は突如、苦悶に歪んだ。振り返ると、目覚めた道長がふらつきながらも小刀を握りしめ立っている。
                                                   思わぬ一撃を背中に受けたオニヅカは、床に膝から崩れ落ちた。それを見た京子が、前に立ち言い放った。
                                                  「アラン・オニヅカ、もといアラン・フジワラ。時空脱税及び歴史改変罪で逮捕する」
                                                   手にした端末を操作する京子に、床に倒れた男達が次々に光の中に吸い込まれていく。やがて、その光がオニヅカに及ぼうとした矢先、別の光が現れそれを阻んだ。
                                                   何事かと驚く京子だが、突如として人影が現れる。その顔を見た桜子が声を上げた。
                                                  「志郎兄っ!」
                                                   ずっと姿を消していた志郎の突然の出現に桜子は、驚きを隠せない。だが、志郎は桜子に構うことなく京子に発砲した。
                                                  「うっ……」
                                                   呻き声とともに倒れる京子に、桜子は息を飲みその体をゆすった。
                                                  「京子っ、しっかりして!」
                                                   だが、京子の反応はない。動揺する桜子が振り返ると、志郎が銃口を桜子に向けている。
                                                  「志郎兄、この私を撃つ気なの!?」
                                                   呆然とする桜子だが、志郎の目は本気だ。引き金に指をかけた志郎だが、突如、桜子の前を道長が身を持って塞いだ。桜子は思わず声を上げた。
                                                  「道長さんっ……」
                                                  「誰だか知らんが、女性に手を出すのは感心せんな」
                                                   道長はそう言い放ち、志郎から桜子を庇い続けている。流石に道長をやる訳にはいかず、志郎は諦めたように銃を直すや、オニヅカを抱えこの時空から去って行った。
                                                  「道長さん、ありがとうございます」
                                                   頭を下げる桜子に道長は「大したことじゃない」と首を振り、京子に応急手当を施した。どうやら急所が外れていたらしく、命に別状はなさそうである。
                                                  「桜子さんとやら、さっきの男は君のお兄さんかい?」
                                                   道長の問いに桜子は、表情を曇らせながらうなずく。道長は同情を見せつつ、言った。
                                                  「私達も似たようなものだ。同じ一族で陰謀を張り巡らせ権力を奪い合っている。実に嘆かわしい」
                                                  「あの……道長さんは、どんな世を理想とされているんですか?」
                                                  「平安の世だ。だが、現実は違う。なら勝たねば。相手が一族でもな。君にも分かるときがくる」
                                                   道長は桜子の心境を察しつつ、徐ろに立ち上がった。
                                                  「さ、ここは私が何とかする。君達は帰りなさい」
                                                  「はい、道長さんも気をつけて」
                                                   桜子は内裏に戻っていく道長の背中を見送るや、怪我を負った京子を抱え平安の時空から姿を消した。

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                                                • 一井 亮治
                                                  参加者

                                                     第二十一話

                                                    「まさか志郎に邪魔されるとは、ね」
                                                     手負いの京子にシュレは嘆いている。幸い道長の応急措置のおかげで大事に至らなかったものの、一歩間違えば命に関わっていた。
                                                     それだけに桜子は、変貌した兄に困惑を隠せない。
                                                     ――志郎兄は、どうなってしまったの……。
                                                     頭を抱える桜子の脳裏によぎるのは、道長だ。二人の兄を亡くした後、伊周と権力闘争を繰り広げることとなる道長だが、すでに一族の争いを運命と位置付けていた。
                                                     一方の桜子は覚悟を固めたとはいえ、やはり躊躇は残る。
                                                    「何はともあれトトカルチョ作戦の第一段階は、終了だ。あとは京子の代わりを……」
                                                    「あぁ。あたいなら、大丈夫……」
                                                     よろけつつも上体を起こす京子を、桜子が慌てて止めに入る。だが、京子は構うことなくシュレに作戦の継続を訴えた。
                                                    「これは藤原氏の末裔として、避けられない戦いだからね」
                                                    「京子。一体、何があなたをそこまでさせるの?」
                                                     桜子の問いに京子と目配せしたシュレが打ち明けた。
                                                    「京子はね。かつて、オニヅカが絡む時空テロで家族を失ったんだ。その後、時空課税庁のエージェントに志願し、厳しい訓練を経て今に至る。つまり、京子にとってこれは、復讐であり贖罪なんだ」
                                                    「フフッ、全てはあたいが悪いのさ。素行の悪さで家族に無茶を強いた結果、オニヅカの騒動に巻き込んでしまった……」
                                                     悔やむ京子の表情は、実に沈痛である。詳細は分かりかねるものの、京子には京子なりの事情があるようだ。
                                                    「シュレ、桜ちゃん。次にオニヅカが仕掛けるのは、寛仁二年十月十六日よ」
                                                    「え、どういうこと?」
                                                     キョトンとする桜子にシュレが応じた。
                                                    「その日、道長の三女、威子が後一条天皇の皇后になったことを祝う宴が開かれたんだ。事はその二次会にある」
                                                    「あぁ『望月の歌』ね?」
                                                     意を察した桜子に京子はうなずき、その歌を詠んだ。
                                                    「此の世をば 我が世とぞ思ふ望月の かけたることも無しと思へば(この世で自分の思うようにならないものはない。満月に欠けるもののないように、すべてが満足にそろっている)」
                                                    「藤原氏の摂関政治、ここに極まれりだ」
                                                     シュレの総評に桜子も異論はない。問題は右大将の藤原実資が返歌を拒んだ点にある。京子は言った。
                                                    「オニヅカは、必ずつけ込んでくる。奴はギャンブラーだ。賭け金を全てベットするはずよ」
                                                    「そこを逆にこちらから仕掛けるってことね?」
                                                     確認する桜子に京子は、うなずいた。
                                                     かくして、対セツナ戦トトカルチョ作戦は、第二段階へと移行した。筆頭に立つのは、京子だ。
                                                    「次は狙撃兵を三名に増やす。ここで勝負を決め切るよ」
                                                    「配置は、どうするんだい?」
                                                     シュレの問いに京子は屋敷の地図をノート端末に広げ、作戦の詳細を詰めていく。そんな中、桜子はふと、根本的な疑問を投げかけた。
                                                    「あのさシュレ。藤原家が荘園の最大領主になって、国政を牛耳ったのはわかるんだけど、自身の荘園に税は取られなかったんでしょう」
                                                    「あぁ、不輸不入の権だね」
                                                    「じゃあ、国の歳入ってどうなってたのよ?」
                                                     この疑問にシュレは、ニヤリとほくそ笑む。
                                                    「フフッ、その通りだよ桜子。それこそが藤原氏最大の急所になったんだ。摂政として国を回そうにも、肝心の財源が荘園の増加により減少していく。藤原氏も自身が当事者なだけに、その聖域にメスを入れれない。これが藤原氏の時代を終わらせ、次の時代を産むきっかけとなるのさ」
                                                    「次の時代?」
                                                     首を傾げる桜子に、シュレと京子が意味深に言った。
                                                    「桜子、君達の時代さ」
                                                    「そう言うことよ、桜ちゃん。もとい源桜子さん」
                                                     これには、桜子も言葉を失ってしまった。シュレと京子が言わんとしていることは、こうだ。〈藤原氏を筆頭とする貴族の時代は終わり、源氏や平家ら武士の時代が来る〉と。
                                                     いわゆる〈源平藤橘〉である。
                                                    「じゃあ何? シュレが私に目をつけた本当の理由は、私が源氏の血を引くから?」
                                                    「まぁね。日本の歴史上、この四家は外せないだろう。時空課税理論もこの四家を主要プレイヤーに立脚している」
                                                     それを聞いた桜子の脳裏にある節が思い当たる。
                                                     ――うちが源氏で京子とオニヅカが藤原氏、なら残るは……。
                                                    「シュレ、もしかして翔君って」
                                                    「お察しの通り。四家の一角――平家の末裔さ」
                                                     思わぬ事実を前に桜子は、呆然とした。同時にまだ見ぬ次の世に想いを馳せている。
                                                     かつて、シュレは言った。歴史は次の時代に光だけでなく影も落とす、と。つまり、桜子や翔の先祖は、道長を頂点とする藤原氏から大きな影響を受けたことになる。
                                                     ――時代の転換点、か……。
                                                     桜子は、自らの祖が織りなすであろう武士の世の到来を意識しつつ、オニヅカらが目論む時空戦への対処を練り続けた。

                                                     翌日、作戦を決行すべくシュレが呼びかけた。
                                                    「じゃぁ、行くよ」
                                                    「オッケーよ」「始めましょう」
                                                     準備を終えた二人が応じる中、シュレは歴史のクリスタルを作動させた。たちまち辺りが光に包まれ、桜子と京子は現代から姿を消した。
                                                     二人が放り込まれた時空――それは、寛仁二年十月十六日の夜である。庭から屋敷を覗くと、中から賑やかな声が響いている。どうやら宴の真っ最中のようだ。
                                                    「いよいよじゃん」
                                                     京子は昂る気持ちを抑えるや、時空課税局から駆けつけた応援部隊とインカムで連絡を取っていく。
                                                     やがて、全部隊が配置についたところで、オニヅカらの襲撃に備えはじめた。だが、一向に現れる気配がない。
                                                    「おかしい……」
                                                     京子は時間を確認しつつ、首を捻る。本来なら既に現れているはずなのだ。そうこうするうちに屋敷で道長が例の『望月の歌』を朗々と詠んだ。
                                                     これに藤原実資が返歌でなく、吟詠で応じている。道長もまんざらでもなさそうだ。一方の京子は、全く現れる気配のないオニヅカらに焦りを覚えている。
                                                     そうこうするうちに何事もなく、宴会が終わった。皆が楽しげに声を上げて笑いながら帰っていく。道長は一人となったところで縁側で月を眺めていたのだが、ここで異変が起きた。突如、道長が胸を抑え縁側に崩れ落ちたのだ。
                                                     桜子と京子は、驚きのあまり目を見開いた。慌てて庭園の影から姿を現すや、道長の元に駆けつけた。
                                                    「道長さん。しっかりして!」
                                                     桜子が背中を揺するものの、道長は苦悶の表情で呻き声をあげている。これに京子が舌打ちする。
                                                    「しまった。先手を打たれたんだ。おそらく毒を盛られている」
                                                     まんまと裏をかかれ出し抜かれたことに憤る二人だが、そこへ意中の人物が現れた。オニヅカである。さらに背後には、屈強な男達とともにニンマリと笑みを浮べるセツナがいる。
                                                     急ぎインカムで応援部隊と連絡を試みる京子だが返答がない。セツナは笑って言った。
                                                    「悪いわね。あなた達が配置した部隊は、こちらで始末させてもらったわ」
                                                    「へぇ、随分なご挨拶じゃん」
                                                     京子がいきり立つ中、傍らの桜子は冷静に頭を働かせている。やがて、意を決し言った。
                                                    「セツナ。あなたの狙いは、このクリスタルを傘下に置く私でしょう。いいわ。あなたの軍門に下りましょう」
                                                    「ちょっと、桜ちゃん」
                                                     驚く京子に桜子は、小声で囁いた。
                                                    「京子、癪だけど今回は私らの負けよ。今、一番大事なのは道長さんの身、それは京子に任せるから」
                                                    「桜ちゃん、それはあまりにキケン過ぎる」
                                                    「京子、私なら大丈夫。後を頼むから」
                                                     桜子は京子に笑って見せるや、クリスタルを手にセツナらの元へと歩み寄った。そんな桜子をセツナは満足げに眺めている。
                                                    「理解が早くて助かるわ。お嬢ちゃん。じゃぁ、参りましょうか。お兄さんも待っているわ」
                                                     セツナは勝ち誇ったように笑うや、桜子の身柄をオニヅカらに託し、平安の時空から姿を消した。

                                                  • 一井 亮治
                                                    参加者

                                                       第二十二話

                                                       セツナらに連れ去られた桜子は、監視の下、隔離された部屋にいる。そこへオニヅカが入ってきた。
                                                      「ダージリンティは、いかがかな?」
                                                       紅茶を差し出すオニヅカに桜子は、そっぽ向く。オニヅカは苦笑を浮かべつつ、前の座席に腰掛け対面した。
                                                      「桜子。私には一つ、分からない事がある。君は救国を条件にシュレに助けられた。そして今、クリスタルと歴史を旅している。だがはっきり言って、この国は手遅れだ。なら発想を切り替えるべきだろう」
                                                      「つまり、祖国を売れってこと?」
                                                      「『トム・ソーヤの冒険』は知ってるかい? 著者のマーク・トウェインが言っている。〈歴史は繰り返さないが、韻を踏む〉とね」
                                                       オニヅカは、メガネを指で押し上げながら、さらに続けた。
                                                      「これから日本は、厳しい局面を迎える。だが悲観することはない。かつて、世界を大恐慌が襲った。だが、そこで儲けた人もいなかったわけではない。世界には危機の中でお金を稼ぐ人が常にいる。皆が売るタイミングで買い、皆が買うタイミングで売るんだ。例え危機が起き、経済が崩壊しようとも、必ず復活するのさ」
                                                      「だから歴史まで改変しようっていうの? 悠久の時空を賭場に相場を張って、儲けのためなら国すら滅ぼすなんて間違ってるわ」
                                                      「ふっ、見解の相違さ。まぁゆっくり考えてくれればいい。それはそうと君のお兄さんだが、なかなかにしてしたたかじゃないか。私にとって歴史はギャンブルだが、彼にとってはゲームのようだ」
                                                       薄ら笑いを浮かべるオニヅカに、桜子は被りを振りつつ、声を上げた。
                                                      「オニヅカ、私にはさっぱり分からない。歴史がギャンブルやゲームな訳ないでしょう」
                                                      「じゃぁ、何だと言うのかね? 時空課税上の財源か? 君はいつまで未来の奴隷でいるつもりなんだ」
                                                       罵るオニヅカに桜子は言った。
                                                      「私にとって歴史は、過去との対話よ。これまで色んな偉人に会って来た。皆、悩みの中で現実と直視し、それぞれの答えを見つけていたわ。なのに、あなた達はそこに敬意を払わず私物化しようとしている」
                                                       非難の声を上げる桜子にオニヅカは、肩をすくめお手上げのポーズをとる。桜子の説得を諦め席を立つや、部屋を出て行った。
                                                       入れ替わるようにやって来たのは、セツナである。
                                                      「お嬢さん。いらっしゃい」
                                                       セツナの手招きに桜子は、警戒しつつも従った。桜子はセツナの背中を追いながら問うた。
                                                      「セツナ。一体、私をどうするつもり? あなたの設計者同様に始末する気ね」
                                                      「お言葉を返すようだけど、私の設計者は死んじゃいないわ」
                                                       言葉を失う桜子をセツナが笑う。
                                                      「そんなに身構えなくても大丈夫よ。私達には、あなたを簡単に始末できない事情もある。ただ……そうね。一つ、いいものを見せてあげるわ」
                                                       意味深な笑みを浮かべつつ、セツナが向かったのは祭壇のような場所である。そこで立ち止まったセツナは、振り返るや桜子の額に人差し指をかざした。
                                                       その途端、桜子の頭の中を走馬灯のように映像が走り抜けた。
                                                      「え……今のは、何!?」
                                                       戸惑う桜子にセツナが言った。
                                                      「私の目指す世界――無税国家論のビジョンよ」
                                                       ――無税国家論ですって!?
                                                       桜子は見開いた目でセツナを見た。冷静に考えて、それは不可能である。だが、そのビジョンを直接、頭の中にありありと見せられた桜子は、反論の言葉を失っている。
                                                       そんな桜子にセツナは言った。
                                                      「お嬢さん。今から二十四時間、あなたに時間をあげる。私かシュレか、どちらに着くべきかをよく考えて、はっきりと道を決めなさい」
                                                       
                                                       
                                                       
                                                       無税国家論――それは財政支出の徹底削減により国家予算の剰余金を積み立てて、非常に長いスパンでこれを目指す、という福沢諭吉を参考に松下幸之助が描いた国家論構想である。
                                                       無論、そこには企業経営のノウハウ援用を念頭においている。つまり、日本産業株式会社という訳だ。
                                                       ただその実現には多くの資本を要するため、歴史のクリスタルで資金を捻出し、新たな国家像を打ち立てようというのが、セツナの目論見らしい。
                                                       部屋に戻された桜子は、改めてその可能性について考えている。
                                                       ――確かに国や民、未来のあるべき姿を追求すれば、それは理想かもしれない。
                                                       だが、それを多くの犠牲を強いてでも強行しようとする考えには、やはり賛同できなかった。
                                                      さらに気になるのは、セツナが述べた設計者存命の報である。無論、事実とは信じきれないが、どうもその設計者は、桜子をむげに出来ない事情があるらしい。
                                                       ――一体、何がどうなっているのよ……。
                                                       謎が謎を呼ぶ中、ふと時間を確認すると、タイムリミットが迫っている。悩む桜子だが、そこへ思わぬ声が響いた。
                                                      「セーンパイっ、お久っす」
                                                       調子の良さげな挨拶に振り返った桜子は、思わず声を上げた。
                                                      「翔君!」
                                                      「さ、センパイ。今のうちに早く逃げて」
                                                       脱出を促す翔に桜子は、困惑しつつも後に続いた。監視員が睡眠薬で眠りにつく中、翔は桜子を連れて、裏口を案内していく。
                                                       不審さを感じた桜子が問うた。
                                                      「翔君。一体、どういうつもり?」
                                                      「や、これはですね。志郎さんの差し金なんです」
                                                      「志郎兄の!?」
                                                       驚く桜子に翔は続けた。何でも志郎は完全にセツナを信じた訳ではなく、ある種の保険をかけたつもりだという。
                                                       その上で桜子はシュレに、志郎がセツナに従いつつもあうんの呼吸で息を合わせ、互いに歩むべき未来を探っていこうという目論見のようである。
                                                      「あの人もなかなかにして腹黒いですよね」
                                                       笑って見せる翔に桜子の心中は、複雑だ。だが、ここはその考えに従い共存を図るべきだと思い直した。
                                                      「さ、センパイ。歴史のクリスタルをかざして下さい。クリスタルが導く時空へ逃れた先に、センパイの未来が待っていますよ」
                                                      「分かった。ありがとう翔君」
                                                      「礼は結構。今日の味方は明日の敵、それじゃあまた」
                                                       手を振る翔に桜子はうなずくや、クリスタルを額にかざし、光とともに導かれるままに姿を消した。

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                                                    • 一井 亮治
                                                      参加者

                                                         第二十三話

                                                         クリスタルが示した時空――それは、平安時代の絶頂期だ。その最たるが一家立三后を擁し、権勢の全てを手中に収めた藤原道長である。だが、その道長は今、病に伏している。
                                                         そこへ突如として桜子が放り込まれた。驚く道長だが、その面影にかつての出会いを思い出し、苦笑した。
                                                        「そなたは、確か桜子だったな。肝試しのときといい、望月の歌のときといい、いつも突然に現れる」
                                                        「毎度、スミマセン。お身体は大丈夫ですか?」
                                                        「ふっ、いくら私でも寿命には、勝てん。私の時代も終わる」
                                                         どうやら道長は、すでに覚悟を決めているようだ。夢でも見ているかのようであったと人生を振り返りつつ、桜子に言った。
                                                        「大いに繁栄を築いた我が一族だが、おそらく今が旬だろう。つまり、腐りかけだ。時代が変わる。貴族の世が終わり、武士の世となろう」
                                                         自嘲する道長だが、事実、長男の頼通の世では国司の租税取り立てに対する不満から反乱が勃発し、長期化する。
                                                         頼ったのは、河内源氏の祖となる源頼信だ。もはや武士の力を頼る以外に道はなくなっていく。
                                                         それは権力の裏付けが、高貴な血筋から武力へと変わりはじめたことを意味している。
                                                        「それでいい……そうやって歴史は進んでいくのだ。一時代を築けたことを私は光栄に思う」
                                                        「道長さんは、自分の時代が終わることに憤りはないのですか?」
                                                        「あろうはずがない。思えば我が世は権謀術数に明け暮れた時代だった。皆で教養を競ったものだ。これが武に変わる。フフッ、実に愉快だ……」
                                                         道長は、まんざらでもなさげだ。それは、藤原氏の世がピークを越した瞬間であり、次の時代の幕開けでもある。
                                                        「桜子、君は確か源氏の末裔だったな」
                                                        「はい。正直、あまり自覚はないんですけど」
                                                        「フフッ……よかろう。先駆者として一言贈ろう。背後に御用心――健闘を祈る」
                                                         それだけ述べるや、道長は口を閉じた。

                                                         道長の最期を看取った桜子だが、外に出ると京子とシュレが待っていた。
                                                        「桜ちゃん。心配したよ」
                                                        「どうやら無事のようだね」
                                                         声をかける二人に桜子は、笑みで応じつつ考えている。これまで見てきた歴史で、租税はどの時代もアキレス腱であった。同時に国家が体をなす根源でもある。
                                                        「ねぇシュレ。福沢諭吉さんは租税を国民と国との約束と表現していた。卑弥呼さんは、稲作がもたらす格差を是正する所得再分配を説いた。セツナに至っては、無税国家論構想よ。理想の税制って何なのかな?」
                                                        「フフッ、桜子の言いたいことは、よく分かるよ。だが、性急な税制は中立性と経済実態を大いに歪める。簡単じゃないさ」
                                                         まとめるシュレに京子も続く。これは国家を運営する上で永遠のテーマであろう、と。
                                                         ――歴史に学び時代を読む。時空を超えた先にある答えを私は知りたい。
                                                         桜子はそんなことを思いつつ、シュレや京子とともに現代へと戻って行った。

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                                                        参加者

                                                           第二十四話

                                                           父・善次郎が退院した。桜子はそのサポートにあたっている。
                                                          「志郎は、まだ戻らないのか」
                                                           息子の不在を危惧する善次郎だが、桜子が掻い摘んで現状を報告し、大丈夫である旨を伝えた。
                                                           もっとも事務所の焼失といい、元の状態への復帰には今しばらくの時間が必要と見られている。だが、再開に向けた準備は着々と進んでいく。その第一歩が事務員の募集だ。
                                                          「どこかに適当な人材は、いないものか」
                                                           そう考え募集をかける善次郎だが、目ぼしい人材が見当たらない。やむなく桜子に問うた。
                                                          「桜子、夏休みの間の短期でいいから、お前の知り合いで事務員候補はいないか?」
                                                          「えっ。や、いなくはないけど……」
                                                           口ごもる桜子の脳裏にあるのは、この時空を監視するエージェントの京子だ。もっとも大雑把でムラっけの激しさゆえ、事務員としての適性には疑問符は付くが、活動をともにする点で適材に思えた。
                                                           ダメ元で試しに連絡を取ってみると、意外にも乗り気である。二つ返事で了承の意を伝えるや、その日のうちにやって来た。
                                                          「やー何か悪いっすねー。あたいなんかでいいんっすかぁ?」
                                                           相変わらずのガサツさで現れた京子に、善次郎はやや面食らいつつも面接を進めていく。
                                                           やがて、全ての項目をクリアしたところで、善次郎は京子に合格を下した。
                                                          「桜子。お前が薦めるなら、よかろう」
                                                           善次郎は幾つかの条件付きではあるものの、桜子の意に従い京子を雇うことにした。
                                                           その後、桜子は祝いを兼ねて京子と外に繰り出した。向かった先は、あろうことか居酒屋である。
                                                          「京子、アンタまだ未成年でしょ?」
                                                          「やーいいじゃんいいじゃん、固いことなしってことでさー」
                                                           京子はざっくばらんに、生をジョッキで飲み干すや、今後の方針について話し合った。
                                                          「京子、すでに藤原氏を中心とした貴族の世は追ったわ。道長さん曰く、次は武士の世だって」
                                                          「んーそうね。租税も守護・地頭を通じて大きく変わるし」
                                                          「でも貴族の既得権益を武士は、どうやって簒奪したのかな」
                                                          「フフッ、そこが次の歴史トラベルの鍵じゃん。百聞は一見にしかず。明日、一緒に見に行こう。多分、クリスタルもそれを望んでいるはずよ」
                                                           語りかける京子に桜子はうなずき、歴史のクリスタルを取り出した。中から放たれる淡い光に目を細めつつ、桜子はこれまでのタイムトラベルを振り返っている。
                                                           ――これまでは、自分と無関係だったが、次は違う。源氏の末裔として、歴史に直接向き合うことになる。果たして私にその資格はあるのだろうか。
                                                           そんなことを思いつつ、新たな時空に思いを馳せた。

                                                           翌日、桜子は二日酔いの京子を引き連れ、平安末期へと向かった。降り立った場所は、夜の川辺だ。見ると白旗と赤旗を掲げた大軍が川を挟んで野営していた。
                                                          「源氏と平家ね。果たしてどちらが勝つか」
                                                           成り行きを見守る桜子だが、傍らの京子が今にも吐きそうな顔で言った。
                                                          「あー気持ち悪ぃ……」
                                                          「だから、飲み過ぎだって言ったでしょう」
                                                           桜子は呆れつつ、川辺へ京子を休ませに向かった。降りしも季節は冬へと向かいつつある。冷える体を縮こませる桜子だが、傍らの京子の様子がおかしい。
                                                           両手を口元へ運び、何かを堪えている。何事かと見守っていると、京子は特大のくしゃみを放った。
                                                           その途端、川辺の草むらに潜んでいた水鳥が一斉に飛び立った。これが全てを決壊させた。
                                                          「源氏の襲撃だっ!」「逃げろぉ!」「お助けぇ」
                                                           川辺に陣を張っていた平家が、赤旗を投げ捨て一目散に逃げ去っていく。
                                                          「あらら……」
                                                           思わぬ形で歴史に関与し、騒動の中心となってしまった京子は、桜子に言った。
                                                          「やっちゃった。桜ちゃん。どうしよう」
                                                          「どうするもこうするもないわよ!」
                                                           声を上げる桜子に京子は、立つ瀬がない。やむなく反対側に陣を張る源氏側を目指したものの、暗闇もあって本陣か見失ってしまった。
                                                          「もー参ったわ……」
                                                           頭を抱える桜子だが、そうこうするうちに夜が明けてしまった。完全に迷子になった二人だが、そこへ見知らぬ者の図太い声が響く。
                                                          「お前達、何者だ!?」
                                                           驚き振り返ると、声の主と思しき大柄な僧兵が薙刀を手に睨みを効かせている。さらにその背後には、数名の騎兵と一団の主人と思しき小柄な武者が控えている。
                                                          「あーもしかして弁慶さんと義経さん達だったりします?」
                                                           京子の問いに弁慶は「なぜ知っている」と、ますます不審げな表情を見せている。
                                                          「や、大丈夫っす。うちら味方なんで。こっちが源氏の末裔の桜子さん。実はあたいら未来から来まして……」
                                                          「はぁ!? 何を訳の分からぬことを言っておる。妙なナリといい怪しい奴め。ひっ捕えてやる」
                                                           弁慶の命令により、桜子と京子は敢えなくお縄頂戴となった。
                                                           ――もー最悪……。
                                                           桜子は、騒動の発端である京子に呆れ返っている。やがて、二人は義経や弁慶らと源氏の本陣へとやって来た。
                                                          「兄弟の対面、か……」
                                                           桜子は陣幕の向こうで、涙の再開を交わしているであろう総大将の頼朝と義経を想像していると、不意に声が掛かった。
                                                           何でも頼朝が呼んでいるという。連行されていく二人は、頼朝の前に突き出されるや、その縄を解かれた。
                                                           頼朝は、二人に頭を下げた。
                                                          「すまぬな。時空の旅人よ。弟が我が一族の子孫に働いた無礼、許してくれ」
                                                          「え、信じてもらえるんですか!?」
                                                           驚きの声を上げる桜子に、頼朝はうなずく。何でも末裔を名乗る別の人物と既に会っているという。
                                                           ――志郎兄か……。
                                                           桜子は舌打ちした。どうやら向こうは向こうで何らかの目的の下に、活動を済ませているようだ。その後、互いに名乗る桜子と京子に頼朝は大いにうなずくや、手招きした。
                                                           不審を感じつつ近寄る二人だが、頼朝は意外なことを問うた。
                                                          「あの義経だがな、どうすればいいと思う?」
                                                           頼朝の懸念はこうだ。自身は源氏の総大将を名乗ってはいるものの、それは多くの関東武士達の利害の上に成り立つ砂上の楼閣に過ぎない。
                                                           だが、義経はそれをあたかも当然のように捉えているきらいがある、と。
                                                           それを聞いた桜子は、驚きを隠せない。
                                                           ーー凄い。頼朝様が義経様と会ったのは、今日がはじめてなのに、義経様の至らぬ点を完全に見抜いている。
                                                           そんな桜子の心中を察した頼朝は、笑みとともに言った。
                                                          「ワシには軍才はないが、人を見る目だけは持っているからの」
                                                          「驚きです。ちなみに頼朝様が挙兵に至られた理由はなんですか?」
                                                          「武士の世を作ることだ」
                                                           頼朝は、ここではじめて自らを野心をさらした。
                                                          「これまで我ら武士は、貴族にいいように利用されてきた。平家も然り、完全に貴族に媚びるばかりか、自身まで貴族を振る舞っている。清盛に至っては、娘の子をわずか三歳で強引に天皇にしてしまった」
                                                          「なるほど、今回の勝利で源氏への流れが出来ました。やはり上京を?」
                                                          「いや、京はいい」
                                                           かぶりを振る頼朝に、桜子は首を傾げている。やむなく頼朝は心中を述べた。曰く、貴族の都である京ではなく、鎌倉に新たな武士の都を作るのだ、と。
                                                          「それはまた壮大な野望ですね」
                                                           驚く桜子に頼朝は、表情を曇らせ懸念を述べた。
                                                          「ただ、その際に問題となるのが、税だ。これがなければ絵に描いた餅に過ぎぬ。何か案はないか?」
                                                          「あぁ、それなら一つ……」
                                                           頼朝の懸念に応えたのは、京子だ。それは全ての問題を払拭する絶妙の案だった。頼朝は、膝を打ち大いに喜んでいる。
                                                           一方の桜子は、その非情さに声が出ない。
                                                           ――それは、ちょっとあまりにも……。
                                                           やがて、頼朝から解放された桜子は、京子を問い詰める。
                                                          「京子、あの案だけど、ちょっとあんまりじゃない?」
                                                          「桜ちゃん。歴史っていうのは、ある程度の非情さはいるよ」
                                                           ――確かにそうかもれないけど……。
                                                           桜子は京子に理解を示しつつも、憤りを隠せない。
                                                           さらに気になるのは、京子が歴史への干渉を繰り返している点だ。察するに未来人は時空課税上、過去を統治すべく偉人の未来に影響を及す必要があるようにうかがえた。

                                                        • 一井 亮治
                                                          参加者

                                                             第二十五話

                                                             頼朝との接触を終えた桜子と京子が次に向かったのは、京の都だ。かつて、この地を平定したのは平家だ。
                                                             だが、奢る平家も久しからず、倶利伽羅峠で大敗し、木曽義仲に取って代わった。もっともその統治は短く、頼朝が送り込んだ義経に惨敗し、歴史から姿を消した。
                                                             さらにこの義経も頼朝と対立しようとしている。これら一連の動きの背後には、一人の人物が見え隠れしている。
                                                            「後白河法皇か……」
                                                             桜子はその名をつぶやく。幾度となく幽閉・院政停止に追い込まれつつも、そのたびに復権を果たすしぶとさは、稀代の才と言えた。
                                                             その後白河法皇と桜子と京子は、接触を持っている。
                                                            「頼朝も妙な使者を遣わしたのぉ」
                                                             二人のナリを興味深げに眺める後白河法皇に桜子が問うた。
                                                            「法皇様は、この国をいかにしようとお考えですか?」
                                                            「フフっ、そんな高尚なものは持っておらんわい。だが、この京を灰にする覚悟ならあるぞ」
                                                             後白河法皇は意味深に笑うや、その信条を晒した。曰く「分割して統治せよ」と。
                                                             ――確かに武士を源氏と平家に分断し、さらに源氏同士をも巧みに対立させている。気がつけば皆、この法皇様の掌の上で踊らされているわ。
                                                             桜子は唸らざるを得ない。ちなみにこれまで桜子が抱いていた歴史上の偉人のイメージは、鮮明なビジョンを持ち情熱を持ってして世を動かす激情家だ。
                                                             だが、目の前の法皇は、明らかに毛色が違う。深慮遠謀を企てつつも、敢えてそれを前面に出さず、のらりくらりと政敵を煙に巻いては機をうかがい、世に潮流を生み出していく。
                                                             さらに歴史で台頭しそうなプレイヤーを見極めてはその心を絡め取り、心理的な措置を適度に施しつつ支配するスタイルなのだ。
                                                             ――この法皇様、例えるならウワバミね。世の根底に流れる集合心理を巧みに刺激し、何となく時代を支配して、その全てを飲み込んでいく。まさに大蛇よ。
                                                             なお、この後白河法皇を頼朝は「日本一の大天狗」と評したが、その気持ちが分かる気がした。
                                                             表面上は今様狂いの遊び人を演じつつ、その実裏で権謀術数を駆使する稀代の策士ーーそんな後白河法皇に、京子もまたこれといった明言を避け、雑談に興じつつ探りを入れていく。
                                                             やがて、後白河法皇と別れた京子は言った。
                                                            「桜ちゃん。義経様だけど、頼朝様と法皇様の狭間で翻弄されるピエロになりそうよ」
                                                            「それってどうなのよ。京子」
                                                            「どうもこうもないわ。私は未来の時空課税局の人間だもん。税制の整備を第一に歴史に関わるのが仕事よ。クリスタルも然りね」
                                                             割り切る京子に桜子は、憤りを感じていたものの、それは言葉にはならなかった。
                                                             ――木曽義仲は法皇様に〈旭将軍〉の官位で釣られ見事に踊らされた。今度は、義経様が歴史の舞台で道化を演じさせられようとしている。
                                                             その理不尽さを嘆く桜子だが、ため息とともに心中を吐き捨てた。
                                                            「それもまた歴史の性、か……」
                                                             その一方でセツナ一派の動きにも注力している。特に志郎だ。どうやら平家一派に接近し、何かを企んでいるようである。
                                                             京を追われ福原を捨て西へと落ち延びた平家だが、今だ強力な水上戦力を有する一大勢力に違いはない。
                                                             ――一体、志郎兄はどうしようというのだろう。
                                                             その心中は計りかねるものの(何となくではあるが)志郎が目指す境地が見えなくもない。
                                                             これまで歴史を渡り歩いてきた桜子には、その時々で根底に潜む潮流が感じられるようになっていた。
                                                             ゆえにその潮流にベクトルを合わせ、対立の中に共同歩調を見出し、活路を見出そうというのが桜子の企みだった。
                                                            「さ、行こうか桜ちゃん」
                                                             京子の誘いに桜子はうなずきクリスタルをかざした。たちまち二人の体は光に包まれ、新たな時空へ飛んだ。
                                                             行き先は壇ノ浦である。例の如く乱暴に放り出された桜子と京子は、目の前で繰り広げられる合戦に釘付けとなった。どうやら戦況は源氏有利に傾きつつあるようだ。
                                                             一ノ谷、屋島と立て続けに敗れた平家はすでにあとがない。ここで平家は歴史に残る道を選ぶ。二位尼が幼少の安徳天皇を抱え、入水したのだ。
                                                             さらにその後をお抱えの女官や武士が続く。その壮絶さの中に華やかさを求める最期を前に桜子の心は、平穏ではない。
                                                             そんな中、桜子は乱の中に見知った人影を見つけ、声を上げた。
                                                            「志郎兄!」
                                                             だが、志郎は構うことなく駆けていく。やむなく桜子もその後を追った。
                                                             船と船の間を跨ぎ、最後尾まで追い詰めたところで桜子は志郎に叫んだ。
                                                            「志郎兄、なんで私を置いていくの。この国の歴史をどうするつもりなのよ!」
                                                             そんな桜子に志郎は振り返るや、右手をかざした。その途端、一帯に凄まじい衝撃が走り、桜子は体を壁に叩きつけられた。
                                                             何が起きたのか全く理解できない桜子は、激痛に耐えつつ顔を上げ、息を飲んだ。何と歴史のクリスタルが、宙に浮かんでいるのである。
                                                             ――一体、どういう事!?
                                                             桜子は困惑したまま上体を起こそうとするものの、先程の衝撃で足が動かない。そうこうするうちに志郎が近づき、歴史のクリスタルに手を伸ばした。
                                                             その途端、クリスタルに変化が起きた。パリンっという音ともに真っ二つに割れたのだ。
                                                             ――クリスタルがっ!?
                                                             桜子が声を失う中、志郎は割れたクリスタルの半分を手中に収め、桜子に一瞥をくれるや何も言わずに去って行った。
                                                             途方にくれる桜子は、半分になったクリスタルをただ呆然と眺め続けた。

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                                                          • 一井 亮治
                                                            参加者

                                                               第二十六話

                                                              「クリスタルを半分、持っていかれた!?」
                                                               声を上げる京子に桜子は、力なくうなずく。無論、半分の状態ではタックスヘイブンとして能力を持つことはない。
                                                               だが、あらゆる可能性が新たに発生してしまったことは事実だ。
                                                              「あー参ったね……これで、セツナの動きがますます読みにくくなったじゃん」
                                                               京子は困惑しつつ、頭を整理している。やがて、事実を確認していくように言った。
                                                              「いい桜ちゃん。西暦1185年4月25日、つまり今日、平家は滅んだ。平安時代が終わったの。そして半年後、鎌倉時代が始まるじゃん。その間、キーマンとなるのは源義経よ。なぜだか分かる?」
                                                              「頼朝さんが義経さんの討伐に必要な兵糧確保を口実に、後白河法皇から守護・地頭(徴税権)の設置を認めさせたから」
                                                              「そう。結局、国って税なのよ。私達の始祖、藤原鎌足は公地公民の名の下、租・庸・調の租税を中心に律令国家の礎を築いたじゃん。これを頼朝が法皇と義経の行動をうまく利用して、国を乗っ取ってしまったの」
                                                               懇々と歴史を説く京子に、桜子は黙ったまま聞き役に徹している。京子は言った。藤原(奥州)氏と源氏のハルマゲドンが始まる、と。
                                                              「まずは、その前哨戦の時空へ飛ぶよ。今から約四年後の1189年6月15日、場所は源義経終焉の地――衣川高館。いいね?」
                                                              「えぇ、分かってるよ」
                                                               桜子は、力なくうなずくや、半分になったクリスタルを手に取る。たちまち二人の体は光に包まれ、時空移動していった。
                                                               例の如く、乱暴に放り込まれた桜子と京子が辺りを見渡すと、一帯は火の海に包まれている。
                                                               その中に目的の人物はいた。
                                                              「義経様?」
                                                               声をかける桜子に義経は振り向き、目尻を下げた。
                                                              「そなた達は確か、未来の使者とやらだったな」
                                                              「そうです。外にいるのは、鎌倉の軍ですね?」
                                                               桜子の問いかけに義経はかぶりを振る。何と義経が救いを求めた奥州藤原氏だという。
                                                              「泰衡が兄頼朝に脅され裏切ったのさ。バカな奴だ。これで藤原氏が助かるとでも思ったのだろう。あの頼朝がそんなに甘いわけがない」
                                                               笑う義経だが、これは事実だ。義経を討たせた頼朝は、憂いを完全に断つべく奥州藤原氏を滅ぼすに至る。
                                                              「この世に生まれて三十年……あっという間であった。思い残すことは何もない。平家を滅ぼす。この大仕事を果たし史に名を刻めたわけだからな」
                                                               そう語る義経の顔は、どこか晴れ晴れとしている。無念さを押し殺した上での笑顔だ。刃を手に取る義経だが、ふと思い出したように言った。
                                                              「そう言えば、そなたらの話をしていた者がいたな。確かオニヅカという男だ」
                                                              「オニヅカが!? 奴はどこに行きましたか」
                                                               身を乗り出す京子に義経は答えた。
                                                              「京だ。ある人物を訪ねると申していた」
                                                               ――間違いない。後白河法皇だ。
                                                               桜子と京子が目配せを交わす中、義経はこの世に別れを告げ自刃した。その最期を見届けた桜子は、京子とともに新たな時空へと飛んでいく。
                                                               向かった先は、後白河法皇が在中する御所である。
                                                              「来たか。頼朝の使者……いや、未来からの使者かの」
                                                               いきなり現れた桜子と京子に後白河法皇は、意味深な笑みを浮かべている。その理由は、背後で囚われの身となっている人影にあった。
                                                              「オニヅカ!」
                                                               声を上げる京子にオニヅカは、舌打ちしている。
                                                              「京子!? なぜ貴様がここに……」
                                                              「悪いけどアンタの与太話に興味はないわ。今すぐ投降しなさい」
                                                               銃口を突きつける京子にオニヅカは、交渉を持ちかけた。
                                                              「同じ藤原一族だろう」
                                                               だが京子は、睨みを解かない。
                                                              「オニヅカ。あたいの家族はアンタが起こした時空テロの犠牲になった。そのときからずっと、アンタを刑務所にぶち込むことだけを考えて生きて来た。観念しなさい」
                                                               畳み掛ける京子の顔は、鬼気迫るものがある。一方のオニヅカは、盛んに暴れるものの後白河法皇の家来に取り押さえられ、身動きを封じられている。
                                                              「おのれ……お前ら、覚えておれ!」
                                                               オニヅカは、京子達を睨みつけながら吠えた。
                                                              「桜ちゃん。後を頼んだよ」
                                                               オニヅカを連行する京子を見送った桜子は、後白河法皇と向き合っている。
                                                              「もしかして法皇様は、私達が来ることを予測して、オニヅカを?」
                                                              「うむ。そなたらがただものではないことは、会ったときから分かっておった。しかし、未来からの使者だとはな。オニヅカとやらは、歴史の敵なのであろう?」
                                                              「そうです。それも重大な時空テロ犯なんです」
                                                               桜子の訴えに後白河法皇は笑みで応じつつ、心中を吐露した。曰く、残りの人生の全てを新たな時代の構築に捧げる、と。
                                                              「思えば源平の戦さは、私をめぐって起こった様なものだ。その歴史的責任は果たすつもりだ」
                                                              「つまり、頼朝様に鎌倉幕府を開かせる、と?」
                                                              「簡単にはさせんが、次の世を担う公武関係の枠組みは構築しようと思う。その話をそなたの兄としたところだ」
                                                              「え……志郎兄と!?」
                                                               驚く桜子に後白河法皇はうなずく。どうやらその条件がオニヅカだったようだ。
                                                               ――志郎兄も策士ね……。
                                                               ため息を混じえる桜子に後白河法皇は言った。歴史の正常化に手を貸すかわりに、頼朝との交渉を見守ってくれ、と。
                                                              「もちろんです」
                                                               二つ返事で応じる桜子に後白河法皇は、笑みを浮かべ一つの歌を誦じた。
                                                              「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」
                                                               いわゆる平家物語の冒頭である。これを朗々と読み上げた後、意を決し頼朝に向けて筆を取った。
                                                               

                                                               さて、この後の歴史であるが、西暦1190年11月7日に頼朝が千余騎を率いて上洛し、後白河法皇と院御所・六条殿で初の対面を果たしている。
                                                               いわば政敵同士とも言えるこの会談であるが、両者は他者を交えず、日暮れまで腹を割って話し込んだ。
                                                               頼朝に至っては、法皇を我が身に代えても大切に思っている旨を表明し、証拠として朝廷を軽んじる発言をした功臣の上総広常の粛清を語ったほどだ。
                                                               これを受け後白河法皇はその日のうちに頼朝を、参議・中納言を飛ばし権大納言に任じた。
                                                               さらにその翌日には、頼朝が後白河法皇に砂金・鷲羽・御馬を進上し、その後も長時間にわたり会談した。ここで後白河法皇は花山院兼雅の右近衛大将の地位を取り上げてまで、頼朝に与えている。
                                                               頼朝の在京はおよそ40日間に及んだが、対面は八回を数え、ここで双方はわだかまりを払拭し、朝幕関係に新たな局面を切り開いた。
                                                               武家が朝廷を守護する鎌倉時代の政治体制が確立したのである。その全てを見届けた桜子が向かったのは、京を一望出来る丘の上だ。そこに意中の人物を見つけ、静かに声をかけた。
                                                              「志郎兄」
                                                               志郎は振り向くことなく、言った。
                                                              「来ると思っていたよ、桜子」
                                                              「私も志郎兄なら必ずここに来るだろうと思って」
                                                               桜子は志郎のお隣で肩を並べた。しばしの沈黙の後、志郎は鎌倉に戻っていく頼朝の軍勢を眺めながら言った。
                                                              「一つの時代が終わるな」
                                                              「そうね。でも志郎兄はまだセツナと繋がり歴史の改変を目論んでいる」
                                                               嘆く桜子に志郎が意外な台詞を吐いた。
                                                              「桜子、確かに俺は今はセツナに付き従っているが、全面的に信じた訳ではない」
                                                              「え、どういう事?」
                                                               首を傾げる桜子に志郎は言った。歴史はその時代の空気であり根底に蠢く潮流で、その捉えどころのない流れは、何となくゆっくり変えていくものだ、と。
                                                              「つまり、潮流に影響を及ぼしこの国に静かな革命を起こしていくって事?」
                                                              「あぁ。その先にセツナを取るかシュレを取るかの決断を迫られよう。特にセツナだが、背後にいる存在がヤバい。だからそれまでは桜子、お前とは敵同士であった方がいい」
                                                               志郎曰く、双方が対立のポジションを取りつつ、その時々で歩調を合わせ阿吽の呼吸で進むべき道を探っていこう、と。
                                                               無論、桜子も異論はない。むしろそれがこの国の未来に対する有効なスタンスに思えた。
                                                              「桜子、父さんと母さんによろしく伝えておいてくれ。じゃぁな。次の時空で会おう」
                                                               志郎は手を振るや、桜子に背に向け去っていく。
                                                               ――阿吽の呼吸、か……。
                                                               桜子は密かに心でつぶやきつつ、自身もこの時空から姿を消した。

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                                                            • 一井 亮治
                                                              参加者

                                                                 第二十七話

                                                                 現代に戻った桜子は、部屋でシュレと作戦を練っている。
                                                                「志郎と阿吽の呼吸で、ねぇ……」
                                                                 腕を組み唸るシュレだが、一呼吸置いた後、断言した。
                                                                「言わんとしていることは分かる。だが、これだけは言わせてくれ。セツナはそこまで甘くない」
                                                                「もちろん。承知の上よ」
                                                                 桜子は覚悟を見せつつ、確認するように問うた。
                                                                「シュレ、頼朝が徴税権を奪ったことで貴族による平安時代が終わり、武士による鎌倉時代が始まったんだよね」
                                                                「そうさ。以降、鎌倉幕府は百五十年の治世を脈々と築いていくことになる」
                                                                「それってさ。朝廷側の心中は、どうだったのかなって」
                                                                「そりゃ無念さ」
                                                                 シュレは当然のように即答するや、桜子を諭すように続けた。
                                                                「例え無念でも、それが世の流れならどうしようもない。人間、時代には勝てないからね」
                                                                 ――確かにそうだろう。志郎兄も歴史を時代の空気であり潮流だと称していた。だから一旦、敵同士に分かれ静かな革命を起こそう、と。なら次に赴く時空は……。
                                                                「シュレ、歴史って栄枯盛衰でしょ。じゃぁこの鎌倉時代を終わらせた人物もいる訳だ」
                                                                「もちろん。後醍醐天皇さ。彼は実権を再び朝廷へと戻し、平安時代の古典的な政治の復活を目論んだ。これに悪党と名高い楠木正成が応じた」
                                                                 ――楠木正成……。
                                                                 その名にピンときた桜子が問うた。
                                                                「楠木ってもしかして〈源平藤橘〉の橘?」
                                                                「よく気づいたね。その通りさ。楠木正成は赤坂の戦いを経て千早城に乗り込むや、一千人程度の寡兵で百万人とも称される幕府軍と対峙している」
                                                                「シュレ、その時空に飛べる?」
                                                                 思わぬリクエストを受けシュレは、戸惑いを見せた。いくら何でも戦場に乗り込むのは危険と判断したのだが、桜子は聞く耳を持たない。
                                                                「なぜ、そこまでこだわるのさ?」
                                                                 シュレの疑問に桜子は、クリスタルを手に答えた。
                                                                「このクリスタルがそう囁くから。私にはこの子がなぜ二つに分裂し、次にどうさせたがっているのかが分かる」
                                                                「ふむ。なるほど……」
                                                                 シュレは桜子の真摯な訴えに理解を示しつつ、なおも考えている。やがて、思い切ったように言った。
                                                                「いいだろう。虎穴に入らずんば虎児を得ず。多少リスクはあるが、やってみよう」
                                                                 シュレは徐ろに立ち上がるや、桜子に念を押した。
                                                                「いいかい。接触するのは楠木正成を中心とした人物のみ。それも必要最小限にとどめること。分かったね?」
                                                                「了解よ。シュレ」
                                                                 桜子の返答にシュレはうなずき、異時空へと飛ばした。
                                                                 
                                                                 
                                                                 
                                                                 桜子が放り込まれた時空ーーそれは正真正銘の戦場である。突如として現れた桜子に驚くのは、髭面ながらも精悍さを放つ中年武者だ。そのナリから察するに、楠木正成のようである。
                                                                「今度は女か。一体、どうなってるんだ!?」
                                                                 ――え、どういうこと?
                                                                 桜子は戸惑いつつ、楠木正成に問うた。
                                                                「今度は……ってことは、前にも誰か来たんですね? それって私と同じ肌の色の男性じゃなかったですか!?」
                                                                「あぁ、そうだ。何でも未来からきたとか抜かしていたな。お前もその一味か?」
                                                                 問い返す楠木正成に桜子は、可能な範囲で事情を説明した。これに楠木正成は、納得こそしないものの、ある程度の理解は示した。
                                                                 ちなみに志郎は、すでに去った後だという。いずれ自分の妹が来るだろうから、よろしくやってくれと言い残し、消えたらしい。
                                                                 ――やっぱり志郎兄は、来ていたんだ。
                                                                 いつも先を越され、やや不満気味な桜子だが、気を取り直し一帯を眺めた。そこで奇妙なものを見つけ問うた。
                                                                「正成さん。あの藁人形って……」
                                                                「おぉっ、アレか。フフっ……幕府軍を騙すための秘密兵器さ」
                                                                 楠木正成は満足げにうなずき、桜子に説明した。何でも等身大の藁人形に甲冑を着させて並べ、それを囮に幕府軍を引き付けたところを投石で持ってして一網打尽にすると作戦だという。
                                                                「とにかく幕府軍をこの千早城に釘づけするんだ。そうやって討幕の機運を高めるのさ」
                                                                「え……でも、敵は大軍だし、何より百五十年も続いた鎌倉幕府を転覆させるなんて出来るんですか? 一体、どうやって?」
                                                                「ハハハっ……これは、また面白い女が来たものだ。愉快愉快」
                                                                 楠木正成は、肩を揺らせて笑うや説明した。曰く、歴史は時代に漂う空気から変えていくのだという。
                                                                「ここでどれだけ粘れるか、皆が固唾を飲んで見守っている。例え死んでもいい。七度人として生まれ変わり、朝敵を誅して国に報いん」
                                                                 いわゆる七生報国を説く楠木正成に桜子は、大いに興味を膨らませている。なお、ここまで鎌倉幕府の求心力が落ちた要因の一つに独特の相続がある。
                                                                 子供に土地を分けて与える習慣である。当然、一人当たりの土地が狭くなり作業の効率も落ちた。いわゆる愚か者〈たわけ(田分け)〉だ。
                                                                 この様な窮状を見かねた後醍醐天皇がクーデターをもくろみ、これに楠木正成らが応じた形だ。
                                                                 では楠木正成はどのような国家像を夢見ているのか、その歴史観を問うてみたところ思わぬ答えが返ってきた。
                                                                「そんなものはない」
                                                                「え……や、でもこんな世にしたいとか、こんな世は変えるべきだとか、そういった考えはあるから、こうやって戦って歴史を作っているんでしょう?」
                                                                「ふっ、桜子とやら。いいことを教えてやろう。歴史は机上の空論では動かん。理屈などは後付けに過ぎず好きか嫌いか感情が先、戦さと一緒で女みたいなもんさ。気まぐれで飽きっぽく、振り向いたかと思えばそっぽ向く」
                                                                 女を気まぐれ呼ばわりされ憤慨する桜子に、楠木正成は苦笑しつつ続けた。
                                                                「皆の裏を掻き、だましだまし活路を捻り出し、その瞬間瞬間で最大の効果を叩き出していく。そういった積み重ねの先に、ようやくお前の言うあるべき世ってのが見えてくるんじゃねぇかな」
                                                                 幕府軍の包囲を遠目に持論を説く楠木正成に桜子は、唸った。
                                                                 まずはフットワークありきで、そこにヘッドワークが付いてくるーーそれはゲリラ戦を得意とし、神出鬼没で縦横無尽に戦場を駆け抜ける楠木正成らしい考えと言えた。
                                                                 もっとも和泉国若松荘に押し入って年貢を掠め取ったり、何かと悪党呼ばわりされがちな楠木正成ではあるが、筋の通った信念はあるらしい。
                                                                 ――多分、この人は歴史に好かれるタイプだ。こういう人が時代の引き金を引くんだろう。
                                                                 桜子は大いに感銘を受けつつ、同時に楠木正成を訪れた志郎の心中も読んでいる。
                                                                 ――おそらく志郎兄は今後、時空をゲリラ的に飛んでいくはず。それこそ楠木正成の如く。なら次に行くべきは……。
                                                                 狙いを定めた桜子だが、そこへ突如として、矢が降り注いだ。どうやら幕府軍の総攻撃が始まった様である。
                                                                 悲鳴を上げる桜子に楠木正成が叫んだ。
                                                                「桜子、ここは危ない。早く去れ。そなたがたどる時空の旅ーー健闘を祈っておるぞ」
                                                                「はい。正成さんもお元気で」
                                                                 別れを告げた桜子は、志郎の後を追うべくクリスタルを手にこの時空から去っていった。

                                                                Attachments:
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                                                              • 一井 亮治
                                                                参加者

                                                                   第二十八話

                                                                   桜子が次に向かったのは、楠木正成が挙兵に及ぶ原因を作った後醍醐天皇の居所である。すでに鎌倉幕府は滅んでおり、次なる世を築くべく建武の新政を打ち立てたばかりの様だ。
                                                                   案の定、ここも志郎が訪れた後だった。突如、現れた桜子を後醍醐天皇は満足げに迎えた。
                                                                  「聞いておるぞ、桜子。そなたらは未来から来たらしいではないか」
                                                                  「はい。帝は歴史をどのように捉えておられるのか興味がありまして」
                                                                  「ほぉ……そうだな。例えるなら女みたいなもの、かのう」
                                                                   ――また女!?
                                                                   楠木正成と全く同じ答えに桜子は頭が痛い。やはり、後醍醐天皇も同じ穴のむじななのかと思いきや、どうもそうではないらしい。
                                                                  「よいか桜子、まず理念ありきだ。藤原氏の摂関政治、院政、武士ありきの鎌倉幕府、どの時代も天皇は飾り物として蔑ろにされてきた。神輿は軽くてパーがいい、とな。だが、わしは違う。己の手で自分が掲げる理想の世を作っていくつもりだ」
                                                                   つまり、まずヘッドワークがあり、それを実現すべくフットワークがいるのだと。まさに楠木正成と真逆の発想である。
                                                                   一体、どちらが正しいのか判断に迷う桜子だが、改めて感じたことがある。
                                                                   ――皆、個性が強烈だ。
                                                                   その強すぎる個性故に衝突が生まれ、化学反応が起き、歴史に意外性を加えて行くのだろう。
                                                                   その後、しばしの談笑を交わした桜子が後醍醐天皇の元を去ると、意中の人物が待っている。
                                                                  「久しぶりだな。桜子。千早城以来か」
                                                                  「正成さん!」
                                                                   駆け寄る桜子だが、楠木正成の表情は芳しくない。見事に鎌倉幕府を打倒し、その立役者になった後であるだけに意外さを覚えた。
                                                                   試しに理由を問うてみると楠木正成は、渋々心中を吐露した。曰く、後醍醐天皇の建武の新政が公家を重視するあまり、武士を蔑ろにしているとの事である。
                                                                  「俺は、間違っていたのかもしれん」
                                                                   桜子と肩を並べながら楠木正成は、苦悩の表情を浮かべている。それを見た桜子はふとある物語の冒頭を誦じた。
                                                                  「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」
                                                                  「ふっ、平家物語か。この世は無常だと言いたいのだな?」
                                                                  「はい。だからこそ今が大事だと。どんな状況であれ、その時々で活路を捻り出していく。それが正成さんの生き様でしょう?」
                                                                  「確かにそうなのだが……」
                                                                   言葉を詰まらせる正成に桜子は、畳み掛ける。
                                                                  「正成さんは体当たりでぶつかった先にしか未来を見れない方なんだと思います。人が時代を選ぶのではなく、時代が人を選ぶ。例えその未来が望んだものでなかったとしても、正成さんの生き様は未来永劫に語り継がれるんです。それって幸せなことだと思います」
                                                                  「うむ……確かに、そうかもな」
                                                                   楠木正成はしばし考慮の後、己に言い聞かせるように続けた。
                                                                  「俺は頭で考える人間じゃない。どうやら器用がつき始め、己を見失っていたらしい。分かった。例えこの身が滅びようと、俺は最期までこの生き方を貫かん」
                                                                   吹っ切れた楠木正成に、桜子は笑みで応じた。やがて、光るクリスタルとともに時空を去ろうとする桜子だが、ここで楠木正成が思わぬ情報を伝えた。
                                                                  「桜子、お前の兄の志郎だがな。どうも様子がおかしかった。何やら焦っておるように見えたぞ。俺の勘だが、何か重大な障壁にぶつかっているんじゃないか」
                                                                  「志郎兄がですか!?」
                                                                   桜子は驚かざるを得ない。
                                                                   ――あの冷徹でなる志郎兄を焦らせるなんて。一体、何が起きているの。
                                                                   桜子は心中に不安を抱えつつ、楠木正成の情報に謝意を示し、この時空から去った。
                                                                   なお、その後の歴史だが、楠木正成亡きあと、足利尊氏は後醍醐天皇から三種の神器を取り上げ、光明天皇を擁立し室町幕府を開府。
                                                                   一方の後醍醐天皇は渡した三種の神器はニセモノだと主張して吉野に朝廷を開き、混乱の南北朝時代・応仁の乱を経て戦国時代へと突入していくこととなる。 
                                                                   
                                                                   
                                                                   
                                                                  「や、待っていたよ」
                                                                   現代に戻ってきた桜子をシュレが出迎える。意外なことに京子も一緒だ。その表情から察するに何かあった様だ。
                                                                  「どうしたのよ二人とも、そんな顔して」
                                                                  「どうもこうもないよ桜ちゃん。今、未来の時空課税庁は大混乱よ。その原因の一端は桜ちゃんにあるっていうじゃん」
                                                                  「え!? 何それ」
                                                                   困惑する桜子にシュレが説明した。曰く、前回の時空テロを上回る強大な時空兵器が生まれつつあるらしい。しかもそれは桜子と志郎が持つクリスタルによって増幅され、もはや止められないところまで来ているという。
                                                                  「桜子。今、時空課税庁は強制調査権の発動に向けた準備の真っ只中だ。このままでは、クリスタルの所有者である君にも責任が及びかねない」
                                                                   シュレの警告に桜子は、考えを巡らせた。話の性質を鑑みるに志郎の企みとは思えない。どうやら歩調を合わせる桜子との関係に危機感を覚えたセツナが、これをうまく利用し動き始めた様である。
                                                                   ――セツナ、か……。
                                                                   桜子は頭を痛めつつ、二人に言った。
                                                                  「話は分かった。私にやましいところはない。いつでも取り調べに応じる。けど時間が欲しい。志郎兄を説得する時間が……」
                                                                  「桜ちゃん、そんなのセツナが許すわけないじゃん。絶対、妨害に動くよ。何より命を狙われかねないじゃん」
                                                                  「それは覚悟の上、けど志郎兄だって必ずその対策は打ってるはずなのよ。このクリスタルに懸けて誓う。歴史を私利私欲で動かさないって」
                                                                   桜子の必死の訴えにシュレはしばし考慮の後、京子に目配せした。
                                                                  「分かったよ桜ちゃん。そこまで言うなら、もう少し時間をあげてもいい。けど、その時空移動にはこのあたいも随伴する。いい?」
                                                                  「もちろんよ。大いに監視してもらえばいい」
                                                                  「オッケー、決まりだね」
                                                                   うなずくシュレがどの時空へ向かうのかを問うと、桜子は即答した。
                                                                  「もちろん戦国時代よ。戦国三英傑が揃ったこの時代なしに日本は語れないわ。何より志郎兄が次に目をつけるとしたら、ここしかない」
                                                                  「いよいよ時空トラベルも佳境って感じじゃん」
                                                                   身を乗り出す京子に桜子は笑みで応じるや、クリスタルをかざした。たちまち光に包まれた二人は、見送るシュレをあとに現代から姿を消した。

                                                                  Attachments:
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                                                                • 一井 亮治
                                                                  参加者

                                                                     第二十九話

                                                                     桜子と京子が向かったのは〈岐阜〉だ。命名したのは、美濃地方を平定した織田信長である。
                                                                     地名を変えてまで新たな世を目論む信長は、ここで一つの施策を行う。世に名高い楽市・楽座――つまり、減税と規制緩和である。
                                                                    「定 加納。一 楽市楽座之上諸商売すべき事、か……要するにカネは能力のある者に使わせろってことね」
                                                                     岐阜城下の加納宛にたてられた制札を前に桜子が鼻を鳴らす。
                                                                    「桜ちゃん、そんなこと言ったら身も蓋もないじゃん。即刻、首が飛んじゃうよ」
                                                                    「まぁ、あの信長だからね。美濃には、天下を狙わせるだけのポテンシャルがあったわけだ」
                                                                    「水、ね」
                                                                     ピンポイントで答える京子に、桜子はうなずく。水があれば米が獲れ、さらに水運が商品の流通を促す。
                                                                     特に木曽三川を上流まで押さえ、物流網を上から下まで掌握し経済をコントロールした経験は、信長にさらなる野心〈天下〉を抱かせたと桜子は睨んでいる。
                                                                    「けど桜ちゃん。信長が上洛するには、足りないものがあるじゃん」
                                                                    「大義名分でしょう。誰もが納得する形を踏まないと、諸国の有力大名から反感を買ってしまうからね。それを解決する使者が間もなくここに来るはず」
                                                                     桜子が京子とともに待機していると、その使者と思しき武士がやって来た。やや禿げ上がった頭に眼光の鋭さを持つその人物こそ、天下を目前にした信長を葬ることになる明智光秀である。
                                                                     早速、アプローチをかけると、打てば響くような反応が返ってきた。曰く、信長に大義名分を与える格好の人物と繋がりを持っていると。
                                                                    「それは、将軍の足利義昭様ですね?」
                                                                    「いかにも。しかし、なぜそれを……」
                                                                    「実は私達、信長様から特別な配慮を頂いているんです。よろしければご案内しますよ」
                                                                    「これは渡りに船だ。頼もう」
                                                                     光秀が大いにうなずく中、傍らの京子が耳打ちした。
                                                                    「ちょっと桜ちゃん、大丈夫? あたいら信長からの配慮なんてもらってないじゃん」
                                                                    「大丈夫よ。ここは私に任せて」
                                                                     京子を言いくるめた桜子が向かったのは、岐阜城だ。アポ無しにも関わらず信長が直々に会うと言う。
                                                                     ――やっぱり。
                                                                     桜子は密かに心の中でうなずく。どうやらあらかじめ志郎が仕込みを入れた後の様だ。わざわざ桜子らと直々に会うところから察するに、かなりの関係を築いたらしい。
                                                                     早速、光秀を連れて岐阜城へと乗り込むと、信長が待っている。
                                                                    「待っていたぞ、時空の旅人。志郎から話は聞いておる。ときに光秀とやら。そなたが引き合わせるのは将軍、足利義昭公だな」
                                                                    「ははっ」
                                                                     光秀が恐縮しつつ、自らの素性を名乗り義昭を売り込んだ。これに信長は大いに興味を示している。
                                                                    「あい分かった。その方の務め、この信長が引き受けようぞ」
                                                                    「では、上洛を?」
                                                                    「うむ。その旨、しかと義昭殿に申し伝えよ」
                                                                     それを聞いた光秀は感極まるあまり、涙まで見せている。斎藤道三のお家騒動に巻き込まれて以降、流浪の身として諸国を転々とした苦労人である。その心中や察するものがあった。
                                                                     やがて、去っていく光秀を満足げに見送った信長は、壇上から桜子に話しかけた。
                                                                    「さて桜子と京子。色々事情がある旨、志郎より聞いておる。その方らに詳しい者をあたらせる」
                                                                    「それは、どなたでしょうか?」
                                                                    「いや、人ではない」
                                                                    「え……と、申しますと?」
                                                                     怪訝な表情を見せる桜子に、信長は愉快げに紹介した。
                                                                    「サル、だ」
                                                                     これを合図に一人の小柄な成年武士が現れた。その愛嬌のある顔に桜子は、思わず笑みを浮かべた。
                                                                     ――確かにこれは、サルだわ……。
                                                                     このサル、こと木下藤吉郎こそが豊臣秀吉と名を変え、太閤検地として日本の税制史に大きな影響を与えることになるのだが、それはまだ先の話だ。
                                                                    「桜子殿に京子殿、ご安心あれ。この藤吉郎がしかとお役目を務めましょうぞ」
                                                                     信長が満足げに見送る中、桜子と京子は藤吉郎に連れられ、密室に案内された。桜子と京子が席に着くや否や藤吉郎は、小声で囁いた。
                                                                    「桜子殿、そなたの兄である志郎殿だがな。今、水面下で大変なことになっている」
                                                                    「え、どう言うことですか?」
                                                                     身を乗り出す桜子に藤吉郎は、続けた。何でも志郎は信長の上洛を見越して堺の有力商人と接触を図ったものの、内ゲバに巻き込まれたらしく行方をくらませているらしい。
                                                                     このままでは、堺を支配下に置くことを目論む信長に裏切りを疑われ、抹殺されかねないと言う。
                                                                    「でも藤吉郎さんは、どうしてその情報を?」
                                                                     桜子の素朴な疑問に藤吉郎は、意味深な笑みとともに言った。
                                                                    「調略のためさ。織田家筆頭の柴田殿も佐久間殿も皆、力攻めしか知らん。だがワシは違う。徹底的に情報を集め、言葉の限りを尽くし、命懸けで相手の心を絡め取るのだ」
                                                                     ――なるほど。確かにこれは相当な人たらし、だ……。
                                                                     納得する桜子に藤吉郎はさらに続ける。
                                                                    「桜殿。志郎殿も将軍義昭公も、そしてこのワシも、信長様にとっては天下取りのための道具にすぎん。利用価値がなくなれば、容赦なく斬って捨てるのが信長様だ」
                                                                    「分かります。それで藤吉郎さん。志郎兄が接触した堺の商人というのは、誰だか分かりますか?」
                                                                    「一人は今井宗久という豪商だが、もう一人はまだ名の知れていない人物らしい。名前は確か……」
                                                                    「千宗易?」
                                                                     桜子の確認に藤吉郎は、大いにうなずく。
                                                                     ――千宗易……つまり、後の千利休ね。
                                                                     志郎の潜伏先について、あらかた見当をつけた桜子は京子に目配せの後、クリスタルを手に取る。
                                                                    「藤吉郎さん。ありがとうございました。私達が出向いてみます」
                                                                    「うむ。時空の旅人とやら、また会おうぞ」
                                                                     二人は藤吉郎に見送られ、クリスタルとともに姿を消した。

                                                                    Attachments:
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                                                                  • 一井 亮治
                                                                    参加者

                                                                       桜子と京子が向かった先、それは国際的に名の知れた貿易港を持つ堺だ。時空はさらに進み、信長が上洛を果たした後の様である。
                                                                       もっとも街の様相は、尋常ではない。至る所で掘がめぐらされ、男達は皆、火縄銃を手に殺気立っている。調べたところ、信長が臨時の賦課税として二万貫の矢銭を要求し、これに怒った堺の民が、戦さ支度に入ったとのことだった。
                                                                      「一触即発じゃん」
                                                                       京子が身構える中、桜子は千宗易の行方を追っている。後に茶人として頂点を極め茶道を芸術の域にまで高める千利休も、始まりはしがない魚問屋を営む無名の商人に過ぎない。
                                                                       ――おそらく志郎兄は、クリスタルにさらなる輝きを求め、この時空で勝負をかけようとしている。そのために千宗易と接触を図ったはずよ。
                                                                       そう志郎の心を読んだ上で桜子は、舌打ちする。手法が強引で志郎らしくないと思えたのだ。
                                                                       ――志郎兄。一体、何を焦っているの?
                                                                       若干の戸惑いを覚えつつ、桜子は京子とともに情報収集を続けていく。すると、思わぬ情報に行き着いた。妙なナリの男が海の方へ逃げるように走って行ったという。
                                                                       その人相風体を聞いた桜子と京子は、確信した。
                                                                      「志郎兄だ」「間違いないじゃん」
                                                                       早速、二人は海辺へと向かった。浜辺に着くと、目の前で誰かが倒れている。そのナリに心当たりを見つけた桜子は、慌てて駆け寄り息を飲んだ。
                                                                       それは、紛うことなき兄だった。
                                                                      「志郎兄!」
                                                                       桜子は声をかけるものの返事はない。さらに体を揺さぶる桜子に、志郎兄はようやく意識を取り戻し、声を絞り出した。
                                                                      「桜子……これは罠だ。逃げろ……」
                                                                      「ちょっと志郎兄。一体、何が」
                                                                       そこで背後に気配を感じた桜子が振り返ると、見覚えのある人物が男共を引き連れ立っている。
                                                                      「セツナ!?」
                                                                       どうやら志郎を囮に桜子をハメたらしい。唇を噛む桜子に、セツナはニンマリほくそ笑み言った。
                                                                      「お久しぶりね、お嬢ちゃん達。ちょっとおいたが過ぎたんじゃない?」
                                                                      「結構なご挨拶じゃん。一体、どうしようっていうのよ」
                                                                       京子がいきり立つものの、セツナは構うことなく男達に命じ、二人を拉致するや志郎とともに近場の納屋へ身柄を放り込み、火を放った。
                                                                       たちまち一帯が火の海に包まれていく。
                                                                      「熱いっ……」
                                                                       耐えかねた桜子がクリスタルを手に取るものの、志郎がそれを止めた。
                                                                      「やめろ……桜子、これは罠なんだ……今、クリスタルを使えば、セツナにその全てが吸収されてしまう」
                                                                      「え、でも……」
                                                                      「そうよ。このままじゃ三人、焼け死にじゃん」
                                                                       桜子と京子が異議を唱えるものの、志郎はそれを頑なに拒む。絶体絶命の状況に追いやられた三人だが、不意に納屋の床が開き、下から思わぬ人物が現れた。
                                                                      「オニヅカ!」
                                                                       さらにその後ろには、見事な巨体の男がいる。もっともその表情は、この状況下に関わらず落ち着きを払っている。桜子はすぐさま察した。
                                                                       ――間違いない。千宗易さんだ。
                                                                      「一体、どう言うことよ!」
                                                                       声を上げる京子にオニヅカは人差し指を立てて静粛を促すや、小声で言った。
                                                                      「地下から逃げられる。今のうちに来いっ!」
                                                                      「え、でも」「どう言うこと」
                                                                       戸惑う桜子と京子だが、オニヅカは「いいから早く!」とせかす。二人は事情が飲めないながらもオニヅカに従い、志郎を担いで千宗易の案内の下、地下へと逃れた。

                                                                      Attachments:
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                                                                      参加者

                                                                         第三十一話

                                                                         桜子達が向かった先は、千宗易の住まいだ。手負いの志郎を運び込むや、オニヅカから状況の説明を受けた。
                                                                         何でも時空課税庁と取引し、セツナ逮捕に協力を申し出たという。そこで、千宗易の助けを受け今回の救出に及んだ、との話だった。
                                                                        「お前らを助けるなど、俺の信条に反するがな。背に腹は変えられん」
                                                                         そう語るオニヅカの表情は、苦虫を噛み殺したように歪んでいる。対する桜子達もオニヅカに対し、疑惑の念を隠せない。特に京子が顕著だが、状況から察するに今は共同歩調を取るしかなさそうだ。
                                                                         やむなく京子が言った。
                                                                        「粗方の事情は分かった。それでセツナは一体、この時空で何を企んでるのさ」
                                                                        「戦国時代だからな。大戦も多い。そのどこかに絡んで歴史を改変し、時空テロを目論んでいるんだろう。クリスタルの力を利用してな」
                                                                        「なるほど。ただ肝心のクリスタルは私達の手にある以上、セツナも無茶は出来ない、か。いいじゃん」
                                                                         京子は、うなずきつつも腕を組んで考えている。やがて、意を決し言った。
                                                                        「オニヅカと私がセツナをもうちょっと調べてみる。桜ちゃんはここで志郎兄さんの手当てに当たって」
                                                                        「え、でも……」
                                                                        「大丈夫大丈夫。ここはあたいらに任せて。それに」
                                                                         京子は声をひそめ囁く。
                                                                        「オニヅカの心のうちも探りたいし、ね」
                                                                        「ひょっとして、疑ってる?」
                                                                        「まぁね」
                                                                         うなずく京子の目は鋭い。どうやらオニヅカがどこかでまた裏切ると見ているようだ。
                                                                        「分かった。私は千宗易さんの元で志郎兄の治癒に当たる。くれぐれも気をつけて」
                                                                         心配げに見送る桜子に京子は別れを告げ、オニヅカとともに去って行った。残された桜子は志郎の様子を見守っている。
                                                                         幸い千宗易の協力により、怪我は快方に向かっているようだ。
                                                                        「千宗易さん。本当にすみません。何から何までご厄介になっちゃって」
                                                                         薬草を仕入れてきた千宗易に、桜子は頭を下げる。一方の千宗易は「お構いなく」と弟子の山上宗二に命じ、志郎の看病に当たらせた。
                                                                         やがて、千宗易は頃合いを見計らったように話を持ちかけた。何でも桜子を一服の茶に誘ってくれるというのだ。
                                                                         喜んで応じる桜子を千宗易は、静かな笑みで応じつつ、茶室へと案内した。慣れない桜子は困惑しつつも、千宗易が立てる茶を眺めているのだが、その所作に舌を巻いている。
                                                                         一切の無駄を排し、殺気立ってすらいるのだ。
                                                                         ――これが千宗易の茶……。
                                                                         漂う緊張感の中で桜子は、黙り込んでしまった。茶室の空気がピンと張り詰める中、千宗易は茶を注ぐ。桜子は一礼の後、その茶にゆっくり口をつけた。
                                                                         それは、まさに究極の癒しであった。思わず感嘆のため息を漏らす桜子に、千宗易は静かに問うた。
                                                                        「この時代の茶ですが、お口に合いましたでしょうか?」
                                                                        「はい。何というか……全てが格好いいですっ!」
                                                                         弾けるような笑顔で思わぬ感想を述べる桜子に、千宗易は苦笑を禁じ得ない。桜子はさらに続けた。
                                                                        「あまりうまく言えないんですけど、千宗易さんの茶にはその……まるで命懸けで向き合う迫力というか凄みを感じました」
                                                                        「一期一会、ですよ」
                                                                         そう述べるのは、志郎の看病を終え戻ってきた山上宗二だ。茶会に挑む際は、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いと心得て、亭主・客ともに誠意を尽くせとの意味らしい。
                                                                        「その真剣味があるから、宗匠の茶は素晴らしいのです」
                                                                        「これ宗二、はじめての方にひけらかすものではない」
                                                                         千宗易は鼻息の荒い山上宗二を咎めつつ、桜子に言った。
                                                                        「私は茶を一つの宇宙ととらえています。日頃の煩悩から隔離された非日常的な空間を、亭主が客と一緒になって作り上げていく。侘び茶、とでも申しましょうか。この世辞辛い戦国の世の心を癒し、茶道として後世に残せれば……そんな欲深き野心を抱いておるのです」
                                                                        「それは、千宗易さんの業……ですか」
                                                                        「いかにも。お若いのによくお分かりだ」 
                                                                         感心する千宗易に桜子は、さらに問うた。
                                                                        「今、この堺は織田軍の前に存亡の危機にありますよね。千宗易さんは、信長様をどのように見ておられますか」
                                                                         千宗易に問うたのだが、山上宗二が先んじて罵った。
                                                                        「あんな新興のならず者! とっとと堺の鉄砲で打ち払えばよいのです。賦課税として二万貫の矢銭を要望するなど度が過ぎるにも程がある」
                                                                        「宗二! 客の前で声を荒げるものではない」
                                                                         千宗易は鼻息の荒い山内宗二をなだめつつ、桜に問うた。
                                                                        「ちなみに桜子さんは、信長様をどう捉えておられるのですか?」
                                                                        「うーん……千宗易さんの業に負けない業をお持ちの大事な方、ですかね」
                                                                        「ほぉ」
                                                                         キラリと目を光らせる千宗易を前に桜子は、続けた。例え武士でも教養には憧れる。天下布武で覇をなすにも、その統治には箔や格式が必要だ。
                                                                         だが、連歌や文学などの公家文化は博学多識がものを言う。一方、茶の湯ならさほどの敷居は求められない。ゆえに武家の儀礼としての茶を信長は求めるはずだ、と。
                                                                        「なるほど、政権に秩序をもたらす道具として茶の湯を利用されたい信長様と、これを芸術の域にまで高めたい私は、共存共栄の関係にある、と?」
                                                                        「はい。先程、世の心を癒したいと仰られましたが、だったらまず天下人の心を癒さねば。千宗易さんの求める精神性と審美眼は、茶の湯を文化の頂点にまで高めます。身分を超えた人間同士の絆は、歴史をも動かす力にすらなるんです。臨時の賦課税二万貫の矢銭など安いものでしょう」
                                                                         理路整然と捲し立てる桜子に、山上宗二だけでなく千宗易までもが唸ってしまった。
                                                                         

                                                                         
                                                                         さて、この後の歴史であるが、千宗易と関係の深い豪商・今井宗久の力添えもあり、賦課税二万貫の矢銭と引き換えに堺は信長の軍門に降った。
                                                                         なお、同時期に矢銭の要求を拒否した尼崎は焼き討ちにあい、町民が殺害されている。タイミングとしては、実に絶妙だった。この危うい綱渡りを見事にこなした今井宗久は織田家の蔵元となり、荒稼ぎしていく。
                                                                         一方の千宗易は、この今井宗久からの推薦により、信長が目指す武家主導の茶の湯文化へと邁進することとなる。

                                                                        Attachments:
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                                                                      • 一井 亮治
                                                                        参加者

                                                                           第三十二話

                                                                          「そうか。堺は助かったのか」
                                                                           安堵のため息をつくのは、志郎である。当初はセツナの手にかかり、滅びかねなかった堺だが、桜子の説得が功を奏した形だ。
                                                                          「桜子、お前は本当に変わった。歴史に向き合う姿勢が以前とまるで違う。どうだ。歴史って案外、面白いだろう?」
                                                                          「フフッ、志郎兄みたい詳しくはないけど、人の営みがもつ法則性や局面ごとに決断力を見せる偉人の凄みには、圧倒されるよ」
                                                                          「そうだな。しかし今回は、お前に随分と助けられた。礼を言うよ」
                                                                           頭を下げる志郎に桜子は、恐縮しきりである。もっとも懸念材料は相変わらずだ。リクドウ・シックスを持ってしても、セツナの所在は掴めず、今も歴史の水面下で時空活動を続けている。
                                                                           志郎は後悔の念を吐いた。
                                                                          「俺はセツナの無税国家構想に惹かれ、この身を捧げたつもりだったが、甘かった。セツナは思った以上にヤバい奴だ」
                                                                          「その無税国家構想だけど、要するに支出削減と減税の行き着いた形よね。方向自体は間違っていないと思うけど」
                                                                          「あぁ。だが、方法に無茶がある。セツナは全ての歴史を覆してでも、強引にそれをなすつもりだ」
                                                                          「うん。でも志郎兄がセツナにしてやられるなんて意外ね」
                                                                           桜子の指摘に志郎は、頭を抱えながら言った。
                                                                          「歴史のクリスタルを軸に、敵味方に分かれつつもベクトルのみを合わせた緩い連合体で大きな救国の潮流を作り上げていく。それが俺の構想だったんだが、セツナが一枚上手だった。奴には、背後に腹持ちならない黒幕がいる」
                                                                           ――黒幕、か……。
                                                                           桜子は改めて考えた。確かにセツナには重要な局面ごとに、打つ手が冴えすぎている。全てに通ずる者の協力がなければ成し得ないという志郎の指摘ももっともだと思えた。
                                                                           一方でこうも考えた。その黒幕を特定できれば、うまく裏返し逆に利用できるのではないかと。その旨を志郎に問うと、大いにうなずいている。
                                                                           さらに桜子は続けた。それはセツナの設計者にまつわる推論だ。遺体すら上がっていないこの消失したとされる設計者だが、セツナはこれを否定した。そこにはDNA的な情報に何か大きな秘密があるのではないか、との推論だ。
                                                                          「桜子、俺も同感だよ。とにかく当面は、この戦国時代を追っていこう。クリスタルはあるか?」
                                                                          「えぇ、ここに」
                                                                           桜子は半分に欠けたクリスタルを手渡すと、志郎は自身のクリスタルを取り出し、二つを繋げた。たちまちクリスタルは元の鞘に収まり完全形を取り戻した。
                                                                           この合体したクリスタルを志郎は、桜子に差し出す。
                                                                          「桜子、これはお前に預けるよ」
                                                                          「え……や、ちょっと待ってよ。これは志郎兄が」
                                                                          「いや、桜子。これは二人の絆だ。お前に託したいんだ」
                                                                           懇願する志郎の目は本気だ。桜子は躊躇いつつもクリスタルを受け取った。その輝きはどこか慈愛に満ちていた。
                                                                           
                                                                            
                                                                            
                                                                          「なるほど。二人で未来へ戻られる訳ですな」
                                                                           千宗易が差し出す別れの茶を飲み回しながら桜子がうなずく。さらに志郎も続いた。
                                                                          「千宗易さん。是非、この侘び茶を大成させ世を休める芸術にまで高めてください」
                                                                          「えぇ、利心、休せよ(才能におぼれずに老古錐の境地を目指せ)。利休の境地でのぞむつもりです」
                                                                          「私も宗匠に続きますよ」
                                                                           そう合いの手を打つのは、弟子の山内宗二だ。
                                                                           一方の桜子と志郎は、お世話になったお礼が出来ずに困っている。だが、千宗易はこれを否定した。
                                                                          「桜子さんの一言が私に堺を救わせたんです。今では信長様の賦課税二万貫の矢銭は、安かったとすら感じています。なのにこの様な礼でしか返せず恐縮です」
                                                                           やがて、千宗易の茶を飲み終えた二人は、クリスタルを手に頭を下げた。
                                                                          「では、私達は一旦、未来へと戻ります」
                                                                          「千宗易さん、山内宗二さん。お元気で」
                                                                           そんな二人を千宗易と山内宗二は、名残惜しげに見送った。それは一期一会と評するに相応しい一献の茶であった。

                                                                          Attachments:
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                                                                        • 一井 亮治
                                                                          参加者

                                                                             第三十三話

                                                                             現代に戻った二人は早速、シュレと次の作戦を練っている。目星をつけたのは、本能寺の変だ。信長へのクーデターを成功させた明智光秀は、ここでかなり大規模な減税策を行なっている。
                                                                             京都の地子銭を永久に免除すると表明したのだ。この地子銭とは、家の間口の広さに応じて課税される都市住宅税で、災害復興や城下町の発展を促すため免除されることはあったが、永久免除というは破格の大減税だった。
                                                                            「堺への賦課税二万貫の矢銭といい、税金って時の為政者の手加減次第よね」
                                                                             率直な感想を述べる桜子にシュレが笑みを浮かべ返答した。
                                                                            「まぁ逆に言えば、それだけ明智光秀は追い込まれていたと言えるね」
                                                                            「よし、まずは本能寺へ飛ぼう」
                                                                             そう切り出すのは、志郎だ。百年続いた戦国の世を終わらせた最大の功労者の最期を見届け、セツナの動きを探ろうというのだ。無論、桜子も異論はない。
                                                                             だがシュレが異議を唱えた。あくまで税理士の本懐は租税にあり、歴史的な出来事とは距離を置くべきと主張したのだ。
                                                                            「シュレ、言いたいことは分かる。だが、税っていうのは国そのものなんだ。国政と表裏一体の税制、この現実を無視した理解はあり得ない」
                                                                            「確かにその通りなんだけど、危険が伴うよ」
                                                                             シュレの懸念に二人は「それは承知の上」と声を揃えた。
                                                                            「分かった。君達に従おう」
                                                                             シュレはやむなく二人を新たな時空へと送り出した。時は1582年6月21日の早朝、場所は本能寺である。寺の内部に放り込まれた二人が一帯をうかがうと、何やら騒がしい。
                                                                            「どうやら明智光秀が本能寺を包囲した後のようだな」
                                                                             状況を読む志郎に桜子もうなずく。と、そこへ襖が乱暴に開いた。見ると信長が武器を携え立っている。二人の顔を見るや信長は、思い出したように言った。
                                                                            「その方らは、確か時空の旅人と申していたな。名は桜子と志郎と」
                                                                            「はい」「覚えて頂いて光栄です」
                                                                             恐縮する桜子と志郎に信長は、自嘲した。
                                                                            「いよいよこの俺も最期、ということか……」
                                                                            「さぞご無念かと」
                                                                             心中を察する志郎に信長は、かぶりを振った。
                                                                            「是非もなし。人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。奇しくもワシは五十を前にした四十九だ。悔いはない。ただ願わくばもう一年欲しかった」
                                                                            「信長様が天下人への第一歩を踏み出されたのは、桶狭間ですね。天下目前の今川義元を奇襲で討ち取られた」
                                                                            「うむ。そのワシが今度は家臣から奇襲を受け、天下を目前に討たれようとしている。歴史というのは皮肉なものだな」
                                                                             やがて、本能寺に火が放たれ一帯が炎に包まれていく。覚悟を決めた信長だが、ふと二人に意外な事実を告げた。同じように時空の旅人を名乗る人物と会ったというのだ。
                                                                            「それは、この人物ではなかったですか?」
                                                                             スマホでセツナの写真画像を見せる桜子に信長は、大いにうなずいている。
                                                                            「いかにも。歴史を変えてみないか、と申しておった。大きなお世話だと、突き返してやったがな。時に桜子、志郎。ワシはここでこの世を去るが、天下人の座を誰が射止めるのか教えてくれぬか」
                                                                            「はい。秀吉さんです」
                                                                             桜子の返答に信長は、声をあげて笑った。
                                                                            「あのサルがか! ハッハッハッ、それは実に愉快。天下人になった奴の顔を拝んでやりたかったのう。よかろう。桜子に志郎、サルに伝えよ。くれぐれも己の分をわきまえよ。高望みはワシと同じ轍を踏むぞとな」
                                                                             やがて、凄まじい炎に包まれながら、信長はこの世を去った。戦国の乱世を駆け抜けた、実に波乱に満ちた信長らしい最期であった。

                                                                            「一つの時代が終わる……」
                                                                             本能寺の喧騒から離れた桜子は、炎で赤く染まる明朝の空を眺めながらつぶやく。
                                                                             思えば戦国の世は、この国の古いものが崩れ、新しきものに取ってかわった時代だった。
                                                                             租税も、政治も、戦さのやり方すらも大きく変化したのだが、その先頭を突っ走る象徴が信長だった。
                                                                            「楽市楽座で減税と規制緩和を行い、関所の撤廃で関銭の負担から解放する一方、堺に税を賦課し、徴税を今井宗久に任せた。その過程で多くの衝突があったが、信長はこれを身を粉にして切り崩した」
                                                                             志郎が述べる信長の功績に桜子は同意しつつ、ためらいを覚えている。確かに世を覆うどんよりした重い停滞感は取り払われ、風通しは良くなった。
                                                                             だが、そこには多くの出血を伴った。前に進むたびに歴史は血を欲するのだ。
                                                                             ――果たして、それは不可欠な犠牲なのだろうか。
                                                                             複雑な心中の桜子に志郎が一つの狂歌を詠んだ。
                                                                            「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに食ふは徳川」
                                                                            「『道外武者御代の若餅』ね?」
                                                                             確認する桜子に志郎がうなずく。
                                                                            「確かに織田信長は苛烈だった。必要以上の血も流したかもしれない。だが、時代がこれを求めた側面はある。現に岩盤の既得権益を切り崩し覇がなったところで敢えなく退場となったしね。それは歴史の必然とも言えるし、織田信長も納得の上でその役割を演じていたんだろう。だからこそ、セツナの誘惑を拒絶したんだ」
                                                                            「確かに。じゃぁ、セツナの次の狙いは……」
                                                                            「羽柴秀吉だな。彼は天下を統一した後、租税史上重要な太閤検地を行なっている。おそらくここに何かの仕込みを入れるはずだ。その現場を押さえ、セツナの時空テロを防ぐんだ」
                                                                             志郎の作戦に桜子はうなずき、クリスタルを手に取るや次なる時空へと飛んでいった。

                                                                            Attachments:
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                                                                            参加者

                                                                               第三十四話

                                                                               二人が次に向かったのは、本能寺の変から十日後の山崎である。ここで秀吉は歴史上名高い中国大返しを見せ、天王山を制し光秀討伐を成功させている。
                                                                               二人が降り立ったのは丁度、戦さの終わった後だ。混乱が収まりきらない中、陣地で食事中の秀吉が桜子と志郎を見つけ、扇子を広げて招いた。
                                                                              「その方らは、かつて亡き上様の元にいた時空の旅人ではないか。随分と久しいな」
                                                                              「はい。覚えて頂いて恐縮です」「あの……戦勝、おめでとうございます」
                                                                               志郎と桜子の祝辞を秀吉は満足げに受けつつ、こっそり囁いた。
                                                                              「ここからがワシの本当の戦いだ。これまで身を粉にして尽くした織田家から全てを簒奪し、天下取りを目指すのだからな」
                                                                              「はい。戦さですね」
                                                                               相槌を打つ桜子に秀吉は「無論、それもあるが」と同意しつつ、意味深な笑みを浮かべている。
                                                                               とそこへ一人の男がやって来た。見た限り武士というよりは、小姓上がりといった二十歳過ぎと思しき青年である。
                                                                              「おぉ、佐吉か。どうだった!?」
                                                                              「はっ、ここに……」
                                                                               佐吉と呼ばれた男は、秀吉に一封の書面を差し出した。これを秀吉は食事中にも関わらず箸を放り出し、食い入るように目を走らせていく。
                                                                               やがて、内容を読み切った秀吉は、佐吉に命じた。
                                                                              「佐吉、アレを始めろ」
                                                                              「はっ」
                                                                               後に石田三成として豊臣政権の屋台骨を担っていく佐吉が去る中、志郎が言った。
                                                                              「秀吉様、検地ですね?」
                                                                              「フフッ、いかにも。ワシは百姓上がりだからな。奴らがいかにしぶといか身に染みて分かっておる。まずは、この山崎近辺の寺社地から台帳を集め権利関係を確認していく。いずれは、これを全国に対して行うつもりだ」
                                                                               秀吉曰く、自分は信長の天下布武と異なり農地から全国をまとめ上げ、土地所有者と年貢納税者を整理・一本化し、全国の土地・人民を掌握する。
                                                                               さらに測量基準と年貢換算法を統一し、土地ごとの経済力を数値として炙り出す。これにより同じ石高なら等価交換が可能だとする国替えの基準感覚を植え付けるとともに、主君に提供する軍役の目安にさせるとの事だった。
                                                                               天下への構想を次々に練り上げる秀吉に戸惑いを覚えるのは、桜子だ。なんと言ってもまだ光秀を討った段階に過ぎない。だが、当の秀吉はすでに天下人の感覚なのだ。
                                                                               そんな桜子の意を察した秀吉は、にんまり笑みを浮かべながら言った。
                                                                              「桜子や。天下取りなら、もうとっくに水面下で始まっておる。戦さと一緒さ。始まったときには、すでに勝負はあらかたが決まっている。それがワシのやり方だ」

                                                                               やがて、軍勢を引き連れ意気揚々と去っていく秀吉を見送りながら、桜子は言った。
                                                                              「志郎兄、秀吉様って意外の着実よね」
                                                                              「あぁ。一見、根明な人垂らしのキャラに騙されがちだが、下剋上の恐ろしさを誰よりも知る人だ。検地で農民を中世から続く荘園や守護から解放しつつ、刀狩りで反抗手段を奪い、兵農分離の下、移住すら禁じ身分も体も土地に縛りつけていく」
                                                                              「それって、どうなのかな……」
                                                                              「さぁな。ただ旧態依然とした閉塞感が取り払われた分、風通しはよくなった。文化の担い手も公家や僧から武士や商人に変わり、落ち着いた自然さより煌びやかな力強さが花開いていく」
                                                                               志郎の総括に桜子は、うなずく。
                                                                              「安土桃山文化、か。秀吉様もそこは派手好きな信長様の性格を引き継いだのね」
                                                                              「あぁ、皆に慕われる魅力もある。だからこそ時代の女神は、光秀でなく秀吉に微笑んだのだろう」
                                                                               納得し合う二人だが、不意にその背後から思わぬ声が響いた。それは二人がもっとも警戒すべき相手の声である。
                                                                              「甘いわね。志郎、桜子。そんな事を言っているようでは、まだまだ私には勝てないわよ」
                                                                               驚き振り返った二人の前にいたのは、あのセツナである。傍らには翔と配下の男達を伴っている。
                                                                              「セツナ。一体、どういうつもりだ!」
                                                                              「この時代に何をたらし込む気!?」
                                                                               身構え吠える志郎と桜子に、セツナは冷笑しながら、突き立てた人差し指を振った。
                                                                              「何もしちゃいないわ。ただ……そうね。ちょっとばかし仕込みを入れさせてもらったか・し・ら」
                                                                              「ふざけないで!」
                                                                               桜子が噛み付くものの、セツナは余裕の笑みを浮かべながら配下の男達に言った。
                                                                              「二人からクリスタルを奪いなさい!」
                                                                               たちまち包囲された桜子と志郎だが、そこへ思わぬ援軍が現れる。時空を割って登場した京子達だ。
                                                                              「京子!」
                                                                              「桜ちゃん。助けに来たよ」
                                                                               時空課税庁の職員を引き連れ現れた京子に、セツナは舌打ちを隠せない。
                                                                              「セツナ、時空課税法第四三条二項の脱税容疑により逮捕する。観念しなさい」
                                                                               吠える京子に職員達はセツナ一派の包囲を試みる。たちまち一帯は、男達が入り乱れる乱戦へと発展した。
                                                                               その混乱の中、分の悪さを読んだセツナが撤収に動いた。どうやらきちんと退路を確保しておいたらしい。
                                                                               翔とともに光に包まれながら、去って行ったのだが、そこで意味深な捨て台詞を残した。
                                                                              「歴史っていうのは、あんた達が考えているよりはるかに厳しいものなのよ。それをせいぜい思い知ることね」
                                                                               喧騒が収束する中、悔しげに地団駄踏むのは京子だ。
                                                                              「ちっ、あと一歩で逃げられたじゃん」
                                                                               その様子から察するに、あらかじめ桜子達をマークし、セツナが現れるのを待っていたようである。囮に使われた桜子としては、溜まったものではない。
                                                                               ――京子も結構、策士よね……。
                                                                               桜子は妙なところに感心しつつ、志郎に問うた。
                                                                              「志郎兄。あのセツナの捨て台詞。一体、どういう意味?」
                                                                              「分からん。だが、セツナはこう言いたいんだ。秀吉様の根明さや人垂らしで和ませる協調性は出世のために演じていた表の側面に過ぎない、と」
                                                                              「つまり、裏の本性が隠れているってこと?」
                                                                              「あぁ、あの苛烈な信長様に擦り切れるまで酷使された秀吉様だ。意図せずその残虐性も引き継いでしまった側面はある。三木の干殺し、鳥取の飢え殺しとかな」
                                                                               二人が恐るのは、秀吉がその事実に気付かずに天下人となってしまうことだ。秀吉の内面に潜む残酷な側面が炙り出されたとき、この天下人はただの暴君と化す。
                                                                               その細工を、どうやらセツナは仕込んだようである。

                                                                            • 一井 亮治
                                                                              参加者

                                                                                 第三十五話

                                                                                「今、セツナがマークしているのは、間違いなく秀吉だ」
                                                                                 タブレットに表示させたデータを指差すのは、京子だ。桜子と志郎を前にさらに説明を続けていくのだが、ここで京子は意外な作戦を提示した。
                                                                                 敢えてセツナを泳がせ、こちらは別の人物にマークを切り替えるというのだ。
                                                                                「一体、誰をマークするのよ?」
                                                                                 桜子の問いに志郎が応じた。
                                                                                「家康様だろ」
                                                                                「そう。ちなみにこの作戦の立案は、オニヅカだ」
                                                                                 内容を晒す京子に桜子は意外さを覚えている。オニヅカは京子にとって不倶戴天の敵だったはずだ。にも関わらず、そこに頼る真意を問うと京子は、肩をすくめて言った。
                                                                                「だってしょうがないじゃん。アイツの頭は超一流なんだから」
                                                                                「オーケー、分かったわ。家康様には私達がアプローチする。でも京子、セツナは一体、秀吉様にどんな仕込みを入れたっていうのよ?」
                                                                                 桜子の素朴な疑問に京子が応じた。その答えに桜子は、大いにうなずいている。
                                                                                 ――確かにそれは、ありかもしれない。
                                                                                「とにかく桜ちゃんと志郎君は、家康様を頼んだよ」
                                                                                 京子はそれだけ述べるや、他の職員を引き連れ去って行った。残された桜子は、志郎に問うた。
                                                                                「志郎兄は、この作戦をどう思う?」
                                                                                「いいんじゃねぇか? あの感じだと京子はオニヅカと関係を持ってしまったようだしな」
                                                                                「え!? 何それ……」
                                                                                 絶句する桜子に志郎は「気付かなかったか?」と苦笑しつつ、言った。
                                                                                「とにかく今は家康様だ。クリスタルを頼む」
                                                                                「あ、うん……分かった」
                                                                                 桜子は驚きつつも、志郎にうなずくやクリスタルを手に取る。たちまち光に包まれた二人は、次なる時空へと消え去って行った。
                                                                                 
                                                                                 
                                                                                 
                                                                                 織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに食ふは徳川――道外武者御代のによれば、家康は労せず天下を取ったと詠まれている。
                                                                                 だが、家康の一生は決して棚ぼたと言える様なものではない。確かに信長のような先見性や秀吉のような機転はないものの、そこにはひたすら耐え忍ぶ我慢の人生があった。
                                                                                 六歳にして今川家に人質として送られたものの、道中で身柄を奪われ敵側の織田家に売り飛ばされた。
                                                                                 織田側は、今川と手を切るよう広忠(家康の父)を脅すが、返答は「息子を殺さんと欲せば即ち殺せ」と拒絶で応じて見せたのだ。
                                                                                 無論、そこには人質はなかなか殺せないという広忠なりの読みがあったのだが、幼少の家康にとってそれは、あまりに過酷な戦国の掟であった。
                                                                                 結局、織田・今川双方での生活は十年以上に及び、最も多感な時期のほとんどを人質として過ごすこととなる。
                                                                                「我慢の人、よねぇ……」
                                                                                 しみじみと述べる桜子に志郎がうなずく。
                                                                                「あぁ、だがそこはプリンス。家臣団が鉄の結束で支えたんだ。やがて、戦国武将として頭角を見せ本能寺の変での難を逃れ、天下をうかがえる機会を得た」
                                                                                「……と思ったら、秀吉様にまんまと掻っ攫われた訳ね」
                                                                                「まぁな」
                                                                                 苦笑する志郎に桜子は、考え込んだ。
                                                                                 ――果たして秀吉様は、この家康様をどうたらし込むつもりなのか。
                                                                                 さらに秀吉亡き後に家康が築く江戸幕府の税制に対しても少なからず興味があった。
                                                                                 

                                                                                 さて、この秀吉と家康であるが、小牧・長久手で激突し、家康が見事に戦いを制している。
                                                                                 だが、秀吉が食えないのは、その後だ。すぐさま作戦を調略に切り替え、戦さの発端となった織田信雄と和睦してしまったのだ。
                                                                                 わざわざ助けてくれと頼っておきながら、無断で和睦された家康としては、たまったものではない。かくして家康は大義名分を失い、梯子を外された形で軍を引くこととなる。
                                                                                 その後、二人はキツネと狸の化かし合いを演じ始める。いかに家康が局地戦で勝利したとはいえ、秀吉優位の大勢は覆らない。ならばいかに有利な条件で秀吉の軍門に下るかとなる。
                                                                                 対する秀吉は、無類のしぶとさと粘りを見せる家康に自身の妹だけでなく母まで、人質に送り込む作戦に出た。
                                                                                 これには、さしもの家康も打つ手がない。やむなく従属に向け重い腰を上げることとなった。
                                                                                 
                                                                                 

                                                                                 桜子と志郎が向かったのは、丁度、家康が秀吉に会うべく訪れた大阪の屋敷だ。会談を明日に控え、ピンと空気が張り詰めている。
                                                                                「篝火が凄い」
                                                                                 その物々しさに驚く桜子に志郎がうなずく。
                                                                                「秀吉様の襲撃を恐れて厳戒態勢を敷いているんだ」
                                                                                「慎重な家康様らしいわね」
                                                                                「まぁな。だが、それ以上に役者な方があそこにいるぜ」
                                                                                 志郎が指差す方向を見ると、小柄な人影がまるで散歩にでもきたかの如く、ひょいっと現れ単身で屋敷を訪ねた。
                                                                                 言わずもがな、秀吉である。これにはさしもの家康陣営も意表を突かれたようで、慌てて対応に当たっている。
                                                                                「大丈夫なの!? たった一人で敵だった家康様の陣地に乗り込むなんて」
                                                                                「相手が敵であれ、その懐に飛び込む。それが、あの人のやり方なんだよ」
                                                                                 驚く桜子に志郎が応じた。やがて、しばし時が経過した後、屋敷から満足げな顔の秀吉が出てきた。その傍らには家康を伴っている。
                                                                                 どうやら交渉は、成功したようだ。その後、家康と別れた秀吉は、桜子と志郎を見つけるや笑顔で出迎えた。
                                                                                「おぉ、そなたらは時空の旅人ではないか。どうだ。これが天下人の政ぞ」
                                                                                「はい。でも怖くはなかったんですか? 家康様に殺されるかもしれなかった訳でしょう」
                                                                                 桜子の問いに対する秀吉の返答は、短かった。
                                                                                「もともとだから、な」
                                                                                 そこには、百姓に過ぎない自分が天下人にまで上り詰めるには、これしかないのだという秀吉なりの哲学がうかがえた。
                                                                                 何はともあれ天下統一への最大の障壁は取り除かれたことになる。意気揚々と大阪城へと戻っていく秀吉だが、桜子と志郎との別れ際にポツリと言った。
                                                                                「あとは子、だな……」
                                                                                 類まれな才覚で様々な苦難を乗り越え天下人まで上り詰めた秀吉がどうにもならないもの――それが子種だ。
                                                                                「こればっかしはどうにもならんがな……」
                                                                                 寂しさを見せつつ去っていく秀吉の背中を見送りながら、桜子は志郎に言った。
                                                                                「志郎兄。セツナの罠って、これだよね」
                                                                                「あぁ、間違いない。あいつは秀吉様の子種に仕込みを入れたんだ」
                                                                                 事実、秀吉はこの子種をめぐって翻弄され、暴君と化し多くの人生を狂わせていくこととなる。

                                                                              • 一井 亮治
                                                                                参加者

                                                                                   第三十六話

                                                                                   桜子と志郎は一旦、時空の旅を京子と交代し、現代へと戻ってきている。丁度、夏休みが半ばを越した頃で、課題にも手をつけなければならない状況だ。
                                                                                  「まいった……」
                                                                                   桜子が頭を抱えるのが、社会科の教師から出された自由研究である。桜子としては〈税と歴史〉をテーマにした論文を考えているのだが、思わぬ奥深さに広げた風呂敷を畳めず困惑気味だ。
                                                                                   ――思えば、いろんな偉人がいたな。
                                                                                   卑弥呼を筆頭に藤原氏や中世の貴族女官、さらには楠木正成や戦国三英傑とその茶人など皆、歴史を舞台に葛藤してきた者ばかりだ。
                                                                                   皆に共通するのは、大なり小なり〈税〉が絡んできたことだ。どうやらいつの世も悩みは同じらしい。
                                                                                   ――果たして、理想の税制はどうあるべきなのだろうか。
                                                                                   そんな深淵なテーマに頭を捻る桜子だが、そこへ事務所の志郎から電話がかかってきた。なんでも母・ソフィアが帰国するらしい。
                                                                                  「いつ?」
                                                                                  「今日。今夜の七時程」
                                                                                  「えぇっ、あと三時間もないじゃない!」
                                                                                   いつもながらに唐突な母・ソフィアに桜子は、通話を切ると準備を始めた。なんとか時間ギリギリで電車に乗り、待ち合わせの空港に滑り込んだ。
                                                                                  「遅いぞ桜子」
                                                                                  「仕方ないでしょう。いきなりなんだから」
                                                                                   志郎の指摘に反論する桜子だが、傍らの善次郎が笑顔で言った。
                                                                                  「大丈夫だ。母さんはまだ来てない。もうそろそろのはずだが」
                                                                                   皆が首を揃えて待つこと十分強、遂に母・ソフィアが現れた。キャリーバックを引きずるソフィアに三人は、手を振り駆け寄った。
                                                                                   久しぶりの再会に声をあげる四人は、やがて、空港近辺のレストランに入った。だが、そこは母・ソフィアだ。盛んに海外取材での税制レポートを捲し立てまくる中、桜子ら三人はただひたすら聞き役に回っている。
                                                                                   ――相変わらずね。
                                                                                   いつもながらのソフィアに呆れつつ、桜子が相槌を打っていた矢先――それは起こった。
                                                                                  「何だ。地震か!?」
                                                                                   一帯が揺れる中、店内のテレビも一斉に砂嵐に変わった。ただの地震にしては、ありえない現象だ。試しにハンドバックからクリスタルを取り出すと、明らかに反応を示している。
                                                                                   ――時空震だ。
                                                                                   桜子は志郎と目配せを交わす。どうやらセツナの時空テロ第二弾が始まったようである。
                                                                                   その様子から察するに、第一弾とは異なり物理的な破壊は最小限に止め、むしろ中枢を担うデータ集約網のハッキングを主としたものの様である。
                                                                                  「参ったな。ネットが使えない」
                                                                                   スマホを手に嘆く善次郎だが、突如、砂嵐だった画面が収まり、一人の女性の姿が現れた。その顔を桜子は知っている。
                                                                                   ――セツナ!?
                                                                                   自ら名乗りを上げたセツナは、そこで自らの無税国家論構想をぶち上げた挙句、その代償として凄まじい額を含む様々な要望をあげた。
                                                                                  「仮にこれらの要望が叶わない場合、ネットを含むすべての通信網は乗っ取られたまま、二度と元に戻ることはないだろう」
                                                                                   そう通告し、消えていくセツナを見届けたソフィアの反応は早かった。
                                                                                  「あなた、志郎を連れて今すぐ事務所に戻って顧問先を守って。私はこの現象を追うから」
                                                                                   立ち上がるや矢継ぎ早に指示を下すソフィアに、家族が一斉に動く。戸惑う桜子にソフィアは手招きして言った。
                                                                                  「桜子、アンタはこっちよ」
                                                                                   その後、単車に乗り換えたソフィアは、桜子を後ろに乗せ、渋滞の高速をかっ飛ばしていく。
                                                                                  「ちょっと母さん。一体、どこへ行こうっていうのよ」
                                                                                  「大阪城よ。おそらくそこに何か鍵があるはず」
                                                                                  「なんでそう思うのよ?」
                                                                                   桜子の問いにソフィアは、自身のスマホを手渡した。そこには以前、ソフィアから紹介されたAIにつながるサイトが開かれており、そこに大阪城を根源とする時空震の可能性が述べられていた。
                                                                                   高速を飛ばすこと約半時間、遠目に懸案の大阪城が見えて来た。
                                                                                  「母さん、アレ!」
                                                                                   桜子は思わず声をあげる。普段はライトアップされる大阪城だが、今は全てが炎の様な赤い光に包まれているのだ。
                                                                                   明らかに照明によるものではない。危機感を覚えた桜子は、ソフィアとともに大阪城へと乗り込んでいった。
                                                                                   オートバイを駐車し、ソフィアとともに物々しい警備を掻い潜って城門前まで来た桜子は、赤く染まるその異様さにつぶやいた。
                                                                                  「まるで血の色みたい……」
                                                                                  「桜子、クリスタルは?」
                                                                                   ソフィアの問いに桜子が確認すると、明らかに光を帯びている。どうやら赤い大阪城と共鳴しているらしい。
                                                                                  「オーケー、行ってらっしゃい、桜子。ただし無理だけはしないで。私はここでずっと見守っているから」
                                                                                  「分かった。ありがとう!」
                                                                                   桜子はソフィアに礼を述べるや、クリスタルを額にかざした。するとたちまち光が桜子を包み込み、現代から異時空へと引き連れていった。

                                                                                • 一井 亮治
                                                                                  参加者

                                                                                     第三十七話

                                                                                     桜子が飛ばされた時空、それは豊臣政権の末期である。そこで桜子は京子と再会を果たした。
                                                                                    「京子。一体、どうなってるの!?」
                                                                                     困惑する桜子に京子が事情を説明した。
                                                                                    「すべての始まりは秀吉様の子種なのよ。セツナは明らかにここに細工を施した。本来なら生まれてきたかもしれない子孫の種を根こそぎ奪ったの」
                                                                                    「それって立派な歴史改変じゃ……」
                                                                                    「まぁね。ただ厄介なのは、実際の正史もそう変わりはないってことなのよ」
                                                                                     京子がいう通り、〈戦国時代の三英傑〉として並び称される家康は十六人、信長に至っては二十人以上の子をもうけたのに比して、秀吉の実子は男子三人女子一人であり、三男の秀頼以外は幼少で短い生涯を閉じている。
                                                                                     ただ、子種の無さを背景に、セツナが秀吉を焦らせ、暴君へと駆り立てた点は否めない。
                                                                                    「秀吉様に利休様を斬らせ、朝鮮に出兵し、国を疲弊させ晩節を汚させたじゃん。その背後にセツナがいる。そこで生まれた多くの血が、現代の大阪城を起点にした時空テロに繋がっている」
                                                                                    「じゃあ京子。一体、どうすれば……」
                                                                                    「秀吉様とセツナを切り離すしかない」
                                                                                     ここで京子は一枚のタブレットを取り出し、画面を開いた。そこには、克明な地図とともに作戦の概要が記されている。
                                                                                     それを丹念に読み込んだ桜子は、思わず唸った。
                                                                                    「よく出来てるよね。この作戦」
                                                                                    「あぁ、立案はあのオニヅカだよ。頭だけは回るんだよ、あの悪党っ!」
                                                                                     京子は怒り気味にタブレットを戻すと、桜子と委細を詰め席をたった。
                                                                                    「じゃぁ行こうか」
                                                                                    「オッケーじゃん」
                                                                                     二人はパンっとハイタッチを交わすと、作戦に則って秀吉のいる大阪城の天守閣へと忍び込んでいった。
                                                                                     

                                                                                     
                                                                                     突如として現れた桜子と京子に病床に伏す秀吉以下、家臣団は驚きを隠せない。厄介なのは、背後にセツナと翔が控えている点だ。
                                                                                    「曲者だ!」「ひっ捕えよ!」
                                                                                     たちまち包囲される二人だが、桜子が叫んだ。
                                                                                    「セツナ、アンタは時の権力者を手中に収め、一体、何を企んでいるの!?」
                                                                                    「ふっ、決まったこと。この大阪城を起点に歴史の大転換を図るのよ。時空に散らばる全てアングラーマネーを集約し、クリスタルでマネーロンダリングと租税回避を行う」
                                                                                    「それは、時空課税上最大の罰則よ!」
                                                                                     吠える京子にセツナは構うことなく続けた。
                                                                                    「無税国家構想、その大いなる理想を実現するには、多少の犠牲はつきものなのよ」
                                                                                    「詭弁だわ」
                                                                                     吠える京子だが、セツナは構うことなく二人を拘束した。桜子からクリスタルを奪うや、秀吉の元から連行し大阪城内の地下牢へと放り込んだ。
                                                                                     冷たい地下牢に腰掛けながら桜子が囁く。
                                                                                    「ここまでは、作戦通り?」
                                                                                    「まぁね。あとはクリスタルへの仕込みがどこまで効果を発揮するかね」
                                                                                    [778479500/1708246660.png]
                                                                                     京子は、あぐらをかきながら腕をくみ考えている。そんな中、桜子は根本的な疑問を投げかけた。
                                                                                    「ねぇ京子、そもそも歴史のクリスタルって、どうやって生まれ、どう形成されていったの?」
                                                                                    「フフッ……実はあのクリスタルはね、三種の神器が歴史を歩んできた記憶が結晶したものなの」
                                                                                    「三種の神器? あの草薙の剣と八咫鏡、八尺瓊勾玉とかいう皇位継承に出てくるトンデモ宝具?」 
                                                                                    「そうよ。言わばこの日本が辿って来た記録媒体ってわけ」
                                                                                     京子が語るトンデモ設定に桜子は、改めて驚いている。京子はさらに続けた。
                                                                                    「今、セツナはこの大阪城を起点に桜子のクリスタルを解明し、その力を発揮させようとしているじゃん。それがどこまで上手くいくかで、作戦の成否は変わってくるはずよ」
                                                                                    「なるほどね……」
                                                                                     桜子は納得しつつも、さらに問いを重ねる。
                                                                                    「ところであのセツナなんだけど、確かバグを侵され設計者の手を離れ闇の勢力との繋がりを持ってしまったのよね。けど、アングラーマネーを原資に無税国家構想を打ち立てようとしている」
                                                                                    「そうなの桜ちゃん。それがセツナの厄介なところじゃん。徴税ゴーストとして崇高な理想を持ちながら、反社勢力と繋がりアングラーマネーを当てにしている」
                                                                                    「うん。でさ、今回の全ての原因となった設計上のバグなんだけどね。実は設計者がわざと仕込んだもので、設計者自身が消失を装いながら、実はどこかで存命しているんじゃないかって……」
                                                                                     この桜子の疑問に京子は、黙り込んでいる。やがてしばしの間の後、冷徹な目で桜子に問うた。
                                                                                    「桜ちゃん、なぜそう思う?」
                                                                                    「分からない。ただ私には偶然と振る舞いつつ、意図的に理想を実現させようという設計者の隠れた意地が感じられるのよ」
                                                                                    「なるほど、ね……」
                                                                                     京子はしばし沈黙の後、観念したように言った。
                                                                                    「桜ちゃん。リクドウ・シックスは知ってるね?」
                                                                                    「よく分かんないけど、未来の時空課税省庁を構築する組織思想でしょう」
                                                                                    「えぇ、その中にあるべき課税社会をテクノロジーから実現する極秘の調査機関〈サクラG課〉が存在するの。そこを統括する人物こそが、今回の騒動を偶然を装って引き起こした張本人だと言われているわ。名前は……」
                                                                                     京子からその名を知らされた桜子は、思わず我が耳を疑った。
                                                                                    「え、じゃぁ京子。それって……」
                                                                                    「そういうこと。それが全ての真相よ」
                                                                                     桜子は驚きの声を上げるとともに、つぶやいた。
                                                                                     ――道理で私に白羽の矢が立ったわけだ。
                                                                                     とそこで巨大な音が鳴り響句。何事かと身構える桜子だが、どうやら京子の方は見当がついているようだ。
                                                                                    「始まったわね」
                                                                                     京子がほくそ笑む中、地下牢に駆け寄る人影が現れた。
                                                                                    「翔君!?」
                                                                                     驚く桜子に翔は、地下牢の鍵を開けるや二人を解放し天守閣へと促した。
                                                                                    「二人とも早く出ろ!」
                                                                                    「ちょっと翔君。一体、何がどうしたのよ」
                                                                                     桜子が問うものの返答はない。だが、大体、何が起きているのか分かりかけていた。
                                                                                     ――おそらくクリスタルに何かがあったんだ。
                                                                                     やがて、天守閣についたところで桜子は、京子と目配せを交わす。そこにはクリスタルにあらかじめ仕込まれたプログラムが作動し、強烈な光となってセツナを巻き込んでいる。
                                                                                     それを見た京子が言い放った。
                                                                                    「セツナ、悪いけどそのクリスタルには細工を入れさせて頂いたわ。あなたに残された道は二つ。クリスタルとともに滅びるか、未来の時空課税局で裁きを受けるか、よ」
                                                                                    「ふん、この私を騙したってことかい」
                                                                                     セツナは、クリスタルからの分離を図るものの、一度ゴーストと融合したクリスタルからの解放は簡単ではない。
                                                                                    「年貢の納め時よ。セツナ」
                                                                                     勝ち誇る京子だが、セツナはここで意外な手を打って出た。何と融合したクリスタルから強引に分離すべく、自らのボディーを切り落としたのだ。
                                                                                     肉を切らせて骨を断つセツナに京子は、意外さを隠せない。さらにセツナは、残る手で刀を引き抜き二人に反撃に打って出た。
                                                                                     完全に無防備に晒された二人に鋭い刃が振り下ろそうとされた矢先、突如、セツナの動きが止まった。
                                                                                     振り返ると、寝床にあった病状の秀吉がセツナを日本刀で斬り捨て立っている。
                                                                                    「お……おのれ……」
                                                                                     ふらつくセツナだが、なおもしぶとさを失っていない。翔の肩を借りるや、持てる全ての力を使って、異時空へ消えて行った。
                                                                                    「逃さないわ!」
                                                                                     京子は二人を追って異時空へと飛んでいく。一方の桜子は、セツナの刀を鞘に納めるや秀吉に頭を下げた。
                                                                                    「あの……助けて頂いてありがとうございます」
                                                                                    「礼には及ばん……そなたらは以前、会った時空の旅人であろう。どうやらワシは長い悪夢を見ていたようだ」
                                                                                     やがて、秀吉は力尽きたのか、その場に崩れ落ちた。慌てた桜子が周囲の家臣団とともに秀吉を寝床へと運んでいく。
                                                                                    「その方ら、しばし下がってはもらえないか」
                                                                                     秀吉の申し出に家臣達は、驚き引き止めるものの、その意思は固い。やむなく周囲から皆が姿を消していく中、残された桜子は秀吉を枕元から座視している。
                                                                                    「時空の旅人や……ワシには、どうしても敵わなかったものがある。分かるか?」
                                                                                     弱々しい声を絞り出す秀吉に桜子は、首をかしげる。やがて、秀吉は小さく笑いながら言った。
                                                                                    「信長様、だ。今でも夢に見る。草履取りから瓢箪片手に鷹狩りのお供をすべくよく走った。誰よりも可愛がってもらったが、ワシはその信長様が築いた織田家の天下を全て簒奪したのだ。だが、それでも信長様を超えることは出来なかった」
                                                                                     果たして信長様はこんな自分をどう見ているのか、恐ろしくて仕方がないと述べる秀吉に桜子は、信長の最期を話した。
                                                                                    「確かに無念がられてはおりました。ただ、次の天下人が秀吉様であることを告げると、実に楽しげに笑われましたよ。それでこそサルだ、と」
                                                                                    「ほぉ。それは、まことか!?」
                                                                                    「もちろん。まさに〈戦国〉だ、と」
                                                                                    「そうか……流石は信長様だ。やはり、ワシでは勝てなかった。感服だ」
                                                                                     敗北感に涙すら見せる秀吉に、桜子はフォローを入れる。
                                                                                    「それでも秀吉様は、天下を取られたじゃないですか。租税上重要な太閤検地も見事にこなされた」
                                                                                    「所詮は信長様の物真似に過ぎん。確かに追いつくことは出来たかもしれぬが、追い越すには至らなかった。それがワシの器の限界だ」
                                                                                     ここで秀吉は大きく咳き込んだ。慌てて背中をさする桜子に、秀吉は絞り出すように囁いた。
                                                                                    「お主が追っているあのセツナとやらだがな。あれは相当なやり手だ。今度は次の天下で己の野心を叶えるつもりだろう。おそらくそこが最終決戦となろう。覚悟してかかることだ」
                                                                                    「はい。秀吉様もどうかお気をしっかり」
                                                                                    「フフッ、露と落ち 露と消えにし 我が身かな なにわのことも 夢のまた夢……ワシの人生など本当に夢の中で見る夢だったんじゃないかと思う。人の一生など実に儚い」
                                                                                     そう告げるや秀吉は永い眠りについた。享年六十二歳――まさに戦国を駆け抜け、天下に上り詰めた怒涛の一生であった。

                                                                                  • 一井 亮治
                                                                                    参加者

                                                                                       第三十八話

                                                                                       秀吉の最期を看取った桜子は、クリスタルとともに逃げ去ったセツナとその後を追う京子を追った。その傍らには、志郎とオニヅカを伴っている。
                                                                                       向かった時空は、大阪夏の陣だ。徳川軍により周囲が包囲される中、皆と合流した京子は事情を説明した。
                                                                                      「どうやらセツナ一派は、前回の時空テロ失敗や秀吉らに受けた致命傷で、満足に組織を運営出来ていないようよ。時空課税庁への投降や密告も相次いでいる」
                                                                                      「俺が受けた情報も同じだ。だが、クリスタルを手中に置いている。そんな中、起死回生の一手を大阪城に籠城する淀君と秀頼公に求めたってことだろう」
                                                                                       オニヅカの分析に皆もうなずいている。つまり、外堀は完全に埋まったのである。
                                                                                      「後はセツナとクリスタルの回収、そして残党の一掃だ。一気に片付けよう」
                                                                                       声をあげる志郎に皆が手を出しタッチを交わすと、それぞれの持ち場へと散った。
                                                                                       ちなみに桜子の担当は、家康の本陣である。
                                                                                      「時空の旅人とやら、話は信長公や秀吉公から聞き及んでおる。要はセツナとやらの対処にあたりたい、ということだな。よかろう。その自由を許そうではないか」
                                                                                       納得を見せる家康に桜子は、頭を下げた。とそこへ突風が抜け一枚の紙切れが吹き飛んだ。滑稽なのは、それを見た家康だ。まさにそれが命であるが如く、必死に飛び込んでその紙切れを掴んだのだ。その下が崖地であるとも知らず、である。
                                                                                       当然、家康は足元を崩し、崖へと落ち掛ける。だが、それを桜子が間一髪で手を差し伸べ、何とか大事に至らずに済んだ。
                                                                                       間近で見ていた家臣団は、たまったものではない。ほっと安堵のため息にくれるとともに、紙切れ一枚に必死になる家康のケチっぷりに呆れ返っている。桜子も同様だ。
                                                                                       だが、そんな周囲の者どもに恥じることなく、家康は言い切った。
                                                                                      「ワシはな。これで天下を取ったのだ」
                                                                                       確かに事実だろう。とかく家康はケチだった。関ヶ原の戦いでは、八百万石という広大な版図が転がり込んできたにも関わらず、家康はこれをほぼ直轄領とした。
                                                                                       元同僚の前田利家に百万石を与え、子飼いの家臣である加藤清正や石田三成に何十万石もを手放した豊臣秀吉とは真逆の施策だ。
                                                                                       もっとも、この家康のケチさが、結果的に江戸時代を約二百七十年年も持たせる大きな要因となった。
                                                                                       その意味において、家康は一代限りの秀吉とは違い、天下のはるか先まで見ていたことになる。
                                                                                       
                                                                                       
                                                                                       
                                                                                       さて、戦さの方であるが「撃ち方始め」の号令とともに大筒が火を吹き、一帯は血みどろの壮絶な斬り合いへと発展した。
                                                                                       だが、いかに大阪方が健闘しようとも多勢に無勢は免れない。ついには真田丸も陥ち、残すは天守のみとなった。
                                                                                      「よし、時空の旅人とやら。機会をやろう。天守へ赴き淀君や秀頼公の背後にいるセツナとやらと交渉して参れ。もし、条件を飲むならその処遇は考えてやってもよい」
                                                                                      「ありがとうございます」
                                                                                      「礼には及ばん。そなた一人では心元なかろうから護衛をつけてやる」
                                                                                      「いえ、私一人で結構です」
                                                                                       これには、流石の家康も驚いている。
                                                                                      「桜子とやら、そなたも見たであろう。あれが戦場だ。おなごが交渉に行ったとて無事に帰って来れる保証はないのだぞ」
                                                                                       戦さ場での掟を懇々と説く家康だが、桜子は聞く耳を持たない。むしろあまりの頑固さに「なら勝手に致せ」と家康自身が突き放してしまった。
                                                                                       意を決し合戦場から天守へ一人で向かう桜子だが、その背中には微塵の恐怖も感じられない。
                                                                                       その様子をハラハラと眺めつつ、家康はつぶやいた。
                                                                                      「女ながらに大した肝っぷりだ。秀忠(家康の子)にもあの様にあって欲しいものだ」
                                                                                       
                                                                                       
                                                                                       
                                                                                       やがて、裸同然となった大阪城の前に立った桜子だが、要件を伝える間もなく固い城門が開いた。そこには、今や立場の垣根を超えた間柄である翔が待っている。
                                                                                      「待ってましたよ。センパイ」
                                                                                       翔は実に軽々しく応じるや、桜子を天守へと案内した。
                                                                                      「翔君、あんたは一体、どっちの味方なのよ」
                                                                                      「さぁ、ただ常に勝ち馬に乗るのがポリシーっすかね」
                                                                                       軽く笑う翔の案内の下、最上階へと向かった桜子を待っていたのは、クリスタルの負の側面に侵され青色吐息のセツナである。
                                                                                      「セツナ、あなたにそのクリスタルは捌けない。それは母体にプラスだけでなくマイナスの影響も及ぼすのよ」
                                                                                      「ええい黙れっ、貴様の様な人間如きに我らゴーストの何が分かる。我らこそが崇高なる課税思想を、無税国家構想を叶えることが出来るのだ」
                                                                                      「その理想は、この私が引き継ぐわ」
                                                                                       これにはセツナも笑ってしまった。二十歳にも満たない小娘が国家論を引き継ぐと宣言してしまったのだ。
                                                                                       セツナは大いに笑いつつ、言った。
                                                                                      「とんだ余興だ。その自信はどこから来るのか」
                                                                                      「さぁ、ただこれだけは言えるわ。セツナ、あなたには無理なのよ。なぜならそうプログラムされているから」
                                                                                      「どういうことだ?」
                                                                                       怪訝な表情を浮かべるセツナに桜子は、真実を述べた。初めこそ戯言と軽く聞き流していたセツナだが、話が佳境に入るにつれその顔色は変わっている。
                                                                                       やがて、説明もそこそこに「黙れ忌々しい小娘め!」と吠えるや、クリスタルを握り締め、床に叩きつけてしまった。その途端、クリスタルは木っ端微塵に飛散し、まばゆい光に包まれた。

                                                                                    • 一井 亮治
                                                                                      参加者

                                                                                         第三十九話

                                                                                         気がつくと桜子は、見知らぬ草原に立っている。目の前にいるのは、すっかり変わり果てたボロボロのセツナだ。
                                                                                        「セツナ、もうあなたに勝ちはない。クリスタルはまた見つければいい。だから、負けを認めなさい。でないとあなたの身が持たないわ」
                                                                                         救いの手を差し伸べる桜子に、ついにセツナは初めて負けを認めた。ゴーストとして格の劣る人間に首を垂れたのである。
                                                                                         ――これでいい。あとはセツナの理想をこの私が引き継げば……。
                                                                                         そう考えた矢先、突如としてセツナが苦しみもがき始めた。その様子は明らかに尋常ではない。
                                                                                        「セツナ。一体、どうしたのよっ!」
                                                                                         叫ぶ桜子に構わず、セツナのボディがバラバラに砕けや、最後にはその身もろとも粉砕してしまった。
                                                                                         ――一体、何が……。
                                                                                         驚きを隠せない桜子だが、その目の前に一人の人影が現れた。見たところ桜子と背格好の変わらない娘である。
                                                                                        「全く役に立たないゴーストね」
                                                                                         その娘は吐き捨てるように罵るや、かすかに微動を残すセツナの頭部を足で踏み躙り粉々に潰した。
                                                                                        「ちょっと、何もそこまでしなくてもいいじゃない!」
                                                                                         憤る桜子にその娘は「あら随分とお優しいのね」とケラケラ笑っている。問題はその容姿である。あまりに桜子に酷似しているのだ。そこにピンと来た桜子が言った。
                                                                                        「あなたが黒幕の未来の政府極秘調査機関、通称、サクラG課の設計者ね。名前は確か、源サクラ」
                                                                                        「えぇ、お察しの通りよ。源桜子さん……いや、こう言った方がいいかしらね。我がご先祖様」
                                                                                        「まさか私の子孫が、セツナの設計者とは思わなかったわ」
                                                                                         身元を明かし合った二人は、互いを警戒しつつ、出方を伺っている。
                                                                                        「ふっ、時空課税局も困ったものよ。他のメンツならともかく、私の先祖を使うとはね。殺しでもすれば、この私の存在が消えてしまう。うまく考えたものよ」
                                                                                        「サクラ、あなたはセツナに無税国家構想の理想を植え付け、その行動のタガを外した。過激ではあったものの、セツナには筋の通った思想があったわ。けどあなたの目的は分からない。一体、何を求めて……」
                                                                                        「気紛れよ」
                                                                                         何でもないことのように話すサクラに桜子は、我が耳を疑う。サクラはさらに続けた。
                                                                                        「桜子。アンタにいいことを教えてあげる。この世は結局、使う側と使われる側に分かれるのよ。私は常に歴史の勝者側に張る。それが私の目的。つまり、歴史の勝敗を賭けた娯楽ギャンブルなの」
                                                                                         ゾクゾクとするような笑みで語りかけるサクラだが、その次の瞬間、その顔は大きく歪むことになる。桜子がサクラの頬を思い切り引っ叩いたのだ。
                                                                                        「ふざけないで! 歴史を弄ぶ? 冗談じゃないわ。私はこれまで多くの偉人と接してきた。善悪は問われど誰もが真剣に向き合っていたわ。それを賭け事の娯楽にするっていうの!?」
                                                                                        「へぇ……結構なご挨拶じゃない」
                                                                                         罵る桜子にサクラは、完全に怒り心頭だ。指で合図を送るや、周囲に武装集団を出現させた。どうやら人間ではなくゴーストで構成されているようである。
                                                                                        「この娘をひっ捕えなさい!」
                                                                                         サクラの命令にゴーストは、桜子を取り囲む。だが、桜子は透かさず包囲を突破し、脱走を試みた。
                                                                                         必死に抵抗した桜子だったが、多勢に無勢は免れない。ついに武装ゴーストに取り押さえられてしまった。地面に押さえつけられた桜子が見上げると、目の前にはサクラが立っている。
                                                                                        「フフッ、これはさっきのお・か・え・し」
                                                                                         そう言い放つや、サクラは桜子の無防備に晒された腹に強烈な蹴りを叩き込んだ。
                                                                                        「うっ……」
                                                                                         柔らかい腹に内臓をえぐるようなえげつない蹴りをモロに受けた桜子は、呼吸すらままならない苦しみに悶絶している。
                                                                                        「あーら、足ではしたなくてゴメンナサイ」
                                                                                         上からケラケラと嘲笑うサクラの勝ち誇った顔が桜子は、悔しくて仕方がない。涙すら滲ませる桜子だが、そこに変化が現れた。サクラの武装ゴーストが、周囲に突如として現れた武士達に戸惑いを覚え始めたのだ。
                                                                                         そこへ志郎の声が響く。
                                                                                        「待たせたな、桜子」
                                                                                         見ると志郎の背後には、これまで時空の旅でともに戦った藤原鎌足や藤原道長、源義経、楠木正成、織田信長、豊臣秀吉ら英霊が応援に駆けつけている。
                                                                                         この錚々たる様にさしものサクラも、声を失った。やがて、武装ゴーストと英霊達が乱戦に入る中、さらに応援へと駆けつけた京子がオニヅカを連れて叫んだ。
                                                                                        「桜ちゃん。アレっ!」
                                                                                         桜子は京子達の指差す方向に目を向けると、何やら輝きを秘めたツイスターが何かを形成し始めている。
                                                                                         その様相からして新たなクリスタルのようである。それを見た桜子は腹を抱えつつ、ゆっくり起き上がり、光のツイスターへと向かった。
                                                                                         だが、サクラもこれに気付いたようだ。二人はお互いの身をぶつけ合いながら、その光のツイスターへと飛び込んだ。
                                                                                         その瞬間、パッと眩い光が一面を照らし、その輝きはやがて一つの結晶を形成し始めた。まさにクリスタルである。そして、それは桜子の手に握られていた。
                                                                                        「そんなバカなっ……」
                                                                                         サクラが強引に桜子からクリスタルを奪おうとするものの、クリスタルが放つ光に弾かれ吹き飛ばされてしまった。
                                                                                        「どうやら新たな歴史の監視人が決まったようだな」
                                                                                         歩み寄る志郎や京子達を前にした桜子は、照れつつも掌におさまった新たなクリスタルに目を細める。
                                                                                         そして、英霊達を背後に地面に叩きつけられたサクラに言った。
                                                                                        「サクラ、あなたの負けよ」
                                                                                         
                                                                                         
                                                                                         
                                                                                         やがて、一帯が秩序を取り戻す中、英霊が一人、また一人と姿を消していく。無論、サクラは駆けつけた時空課税局員に連行されていく。京子とオニヅカも同伴だ。
                                                                                         その後ろ姿を眺めながら、桜子は新たなクリスタルを握り締め考えている。
                                                                                        「どうしたんだよ桜子、今やお前が歴史の監視者だ。大いには無理だが、多少の干渉なら許される立場になったんだぜ。もっと誇らしくしろよ」
                                                                                        「そんなことできる訳ないでしょう。私みたいなただの小娘。むしろ重荷よ」
                                                                                         そう表情を困らせつつも、桜子の表情はどこか明るい。それは今まで歴史の傍観者に過ぎなかった立場から、一歩踏み出したささやかな喜びだった。

                                                                                      • 一井 亮治
                                                                                        参加者

                                                                                           第四十話

                                                                                           夏休みの終わりが迫っている。今、桜子が必死に取り組んでいるのは、自由研究である〈税と歴史〉の論文だ。
                                                                                           サクラとの最終決戦で、桜子を助けてくれた英霊達に応えるべく、自身が考える税の考えをまとめているのだ。
                                                                                           無論、セツナが提唱した無税国家論についても考慮を重ねている。もっとも考えれば考えるほど悩ましいのが、税金だ。ゆえにペンも一筋縄では進まない。
                                                                                           それでも桜子には、確信があった。
                                                                                           ――税制こそが国を救い、もしくは滅ぼす。
                                                                                           直接税に間接税、法人・個人・消費などあらゆる活動にかかる税――かつては窓の大きさや間口の広さに課税され、それが経済活動の実態を歪めてきた側面は否めない。
                                                                                           だが、桜子は思う。
                                                                                          「税を申告し払うことで。社会の一員になりたい」
                                                                                           もっとも現行の税に多くの問題をはらんでいるのも事実だが、それは知恵でなんとかなるはずだと睨んでいる。
                                                                                           やがて、シャウプ勧告の翻訳本を閉じた桜子は、机上で輝きを見せるクリスタルに目を細めながら言った。
                                                                                          「代表なくして課税なし。税とは政府と国民が交わした約束なり……皆、正しいんだろうけど、私にとってはケースバイケースよ」
                                                                                           その後、桜子は黙々と持論を書き連ね、遂にこれを一本の論文に仕上げた。
                                                                                           ――落ちこぼれの私だけど、それでも家族と同じ職を仕事にしたい。これは、その第一歩。
                                                                                           桜子は拙いながらも必死に考えた論文を兄の志郎に見せた。しばし真剣に読み込んでいた志郎だが、やがて、桜子に指でオッケーマークを作る。
                                                                                          「桜子、バッチリだよ。とっつきにくいが掘り下げれば奥が深いのが税金だ。試験の方も俺が応援するよ」
                                                                                          「ありがとう志郎兄……」
                                                                                           安堵する桜子だが、そこへクリスタルが光を放ち始めた。どうやらまた時空課税上で問題が起こったようである。
                                                                                           その輝き度からして、シュレや京子達では手に負えない物件らしい。
                                                                                          「オーケー、じゃぁ行こうか?」
                                                                                           やれやれと肩をすくめ立ち上がる志郎に、桜子はうなずきクリスタルを取る。互いに目配せを交わした後、二人は次なる時空へと飛び立っていった。(了)

                                                                                            オワタ……

                                                                                      41件の返信スレッドを表示中
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