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一井 亮治
参加者

     第十八話

     父・善次郎の病状が芳しくない。一時は回復に向かっていたものの、その後、悪化に転じ今は意識を失ったままだ。
     幸い事務所は、母・ソフィアの知り合いが助っ人に入り回っているものの、いつまでも頼り放しではいられない。それだけに桜子は、セツナの手に堕ちた志郎の心境が理解できない。
     ――ラボのバグで暴走し、設計者を消失させ時空テロを起こすセツナにつくなんて。
     憤慨する桜子に応じるのは、シュレだ。
    「それがセツナの怖ささ。奴はゴーストとして言葉巧みに囁き、人を陥れる。特に志郎みたいなタイプにはね」
    「どういう事?」
    「有能で挫折知らずだろう。それでいてなまじ使命感があるから一度、負に転じればなかなか戻らない」
     肩をすくめるシュレに、桜子は頭を抱え嘆いた。
    「シュレ。私、どうすればいい?」
    「答えはクリスタルにある。歴史のクリスタルが君を認証している限り、こちらの優位は変わらないさ」
    「けど、もし奪われれば、タックスヘイブンだけでなくマネーロンダリングまで可能になるんでしょう?」
    「だからこそ、君はクリスタルに向き合う必要がある。この国が取るべき道は成長か成熟か、政府は大きくあるべきか小さくあるべきか。国の未来が歴史のクリスタルに眠っているんだ」
     現状を説くシュレに桜子はうなずき、クリスタルを取り出す。内部に漂う淡い光を眺めながら、意を決したように言った。
    「分かったよシュレ。それで次はいつの時空に行けばいいの?」
    「ある人物を看取って欲しいんだ」
     キョトンとする桜子に構わず、シュレは指を鳴らしクリスタルを発動させた。たちまち桜子の体は光に包まれ、現代の時空から姿を消した。
     
     
     
     例の如く、乱暴に放り出された桜子が辺りをうかがうと、水辺が広がっている。どうやら琵琶湖近辺のようだ。そこへ聞き覚えのある年老いた声が響く。
    「君は、桜子じゃないか!?」
     驚き振り返った桜子は、思わず声を上げた。
    「中臣鎌足さん!?」
    「ハッハッハッ……今は藤原鎌足だ。昨日、帝から長年の功を評されてな。ワシの出生地である藤原(現・奈良県高市郡)にちなんでこの姓を賜った。懐かしのう。大化の改新以来か」
     目を細める鎌足に桜子は、頭を下げた。
    「その節は、お世話になりました」
    「いやなに。あの頃のワシは怖いもの知らずだったからな。ゴホゴホ……」
    「大丈夫ですか!?」
     気遣う桜子を鎌足は手で制し、「少し休もう」と近くの倒木に並んで腰掛けた。
     初夏の心地よい風がそよぐ中、桜子は琵琶湖を眺めながら話した。
    「都を飛鳥から近江に移されたんですね」
    「あぁ、大化の改新の理想を実現すべく人心の一新を図りたかった。それとワシの手落ちもある」
     鎌足曰く、白村江で唐・神羅連合軍に敗戦し、天然の要害であり交通の要衝でもある大津に遷都したとのことだった。
    「生きては軍国に務無し(私は軍略で貢献できなかった)。軍事と外交を司る身として、己と日本の未熟さを思い知ったよ」
    「でもその分、鎌足さんは内政で貢献されたじゃないですか」
    「フフッ、当時皇子だった帝と蘇我入鹿・蝦夷を討ち、阿部倉梯麻呂や石川麻呂を失脚に追いやった。ひたすら帝に尽くし大錦冠、大紫冠の地位についた。人生をかけて己の仕事を果たせたと思っている」
     鎌足は穏やかに語りつつ、湖辺で戯れる幼い息子の不比等を眺めながら言った。
    「財を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上。それがワシの信念だが、果たしてどうだったのだろうか」
    「その全てを残されたと思います」
     桜子の返答に鎌足は、照れくさそうに笑っている。もっとも誇張ではない。事実、鎌足は日本の歴史における最大氏族〈藤原氏〉の始祖となり、一族繁栄の礎を築いたのだ。
     その旨を伝えると、鎌足は大いにうなずきながら、問うた。
    「桜子、君はどうなんだ。お兄さんとの関係は、改善したのかい」
    「それが……」
     桜子は苦悩の表情を浮かべながら、窮状を説いた。鎌足はその一つ一つにうなずいていたが、やがて考慮の後、桜子に言った。
    「骨肉の争いだな。いつの時代も変わらない。おそらくワシの死後、次の帝の地位を巡って争乱が起きるよう。帝の兄弟をめぐる争いだ」
    「兄弟や身内の争いが国を滅ぼす……虚しいですね」
    「それでも人は前に進み、営みを続ける。それが歴史だ」
     鎌足は穏やかに微笑み、幼い不比等を眺めながらそっと口を閉じた。鎌足の体はぐったりもたれかかったまま、ピクリとも動かない。
     それは波乱に満ち、時代に翻弄されながらも歴史という大舞台で命を張ってきた偉人の静かな最期だった。

     
     
    「ご苦労だったね」
     鎌足の死を看取った桜子をシュレが出迎える。桜子は感慨深げに言った。
    「シュレ、志郎兄は以前〈歴史は時としてごく限られた人間にその裁量を委ねるときがある〉と言っていた。鎌足さんは、どうだったんだろう」
    「残した功績は大きいね。鎌足の死後、壬申の乱を制した大海人皇子(天武天皇)の治世へと繋がっていく。同時に鎌足が理想とする唐をモデルとした律令国家の志は脈々と引き継がれ、息子の藤原不比等らによって結実した」
    「大宝律令ね」
     桜子の返答にシュレがうなずく。
    「そうさ。日本で初めて確立された統一的な税制だ。租・庸・調という唐の均田法にならった税の仕組みが完成したんだ。まさに人類の叡智だ。ゆえにその改変は、許されない」
    「分かってる。志郎兄の一件は、この私が引き受けるから。差し違えてでもね」
     そう語る桜子の目は、確固たる決意に溢れていた。

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