【新企画】桜志会が大活躍する挿絵小説

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【新企画】桜志会が大活躍する挿絵小説

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    • 一井 亮治
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         桜志会が積み重ねてきた親睦と研鑽の伝統を、将来のビジョンや課題、ポテンシャルを交え挿絵小説に落とし込む試みです(取り敢えず週一連載で)。
         本企画を通じ、税理士ならではの魅力や憧れ、格好良さ、新たな未来像の再発見が出来れば。

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      • 一井 亮治
        参加者

           第一話

           桜志会――その組織との出会いは、突然だった。高校二年生にすぎない俺・五十嵐優斗に、あろうことか国家転覆の容疑がかけられたのだ。
          「物証は上がっている。どこのスパイだ?!」
           畳み掛ける捜査官に無罪を主張するものの、全く信じてもらえない。
           ま、多少の非はある。プログラミングにハマった俺は、すっかりオタクと化し、有名企業や官公庁にゲーム感覚でハッキングを仕掛けていたからな。
           だが、所詮はお遊び、ネット仲間に自慢し合う程度のものだ。国家転覆だのスパイだの、あまりに大それて考えたことすらない。
          「俺は嵌められたんです。大体、動機がないじゃないですか」
          「お前の口座に多額の金が振り込まれている。それも米ドルと人民元でな。スイス銀行にまで手を伸ばしたそうじゃないか!」
          「だからそれ、全部ガセです。罠です。俺を陥れる陰謀なんです!」
           必死に訴えるものの、あまりに揃い過ぎた証拠を前に信憑性の欠片すら感じてもらえない。
           裁判しても十中八九、負けるだろう――そう言われた俺の絶望たるや、並大抵のものではない。
          「終わったな。俺の人生」
           生まれて初めて悔し涙を流した。とにかく無念でやり切れなかった。
           そんなこんなですっかり留置所で落ち込んでいた俺なのだが、そこへ突如、救いの手が差し伸べられる。敏腕弁護士・権藤先生がついたのだ。
           なんでもその筋に強く、検察にも顔が効くとかでびっくりするくらい頼りになった。
          「優斗君、何とかなりそうだよ」
           そう言われたときの俺の感激は、とても言葉にあらわせるものではない。これ以上はない嬉しさを噛み締めつつ、俺は問うた。
          「でも、何で権藤先生みたいな偉い人が、俺なんかに?」
          「税理士である君のお父さんのツテだ」
          「え、親父の!?」
           俺の笑顔は急に曇る。と言うのも親父とは仲が悪く別居中なのだ。世間体ばかり気にする教育方針とやらが、とにかく肌に合わない。
           母親が出て行って以降、それはより顕著だ。そんな俺に権藤先生は、さらに続ける。
          「より正確に言えば、君のお父さんが所属する桜志会のだね」
          「桜志会?」
          「税理士二世で構成されるネットワークのプラットフォームだ。彼らに頼られれば、私とて断れない。君を助けるに至ったって訳さ」
           内情を晒す権藤先生に俺は、頭を捻る。
           ――桜志会……確か親父がそんな話をしていた記憶はあるが……。
           訝る俺は思わず詰った。
          「その桜志会って組織、チラッと聞いたことはありますけど所詮、見栄っ張りが意地張るためだけに作った馴れ合い集団でしょ」
           坊主憎けりゃ袈裟まで憎いではないが、険悪な親父との関係が俺の印象をすこぶる悪くした。国家資格か何だか知らないが、実態は人の金をネタにメシ食ってる卑しい連中だと嘲笑する俺に、権藤先生の表情が凍った。
           しばしの沈黙の後、権藤先生は見据えた目で重い口を開く。
          「優斗君、これだけは言っておこう。彼らは税に特化したお金のプロだ。中でもあの桜志会は一見、和気あいあいと見せてはいるが、恐ろしいほどのポテンシャルを秘めている」
          「でも、たかが任意団体ですよ」
          「たかが任意団体、されど任意団体。君はまだ社会の恐ろしさを知らないからな。強固な地盤、人脈、いざとなったときに見せる団結力……羨ましい限りだ」
           ――羨ましいだってぇ!?
           思わず吹き出す俺だが、権藤先生の表情は真顔だ。何より目が笑っていない。
          「これ、君のお父さんからの差し入れだ。留置所にいる間くらい、これで人生を考えてみろとのことだよ」
           権藤先生は一冊の本を差し出した。どうやら税理士という仕事の魅力と大変さについて書かれた本らしい。
           ――何が税理士だ。もうウンザリなんだよ。馬鹿らしい。
           権藤先生との接見を終えた俺は、留置所に戻るや、その本をポイっと放り投げた。
           しばらく目すら合わさない俺だったが、何ぶん留置所には娯楽がない。仕方なしにその本を拾い直すと時間潰しにパラパラとめくり始めた。
           やがて、会計の仕訳について書かれた箇所に目を走らせた俺は、思わず呟いた。
          「ん。これって要するにプログラミングじゃん」
           どうやら両者には共通点があるらしい。例えば、プログラミングにおいて、ウェブサイトはHTMLやCSSが支えている。情報技術における共通言語といっても過言ではない。
           他方、会計は簿記に従い、財務諸表を作成していくビジネスの共通言語だ。HTMLがここにある有価証券報告書なら、CSSはその説明資料と言えよう。
           これまで親父を毛嫌いし、税理士に見向きすらしなかった俺だが、いつしかその隠れた魅力に気付き始めていた。
           ――いけ好かない親父だが、案外、税理士も悪くないかもしれない。
           その上で今一度、桜志会という組織を考えてみた。今回、俺を貶めたのがどこの誰かは分からないが、見事に救うキッカケを作ってくれた。もし桜志会というネットワークがなければ、俺の人生は完全に詰んでいたのだ。
          「権藤先生をもってして、あそこまで言わしめるとは、なかなか頼もしいじゃないか」
           俺は格好良さを感じつつ、改めてその名を呟いた。
          「桜志会、か」
           

           
           その後、俺の嫌疑は晴れ無事釈放されるに至ったのだが、今回の事態は俺に様々な教訓をもたらしてくれた。
           ――この世は人の繋がりだ。社会を敵には回せない。なら特別なコネクションを押さえ、そこから広がりを狙っていく方が効果的なんじゃないか。
           これまでろくに将来設計を考えることのなかった俺だが、改めて人生について考えている。その橋頭堡と位置付けたのが、税制だ。日本国憲法第三十条は、国民に納税の義務を課している。国家の国家たる拠り所といっても過言ではない。
           ――その根幹に位置するのが、税理士と言う訳だ。
           さらに俺の思索は、俺を陥れようとした謎の存在にも及ぶ。浮かび上がったのが、〈国境なき税務団〉なる組織である。
           何でもタックスヘイブンやマネーロンダリングに長けた組織らしいのだが、その詳細は不明でなぜ俺が狙われたのかも分からない。どうやら闇が深そうである。
           その後、ネットを終え家を出かけた矢先、俺のスマホに一本の着信が入る。その相手に舌打ちしつ、通話を受けた。
          「親父? 朝っぱらから一体、何の用だよ」
           嫌々ながらも応対する俺に親父は、思わぬ話題を切り出した。何でも次の土曜日に厚生部の行事があるらしく、そこに参加しろとのことである。
           本来ならそんな七面倒くさいイベントなど見向きもしない俺だが、今回ばかりはそうもいかない。何を隠そう、俺を絶望の淵から救ったあの桜志会のイベントである。
          「分かったよ親父、行きゃいいんだろう」
           俺は苛立ち混じりに応答するや、用は済んだとばかりに着信を切る。あからさまに嫌々を装う俺だがその実、かなりの興味を覚えている。
           ――桜志会、か……一体、どんな連中がいる組織なんだ。
           その実態を想像するだけで、ゾクゾクと興奮する己を感じていた。

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        • 一井 亮治
          参加者

             第二話
             
             次の土曜日、集合場所のテーマパークへと向かった俺に声がかかる。
            「優斗」
             振り返った先にいたのは、親父の五十嵐賢治だ。案の定、いつものお説教タイムである。やれ一分三十七秒遅刻だなんだと、事細かに俺を問い詰めてくる。その神経質な性格に俺は、ゲンナリだ。
             はや不機嫌オーラ全開となった俺だが、それを一変させる出来事が起きた。
            「優斗。先日、お前に弁護士を紹介してくれた税理士の鈴木先生だ。しっかり礼を言え」
             親父に促され、俺はその鈴木先生に頭を下げる。やや中年太りのいかにも優しげな鈴木先生だが、驚くべきはその傍らに控える娘さんである。
             歳は俺と同じくらいか、やや色黒ながらも黒い装いに清楚な佇まいを見せるその容姿は、実に別嬪だ。いかにもお嬢様といった雰囲気を醸し出している。
             聞けば兄を税理士にもつ末っ子だという。
            「おほほ……ご機嫌よう。鈴木聖子と申します。よろしくお願いしますね。優斗君」
             丁寧に腰を折る鈴木聖子に俺も挨拶で応じる。実に大人しげな優等生といった感じだ。その後、しばし談笑の後、親父は鈴木先生を連れて、他の先生への挨拶に去っていく。
             その背中を見送った俺だが、ふと傍らの鈴木聖子を見て目が点になった。
            「えっ。や、ちょっ……鈴木さん……」
            「聖子でええよ。何?」
            「何って、タバコは……」
            「あぁコレ? アンタもやる?」
             一本差し出す聖子に俺は、慌てて手を振りその好意を拒む。聖子は、ふんっと鼻を鳴らすや、先程までとは打って変わって、いきなり毒気付き始めた。
            「なんでこんな土曜にうちが付き合わされなきゃならないんだか。けっ、バカらしい。かったるいわ。どうせアンタも同じクチでしょ。優斗?」
             スイッチが入ったのか、いきなり呼び捨てタメ口モードに豹変する聖子に、俺は開いた口が塞がらない。だが、聖子は構うことなく続けた。
            「優斗、色々聞いてるよ。ネットで下手打ってポリにパクられかけたんだって? しかも、相手はあの国境なき税務団らしいじゃん」
            「あ、あぁ……そうらしい」
            「そうらしいってアンタ、自分のことでしょ。なに人事みたいになってんのよ。まぁいいわ。で、これからどうすんの?」
            「どうするって?」
            「進路! 決まってんじゃん。税理士って結構、イバラの道よ。いずれ全部AIがやるようになる。私達はさながら絶滅危惧品種ってわけ」
             自嘲する聖子に俺は言葉が見つからない。それでも何とか話を繋ぐべく問うた。
            「その……聖子は国境なき税務団の事は、詳しいのか?」
            「まぁね。とにかく厄介な連中よ。目をつけられたアンタには、同情するわ」
             聖子は俺に微笑を浮かべつつ、スマホを取り出し、俺に顎をしゃくる。何事かと訝る俺に聖子が苛立ち混じりに言った。
            「アンタの連絡先よ! 国境なき税務団の動き、色々分かるからその都度、教えてあげるって言ってんの」
            「あ、そうか……助かる」
             俺はカクンと首を振るや、自身のスマホに聖子のアドレスを登録しつつ、素朴な疑問を投げかけた。
            「でも聖子。何で俺にそこまで?」
            「ふふっ、うちはな。強い奴が好きなんや。アンタ、随分とネットで腕が立つらしいね。なんかやって見せてよ」
             スマホを差し出す聖子に、俺は戸惑いつつも、とあるサイトに接続し簡単なプログラミングを施した。それは違法ではないものの、グレーゾーンのギリギリをついたテクニックだ。
            「聖子、これで国際電話をタダでかけられる」
            「え、何それ! マジ!?」
            「あぁ、ただ三日間だけどね」
            「へぇ……優斗、アンタって超便利ぃ」
             どうやら俺は聖子のお気に入りになったらしい。その後も盛んに話しかけてくるのだが、その内容が実にラジカルだ。何でもかなりの格闘技マニアらしく、自身も新たな流派を見つけては門を叩き、教えを乞うばかりか道場破りまでこなす強者だという。
             ーーこれは、とんでもない跳ねっ返り娘だ。
             俺は半ば呆れつつも、問うた。
            「じゃぁ聖子の進路は、プロの武道家なのか?」
            「またこれだ。男ってのは皆、発想が貧相。そんなケツの穴の小さい未来、誰も描いちゃいないわよ」
             聖子は人差し指をチッチッチッと振るや、自らのとんでもない構想をぶちまけ始めた。曰く、世界を舞台にサイバー空間で電脳格闘大会を開催したいと言う。
            「優斗、ハッカーオタクのアンタと格闘技マニアの私で組んでみない?」
            「ちょっと待ってくれ。大体、俺達まだ学生だぜ。どうやって資本を……」
            「クラファンよ。はじめは個人事業でいいじゃん。いずれ法人成りさせ上場を目指し、世界へ打って出る」
            「それが聖子の描く将来像なのか?」
            「違う。将来じゃなくたった今、始まったのよ。私、これまで何かが足りなかった。構想を練っても最後のワンピースが見つからなかったの。でも今、見つかったわ。優斗、アンタよ」
             どこまでも捲し立てる聖子に、俺はまるでついていけない。察した聖子が諭すように続けた。
            「あのね優斗、時代は変わったの。いい学校を出て有名企業に入り定年まで勤め上げる。社会が右肩上がりだった頃は、そのアナログな価値観がプラスに働いた」
            「今は違うのか?」
            「えぇ、国や会社におんぶに抱っこじゃ凌げない。日本は厳しい局面を迎えていくわ」
            「俺達の未来は真っ暗ってわけか」
            「それも違う」
             どう言う事なのか、意を察しかねる俺に聖子は、鼻息荒く続けた。
            「いい? たとえ社会が没落しても、個々として成功していくことは十分に可能なの。組織につかえる時代じゃない。逆にこちらから組織を利用し、個々の才能で未来を切り開く時代なのよ」
            「つまり、聖子にとって桜志会は……」
            「夢を叶えるためのツールよ。桜志会の兄を通じ、親睦と研鑽の先に皆で成功を掴む。父も言ってるよ。楽しくない桜志会なんて桜志会じゃない。ゾクゾクしてこその任意団体だって」
             聖子が示すビジョンに俺は、改めて感じ入っている。確かに内容は破天荒なのだが、不思議な説得力を伴っていた。
             
             
             
             その後、俺達は皆と一行になってテーマパークを回っていく。無論、その間も聖子の与太話は続いている。熱く夢を語り尽くすその様は、まさにゴーイングマイウェイだ。
             ――一体、どこまで続くんだ。
             途切れることのない談話に半ば呆れ気味の俺だが、なぜか飽きは来なかった。それどころか触発されたように沸き起こるフワフワとした高揚感を実感している。
             それは夢であったり希望であったり、いつしか現実の生活に埋没していったものだ。そんな楽しいひとときを過ごした俺の心は、気がつけば聖子一色に染まっていた。
            「じゃぁね。優斗」
             夜のイルミネーションが煌めく中、父や従兄らとともに去っていく聖子に俺の心は締め付けられるような苦しさを感じている。
             ――俺はどうしてしまったんだ。
             なぜか迸る感情を抑えることが出来ない。溢れる想いはいつしか切なさに変わっていく。俺は悟った。どうやら恋に落ちてしまったみたいだと。
             その後、父とも別れた俺は熱に浮かされたようにフワフワと帰路についていく。その心はもどかしいほどに痛かった。

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          • 一井 亮治
            参加者

               第三話
               
               街がクリスマスに色づいている。その聖夜、勇気をしぼった俺は聖子をデートに誘い出すことに成功した。
               ……よしっ!
               思わず俺は、拳を握り締めガッツポーズを取る。ガラにもなくデートコースの予習までし、万全の体制で聖子と再会した。
              「お久〜」
               手を振る聖子に緊張を覚える俺だが、会ってしまえば完全に彼女のペースである。いつしかデートは名ばかりとなり、聖子が夢みる電脳バトルプロジェクト談義へと成り果てていく。
               それでも、この特別な日に聖子を独占出来る事が何より嬉しかった。
               ――このまま何とかデートコースに連れ戻して聖子に告白を……。
               ヨコシマな気持ちを隠しつつ機をうかがう俺だが、不意に聖子の足がぴたりと止まる。何事かと怪訝に感じた俺が聖子を見ると、目が一点に釘付けになっている。不審に思いその方向を見た俺は、思わず声を上げた。
              「何だあれは!?」
               それはビルの壁面を彩る大型LEDビジョンに映し出された映像だ。普段なら広告が流れるべき画面に、一人の男が映り盛んに叫んでいる。
               しかも、その内容がちょっと尋常でない。反税で無政府主義で急進的である。
               ――広告用の画面がハッキングでもされたのか?
               首を傾げる俺に聖子が苦虫を噛み殺したような顔で言った。
              「国境なき税務団よ」
              「え、あの男がか!? 以前、俺を嵌めようとした」
              「そう、ジョン黒田……国境なき税務団を牛耳るボスよ。ここに現れるなんて一体、どう言うつもり?」
               自問する聖子に俺も若干の動揺を覚えている。謎に満ちたその正体は未だに不明。ただ、今何かを始めようとしていることだけは確かだ。
               やがて、スピーチが終わったのか、ジョン黒田は指をパチンと鳴らした。その途端、映像がカウンドダウンに切り替わる。
               訳も分からず突っ立つ俺達だが、その数字がゼロを刻んだ途端、一帯は惨劇の間へと変わった。街角の全てが爆風で吹き飛ばされたのだ。
               周囲が炎に飲まれる中、どこからともなく黒の迷彩服に身を包んだ集団が現れ、逃げ惑う人々に機銃照射を浴びせていく。
               ――テロだ!
               振り返る俺は、はたと聖子がいないことに気付き、目を走らせ息を飲んだ。あろうことか聖子は、自動小銃で武装した集団に素手で戦いを挑んでいる。
               その強さたるや凄まじい。次々に男達を薙ぎ倒していく。
               だが、あまりに多勢に無勢だ。そうこうするうちに一人の男が、聖子に狙いを定めた。
              「危ないっ!」
               俺は聖子に声をあげ、その男に体当たりをかました。何とか照準はそれたらしい。急所は外れたものの、弾は聖子をかすっていく。
              「聖子!」
               叫ぶ俺だが、男は自動小銃のグリップで俺の後頭部を叩きつけた。その激痛に俺は倒れ込む。見上げる先にあるのは、銃口を向ける男の顔だ。
               流石に観念した俺だが、その引き金が引かれることはなかった。聖子の飛び膝蹴りが男の顔面に叩き込まれたのだ。
              「優斗!」
              「だ、大丈夫だ。スマン。助かった」
               俺は聖子の差し出す手を取り立ち上がる。その視線は自然と壁面の大型LEDビジョンへと向かった。なんと再びカウントダウンが始まっている。
              「どうやら次があるみたいよ」
               聖子がビジョンを睨みつける中、俺は周囲に目を走らせる。そこでボスらしき男が持っていたノートPCを見つけ、駆け寄った。
               ――頼む。動いてくれ。
               祈るような気持ちで電源スイッチを押すと、ヒビの入った画面が立ち上がった。俺はすかさず、システムを立ち上げる。そこへ聖子が駆けつけた。
              「聖子、血が……」
              「構わない。優斗、いいから教えて。私、どうしたらいい?」
              「これを頼む」
               俺が手渡したのは、ノートPCの近辺に転がっていたコード表だ。それを聖子に読み上げさせて解読していく。
               そうしている間も大型ビジョンのカウントダウンは続いていく。
               ――頼むぜ。間に合ってくれ……。
               俺は指をキーボードに走らせ、現場の突貫でプログラムを組んだ。やがて、画面にハッキング成功の文字が踊る。
              「よっしゃっ。いくぜ!」
               俺は聖子と目配せの後、エンターをキーパンチで叩き込みテロシステムの中断プログラムを走らせた。あとは、どちらが早いかの勝負である。
               ――行け。間に合え。
               固唾を飲んで見守る中、ついにその願いが叶った。大型ビジョンのカウントダウンが止まったのだ。どうやらさらなる被害の食い止めには成功したらしい。
              「私ら、助かったんや、な?」
               半信半疑の聖子に俺は力強くうなずく。強心臓でなる聖子も流石にこれには、安堵したらしい。ほっと一息つくやその場に倒れ込んでしまった。
               
                 
                
               その後、警察や消防、救急が駆けつけ一帯の秩序が回復する中、傷の手当を受けた聖子がポツリポツリと話し始めた。
               なんでもあのジョン黒田は以前、税務当局と一悶着あった曰く付きの国際手配犯らしい。税理士業界と袂を分つや闇落ちし、国境なき税務団の構成員として国内外を問わず陰謀を張り巡らせているという。
              「しかし、なぜあんなテロを? しかも俺達の前でわざわざカウントダウンまでして見せて」
              「それがアイツの手口なのよ。周りくどい演出で私らをいたぶり動揺する姿に興奮を覚えるサイコパス、完全にイカれた異常者ってとこね」
              「ふーん。つまり、俺はかなりヤバい奴に目をつけられたってことか。しかし聖子、その情報ってあれか?」
              「そ、桜志会よ。メンバーの一人の岡本って先生が警察と太いパイプを持っていてね。海外の組織のこととか色々、情報が入るのよ」
              「そうなのか、ふむ……」
               俺は改めて桜志会が持つネットワークに驚きつつ、徐ろに切り出した。
              「聖子、その岡本先生なんだが、直に会うことは出来るか?」
              「そう言うと思ったわ。もう呼んでる。ほら、あそこ」
               聖子が指差す方向を見ると、一台の車が滑り込んできた。運転席には、四十代半ばと思しき恰幅のいい男性が手を振っている。
               俺は聖子に連れられ、岡本先生にペコリと頭を下げるや後部座席へと乗り込んだ。やがて車が高速に入ったところで、さりげなく本題へと切り込む。
              「あの、岡本先生。国境なき税務団の目的って何なんでしょうか?」
              「日本への復讐と独立国の建設さ。国際的な承認を狙っている」
              「え……や、ちょっと待ってください。大体、建国なんてどこに?」
              「サイバー空間だ。形態としてはイスラム国に似ている。反税を教義とするアナーキでカオスな連中さ。今、防衛省が奴らのサイバー戦に備え、攻性の組織を模索している」
               あまりの内容に唖然とする俺に、聖子が補足説明を入れた。
              「国って煎じ詰めて言えば、徴税権でしょ。彼らはそれを狙っているの。知っての通り、日本は天文学的な財政赤字を抱えているよね。それを意図的にデフォルトさせ、制約に束縛されたリアル世界から、より自由で流動的なサイバー空間に移し替えようって訳」
              「えらい過激だな。よく分からんが、以前に流行ったセカンドライフみたいな奴か?」
              「まぁね。SNSプラットフォーム、つまり、ネット上の仮想空間に和のアイデンティティを設ける。少子高齢化と財政難に喘ぐ日本をリアルから分離し、現実的には難しい移民の受け入れや資金移動をデジタルでスムーズに行い、サイバー上で高度経済成長を再現させようってプランね」
              「それはまた……随分と進んでいる」
              「えぇ、でもそれって困るのよ。日本が色々問題を抱えつつもやりくりが出来るのは、世界最大の対外純資産を持つ債権国だから。でも国境なき税務団の考えでは、国という括りがない。国富を止めておくことが出来ないの。そこに仕手筋が入ってくる」
               聖子や岡本先生の熱心な説明に、旧態依然とした俺の頭が切り替わっていく。
               ――国家、民族、言語、文化……境目が消えていく。物質に依存しなくなる。今、まさに漫画や映画の世界が現実になろうとしているんだ。
               地殻変動ともいうべき変化の波に、俺の心は大いに揺れていた。

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            • 一井 亮治
              参加者

                 第四話
                 
                 ジョン黒田率いる国境なき税務団のテロ事件は、世間に大きな衝撃を与えた。
                〈日本の平和神話崩壊〉
                〈凋落と没落〉 
                〈水と安全はタダではなかったのか〉
                 等々、ショッキングなタイトルが週刊誌を賑わしている。
                 そんな中、思わぬ反響が聖子に寄せられた。テロリストを一網打尽にしていく様がマスコミに収められたらしい。その様子がテレビで放映されるや、たちまちネットはお祭り騒ぎとなった。
                 あまりの熱狂ぶりにスポンサーの打診まで来たほどだ。今日も聖子の所属ジムには、マスコミが訪れ練習風景の取材の真っ只中だ。
                「あさま山荘事件のカップヌードルじゃないけどさ。私、この機会をものにしようと思う」
                 練習後の取材を終え、着替えを済ませた聖子が鋭い目で抱負を語る。無論、俺も異論はない。ただ若干の寂しさは感じた。まるで聖子が自分の手の届かないところへ飛んでいってしまいそうな喪失感を覚えたのだ。
                 その旨を説明すると、聖子はケラケラと声をあげて笑いながら、俺の胸を拳でゴツく。
                「何言ってんの。アンタと私はパートナー、でしょ?」
                 ――パートナー、か。あくまで俺は世に出る道具で、恋愛の対象ではないんだな。
                 ますます落ち込む俺は、聖子とともにジムを出て大阪環状線を移動していく。
                 実はこれからスポンサーを打診してきたEスポーツのベンチャー企業〈谷口エンタープライズ〉に赴くのだが、これを機にこちらも自らの構想のプレゼンを目論んでいた。
                「早い話がエレベーターピッチよ」
                 聖子は断言する。エレベーターに乗っているような短い時間で相手にプレゼンする手法を指し、多忙な投資家にビジネスアイデアの魅力を数十秒で伝え切るシリコンバレー用語だ。
                 人生の勝負を前にした聖子の気合いたるや半端ではない。何度も窓にうつる自身の髪型を入念に確認している。
                 そんな最中、不意に彼女の目がギョロリとこちらに向いた。何事かと戸惑う俺だが、聖子は構うことなくじーっとこちらを見つめながら一言、ボソッと呟いた。
                「地味ねぇ」 
                「え、何が?」
                「アンタよ。前から思ってたんだけど、そのダサい赤メガネとオタクっぽい髪型、なんとかならない?」
                「無理だよ。だって、オタクなんだから」
                「違う。私達はまだ学生だけど、心の中はもう起業家になったの。今、変わらなきゃいけないのよ。幸いまだ時間はある。次、降りるよ」
                「お、おい聖子……」
                 戸惑う俺だが、聖子はお構いなしだ。俺の腕を鷲掴みにするや、ズルズルと引き摺り下ろしてしまった。
                 ――この行動力だけは、叶わないな。
                 もはや諦観気味な俺は、言われるがままに聖子のオモチャと成り果てる。近場にある顧問先の撮影スタジオをいきなり訪れ、事情を説明した。
                「ちょっと社長、このどうしようもないナリ、なんとかしてやってよ」
                 散々な言われようだが、社長は心得たようで、次々に俺をコーディネートしていった。
                 まず髪型が変わった。次にメガネがコンタクトとなった。どんどん変化していく自身の姿に俺は気恥ずかしさを隠せない。
                 ただその一方でこれまで知らなかった自分を再発見する様な興奮を覚えている。やがて、最終形態まで達したところで俺は、聖子と鏡を覗き込む。
                 ――これが、俺?
                 何とも複雑な心境だが、イメチェンにより確かにオタク臭は薄くなった様である。傍らの聖子も不満はあるらしいが、取り敢えず及第点を出した。
                「まぁいいでしょ。もう時間がないしね。行くよ」
                 聖子は照れの残る俺をスタジオから引き摺り出すや、プレゼン先へと走って行った。
                 
                 
                 
                 さて、そのエレベーターピッチだが、どうやらうまくいったようだ。谷口エンタープライズの担当者は大いに乗り気で、なんと社長まで紹介してくれた。
                 これがまた若い。二十代半ばの女社長である。
                「うちはベンチャーだからね。こんなもんよ」
                 笑って見せるその社長の名を谷口早苗という。ピンクの派手なスーツを纏う覇気に溢れた容姿は、かつてのヒルズ族を彷彿させる何かがあった。
                 やがて、谷口社長は俺達をランチへと誘う。思わぬご馳走にありついた俺達は、気分がホクホクだ。イタリアンの小洒落た店で、パスタを頬張りながら俺は言った。
                「今、二十代でおられるってことは、起業は十代ですか?」
                「えぇ、大学の在学中に立ち上げたわ」
                「じゃぁ、大学は」
                「中退よ」
                 あっけらかんと言ってのける谷口社長に、俺は驚きを隠せない。普通は卒業までの数年くらいは我慢して在学するところだ。
                 その旨を問う俺への返答は早かった。
                「待てなかった。たかが数年と侮るなかれ、よ。だってスマホがあれば、起業なんてすぐなんだから」
                「就職は考えられなかったんですか?」
                「考えた。けど気づいたの。あ、これかえって遠回りだわって」
                 ――遠回り……。
                 その言葉は俺の心に大きく響いた。普通は安定を求め大企業の正社員になる選択肢もあるところだが、これを谷口社長は明確に否定したのだ。
                 さらに谷口社長は続ける。
                「私は人生という一大ギャンブルゲームに勝ちたいの。資本の投下先はビジネスプランより目で決める。あなた達の目、死んでいない。何より夢にブレがない。前向きに検討してみましょう。ただ一つ、条件があります」
                 聞き耳を立てる俺達に谷口社長は言った。
                「桜志会よ。私はあなた達が持つコネクションに接触したい。それが叶うなら」
                 ――やっぱり目的はそこかぁ、だよな。普通は未成年の俺達なんか相手にしない。
                 冷徹な現実を前に保留を考えた俺だが、聖子は違った。何と親兄弟に相談もなく、この条件をその場で了承してしまった。
                 流石にそれは先走り過ぎるんじゃないかと懸念する俺だが、聖子は構うことなく話を進めていく。そのスピード感に俺は全くついていけない。
                 やがて、ランチを終え谷口社長と別れた俺は、聖子に言った。
                「なぁ聖子、いくら何でも即答が過ぎないか? 俺達、まだ高校生だぜ」
                 しばしの沈黙の後、聖子が口を開く。
                「それが、もともとだから……」
                 つまり、ダメ元で仕掛けた事業だから、失敗前提での決定もやむを得ないと言いたいらしい。とは言え今回の件に迷いも覚えているようだ。
                 勝手な判断は身を滅ぼす。少なくとも身の丈にはあっていない。親や兄の税理士業を通じ破産する顧問先を幾つも見てきただけに、そのリスクを聖子は実感している。
                 ためらいがちな聖子を傍らに、俺は腕を組み考慮の後、腹を括った。
                「もうルビコンを渡っちまったんだろ。大体皆、身の丈にあってないっていうけどさ。身の丈にとどまっているうちは、成長もない。身の丈を超えてこその事業だ。でっかく飛ぼう」
                 聖子は視線を動かすことなく、一点を見つめ続けている。俺はさらに続けた。
                「皆、民主的な話し合いを美化するけどさ。結局、決めるのは事業主だ。なら独裁者になろう。聖子も言ったじゃないか。この機を逃したくない。今は変わるときだって。俺は聖子の勘を信じる。戦友としてな」
                 自信や確証があったわけではない。どちらかというと保守的な俺だが、今回ばかりは吹っ切れた。
                 さらに言葉を重ねようとした俺だが、聖子にはこれで十分だったらしい。黙ったままうなずくや、横からそっと手を差し出した。意を察した俺は、その手をギュッと握り締める。
                 聖子の手は、微かではあるが震えていた。

                 聖子が現場判断で持ち帰った事業案だが、案の定、周囲から怒りを持って迎えられた。
                〈ベンチャーごっこも大概にしろ〉
                〈学生の本分は学業だ〉
                〈うちの事務所を潰す気か〉
                 等々、俺も聖子も大いに怒られた。事業の中止すら仄めかされたが、ここで事態は意外な方向に急変する。発端は日本の経済界だ。
                 世界でも屈指の規模を誇る四橋グループが、シリコンバレーにある米中の合弁会社からM&Aを受け買収されたのである。いわゆる現代の黒船であり、紅いハゲタカだ。
                 これが世間の空気をガラリと一変させた。
                〈即断の出来ない日本〉
                〈ベンチャー嫌いのツケ〉 
                〈過剰品質な製造業一辺倒の功罪〉
                 等々、これまた散々な叩かれようとなった。日本全体が浮き足立つ中、桜志会が動く。執行部の一人である園田先生が俺達のベンチャー事業に興味を抱き「あくまで自己の責任の範囲内で」と前置きの上で、谷口エンタープライズの事業に会計参与することとなったのだ。
                「園田先生って確か……」
                「そうだ。お前が以前、お世話になった権藤先生の親戚だ」 
                 親父は苦虫を噛み殺したような顔で答える。いかに時代遅れの頑固者とはいえ、流石に昨今の日本の凋落ぶりに見かねるものがあったらしい。俺と聖子の事業を許容してみせた。無論、学業を疎かにしないことが前提ではあったが。
                 かくして俺達の事業は首の皮一枚でつながることとなった。以後、俺達は桜志会と谷口社長、さらには国境なき税務団のジョン黒田をも巻き込んで、世間に爆弾級の衝撃を与えていくことになる。

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              • 一井 亮治
                参加者

                   第五話
                   
                   国境なき税務団が新たな犯行声明を出した。某金融機関へのハッキングにより、多額の暗号資産を強奪したらしい。
                  「サイバー空間に和のアイデンティティを構築し、デジタル国家ニホン建国の原資とする。我こそはと思わん者は、我々の活動に参加されたし。衆愚と化した日本と違い、我がニホンは来る者を拒まない。デジタル移民も歓迎しよう」
                   動画サイトでビジョンを語るジョン黒田の鼻息は荒い。
                   一方、これを危険思想と捉える警察はジョン黒田を知能犯と断定し、その捜査を二課のベテランでなる池口に託した。ただ捜査は難航している。そこで我らが桜志会に対し、水面下での協力を求めてきた。
                  「岡本先生って覚えてる?」
                   ファーストフード店で軽食を取りながら問いかける聖子に、俺は記憶を辿った。
                  「確か以前、会ったよな。元税務署出身で警察と太いパイプがある先生だとか」
                  「そう。その岡本先生が捜査二課の池口さんと旧知の仲でね」
                  「まぁ警察と税務署って似て非なる捜査機関だからな。けど俺達に協力を打診されても困るぜ」
                  「それを何とかするのが、アンタのシ・ゴ・ト」
                   聖子は笑いながら人差し指でトンっと俺の鼻を叩く。俺は「分かったよ」と投げやりにうなずきつつ何をすべきかを問うた。
                  「これよ」
                   聖子は、一本のレポートを取り出す。早速、目を走らせた俺だが、思わず唸ってしまった。
                  「つまり、俺に対国境なき税務団戦を想定した人工知能を作れと」
                  「そ、もし出来れば、私達は最強の捜査官庁とタッグが組める。しかも、そのAIはデジタル格闘大会にも応用できる。まさに一石二鳥じゃない」
                   ――随分、簡単に言ってくれるぜ。
                   俺は困惑を通り越し呆れている。とは言うものの、複雑ではあるが不可能でもなさそうである。
                  「聖子。この話、受けてもいいが人手がいる。それもかなり特殊なな」
                  「アンタのハッカー仲間で何とかならないの?」
                  「一人いるが……前科持ちで今も違法スレスレのグレーゾーンを凌いでる半汚れだ。通称、ミスターD。腕は一級品だが……ちょっと色々ヤバい」
                  「結構よ。会える?」
                  「俺は会ったことはないが、連絡は取れる」
                  「行きましょう」
                   聖子はすぐさま立ち上がる。
                   ――相変わらず、抜群のフットワークだな……。
                   俺は感心しつつ席を立ち、店を出てミスターDと連絡を取った。指定された場所に向かうと、一台のバンが止まっている。インド系と思しき男が、片言で何かを言っている。どうやら乗れと言っているらしい。
                   それだけではない。車内で袋らしきものを渡された。
                  「ソレで顔、被れ」
                   どうやら居場所を特定されたくないらしい。やむを得ず俺達は、言われるがままにその袋を顔に被るや、ミスターDのアジトへと連れて行かれた。
                   
                   
                   
                   どれほど時間が経っただろう。車から降ろされた俺達は地下室に通され、顔の袋を外された。目の前には鉄の固い扉が閉じられている。促されるまま扉を開けた俺は思わず声を上げた。
                  「何だよ。地下カジノか」
                  「優斗、どう言うこと?」
                  「分からん。とにかく付き合おう」
                   俺は促されるがままに賭場を進んでいく。やがて、離れのテーブル席へと通された。そこにいたのは、サングラスをかけた黒人の男である。
                   歳は四十前といったところか。とにかく怪しさ満点だ。
                  「やぁ、初めてお目にかかる。優斗、聖子。私がミスターDだ」
                   ミスターDは笑みを浮かべ歓迎の仕草を見せるのだが、丸坊主の頭といい趣味の悪い赤ジャケットといい、まるで映画に出てくる悪役である。
                  「ミスターD、要件は電話で話した通りだ。答えを聞こう」
                   返答を求める俺だが、ミスターDは意味深な笑みを浮かべながら言った。
                  「優斗、今の私はお前達を国境なき税務団に売り飛ばすことも出来る。何せお前はジョン黒田のお気に入りだからな」
                  「早速、脅しか? 悪いが条件交渉をする気はない」
                  「おいおい優斗、あまり私を舐めない方いい。変死体として大阪湾で発見されたくないだろう」
                   余裕の表情を見せるミスターDだが、これに思わぬ返答を寄越したのが聖子だ。
                  「そう言うオジさんこそ、私達を舐めないことね。私達には……」
                  「桜志会か? ふん、生意気な娘だ」
                   ミスターDは憤慨気味に鼻を鳴らすや、口を固く閉じた。その後、かなり気まずい沈黙が流れたが、その静粛をミスターDが破る。
                   徐ろに散らばったトランプを集めるや、シャッフルの後、俺達の前に配ってきた。
                  「優斗、勝負だ」
                  「ほぉ、いいだろう。イカマサは無しだぜ」
                   俺は徐ろにトランプを取る。目を走らせるとフォーカードが揃っていた。
                   ――あり得ない。やはりイカサマか。だとするなら……。
                   俺は大胆にもそのカードを全て捨てた。流石のミスターDもこれには肝を抜かれたらしい。
                   その驚きの表情を俺は見逃さない。次なるカードを5枚受け取ると、中身を見ることなしに伏せた。
                  「優斗、何の真似だ。カードを見ないのか?」
                  「あぁ。お前と同様に俺もそれなりの行為で応じようと思ってな。ノールックのポーカーだ。どうだミスターD、お前の好きなカネがここに落ちてるぜ」
                   大胆にも挑発と誘惑を見せる俺にミスターDは、じっとこちらを睨んだ後、自らの手札を投げ出した。
                  「オーケー優斗、全てお見通しって訳か。よかろう。お前達の勝ちを認める。条件はフィフティーフィフティー、どうだ?」
                  「何だ、半分も持っていくのかよ」
                   俺は不満げな顔で応じつつ、その一方で意外さも感じている。
                   ――悪くない。奴としては随分と踏み込んだ条件だ。
                   俺は聖子と目配せの後、その条件に応じた。
                   そこからは普通の商談である。データのやり取りやカネの送り先など、実務的な内容を話し合い詳細を詰めた後、俺は聖子とカジノを後にした。
                   再びバンで送られ解放された俺達は、ともに帰路につく。そこで聖子が意外そうに問うた。
                  「なんでノールックのポーカーなんて仕掛けたのよ」
                  「アイツのいつもの手なんだよ。俺達をイカサマのカードで満足させ、次のカードでそれを上回るカードを用意する。とにかくやることなすこと全てが姑息でケチでイカサマ臭い。本当にどうしようもない奴だよ」
                  「ハッカーの腕以外は、ね」
                  「まぁな。ともかく最大の障壁は崩した。あとは奴といかにAIを組むか、だ」
                   感慨深げに夜空を仰ぎつつ、俺は今回のミッションの算段を見繕っている。そんな俺に聖子が問うた。
                  「そのAIだけど、完成の見込みはどのくらい?」
                  「フィフティーフィフティー」
                   俺の即答に聖子は、苦笑を交えつつ肩をトンっと叩き言った。
                  「期待してるわよ。優斗センセ!」
                   

                   
                   ミスターDを味方に巻き込んだ俺は、AIの構築に没頭している。何と言ってもサイバー空間上に人工的なデジタル生命体を宿すのだ。自然と作業も特殊にならざるを得ない。
                   ただ幸いにも学校は冬休みだ。俺は部屋で缶詰になってAI構築に勤しんだ。そんな最中、陣中見舞いに訪れたのは聖子だ。
                  「差・し・入・れ。どう? 上手くいってる?」
                  「作業としては60パーセントと言ったところだな。人格の付与がうまくいかないんだ」
                  「フフッ、まぁ一息いれなよ」
                   聖子は疲れ切った俺の顔を見るや、笑顔で家の台所に入り込み、見事な包丁さばきで海鮮サラダを作り上げた。
                   一服を兼ねて軽食に呼ばれた俺は、一口頬張り驚きの声を上げる。
                  「えらい美味いな」
                  「でしょ。最近出来た業務スーパーがいいもの仕入れててね。アンタだったら絶対食いつくと思って買ってきたわ」
                  「助かるよ」
                   俺はほっと一息つくや、海鮮サラダを頬張りつつ現状を話していく。
                  「難しいのは人格の再現とその法的地位だ。哲学がいる」
                  「哲学? あの浮世離れた学問?」
                  「そう思うだろう。だが現実は違う。哲学の整備が倫理を確立し、科学者や医学者や立法者を研究の憂いから解放した。つまり、哲学は全ての学問の礎なんだ」
                   俺は力説するものの、聖子は今一つ理解が及ばない。補足すべく俺は続けた。
                  「例えば税理士は、税法に立脚しているだろう。その際にAIという擬似人格を法的にどう捉えるかで色々、変わってくる。何せ自然人にも法人にも当てはまらないからな」
                  「みなし個人の論点ね」
                  「そう。AIに一定の権利義務を与えるべきか否か。あとはテクニカルな問題として、人格再現が上手くいかない」
                   俺はPCを前に懇々と現状を晒していくものの、内容が内容だけに複雑だ。ただそこは聖子で大雑把に要所を押さえつつ、思わぬ案を提示した。
                  「その擬似人格、私がこの身でデータを提供しようか?」
                   これには、俺も言葉を失った。架空の人格の付与に失敗してきただけに、実在の人物から人格を抽出する発想が思い浮かばなかったのだ。
                   ただ、あまりにセンシティブで、俺はその一歩を踏み切ることが出来ない。何より聖子をデータ提供者とすることが怖かった。
                   ――もしなにかあれば、聖子に危害が及ぶ。そんなこと、絶対に許容できない。
                   大いに迷う俺だが、その心を聖子の一言が貫く。
                  「私は大丈夫、アンタを信じてるから」

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                • 一井 亮治
                  参加者

                     第六話

                     かくして俺は聖子のパーソナルデータを基にAIによるデジタル生命体を模索することとなった。
                     力になってくれたのは、谷口社長だ。若手の敏腕エンジニア・早瀬隼人さんとラボを提供してまで、このプロジェクトを応援してくれた。そんな甲斐もあって、ついに対国境なき税務団のAI〈セイコ01〉の構築に成功した。
                     今、俺達はそのセイコ01をネットの海に放とうとしている。
                    「突貫作業の付け焼き刃だが、当分の活動に支障はないと思う」
                     改めて意義を自らに言い聞かせる俺に、聖子も同意する。傍らで見守る谷口社長も言った。
                    「たとえ付け焼き刃でも、何度も叩けば本物になるわ。ついに私達はここまで来た」
                    「試験的とはいえ、本格投入は世界初だ。心の準備はいいかい?」
                     丸メガネがお似合いの敏腕エンジニアである隼人さんに覚悟を問われた俺は「はい」とうなずいた。やがて、画面にミスターDから投入準備完了の着信が入る。
                     俺は興奮に胸打つ鼓動を抑えながら、宣言した。
                    「行こう。セイコ01、投入開始!」
                     エンターのキーパンチとともに、俺達のAIがサイバー空間へと投げ出された。
                     ――どうだ。いけるか?
                     皆が注視する中、画面上のセイコ01は、戸惑いを見せている。やがて、その時は来た。セイコ01が、自らの意思でラボから世界を覆うネットの海へと飛び立っていったのだ。
                     その瞬間、ラボに歓声が沸き起こった。まさに、ヒナの巣立ちだ。全身に鳥肌が立つような興奮と溢れ出るドーパミンに、俺は感涙を抑えられない。
                     それは、ネット上でも同様である。
                    〈凄いっ! プログラム生命体だ〉
                    〈まさにサイバー戦士〉
                    〈デジタルファイターの誕生だ!〉
                     次々と寄せられるカキコミがSNSに溢れ返っていく。それは、まさに歓喜の瞬間だ。テーブルをひっくり返したような大反響に、俺達は皆、酔いしれた。
                     さて。このセイコ01の誕生だが、世界は衝撃をもって迎えた。本来、リアル世界にしか存在すべきでない命が、ネット上に宿ったのである。しかも、その生命体には戦闘力が付与されている。
                     真っ先に反応したのが、国境なき税務団だ。ジョン黒田は、すぐさまこれを非難する声明を発した。
                    〈彼らが開けたのは、パンドラの箱だ。我々はこれを許さない〉
                     その他にも各国から様々な反響が返っていく。それは賛否両論ではあるものの、これだけは確かだ。
                     ――俺達は今、世界を変えた。ルビコンを渡ったのだ。
                     その意味を俺達は後々、身をもって知ることとなる。
                     
                     
                     
                     大っぴらに世に出ないものの、縁の下で機能するネットワークが桜志会だ。特に今回のセイコ01の成功に関しては、その側面が強い。
                     関西のベンチャーがファーストペンギンとして名乗りを上げたことに、世界は驚いている。これに複雑な眼差しを向けるのが、親父だ。曰く「目立ち過ぎだ」と。
                     だが、ここで意外な助け舟が現れる。
                    「明日、母さんが一時帰国する」
                     父からその知らせを受けた俺は驚きを隠せない。何せ母はずっと出て行ったきりだったのだ。もっとも俺に言わせれば、母が家を出た原因は父にある。
                     ――全て自分の思い通りにならないと気が済まないアンタのせいで母さんは出て行ったんだよ。
                     口にこそ出さないものの、俺は心の底でそう思っている。
                     何はともあれ俺と親父は、母の帰国を出迎えるべく空港へ向かうこととなった。本来ならば親子水入らずとなるべきところだが、ゲストを迎えている。聖子だ。
                     母たっての希望らしい。幸い聖子も嫌な顔をすることなく同意してくれた。親父が運転する中、後部座席で俺は聖子に礼を言う。
                    「悪いな聖子、突然の来訪に付き合わせてしまって」
                    「気にしないで。それよりアンタの母さんってどんな人なのよ?」
                    「うーん……一言で表現するならマッドサイエンティスト、かな」
                    「え、フフッ……何よそれ?」
                    「とにかく開発していく発明品が、次から次へと差し止められてお蔵入りしていくんだよ。人がラリって闇堕ちする薬とか、エクソシストを本当に再現してしまう装置とか」
                    「ちょ、それヤバくない?」
                    「ヤバい」
                     俺は素直に肯定しつつ、考えを巡らせている。
                     ――一見、大雑把に見せつつ要所を押さえるのが、母さんだ。今回の来訪にも必ず意味がある。多分、セイコ01についてだろう。
                     俺は何となく当たりをつけるや、考えをまとめていく。そうこうするうちに車は関空へと滑り込んで行った。
                     関空のラウンジで待つこと約半時間、空港に一機のジャンボが降りて来た。中から出てきた細身の赤縁眼鏡に赤ジャケットを羽織る穏やそうな女性に、固かった俺の顔がほぐれた。
                    「母さん」
                     俺達はベンチから立ち上がり、母を出迎える。
                    「久しぶりね。優斗」
                    「十年ぶりだ。紹介するよ。パートナーの……」
                    「聖子ちゃんでしょ。すっかり有名人だからね。息子がいつもお世話になってます」
                     朗らかな笑みで頭を下げる母に、聖子は恐縮している。その後、皆と目配せの後、俺達は空港内のレストランに入ったのだがこの間、親父は全く言葉を発していない。
                     ――やはり、二人の仲は冷え切ってるな。
                     俺は諦観しつつ聖子を絡めながら場を持たせていく。学校のこと、事業のこと、将来のこと、そして、桜志会のこと。とにかく思いつく限りの話をした。
                     対する母は、俺達の話に耳を傾けつつ、どこか上の空だ。他人行儀な感が否めない。
                     ――十年ぶりだからな。かつてのようには、いかないか……。
                     割り切る俺だが、それがある決意によるものだとは気づかない。ただ、以前のような仲を求めてひたすら話を続けていた。
                     やがて、食事が終わりかけた俺達だが、そこへ親父と聖子のスマホに桜志会の園田先生から緊急の連絡が入る。
                    「優斗、母さんを頼む」
                     親父は席を立つや、聖子とともに空港を去って行った。その背中を見送った俺に母が言った。
                    「大きくなったわね優斗、セイコ01プロジェクトも見事に成功させて、母さんは嬉しいわ」
                    「母さんのおかげさ」
                     首を傾げる母に俺は続けた。
                    「開発が暗礁に乗り上げていた最中に送ってくれた匿名のメール、あれ母さんだろう? 俺には分かる。添付ファイルのレポートがなければ俺はセイコ01を完成させる事はできなかった。ありがとう」
                     礼を述べる俺に母は、黙ったまま微笑を浮かべている。俺はさらに続けた。
                    「母さん、今度はいつまで日本にいるんだ? よかったら又、皆で……」
                     努めて明るく話しかける俺に、母は一枚の紙を俺に見せた。それは離婚届だった。すでに父母双方の印鑑が押されている。
                     俺は愕然としながら、訴えた。
                    「ちょっと待ってくれよ母さん。確かに何かと問題の多い親父だ。けど何も今、別れなくても……」
                    「優斗、もう決めたのよ」
                     俺の話を遮るように、母はスマホに写した画像を見せた。そこには知らない男と仲良さげに寄り添う男性の姿がある。まるで夫婦だ。
                     それだけではない。母は俺に新たな職場まで見せた。その中心に位置する人物に俺は思わず我を失った。
                     ――ジョン黒田……。
                    「母さん。どう言うことだよ。まさかあんなサイコパス野郎につくのか」
                    「優斗、これは絶好のチャンスなの。悪魔と手を組んででも、一研究者として名を残したいのよ。出来ればあなたと一緒にね。すでにジョン黒田の了解も得ている」
                    「つまり、母さんか親父、どっちか選べって話か?」
                     俺の問いに母は一枚のフライトチケットで応じた。どうやらこのまま俺を連れて行きたいらしい。呆然とそのチケットを凝視する俺に母が訴えた。
                    「優斗、あなただって分かっているはずよ。父さんとの復縁はない。この国にだって未来はない。凋落の先にあるのは滅亡だけ。だったら沈む前に船を降りて乗り換えるべきなのよ。私は残りの人生をあなたとともに歩みたい」
                     ――俺だって同じ思いさ……。
                     俺は苦渋に満ちた顔でそのチケットを穴が開くほど眺め続ける。そこへ館内に飛行機の搭乗を促すアナウスが流れた。
                     俺は目に涙を滲ませつつも、そのチケットを震える手で受け取るや、その場でビリビリに破り捨てた。
                    「それが答えなのね。優斗?」
                     母の問いに俺は声を殺し嗚咽しながら、うなずいた。その後のことはあまり覚えていない。ただ気がついたときには、母は俺の前から姿を消していた。
                     ――母さんっ……。
                     俺は感情を押し殺しながら、トレイへと駆け込む。誰もいないことを確認するや、堪えきれない感情を一気に爆発させた。
                     堰を切ったように溢れ出る涙を、俺は抑える事ができない。同時に母子の仲を引き裂いた国境なき税務団とジョン黒田に、言いようのない怒りを覚えた。
                     それは母との対決を交えた波乱の幕開けだった。

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                  • 一井 亮治
                    参加者

                       第七話

                       かくして 母との決別は、少なからぬ禍根を残した。俺は胸にポッカリ空いた風穴を埋めることが出来ない。
                       心の隙間を埋めるべく救いを求めたのが、セイコ01だ。俺は淋しさを紛らわすように研究に没頭していく。自己学習を繰り返し成長していく様を眺めているときのみが、現実を忘れられた。
                       そんな最中、竹葉会を通じ一つの依頼が舞い込む。
                      「模擬戦?」
                       聞き耳を立てる俺に親父が説明する。何でも防衛省と繋がりを持つ先生からの依頼らしい。セイコ01にどれほどの戦闘能力があるのかを、調べたいとの話だった。
                      「いいけど、具体的に何をすればいいのさ?」
                      「これだ」
                       親父は俺にサイバー演習書を差し出した。早速、目を走らせた俺はその内容に唸った。
                       ――要は電脳戦だな。遭遇戦、防衛戦、侵攻戦……あらゆる場面を想定したサイバー戦を調べたいってことか。
                      「分かったよ、親父。で、模擬戦の開始時刻は?」
                      「明日の夕刻六時だ。大いに暴れて見せてくれ、とのことらしい」
                      「オーケー。丁度、こちらも研究の度合いをはかりたかったしな。渡りに船だ。派手に行かせてもらおう」
                       俺は親父の依頼を快諾した。
                       その翌日、俺は聖子とともに下校するや、谷口エンタープライズへと向かう。その途上で聖子が率直な感想を述べた。
                      「なんか変な気分なのよね。己の分身がネット上で暴れるって」
                      「表現はおかしいが、聖子にとっては我が子同然だもんな。そこがサイバー空間だとはいえ、妙な気分だろう」
                      「でもさ、曲がりなりにも防衛省でしょう。確か自衛隊が創設を目論むサイバー部隊の前身だとか。強敵じゃない」
                      「望むところさ。セイコ01のポテンシャルをはかる絶好の機会だ。胸を借りるつもりで暴れさせてもらおう」
                       俺は聖子に笑って見せる。同時にこのプロジェクトが新たなステージに入りつつあることを実感している。当面はトライアンドエラーの連続だとしても、そろそろいかほどの真価があるのかを、確かめたい気持ちがあった。
                       環状線を乗り継ぎ谷口エンタープライズへと訪れた俺達は、待ち構えていた谷口社長とエンジニアの隼人さんに頭を下げた。
                      「急な話でスミマセン、隼人さん。お邪魔します」
                      「気にしなくていいさ。さ、二人とも入って」
                       隼人さんの手招きに応じ、俺達はラボへと立ち入った。早速、端末の前に陣取るや、画面に映るセイコ01を確認する。
                       動作確認を終えた後、クラウド上でスタンバイさせながら、演習開始時間を待っていると傍らの聖子が問うた。
                      「優斗、これって相手の領域に深く侵入して、旗を立てろってルールだよね?」
                      「そうだ。何パターンかを試すが、まぁ一勝でも出来れば上出来だろう」
                      「もしうまく行けば、サイバー空間でVR使って天下一武道会が出来る。楽しみー」
                      「おい聖子、ハードル上げるなよ」
                       能天気なパートナーに苦笑しつつ、俺は時を待つ。やがて、設定された交戦時間がやってきた。
                       画面上でカウントダウンがゼロを刻むや否や、俺達はセイコ01をサイバー空間へと解き放った。向かう先は防衛省が設定したバトル領域だ。
                       ――さぁ、どうだ……。
                       固唾を飲んで見守る俺達だが、ここでセイコ01は意外な戦法に打って出た。突如として、その姿を消したのだ。これには、防衛省のサイバーチームも困惑している。
                       かくいう俺達も同様である。
                      「おい一体、どこへ消えたんだ!?」
                       サイバー空間上を探る俺達だが、その画面に再びセイコ01が現れる。驚くべきことにそこは目的として設定された場所で、すでに旗を立てていた。
                      「おい、マジかよ」「驚いたな」「凄い!」
                       俺達はあまりの鮮やかさに感嘆のため息しか出ない。一体、いつの間にあんなステルス戦術を編み出したのか首を傾げる俺達だが、それは驚きの序章でしかなかった。
                       初戦の敗退を受け、明らかに防衛省のサイバーチームの目の色が変わった。先程までとは打って変わって、本気モードに入って来たのだ。あらゆる障壁を設けセイコ01に対し万全の迎撃体制を取っていく。
                      「おい。どうやら俺達は、防衛省の連中を怒らせてしまったらしいぜ」
                      「いくら何でもここまで固められたら無理だろう」
                       そんなことを言い合う俺達だったが、現実はいとも簡単に想像を超えた。セイコ01はあっという間にプログラム上の障壁を突破してしまったのだ。
                       俺は思わず声をあげる。
                      「なんだ、このスピードは……」
                      「スピードだけじゃない。パワーも一級品だわ」
                       谷口社長も驚きを隠せない様子だ。もっとも一番驚いているのは、防衛省のサイバーチームだろう。当初こそ模擬戦に試験的な意味合いを持たせていた奴らだが、今やセイコ01が放つ戦闘力を前に完全に前のめりだ。
                       アツくなるあまり、あろうことか開発中の秘密兵器まで投入してきた。
                      「何だコイツは?」
                       画面上のワームを食い入るように眺める俺に隼人さんが応じた。
                      「対AI用の巨大ワームだ。おそらくスタックスネットの進化系だな」
                      「え、あのスタックスネットですか!?」
                       驚く俺はキョトンとする聖子に、説明した。
                      「トロイの木馬ってわかるだろう?」
                      「うん。確かコンピューターウィルスの一種だよね」
                      「その派生型だ。特徴は感染に地域的な偏りがあること。イランに集中していたんだ」
                      「何それ。まるで攻撃じゃない!」
                      「攻撃だ。これによりイランは虎の子の核施設をやられた。今ではアメリカNSAとイスラエル8200部隊の共同作戦だったことが明らかになっている」
                      「防衛省の奴ら、そんなかなりヤバい奴を出してきたの!?」
                       声を上げる聖子に俺達も同感だ。本命の登場を前に流石のセイコ01も劣勢である。先程までの攻撃はなりを潜め、防御戦を強いられている。
                       遂に巨大ワームに捕えられてしまった。粉々に砕け散るセイコ01に、俺達も観念した。
                      「セイコ01もここまでか」
                      「まぁ、よくやった方じゃないか。データも取れた。それそろセイコ01を……」
                       破壊されたセイコ01の回収を目論む俺だが、その手がパタリと止まる。目の前のPCが音を発し、急速に加熱し始めたのだ。
                       不審に思った俺が画面を確認し、息を飲んだ。
                      「セイコ01が修復されていく……」
                      「自己再生したんだ!」
                       隼人さんも驚きの声を上げた。画面には木っ端微塵に砕け散ったはずのセイコ01が、不死鳥の如く蘇っている。それだけではない。明らかに異質な何かに大化けしていた。
                       俺達が固唾を飲んで見守る中、セイコ01と巨大ワームのサイバー戦が再開した。驚くべきはセイコ01の変質ぶりだ。凄まじいスピードでワームに体当たりするや、その巨体からコアを正確に打ち抜いてしまった。
                       要を失った巨大ワームは、断末魔の悲鳴とともに粉々に砕け散っていく、だが、セイコ01は攻撃の手を緩めない。すでに勝負が着いているにも関わらず、その巨大ワームを再起不能なまでに殲滅していく。
                       それはもはや戦闘ではない。一方的な殺戮だった。
                      「優斗、マズい!」
                       隼人さんに指摘された俺は、はっと息を飲む。気づけばPC端末が限界値を超えている。
                      「隼人さん。セイコ01のプログラムを緊急停止してください。聖子も手伝ってくれ。あと谷口社長!」
                      「防衛省に連絡ね。任せて」
                       矢継ぎ早に指示を下す俺だが、目の前のセイコ01は殺戮モードのまま、こちらの指示を完全に無視し暴走状態だ。
                       そこへミスターDから連絡が入った。なんでも防衛省のサーバーがダウンしたらしい。もはやセイコ01は凶器以外の何者でもない。その常軌を逸した様に俺は、決断を下した。
                      「隼人さん。基幹システムを切ってください」
                      「それじゃぁ、セイコ01は……」
                      「分かってます。お願いします」
                       俺の決断に隼人さんは、谷口社長を見る。どうやら同意見のようだ。俺達は覚悟を固めセイコ01のシステムを切った。
                       
                       
                       
                       かくしてセイコ01は、デジタル生命体として短命なまま活動を終えた。俺は手塩に育てたセイコ01の死に罪悪感を拭えずにいる。
                      「ゴメンよ。セイコ01……」
                       俺は大いに項垂れて、その死を悼んだ。もっとも本体は残しており、時間をかければ複製としてセイコ02を再構築させることは可能だ。
                       だが、それが正しいのか俺は迷いを捨てきれない。何より痛感したのが、デジタル生命体が持つ負の側面だ。
                       ――まさか、こんな暗部を持っているとはな。
                       事ここに至り俺は、とんでもないモンスターを生み出してしまったらしいことを悟った。

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                    • 一井 亮治
                      参加者

                         第八話

                         思わぬ形で模擬戦を終えた俺達だが、サイバー戦の概念を根底から覆さんとする様を見せつけられた防衛省は敬意を評し、プロジェクトへの参加を表明した。
                         付与されたコードネームは〈フランケンシュタイン・プロジェクト〉だ。
                        「随分、皮肉な二つ名をつけられたもんだ」
                         俺の率直な感想に皆も同感らしい。ルビコンを渡り、パンドラの箱を開け、フランケンシュタインを産み出したのだ。
                         ――果たして、この先に待つのは天国か、それとも……。
                         その心中は、複雑だ。
                         セイコシリーズが見せた思わぬ凶暴さは、人類の文明に強烈な傷跡を残しかねない。それこそ原爆と同等レベルな負の遺産である。一時は撤退すら視野に入れた俺だが、そこへ聖子の檄が飛ぶ。
                        「優斗。アンタ以前、私に言ったよね。独裁者になろうって。今がその時じゃないの? もし今、逃げたらアンタは一生、卑屈未練に生きていくことになるよ。アンタが選んだ道なら私は地獄まで付き合うから」
                         震える俺の手を取る聖子の叱咤に、俺は目を覚ました。
                         ――そうだった。迷ってる暇なんてないんだ。
                         もっともデジタル生命体の暴走から、サイバー空間を守る必要があるのは事実だ。さらに国境なき税務団との対決を制す必要もある。
                         一番恐ろしいのは、このデジタル生命体を国境なき税務団が有してしまった場合だ。最悪の場合、サイバー空間は破綻し、ネットに依存する実社会は壊滅的なダメージを被ることになる。
                        「なぁ、聖子。お前は以前、国境なき税務団の目的をサイバー空間上の独立国建設だって言ってたよな。本当にそれだけなんだろうか」
                        「というと?」
                        「あくまで勘なんだが、ジョン黒田はさらにその先の未来を見ている気がするんだ」
                         俺の素直な疑問に聖子は、首を傾げながら「どんな未来よ?」と問い返す。だが、俺はその答えを持ち合わせていない。
                         そこへ谷口社長が思わぬ救いを出した。何と自腹で俺達に二枚の航空チケットを差し出したのだ。
                        「エストニア、ですか?」
                         行き先の国名を確認する俺に谷口社長は、うなずき言った。
                        「私がこの会社を立ち上げるキッカケをくれた国よ。現地の知り合いを紹介するから一度、見てきなさい。あなたの迷いに対するアンサーがきっと見つかるから」
                         
                         
                         
                         かくして俺と聖子は連休を利用し、エストニアへ赴くことになった。機内で俺はこの北欧の小国の概要をまとめている。
                         ――人口、百三十万。国土は日本の九分の一、か。ロシアと国境を接するには、あまりにも小さい。
                         小国の歴史というのは得てして大国に翻弄されがちだが、このエストニアがまさにそれだ。
                         古くはデンマーク、スウェーデン、ロシア、ポーランドによる領土争いの場となり、一時はナチスに、その後は長く旧ソ連の支配下に置かれていた。
                        「島国日本とは大違いね」
                        「まぁな」
                         聖子の感想に同意した上で俺は続けた。
                        「ただ、その歴史的背景が電子政府という構想を国家レベルで生んだのは事実だ。今や国の意思決定から国民生活までほとんどデジタルだ。納税も自動集計され、五分で申告が完結らしい」
                        「でも、そこまでいくとちょっと不安じゃない?」
                        「そうだ。その不安は現実になっている。2007年にエストニアは侵略を受けた。自国領土でなくサイバー空間をな。一国を標的とした世界初の大規模サイバー攻撃さ」
                        「そうなの? で、どうなったのよ!?」
                         驚き気味に問う聖子に、俺は答えた。
                        「何とか波状攻撃を凌ぎ、ギリギリのところで国の基幹情報を死守した。ただ、この経験が政府の認識を大きく変えた。サイバー攻撃は、武力行使と何ら変わらない。逆に言えば、例え領土を失っても、ネット上にエストニアという概念がデータとして存在する限り再興できる。国を領土でなくデータと改めたんだ」
                        「電子居住権ってやつか。国土破れてもデータあり、デジタルは国の概念をも変えていく」
                        「そう言うことだ。極め付けがデータ大使館構想さ。同盟国に国の基幹データを移し、国家間の新しい戦争形態に備えている。サーバーでいっぱいなだけの部屋だが、そこには国家が詰め込まれているってわけだ」
                         懇々と現状を説く俺にいちいちうなずく聖子だが、やがて、難しい顔で考えを巡らせ始めた。どうしたのか気にかける俺に、聖子は戸惑いつつも言葉を選び紡いでいく。
                        「それってさ。ちょっと国境なき税務団のジョン黒田と被らない?」
                        「被る」
                        「でも優斗は、ジョン黒田がさらにその先を睨んでいると読んでるのよね」
                        「あぁ、谷口社長はその答えをエストニアに求めたが、果たして……」
                         俺は問いへの解を期し、まだ見ぬエストニアに思いをはせた。
                         
                         
                         
                         約半日かけてエストニアに降り立った俺達だが、そこへアネリと名乗る女性が出迎えてくれた。見た限り俺達と歳が変わらない。
                         ただそのなりはなんと軍服で、薄い金髪を靡かせ青い目で俺達に微笑みかけた。
                        「ようこそ。タニグチさんから聞いてマス。エストニア、案内しますネ」
                        「お願いします」
                         聖子とともに頭を下げる俺は、首を傾げた。
                         ――あの社長が感銘を受けるくらいだから、もっと年上の偉いさんかと思ったが……。
                         試しにその旨を言ってみると、アネリさんは声をあげて笑った。何でもめぼしい天然資源を持たない小国エストニアにとって、人材こそが資源とプログラミングが必須らしい。その中でも彼女は、トップクラスなのだという。
                        「よくタニグチさんとは議論、交わしました。世界はどうあるべきかってね」
                         アネリさんは、乗り込んだ車でハンドルを握りながら、話を続ける。ちなみにエストニアでは、特に免許に年齢制限はないらしい。
                         姿が軍服なのも、徴兵の国で国防組織・ディフェンスリーグに属しているからだそうだ。
                        「ロシアがいつ、何をするかわかりませんカラ。何かされてからでは遅い。自分達が戦う意思を見せないと、いざというときに助けてもらえないデショ」
                        「確かに」「その通りね」
                         俺達は互いにうなずき合った。やがて、アネリさんは、俺達をエストニアの名所へと案内していく。その中で色々な話をした。
                         徴兵中の彼氏のこと、不安定な世界情勢のこと、そして税制。
                         国土を拠り所にせず、マネーも紙などの物質に依存しないそのあり方は、まさにデジタル世界の最先端だ。試しに国境なき税務団について問うてみると、大いにうなずき言った。
                        「彼らのやり方には賛同しませんが、考え方は近いカモ」
                        「俺はジョン黒田が、最終的に何を目指しているのかが、気になって……」
                        「私、分かりマスヨ」
                        「え……」
                         俺は思わず固まった。その答えを問うもののアネリさんは、困った表情を浮かべながら口を濁した。
                        「残念ながら、私の口からは言えません。凄くセンシティブで軍務の機微に触れますから」
                        「や、そう言わずに。じゃぁせめてヒントだけでも」
                         しぶとく食い下がる俺に、アネリさんは観念したように苦笑を交えこう言った。
                        「要するにテフラグです」
                        「あー……」
                         俺は思わず唸り、宙を仰ぐ。それはこれまでずっと抱いていた謎を打ち砕く、強烈な一言だった。
                         俺は傍らで要領を得ずキョトンとする聖子に、その内容を晒す。はじめこそ首を傾げていた聖子だが、説明が佳境に入るにつれて信じられないような顔で目を見開き言った。
                        「それ、ちょっとヤバくない?」
                        「ヤバい。だが、世界はいずれそうなるのだろう。多分、ジョン黒田はその針を早めたに過ぎないんだ」
                         ――だとすれば、俺は迷っている場合ではない。
                         俺は意を決し聖子に宣言した。
                        「セイコシリーズを正式に復活させる。欠陥は国境なき税務団と戦いながら修正していく。とにかく行動だ。走りながら考えていこう。セイコ02でプロジェクト再起動だ」

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                      • 一井 亮治
                        参加者

                          第九話

                           迷いの吹っ切れた俺は、聖子とエストニア見学を大いに堪能した。多くの学びと気付きを与えてくれたこの地に、俺は感謝の気持ちがたえない。
                           だが、それを引き裂く事態が発生した。
                          「優斗君、これ」
                           緊迫の表情でスマホ上にネットニュースをかざすアネリさんに俺は、目を見開いた。
                          〈国境なき税務団、デジタル生命体『J』の開発に成功〉
                           ネットニュースには、その内容が克明に記されている。いずれキャッチアップされるとは感じていたが、想定を遥かに上回る早さだった。
                           ジョン黒田は、高らかに宣言した。
                          〈ベンチャー、クリエイティブ、大いに結構。我々はそれを全力で模倣する。あらゆる資本、リソースを投じ、取り得る全ての手段でだ〉
                           ――何が模倣だ。間違いない。これは母さんの仕事だ。
                           俺は天井を仰ぐ。どうやら母子対決は避けられなさそうである。この事態を受け俺達は予定を切り上げて、エストニアの地をたった。
                           見送るアネリさんに見守られながら、俺は新たなる戦いへの覚悟を固めていた。
                           
                           
                           
                           帰国した俺はすぐにセイコプロジェクトを再開させるや、セイコ02の構築に入った。無論、暴走対策も考慮済みだ。必要な全てを俺達は走りながら考え、その都度、揃えていく。そのスピード感に時代を感じている。
                           そんな矢先、思わぬ人物が俺に接触を求めてきた。キッカケは、ミスターDからのチャットだ。
                          〈ジョン黒田がお前と話をしたいらしい〉
                          「どうせ偽者だろう」
                           取り合わない俺を見たミスターDは、より具体的な情報を出してきた。その詳細に目を走らせた俺は考えを改めていく。
                           ――どうやら本物らしいな。
                           わざわざミスターDを通じ、ネット上に秘密会談の場所を設定するあたり、ジョン黒田の本気度を感じた。
                           俺は慎重に身元を隠した上で、その秘密回線に応じた。数秒後、チャット画面に文字が流れた。
                          〈国境なき税務団のジョン黒田だ。優斗。君とは一度、腹を割って話したかった。その機会を設ける事が出来て光栄だ〉
                           通り一辺倒の挨拶で切り出すジョン黒田に、俺は眉を顰めつつメッセージを打ち込んだ。
                          〈ジョン黒田、アンタはどこまで国境なき税務団を続けるつもりなんだ?〉
                          〈決まっているだろう。ユートピアを生み出すまでだ。君の母さんとも合意している〉
                           即答するジョン黒田に、俺も即答でお応じた。
                          〈ジョン黒田、ネット社会っていうのは視神経剥き出しだ。すぐ炎上する。感情が先行するこの世界でアンタは急ぎ過ぎなんだ。多くの犠牲が出ているんだぞ〉
                          〈タイム・イズ・マネーさ。世界は待ってはくれないからな〉
                          〈その終着駅がユートピアとは限らない。ディストピアだったとき、アンタに責任が取れるのか〉
                           問い詰める俺だが、ジョン黒田からの返事はない。俺はさらに畳み掛ける。
                          〈ジョン黒田。アンタは最終的にこの世界をテフラグ(最適化)するつもりなのだろう〉
                          〈いかにも。その通りだ〉
                           ジョン黒田は、わが意を得たりとばかりに続けてきた。
                          〈我々は一旦、地上のリアルを全てデジタルにしてクラウドに上げる。民族、組織、国籍といった物理的制約を伴わないサイバー空間で世界を再編成するのだ。その過程で和のアイデンティティを構築し、我々日本人社会の根底にある〈間合い〉や〈場〉といった潜在意識を拡散する〉
                          〈情報戦だな。サイバー空間で和の概念を建国し、世界を制すって訳だ〉
                          〈ふむ。その通りだが優斗、我々はさらに先をいく。和の概念で染めたサイバー空間を、今度はリアルの現実世界にダウンロードするのだ。つまり、これは世界征服の無血クーデターなのだ〉
                           高らかに宣言するジョン黒田に俺は、頭を痛めている。
                           確かに理にはかなっている。世界は国家の拠り所を領土等とは異なる概念に求め始めている。エストニアの場合はデータ、かつてのイスラム国ならイスラム法の経典となろう。
                           だが国境なき税務団は、人々の潜在意識下にある価値観に求めようとしている。その選別をするのはAIだ。
                           ユーザーの趣味嗜好、信条など重きを置く価値観を細分化し、争点となり得る要因を徹底的に分離して再配置する。これにより争点の発生確率を減らし世界平和の最適解を目指すというのだろう。
                          〈優斗、君に見せたいものがある〉
                           ジョン黒田は日本地図を画面に表示させ、これを変形して見せた。その意図を見抜いた俺は書き込んだ。
                          〈『距離』でなく『移動時間』を尺度に表示させた地図だな〉
                           つまり、新幹線で一時間かかる場所とローカル線で一時間かかる場所を同じ距離と捉え、既存の地図を変形し可視化したのだ。
                           その上でジョン黒田は、画面を世界地図に切り替えた。それをさらに別の尺度で変形させた。
                          〈なるほど。今度は『価値観』を加味させたのか〉
                           俺は思わず唸った。そもそもネットにはそういう側面がある。今や画面はレコメンドアルゴリズムにより、各ユーザに合わせたおすすめ商品で埋め尽くされている。
                           これをさらに進め、近隣国家を同じ価値観で固め直さんとするジョン黒田の構想には説得力があった。
                          〈ジョン黒田、お前は一見、国境をなくす無政府主義に見えるが、その実、国境の書き換えを目論んでいる。これはデジタル的価値観によるアナログ的価値観への侵略だ〉
                          〈そうだ。悪いか?〉
                          〈見解次第だが、俺に言わせれば急ぎ過ぎだ。お前は人類のためなら人をも殺すが、現実はもっと時間をかけて変わっていく。人っていうのは、そう簡単には変われないんだ〉
                          〈それを変えるのが、我々国境なき税務団だ〉
                           断言するジョン黒田に俺は、はからずしも感銘を受けている。だが、それでも賛同しかねる部分が残った。その最たるが税制だ。
                          〈ジョン黒田、仮に百歩譲ってデジタル国家ジャパンを建国出来たとして、徴税はどうするんだ。税なくして国家なし。徴税は国家統治の基本だぜ〉
                          〈優斗、私を失望させないでくれ。税理士の家系ゆえに仕方がないのかもしれないが、国家というものは、税がなくとも国家たり得るんだ〉
                          〈財源もないのにどうやって統治するんだよ〉
                          〈統治はしない。経営をするんだ。つまり、無税国家だ〉
                           ――無税国家だってぇ!?
                           思わず心の中で叫ぶ俺にジョン黒田は、敢えて詳細を語ることなく、討論を打ち切った。
                          〈優斗、国境なき税務団への参加を待っている〉
                           その言葉を最後にチャットは閉じられた。

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                        • 一井 亮治
                          参加者

                             第十話

                            「無税国家ですって!?」
                             谷口エンタープライズの会議室で俺の報告に聖子は、声を上げる。
                            「優斗、確かに無くはないけど、サウジみたいに石油に浮かぶ国か、ある程度の資源や財源に恵まれた国のみに許される特権よ。少なくとも日本では無理だわ」
                            「俺もそう思って調べてはみたんだが、一応、構想自体はある。提唱者は松下幸之助だ。国の財政制度を予算使い切りの単年度主義とせず、そのムダを剰余金として積み立てる。つあり、国家経営に企業経営を取り入れる発想だな」
                            「うーん……まぁ、経営の神様の言葉ならね。一応、ある程度の絵はジョン黒田の頭に描かれている訳か」
                             聖子はそれなりの理解は示しつつも、犠牲を伴ってでも性急に進める国境なき税務団のやり方には、抵抗を感じているようだ。
                             そんな中、会議室にエンジニアの隼人さんが入ってきた。後ろに二人の男性を伴っている。ともに三十半ばと言ったところか。目つきの鋭さから俺は、二人の正体を察した。
                             ――これは捜査機関の人間の目だ。
                             挨拶に立ち上がる俺達を手で制しつつ、隼人さんはその二人を紹介した。
                            「こちらは警視庁捜査二課の池口さん。そして、こちらが国税庁徴収部の清原さんだ。ともに国境なき税務団を追われておられる」
                            「存じてます。確か竹葉会の岡本先生と旧知の仲だとか。俺にセイコシリーズを依頼された方ですよね」
                             記憶を辿る俺に池口さんは、清原さんと捜査機関らしい固いナリで目配せし、口を開いた。
                            「優斗君に聖子さんだね。一度、会いたいとは思っていた」
                            「やはり、国境なき税務団が開発したJの件ですか?」
                             聖子の問いかけに池口さんは、苦悶の表情を浮かべている。傍らから強面の清原さんが見かねたように応じた。
                            「お察しの通りだ。これが厄介でね。先日も局の料調のサイバー空間がやられた。これ以上、Jにサイバー空間をのさばらせるわけにはいかない。何らかの手を打つ必要がある」
                            「と言いますと?」
                             問いかける俺に隼人さんが「今、考え中だ」と返答をよこした。俺は改めて問うた。
                            「Jって、そんなに強いんですか。推定スペックは?」
                            「軍事レベルだ」
                             清原さんは即答した上で、現在判明している限りのレポートを差し出した。素早く目を走らせた俺は、思わず心の中でつぶやいた。
                             ――これは、想像以上だ。まさかここまでとは……。
                             その後、確認事項を詰め去っていく二人と隼人さんを見送った俺は、ふと黙り込む聖子に声をかけた。
                            「どうしたんだよ、聖子?」
                            「うん……ちょっとね」
                             聖子は清原さんのデータが入ったPC画面を凝視しつつ、衝撃の事実を口走った。
                            「私、このJを知っているかも」
                            「や、ちょっと待てよ聖子。知ってるも何もコイツはデジタル生命体だ。リアル世界には、生息し得ない」
                            「えぇ。だからベースとなったパーソナルデータの提供者なんだと思う。この私みたいに、ね」
                             ――なるほど、確かにそれならあり得るが……。
                             聞き役に徹する俺に聖子は、ポツリポツリと話し始めていく。何でも小学校の頃に武道で無双状態だった聖子が、同年代で唯一負けた相手らしい。それもかなりこっぴどくやられたとのことだった。
                            「本当に悔しくて、人目も憚らずに泣いたわ。とにかく陰湿で執拗に弱みを突くタイプ。心の奥底に土足で踏み込んで、人の尊厳を踏みにじってくるの」
                            「ひどいな」
                            「えぇ、あの敗北で戦う心を芯からへし折られた私は、敗北感とトラウマを植え付けられ三ヶ月間、全く勝てなくなった。何とか再起してリベンジを誓ったけど、忽然と蒸発して音信不通状態になっててね」
                            「ふーん……一体、何者なんだ?」
                            「分からない。ただあの感じ、もしかしたら……」
                             そこで聖子は、一人の人物の名をあげる。俺は思わず聞き返した。
                            「それは本当か?!」
                            「多分ね。名字も一緒だし」
                             うなずく聖子に俺の口からため息が漏れた。
                             ――これは、厄介な事になりそうだ。あまり気乗りしないが一つ、親父に頼むか。
                             俺はスマホを取り出すや、連絡を入れた。無愛想に応じる親父に、要件のみを伝えていく。
                            「状況と事情のあらましはこんなところだ。例の竹葉会のツテで誰か適当な人はいないか?」
                            「まぁ、当たってみよう。それよりお前、ベンチャーごっこもいいが、学業も忘れるなよ」
                            「分かってるさ。心配ない」
                             俺は親父との会話を面倒くさげに切るや、PC上でスタンバイ状態にあるセイコ02を眺めつぶやいた。
                            「J、勝負だ。覚悟しろ」
                             
                             

                             さて、Jを倒すとしても、まずはその身柄である。これについて妙案を出してくれたのが、海外に精通する竹葉会の高橋先生だ。
                            「優斗君、〈アルゴ〉って映画を知ってるかい?」
                            「や、知らないです」
                             電話越しにかぶりを振る俺に高橋先生が説明した。何でも1979年にイランで起きたアメリカ大使館人質事件で、CIAとハリウッドが架空の映画制作をでっち上げ、人質をロケハンに来たスタッフに偽装させ出国させた史実がモデルの映画らしい。
                            「優斗君は、この映画をモデルにすればいい」
                            「と申しますと?」
                            「架空のオンラインゲーム大会をでっち上げ、これをトラップにエントリーして来たJを誘い込むんだ」
                            「あー……」
                             高橋先生の策に、俺は思わず受話器越しに唸った。試しに谷口社長に相談すると「丁度、お蔵入りになったゲームがある」と大いに乗り気である。
                             俺は高橋先生に礼を述べ通話を切るや、すぐさまJを誘い込む為だけのオンラインゲーム大会を設定した。コードネームは、ずばり〈アルゴ〉だ。
                             ネット上に広く告知した俺達は、成り行きを見守っている。
                            「Jの奴、来るかな」
                             セイコ02のエントリーを済ませたものの、若干の不安を覚える俺と隼人さんだが、これを聖子が一蹴する。
                            「必ず来るわ。賭けてもいい」
                            「根拠は?」
                            「アイツの性格よ」   
                             聖子の断言に俺は黙り込む。ひたすら待機する俺達だが、ついにその機会が訪れた。エントリー欄にJの名が躍り出たのだ。俺と隼人さんが思わず拳を握りしめる。
                            「よしっ」「かかったな」
                             俺達は早速、捕獲へと乗り出す。巧妙に出口を封鎖した上でセイコ02に作戦発動の指令を下した。
                             だが、ここで異変が起きる。セイコ02が否定的な反応を示したのだ。
                            「一体、どうなってるんだ!?」
                             指令に応じないセイコ02に困惑する俺達だが、これをパーソナルデータの提供主である聖子が推察した。
                            「多分、出来ないんだと思う」
                            「どう言う事だよ。折角、Jを罠に嵌めたんだぜ」
                            「Jも何かを仕込んで来たのよ。それをセイコ02が察した」
                             果たして聖子の仮説は、的中する。調べた結果、Jはトラップと承知の上で乗り込み、谷口エンタープライズを本丸から破壊しようとしていた。
                             さらに聖子は、もう一つの読みを示す。
                            「セイコ02はね。衆目下でJと一騎討ちがしたいの。正々堂々とね」
                            「なんで分かるんだ?」
                            「私がそうだから」
                             淡々と答える聖子に俺は、黙り込む。しばし考慮の後、問うた。
                            「じゃぁ、どうなるんだ?」
                            「決まってるわ。ゲームスタートよ」

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                          • 一井 亮治
                            参加者

                              ※ スミマセン。第七話から「桜志会」を間違えて「竹葉会」と書いてきてしまいました。

                               (誤)竹葉会 → (正)桜志会 です。

                               第十一話

                               Jを嵌めたつもりが、逆に嵌められる始末となった俺達は、固唾を飲んで画面を注視している。聖子の言う通り、トラップがバレた以上、勝負は欺瞞のために用意されたゲーム・アルゴへと移らざるを得ない。
                               ――マジかよ。
                               俺は頭を抱えつつ、カウントダウンを追った。やがて、ゼロとなったところでゲームがスタートした。たちまち画面が切り替わる。
                               セイコ02とJは、ともに木造の飛行船が飛び交うファンタジックな世界へと投げ出された。
                              「隼人、ここのゲーム設定は?」
                               谷口社長の問いに隼人さんが、マニュアル片手に応じた。
                              「うまくギミックを活かしてポイントを稼ぎながら闘うサバイバルゾーンです。まさか本当にここを使うとは、想定していませんでしたが……」
                              「仕方がないわ。こうなった以上、セイコ02に勝負を託しましょう」
                               どうやら谷口社長も腹を括ったらしい。勝負を見守るその目は、まさに経営者として戦う者の目だ。
                               一方、俺は作業に忙殺されている。使うことを想定していなかったゲーム・アルゴが不具合を起こさないか、コードを見直しているのだ。
                               社内がてんやわんやの大騒ぎとなる中、隼人さんの怒声が響く。
                              「優斗、アルファーモードのチェックを頼む!」
                              「今、やってますけど、もう持ちません」
                              「持たないって、じゃぁどうするんだよ!?」
                               声を荒げる隼人さんに、俺はしばし考慮の後、言った。
                              「こうなったら隼人さん、切り札を使いましょう」
                              「切り札って、アレか?」
                               隼人さんの目が谷口社長を向く。谷口社長は迷うことなくゴーサインを出した。
                              「優斗、やれ」
                               俺は間髪入れずにエンターキーを叩く。たちまちギリギリだったゲームステージの負荷が半減した。難を逃れた俺達だが、この策にはリスクを伴っている。あくまでセイコ02の勝ちを前提とした処置なのだ。
                               もし負ければ、谷口エンタープライズのデータは筒抜けとなり、全ての技術が国境なき税務団に渡ってしまう。それだけに二体の戦いに対する眼差しは真剣だ。
                               ――頼むぜセイコ02。
                               俺は祈るような気持ちで成り行きを注視している。一進一退の攻防が繰り広げる中、俺の関心はJの正体へと移った。
                              〈Jのパーソナルデータ提供主、おそらくジョン黒田の息子よ〉
                               先だって聖子から明かされたJの正体だが、俺は信じられなかった。ただ今、改めて見るとその雰囲気は揃っている。ただ確信が持てない。
                               そんな中、セイコ02の放つ前蹴りがJの顔面を捉えた。たちまちJのサングラスが弾け飛び、その下から素顔が露わになった。
                               ――あれがJの素顔!?
                               俺は思わず目を奪われた。それは、明らかにジョン黒田の遺伝子を引く面構えだった。
                               ――間違いない。Jのパーソナルデータはジョン黒田の息子、ジェイソン黒田だ。となれば……。
                               解明した謎に吹っ切れた俺は、セイコ02に新たなプログラムを施した。実は聖子からこの可能性の指摘を受け、あらかじめ専用の戦闘パターンを用意していたのだ。
                               画面にインストール完了の文字が踊るや否や、セイコ02のファイティングスタイルがガラリと変わった。
                              「へぇ、カポエラじゃない」
                               興味深げに身を乗り出す聖子に、俺はうなずく。このカポエラとは、黒人奴隷が看守にばれないようダンスのふりをして修練した格闘技とされている。
                               手かせをされていた奴隷が鍛錬した格闘技ゆえに、足技がメインとなる。特徴はトリッキーでアクロバティックな動きだ。これが対J戦で大いに威力を発揮した。
                              「よしっ」「いけ」「やっちまえ」
                               画面を前に俺達の観戦にも熱が入った。手に汗握るバトルは、やがて佳境に差し掛かる。ついにJを甲板の端まで追い詰めたのだ。
                               ――勝ったな。
                               勝利を確信した俺達だが、不意にJがガードを下げニヤリとほくそ笑んだ。次の瞬間、Jは自らの身体もろとも木っ端微塵に吹き飛んだ。その衝撃たるや用意したアルゴのサイバースペースの約半分を破壊する凄まじいものだった。
                              「自爆するとは、な……」
                              「まさかセイコ02もJの道連れに!?」
                               愕然する俺達だが、聖子が笑みとともに画面を指差し言った。
                              「曲がりなりにも私のコピーよ。そんなやわじゃないわ。ほら、ここ」
                               促されるままに目を走らせると、確かにセイコ02の姿があった。どうやら周囲のプログラム素材でバリアを構築し、最深部への通路へ逃れたらしい。
                               そのポテンシャルに俺達は、改めて舌を巻いた。

                               かくして勝利をおさめた俺達だが、失ったものも大きい。Jの自滅の巻き添えとなったサーバーは三台、うち二台が再起不可能なダメージを受けオシャカとなった。
                               谷口エンタープライズが全社を挙げて復旧に取り組む中、俺はやり切れない気持ちでいっぱいだ。
                               ――確かに勝利はした。自滅したとはいえ、断片の回収からJの分析は可能だろう。だが……。
                               項垂れる俺に聖子が傍らから声をかけた。
                              「優斗、大丈夫?」
                              「あぁ、ただちょっとやり切れなくてね……」
                              「Jの事ね?」
                               聖子の問いに俺は黙ってうなずく。確かに本体が保存されている以上、複製を産むことは可能だろう。
                               だが、あれも俺達と同じ一つの生命体なのだ。その命を何の躊躇もなく、いとも簡単に自滅させた。それは間違いなく母の仕事なのだ。
                              「戦争は人を狂わせる。どうやら母さんは変わってしまったらしい」
                               虚ろな瞳を宙にさまよわせる俺の気持ちは、塞ぎ切っていた。
                               

                               Jとの激闘から数日が経った。相変わらず気の晴れない俺だが、そんな憂鬱を吹き飛ばす出来事が起こった。キッカケは学校のホームルームで、いかにも体育会系といった担当教師の岡村が、転校生を知らせたことに由来する。
                               ――転校生? 今どきか?
                               頭にクエスチョンマークを浮かべる俺は、岡村の合図で入ってきた男子学生に思わず目が点になった。茶髪に後ろを括った丁髷姿を俺は知っている。誰であろう。Jだ。
                              「ジェイソン黒田君だ。皆、仲良くするように。席は五十嵐の隣でいいだろう」
                               岡村に促されたジェイソンは、一礼とともに俺の隣に腰掛けるや、片目をつぶって見せやがった。その大胆さに俺は、驚きを通り越し呆れている。
                               その後、休憩時間を待って俺は切り出した。
                              「おいJ。一体、どういう魂胆だよ!」
                              「優斗、リアルの僕はJじゃない。ジェイソンだ」
                              「どっちでもいい。何の真似でここに来た!?」
                               問い詰める俺にジェイソンは、冷笑しつつ目を細めながら言った。
                              「ちょっと、色々ありましてね。何かと思惑が錯綜してるんですよ。特に桜志会絡みで、ね」
                               ――桜志会絡みだと!?
                               怪訝な表情を浮かべる俺に、ジェイソンは席を立ち手招きした。促されるまま後に続く俺だが、胸の内は疑心暗鬼でいっぱいだ。
                               ――コイツは、俺達が敵対する国境なき税務団のボスの息子じゃなかったのか。その御曹司がなぜここにいるんだ。
                               謎が次々と頭を駆け巡る中、俺達は自販機前の休憩室でベンチに腰掛けた。徐ろに切り出したのは、ジェイソンだ。
                              「まず初めに申し上げますが、僕はあなたと敵対関係にありません。これだけは保証しましょう」
                              「おいちょっと待て。よく言うぜ。つい先日、サイバー空間でやり合ったばかりじゃねぇか。ド派手に自爆かましやがって、復旧にどのくらいかかるか見当もつかねぇんだぞ」
                              「だから、それは僕じゃないんです。ただ分身がネット上で暴れただけで、僕個人とは一切、無関係。あなたも十分ご存じのはずですよ」
                              「じゃぁ、その本体とやらが何の用でここへ? 桜志会とどういう関係なんだよ?」
                               立て続けに問いを重ねる俺に、ジェイソンは澄まし顔で紙コップのコーヒーを口につけながら、ゆっくり説明を始めた。

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                            • 一井 亮治
                              参加者

                                 第十二話

                                「優斗、国境なき税務団について、どこまでご存じですか?」
                                「デジタルジャパンを建国し、世界を最適化した上でその運営を無税で回していこうってことくらいだ」
                                「十分です。では桜志会については?」
                                「税理士からなる任意団体だ」
                                「この二つ、似てると思いませんか?」
                                「はぁ!?」
                                 俺は思わず首を傾げた。無理もない。全くの異物を同類だと説明されたのだ。混乱するのも筋だろう。だが、ジェイソンは構うことなく続けた。
                                「優斗、君も感じていると思いますが、ネット社会では分かってるか、分かっていないかのオール オア ナッシングで、そこに理解はないんです。あるのは肌感覚の実感だけ」
                                「まぁ、言わんとすることは分かる」
                                 俺は取り敢えず、納得してみせた。かつて、俺もプログラミングの威力と凄さに衝撃を受けた瞬間はあった。人間が手間を労する作業を、機械はわずか十数行のプログラムで簡単にこなしてしまうのだ。
                                 凄いパワーを手に入れた――まるで己の力が数倍に飛躍したかのような錯覚が、俺を虜にし今あるネットリテラシーのベースとなっている。
                                 才能や努力じゃない。ただ知っているか知らないかだけ。だが、慣れていない人間は、この差を理解で埋めようとしてしまう。
                                 結果として、実態とかけ離れた虚像を思い描き失敗に至るのだ。
                                「時空を超えた非言語的コミュニケーション能力、とでも言いましょうか。超人的な直感力に洞察力……つまり、我々はニュータイプ世代と言うです」
                                「ガンダムか? 随分、古い例えだな」
                                「えぇ、ですが言い得て妙でしょう?」
                                 ジェイソンは、微笑を浮かべながら続けた。
                                「あくまで私見ですが、桜志会が担う税務行政支援の肝は、公平・中立・簡素。これを突き詰めた先に国境なき税務団が目指す無税国家がある。特にデジタルがこれを加速させる力を持っている」
                                「あのなぁジェイソン。俺達は人類のためと称し、テロを起こしたりはしない。同じ土俵で語るな。心外だ」
                                 吠える俺だが、ジェイソンはここで爆弾を落とした。
                                「優斗、僕は君こそがデジタルジャパンの初代国家元首に相応しいと思っているんです。そのためにここに転校して来ました」
                                 これには、さしもの俺も思考が停止した。一体、何をどう考えればそのような結論に達するのか。大いに疑問を感じる俺だが、どうやらジェイソンは本気らしい。
                                「優斗、本当に君は理想なんです。適度にものを知りつつ、同時に深くものを知らない。一つ、僕が指南役となりましょう」
                                 そこでジェイソンは、ピタリと説明を終えた。
                                 
                                 
                                 
                                 放課後、俺はいつもの公園の自販機前で聖子と合流した。普段と違うのは、ジェイソンを伴っている点だ。これが場の空気を凍らせている。
                                 特に聖子が頑として口を聞かない。
                                 ――どうやら、これは想像以上らしい。
                                 俺が時間を持て余していると、ジェイソンが両手を上げ肩をすくめて、お手上げの仕草を見せた。
                                「分かってくれよ聖子。僕は君達の味方なんだ。ただネット社会に適合する未来のあり方について、段取りをつけに来たに過ぎない」
                                「ジェイソン、悪いけど私は信じられない。あなたは、もっと別の目的で派遣されてきたはずよ」
                                「ないない。聖子、確かに君とは以前、一悶着あったかもしれないが、それも含めて詫びる。どうか信じてくれ」
                                 ここでジェイソンは、一束の資料を見せた。何事かと首を傾げつつ、俺は聖子とその資料に目を走らせ思わず声を上げた。
                                「ジェイソン。これって……」
                                「国境なき税務団で見積もられているデジタルジャパン建国の行程表、通称・天沼矛プロジェクトさ。水面下ながらも各国から独立国の承認を得ている。まさに古事記の国産みだ。興奮するだろう?」
                                「しねぇよ。日本だけならいざ知らず、これを一里塚に世界の国境を和の価値観で書き換えるつもりなのだろう」
                                「いかにも。時代の要請を受ける形でね。これは、目に見えない独立戦争の新しい形態というわけです」
                                 鼻息荒く語るジェイソンに俺は、達観美味に問うた。
                                「ジェイソン、百歩譲ってそれを認めるとして、だ。俺達に何を求める?」
                                「イザナミとイザナギをやって欲しい。日本をアナログの楔から解き放ち、デジタルという新たな坂の上のクラウドに向けて駆け上がる。その先陣を切っていただきたい」
                                「詭弁だな。要するに桜志会を通じ、和解交渉を持ちかけたいって事か?」
                                「有体に言えば、そういう事です。協力出来るところは協力し合う。合理的でしょう?」
                                 涼しい顔で言ってのけるジェイソンだが、確かに筋は通っている。一定の理解をした俺だが、それでも胡散臭さは残った。
                                 ――さて、どうしたものか。当然、聖子は反対だろうしな。
                                 そんなことを感じつつ頭を捻る俺だが、意外にもこれを聖子は受け入れた。
                                「いいでしょう。ジェイソン、アンタを信じる」
                                「本当かい。そうか、分かってくれたか。嬉しいよ。桜志会と国境なき税務団――君達にとっては相入れない存在だろうけど、その間はこの僕が取り持つ。任せてくれ」
                                 善は急げとばかりに去っていくジェイソンを見送った俺だが、その姿が見えなくなったところで、聖子がポツリと言った。
                                「優斗。絶対、あいつから目を離さないで。あれは何らかの魂胆を隠した顔よ。そのうち必ず尻尾を出すから、それを見逃さないで。いい?」
                                「え、あぁ……分かった」
                                 俺は促されるがままにうなずく。その後、しばらく今後の方針を話し合っていた俺達だが、不意に甘い香りが漂ってきた。見るとクレープの移動販売カーが公園に立ち寄っている。
                                「あ、あそこのクレープ。評判になってた奴! ちょっと待ってて」
                                 甘いものに目がない聖子は、取るものも取らずに駆け出していく。その背中を見送った俺だが、そこへ太いダミ声が響く。
                                「お、君は確か五十嵐先生のところの息子さんじゃないか!」
                                 驚き振り返った先に立っているのは、大柄の五十代半ばと思しきスーツ姿の中年男性だ。恰幅のいいその様は、どこかの社長といった風体だる。
                                 ――ん? 何だこのオッサンは?
                                 首を傾げる俺だが、そのオッサンは「ちょっといいかい?」と了解を求め、俺の前に腰掛けた。
                                「あの、どこかでお会いしましたっけ?」
                                「桜志会のイベントでね。まぁ、チラっとだけだが」
                                「あー……桜志会の先生でしたか」
                                「うむ。片桐だ。君の事は色々聞いているよ。国境なき税務団を相手にあそこまで立ち回るとは。五十嵐先生もさぞお喜びだろう。君もやっぱり税理士を目指すのかい?」
                                「や、そこまではまだ……」
                                「ふむ。もしなったら是非、桜志会に参加してくれ。喜んで迎えよう」
                                 大いに歓迎モードの片桐先生に俺は「それはどうも」と頭を下げた。その後、いくつかの雑談を挟んだ後、何用で来られたかを問うと、片桐先生は丸メガネを押さえ、ため息とともに説明した。
                                 なんでも桜志会の活動が、閉塞状態気味になっているらしい。
                                「会の運営に支障はない。だが、何というか……組織が持つポテンシャルを活かし切れていなくてね。君はどう思う?」
                                「え、や……どうと言われても、親父が桜志会なだけで、俺自身に資格はありませんし……」
                                「その割には、随分と活発じゃないか。一つ、五十嵐先生に変わって助言してくれ。忌憚なく言ってくれればいい」
                                 胸の内を晒す片桐先生に、俺は恐縮しつつも、思いの丈を述べた。
                                「あの、俺が言うのも生意気ですが……皆、桜志会活動を心の中から楽しんでおられないのでは?」
                                「そりゃ、付き合いもあるだろう」
                                「その考え方は、時代が右肩上がりだった頃にはプラスに働きます。ですが、会員数が五百人を切っている。入ろうか迷っている、もしくは辞めたいと思っている状況では逆効果です。なら作戦がいる」
                                「ほぉ……」
                                 興味深げに身を乗り出す片桐先生に、俺はズバリと切り出した。
                                「〈太陽と北風作戦〉で、どうですかね?」
                                 どこまで伝わるか不安だった俺だが、どうやらその意を察してくれたようだ。片桐先生は、意味深に問うた。
                                「つまり、あれか。活動の参加を強制する北風でなく、太陽で胸襟を開かせろ、と」
                                「はい。桜志会は任意団体です。なら本気で楽しまないと」
                                「出来るか?」
                                「出来ると思いますよ。楽しさを感じれないのは、きっと組織に使われているからです。逆にこちらからその組織力を使ってやる感じ? そうなれば自然と楽しくなる。その空気は確実に伝播する。自分も楽しまねばとなって」
                                「旅人は外套を脱ぐ。太陽の勝ちとなる、と」
                                「はい。参加すると言うより攻略する感覚ですかね。小さく産んで大きく育てよ。少しずつ楽しめる領域を広げていければ。そもそも楽しくなければ続きません。続けば継続は力となる。その好循環が数年後に大きな差となって返ってくる気がします」
                                「なるほどな。しかし、会員でもないのに、その歳でそこまで考えているとは驚きだな。ちょっとマセ過ぎじゃないか」
                                 片桐先生は冗談を絡めつつ、肩を揺らし大いに笑っている。楽しげなその表情は、まるで少年に戻ったようだ。
                                「いやぁ、愉快だ。昔を思い出すよ。何も考えず、ただ目の前に熱中していたあの若かれし頃をね……っとイカン。もうこんな時間か。優斗君、また会おう」
                                 笑顔で手を振り去っていく片桐先生を見送った俺だが、そこへクレープを手にした聖子が戻ってきた。
                                「優斗。あれ片桐先生じゃない。一体、何を話してたのよ?!」
                                「や、大した事は……っていうか片桐先生って有名なのか?」
                                「有名も何も、あの人が今の桜志会の会長さんなのよ!」
                                 ――あぁ、あの先生が……。
                                 俺は改めて納得するや、片桐先生が去っていた方向を呆然と眺め続けた。

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                              • 一井 亮治
                                参加者

                                   第十三話

                                   ジェイソンの暗躍が著しい。ある時は国境なき税務団のエージェントとして、またある時はただの一高校生として、ころころとその身を変えながら時代に干渉していく。
                                   桜志会を通じ税務当局との和解を打診したかと思えば、米中の圧力を演出し日本にデジタル開国を迫るなど、そのハードネゴシェーターぶりはまさにフィクサーだ。
                                   あまりの目まぐるしさに、見ているこっちも認識が追いつかない。目指すべきゴールを矢継ぎ早に設定し、そこに時代を引き寄せていくのである。
                                   ――ただの一高校生のくせに……。
                                   苦々しく見ていた俺だが、奴はまるで気にかけない。それどころかこんな説教までしやがった。
                                  〈優斗、世の流れが早い今、大器晩成を待っているうちに時代が変わってしまう。これからは早熟の時代なんだ〉
                                   つまり、高校生でもスマホ一つで世界に発信し世の中を変えられる。今や才能の時代に突入したのだ、と。
                                   事実、ジェイソンのSNSは著名な起業家や投資家、政治家で溢れ、大企業が特許を取る前にそのアイデアをネットに晒し、クラファンで資本まで調達してしまう。実にデジタルネイティブだ。
                                   その発信力を前に学歴は死語と化し、むしろフォロワー数の方が人を計る指標に変わりつつある。
                                   これに疑惑の目を向けたのが、聖子だ。
                                  「アイツ特有の時間稼ぎよ。すでに国境なき税務団は、計画の第一段階を終了していると見るべきね」
                                   ファーストフード店でハンバーガーを豪快に齧りながら、聖子が罵る。俺は手短に念を押した。
                                  「ジェイソンが言ってた天沼矛プロジェクトだな?」
                                  「それ、ちょっと調べたけど綺麗なのは表面だけ。一皮ひん剥けば、エゴの塊だわ」
                                  「確かリアルを排したデジタルの境目で、世界中の国境をAIに統廃合させるんだよな。国籍、年齢、宗教、職業といった顕在的な属性データではなく、何に関心を示し興味を覚えるかという潜在的な行動ログデータをベースとする、と」
                                   まとめる俺に聖子は、口の中に頬張ったポテトをジュースで強引に流し込みながら、続けた。
                                  「奴はこのデータ源をメタバース、つまり、サイバーシティに求めている。すでに各国のデータサイエンティストも動き出しているわ。情報戦が始まっているの」
                                  「そうは言うが、日本は平和だぜ」
                                  「あのね優斗、有事の結果は平時の備えで決定するの。アイツは必ずアナログ日本からデジタルジャパンの建国を宣言する。独立戦争も辞さないと言ってね。とにかく目を光らせておいて」
                                   聖子は、怒り心頭に立ち上がるや、自分の分の会計をテーブルに叩きつけ、一人で去ってしまった。聖子にほぼ一方的に捲し立てられつ俺だが、どこかでジェイソンに共鳴する己を感じている。何となく俺と似ているのだ。それも嫌な部分が。
                                   ――最終的にものをいうのは財の根幹をなす徴税権だ。果たして日本は、国境なき税務団が模索する独立国家デジタルジャパンからこれを守り切れるのか。日本人はどちらを祖国と認めるのか。
                                   俺はその成り行きを注視している。

                                   厳冬がピークに差し掛かるある日、事件が起きた。セイコ02が忽然と姿を消失させたのだ。
                                   それはメタバース関連会社から、サイバー空間上に謎めいた光の報告を受けたことに起因する。セイコ02を走らせた俺達だが、確かに光が検出された。
                                  「ただのバグにしては、サイズがデカい。国境なき税務団の新兵器ですかね?」
                                   あたりをつける俺に隼人さんがかぶりを振る。
                                  「ない。今、奴らは税務当局と交渉中で微妙な時期だ。こちらを刺激することは避けるだろう」
                                  「じゃぁ、プログラムの不具合とか?」
                                  「それもない。ソフトの見直しは先日やったばかりだ」
                                  「となると……」
                                   頭を捻る俺だが、ここで聖子が思わぬ指摘をする。
                                  「多分、Jの残骸よ。先日のバーチャル戦で砕け散った断片がサイバー空間に残って、メタバースに悪さをしている」
                                  「なるほど、それはあり得るか。奴らを知る手掛かりになる。回収しよう」
                                   隼人さんはすぐさま指令を下す。たちまちセイコ02の姿が電子防護服モードに切り替わり、入力した座標で作業へと入った。
                                   だが、事態は思わぬ方向に転がる。断片と思しき光にセイコ02が触れた途端、一帯が振動で乱れ始めたのだ。隼人さんが動揺しながら言った。
                                  「エラーだ。かなりデカいバグが発生している!」
                                  「隼人さん、早くシステムを。セイコ02を撤収させてください」
                                   俺は叫ぶものの、隼人さんの操作をセイコ02は受け付けない。
                                  「聖子! そっちで何とかならにか」
                                  「ダメ。こっちも反応がない」
                                   ――なんてこった。
                                   俺は頭を抱えた。その後も盛んにアプローチをかけ続けるものの、セイコ02は完全に沈黙している。そうこうしているうちに、サイバー空間にいたセイコ02は、電子の海に飲み込まれ始めた。
                                   混乱をきたす俺達だが、どう足掻こうとにっちもさっちもいかない。
                                  「参った……」
                                   隼人さんが苦悶の表情を浮かべる中、俺は聖子とともに手作りのマニュアルを追っかけていく。そこで思わぬ事実が発覚した。どうやらデータが書き換えられてしまったらしいのだ。
                                   聖子が声を上げた。
                                  「どう言うことよ? じゃぁセイコ02はもう……」
                                  「いや、それは支障がない。とにかく元に戻そう」
                                   俺は隼人さんと復旧作業に取り掛かる。そこで何とか消失前の痕跡を見つけ、リカバリーリをかけた。
                                   気の遠くなるような作業の末にようやくセイコ02の復元に成功したものの、スリープ状態に入ったままうんともすんとも発しない。
                                   判明したのは、何かを仕込まれたらしいという事実だ。そのコードの特徴を俺は知っている。
                                   ――間違いない。母さんの仕事だ。
                                   俺は冬眠に入ったセイコ02を前に頭を働かせる。おそらく奴らは何らかの意図があって時間を稼ぎ、こちらの動きを封じたのだ。
                                  「まんまと嵌められたわね」
                                   唸る聖子に俺も異論はない。ただその規模には違和感を覚えている。
                                   ――おそらく想像を超える動きを狙っているに違いない。
                                   身構える俺達だが、やがて、その意図は明らかとなった。これまでなりを潜めていた国境なき税務団が、大攻勢を仕掛けてきたのだ。
                                   その勢いたるや、実に凄まじい。あっという間に三段構えの防御壁の二番目までが突破されてしまった。
                                   さらに桜志会の岡本先生からも、サイバー攻撃を受けている連絡が入った。税務当局も同様らしい。
                                   ――かなりマズい。セイコ02の起動を待つ時間がない。だが、このままでは全滅だ。
                                   ジレンマに陥る俺だが、はたと傍らで何やら作業に入る聖子に気がつき、声を上げた。
                                  「おい待て聖子、まさか……」
                                  「そのまさかよ。セイコ02にかわって私が直接、サイバー空間にダイブする」
                                  「幾ら何でもそれはマズい。リスクも考えろよ。まだテスト中の技術なんだぞ」
                                   俺と隼人さんが慌てて説得に入る。実はデジタル生命体のプログラミングにあたり、ベースとなるパーソナルデータを聖子に求めたのだが、その技術を転用し、直接サイバー空間へダイブする開発を進めていたところなのだ。
                                   俗に言うVRMMO技術で、バーチャル空間内の世界に専用デバイスで入り、五感を使って遊ぶ〈仮想現実大規模多人数同時参加型オンラインゲーム〉をさす。
                                   当然、臨床試験も終わっておらず、テストも数回しか行われていない。下手をすれば脳波に直接ダメージを受け意識は戻ってこない。
                                   俺と隼人さんは、その旨を懇々と説くものの聖子は「リスクは承知の上」と構わず準備に入っていく。元々、喧嘩っ早い聖子だ。一度、闘争心に火がついてしまえば、誰にも止められない。
                                   やむなく俺と隼人さんは、聖子のギャンブルに付き合うこととなった。

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                                • 一井 亮治
                                  参加者

                                     第十四話

                                    「いいか聖子、使える時間はせいぜい十分だ。無理だけは絶対にするなよ」
                                    「そうだ。許可はするが、身の安全は守ってくれ」
                                     必死に注意を喚起する俺と隼人さんに聖子はうなずくや、ヘッドセットを装着する。スイッチを入れシステムを起動させるとともに、脳波をセイコ02とリンクさせた。
                                     どうやら成功のようだ。これまでうんともすんとも言わなかったサイバー空間上のセイコ02が、ゆっくり目を開いた。無論、意識は聖子本人が担っている。
                                     はじめこそ若干の戸惑いを見せた聖子だが、持ち前の順応性ですぐさま活動へと入った。
                                     ――よし、いいぞ……。
                                     俺は送られてくる映像を眺めながら、聖子と意思疎通を図っていく。まず始めたのが、サイバー空間の探索だ。その光景たるや目を覆わんがばかりである。
                                     暴走したワームウィルスが、これでもかと押し寄せてくるのだ。
                                    〈優斗、隼人さん、私はどうすればいい?〉
                                     作戦を問う聖子に、俺は応答した。
                                    〈まずは、コアを見つけるんだ。それを撃退すれば、自然と他の連中も去っていく〉
                                    〈オーケー〉
                                     聖子は俺に応じるや、雲霞の如く押し寄せるワームウィルスの大群へと自ら飛び込んだ。襲いかかるワームウィルスの攻撃をものともせず、物凄いスピードでかっ飛ばすその様は、まさにスーパーマンだ。
                                     やがて、聖子はコアらしき中枢を捉えた。そこをてぐすね引いて待っているのがJだ。
                                     ――どうやら修復は完了していたようだな、J……。
                                     存在を確認した俺は、すぐさま聖子に交戦を指示した。
                                     だが、どうも様子がおかしい。目の前のJは、なりこそ同じであるものの、以前に戦った様子とは雰囲気が大いに変化している。
                                     まず攻撃力が違う。奴が突き出す手から放たれる衝撃波は、一発でも食らえば致命傷レベルだ。そこにスピートが伴うのである。
                                     ――何なんだこの強さは!
                                     違和感を覚えた俺だが、そこに臆する聖子ではない。巧みにその衝撃波をかわしつつ、遠距離攻撃を得意とするJの懐へと飛び込み、至近距離での肉弾戦へと持ち込んでいく。
                                     たちまち二体は格闘ゲームさながらのガチバトルに入った。手に汗握る攻防に俺達の声援も熱が入る。だが、なかなか勝敗に行きつかない。
                                     ――マズい。もう時間がない……。
                                     タイマーが残り一分を切る中、二体は壮絶な戦いを繰り広げている。そんな中、ついに決着のときが来た。
                                     聖子とJの放つ拳が交差し、互いの顔面を同時に捉えた。その威力は、双方にとって油断ならぬレベルである。
                                    「聖子!」
                                     思わず声をあげる俺だが、何とか持ち堪えている。対するJは、戦況を不利と見たのか、戦いを中断し去っていった。その背中を見送りながら、隼人さんが言った。
                                    「何とか勝った、か」
                                    「えぇ、ただ我々も追い打ちをかけるところまでには至らない。もう時間がない」
                                    「分かった。撤収しよう」
                                     隼人さんの一声に俺はうなずき、聖子の意識を仮想空間から現実世界へと引き戻した。
                                     完全に意識を回復させたところで聖子が起き上がり、ヘッドセットを外した。
                                    「聖子、よくやった。国境なき税務団の撃退成功だ。皆が撤退していく。よくやったな」
                                     労をねぎらう俺だが、聖子の表情は冴えない。何やら考え事をしているようである。しばし時間を待った上で、ポツリと言った。
                                    「私が戦ったJ。おそらくデジタル生命体じゃないわ」
                                    「え、どう言うことだよ」
                                     問い返す俺に聖子は、しばし考慮の後、言った。
                                    「あいつ。多分、Jじゃなく本体よ」
                                    「それって、つまり……」
                                    「ジェイソンが直接、乗り込んできたのよ」
                                     聖子の推論に思わず俺は声を上げた。
                                    「それはないだろう。何でそこまでの危険をおかすのさ?」
                                    「多分、うちと同じ。間に合わなかったんだと思う。確証はないけどね」 
                                    「つまり、ジェイソンは平然と俺のクラスメイトを演じつつ、今回、好機と見て攻撃を仕掛けてきたと?」
                                     俺の問いに聖子は黙ってうなずく。俺は思わず宙を仰いだ。確かにそう考えれば辻褄は合うものの、あまりに自然体を振る舞うジェイソンに確信が持てない。
                                     俺は徐ろにスマホを取り出すや直接、本人に確認を試みた。
                                    「ジェイソン。一体、どう言うつもりだよ。税務当局と和平調停に入っていたんじゃなかったのか? しかも、J本体とリンクして直接、襲ってくるなんて、卑怯撃ちもいいところだ」
                                     多少、かまをかけて問い詰める俺だが、ジェイソンはシラを切り続ける。そのすっとぼけぶりにキレたのが、聖子だ。俺のスマホを奪い取るや、吠えた。
                                    「ジェイソン、これ以上交渉しても埒が開かない。勝負しなさい! 場所は私が通ってる東洋ジム、そこでケリをつけましょう」
                                     どうせのらりくらりで応じないだろうなと思っていた俺だが、意外にもジェイソンはこれを受けた。
                                     聖子はスマホを俺に返すや、立ち上がり言った。
                                    「優斗、行くよ。奴に引導を渡してやるわ」
                                     
                                     
                                     
                                     かくして俺達はジェイソンに果し状を突きつけ、東洋ジムへと向かった。その道中で聖子の鼻息は荒い。
                                    「あのときの屈辱もまとめてリベンジしてやるわ」
                                     憤慨気味の聖子を傍らに置きつつ、俺は冷静に頭を働かせる。どうしてもジェイソンに対し、違和感が残るのだ。
                                     ――アイツは一体、何をしたいのか。立ち位置が読めない。
                                     国境なき税務団と繋がっている以上、敵なのだろうが、平然と俺達の前で私生活を送る大胆さには、やや感服だ。
                                     話し合った感じでは、実に礼節の行き届いた好青年だ。もっとも聖子に言わせれば、慇懃無礼となる。過去に一悶着あった経緯は聞いているものの、これに執着する聖子と無頓着なジェイソンの間には、明らかなズレがある。
                                     ――何はともあれ売った喧嘩だ。聖子の性格もある。納得いくまでやり合って白黒つけるしかないのだろう。
                                     やや達観気味な俺は、息巻く聖子の後に続いた。

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                                  • 一井 亮治
                                    参加者

                                       第十五話

                                       約束の東洋ジムに赴いた俺達だが、肝心のジェイソンが来ない。すでに約束の時間から一時間が経過したにもかかわらずだ。怒り心頭なのが聖子だ。
                                      「ジェイソン。アンタ一体、どういうつもりよ。逃げる気? はぁ? 電車が混んでて遅れる?! 車ならいざ知らず電車が混んでてどうやって遅れるのよ! アンタ、完全に私を馬鹿にしてるわね」
                                       戦闘モードから憤慨モードに入る聖子に、俺はおっかなびっくりだ。何を言っても焼け石に水である。そんな中、何の悪びれる素振りも見せずに、悠々とジェイソンが現れた。
                                      「ジェイソン、アンタ覚悟しなさいよね!」
                                       早速、噛み付く聖子にジェイソンは、涼しげな顔でこう言った。
                                      「聖子、もうお前は負けているんだよ」
                                      「はぁ!? どう言う意味よ?」
                                      「そう言う意味だよ。お前、本当に変わらないな」
                                       遅刻を悪びれるどころか、大胆にも勝利宣言をするジェイソンに、聖子の堪忍袋の尾がきれた。
                                      「上等よ! 叩きのめしてあげる。リングに上がりなさい」
                                      「言われなくても、そうするよ」
                                       ジェイソンは、実に冷めた目でうなずくや、着替えを済ませ、リングで聖子と対峙した。
                                       早速、スパーに入る二人だが、意外にも先制パンチを放ったのは、ジェイソンだった。どうやら聖子も意外だったらしい。冷めた態度から見て様子見に徹すると思っていたが、完全に裏切られた。
                                       面食らう聖子にさらにジェイソンは、意外な対応を見せた。なんとノーガードで聖子を挑発して見せたのだ。
                                       ――マズい。
                                       俺は思わず舌打ちする。確かに丁寧な言葉遣いだが、俺にはわかる。ジェイソンは完全に聖子のプライドと尊厳を全力で踏み躙ろうとしているのだ。
                                      「聖子、冷静になれ! 術中にハマるぞ!」
                                       セコンドの俺が吠えるものの、聖子の耳には届かない。
                                       ただでさえ熱くなっている上に度重なる挑発を受けた聖子は、完全に怒り心頭で周りが見えなくなっている。もはや誰も止めることが出来ない。憤慨のあまり前のめりになっていることにすら、気づいていないのだ。
                                       ――ジェイソンの奴、完全に計算済みって訳か。
                                       俺は改めてジェイソンの残酷なまでに冷徹な試合運びに舌を巻いた。対する聖子の力んだ蹴りとパンチは、完全に見切られ虚しく空を切り続ける。
                                       気が付けば完全にコーナーに追い詰められていた。トドメを決めにきたジェイソンだが、ここでゴングが鳴る。
                                      「ふっ、救われたね。聖子」
                                       ジェイソンは鼻で笑いながら、聖子の額を軽くゴツき自身のコーナーへと戻っていく。
                                       インターバルの間、俺は懇々と聖子にジェイソンの策に乗るなと説くものの、聖子の気は静まらない。完全に弄ばれ悔しさに涙すら滲ませている。
                                       ジェイソンのペースは、第二ラウンドに入ってさらに加速した。軌道の読めないトリッキーな蹴りを、聖子のボディーに的確に集中させていく。
                                       そのダメージの蓄積に、ついに聖子が膝から崩れ落ちた。息すらままならない地獄の苦しみに腹を抱え込み、背を丸めてうずくまった。
                                       口から唾液の糸を引かせマウスピースを吐き出す聖子の顔は、苦悶に歪んでいる。まさに悶絶の絶頂だ。それをジェイソンが涼しげに見下ろしながら、鼻で笑う。
                                      「聖子、やっぱり君はそうやって芋虫みたいにリングに転がっている姿がお似合いだよ」
                                      「ふざけるな……私は、まだ……」
                                       聖子はマットに腕を突き立て必死に立ちあがろうととするものの、上体が上がらない。結局、リングを去るジェイソンの冷笑をただ見送るしか出来なかった。
                                      「悔しい……」
                                       聖子は、マットに腰砕けに座り込むや人目も憚らず号泣した。屈辱に塗れた顔で感情を露わにする聖子に、俺はかける言葉を失っていた。

                                       
                                       
                                       一見、気丈に見えてその実、ナイーブなのが聖子だ。一度、折れると立ち直れない脆さがある。冷静さを取り戻す中、聖子はポツリポツリと心中を吐露した。
                                      「もう私はアイツに勝てない……」
                                      「何言ってるんだよ聖子。お前らしくないぜ」
                                       俺は諭すものの聖子は、かぶりを振って続けた。
                                      「今回が最後のチャンスだったの。悔しいしリベンジしたい。けど、ここから先はどうしても男女の差が出る。それは埋めようのない差なのよ」
                                      「だったら男女の差が出ない領域でやればいい。リアル世界では無理でも、バーチャル世界なら肉体の差を潰せる。世界を舞台にサイバー空間で電脳格闘大会を開催するのが夢なんだろ。俺も付き合うぜ。パートナーなんだから」
                                       俺は涙に濡れた聖子の拳に手を置く。どこまで伝わったかは分からないが、聖子は黙ったままうなずき一言、礼を述べた。
                                      「ありがとう。優斗」

                                       
                                       
                                       聖子と別れ帰宅した俺は、早速、夕飯のカップ麺をすすりながらパソコンに向き合っている。改めて感じたのが、ジェイソンの大胆不敵さだ。
                                      「あいつ、相当なやり手だな」
                                       平然と奇襲をかけておきながら自分は無関係だとうそぶき、リアルのガチバトルであの聖子を手玉にとるなど、おおよそ普通の神経の持ち主とは思えない。
                                       ――何より策士で勝負師だ。しかも奴には、国境なき税務団を率いるジョン黒田と俺の母がついている。このままでは奴らに勝つことは出来ない。
                                       俺は徐ろにチャット画面を開くやミスターDと連絡をとった。さすが情報屋なだけに既に今回の事態について色々通じているようだ。
                                       俺は早速、キーボードに指を走らせる。
                                      〈俺達がサイバー戦で奴らを制すには、武器がいる。何かないか?〉
                                       すると待ち構えていたかの如く、データが送られてきた。試しに開いてみた俺は、その中身に思わず唸った。
                                       ――サイバー戦用防護アーマーか……。
                                       ミスターDによると、既に国税局徴収部のサイバー部隊が防衛省とその開発を目論んでいるという。俺はミスターDに別れを告げた後、続け様に桜志会の岡本先生と連絡を取った。
                                       どうやら国も今回の事態を重く見ているらしく、国境なき税務団への対抗策を講じていると言う。試しにサイバー戦用防護アーマーについて問うと、明らかな反応があった。
                                      「ほぉ、そこまで知っているとは優斗君も隅に置けないな。確かにその構想には着手済みだ。ただ実証が追いつかない。新型機のテストパイロットがいないんだ」
                                      「と言いますと?」
                                      「脳波と直接リンクする関係で若い脳がいる」
                                      「それならセイコ02が……」
                                      「無論、それも考えたが安定性を欠く。まだ人間と代替するには早すぎるんだ」
                                       口を濁す岡本先生に、俺はズバリと断言した。
                                      「一人、候補がいます」

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                                    • 一井 亮治
                                      参加者

                                         第十六話

                                         谷口エンタープライズの開発室で、俺は隼人さんとともにヘッドギアを装着し、コード類に繋がれた聖子を見守っている。
                                        「どうだ聖子?」
                                         俺はセイコ02とリンクし、防護アーマー姿の聖子とPC画面越しに会話を交わす。
                                        「悪くないよ。ただちょっと重いけどね」
                                        「オーケー、じゃあ早速、サイバー空間で実証試験と行こうか」
                                         切り出す隼人さんに画面上の聖子は、うなずく。
                                         本来ならもっと簡単なテストから始めたいのだが、聖子が首を縦に振らない。やむなく初歩をすっ飛ばし、いきなり実戦的なテストから入った。ステージはスペースエリアの開放ミッションである。
                                         対戦相手は、国税局徴収部と防衛省のサイバー部隊がタッグを組む混合部隊だ。国境なき税務団を仮想敵としている。
                                         ――さて、聖子はどこまでサイバー戦用防護アーマーを使いこなせるか。
                                         隼人さんとPC画面で成り行きを見守る俺だが、その結果は凄まじいものだった。サイバー空間に放たれた聖子は、まさに水を得た魚の如く縦横無尽に暴れ回り、あっという間に全ての仮想敵を撃退してしまったのだ。
                                         俺は思わず舌を巻く。
                                        「驚いたな」
                                        「僕もだよ」
                                         隼人さんも同調している。
                                         興奮を覚えた俺達は、したり顔で戻ってきた聖子に次のステージへと進ませた。野生エリアだ。隼人さんが説明にかかる。
                                        「いいかい聖子ちゃん。君が着るパワードスーツの一番の特徴は、状況に応じて変形出来る点だ。右腕のタッチパッドで……」
                                        「これね」
                                         あたりを付けた聖子が、タッチ操作を入力する。たちまち白い宇宙戦仕様の角張ったパワードスーツが、光とともに粉々に砕け散り丸みを帯びた迷彩仕様へと形状を変えた。
                                        「凄ーいっ! 変身ヒロインみたい」
                                         興奮する聖子に隼人さんは、さらに続ける。
                                        「この野生ステージで是非、試して欲しいのが……」
                                        「ステルス、かな」
                                         応用を効かせた聖子が操作を入れると、パワードスーツの表面が周囲の景色を読み取り保護色に変わった。まるでカメレオンの如くだ。
                                        「……お察しの通りです」
                                         説明する前に次々と機能を使いこなす聖子の順応力に、隼人さんも苦笑いだ。ここで俺達は一つの案を試みた。聖子にこのエリアの詳細なルールや注意点を敢えて伏せることとしたのだ。
                                         ――戦場には誤算がつきものだ。その中でどれだけ応用力を働かせられるか。
                                         俺達がPC画面を注視していると、不意に背後から声がかかる。
                                        「どっちが勝つか、賭けてみる?」
                                         驚き振り返る俺達の前には、いつの間にか谷口社長が立っていた。挨拶に立ち上がろうとする俺を手で制し、谷口社長は言った。
                                        「もし、このエリアを聖子がクリア出来れば、ランチを奢ってあげるわ」
                                        「え、マジですか! ゴチになります」
                                        「何それ優斗? アンタ、もう勝った気?」
                                         呆れる谷口社長に隼人さんが声をあげて笑った。俄然、応援に熱の入った俺達は画面を注視していく。
                                         鬱蒼と茂るジャングルを、電子迷彩を駆使して敵地エリアに忍び込む聖子だが、その前に敵司令部が現れた。
                                         本来ならここで一気に攻めに出るのがセオリーだが、意外にも聖子は慎重だ。ひたすら待機し、じっと時を待っている。
                                         ――なるほど。我慢比べという訳か……。
                                         聖子の意図を汲んだ俺は、その変化に驚いている。どうやらジェイソンとの一戦が相当こたえたらしい。勝ちを急ぐあまり感情面でアツくなり過ぎるこれまでとは、打って変わって冷静だ。
                                         ミッションの終了時間が迫る中、痺れを切らしたのは敵役だった。聖子が待機していると思しき場所に一斉攻撃を掛けたのだ。そこで彼らは、己の未熟さを知ることとなる。聖子と思しき痕跡は、彼女のトラップだった。
                                        「勝負あり、ね」
                                         谷口社長がうなずく中、まんまと囮に吊られ術中にハマった敵役は、次々に仕掛け爆弾にやられ、生き残った部隊も聖子に狩られていく。
                                         その冷徹さたるや、氷の如くだ。ここで聖子にコードネームがつく。曰く〈アイスキッド〉と。
                                         結局、国税局徴収部と防衛省のサイバー部隊がタッグを組んだ混合部隊は、聖子の前に完敗とあいなった。
                                         見事に谷口社長からゴチを勝ち取った俺達は、高級レストランでランチを楽しんでいる。ご機嫌な聖子は、メイン料理の肉をナイフとフォークで捌きながら、俺に問うた。
                                        「今日の結果ってさ。やっぱりセイコ02に反映されたりするの?」
                                        「もちろんさ。君がセイコ02を通じサイバー空間で得た経験は、ミネルヴァシステムを通じ深層学習されていく。その繰り返しの先に、デジタル生命体のさらなる進化が待っているんだ」
                                        「それは国境なき税務団のJも一緒?」
                                        「そうだ」
                                        「オーケー……」
                                         聖子は深々とうなずいている。どうやら心の中でリベンジを誓っているようだ。その後、メイン料理を平らげながら、谷口社長は上層部の内情を晒していく。
                                        「鍵は税金よ。知っての通り無税国家を是とする国境なき税務団は、その原資を日本の徴税権に求めている。ジョン黒田を筆頭にね。国税局と防衛省がタッグを組んだのも、それが理由なんだけど……どうも国境なき税務団は、一枚岩ではないみたい」
                                        「え、そうなんですか?」
                                         驚く聖子に谷口社長がうなずく。納得すること大な俺は、頭を働かせた。
                                         ――確かにそうだ。特に謎なのが息子のジェイソン黒田……。
                                         俺の日常生活に飄々と現れた奴は、国にマークされながらも、その身を案ずることもなく、いけしゃあしゃあと学生生活を謳歌している。
                                         その様たるやにくらしいほどに、平然だ。まさに泰然自若である。 
                                         さらに言えば国も国だ。あれほどの容疑者を注視しつつも野放しにしている。試しにその旨を問うてみると、谷口社長はかぶりを振りつつ、一言だけ述べた。
                                        「優斗、それはアンタッチャブルよ」
                                         ――要するに闇が深いってことか。
                                         俺は閉口するしかなかった。
                                         やがて、話題はメタバース関連に及んでいく。ここで聖子が素朴な疑問を口にした。
                                        「メタバースって、ネット上の仮想空間に設けた疑似現実じゃないですか。ここに国境なき税務団が和の概念を広めサイバー空間を制す狙いを持っている。それは分かるんですが、そもそもメタバース自体がオワコンなんじゃないかって」
                                        「聖子ちゃん。言わんとしていることは分かる。セカンドライフの失敗に技術的制約、高額なデバイス等々難は多い。ただそれでも僕は普及に賭けるね」
                                         胸を張って断言するのは、隼人さんだ。なんでもビッグテックの本格参入や巨額投資が技術的制約を解き、デバイスに価格破壊をもたらす。今は基礎固めの重要な時期なのだ、と。
                                         これに俺が続いた。
                                        「その普及のためのキーデバイスが、今回テストしたサイバー戦用防護アーマーなんだよ」
                                        「どういうことよ?」
                                         首を傾げる聖子に俺は、説明していく。
                                        「今はサービスが各社乱立で内容もクオリティも玉石混合だろう。接続性と空間コンピューティングという概念はあるが、リアルとバーチャルを切り替える標準規格がない。そもそもデジタル空間自体に国境の概念がないからな。このカオスな状況であらゆる条件にあわせ瞬時に防具を形成する変幻自在な能力は、必須なんだ」
                                        「なるほど。逆に言えばこのテクノロジーがあれば……」
                                        「デファクトを取れる。俺達のシステムが事実上の標準規格となるのさ。いずれ標準化を含め国際的なルールが国際社会との連携で形成させるだろう。それまでを繋ぐ過渡期の技術だよ」

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                                      • 一井 亮治
                                        参加者

                                           第十七話

                                           暦が二月を刻んでいる。世間が迫る確定申告に備えつつある中、俺は以前、偶然公園で鉢合わせた桜志会会長の片桐先生の事務所を単身で訪れている。
                                          「わざわざのご足労、すまないね」
                                          「や、別に構いませんが、一体、何用で? 確定申告を前にお急ぎのご用件とか」
                                          「ふむ。実は税務当局から水面下で協力の打診があってね。国境なき税務団がこの確申期に何かを企んでいるらしい。その動きを追って欲しいんだ。すでに君のお父さんには了解を得ている」
                                          「なるほど。協力することにやぶさかではありませんが、一体、税務当局はどこからのその情報を?」
                                          「無論、信憑性はあるのだが、その情報源は……うーん、なんと言ったらいいか……」
                                           口を濁す片桐先生に俺は、頭を働かせる。そこまで悩ませるとは一体、何者なのか。その正体に想像力を膨らませる俺に、片桐先は意外な人物の名をあげた。
                                          「優斗君、君のお母さんだ」
                                          「え、うちの母ですか?! でも母は国境なき税務団にくだって以降、顔も合わせていません。一体、なぜ自ら不利になるような情報のリークを?」
                                          「うむ。これは私の憶測に過ぎないのだ、多分、君のお母さんは嫉妬しているんだと思う」
                                          「誰に?」
                                          「君に」
                                           俺は思わず絶句した。あろうことか息子に嫉妬するとは何事か、疑問に頭を悩ませる俺に片桐先生は自らの見解を述べた。
                                          「君のお母さん、つまり優子さんのことは私も知っている。一言で評すれば天才になり切れない秀才タイプだな。才に長けつつも、それを活かし切れない。そこへ君が労せず、次々に新規軸を打ち立てるものだから内心、焦っているのだろう」
                                          「や、仮にそうだとしてですよ。なぜリークを?」
                                          「挑戦状さ。同じ土俵に立ちサシで息子の君と勝負したいのだ」
                                           鋭く分析してみせる片桐先生に俺は、大いに苦悩した。その上でさらに頭を働かせる。
                                          「片桐先生。この話、リークしたのが母として、おそらくその間を取りもった人物がいますよね?」
                                          「ほぉ、鋭いな。残念ながら一税理士に過ぎない私に、その名は言えない。だから、君が判断してくれ。誰だ。ズバリ言ってみろ」
                                          「ジェイソン黒田」
                                           即答する俺に片桐先生は、黙ったまま微笑で応じた。どうやらビンゴらしい。
                                           ――アイツ。一体、どう言うつもりだ。母とどんな関係があるんだ。
                                           俺の疑問は尽きることがない。そんな中、不意に片桐先生が立ち上がった。何事かと顔を伺う俺にこう述べた。
                                          「トイレ」
                                           部屋から出ていった片桐先生だが、ふと前を見るとノートが開かれている。表紙にトップシークレットと刻まれたノートだ。
                                           その意図を察した俺は、思わず苦笑した。
                                          「要するに見て見ぬふりをしてやるから、さっさと知りたい情報を探れってことか。あの先生、政治家かよ」
                                           片桐先生の腹芸に感服しつつ、俺はそのノートを取るや目を走らせていく。そこからかなり時間が経ったところで、ノックとともに片桐先生が何食わぬ顔で戻ってきた。
                                           その意味深な笑みに俺は黙って頭を下げ、片桐先生も阿吽の呼吸で黙ったままうなずき返した。

                                           

                                          「つまり、果し状を受ける訳ね?」
                                           谷口エンタープライズで、詳細を語る俺に聖子が問う。俺はうなずき思いを述べた。
                                          「セイコ02に出来る限りの経験をさせたい。デジタル生命体にとって良質な実戦データは、深層学習の品質を左右する。無論、単体でも活動は出来るが、当面は聖子に入ってもらいたい」
                                          「えぇ、そうね……」
                                           聖子は同意しつつも鎮痛な表情を見せている。その脳裏にジェイソンの敗北があることは明らかだ。完全にトラウマとなり、苦手意識を払拭できないらしい。
                                           見かねた俺は隼人さんとともに言った。
                                          「聖子、大丈夫だ。作戦は俺が立てる。サイバ戦用防護アーマーも含め全力でカバーするから」
                                          「優斗君の言うとおりだ。責任はこの僕が持とう」
                                           二人がかりで説得を試みるものの、聖子の表情は固い。
                                          「分かってる。私もファイターの端くれ。アイツへの借りは、きっちり返すつもりだから。でも本当にこの作戦で大丈夫なの?」
                                          「あぁ、そこは俺を信じてくれ」
                                           胸を叩く俺に聖子は黙ってうなずくや、重い手つきでヘッドセットを装着する。セイコ02とシンクロし、サイバー空間へとダイブした。
                                           目的地は、国境なき税務団の活動が目撃されたネットの海の底だ。俺は片桐先生のノートから転記したメモ書きを片手に指示を下していく。
                                          「どうだ聖子? 何か兆候はあるか?」
                                          「今のところは特に……ただ、得体の知れない何かを感じる」
                                           端末越しに返答する聖子に、俺は隼人さんとPC画面を睨み頭を捻っている。
                                           ――きっと母さんは俺を試すはずだ。リークによれば、それがこの海域……別ステージへのワープポイントがある。
                                           この予感は見事に的中した。聖子の目前に国境なき税務団のものと思しきワームウィルスが現れ、まるで誘うように一定方向へと潜っていったのだ。
                                          「聖子!」
                                          「了解よ」
                                           後を追う聖子に対し、ワームウィルスは付かず離れずの絶妙な距離を維持しながら、逃げていく。聖子を誘導しようとしていることは、明らかだ。
                                           ――ここは一つ、母さんに従うか。
                                           俺は聖子にそのまま追跡をさせた。やがて、追っていたワームウィルスが姿を消す。代わりに現れたのは、ワープポイントと思しき光のカケラだ。
                                           それを手にした途端、聖子の体は海底から別のステージへと飛ばされた。広がったのは、白を基調としたエリアだ。
                                           幾何学的な文様がどこまでも続くそのだだっ広い世界に、異様な殺気を覚えた俺は聖子に言った。 
                                          「聖子、来るぞ」
                                          「オーケー」
                                           聖子はボディーアーマーのスイッチを押し、ヘルメットを作動させた。
                                           たちまち白の幾何学文様から次々とワームウィルスが現れ、聖子を取り囲む。
                                          「来たわね」
                                           聖子は間髪入れずにワームウィルスの懐に潜り込むや、目にも止まらぬ早業で手玉に取っていく。まさに飛んで火に入る夏の虫。気が付けば、あっという間に全てを撃退してしまった。
                                           恐るべきサイバー戦用ボディーアーマーの威力だ。何より聖子は、これを完全にものしている。
                                          「流石だな」
                                           舌を巻く俺だが、もっともこれは前哨戦に過ぎない。本命は後ろでしっかり待機していた。

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