一井 亮治

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  • 一井 亮治
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       第十四話
       
       鬼塚社長をして癌と言わしめたアレックスだが、それを垣間見せる出来事が起きた。
       その日はホームゲームで、天気はあいにくの雨。白のホームユニフォームも泥塗れで、ミアも身体能力を持て余している。その辺は、経験不足が露呈した形ね。
       だが、それは来たるべき事件の予兆でしかなかった。ミッドフィルダーとして360度を視野に入れる私は、隣接するビルの屋上からとんでもないものを発見する。
       ──え、まさかアレって……。
       まさに私の危機センサーが如実に働いた瞬間だ。
      「ミアっ!」
       叫ぶ私は気付けば、ミアを庇うべく前面に出ていた。その直後、銃声らしき音が轟く。宙を切り裂く飛来音とともに、何かがかすめた。
       私の額から鮮血がほとばしり、気がつくと地面に倒れ込んでいる。
      「ナツ!」
       周囲が叫ぶ中、私は遠のく意識の微睡に飲み込まれていった。
       
       ………
       ……
       …
       
       どれほど時間が経っただろう。はたと気がつくと、見たことのない部屋にいる。どうやら病院の様だ。そこへ傍らにいる人影が声をかける。
      「葵!」
       それは、士郎兄だった。
      「あれ……私。一体、どうして……」
       困惑の中、上体を起こそうとしたものの、凄まじい頭痛に阻まれ病床へと伏せる。疲労困憊な私に、士郎兄が事情を説明し始めた。
       どうやら私は、ミアの身代わりになって狙撃されたらしい。危篤状態が何時間も続き、一時は命も危ぶまれたものの、何とか一命は取り止めた。
       ちなみに皆は、警察から事情聴取を受けている最中との事だ。そもそもそんな過激な世界とは無縁だっただけに、私は出すべき言葉を失っている。
       ──一体、なぜ? 何者が!?
       疑問に対する回答は、限られてくる。間違いなくアレックス絡みだ。本人がそれを命じたのか、あるいはその関連で狙ったのかは定かではないものの、私は明らかにヤバい世界へ踏み出してしまったらしい。
      「ナツ、心配だろうが、とにかく今は休んでろ。親父と母さんもこっちに向かっている」
       士郎兄が私を安心させようとする中、不意に扉が開き、ミアが冬月とケインを引き連れ病室へと駆け込んできた。
      「ナツ!」
       飛びつくミアは、私の無事を確認するや、ヘナヘナと糸の切れた操り人形の如く、その場に座り込んでしまった。
       どうやらこのジャジャ馬でなる跳ね返り娘にも、可愛らしいところはあるらしい。安堵の余り涙を浮かべている(本人は涙だと認めていないが)。
       一方、大いにはしゃぐのは冬月とケインだ。私の無事を喜びつつも、やれ報復だの仕返しだと叫び散らしている(どこまで本気だか知らないが)。
       何はともあれ、私は一命を取り止めた。その一点において、天に感謝した。
       その後も皆のお見舞いは続く。ラクロス部のメンバーやクラスメイト、さらには玄蔵爺さんや桜志会の先生方など、多方面からの気遣いを受けた私だが、それが一区切りついたところで、徐ろにスマホを取り出す。
       今回の事件に関連するであろう人物と連絡を取るべく、メールを送った。
      〈アレックス、アンタの仕業ね〉
       返答はすぐに来た。
      〈ナツ、君が無事で何よりだ。もう気が気でなかった。君の返事が見れて安堵したよ……ただ、あの女は頂けないね〉
      〈ミアね。だからって暗殺まで図るなんて、どういうことよ!〉
      〈そういうことさ。君が救ったあの女の狙いは僕だ。なら取り除かねば。当然だろう〉
       なんら悪びれることのないアレックスに、私は目の前がクラクラする思いだ。私は言った。命まで狙うなんて常人のすることではない、と。
       だが、アレックは全く意に介さないどころか、さらに冷酷な一面を見せた。
      〈ナツ、警告する。もしあの女……ミアを救おうものなら、次の標的は君になる。その時は今回のような幸運はない。待っているのは、死だ〉
      〈アレックス。アンタ一体、何を焦ってるのよ!?〉
       しばし沈黙の後、アレックスが返答を寄越した。
      〈ナツ。知っての通り、僕は先が長くない。だから遠慮はしない。可能な限りこの世の全てを変えていく。たとえそれが死を招こうともね〉
      〈そんなの間違っている。アレックス、アンタの野望は何も産まない。待っているのは、ただの破滅よ!〉
      〈上等だね。破滅、滅亡、大いに結構。その先にこそ真の未来がある。日本にとってもだ〉
       まるで歯車の噛み合わない私達は、非難の応酬に明け暮れ平行線をたどった挙句、物別れに終わる。
      〈ナツ、君ならわかってもらえると思ったが、残念だ。ただチャンスをあげよう。一週間、これが僕が君に与えられる最大限の猶予だ。もし、考えが変わったら連絡をくれ。そうでないなら、容赦はしない〉
       そこでアレックスのメッセージは、プツリと途絶えた。
       

       
       翌日、見舞いに来た士郎兄、冬月とケイン、ミアを前に私は考え込んでいる。というのも私の無事を知った両親が急遽として見舞いを中止し、仕事に戻るとともに私に一本のメールを寄越したのだ。
       張り付けられたURLを開くと、そこには謎の算式が記されている。訳が分からない私にミアが素直な感想を述べる。
      「算式はともかく、娘の入院に駆けつけないアンタの両親って、どういうことよ」
      「全くだ」「ヒドいデス」
       冬月とケインも続く中、私と士郎兄は「そういう親なのよ」と苦笑する。
       実はこの辺、うちは変わっている。あれは私が小学校を、士郎兄が中学校を卒業するときだ。両親が卒業祝いと称し、プレゼントに現金三百万円を用意してくれたのだ。
      〈この原資を運用して大学までの資金を自分達で捻出しろ〉
       半ば養育の放棄とも取れる方針で、これをよく言えば自覚を促す放任主義となり、ありていに言えば「勝手に育て」となる。事実、士郎兄は見事に運用を覚え、株式市場とコモディティ取引で私の分まで養育費を稼いでいる。
       さらに秀逸なのが、教育方針だ。いわゆるストップウォッチ勉強法と言われるもので、常にどれだけ勉強したかが分かるよう、細切れの時間まで計らせるのだ。今、思えばこれが私の要領の良さにつながっている気がしている。
       何はともあれ今は、算式だ。士郎兄が記憶を頼りにあたりをつけた。
      「これ、相続税評価額で使う路線価の加重平均を元にしてるな」
      「何それ?」
       首を傾げる私に士郎兄は「異なる正面路線価を間口距離で按分する算式さ」と、これまた難解に説明する。
       よくは分からないが、どうやらこれを元にうまくバランスを取ってアレックスと戦え、ということのようだ。
       さらに算式は、二つの法則を導いている。第一法則を戦闘力に武器効率と兵力数を、第二法則にこの兵力数を二乗したものを置くというものだ。
      「それ多分、ランチェスターです」
       ケインが思い当たる節を述べた。要約すると、戦争における戦闘員の減少度合いを数理モデルにもとづいて記述した法則らしい。
      ──つまり、弱者は第一法則を取れってことか……相変わらずまどろっこしい親ね。
       私は苦笑を禁じ得ない。その上でいかにアレックスと対処していくかについて議論を重ねていった。

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      一井 亮治
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         第十三話
         
         帰国するや否や、私は新たな部員集めに奔走している。今回の上海ドラゴンズ戦で痛感したのは、これまでにない斬新な発想や特異な能力の必要性だ。
         ──多少、荒削りでもいい。どこかに見たことがないような才能は埋もれていないか。
         それこそ目を皿のようにして探し続ける私だが、ここで耳寄りな情報を入手する。何でもうちの学年に留学生が来るらしい。
        「カナダの元陸上部!?」
         情報の提供主であるケインに、私は声をあげる。何でもかなりの実力者だったらしい。目を光らせる私だが、そこに冬月が水を差す。
        「ナツ、気をつけろよ。うちの陸上部が勧誘を見送った程だ。どうも本国で色々、あったらしいぜ」
        「何よそれ?」
        「早い話が年功序列のはみ出し者だ。上級生を殴った挙句、止めに入った教師のキンタマを蹴り上げたらしい。素行が悪さは一級品。とにかく束縛されることが嫌いなんだと」
        「へー……いいじゃんいいじゃん」
         興味がわけば、とことん首を突っ込むのが私流だ。何よりカナダという点に惹かれた。ラクロス発祥の地なのだ。
         起源は十七世紀に遡る。北米ネイティブアメリカンが戦闘用の訓練に用いていた格闘技をカナダに入植してきたフランス系移民が発見しルールが制定されスポーツ化した。
         カナダでは国技として愛され続ける競技だ。
        「ラクロス発祥の地からの元スプリンター留学生、これは何としても取りにいかねば」
         ケインから送られた留学生の画像を眺めながら、私は腹を固めた。
         

         放課後、ラクロスの練習を終えた私はバイト先の税理士事務所へと向かう。そこで思わぬ出会いが待っていた。応接室に噂の留学生が訪れているのだ。
         ただその雰囲気は和やかではない。桜志会と思しき先生方を数人引き連れ、物々しさを醸し出している。玄蔵爺さんが手招きした。
        「葵ちゃん、ちょっと入ってくれ」
         促されるまま席に着くだが、そこで思わぬ話を聞かされた。何でも各国政府が本格的にミネルヴァノートの私物化に動き始めているらしい。
         もっともそこはインターネットだ。すでに関係者の間で大いに広まり、知る人ぞ知る存在となっている。そこで私と留学生の出番だという。
        「ミア・ディオン。ヨロシク」
         無表情を動かすことなくミアが握手を求める。私は場の空気に流されるまま、その手を取ったのだが、ミアはいきなり物凄い握力で私の手を潰しに来た。
         ──痛っ……。
         思わず表情を歪めた私だが、仕返しとばかりにミアの手を強く握り返す。互いの意地がぶつかり合う中、ミアは放り出すように私の手を払った。
         面白くなさげにドカっとソファに腰を下ろすミアと、警戒一色に染まる私。その様子を桜志会の先生方がハラハラしながら見守る中、玄蔵爺さんが切り出した。
        「君達二人には、アレックスの監視を頼みたい」
        「え、でもアイツの居場所って、アメリカでしょ」
        「それがそうでもないんだ。パーマネントトラベラー、通称PTと言ってね。巧みに国籍や所在を変え課税を……というか国の関与から逃れ続けている。対策を打とうにも新手の抜け道を見つけては、居直る有様だ」
        「お話は分かるのですが、それはアイツの生き方なんでしょ」
        「それがそうとも言い切れない」
         割って入るのは、桜志会会長の広田和也先生だ。どうやらマネーロンダリングの疑いが浮上しているらしい。課税当局のみならず、各国の捜査機関も目を光らせているという。
        「なるほど。で、私は具体的に何をすれば?」
        「何もしなくていい」
         広田先生の言葉に私は首を傾げる。すかさず玄蔵爺さんが補足した。
        「葵ちゃん、何もしなくてもアレックスとその背後にうごめく連中が仕掛けてくる。つまり、君はミアのボディーガートという訳だ」
        「なるほど。分かりましたが一つ、条件があります」
        「ほぉ、承ろう」
         皆の視線が集中する中、私は切り出した。
        「ミアをうちのラクロス部に入らせること。ボディーガードなら、その方が都合がいいでしょう」
        「ちょっと待ちなよ。アンタ、本気でそれ言ってんのかい。あたいの事もよく知らずに……」
         ★
         声を荒げるミアに私は、ケインから譲り受けたレポートの内容を誦じた。
        「親は脱税で拘束され、ご自身はハッキングで逮捕。司法取引を経て今の立場に至る。好きな食べ物はケンタッキーで、スヌーピーをこよなく愛しミッキーマウスを憎む。何より嫌うのは自由を束縛される事……」
        「それと詮索されること、ね」
         ミアはジロリと私を睨みながら返答する。一触即発となる中、玄蔵爺さんが間を取り持った。
        「いいだろう。葵ちゃん、条件を飲もうじゃないか。いいだろうミア?」
         有無をいわせぬ玄蔵爺さんに、ミアがそっぽを向きながらうなずいて見せる。かくして私は念願のラクロスで新戦力を手に入れた。
         それは、同時に波乱要因をも巻き込んでいくこととなる。

         翌日、うちのクラスの一員として迎えられた留学生ミアだが、まぁ派手だ。目立つ目立つ。
         まず、異様に上手い日本語。漢字こそ使いこなせないものの、日常生活に不可欠な会話は実に流暢だ。どうやら両親のどちらかが、日系の血を引いているらしい。
         次に素行の悪さ。てんで言うことを聞かず、傍若無人に振る舞っている。あの冬月までこう言った。
        「おいナツ。あのミア、何とかならないのか?」
         ──アンタが言うな。
         心の中でつぶやく私だが、確かにミアはクラスの輪を乱している。挙げ句の果ては喧嘩だ。クラスメイトが気に入らないとかで古武術らしき技を決め、保健室送りにしてしまった(ちなみにこれ、全部初日の出来事ね)。
         一応、保護者らしき立場に私がいるんだけど、もうついていけない。
         ──損な役回りを引き受けてしまった。
         浅はかだった己を呪う私だが放課後、このマイナス評価を帳消しにする姿を目撃する。
         ちょっと試しに走らせて見せたんだけど、愕然としたわ。
        「速っ……」
         ラクロス部のダッシュでいならぶ先輩をごぼう抜き。しかもラクロスの方もやたら上手い。ろくに経験もないのに、たちまちエース的ポジションを勝ち取ってしまった。
         ──凄い身体能力……。
         私は声が出ない。もっとも根っからの一匹狼だけあってきっちり組織の輪を乱すことも忘れない。あろうことか谷先輩に「アンタ、スパイなんでしょ。もうこの部を辞めなよ」と、余計な一言をかます始末。
        「ミア。何、いらんこと言ってんのよ!」
         抗議する私だが「その甘さがあるから中国チームに引き分け止まりなのよ」と、逆に説教をかましてきた。
         とにかく厄介。めんどくさくて仕方がないのだが、それがなぜか物凄く嬉しい。
         ──次はどんな姿を見せてくれるのだろう。
         飽きっぽい私が、次々とポテンシャルを開花させていくミアにすっかり首っ丈だ。
        「凄い奴、入れたね」
         同輩の恵の感想に「同感」と苦笑した。
         
         
         
        「もう大変ですよぉ」
         私が愚痴をこぼす相手は、ネオサイバー社の鬼塚社長だ。玄蔵爺さんから記帳業務を託され会社にお邪魔しているのだが、そんな私を鬼塚社長が笑う。
        「その割には、随分と楽しそうじゃないか」
        「まぁ、それは……ちなみに鬼塚社長は組織を強くしたいとき、社員の見極めをどうされてます?」
        「ゼークトの組織論を使ってる」
        「え、それはあの……どなたで?」
        「ドイツ軍で上級大将を務めた軍人さ。組織内の人材を四つのタイプに分類し、どのような役割を与えると能力に応じた活躍ができるかを示した理論だ」
         鬼塚社長の解説によれば、人材は「利口・愚鈍」と「勤勉・怠慢」の切り口でかけ合わせ、以下に分類できるという。
           
         ・有能な怠け者(利口・怠慢)
         ・有能な働き者(利口・勤勉)
         ・無能な怠け者(愚鈍・怠慢)
         ・無能な働き者(愚鈍・勤勉)
         
         ミアはまさに有能な怠け者だ。軍隊においては「指揮官」の役割を担うとよいとされるらしい。マネジメントに秀でているタイプ。
         怠け者な分、自分が動かず人任せで、利口な分、組織全体を俯瞰し適材適所に人を配置できる。
        「じゃぁ、有能な働き者だったら?」
        「ナツ、君みたいなタイプだ。働き者な分、人任せにせず、自分でやってしまうだろう。だから指揮官は向かない。参謀タイプだな」
        「なるほど……」
         私は妙に納得を覚えている。事実、キャプテンを務めているとはいえ、皆に各々の課題等を示した分析レポートを配布するなど、手法は参謀に近い。
         ここで私は気になる核心の人物評を問う。
        「じゃぁ、アレックスはどうなんでしょう?」
        「うーん……さぁ、どうしたものか」
         私の問いに鬼塚社長はしばし考え、意外な評価を下した。
        「案外、無能な働き者かもな」
        「え……有能じゃないんですか?!」
        「俺の基準からすれば無能だ」
         鬼塚社長の評価に私は考える。確かにアレックスは、幼さゆえに判断が独善的だ。これを無能と評価すれば、アレックスが動くことで間違った判断により損害が出たり、周囲が後始末に追われたりといった混乱を招くとなる。
         しかも、本人は「よかれと思って動いている」だけに深刻だ。私は問うた。
        「鬼塚社長は、アレックスみたいな無能な働き者が社内にいたら、どうされてます?」
        「決まってるだろう」
         鬼塚社長は何でもないことの様に、手で首の根っこをトンと叩き「クビ」の仕草を示す。その上で、こう付け加えた。
        「アイツは、間違いなく組織に害をもたらす癌さ」

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        一井 亮治
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           第十二話

           試合は第一クオーターが終了し、第二クオーターへ突入している。ここで私は仕掛けた。
           ──いくよ。
           私は恵と鈴谷先輩にアイコンタクトを送るや、例の作戦へと入った。これまでの躍進の原動力となっていたミネルヴァノートを捨てたのだ。
           士郎兄の受け売りだが、野球には〈クセを操る〉という表現があるらしい。ピッチャーが元々持っている悪い癖が、かえって変則的で効果を生み、結果、間違った投げ方なのに勝ち星がついてしまうのだ。
           厄介なのは、その不思議な勝ちを続けていくうちに、投げ方が上手くなって癖が消え、平凡になって打たれ出すという皮肉な現象である。
           ──早い話が、使い分けよ。
           私はクスっと笑みを浮かべる。元々持っていた悪い投げ方である癖球も、基本とされる原則的な投げ方も、使い分けが出来て、はじめて癖は意味をなすのだ。
           ある意味、将棋などで素人がなぜか実力者のプロに勝ってしまう現象に似ている。知らないが故に勝ってしまう効果なのだが、これを私は今、仕掛けようとしている。
           ──いくよ。
           目で合図した私達は、ガラリと戦い方を変えた。これには、流石の王成麗らも動揺を隠せない。
           ──無理もないわ。これって元の悪い戦い方だからね。
           苦肉の策として変則的な作戦を繰り出す私だが、これが意外な程に上手くいった。完全にボールの支配権を確立した私達は、怒涛の反転攻勢をかけていく。
           いつしか点差は逆転し、一気に引き離しにかかった。ここで第二クオーターが終わり、ハーフタイムへと突入する。
          「七点差、か……」
           ベンチでスコアーボードを確認する私に恵が語りかける。
          「微妙ね。逃げ切れるか否か」
          「分かってる。何とか凌ぎましょう」
           私は恵と鈴谷さんと、今後の展望を話し合った後、第三クオーターへと突入する。そこではたと上海ドラゴンズのメンバーがガラリと変わっていることに気付いた。
           何かを企んでいることは、一目瞭然だ。身構える私だが、その意図をまざまざと痛感することとなる。
           ──何、このスピード!?
           生まれ変わった上海ドラゴンズは恐るべき速度でダッシュするや、コートを縦横無尽に掻き乱し始めた。そのあまりに速さに今度は私達が面食らうこととなった。
           ──まずい……。
           思わず舌打ちする私だが、矢継ぎ早の速攻攻勢にまるでついていけない。気がつけば七点あった差は二点まで、縮まってしまった。
           何とか第三クオーターを乗り切った私達だが、すでに体力が残っていない上に、完全にスコアを肉薄されている。
          「残り一クオーターね」「どうすんのよ?」
           鈴谷先輩と恵に問われるも、もう打つ手がない。ただ、それは上海ドラゴンズも同様らしい。
          「ここまでくれば、最後に頼るべきは根性よ。何としてもこの点差で逃げ切るの。いい?」
           覚悟を固める私に皆も息を切らせながら黙ってうなずく。体力と知力が限界を迎える中、運命の第四クォータへと入った。
           ──何としてもここで決める。
           誓いを立てた私だが、始まったのは壮絶なシーソーゲームだ。
           ついに点差がゼロとなり、試合が拮抗する中、攻守ともども抜きつ抜かれつの泥試合を繰り広げていく。
           ここで思わぬ展開が訪れる。あろうことか、谷先輩がキャッチをミスったのだ。それも明らかにわざとである。これを受け上海ドラゴンズが最後の速攻を仕掛けた。
           ──しまった。やられる!
           覚悟を固めた私達だが、これを鈴谷先輩が阻止に動く。バランスを崩したアタッカーが、強引にシュートを放つ。
           ──万事休すか。
           心で祈りを捧げる私だが、どうやら救われたらしい。アタッカーのシュートは僅かにゴールを外した。
           ここで試合終了のホイッスルが鳴り響く。結果は15対15のドローである。
           ──助かった。
           私はほっと安堵のため息とともに、その場にヘナヘナと座り込んでしまった。他の皆も同様で、あまりの激しさゆえ試合終了とともに緊張の糸が切れ、涙を流すメンバーまで現れた程だ。
           かくして親善試合は、引き分けという形で決着を見る。整列の後、皆が握手を交わし、互いの健闘をたたえ合った。

           今回の試合は様々な教訓を与えてくれた。
           ──何よりあのスピードね。何とかして私達もそれを手に入れる必要がある。
           宿泊先のホテルに帰った私は、部屋で今後の課題をノートにまとめていく。とそこへ一本の着信が入った。画面を見ると、アレックスの名前が表示されている。
           ──アイツ……一体、何用!?
           訝る私はおもむろに通話に応じた。
          「ニーハオ〜」
           能天気なアレックスの声に私は、苛立ちを交え返答する。
          「アレックス、あんたは私に何をさせたいの!?」
          「もちろん、決まってるじゃないか。ミネルヴァノートがスポーツ工学に与える影響の把握だよ。君達の戦いは研究材料として素晴らしいデータを提供してくれた。感謝に堪えない」
          「それは結構なこと。でもなんでラクロスなのよ」
          「球技の中でも有数の激しさを競う格闘競技だからださ。サンプルとして情報を取りやすいんだ」
          「他にももっとあるでしょう。アメフトとか……」
          「女子部門がないじゃないか。前にも言ったろう。僕は国の縮図を女ではかるって」
           当然の事のように話すアレックスに私は、苛立ちを隠せない。一番許せないのは、自分は全く手を汚さず人を使って研究の果実を貪ろうとする点だ。
          「アレックス。どうせ今回の結果も自身の研究に反映させて、以前みたいに空売りでも仕掛けるつもりなんでしょう。言っとくけど私はあんたのサンプルじゃないから」
          「もちろんさ。ナツ、君はサンプルなんかじゃない。僕のワイフさ。病める時も健やかなる時も妻として敬い、生涯違わぬ愛の誓いを……」
          「アホ!」
           有無を言わせず通話を切った私は、ふんっと鼻を鳴らし、再びノートのまとめへと入っていった。
           
           
           
           翌日、帰国までの時間をそれぞれが思い思いに過ごす中、私は昨日の試合会場へと足を運んだ。競技場のベンチに腰掛け、目の前の公式戦を眺め続けていると、一人の人影が現れる。
          「必ず来ると思ったわ。あなたとは一度、じっくり話したかったのよ」
           笑みを浮かべる私の目の前に立つのは、王成麗だ。隣のベンチへと促す私に、王成麗は腰を下ろす。肩を並べ競技を眺め続ける私達だが、何気に王成麗が切り出した。
          「昨日の試合、運がよかったわね」
           実力では勝っていたとばかりに強気を振る舞う王成麗に、私も切り返す。
          「それは、お互い様でしょ」
          「さぁ、どうかしらね。夏目葵さん」
          「敬称はいらない。ナツでいい。王成麗、はっきり聞くわ。アレックスとはどういう関係なのよ?」
          「多分、ナツと一緒よ。訳の分からないプロポーズをふっかけられ困惑する様を眺めながら、その国の潜在力を見定められていく感じ。はっきり言って気に入らない」
           率直な胸の内を晒す王成麗に私も異論はない。その上で改めて王成麗と向き合う。
           いかにも勝ち気な表情を浮かべる王成麗に、自身と似た何かを感じた私は本題を切り出した。
          「ミネルヴァノートだけどさ、王成麗はどう思ってる?」
          「市場や競技、戦いを制す手段としては、大いにありでしょう。ただ設計思想はいただけない。国家という枠をはみ出すアレックスは、十分に危険分子よ。私は距離を取っている。ナツは違うの?」
          「まぁ、付かず離れずってところ。ただアレックスで感じるのは、妙な焦りね。多分……」
          「でしょうね」
           皆まで言わず王成麗がうなずく。どうやら同じことを感じているらしい。
           アレックスは先が長くない──そうとしか思えないのだ。あれだけの才能を有しながら、寿命に恵まれない。なら出来る限りのことをこの世に残したい。その先兵が私達なのだ。
          「自身が心血を注いだミネルヴァノートを実証させ、限られた時間内でこの世に生きた証を残したい。その為なら国を滅ぼすことも厭わない、ってところでしょ」
           王成麗の総括に私は、言葉が続かない。重い空気が漂う中、王成麗が思わぬ話題を切り出した。
          「ところでナツ、アンタの事は色々、調べさせてもらったけどさ。冬月にケインだっけ? モテモテらしいじゃない」
          「冗談じゃないわ。モテモテどころか大迷惑よ」
           率直な胸の内を晒す私に王成麗は、笑みを浮かべながら手を差し伸べる。
          「まぁ、男には気をつけることね。どうせロクな奴はいないからさ」
          「もちろんよ」
           私も同意しつつ王成麗と手を取り、固い握手を交わした。

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          一井 亮治
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             第十一話

             中国・上海に降り立った私達は、ホテルへと赴く。皆が束の間の休息につく中、私は単身で試合会場へと向かった。目的は偵察だ。
             対戦することとなる〈上海ドラゴンズ〉の練習風景を探るべく、サブピッチで手頃な場所を探す私だが、突如、背中に何かがぶつかった。
             見ると同年代と思しき少女が四つん這いで何かを探している。
            「メガネメガネ……」
             その言葉から察するに日本人のようだ。極度に近視らしくベタな動作で地面を探る茶髪の少女に、私は地面に転がっているメガネを手渡した。
            「これじゃないですか?」
            「あースミマセン……って、あなた日本語がお分かりなの?」
             その少女はビン底メガネをかけるや、私を凝視する。なんでも中国にいる知り合いを求めやって来たものの、迷子になってしまったという。
             何とか親戚と連絡はついたものの、すぐに迎えは寄越せないから、このサブピッチで待っていてくれと指示されたらしい。
            「じゃぁ、あなたもラクロスを?」
            「いえいえ、私はさっぱり。ここへも親戚の勧めで、ここに迷い込んでしまっただけで……」
             ──だよね。マイナー競技だもん。
             私は自笑しつつ、その少女と一緒にサブピッチのベンチに腰掛ける。前を見ると対戦相手の上海ドラゴンズが練習に入っていた。だが、冬月とケインから報告のあった凄腕一年生が見当たらない。
            「あ、もしかして王成麗さんを探してます?」
            「え、ご存知なんですか?」
             驚く私にその少女は嬉々とした表情で言った。なんでもかなりの有名人らしい。ただ今日は風邪をこじらせ、来ていないという。
             私は残念に感じつつ、その少女から王成麗の情報を引き出しにかかるものの、あまり詳しくはないらしい。
             ただラクロスそのものについての基礎知識はあるらしく、目の前で練習を繰り広げる上海ドラゴンズについて、色々話し出した。
            「ところでアナタは、ラクロスを?」
             少女からの問いに私は、完全に否定するのもおかしいと思い「少しだけ」と返答する。
             すると少女は「ですよねぇ」と応じ、さらに問いを重ねる。
            「なんかドロー……とかいうルールがあるんでしょ。難しいみたいですよ?」
            「あー……まぁね。でも手首さえうまく使えば」
            「手首? そうなんですか?!」
             食いつく少女に私は、それとなしに仕草を見せる。その一挙手一投足に、少女はずり落ちるビン底メガネを人差し指でクイっと持ち上げ注視する。
             その後も盛んにラクロス談義に花を咲かせていく。そこには、目の前で練習に励む上海ドラゴンズの情報も含まれていた。
             ──ラッキー、思わぬ情報源だわ。
             私はここぞとばかりに質問を重ねていく。対する少女も同様だ。いつしか意気投合した私達だが、そこへ少女の携帯に連絡が入る。
             どうやら話していた親戚とやらが到着したらしい。
            「では、私はこれで」
             少女は礼節の行き届いた仕草で腰を折り頭を下げるや、サブピッチを去っていった。
             その背中を見送った私は、マル秘ノートに仕入れた情報を書き込むや、上海ドラゴンズの練習風景を眺め続けた。
             
             
             
             その後、偵察を終え皆が宿泊するホテルへ向かう私だが、道中で見覚えのある人影に思わず声を上げた。
            「あれは、谷先輩!?」
             私は物陰に隠れる。どうやら気付かれてはいないらしい。私は谷先輩と距離を置きつつ、そのあとを追跡する。どうやらカフェに入ったらしい。
             外からガラス越しに谷先輩を監視していると、誰かがやって来た。
            「あっ、アレは!?」
             私は思わず声を上げた。あろうことかその人物は、先程まで会話していたビン底メガネの少女である。
             さらに驚いたのは、その少女がメガネを外し素顔を晒したときだ。忘れもしない。弱小チームを強豪校へと変貌させたという驚異の一年生〈王成麗〉の顔である。
             ──まんまとしてやられたわ。
             私はおもわず空を仰ぐ。谷先輩が王成麗にノートを手渡す様子をカメラにおさめるや否や、ホテルへと急行した。
             緊急招集したのは、アタックの恵とディフェンスの鈴谷先輩だ。
            「じゃぁ何、偵察しにいったつもりが、逆に情報を取られてしまったってこと?!」
            「ゴメン……」
             なじる恵に私は深々と頭を下げる。その上で谷先輩がノートを手渡していた現場写真をスマホに表示させた。
            「万事休す、ね」
             鈴谷先輩が腕を組み、表情を顰めている。私は頭を抱えつつ言った。
            「とにかく手持ちの情報は、全て筒抜け。それを前提に策を立て直すしかないわ」
            「けど、その時間もないんでしょう」
             鈴谷先輩の指摘に私は、返す言葉がない。重い空気が垂れ込める中、恵が一計を案じる。
             その内容を勘案した私は、うなずく。
            「そうね。ことここに至れば、それもやむなし、か。コツは出だしね。開始早々、王成麗を動揺させ主導権を奪いスタートダッシュを成功させる。あとはひたすら逃げ切りをはかるのみ、か」
            「恵の策、悪くないと思う。ナっちゃん。それで行きましょう」
             まとめる鈴谷先輩に賛同した私は、ともに健闘を誓い合った。
             
             
             
             翌日、試合会場に入った私達は準備運動を終え、上海ドラゴンズと整列し対峙する。挨拶の後、ピッチに入り皆を配置につかせた私は、上海ドラゴンズの一年生エースと対面し、ドロー(フェイスオフ)へと入った。
             ここで私が”口撃”を仕掛ける。
            「あら、今日はメガネなし?」
            「なんだ。バレてたの? いいよ、それも想定内だから」
             王成麗は吊り上がった目をニンマリと細める。張り詰めた空気の中、ホイッスルとともに激闘の一戦へと突入した。
             ドローを制したのは私だ。例の如く速攻を目論む私だが、ここで王成麗の本質を知ることとなる。あろうことか反則まがいの足払いをかけ、卑劣にボールを強奪するやアタッカーへパス、あっという間にゴールへと繋げてしまった。
             先制点を奪われるまでの時間たるや、約十秒──凄まじい速攻である。歓喜に沸く相手チームに私達は面食らった感は否めない。
             ──確かにスピードに定評がある旨の報告を受けてはいたけど……ここまで卑劣だとはね。上等よ!
             目が覚めた私は、すぐさま皆に伝令を下す。集団競技の厄介なところは、キャプテンの動揺が、即座にチームメイトに伝播する点だ。
             たとえ足がつかない状況であっても動じない演技を振る舞うこと──これを信条とする私に皆も我へと帰っていく。
             すぐさま反撃の一点を奪い返し、再度のドローへと持ち込んだ。ここで王成麗がボールを取るものの、私は審判の死角から綺麗に足払いをかけ返してやった。
             よろめく王成麗からボールを奪取しアタッカーへのパス、ゴールと怒涛の反撃に転じる。開始直後に受けた仕打ちをそっくりそのまま返した格好だ。
             見ると王成麗の目がニンマリ笑っている。私は、心の中でつぶやいた。
             ──どうやら似たもの同士の様ね。
             多少の卑怯技もテクニックのうちと捉えているようである。その後も壮絶な潰し合いを演じていく私達だが、激しいボディーアタックは言わずもがな、反則スレスレの攻撃をぶつけ合い、両者との譲り合う事のない互角の状態が続いた。

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            一井 亮治
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               第十話

              「ほぉ、次は中国かい!?」
               興味深げに注視するのは、玄蔵爺さんだ。帰りに寄った事務所で記帳業務をこなしながら、私は返答する。
              「なんかアレックスが暗躍してるみたいで……一応、冬月とケインには、対戦相手のデータを集めさせているんですけど」
              「ふむ。大いにやればいい。二十一世紀は中国を抜きに語れない時代となる。今から慣れておくのも大切だ。うちの顧問先も然り。皆、中国の動向には目を光らせている」
               ──中国ねぇ……。
               私はこの異形の大国についても調べを進めている。国の体制に対する賛否はあるものの、米国と覇を競う姿勢は一目に値する。
               世界が獲れるか否か、伸るか反るかの勝負所──そんな隣国との親善試合を前に、私の好奇心は大いに膨らんでいる。
               とそこへタイミングよく冬月とケインが現れた。
              「おいナツ、対戦相手のデータが取れたぜ。ケインがうまく見つけてくれた」
              「イエッス。夏目さん、どうぞデス」
               二人が差し出すUSBに私は「サンキュー」と笑みを浮かべ、記帳業務を中断する。PCにデータを取り込み、三人で確認していくのだがその内容に絶句した。
               ──何これ……。
              「な、笑うだろ。ナツ」
               意味深な笑みを浮かべる冬月に私は、言葉が出ない。何でも最近まで鳴かず飛ばずだったチームなのだが、突如、現れた一年生がミネルヴァノートをもとにチームを改革し、たちまち強豪校へと押し上げてしまったらしい。
               ──これ、要するにうちと同じじゃない!?
               ちなみにその一年生だが、王成麗と名乗る日系中国人でチーム改革に際し、かなり陰湿なイジメを受けたようだ。その心中や察してあまりある。
               似たもの同士、シンパシーを覚えつつ、妙な違和感も感じている。どうやら私はアレックスにうまく担がれているようだ。
               ──癪な奴ね。
               私は憤慨しつつ、来るべき闘いに向けて準備を整えていった。

               数日後、私達は中国・上海への空路についた。機内でヤキモキするのは、同輩でアタックをポジションとする恵だ。
              「中国チームとやるのはいいけどさ、本当に勝てるの?」
               さらにディフェンスの水谷先輩も「心配だわ」と不安を露わにする。
               無理もない。今や私達のラクロスは、一見変わりばえしないものの、その実態は完全に別物となっている。恵が言う。
              「ナツ、このポートフォリオ最適化ってやつだけどさ」
              「ヘッジ・ポジショニング戦術ね」
              「まぁ、名前なんて何でもいいけど、要するにリスクをバラして得点を確実に拾っていこうって話よね。その上でボラティリティブレイク? 試合中の流れやテンポ、ボール支配率から速攻を仕掛け、相手守備の感情変動を突くと」
              「えぇ、これまではそれを勘でやっていたけど、金融理論に照らしデータで可視化していこうって話」
              「言いたいことは分かるけど、アンタ、ラクロスをこんなに難しくしてどうするつもりなのよ?」
               恵の指摘に鈴谷先輩も続く。
              「同感。空売り型ディフェンス? 相手の攻撃が破綻する地点を見抜き事前に売るって、言い換えれば相手の得意プレイをバブルとみなし、その攻撃に対し逆張りを仕掛けて崩壊させるってことよね」
              「そうです。敢えてスペースを空けて誘導し、読み切ったタイミングで攻撃を仕掛ける暴落売りです」
              「それは、分かるんだけど……こういったアプローチって、一体、どっから持って来てるの?」
              「ま、それは色々、ね……」
               流石に日本を暴落に追い込んだアレックス肝入りのミネルヴァノートが基礎になっているとは言いかねるだけに、私は言葉を濁す。
               そこへ水を差すのが、谷先輩だ。
              「ミネルヴァノート、でしょ」
              「……まぁ、そうです」
               私は指摘を認めつつ、谷先輩を流し見する。
               ──この人も大概、尻尾を出さないよね。
               谷先輩が私を不倶戴天の敵とみなしているのは、間違いない。だが、それをおくびにも出さないタヌキっぷりには感服だ。
               もっとも不満を出しようがないのが、実態かもしれない。現にそれで勝っている訳だからね。
               ──やっぱり勝ち続けることでしか、道は開けない、か。
               私は何げに視線を窓の外へと向ける。頭をよぎるのは、アレックスの生き様である。あまりに優秀で、その傍若無人ぶりを誰も止められない。
               調べたところ、謎の組織によって、かなり複雑な遺伝子操作を施されて生まれた一種のクローンのようだ。ただそれ以上の詳細は、不明である。
               何かと生き急いでいる感が否めないアレクスだが、そう思われる要因の一つに彼のオープン戦略がある。ミネルヴァノートを通じ、自身の理論や技術、特許をすべて無償提供しているのだ。
               無論、それ自体はインテルやトヨタもやっており不思議はない。ただそれはクローズ戦略と組み合わせて行うのが定石であるのに、アレックスは全てを開放し切っているのである。
               ──どうやら事情がありそうね。
               私の疑惑はさらに先日のメールでのやり取りに及ぶ。脱税の指摘をした私にアレックスは、課税という概念そのものを否定してきた。それも日進月歩の著しいデジタルテクノロジーをフル活用して、だ。
               この辺は私の知識では及ばないのだが、玄蔵爺さんの話によると、様々なスキームを用いて複雑処理をさせているらしい。
               以下は、その時の会話だ。
               
                    ◆
               
              「所得や資産を二つ以上の仮想人格に分割し、それぞれを独立した所有者として振る舞わせているようだ」
               玄蔵爺さんの分析に私は、その意義を問う。しばし考慮の後、玄蔵爺さんが返答した。
              「おそらく国家による一元監視を困難にさせているのだろう。その上で仮想資産を秒単位で異国のサーバーに移動させ、常に異なる司法領域に存在する状態を維持させている」
              「えーと……つまり、結果的にどの国家からも今ここにあると特定させなくさせているってこと?」
               まとめる私に玄蔵爺さんはうなずき、続けた。
              「厄介なのは監視対象とされた瞬間に匿名性のアルゴリズムを強化している点だ。追跡を自己遮断し、特定の法律基準を検知すると、仮想人格ごと死亡処理を実行する。実に厄介だ」

                    ◆

               まぁ、詳しくは分からないものの、アレックスは色々よろしくやっているらしい。玄蔵爺さんも桜志会の仲間と一緒になって研究しているものの、皆、その悪質な脱税の手口に顔を顰めているという。
               ──当面は、あのマセガキの意のままに振る舞うしかなさそうね。
               私はアレックスの背後に蠢く闇の深さを感じつつ、機内で今後の予定を振り返っていた。

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              一井 亮治
              参加者

                 第九話

                 士郎兄と始めたミネルヴァノートのラクロス化プロジェクトだが、冬月やケイン、さらには玄蔵爺さんの桜志会や鬼塚社長のネオサイバー社も巻き込んでミネルヴァノートの解析とラクロスへの転用を進めていく。
                 痛感するのは、アレックスの凄みだ。
                 ──やっぱり天才だ。アイツには十年後の未来がしっかり見えている。
                 そもそもミネルヴァノートは、アレックスが独自に打ち立てた理論〈構造的収束とポジショナル崩壊の法則〉に基づいている。
                 日経平均を読み切る新たなツールとして、一部のヘッジファンドで密かに用いられていたのだが、これを直接用い日本市場で空売りを仕掛け東証は壊滅、世論を分裂させたことは、記憶に新しい。
                 私はこの金融派生兵器をスポーツの中でも格闘競技と名高いラクロスに転用させようとしている。
                 心の中のアレックスは、冷笑する。
                〈なぜ勝てないか? 相場と一緒だ。『市場構造』を知らずにエントリーしてるからだ〉
                 アレックスの理論は、データと確率の駆使により、次々に試合の『市場性』を解き明かしていく。
                 各選手のポジショニングを流動性の高い銘柄に例え、攻撃パターンをボラティリティと流動圧力に基づき設計し、防御はヘッジ戦略と信用リスク回避に置き換えるのだが、案の定、部員は吠えた。
                「ラクロスにそんなものが関係あるの!?」
                 だがアレックスの理論──つまり、ミネルヴァノートはこう続ける。
                〈投資は情報戦であり、スポーツも同じだ。誰がいつどこで動くか、それを制する者が、勝つ〉
                 これを受け、私はラクロス部に常識外れの〈プレイ・ブック〉を持ち込んでいく。全試合の映像を数理解析し、選手ごとの期待値と損益ラインを数値化、プレイヤーの交代や陣形変更を「ポジションのリバランス」と呼び、リアルタイムで分析する。
                 セオリー無視のショートスティック二人攻撃から始まって、パス成功率を極限まで上げる流動性選択論に続き、トラップ守備による流動性クランチへと展開させる私に、当初こそ混乱した部員達だったが、その真意に気づいていく。
                「このプレイ、まるで株価チャートの中で動いてるみたいだ……!」
                 やがて、その威力が発揮されるときが来た。訪れた地方大会初戦──相手は全国ランカーの強豪・栄東学院。周囲が「百点ゲーム」と揶揄する中、私は相手の戦術を過剰評価されたバブル型資産と見抜き、カウンターの「空売り戦術」で徹底的に崩しにかかる。
                「相手のスタープレイヤーは“過熱銘柄”。過信されるほど、暴落時の落差は大きい」
                 守備の要に“ボラティリティ耐性”の高い選手を配置し、攻撃は需給ギャップを突いたパスで切り崩す。結果は、まさかの9ー8での勝利だ。
                 いよいよ確信を持った私は、さらにミネルヴァノートをラクロスへと取り込んでいく。不要と判断すれば平然と先輩でもレギュラーから外したし、必要となればあらゆる努力も惜しまない。
                 当然、軋轢は生じた。
                〈何様のつもり!?〉
                〈うちの伝統を軽んじている!〉
                〈大っ嫌い!〉
                 等々、陰口は叩かれたし、陰湿ないじめも受けた。下靴をゴミ箱に捨てられてたりとかね。
                 ただいざ試合となると、この遠心力が求心力へと変わっていく。てんでバラバラだったメンバーが一気に団結へと転じるのだ。気が付けばいならぶ強豪のほとんどを駆逐するまでになっていた。
                 まさに、勝って和すってやつよ(ま、ラクロスの競技人口の少なさも影響しているのだけど)。
                 そんな中、一つの転機が訪れる。なんと中国の上海チームから親善試合の申し出が舞い込んだのだ。
                「どういうことですか?」
                 職員室で知らせを受けた私は問い返すものの、清原監督は「分からない」と首を傾げている。さらに不可解なのは、この情報がネット上に拡散されたことだ。
                 ──限られたメンバーしか知り得ない情報がネットに流れている。これは多分、あれね。
                 私の脳裏に二人の人影がよぎる。一人は言わずもがな、反夏目の急先鋒たる谷先輩だ。中国の名門チームに叩かせて、この私に恥をかかせようという腹なのだ。
                 それはいい。狂った女の嫉妬など一向に構わないのだが、問題はもう一人の方だ。
                 ──間違いない。アレックス・チャン。アンタね。
                 私は職員室を出るや、アレックスのアドレスにメールを送った。
                〈今回のラクロスの国際親善試合、黒幕はアンタね?〉
                 しばらくたたないうちに返答が来た。
                〈ナツ、僕はね。君を愛しているんだ〉
                 ──この十三のマセガキが……。
                 私は呆れを通り越し、諦めの境地で返事を送る。
                〈アレックス、茶化しはなしよ。アンタは一体、私に何をさせたいの?〉
                〈させるも何も、もう十二分だ。ナツは僕の理論、ミネルヴァノートをしっかり、スポーツに転用してくれているじゃないか。格闘競技と名高いラクロスにね〉
                〈つまり、これも計算のうちってこと? 相変わらずの策士ぶりだこと。金融派生兵器を格闘競技のラクロスに転用させ軍事にも広げるつもり? 最終的な狙いは何よ?〉
                〈それは、ナツが僕のプロポーズに応じてくれたら、教えてあげる〉
                 ──またこれだ。
                 のらりくらりと追求をかわすアレックスに私は、ズバリと指摘する。
                〈日銀の予測モデルを沈黙させたアンタのことよ。最終的な狙いは脱税ね〉
                〈フフッ。ナツ、そろそろ課税という幻想を壊すべきだと思うんだ〉
                〈はぁ!? 納税しない社会ってこと?〉
                〈正確には、“国家が課税不能となる構造”さ〉
                 アレックスは、グラフ化された画像データを送ってきた。そこには“脱税率ゼロ%”から“税収ゼロ%”へのシミュレーション曲線が描かれている。
                〈アレックス、何よこれ? 税率?〉
                〈いや、課税可能性の指数さ。国民の所得を国家が“把握できる確率”。それが今、テクノロジーと資産分散によって限りなくゼロに近づいている〉
                〈悪いけど、もっと分かりやすくお願いできるかしら〉
                〈いいよ。つまり、分割流動資産という概念を基礎に、所得や所有権を複数ブロックチェーン上に散布し、かつ瞬時に匿名化/解体できるアルゴリズムを構築するってこと〉
                 ──かえって難しくなってない?
                 そんなことを感じつつ、私はアレックスの理論にあたりをつける。
                〈要するにこういうこと? 国家が「これは誰の資産か?」と確認した瞬間には、資産自体が別の名前に切り替わる。資産を透明化させ、国家そのものも透明化させると?〉
                〈ナツ、理解が早くて助かるよ。そもそも国家が国民の内部を覗く課税というシステムにに、倫理的欠陥があるのさ〉
                 何でもないことのように説くアレックスに私は返答した。
                〈あのねぇアレックス、国家は税金で成り立っているのよ〉
                〈違う。課税とは国家の所有権を許すという合意にすぎない。その合意は一人一人が撤回できる時代になる。国民が税を払うというのは幻想が崩れれば、制度は壊れる。僕は、その“崩し方”を知っている〉
                 ──結構な自信家だこと。
                 私は自分なら何でも出来ると思い込んでいるらしいアレックスに呆れつつ、聞き耳を立てる。
                〈ナツ、僕は国家の監視下に置かれず、全額所得を隠せる構造=ゼロ税圏を設計する。新興国の仮想通貨と、無限に分割される二重実体資産を組み合わせて、金融の透明性を逆手に取ったスキームを立ち上げる〉
                〈よく分からないけど、こう? 世界中に点在するノードを通じ、資産の存在を消すネットワークを使う。そうやって税法の網をすり抜け、課税当局と脱税のイタチごっこを繰り返すと。どこまでやれるか見ものね〉
                〈心配には及ばない。僕は天才だからね。僕はミネルヴァノートで世界を獲る。不可視の帝国をこの時代に築く。誰にも搾取されない理想郷さ。興奮するだろう?〉
                 自慢げに大風呂敷を広げるアレックスに私は、ずっと感じていた違和感をぶつけた。
                〈アレックス、あんたなんでそんなに生き急いでるのよ〉
                 しばらく待ったものの返事はない。何か続けようとした矢先、返信がきた。それはこれまでの饒舌を打ち消すような素っ気なさだった。
                〈別に〉
                 アレックスからそれ以上の反応はなかった。

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                一井 亮治
                参加者

                   第八話
                   
                   成瀬先輩の一件は、少なからぬ影響を私に及ぼした。たった一人の天才少年アレックスに対し、日本はなすがままで取るべき有効打がない。
                   ──情けない。
                   国の未来に絶望する中、一つのニュースが日本を騒がせた。
                  「何これ!?」
                   私は思わずネットニュースを二度見する。なんとアレックス少年が搭乗するプライベートジェットが墜落したらしい。先日の日本売りの一件もあり、テロの可能性も考えられるとのことだった。
                   このニュースを受け、SNSは大いに沸いている。
                  〈本当に死んだのか?〉
                  〈日本は助かった。神風だ〉
                  〈因果応報だ〉
                   様々な声が上がり、もはやお祭り騒ぎだ。ポストアレックスに向け、政官財のあらゆる層が動きを見せていく中、私は一つの結果を出している。
                   簿記三級に合格したのだ。
                  「まずは、おめでとう!」
                  「コングラチュレーション!」
                   冬月とケインから受けた祝福に、私は照れ笑いを浮かべる。成瀬先輩の一件で、座学の大切さを知った私が初めて出した結果なのだが、まだまだ先は長い。
                   とはいえ、まずはスタートラインに立ててことに、喜びを感じている。そんな私に冬月とケインは、合格祝いのプレゼントを差し出してきた。
                  「ナツ、俺達の気持ちだ。受け取ってくれ」
                   喜ぶ私はリボンを解き、封を開ける。だが、中から出てきたのは、真っ赤なチャイナドレスだった。私は、首をかしげる。
                  「一体、どういうこと!?」 
                  「こう言うことさ」
                   冬月が指を鳴らすと、たちまち部屋に黒服のボディーガードらしき男達が雪崩れ込んできた。屈強な肉体で迫られ、私は訳が分からない。
                  「夏目さん。ソーリーです」
                  「悪いな。ナツ」
                   白々しい顔で謝罪の言葉を述べる二人に、私は顔色を変え罵った。
                  「冬月、ケイン。アンタら私を売ったわね!」
                  「や、まぁそうなんだが、まんざら悪い話でもないんだ。な、ケイン」
                  「はい。ウィンウィンです」
                   しれっと謝って見せるものの、私は納得がいかない。
                   ──一体、何をさせるつもり!?
                   訝る私だが、どうやらこのチャイナドレスを着させて何かをさせたいらしい。黒服の男達は更衣室を用意したと、私を手招きする。
                   私はやむなく指示に従い、中で着替えを済ませた。その後、促されるまま寝室へと向かうと、思わぬ人物が待ち構えている。
                  「アレックスっ!?」
                  「ハ〜イ、ナツ。ナイストゥミーチュー」
                   笑顔で応じるアレックスに私は吠える。
                  「アンタ、一体、どう言うつもりよ! 死んだんじゃなかったの?」
                  「この僕があんな見え透いたトラップに引っかかる訳ないじゃん。ピンピンしているよ。僕がいなくなったら、この国はどんな反応を見せるかにも興味があったしね」
                  「それはまた、策士なこと。で、私に何をさせたいの?」
                   呆れる私にアレックスは、あろうことか体を求めてきた。ベッドに誘うや、真っ赤なチャイナドレス姿の私に抱きつく。
                   とは言えまだ十二、三の少年だ。肉体関係に及ぶには、幼すぎる。何より求めるものが違うらしい。
                  「ナツ、僕は君が欲しい」
                  「つまり、この日本の縮図に見立ててって話?」
                  「違う。本当に君が欲しいんだ。そばに置きたい。何もかも思うがままだ。悪い話じゃないだろう?」
                  「お断りよ」
                   拒絶して見せるものの、アレックは「嫌よ嫌よも好きのうち」とまるで意に介さない。ベッド上のチャイナドレスに扮する私にしがみつき、甘えながらも耳元で囁く。
                  「僕はね。君だけじゃない。この日本の全てにゾッコンなんだ」
                  「よく言うわ。この国を市場で売り浴びせておいて、いけしゃあしゃあと」
                  「ナツ、いずれ日本はこうなったんだ。だったら僕がやる。少子高齢化に天文学的な財政赤字、その全てを解決してみせるさ」
                   強気な笑みを浮かべるアレックスに、私は思うところを述べた。こんな強引なやり方でなく、もっと方法はなかったのか、と。
                   対するアレックスの返答がなかなか秀逸だ。
                  「あのねナツ。皆、同じことを誓う。やれ改革だ。緊縮財政だって。でも無理なんだ。結局、皆、自分からは変われない。強引に変えさせられる。好き好んでじゃない。いやいや強くなっていくんだ」
                  「そうやって時代が流転していくってこと?」
                  「そうさ。僕はそれこそチェーンソーの如く、無駄を省いていく。ついていけない者は、市場から退場頂く。有能な人からカネを奪い無能な人に与えるなんてバカバカしい。ゆく河の流れは絶えずして、方丈記さ」
                  「だからって国を奪ってまで……」
                  「ナツ、これまで国そのものがなくなったり、消えてしまった民族もある。だが、それでも人類は存続してきた。どんな環境に置かれても、耐え忍び生き延びていく力が人類にはあるんだ。それは大自然の如くたくましい」
                   持論を展開するアレックスに私は聞き役に徹している。と、そこへアレックスのスマホに着信が入る。
                   どうやら日本の中枢で何か動きがあったらしい。
                  「来た来た。案の定、僕の死をキッカケに魑魅魍魎なゾンビどもが動き出したね。飛んで火に入る夏の虫、と」
                   アレックスはベッドから跳ね起きスマホ片手に次々と指示を下していく。やがて、私にこう言い残した。
                  「ナツ、今日はここまで。僕の携帯の連絡先を教えるよ。プロポーズの答えを待っているから。じゃあね」
                   私がアレックスの去っていく後ろ姿を見送っていると、今回の諸悪の根源たる二人がやってきた。冬月とケインだ、
                  「アンタら、よくもぬけぬけと……」
                  「まぁまぁ、そう怒んなよナツ。アレックスもあぁ見えて結構、子供なんだ」
                   冬月は徐ろに一枚の画像をスマホに表示させる。そこには、チャイナドレス姿の女性が写っていた。ケインが言う。
                  「似てますでショー。アレックスのマザーです」
                  「じゃ何? あいつは私を母親に見立てているってこと?」
                  「イエス」
                  「実の母親は?」
                  「亡くなっている」
                   即答するケインに私は唸った。言うことは大人ながらも見た目は子供なアレックスのギャップに私の心中は複雑だった。

                   季節は本格的な夏を迎えようとしている。うだるような暑さの中、私は一本のレポートに目を通している。あのアレックスがまとめた曰く付きの『ミネルヴァノート』だ。
                   数々のタックスヘイブンやクリエイティブアカウンティング、節税スキームの源泉となったこのレポートの難解さは折り紙つきで、高等数学に基づく高度な金融工学から派生している。
                   とてもではないが、素人の手に負えるようなものではない。ただ幸い、私にはこの手に長けた士郎兄がいる。その助けを得てあのマセガキが理想とする世界の理解を試みている。
                  「まぁ一言で表せば天才だよ。時代の間隙を突くね」
                   士郎兄の言葉に私も二言はない。実に複雑怪奇なロジックを用いてまとめられている。
                   もっともそこは要領のよさでなる私だ。冒頭と結論、章立ての流し読みで朧げながらもアレックスの目指す理想郷らしきものは見出した。
                   ──一件複雑そうに見えて、実は凄くシンプル。結論に至るまで一切の無駄がなく守備一貫している。本当にピュアね。
                   試しに士郎兄にその旨を述べると、同感らしい。大いにうなずき、こう言った。
                  「理論は完成している。あとは実証だが、それを奴はこの日本に対してやった」
                  「実はそれなんだけどさ、こう言うのを考えているんだけど……」
                   私は思うところを述べた。初めこそ黙って聞いていた士郎兄だが、話が佳境に差し掛かるところで大いに身を乗り出し、結論に至る頃には夢中になっていた。
                  「葵。つまり、前のVRだけでなく、ミネルヴァノートの理論そのものをスポーツ工学にも落とし込もうって話か」
                  「そう。経済も競技も行きつくところは競争原理、血の流れない戦争でしょ。税法も然り、なら原理の転用も可能だと思う」
                  「面白いじゃないか。いずれアレックスとも勝負せねばならない。奴の定理をラクロスに応用出来れば、大いに世界が開けよう。協力するよ」
                   士郎兄は鋭い視線で応援を約束してくれた。ただそこからが大変だ。試合記録を全てコンピューターにインプットせねばならない。
                   ここは士郎兄を頼った。手分けして入力作業を施したのだが、そこで得た分析結果は実に興味深いものとなった。正確に試合結果を的中させているのである。
                  「士郎兄……」
                  「あぁ、コイツはダイヤの原石だ。俺達で磨いていこう」

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                  一井 亮治
                  参加者

                     第七話
                     
                     紅白戦の当日を迎えた。白のホームウェアに身を包むAチームを率いるのは言わずもがな、谷先輩だ。
                     実はこの紅白戦にあたり、冬月とケインに谷先輩らがどんな準備をしてくるのか、探らせていたのだが、何と特別なことは何もしていないという。
                     ──まぁ、無理もないか。
                     私は試合前の予備練習につく両チームを眺めながら、ボヤいた。もう両者の実力の差は一目瞭然なのだ。
                     攻撃力、ディフェンス、シュートの正確性などボール捌きがまるで違う。逆の立場なら私でも谷先輩と同じ心境でいたと思う。
                     事実、Aチームの顔には明らかな余裕が見られ、対する我らBチームときたら、一つ一つの精度がまるで追いついていない。
                     だが私には、確信があった。
                    「いい皆? 確かにAチームは盤石に見える。けど、谷先輩らの強さは個々の強さ。私達はチームで挑む。実戦力はこっちが上よ。それを見せつけてやるの」
                     試合前に組んだ円陣で、士気を上げようとする私だが、皆の表情はすでにお通夜だ。ブルーな雰囲気は紺色へと化し、もはや負けた気でいる。
                     これが試合後、一変することとなる。
                     ラクロスの試合開始はフェイスオフ、つまりドローと呼ばれる一対一のプレーから始まる。中央サークル内で地面に両手を付き、笛の合図とともにボールを奪い合うのだが、試合の主導権を大いに左右する重要なプレーだ。
                     ここで私はフェイスオファーの谷先輩と対峙した。
                    「ヨロシク。夏目さん」
                    「谷先輩こそ、お手柔らかに」
                     感情を押し殺し合う私達は、笛の合図とともにクロスでボールを奪い合った。先手を取ったのは谷先輩だが、ボール運びを阻止した私が奪取に成功する。
                     対する谷先輩も負けてはいない。互いが真正面から激しくぶつかり合う中、ボールは意外な方向へと転がる。私達の頭上に弾かれたのだ。
                     この空中戦を制したのは私だ。すぐさま味方へパスを送り、これを起点に先制点をとってしまった。その間、約十秒──あまりの速さにAチームの面々は、呆気に取られている。
                     一方の私達Bチームは、この流れに大いに乗った。
                     ──イケるっ!
                     技術に長けるAチームと、それをいかす隙を与えないBチームの戦いは、ワンサイドゲームの様相と呈し始めた。
                     なんと言っても私達は、VRでAチームとの対戦を経験済なのだ。仮想空間で何度も対Aチーム戦を繰り返しただけあって、皆、物怖じをすることがない。
                     第一クォーターが終わる頃には、3ー0と完全にペースをものにしていた。この一方的な展開に動揺を隠せないのは、Aチームだ。
                     無理もない。完全に舐め切っていた相手に完封されているのだ。正常でいろという方が無茶である。
                     この流れは、第二クォーターに入ってから、より顕著となった。再開とともに焦るAチームが強引に出た結果、ファールとなったのだ。
                     ファールを犯すと、ペナルティとして一定時間、その選手は退場となる。エキストラ(数的優位な状況)を得た私達は、ここぞとばかりに攻め立てた。多少の失点はあったものの、総じて私達はフィールドを支配し続けていく。私はしみじみと痛感した。
                     ──やっぱ練習と試合って、全然違うわ。
                     総じて真面目な谷先輩らは、決められたルーティーンをこなすだけのスタイルだが、実際は想定通りにいかずイレギュラーな方が多い。まさに筋書きのないドラマだ。
                     ただ、あらすじは書ける。
                     ──要は、想定と実際の差をいかに埋めるかよ。
                     心の中で総括する私は、ふと周りを見るとBチームの面々も似たような表情をしている。どうやら同じことを考えていたらしい。ハーフタイムに入ったところで、同輩の恵が言った。
                    「コツっているよね」
                    「同感」
                     うなずく私は実感する。このコツを猛練習で掴む者もいれば、遊びながら掴む者もいる。私は後者だ。
                     ──練習で身につく技術なんてせいぜい一割程度、ほとんどは試合の実戦でしか得られない。
                     ここで私は一つの決断を下す。皆を集め新たな後半戦のプランを晒した。今まで目立たなかった思わぬ選手にスポットを当てたのだ。
                    「この試合、前半の主人公はミッドフィルダーの私だったけど、後半は成瀬先輩だから」
                    「え、や……ちょっと待ってよ。夏目さん、どういうこと?」
                    「どうもこうも成瀬先輩がチームの最年長でしょ」
                    「そうだけど、三年生になっても補欠要員でしかない落ちこぼれよ」
                    「大丈夫です。でしょ、皆?」
                     周囲に同意を求めたところ、満員一致で可決した。というのも私達には予感があったのだ。
                    〈今日の成瀬先輩って、なんかいい感じじゃない?〉
                     成長に早咲き遅咲きとあれども、それを超越した何かを感じた。
                     ──この後半、どうせAチームには詰められる。基礎技術はあるからね。そこを逆に突き放すにはギャンブルしかない。伸るか反るかの大博打、ここが勝負所よ。
                     私は急遽、突貫で組み立てた作戦を皆に示していく。名付けて〈成瀬狂い咲き大作戦〉だ。
                     成瀬先輩は困惑の表情を浮かべつつ、その瞳には炎が灯っている。
                     ──目が死んでいない。大丈夫だ。
                     安心した私は皆と円陣を組み、声を上げた。
                    「皆、行くよ!」
                     かくして紅白戦は、第三クォーターへと突入した。
                     案の定というか、やはりAチームはさるもので、地力に勝る分、本来の力を取り戻してきた。前半戦を通じ、私達への適応力を身につけ始めたらしい。
                     唯一の誤算、成瀬先輩の覚醒を除いて。
                    「皆、成瀬先輩にボールを集めて!」
                     吠える私に皆も応じる。確かにAチームは私達が築くディフェンスを次々に破り、シュートを決めていく。
                     だが、それを上回る勢いでアタックの成瀬先輩が立て続けにシュートを奪い返すのだ。まさに殻を破り狂い咲く大化け銘柄である。
                     その勢いたるや、凄まじいものがあった。
                     ──本当にあの成瀬先輩?
                     これが皆の心中である。あれだけ鳴かず飛ばずだった彼女が、獰猛な狩人へと豹変している。この勢いに続けとばかりに、他の面々もノってきた。
                     あれだけオシャレ感覚がいいだの、勝負至上主義は好ましくないだの、ぐだぐだ言っていたのに、勝利へ邁進する成瀬先輩に触発され目の色を変えている。
                     私は一言、呟いた。
                    「成ったわ。もう〈歩〉じゃない。〈金〉よ」
                     やがて、運命を告げるホイッスルが鳴り響く。まさに大差をつけての大勝利だ。呆然と立ち尽くすAチームを横目に私達は、歓喜の声をあげ皆で勝利を讃えた。
                     その中心にいるのは、成瀬先輩だ。これまでの鬱憤を晴らし嬉し涙すら浮かべる彼女に、私達は手荒い歓迎で応じた。 
                     私は心の中でつぶやく。
                     ──これがあるから、勝負師はやめられないわ。
                     勝利に対し中毒となりつつある自分に、思わず苦笑した。
                     

                     
                     試合後、私達Bチームはタガが外れたようにジャイアントキリングを祝福し合った。ややハメを外した感は否めないが、まぁこれも無礼講だ。
                     特に本日の主人公である成瀬先輩の覚醒には、目を見張るものがあった。
                     ──人ってこんなに化けるのね。
                     私はしみじみと痛感する。実はこの成瀬先輩、なかなかの苦労人である。実家が事業をやっているものの、いわゆる日本の失われた三十年を通じて需要が細り、成瀬先輩自身もバイトで家計を助けるなど、なかなか大変だ。 
                     それでもやめずに続けている要因はひとえに、ラクロス愛にある。本当に好きなのだ。ただ前述の事情から練習への参加も時間が限られ、なかなか芽が出なかった。
                     ──一体、何がよかったんだろう。
                     気になった私は、打ち上げ後に誘った公園のベンチでさりげなく問うた。すると思わぬ答えが返ってきた。
                    「夏目さんが初日に配ってくれた『必勝法』と『必敗法』と個人的な分析レポートのおかげだわ」
                     成瀬先輩曰く、本音をぶつけた私の赤裸々な情熱に打たれるものがあったらしい。暗記するほど読み込んだという。
                     さらに決め手となったのが、先日のVR模擬戦だ。凄まじい衝撃を受け、ふっと何かを掴んだとのことだった。
                    「私、夏目さんと違って不器用だから……」
                     照れ気味に語る成瀬先輩に、私は畳み掛ける。
                    「先輩、これからです。ともに頂点を極めましょう!」
                    「ふふっ……そうしたいのは山々だけど……」
                     そこで成瀬先輩は口を濁す。どういうことなのか聞き耳を立てる私に、成瀬先輩はありのままの事情を語った。
                     なんでも例のアレックスが起こした日本売りの煽りを受け、いよいよ事業がままならなくなった、と。
                    「ちょっと待ってください。じゃぁ、成瀬先輩は……」
                    「えぇ、今日を機に部活を辞めようと思う。最後にいい思い出をありがとう。夏目さん、本当に感謝してるわ」
                     涙を浮かべる成瀬先輩に私は、愕然としている。気づいたら彼女の手を取りこう言った。
                    「それいくらなんでも残酷過ぎます。なんとかならないんですか!?」
                    「本当なら専門家の方に相談したいんですけど、うちにはそんな伝手も余裕も残ってなくて……」
                    「私がなんとかします。実は祖父が税理士をやってて……っていうか、明日、空いてます? とにかく思いとどまってもらえませんか」
                     必死に引き止め工作をする私だが、後から思えばこれがマズかった。明日と言わずに今すぐ誘えばよかったのだ。
                     その後、成瀬先輩と別れた私は、玄蔵爺さんに連絡をとり時間をとってもらった。そして、翌日、雨の中、一緒に成瀬先輩の自宅に行った私だが、インターホンを鳴らしても返事がない。
                     工場にも赴いたものの、もぬけの殻と化している。
                    「どうやら夜逃げした様だな」
                     玄蔵爺さんの言葉に私は、全身の力が抜けたようにヘナヘナと座り込んでしまった。
                     ──こんなのあんまりだ。折角……折角何とか軌道に乗り始めたのに……。
                     あまり悔しさに私は人目も憚らずに泣いた。やがて、怒りの矛先は今回の原因を作ったアレックスへと向いていく。
                     ──人を……会社を……国を弄んで、暴利を貪っていく。許せない……。
                     悔し涙に肩を震わせる私に玄蔵爺さんが、言った。
                    「葵ちゃん、これが現実なんだ。何とかするには力をつけるしかない。勉強していくしかないんだよ」

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                    一井 亮治
                    参加者

                       第六話
                       
                      「アレックス・チャン。凄いだろ」
                       帰国した私に士郎兄が、語りかける。今や世界中がこのニュースで持ちきりだ。無理もない。圧倒的な対外純資産を有し、経常収支とともに過去最大を更新し続けていたはずの日本に市場が「NO」を突きつけたのだ。世間はこれを「少年トレーダーの黒い火曜日」と表した。
                      「日銀も忸怩たる思いだろう」
                       しみじみと語る士郎兄に私は問うた。
                      「士郎兄は、こうなるって分かってたの?」
                      「いや、想像を超えていた。少子高齢化に放漫財政のツケ、これからが大変だよ」
                       士郎兄が総括する中、私は視線をテレビに移す。そこには、第二のジョージソロスと称えられたアレックスが特集を組まれている。
                       その様を眺めつつ、私は言った。
                      「私、世界って色々ありつつも、大人達が話し合って世間を回していたと思ってた」
                      「変わった。今、市場を牛耳っているのは、紛れもなくアレックスだ。たっと一人の天才、それも子供がその柔軟で斬新な発想でスキームを組み日本に君臨している。知らぬ間に王が誕生していたんだ」 
                       冷酷な現実を前に私を含め、ほとんどの日本人が打ちのめされている。例えるなら震災を前にしたときの無力感に近い。圧倒的な力をまざまざと見せつけられ、絶望感すら漂っていた。
                       ──マジで国を滅ぼされる。
                       その恐怖は私の死生観すら変えた。国の存亡や生活の安全神話に対しドライになったのも事実だ。
                       ただ、それは私だけではなかったらしい。夜にも関わらず、スマホにラクロス部Bチームの面々から続々とメールが入った。
                      〈会って話がしたい〉
                       誰もが異口同音に声を揃える中、私は留守を士郎兄に託し、ジャージ姿のまま示し合わせた公園へと走る。すると、皆が待ち構えていたように私を囲んで訴えた。
                      「あのアレックスとかいうガキ、何とかならないの。もうしっちゃかめっちゃかよ」
                      「うちなんか両親の職場で自殺者まで出てる。もう無茶苦茶だよ」
                      「私達、ラクロスなんかやってていいのかな」
                       皆が動揺して詰め寄る中、私は感情を押し殺し問うた。
                      「皆さ。今、死んで悔いはない?」
                       周囲が静まり返る中、私は続ける。
                      「今回の件、日本はアレックスという少年に屈した。ことの成り行き次第で国がなくなりかねない状況よ。でも私達に出来ることは何もない。今は、各々がやれることを悔いなくやるべきと思う。それがラクロスでもね」
                      「それだけどさ夏目。アンタ、本気でAチームに勝つ気?」
                       鈴谷先輩の問いに私は断言で応じた。
                      「もちろん。戦略がありますから」
                      「戦略?」
                       皆が聞き耳を立てる中、私は持論を展開した。 
                      「要は捨てるんです。アレもコレもでなく売りを見つけ徹底して特化する。皆、真面目過ぎるのよ。一から十まで全力、そりゃムリです」
                       私の持論に皆は困惑を隠せない。言葉を詰まらせつつも、鈴谷先輩が問うた。
                      「私達に足りないものって、根性とかじゃないの?」
                      「違う。逆です。皆、根性から入るから失敗する。理屈から入るんです。その上で最後に根性に頼る」
                      「そうすれば私達でも……」
                      「勝てます」
                       私の断言に皆の目の色が変わっていく。そこへ最年長の成瀬先輩が具体的な方法を問うた。
                      「紅白戦まで残り三週間を切ってる。私達、何をすべき? 技術なんて全然負けてるのに」
                      「いいですか先輩。勝負を決めるのは技術じゃないんですよ。早さなんです」
                      「走り込みのスピードってこと?」
                      「いえ、判断の早さです。リスタート、ボールデッド後の切り替え、選手交代、これらを誰よりも早くやる。技術力云々がモノを言う前に勝負を決めちゃうんです。こういうのって、練習じゃ身につかない。試合をこなしてはじめて経験値となる」
                       実戦の大切さを説く私に同輩の恵が言った。
                      「仮にそうだとして、どうやって試合を組むのさ」
                      「普段の練習メニューをゲーム形式にする。シチュエーション6ー6、8ー8、これらを徹底的にこなして試合勘を身につければ、技術で劣っても試合には勝てる」
                       皆の熱気が高まる中、私は畳み掛けた。
                      「皆の残り時間を私に預けて。必ず結果を出して見せるから」
                       こんこんと訴える私だが、どうやらその思いは通じたらしい。皆、納得の表情を浮かべている。恵が皆の心中を代弁した。
                      「分かったよ夏目。アンタに従う。けどこれだけは教えて。なんでそんなに勝負にこだわるのよ」
                      「私の性分。だって、これは競技よ。なら勝利を追い求めるのは、対戦相手に対する最低限のマナーでしょ」
                       私の考えに皆の反論はなかった。
                       

                       何とかラクロス部員の求心力を得た私だが、アレックスが残した傷跡はバイト先にまで及んでいる。
                      「アレックスには、参ったよ」
                       玄蔵爺さんの税理士事務所で嘆くのは、顧問先の鬼塚社長だ。それこそ市場に振り回され、稼ぎ頭であるオンラインゲームの収益だけでは頼れない状況らしい。
                      「何かいい方策は、ないかね」
                       救いを求められ困惑しきりの私だが、何気に言ってみた。
                      「スポーツ競技の方にも事業を転がされるとか、どうですか?」
                      「流行のeスポーツかい?」
                      「いえ、もっと本格的で実践的なプロスポーツの世界。例えば……そうですね。実は私、部活のラクロスで困っていて。何というか、もっと手軽に経験値を積める練習方法ってないかなって。それで思いついたのが……」
                      「VRか」
                       あたりをつける鬼塚社長に私はうなずき、言った。
                      「東京五輪で金メダルを取ったソフトボールですが、秘策にVRが活躍したとか。何でもライバルの球速、軌道を擬似的に体感できて、それが金の原動力になった」
                      「VRを用いた仮想打撃練習だな。専用ゴーグルをかけると打席に入った感覚が味わえ、投手の映像とともに実際と同じ速さの球が投げ込まれる、と」
                      「えぇ、他にももっと手軽に擬似体験を求める需要はあると思うんです。税制上の優遇もありますし、一度、検討されても」
                       私の提案に鬼塚社長は「ふむふむ」と、何度もうなずき虚空を睨む。その表情から察するに脈ありと踏んだらしい。
                      「分かった。一つ、お蔵入りになった技術がある。それを叩き台としよう。夏目ちゃん、ギブ・アンド・テイクだ。君のラクロスで試してみようじゃないか」
                      「本当ですか!?」
                      「あぁ、その代わりその紅白戦、何としても勝ってくれよ」
                      「もちろんです」
                       私は二つ返事で鬼塚社長の提案を了承した。

                       思わぬ形で新兵器が手に入った私は、ネオサイバー社の開発室でプロジェクトの実験台となり、実戦さながらの状況を再現させていく。
                       Aチームのスペックを仮想空間上に再現させ体験してみたのだが、なかなかの出来栄えである。
                      「どうだ。現実にこそ及ばないが、仮想現実として実戦の叩き台とするには、十分だろう」
                      「はい。それはもう……」
                       私は喜色の表情を浮かべ、心の中でつぶやいた。
                       ──ひょっとしたら、本当に何とかなるかもしれない。
                       早速、Bチームの皆を呼び寄せ、体験させてみたのだが、その反響たるや想像以上である。
                      「凄いっ!」
                      「本当にAチームと試合してるみたいっ!」
                       皆の目の色が明らかに変わっていくのを前に、私は確かな手応えを感じている。強気を装いつつも、今一つ自信を持てずにいた私が、ハッキリと光明を見出した瞬間でもあった。
                       ──これは、イケる!
                       自信が確信に変わっていくのを実感しつつ、私は密かに拳を握りしめた。

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                      一井 亮治
                      参加者

                         第五話
                         
                         翌日の部活、皆の前で私は高らかに宣言した。
                        「あくまで臨時だけど、一年生ながらも私が部長をやる。練習内容も清原監督から一任された。はっきり言う。私はPTAや協会が喜ぶラクロスは一切、やらない。とにかく勝つラクロスよ」
                         皆が唖然とする中、私はチームを二つに分けた。レギュラーからなる強豪Aチームと補欠からなる弱小Bチームだ。
                         キーポイントは、私がBチームのトップを務める点だ。ちなみにAチームのトップは、谷先輩である。
                        「今から一ヶ月後、紅白戦をやる。そこで私にアピールして。礼儀、遠慮、忖度は一切、不要。分かった?」
                         私は強引に皆を丸め込むや、Bチームのメンツを掻き集めて二種類のレジュメを渡した。一枚目が『必勝法』、二枚目が『必敗法』だ。
                         早速、三年生で最弱の成瀬先輩が問うた。
                        「あの……いくら何でも私達だけで勝つのは……」
                        「勝つの!」
                         吠える私に今度は、同じ一年の磯川恵が声をあげた。
                        「この必勝法……何かセコいっていうか、ちょっとやり方、汚くない?」
                        「恵。アンタ、なんでそんなに真面目なの?」
                         意を察しかねる恵に、私は続けた。
                        「Aチームのメンバーとの実力差、分かってる? そんなもん普通にやって勝てる訳ないじゃん! だったらズルでもするしかないででしょ」
                        「まぁ、そりゃそうだけど……」
                         恵が言葉を失う中、傍らに控える二年生の鈴谷先輩が本音を吐いた。
                        「夏目さん。言いたいことは分かるけど、私達、別に勝ちたい訳じゃないの。ただオシャレに学生生活を送りたいだけで……」
                        「それっ! 行きましょう! オシャレでスタイリッシュな勝利、大いに結構。要するにこう言うことよ」
                         私はホワイトボードに山を描き、頂上に向かって線を引いた。一本目は真っ直ぐに、二本目は華麗に、三本目は空からパラシュートで降下する形で。
                        「いい。コツは頑張らないこと。ただ頂上は目指す。どんな形でもいい。そしたら思わぬ抜け道が見つかったり、助けてくれる人が現れたりするから」
                        「や、でもやっぱり努力の末に……」「そうよ」「無理ゲーだわ」
                         皆が困惑する中、私は言った。
                        「あのね。私、これまで努力ってしたことがないの。要は考え方! マインドさせ正しければ努力なんてしなくても、結果って付いてくるのよ。いい? 練習時間も今のまま。見た目も同じ。ただ心が変わる」
                         皆を黙らせた私は、さらにメンバーごとに『マル秘』と付されたレポートを配った。そこには、私から見た各々への実力分析と対策、それに本音が記されている。
                         赤裸々にぶつかる私だが、どうやら真意は伝わったようである。困惑しつつも皆の目が変わったのが、分かった。
                        「今から一ヶ月後、私達は変わる。いい?」
                         私は皆と円陣を組んで掛け声を合わせた後、練習へと入る。
                         内容は同じ、ただ質が違う。手を抜いた百回の素振りでなく真剣な十回の素振りだ。限られた時間の中で私達は、それぞれが持ちうるポテンシャルから最大限のパフォーマンスを発揮すべく、練習に取り組んでいった。
                         
                         

                         ラクロス部のぬるま湯に喝を入れるべく、紅白戦をけしかけた私だが、その一方でアレックス少年の案件も進行中だ。連休を利用し、本人と会いに現地へ赴くのである。
                        「いやーゾクゾクするな」
                         機内で能天気な声を上げるのは、冬月だ。ちなみに今回のチケット取りには、親が航空会社に勤めるケインの助けを借りている。
                         ──それにしても……。
                         私が思うのは、アレックス少年だ。これ程の有能な著名人が、無名の私達如きに会う事実がいまだに信じられない。
                         一体、どう言う風の吹き回しなのか訝る私に冬月がうそぶく。
                        「俺様に恐れをなしたのさ」
                        「んな訳ないでしょ。とにかく何か理由があるはずよ」
                        「それはいいけどさ。夏目、ラクロス部の紅白戦が迫ってるんだろう。なのに練習放ったらかしで北米入りなんて余裕だな」
                        「しょうがないでしょう。アンタらが勝手にアポとっちゃったんだから!」
                         吠える私に冬月が苦笑している。その傍らからケインが言った。
                        「夏目さん。紅白戦の勝算は?」
                        「現状は一割、これを数日で五割近くには持っていくつもりよ」
                        「なぜそんな無謀なギャンブルを?」
                        「性分。器用貧乏だからね。こうやって追い込んどかないと私、要領かましてサボっちゃうの。アレックスとの対面も然りよ」
                         ケインに応じつつ、私はラクロス部の皆に配った戦力分析レジュメに対する返答を読み込んでいる
                        〈努力はいらない。必要なのは、正しい考え方〉
                         自身の思いを述べた私だが、その出発点は現状把握だ。アレックス少年との対面も然り。自身の立ち位置や今後の展望ををどのように考えているのか、その一端に触れるつもりでいた。
                         やがて、窓の向こうから海に浮かぶ大陸が姿を現す。言わずもがな。アメリカ大陸だ。
                         ──ついに私はアメリカに……。
                         感慨深げに窓の外の景色を眺めつつ、今後の行程について、頭を巡らせた。
                         
                         
                         
                         カリフォルニアに降り立った私達は、早速、現地へと足を運ぶ。向かう先は、シリコンバレーの一角に事務所を構えるアレックス邸だ。
                         子供ながらにして一軒家を構えるなど、日本ではあり得ない光景ではあるが、これが現実だ。現地に足を降ろした私達は、早速、アレックス邸のベルを鳴らす。扉を開いた先に現れた人影こそ、あのアレックス本人だ。
                         齢十三のあどけない表情に知的な笑みと、どこか端正な品を感じさせる金髪青眼の少年である。カタコトの英語で挨拶を述べようする私達に、逆にアレックスが流暢な日本語を切り出した。
                        「ウェルカーム、待っていたよ。ジャパニーズ。さ、入って」
                         あまりの好意的でざっくばらんな態度に面食らいつつ、私達トリオは中へと足を踏み入れた。すると私達を歓迎すべくテーブルいっぱいに食事が用意されている。
                        「カモーン」
                         アレックス少年の手招きに応じ、私達は椅子に腰掛ける。まさに至れり尽せりだ。アレックス少年の歓待に私達は、目配せしつつ心の中で会話を交わす。
                         ──え、これってどう言うこと? 大丈夫?
                         つい先日、SNSで知ったばかりの相手に対するあまりの歓迎ぶりに訝りつつ、私達は食事へとついた。
                         そこから始まったのは、アレックス少年による質問攻めである。
                        「ジャパンってどうなの? 生活は? 学校ってどんな感じ? 何が流行してるのさ?」
                         あまりの興味津々ぶりに私達は、困惑を隠せない。だがアレックス少年は、構うことなく続ける。挙げ句の果てには、臨時ながらもアルゴリズム開発チームの一員に迎え入れたいとまで述べる始末だ。
                         無論、日本人としては嬉しい。そうなのだが、あまりのフランクさに違和感を拭えない。
                         そこへ急ぎの連絡が入ったとかで、アレックス少年は席を立った。残された私達は、小声で会話を交わす。
                        「ねぇ。一体、どう言うつもりよ?」
                        「知らねえ」
                         冬月はかぶりを振り、ケインは「親日家なのでは?」と、仮説を述べる。
                         やがて、食事を終えた私達は戻っていたアレックス少年に従い、仕事部屋へと案内された。そこで促されるままソファに腰掛け、会話を再開させていく。
                         この時点においても、私達はまだアレックス少年の真意を読み取れずにいる。とにかく日本に詳しい。経済状況は言わずもがな、あらゆる指標が頭に入っているばかりか、日本の製造業や観光、ポップカルチャーに至るまで知識が豊富なのだ。
                         あまりの熱心さに私は問うた。
                        「アレックスは、日本に来たことはあるの?」
                        「あるよ。オキナワとかね。でも本格的な調査はこれから」
                         ──調査?
                         いきなり出た妙な言葉に私のセンサーが反応する。どうやら冬月とケインも何かを感じ取ったらしい。気が付けば私はアレックス少年に問うていた。
                        「日本に投資をされるんですか?」
                        「敬語なんて要らない。普通にしゃべってくれたらいい。まぁ、そうさ。実はちょっとしたビジネスを始めている」
                        「どんなビジネス?」
                        「風俗」
                         アレックス少年の即答に私は二の句が告げない。てっきりどこかのメーカーか商社株かと思っていただけに、思わぬ業種に言葉を失った。
                         流石にこれは単刀直入過ぎたと感じたのか、アレックス少年がその真意を説いた。
                        「僕は世界中を見てきたけど、その際の入り口は女性なんだ。大体、女を見ればその国が分かる。縮図と言ってもいい。国勢を探る体温計みたいなものさ」
                         ここでケインが反応する。
                        「アレックスは、資本主義をどう捉えています?」
                        「お上公認の公営賭博」
                        「え、カジノってこと?」
                         思わず声を上げる私にアレックス少年は、うなずく。さらに冬月が問う。
                        「じゃぁ、国力の源泉は? 国の根源はどこに現れると?」
                        「みかじめ料……もとい税制」
                        「日本の税制をどう捉えてる?」
                        「複雑、シャウプ勧告という原点に立ち戻るべきだと思う」
                         その後も様々な問いを互いに積み重ねていく私達だが、これにアレックス少年は実に詳細に答えていく。そのあまりの理解度には、感心を通り越し恐れすら抱いたほどだ。
                         アレックス少年は言った。
                        「僕はね、投資にせよスキームの考案にせよ、やるなら論文一本は書けるくらいの調査をやるタイプだ。そりゃ詳しくもなるさ。当然だろう?」
                        「じゃぁ、私達への歓待は……」
                        「リサーチ。丁度、日本をターゲットにしていた矢先、君達からタイミングよくSNSに連絡があった。渡りに船って訳さ」
                         
                         
                         
                        「投資、か……」
                         アレックス少年と別れ、日本への空路で私はつぶやく。確かにそう考えれば、辻褄は合う。だが、それを即座に行動に移すあたりにアレックス少年の凄みがあるのだろう。
                         ──アレックスは、女性をその国の縮図であり体温と表現していた。果たして私を通じ日本はどんな国にうつったのか。
                         それがいいものであって欲しいと願う私だが、なぜかアレックス少年に違和感が拭えない。その旨を冬月とケインに問うものの、二人とも首を傾げている。
                        「や、特には……」「女の勘ってやつか?」
                         冷やかす冬月にやや憤慨しつつ、私は違和感の正体を探っている。これを敢えて例えれば〈焦り〉だ。なぜか生き急いでいる気がしてならないのだ。
                        「夏目、アレックスは、あの歳で既に学業を終え、カネと地位、名誉の全てを手にしたんだぞ。何を焦る必要があるのさ」
                         笑う冬月にケインも「同意見です」と続く。確かにそう言われてしまえば、返す言葉がない。勘違いかと、自分の主張を引っ込めた。
                         さて、結論から言えば、私が正しかった。その一端を私達は帰国してすぐに思い知ることとなる。あろうことかアレックス少年は、強烈な日本売りを始めたのだ。
                         ターゲットとなったのは、円と十年ものの日本国債である。アレックス少年は機関投資家を巻き込み、あらゆるスキームでこれらを市場に売り浴びせた。その下落率たるや、凄まじいものがあった。
                         その後、なんとか持ち直したものの、既にアレックス少年らは、利益を確定させ相場を終えている。
                         自分が儲けるためなら、例え国家が潰れても構わない──そう言って憚らないアレックス少年に、私の中で何かが芽生えた。
                         ──アレックス、あなたは間違っている。
                         もっとも今の私に出来ることは何もない。だが、アレックス少年に強烈な敵愾心を覚えたのは事実だ。
                         ──確かに市場には、国家を転覆させかねない力を秘めている。だが、これは違う。未来に何も築いていない。資本主義の履き違えだ。
                         私は市場の無法者と成り果てたアレックス少年に限りない憤りを覚えつつ、これに抗う力を持たない己の無力さを呪った。

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                        一井 亮治
                        参加者

                           第四話
                           
                          「ワォ、税理士に。クール!」
                          「いいんじゃねぇか夏目。打倒アレックス少年、応援するぜ」
                           教室で現状を話す私にケインと冬月が同調する。私は照れ気味に言った。
                          「まだ始めたばかりだけどね。それにつけてもアレックス少年よ。まさに知謀沸くが如し、何よりスピード感が凄い。課税当局がまるでついていない。いたちごっこは完全にアレックス少年のペース、凄いの一言よ」
                          「おいおい夏目、憧れているうちは勝てないぜ」
                          「何? 大谷翔平? まぁ、そうなんだけど……」
                           私は腕を組み改めて考える。実はあれから色々調べたのだが、デジタルスキームにクリエイティブアカウンティングなど、法の盲点を突いた施策が目白押しなのだ。
                          「一体、どうしたらこんな発想が出来るのか。一度、会ってみたいものね」
                           感嘆のため息とともに心境を漏らす私だが、ここで二人が意外な反応を見せる。
                          「いいじゃねぇか。皆で会いに行こうぜ」
                          「イエッス。賛成です」
                          「ちょっ……アンタら何でないことのように言ってくれるけど、どうやって? 相手はアメリカのシリコンバレーで暴れまくるツワモノよ」
                           呆れ気味に説く私だが、なんとケインがその場でSNSを通じ、アポを取ってしまった。
                          「夏目さん。今度の連休、部活はお休みでしたね。確かパスポートはお持ちだとか。今、飛行機のチケットを取ってマス」
                          「や、えぇっ……ちょっとちょっと何やってくれんのよ!」
                           声をあげる私に冬月が言った。
                          「夏目、これがデジタル時代のスピード感さ。食いついて行こうぜ」
                           
                           
                           
                           ──何がデジタル時代のスピード感よ。冗談じゃないわ。
                           放課後の部活動でラクロスクロスに怒りをぶつける私。訳の分からないうちに、皆で渡米することとあいなった。いたく不満である。
                           不機嫌な私だが、どうやらオーラが出ていたらしい。皆が気にかけており、その最たるが先日の一件で腹黒さを見せたあの谷先輩だ。インターバルで声をかけて来た。
                          「夏目さん、大丈夫? なんか今日、様子がおかしいけど」
                          「あぁ、や。大丈夫です。ちょっと私用で」
                           お茶を濁しつつ、私は谷先輩の心中を探る。
                           ──アンタが私を嫌ってることは、よーく分かった。果たして次は何をしてくることやら……。
                           本当なら声も聞きたくないのが本音だが、チームを組む以上、最低限のコミュニケーションは築いておかなければならない。仕方なしに平静を装っている。私も大人になったもんよ。
                           さて、そんな中、ちょっとした事故が起きた。ビブスゼッケンを羽織っての練習試合で部長が他の部員と接触し、怪我を負ったのだ。
                          「おい一年、救急箱だ!」
                           清原武志監督の怒声が響く中、応急処置を施すものの、どうも派手に足首をグネってしまったらしい。たちまち病院行きとあいなった。
                          「お前ら、善後策を練っておけ」
                           清原監督は私達にそう言い放ち、部長を車で運んでいく。残された私達は皆、動揺を隠せない。
                          「善後策って、どういうことよ?」
                          「や、だから、そう言うことでしょ」
                           皆が小声でコソコソと囁く中、切り出したのは谷先輩だ。
                          「試合も近い。あくまで暫定の措置だけど、当座の部長は夏目さんにするしかないと思うの」
                           皆も納得の表情でうなずく中、私は「や、ムリっすよ」と頑なに固辞する。だが、チームメンバーの大勢は「部長は夏目」で固まってしまった。
                           半ば無理やり決められた人事に、私の嘆きは止まらない。
                           ──もう、勘弁してよ。アンタ達、皆揃って、私のこと嫌ってんじゃん。
                           よほど皆の本音を晒してやりたかった私だが、それをやればチームは即、崩壊だ。やむなく部長の座を引き受けることとなった。
                          「よろしくね。夏目キャプテン」
                           作り笑顔を振り撒く谷先輩らに、私は穏やかならずも笑顔で応じた。
                           

                           
                          「ほぉ、アメリカ行きにラクロス部のキャプテンか。随分と賑やかそうじゃないか」
                           帰宅後、夕食を囲みながら士郎兄が楽しそうに目を細める。ちなみに両親は基本、家を空けがちだ。税法学者の父は研究に没頭し、ジャーナリストの母は海外への取材で忙しい。
                           家庭をかえりみず、自由放任主義で「各々、勝手に育って」と言った感じ。
                          「もう勘弁して欲しいわ。あれもこれもで大変よ」
                          「それを何とかしてしまうのが、葵だろう?」
                           ズバリと指摘され、私は黙ってうなずく。事実、忙しくなる程、頭が逃避モードに入って「いかに上手く手を抜くか」という要領が次々と浮かぶのだ。
                           そんな私を士郎兄が評した。
                          「葵、お前が持つ力の源泉は感性だ。要領のよさも遊びへのパワーもな。俺や親父は……まぁ、言ってみれば石橋を叩いて渡る凡人だが、お前は違う。母さんに似て走りながら考える……そうだな。高杉晋作タイプだな」
                          「誰それ? 士郎兄のダチ?」
                          「アホ。幕末に名を馳せた革命家だ」
                          「あぁ……えーでもさ、そう言うのってどーせ司馬遼太郎が勝手にそー言ってるだけでしょ」
                          「その冷めた感覚がいい。平時の日常を切り盛りする俺や親父と違って、有事で世界一変させる、激変期にしか活躍出来ない革命家だ。伊藤博文曰く〈動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し〉さ」
                           ──士郎兄も歴史、好きねぇ……。
                           私は呆れつつ、言った。
                          「色々、評してもらって誠に光栄だけど、実際問題、一年の私の言うことなんか、ラクロス部の先輩ら聞かないよ」
                          「だろうな」
                          「じゃ、どうしろと?」
                          「簡単だ。勝てばいい」
                           あっけらかんと言ってのける士郎兄に言葉が出ない。士郎兄が夕飯のオムライスを平らげながら補足した。
                          「いいか。お前は皆と団結して勝つ青春タイプじゃない。勝ってチームを団結させていく実業家タイプだ。だから、勝利のために手段は選ぶな。アレックス少年の案件然り、上手くやれば時代を掴めるぞ」
                          「悪いけど興味ないわ。そういうの、士郎兄に任せるから」
                          「俺じゃムリなんだよ。選ぶのは時代だ。時代が勝手に選ぶ。理不尽な話さ」
                           士郎兄は憤慨気味にこう締めた。
                          「葵、お前の才は革命でこそ生きる。この日本を頼んだぞ」
                           
                           
                           
                           ──日本を頼むぞ、だってさ。
                           夕食を終えた私は、自身の部屋で机を前に考え込んでいる。歴史に傾倒するあまり陶酔気味で、士郎兄の言うことについていけない。
                           ただ言わんとしていることは、分かる気がした。
                          「要するに適材適所ね」
                           ちなみにラクロスのポジションはゴーリー、ディフェンダー、ミッドフィールダー、アタッカーの四種で、ポジションによって性格に明らかな違いが出る。
                           一つのプレーやミスに対する考え方や不安の感じ方が違うのだ。
                           面白いことに、それは税務においても同じだ。サンズイ(法人)、トコロ(所得)、消費税(ケシ)、相続税(サン)と、出身の畑で慎重さに違いが見受けられる。
                           ──スポーツのポジションや組織の部門でこんなに違うなら、国が変われば、なおさらだろう。マッチョで単細胞なアメリカ人、世界のどこででも生きていける中国人、器用で小心な日本人……ってところか。
                           無論、不真面目な優等生の代表格な冬月や、意外な器用さを持つケインのような例外もあるが、総じて枠からはみ出さないのが、日本人だ。
                           ──果たしてアレックス少年の本性やいかに、彼はこの日本をどう見ているのか。
                           そんなことを感じつつ、授業と部活と革命とやらに向け、各々の宿題に取り掛かっていった。

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                          一井 亮治
                          参加者

                             第三話

                             次の日、学校を早めに切り上げた私は士郎兄の勧めに従い、祖父の夏目玄蔵事務所を訪ねた。
                            「やぁ、葵ちゃん。久しいじゃないか」
                             すっかり好々爺になった玄蔵爺さんは、見事なつるっ禿げの頭をさすりながら、目尻を下げる。
                            「士郎君から話は聞いている。実は今、厄介な案件を抱えていてね。一度、ついてきてくれ」
                            「いつですか?」
                            「今だ」
                            「え、や……」
                            「さ、行こう行こう」
                             玄蔵爺さんは、戸惑う私に構うことなく席を立つ。この辺、いつも通り強引だ。日常業務を事務員に託すや、私を引き連れ車を走らせて行った。
                             さて、この玄蔵爺さんによれば、今、一つの案件を追っているらしい。それは、世間一般では表沙汰にはならないものの、明らかに税務行政に影響を及ぼすもので、所属する税務団体〈桜志会〉からも、さり気なく顧問先をあたってくれとの依頼である。
                            「一体、どんな案件なんですか?」
                             それとなしに問うものの「あー」だの「うーん」だの歯切れが悪い。そうこうするうちに目的の顧問先に到着してしまった。
                             ネオサイバー社と名乗る今、流行りのオンラインゲーム市場で小規模ながらも世界有数のシステムを運用する会社だ。
                             バイトの見習いとして玄蔵爺さんの後ろに続く私だが、そこへ三十代半ばと思しき大柄なちょんまげ社長〈鬼塚剛三〉が現れ、開口一番、こう言った。
                            「うちは透明会計がモットーだ。そのつもりで記帳を頼みますよ」
                             鋭い視線で圧をかけるや、面倒くさげに私達を手で払い去ってしまった。
                             ──随分と失礼な社長さんね。
                             私は呆れつつ、会議室で玄蔵爺さんと書類の束に目を通していく。そこから約一時間程、言われるがままに記帳業務をこなした私だが、頃合いをはかったように玄蔵爺さんが小声で囁いてきた。
                            「どうだ。税理事務もなかなか細かいだろう。何か妙な点はないかい?」
                             ──妙な点……。
                             ここで私の勘ピューターが働く。どうやら玄蔵爺さんに試されているらしい。私はしばし考慮の後、言った。
                            「あの、ここの鬼塚社長って、もしかして結構、山師だったりします?」
                            「ほぉ、なぜそう思うんだ?」
                            「なんというか……私、税務はサッパリですが、オンラインゲーム内で流通する通貨? ポイントの付与が不自然な気がして」
                            「どこかだね?」
                             問いを重ねる玄蔵爺さんに私は、持ち前の山張りで勘を働かせていく。拙いながらも、学校で馴染みのある試験絡みの数値に例え説明した。
                            「仮に二つの科目でともに得点と平均点が同じだったとして、偏差値まで同じになるのは、おかしいじゃないですか。だって皆の得点が平均点近くに集中している場合と、全般的に散らばっている場合とでは、一点の重みや価値が違ってくるでしょ。それが帳簿でも確認出来る」
                            「ふむ。続けて」
                            「数値の誤差が9で割れてしまうのもおかしいです。明らかに桁違いなのに全体で見れば矛盾なく整ってしまっている。それってつまり、誰かが帳尻合わせを……」
                            「何だよ。バレたのか?」
                             突如、割り込む声に振り返ると、いつの間にか現れた鬼塚社長が降参だとばかりに両手を上げ、茶目っ気に溢れた表情で立っている。
                             玄蔵爺さんが笑いを堪えながら、言った。
                            「葵ちゃん。この鬼塚社長は、ちょっとばかし山っ気が強くてね。社長、透明会計でお願いしますよ」
                            「分かった分かった。言われた通りに訂正しよう。言い訳させていただくとちょっと一つ、厄介な案件を抱えていてね。その絡みで無理をした」
                            「それは、例の〈ミネルヴァノート〉ですな?」
                             念押し気味に問う玄蔵爺さんに、私は首を傾げる。
                             ──ミネルヴァノート? 何それ?
                             疑問符を浮かべる私だが、玄蔵爺さん曰くに今、日本の会計、経済、税務の現場を裏からかき乱している存在らしい。さらに驚くべきは、その提唱者だ。
                             鬼塚社長は、スマホをかざし一枚の画像を表示させた。そこには、金髪青眼の十歳程と思しき少年が写っている。
                            「あの……この可愛い男の子が何か?」
                            「案件に絡む渦中の中心人物にして、ミネルヴァノートのスキームを開発した首謀者、アレックス・チャン少年さ」
                            「え……や、でもこの子、見た感じまだ幼少の子供ですよ」
                            「だが飛び級で既にアメリカの名門大学を出て修士も取ってる。いわゆる天才ってやつさ」
                             鬼塚社長の説明に、私は言葉が出ない。なんでもこの子供が複雑なスキームを組んで社会を裏側からコントロールしているらしい。とてもではないが、信じられない私だが、玄蔵爺さんは格言を交え説明した。
                            「〈ミネルヴァの梟は夜に飛ぶ〉。昼、世の中で起こったことが、夜になって初めて知恵となる。法、学問、ビジネスモデル、これらは一見、正しく見えるが、実は以前に起きた現象の後追いに過ぎない。常に現実に遅れてしまう」
                            「ヘーゲルの『法の哲学』だな。私達のような日進月歩の業界なら尚更だ。この盲点を突いてこの世の王とならんとしているのが、アレックス少年というわけだ。その若過ぎる柔軟な発想で、パズルの如く次々とクリエイティブアカウンティングを可能にしていく。怪物さ」
                             鬼塚社長も続く中、私の中で何かが芽生えた。
                            「鬼塚社長さん、玄蔵爺さん、これってそのうち大事件に発展するんじゃないですか」
                            「いかにも」
                            「そこでだ葵ちゃん。このアレックス少年に土をつけてやってはくれないか」
                             二人からの思わぬ提案に、私は困惑しつつも心の中に宿る炎を感じている。気がつけば、声を大にして賛同していた。
                            「私、やってみます」
                            「うむ。それでこそ我が孫だ」
                            「我が社も及ばずながら、協力しよう」
                             玄蔵爺さんと鬼塚社長は、実に頼もしげに私を見ている。うまく担がれた気はするものの、その一方で今まで何かモノ足りなく感じていた正体を見つけた喜びを感じている。
                             ──多分、私はこのアレックスを通じ、何かを変えていく。そんな気がしてならない。
                             もっともそれが胸騒ぎなのか、武者震いなのかは分からない。まさか生涯を懸けたライバルになろうなどとは、つゆにも思わなかった。
                             
                             
                             
                             玄蔵爺さんらと別れた私は、帰路の電車でアレックス少年にまつわる資料に目を走らせていく。どうやら中国系アメリカ人らしい。
                             太平洋を股にかけ、二大大国たる米中のグローバル企業を相手に金融兵器や脱税スレスレのスキームを考案し、暴利を貪る輩だ。
                             一番、興味を惹かれたのは、アレックス少年が提示するミネルヴァノートの一節である。
                            〈今、世界は米中がスカートの下で足を蹴り合う「G2のワルツ」状態にある。これをうまく踊り切れるかが、二十一世紀における企業経営の覇権を分けるだろう〉
                            「随分とおませさんな事で」
                             達観気味に苦笑する私。土をつけようなどおこがましいにも程があるのだが、その能力差が私の心に火をつけた。
                             救いを求める相手は、やはり士郎兄だ。帰宅するや否や事情を説明し意見を乞う。
                            「士郎兄、どこから始めたらいい?」
                            「そうだなぁ。うーん……会計と税務に関する書籍はあるか?」
                            「一応、父さんから貰ったヤツがそれなりに」
                             私は士郎兄を自身の部屋に誘い、本棚の書籍を見せた。士郎兄はサラサラと目を走らせるや驚くなかれ、次々に破り捨てゴミ箱に放り込んでいく。
                             唖然とする私だが、士郎兄は構うことなく数冊を残し、これに自身が手持ちの書籍を加えて、私の前に並べた。
                            「葵、この順番で読んでいけ。それがアレックス少年に近づく最短距離だ」
                            「そうなの?」
                            「解説書にも当たり外れはあるんだよ。騙されたと思って試してくれ。お前ならすんなり理解できるはずだ」
                             アドバイスを受けた私は、早速、目を通していく。痛感したのは、チョイスの独特さである。まず入り口として漫画類のエンタメから入るのだ。
                             さらに雑誌類で世間と関連付け、地慣らしした上で、無理なく本論へと繋げていくスタイルである。
                             指導もよかったのだろう。見事にハマった。通常なら一ヶ月はかかろうところを、数日で読破してしまったのだ。
                            「もう読んだのか!?」
                             士郎兄が呆れる中、私は座学を実践へと移していく。玄蔵爺さんの事務所でのオン・ザ・ジョブを通じ、簿記の勉強へと繋げるのだ。
                             まるで乾いた大地が水を吸収するが如く、理解を深めていった。

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                            一井 亮治
                            参加者

                               第二話
                               
                               ラクロス部でちょっとした事件があった。二年の谷花江先輩が、隣街にある暴力団系不良グループの嶋という青年からマジでシャレにならないちょっかいを受けたらしい。
                               ま、大人しげな先輩なんだけど、とにかく私が相談を受けた。ここで夏目センサーが働く。
                               ──智に働いて丸め込むチャンスよ。
                               というのも何か私、嫌われてんの。一年のくせに先輩のポジション奪って何様って。だから、これを機に谷先輩の悩みを解決出来れば、低飛行気味な私の株も一気にあがろうってもんよ。
                              「悔しい。私、どうしたら……」
                               涙すら見せる谷先輩に私は「大丈夫です。私に任せてください」と胸を叩いてみせる。とは言えこんな危ない橋は、渡れない。
                               それとなしに協力を求めた相手が、私を勝手に婚約者扱いする冬月とケインだ。
                               ──さぁ、コイツら。どう出る?
                               私の考えでは明らかに未成年には手に負える案件だ。大人ですらヤバくてリスクを背負えない状況だが、どんな反応を見せるか試してみると速攻で返事がきた。
                              「事情は分かった。荒事は任せろ」
                               ──早っ……。
                               私は驚きつつ呆れ気味に訴える。
                              「冬月、あんた任せろって、どーすんの? 警察も動いてくれないのよ」
                              「俺がやる。ケイン。あれを出来るか?」
                              「イエス」
                               何やら了承を見せるケインに冬月はうなずき、立ち上がるや教室を出て行った。慌てて追いかける私と谷先輩、なんと冬月は学校中を歩き回って、不良仲間のゴロツキを根こそぎ掻き集めてしまった。その数、約五十人。
                               で、そのまま隣街へと乗り込んで行く。流石の私も焦ったわ。
                              「ちょっと冬月、あんた戦争でもする気?」
                              「や、それはない」
                               自信ありげな冬月に私達は戸惑いを覚えつつ、成り行きを見守っている。結果から言うと、確かに戦争にはならなかった。こっちが倍の人数を集めたからね。
                               ただ交渉はした。向こうのボスと話をつけ、問題の不良を差し出すことで、合意と相なった。
                              「よし……」
                               冬月は用済みとばかりに軍団を解散させるや驚くなかれ、今度はその不良を引っ張ってバックに控える暴力団事務所に乗り込んでしまった。
                               無論、入口で武器や録音機の類を持っていないか、厳重なボディーチェックがされた上でだ。冬月が組長に直談判を持ちかける中、私達が見守っていると、その問題の嶋が「俺がやった証拠がねぇだろ」と開き直ってしまった。
                              「どう言う事だ。お前、さっきまで罪を認めてたじゃねぇか」
                              「知らねぇな」
                               嶋がシラを切る中、周囲の構成員が私らを取り囲み、罵声を浴びせてきた。
                              「ガキのくせにヤクザ、舐めんじゃねぇ」
                              「殺すぞ、ワレ」
                               周囲が騒然となる中、嶋はもはや難を逃れ余裕の笑みを浮かべている。
                               とそこへ暴力団事務所に電話が入る。冬月が人差し指を立てて言った。
                              「その電話、早く出ろよ」
                               ヤクザ達は訝りながらも、その電話に出る。相手はケインだ。なんと音声をスピーカーに繋がせ、事務所に入って今に至るまで全ての録音音声を流し始めた。
                               見る見るうちにヤクザやチンピラ、嶋の顔色が失われていく。組長が吠える。
                              「おい、どうなってんだ。コイツらのボディーチェックは済んだんじゃねぇのか!」
                              「や、そうなんっすが……」
                               皆が口を閉じる中、俺は「失礼」と詫びを入れ、嶋のジャケットの胸ポケットに手を入れる。出てきたのは、ケインの端末に通ずるペンシル型の録音機だ。
                               どうやら、仲間の嶋にまでボディーチェックはしないであろう盲点を突いて、密かに忍ばせていたらしい。
                               ここで冬月が畳み掛ける。
                              「さっきの〈殺すぞ〉って脅迫ですよ。分かってます?」
                               流石の組長も分の悪さを認識したらしい。改めて交渉となり、問題の嶋にきっちりケジメを付けさせることで合意と相なった。まさに私達の完全勝利である。
                               私はほっと安堵のため息とともに、今回の案件を成功に導いた冬月とケインに感服した。
                               
                               
                               
                               その後、谷先輩と別れた私と冬月は、ケインと合流し、近辺のファーストフード店で存分に礼をした。
                              「二人ともありがとう。助かった。奢るわ」
                              「どうってことないさ、なぁケイン」
                              「イエース」
                               おちょける二人に私は苦笑を禁じ得ない。何しろラクロス部でエースを張る私のメンツが保たれた上に、谷先輩に恩も売る事が出来たのだ。
                               まさに笑いが止まらない。止まらないのだが、今一つ何か引っ掛かるものを覚えている。
                               どうやら二人もそんな私に気付いたらしい。目配せの後、その笑みを凍りつかせる録音データを再生し始めた。それは、先程まで全く流さずにいた谷先輩と嶋の音声だ。
                              〈嶋、うまくいったよね。あの夏目って後輩、痛い目に合わせてやってよ〉
                              〈ほぉ、いいのか谷?〉
                              〈えぇ、もうやっちゃって。皆、あいつには頭にきてんの。この後もうまく私が泣きついて騙すからさ〉
                               次々と露わになる事実に私は愕然とする。
                              「ちょっと、何よそれ……何なのよ!」
                              「所詮、先輩後輩の仲なんて、こんなもんさ。特に夏目はな。お前さ、要領がよすぎるんだよ」
                              「アメリカでもそうですよ。信じる者は足すくわれる。皆、足の引っ張り合いばかり」
                               ケインも同調する中、私は頭を抱え塞ぎ込む。
                              「……ゴメン。私、ちょっと」
                               声を震わせる私の意を察した二人が席を立つ。一人になったのを確認した私は、涙を目一杯浮かべ肩を震わせて嗚咽した。何も気づかずのほほんと振る舞っていた自分があまりに情けなく、辛さが心にしみるしみるほど痛かった。

                               
                               
                               その夜、帰宅した私が頼ったのは、兄の夏目士郎だ。私より三つ上のタレ目でクールなこの兄は、私の話に大いに理解を示している。
                              「葵、確かにお前は何をやっても、ある程度まで出来てしまう。で、妬みやっかみを受け努力家に抜かれていく。要するに器用貧乏だな」
                              「士郎兄、私、どうすればいいと思う?」
                               悩む私に士郎兄が出した答えは、意外だ。別に悩む必要はない、と。どう言うことか聞き耳を立てる私に士郎兄は、説明した。
                              「今、時代が日進月歩で世の動きが早いだろう? そんな中で大器晩成を待っていたら、完成した頃には時代の方が変わってしまう。葵は卑下するが、今は器用貧乏の方がかえっていいんだ」
                              「え、でも皆、大器晩成の努力家を称えるじゃん」
                              「日本人の美徳だからな。結果、見下していたアジア諸国に抜かれるに至る。困ったもんさ」
                               しみじみと嘆く士郎兄に、私も異論はない。ではどうしたらいいか聞き耳を立てる私だが、ここで士郎兄は思わぬ提案をする。
                              「葵、ここは一つ、税理士を目指してみないか?」
                              「え……」
                               思わず私は閉口する。あまりに唐突で頭が回らず、固まった。
                               ──私が税理士? 何でまた?
                               疑問符を浮かべる中、士郎兄がその根拠を述べた。曰く、ある程度数字に強い上に税務署との折衝で、持ち前の器用貧乏さが上手く働くと読んだらしい。
                               私は士郎兄にうなずきつつも言った。
                              「何となく分かるんだけど……でも税理士って確かAIに取ってかわられるとか……」
                              「記帳や税理事務だけではな。だが、いかに時代が変われど経営者ってのは、いつも孤独だ。相談にのれる数少ない存在の一つが税理士さ。確か玄蔵爺さんが事務所を開いていたはず。一度、相談してみろよ」
                               ──税理士、かぁ……。
                               思わず唸る私に士郎兄は、笑みとともに言った。
                              「多分、お前には合ってると思うぜ」

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                              一井 亮治
                              参加者

                                 第一話
                                 
                                 智に働いて丸め込む。
                                 情に棹させて流させる。
                                 意地を通してキリキリ舞い。
                                 とかく人の世は、要領だ。
                                 
                                 漱石を茶化して国語教師にマジギレされた私〈夏目葵〉だけど、この世に生まれて十六年──努力というものをしたことがない。
                                 勉強なんて所詮、山張りよ。教師の顔に出てんじゃん。「ここ試験に出しますよ」って。
                                 部活も一緒、ラクロス部に入って三ヶ月ではやレギュラー入り。今では勝負師としてチームを引っ張ってる。
                                 そんな人生イージーモードな私だけど、最近、壁にぶつかってる。その一つが右隣の座席に腰掛ける御仁よ。
                                「愛してるぜハニー。これは俺の気持ちだ。受け取ってくれ」
                                 教室で恥ずかしげもなく婚姻届を片手に求婚を迫る同級生、冬月小次郎だ。えんじ色の縁メガネから、鋭い視線を向ける不良のごろつきで、成績も下から数えた方がはるかに早い落ちこぼれ。だから、言ってやった。
                                「学力テストで私を抜いたらね」
                                 要するにタイプじゃないから諦めろって遠回しにフったんだけど、いやマジでビビったわ。本当に私を抜きに来た。中間テストで一位の私に一点差で迫って来たのだ。
                                 ──危なっ……。
                                 思わず肝を冷やしたわ。頭は悪いけど、地頭はずば抜けてる。癪だけど認めよう。これって決めた時の集中力って、やっぱ男子ね。
                                 さて、もう一つの壁が左隣にお座りのアフリカ系黒人ハーフのケイン春日よ。いかにも弱気で自信なさげながらもその実、理工学系に長けたメカオタクで、国際特許も有している。
                                 この殿方が、また冬月とは違ったアプローチでプロポーズをかけて来た。
                                「その……け、結婚を前提にお付き合いを考えております」
                                 びっくりするくらいの真面目さよ。フろうものなら、その場で腹を切ると包丁まで用意する徹底ぶり。いやまいったわ。
                                 ま、そんなこんなで両手に花ならぬ不発弾を抱えた私だけど、その心中たるや穏やかではない。せめて不発弾のままでいてもらいたかったのだけど、そうは問屋が卸さない。
                                 かくして私の人生は、水と油な二人の同級生に挟まれ翻弄されていくこととなる。
                                 困惑しきりな私だけど、その一方でこうも思っている。
                                 ──でも、二人ともちょっと頼もしかったりするのよね。

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                                一井 亮治
                                参加者

                                   第二十八話

                                   結局、ジェイソン(本体)は、俺の条件を飲んだ。事務局ビルを開放したジェイソン達一派は、特殊部隊に連行されていく。それを横目に俺は、ほっと安堵のため息をついた。
                                  「上手くいった様ですね」
                                   語りかけるのは、ジェイソン(クローン)だ。さらに聖子が俺にカップ麺を差し出してきた。
                                  「ここんとこ飯抜きだったでしょ。せめてこれでも」
                                  「おいちょっと待て。まさかこれがネゴシエーションの成果報酬じゃないだろうな」
                                  「フフッ、まぁ、色々明らかにしたいんだろうけど、大人の事情ね。ことが機微に触れるだけに大っぴらには出来ないんだって。せめてもの労いってことらしいよ」
                                   ――何が労いだ。人の気も知らないで。
                                   俺は憤慨しつつ麺が伸びる前に、カップ麺をすする。それを横目に聖子が誰にいうでなしにつぶやいた。
                                  「この国は果たして、どうなっていくんでしょうねぇ」
                                  「分からん。まぁ、このカップ麺の如く細く長くあって欲しいところだな」
                                  「それを守るのも税理士の仕事だし、桜志会の役目なんじゃない?」
                                  「どっちにせよ、俺の身には余るぜ」
                                   ぼやく俺にジェイソンが言う。
                                  「その割には、まんざらでもなさそうですが」
                                  「ふん、これ以上、酷使されてたまるか」
                                   俺はそっぽ向きつつ、麺を一気にすすった。

                                   
                                   
                                   事件解決から数日後、俺は聖子とともに港にいる。旅立つジェイソンを見送るためだ。
                                  「しかし、忙しい奴だな。183日ルールか何だかしらねぇが、ゆっくりして行けよ」
                                   呆れる俺にジェイソンは、どんでもないとかぶりを振る。祈願だった世界一周自転車計画を始められることが、嬉しくて仕方がないらしい。
                                   そんなジェイソンに聖子が言った。
                                  「確か二十歳までに国籍を決めなきゃいけないんでしょ」
                                  「えぇ、日本では二重国籍は認められていませんから」
                                   返答するジェイソンを前に、俺はかつてこいつが述べていたセリフを思い出す。
                                  〈僕は真の自由を得たい。ネットやマスコミだけに頼らず、海外を周りながら実地へ赴き、あるがままの世界の実像を肌感覚で学んでいく。その上でどの国を祖国とするのかを、自分で決めたい〉
                                   俺には、到底考えが及ばないものの、その権利を得たジェイソンの喜びようたるや、側から見ているこちらまで陽気になるほどだ。
                                  「ジェイソン、お前は不安じゃないのか。テロに疫病、検閲、戦争、世界はお前を守っちゃくれないぜ」
                                  「もちろん不安はあります。でも期待がそれを上回るんです。それにね。温暖化で大陸が沈もうが、戦争で国が滅びようが、人は何なと生きていくんです」
                                  「ゆく河の流れは絶えずして、方丈記ね」
                                   聖子の相槌にジェイソンは、うなずく。 
                                  「これまでも国や民族が消えてしまったこともある。それでも人類は生き残ってきた。環境の変化に耐え忍ぶその力は、大自然の力と同じくらいにたくましい。僕はそれを見たいんです」
                                  「今度はジム・ロジャーズか? そこに感銘を受けるあたりがお前らしいよ」
                                   やがて、汽笛が鳴り、俺達はジェイソンに別れを告げた。
                                   何があろうとその全てを眼に収め、自由に国境を跨ぐジェイソンのバイタリティーに感服しつつ、俺は言った。
                                  「俺は、どう生きればいいんだろう。聖子はどうなんだ? 以前言っていた電脳格闘大会は、もう達成しちまっただろう」
                                  「フフッ、実はもう考えてあるの」
                                  「そうなのか!? 次は何なんだ?」
                                   驚き気味に問う俺に聖子は、じれったそうにしつつも、ポツリと言った。それは実に意外な答えだった。
                                  「お嫁さん……とか、どうかなって」
                                  「跳ねっ返り娘のお前がか!? 第一それ、職業じゃないだろう」
                                   思わず失笑する俺だが、聖子は構うことなくウィンクで笑いかけ言った。
                                  「じゃ、帰ろっか」(了)

                                   オワタ……

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