一井 亮治

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  • 一井 亮治
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       第三話

       次の日、学校を早めに切り上げた私は士郎兄の勧めに従い、祖父の夏目玄蔵事務所を訪ねた。
      「やぁ、葵ちゃん。久しいじゃないか」
       すっかり好々爺になった玄蔵爺さんは、見事なつるっ禿げの頭をさすりながら、目尻を下げる。
      「士郎君から話は聞いている。実は今、厄介な案件を抱えていてね。一度、ついてきてくれ」
      「いつですか?」
      「今だ」
      「え、や……」
      「さ、行こう行こう」
       玄蔵爺さんは、戸惑う私に構うことなく席を立つ。この辺、いつも通り強引だ。日常業務を事務員に託すや、私を引き連れ車を走らせて行った。
       さて、この玄蔵爺さんによれば、今、一つの案件を追っているらしい。それは、世間一般では表沙汰にはならないものの、明らかに税務行政に影響を及ぼすもので、所属する税務団体〈桜志会〉からも、さり気なく顧問先をあたってくれとの依頼である。
      「一体、どんな案件なんですか?」
       それとなしに問うものの「あー」だの「うーん」だの歯切れが悪い。そうこうするうちに目的の顧問先に到着してしまった。
       ネオサイバー社と名乗る今、流行りのオンラインゲーム市場で小規模ながらも世界有数のシステムを運用する会社だ。
       バイトの見習いとして玄蔵爺さんの後ろに続く私だが、そこへ三十代半ばと思しき大柄なちょんまげ社長〈鬼塚剛三〉が現れ、開口一番、こう言った。
      「うちは透明会計がモットーだ。そのつもりで記帳を頼みますよ」
       鋭い視線で圧をかけるや、面倒くさげに私達を手で払い去ってしまった。
       ──随分と失礼な社長さんね。
       私は呆れつつ、会議室で玄蔵爺さんと書類の束に目を通していく。そこから約一時間程、言われるがままに記帳業務をこなした私だが、頃合いをはかったように玄蔵爺さんが小声で囁いてきた。
      「どうだ。税理事務もなかなか細かいだろう。何か妙な点はないかい?」
       ──妙な点……。
       ここで私の勘ピューターが働く。どうやら玄蔵爺さんに試されているらしい。私はしばし考慮の後、言った。
      「あの、ここの鬼塚社長って、もしかして結構、山師だったりします?」
      「ほぉ、なぜそう思うんだ?」
      「なんというか……私、税務はサッパリですが、オンラインゲーム内で流通する通貨? ポイントの付与が不自然な気がして」
      「どこかだね?」
       問いを重ねる玄蔵爺さんに私は、持ち前の山張りで勘を働かせていく。拙いながらも、学校で馴染みのある試験絡みの数値に例え説明した。
      「仮に二つの科目でともに得点と平均点が同じだったとして、偏差値まで同じになるのは、おかしいじゃないですか。だって皆の得点が平均点近くに集中している場合と、全般的に散らばっている場合とでは、一点の重みや価値が違ってくるでしょ。それが帳簿でも確認出来る」
      「ふむ。続けて」
      「数値の誤差が9で割れてしまうのもおかしいです。明らかに桁違いなのに全体で見れば矛盾なく整ってしまっている。それってつまり、誰かが帳尻合わせを……」
      「何だよ。バレたのか?」
       突如、割り込む声に振り返ると、いつの間にか現れた鬼塚社長が降参だとばかりに両手を上げ、茶目っ気に溢れた表情で立っている。
       玄蔵爺さんが笑いを堪えながら、言った。
      「葵ちゃん。この鬼塚社長は、ちょっとばかし山っ気が強くてね。社長、透明会計でお願いしますよ」
      「分かった分かった。言われた通りに訂正しよう。言い訳させていただくとちょっと一つ、厄介な案件を抱えていてね。その絡みで無理をした」
      「それは、例の〈ミネルヴァノート〉ですな?」
       念押し気味に問う玄蔵爺さんに、私は首を傾げる。
       ──ミネルヴァノート? 何それ?
       疑問符を浮かべる私だが、玄蔵爺さん曰くに今、日本の会計、経済、税務の現場を裏からかき乱している存在らしい。さらに驚くべきは、その提唱者だ。
       鬼塚社長は、スマホをかざし一枚の画像を表示させた。そこには、金髪青眼の十歳程と思しき少年が写っている。
      「あの……この可愛い男の子が何か?」
      「案件に絡む渦中の中心人物にして、ミネルヴァノートのスキームを開発した首謀者、アレックス・チャン少年さ」
      「え……や、でもこの子、見た感じまだ幼少の子供ですよ」
      「だが飛び級で既にアメリカの名門大学を出て修士も取ってる。いわゆる天才ってやつさ」
       鬼塚社長の説明に、私は言葉が出ない。なんでもこの子供が複雑なスキームを組んで社会を裏側からコントロールしているらしい。とてもではないが、信じられない私だが、玄蔵爺さんは格言を交え説明した。
      「〈ミネルヴァの梟は夜に飛ぶ〉。昼、世の中で起こったことが、夜になって初めて知恵となる。法、学問、ビジネスモデル、これらは一見、正しく見えるが、実は以前に起きた現象の後追いに過ぎない。常に現実に遅れてしまう」
      「ヘーゲルの『法の哲学』だな。私達のような日進月歩の業界なら尚更だ。この盲点を突いてこの世の王とならんとしているのが、アレックス少年というわけだ。その若過ぎる柔軟な発想で、パズルの如く次々とクリエイティブアカウンティングを可能にしていく。怪物さ」
       鬼塚社長も続く中、私の中で何かが芽生えた。
      「鬼塚社長さん、玄蔵爺さん、これってそのうち大事件に発展するんじゃないですか」
      「いかにも」
      「そこでだ葵ちゃん。このアレックス少年に土をつけてやってはくれないか」
       二人からの思わぬ提案に、私は困惑しつつも心の中に宿る炎を感じている。気がつけば、声を大にして賛同していた。
      「私、やってみます」
      「うむ。それでこそ我が孫だ」
      「我が社も及ばずながら、協力しよう」
       玄蔵爺さんと鬼塚社長は、実に頼もしげに私を見ている。うまく担がれた気はするものの、その一方で今まで何かモノ足りなく感じていた正体を見つけた喜びを感じている。
       ──多分、私はこのアレックスを通じ、何かを変えていく。そんな気がしてならない。
       もっともそれが胸騒ぎなのか、武者震いなのかは分からない。まさか生涯を懸けたライバルになろうなどとは、つゆにも思わなかった。
       
       
       
       玄蔵爺さんらと別れた私は、帰路の電車でアレックス少年にまつわる資料に目を走らせていく。どうやら中国系アメリカ人らしい。
       太平洋を股にかけ、二大大国たる米中のグローバル企業を相手に金融兵器や脱税スレスレのスキームを考案し、暴利を貪る輩だ。
       一番、興味を惹かれたのは、アレックス少年が提示するミネルヴァノートの一節である。
      〈今、世界は米中がスカートの下で足を蹴り合う「G2のワルツ」状態にある。これをうまく踊り切れるかが、二十一世紀における企業経営の覇権を分けるだろう〉
      「随分とおませさんな事で」
       達観気味に苦笑する私。土をつけようなどおこがましいにも程があるのだが、その能力差が私の心に火をつけた。
       救いを求める相手は、やはり士郎兄だ。帰宅するや否や事情を説明し意見を乞う。
      「士郎兄、どこから始めたらいい?」
      「そうだなぁ。うーん……会計と税務に関する書籍はあるか?」
      「一応、父さんから貰ったヤツがそれなりに」
       私は士郎兄を自身の部屋に誘い、本棚の書籍を見せた。士郎兄はサラサラと目を走らせるや驚くなかれ、次々に破り捨てゴミ箱に放り込んでいく。
       唖然とする私だが、士郎兄は構うことなく数冊を残し、これに自身が手持ちの書籍を加えて、私の前に並べた。
      「葵、この順番で読んでいけ。それがアレックス少年に近づく最短距離だ」
      「そうなの?」
      「解説書にも当たり外れはあるんだよ。騙されたと思って試してくれ。お前ならすんなり理解できるはずだ」
       アドバイスを受けた私は、早速、目を通していく。痛感したのは、チョイスの独特さである。まず入り口として漫画類のエンタメから入るのだ。
       さらに雑誌類で世間と関連付け、地慣らしした上で、無理なく本論へと繋げていくスタイルである。
       指導もよかったのだろう。見事にハマった。通常なら一ヶ月はかかろうところを、数日で読破してしまったのだ。
      「もう読んだのか!?」
       士郎兄が呆れる中、私は座学を実践へと移していく。玄蔵爺さんの事務所でのオン・ザ・ジョブを通じ、簿記の勉強へと繋げるのだ。
       まるで乾いた大地が水を吸収するが如く、理解を深めていった。

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      一井 亮治
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         第二話
         
         ラクロス部でちょっとした事件があった。二年の谷花江先輩が、隣街にある暴力団系不良グループの嶋という青年からマジでシャレにならないちょっかいを受けたらしい。
         ま、大人しげな先輩なんだけど、とにかく私が相談を受けた。ここで夏目センサーが働く。
         ──智に働いて丸め込むチャンスよ。
         というのも何か私、嫌われてんの。一年のくせに先輩のポジション奪って何様って。だから、これを機に谷先輩の悩みを解決出来れば、低飛行気味な私の株も一気にあがろうってもんよ。
        「悔しい。私、どうしたら……」
         涙すら見せる谷先輩に私は「大丈夫です。私に任せてください」と胸を叩いてみせる。とは言えこんな危ない橋は、渡れない。
         それとなしに協力を求めた相手が、私を勝手に婚約者扱いする冬月とケインだ。
         ──さぁ、コイツら。どう出る?
         私の考えでは明らかに未成年には手に負える案件だ。大人ですらヤバくてリスクを背負えない状況だが、どんな反応を見せるか試してみると速攻で返事がきた。
        「事情は分かった。荒事は任せろ」
         ──早っ……。
         私は驚きつつ呆れ気味に訴える。
        「冬月、あんた任せろって、どーすんの? 警察も動いてくれないのよ」
        「俺がやる。ケイン。あれを出来るか?」
        「イエス」
         何やら了承を見せるケインに冬月はうなずき、立ち上がるや教室を出て行った。慌てて追いかける私と谷先輩、なんと冬月は学校中を歩き回って、不良仲間のゴロツキを根こそぎ掻き集めてしまった。その数、約五十人。
         で、そのまま隣街へと乗り込んで行く。流石の私も焦ったわ。
        「ちょっと冬月、あんた戦争でもする気?」
        「や、それはない」
         自信ありげな冬月に私達は戸惑いを覚えつつ、成り行きを見守っている。結果から言うと、確かに戦争にはならなかった。こっちが倍の人数を集めたからね。
         ただ交渉はした。向こうのボスと話をつけ、問題の不良を差し出すことで、合意と相なった。
        「よし……」
         冬月は用済みとばかりに軍団を解散させるや驚くなかれ、今度はその不良を引っ張ってバックに控える暴力団事務所に乗り込んでしまった。
         無論、入口で武器や録音機の類を持っていないか、厳重なボディーチェックがされた上でだ。冬月が組長に直談判を持ちかける中、私達が見守っていると、その問題の嶋が「俺がやった証拠がねぇだろ」と開き直ってしまった。
        「どう言う事だ。お前、さっきまで罪を認めてたじゃねぇか」
        「知らねぇな」
         嶋がシラを切る中、周囲の構成員が私らを取り囲み、罵声を浴びせてきた。
        「ガキのくせにヤクザ、舐めんじゃねぇ」
        「殺すぞ、ワレ」
         周囲が騒然となる中、嶋はもはや難を逃れ余裕の笑みを浮かべている。
         とそこへ暴力団事務所に電話が入る。冬月が人差し指を立てて言った。
        「その電話、早く出ろよ」
         ヤクザ達は訝りながらも、その電話に出る。相手はケインだ。なんと音声をスピーカーに繋がせ、事務所に入って今に至るまで全ての録音音声を流し始めた。
         見る見るうちにヤクザやチンピラ、嶋の顔色が失われていく。組長が吠える。
        「おい、どうなってんだ。コイツらのボディーチェックは済んだんじゃねぇのか!」
        「や、そうなんっすが……」
         皆が口を閉じる中、俺は「失礼」と詫びを入れ、嶋のジャケットの胸ポケットに手を入れる。出てきたのは、ケインの端末に通ずるペンシル型の録音機だ。
         どうやら、仲間の嶋にまでボディーチェックはしないであろう盲点を突いて、密かに忍ばせていたらしい。
         ここで冬月が畳み掛ける。
        「さっきの〈殺すぞ〉って脅迫ですよ。分かってます?」
         流石の組長も分の悪さを認識したらしい。改めて交渉となり、問題の嶋にきっちりケジメを付けさせることで合意と相なった。まさに私達の完全勝利である。
         私はほっと安堵のため息とともに、今回の案件を成功に導いた冬月とケインに感服した。
         
         
         
         その後、谷先輩と別れた私と冬月は、ケインと合流し、近辺のファーストフード店で存分に礼をした。
        「二人ともありがとう。助かった。奢るわ」
        「どうってことないさ、なぁケイン」
        「イエース」
         おちょける二人に私は苦笑を禁じ得ない。何しろラクロス部でエースを張る私のメンツが保たれた上に、谷先輩に恩も売る事が出来たのだ。
         まさに笑いが止まらない。止まらないのだが、今一つ何か引っ掛かるものを覚えている。
         どうやら二人もそんな私に気付いたらしい。目配せの後、その笑みを凍りつかせる録音データを再生し始めた。それは、先程まで全く流さずにいた谷先輩と嶋の音声だ。
        〈嶋、うまくいったよね。あの夏目って後輩、痛い目に合わせてやってよ〉
        〈ほぉ、いいのか谷?〉
        〈えぇ、もうやっちゃって。皆、あいつには頭にきてんの。この後もうまく私が泣きついて騙すからさ〉
         次々と露わになる事実に私は愕然とする。
        「ちょっと、何よそれ……何なのよ!」
        「所詮、先輩後輩の仲なんて、こんなもんさ。特に夏目はな。お前さ、要領がよすぎるんだよ」
        「アメリカでもそうですよ。信じる者は足すくわれる。皆、足の引っ張り合いばかり」
         ケインも同調する中、私は頭を抱え塞ぎ込む。
        「……ゴメン。私、ちょっと」
         声を震わせる私の意を察した二人が席を立つ。一人になったのを確認した私は、涙を目一杯浮かべ肩を震わせて嗚咽した。何も気づかずのほほんと振る舞っていた自分があまりに情けなく、辛さが心にしみるしみるほど痛かった。

         
         
         その夜、帰宅した私が頼ったのは、兄の夏目士郎だ。私より三つ上のタレ目でクールなこの兄は、私の話に大いに理解を示している。
        「葵、確かにお前は何をやっても、ある程度まで出来てしまう。で、妬みやっかみを受け努力家に抜かれていく。要するに器用貧乏だな」
        「士郎兄、私、どうすればいいと思う?」
         悩む私に士郎兄が出した答えは、意外だ。別に悩む必要はない、と。どう言うことか聞き耳を立てる私に士郎兄は、説明した。
        「今、時代が日進月歩で世の動きが早いだろう? そんな中で大器晩成を待っていたら、完成した頃には時代の方が変わってしまう。葵は卑下するが、今は器用貧乏の方がかえっていいんだ」
        「え、でも皆、大器晩成の努力家を称えるじゃん」
        「日本人の美徳だからな。結果、見下していたアジア諸国に抜かれるに至る。困ったもんさ」
         しみじみと嘆く士郎兄に、私も異論はない。ではどうしたらいいか聞き耳を立てる私だが、ここで士郎兄は思わぬ提案をする。
        「葵、ここは一つ、税理士を目指してみないか?」
        「え……」
         思わず私は閉口する。あまりに唐突で頭が回らず、固まった。
         ──私が税理士? 何でまた?
         疑問符を浮かべる中、士郎兄がその根拠を述べた。曰く、ある程度数字に強い上に税務署との折衝で、持ち前の器用貧乏さが上手く働くと読んだらしい。
         私は士郎兄にうなずきつつも言った。
        「何となく分かるんだけど……でも税理士って確かAIに取ってかわられるとか……」
        「記帳や税理事務だけではな。だが、いかに時代が変われど経営者ってのは、いつも孤独だ。相談にのれる数少ない存在の一つが税理士さ。確か玄蔵爺さんが事務所を開いていたはず。一度、相談してみろよ」
         ──税理士、かぁ……。
         思わず唸る私に士郎兄は、笑みとともに言った。
        「多分、お前には合ってると思うぜ」

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           第一話
           
           智に働いて丸め込む。
           情に棹させて流させる。
           意地を通してキリキリ舞い。
           とかく人の世は、要領だ。
           
           漱石を茶化して国語教師にマジギレされた私〈夏目葵〉だけど、この世に生まれて十六年──努力というものをしたことがない。
           勉強なんて所詮、山張りよ。教師の顔に出てんじゃん。「ここ試験に出しますよ」って。
           部活も一緒、ラクロス部に入って三ヶ月ではやレギュラー入り。今では勝負師としてチームを引っ張ってる。
           そんな人生イージーモードな私だけど、最近、壁にぶつかってる。その一つが右隣の座席に腰掛ける御仁よ。
          「愛してるぜハニー。これは俺の気持ちだ。受け取ってくれ」
           教室で恥ずかしげもなく婚姻届を片手に求婚を迫る同級生、冬月小次郎だ。えんじ色の縁メガネから、鋭い視線を向ける不良のごろつきで、成績も下から数えた方がはるかに早い落ちこぼれ。だから、言ってやった。
          「学力テストで私を抜いたらね」
           要するにタイプじゃないから諦めろって遠回しにフったんだけど、いやマジでビビったわ。本当に私を抜きに来た。中間テストで一位の私に一点差で迫って来たのだ。
           ──危なっ……。
           思わず肝を冷やしたわ。頭は悪いけど、地頭はずば抜けてる。癪だけど認めよう。これって決めた時の集中力って、やっぱ男子ね。
           さて、もう一つの壁が左隣にお座りのアフリカ系黒人ハーフのケイン春日よ。いかにも弱気で自信なさげながらもその実、理工学系に長けたメカオタクで、国際特許も有している。
           この殿方が、また冬月とは違ったアプローチでプロポーズをかけて来た。
          「その……け、結婚を前提にお付き合いを考えております」
           びっくりするくらいの真面目さよ。フろうものなら、その場で腹を切ると包丁まで用意する徹底ぶり。いやまいったわ。
           ま、そんなこんなで両手に花ならぬ不発弾を抱えた私だけど、その心中たるや穏やかではない。せめて不発弾のままでいてもらいたかったのだけど、そうは問屋が卸さない。
           かくして私の人生は、水と油な二人の同級生に挟まれ翻弄されていくこととなる。
           困惑しきりな私だけど、その一方でこうも思っている。
           ──でも、二人ともちょっと頼もしかったりするのよね。

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             第二十八話

             結局、ジェイソン(本体)は、俺の条件を飲んだ。事務局ビルを開放したジェイソン達一派は、特殊部隊に連行されていく。それを横目に俺は、ほっと安堵のため息をついた。
            「上手くいった様ですね」
             語りかけるのは、ジェイソン(クローン)だ。さらに聖子が俺にカップ麺を差し出してきた。
            「ここんとこ飯抜きだったでしょ。せめてこれでも」
            「おいちょっと待て。まさかこれがネゴシエーションの成果報酬じゃないだろうな」
            「フフッ、まぁ、色々明らかにしたいんだろうけど、大人の事情ね。ことが機微に触れるだけに大っぴらには出来ないんだって。せめてもの労いってことらしいよ」
             ――何が労いだ。人の気も知らないで。
             俺は憤慨しつつ麺が伸びる前に、カップ麺をすする。それを横目に聖子が誰にいうでなしにつぶやいた。
            「この国は果たして、どうなっていくんでしょうねぇ」
            「分からん。まぁ、このカップ麺の如く細く長くあって欲しいところだな」
            「それを守るのも税理士の仕事だし、桜志会の役目なんじゃない?」
            「どっちにせよ、俺の身には余るぜ」
             ぼやく俺にジェイソンが言う。
            「その割には、まんざらでもなさそうですが」
            「ふん、これ以上、酷使されてたまるか」
             俺はそっぽ向きつつ、麺を一気にすすった。

             
             
             事件解決から数日後、俺は聖子とともに港にいる。旅立つジェイソンを見送るためだ。
            「しかし、忙しい奴だな。183日ルールか何だかしらねぇが、ゆっくりして行けよ」
             呆れる俺にジェイソンは、どんでもないとかぶりを振る。祈願だった世界一周自転車計画を始められることが、嬉しくて仕方がないらしい。
             そんなジェイソンに聖子が言った。
            「確か二十歳までに国籍を決めなきゃいけないんでしょ」
            「えぇ、日本では二重国籍は認められていませんから」
             返答するジェイソンを前に、俺はかつてこいつが述べていたセリフを思い出す。
            〈僕は真の自由を得たい。ネットやマスコミだけに頼らず、海外を周りながら実地へ赴き、あるがままの世界の実像を肌感覚で学んでいく。その上でどの国を祖国とするのかを、自分で決めたい〉
             俺には、到底考えが及ばないものの、その権利を得たジェイソンの喜びようたるや、側から見ているこちらまで陽気になるほどだ。
            「ジェイソン、お前は不安じゃないのか。テロに疫病、検閲、戦争、世界はお前を守っちゃくれないぜ」
            「もちろん不安はあります。でも期待がそれを上回るんです。それにね。温暖化で大陸が沈もうが、戦争で国が滅びようが、人は何なと生きていくんです」
            「ゆく河の流れは絶えずして、方丈記ね」
             聖子の相槌にジェイソンは、うなずく。 
            「これまでも国や民族が消えてしまったこともある。それでも人類は生き残ってきた。環境の変化に耐え忍ぶその力は、大自然の力と同じくらいにたくましい。僕はそれを見たいんです」
            「今度はジム・ロジャーズか? そこに感銘を受けるあたりがお前らしいよ」
             やがて、汽笛が鳴り、俺達はジェイソンに別れを告げた。
             何があろうとその全てを眼に収め、自由に国境を跨ぐジェイソンのバイタリティーに感服しつつ、俺は言った。
            「俺は、どう生きればいいんだろう。聖子はどうなんだ? 以前言っていた電脳格闘大会は、もう達成しちまっただろう」
            「フフッ、実はもう考えてあるの」
            「そうなのか!? 次は何なんだ?」
             驚き気味に問う俺に聖子は、じれったそうにしつつも、ポツリと言った。それは実に意外な答えだった。
            「お嫁さん……とか、どうかなって」
            「跳ねっ返り娘のお前がか!? 第一それ、職業じゃないだろう」
             思わず失笑する俺だが、聖子は構うことなくウィンクで笑いかけ言った。
            「じゃ、帰ろっか」(了)

             オワタ……

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               第二十七話

               現実世界で着々と皆が配置につく中、サイバー空間ではステージ上に聖子とジェイソン(本体)が対峙している。案の定、装備はブラックアーマーだ。
              「何だその軽装備は? 舐めてるのかい?」
               嘲笑するジェイソン(本体)に対し聖子の答えはない。これは、その装備がかなりの配慮の末になされたこと気づかせないための騙しだ。
               だが、そこはジェイソン(本体)である。意図を正確に見抜き言った。
              「新兵器、という訳ですか。結構、大いに僕を楽しませてください」
               二人は拳を突き合わせるや、互いのポジションへと戻っていく。
               その様子をPC画面越しに眺める俺に、傍らのジェイソン(クローン)が舌打ちする。
              「これ、何かありますね」
              「どういうことだよ、ジェイソン?」
              「憶測に過ぎませんが、おそらく彼にも何か秘策があるんです」
               ――秘策、か……。
               俺は画面上のジェイソン(本体)を注視する。確かにそこには、確固とした力の裏付けがあるようにもうかがえたが、その正体までは分からない。
               そんな中、ゴングとともに周囲が決勝のステージへと切り替わった。白を基調とした幾何学ステージである。
              「よし、行け。聖子!」
               思わず声をあげる俺に対し、タックスエナジーの回収を目論む聖子だが、ここでジェイソン(本体)は、驚くべき手に打って出た。
               なんと不動のまま自らのエナジーを全開にして解き放ち、ステージ上に隠されたタックスエナジーの全てを頭上の一点に吸い上げてしまったのだ。
              「何だそれは!?」
               俺は愕然とした。これでは、いかに聖子のサバイバルアーマーの機動性が優れていようとも、その力を発揮しようがない。
               ――マズい……。
               試合早々から一気に劣勢に立たされ、俺は表情を歪める。だが、意外にも聖子は冷静だ。ジェイソンの意図を正確に見抜き、全力疾走で距離を取るや、ステージ上のギミックに飛び込んだ。
               意を察しかねる俺だが、その直後、頭上に集中したタックスエナジーの塊が、轟音と爆風を伴って炸裂し、一帯を焼き尽くしてしまった。
               もし聖子が咄嗟の判断でギミックに隠れていなければ、そこで勝負がついていたところだ。
              「ふん。小癪な奴。まぁいい。かかって来なてください」
               手招きするジェイソン(本体)に、聖子が応じる。離れていた距離を一気に詰め、肉弾戦に打って出た。
               どうやらそのスピードは、ジェイソンの想定を超えていたらしい。
               聖子の連打をガードし切れず、顔面に強烈な跳び膝蹴りをくらった。何とか足を踏ん張りその場にとどまったジェイソン(本体)だが、その顔色は怒りに染まっている。
              「おのれ、よくも……」
              「ちょっとは、渋い顔になったみたいね。ジェイソン」
               聖子がはじめて言葉を発した。いつもなら挑発に熱くなるあまり、力を発揮し切れなかった聖子が、今は逆にジェイソン(本体)を挑発している。
               実はこれもあらかじめ決めていた作戦の一つだ。というのもブラックアーマーは、制御の安定が難しい。一度、心を乱すとなかなか元には戻れないのだ。
               案の定、ジェイソンは身を崩している。自滅のカウントダウンだ。おのれの感情を制御できず、有り余るエネルギーをところ構わず乱発し始めた。
               もはや会場は大混乱だ。サイバーステージから観衆が逃げ惑う中、聖子は巧みにジェイソン(本体)に焦点を絞らせることなく、所定の位置へと誘導していく。
               それをPCの画面上で確認しながら、俺は見切った。
              「ここが勝負の分岐点だな」
              「同感です」
               ジェイソン(クローン)が冷静に切り返す。事実、聖子にフットワークでペースを掻き乱されたジェイソン(本体)は、膨大なエネルギーを戦闘に集中させることが出来ない。
               そんな中、俺のスマホに着信が入る。画面を見ると親父からである。通話に出るや否や、親父は珍しく興奮気味に言った。
              「今、国境なき税務団本部へと突入があった。母さんを無事、確保とのことだ」
              「じゃぁ、もういいんだな?」
              「あぁ、存分にやれ」
               ――よし……。
               俺は親父との通話を切るや、画面上の聖子に合図を発信した。
              「行け聖子、そいつをぶっ放せ!」
               一転して攻勢に出た聖子は、ジェイソンを畳み掛けていく。これになす術を持たないジェイソン(本体)は、遂にダウンを喫した。
               高らかに勝敗のゴングが鳴る。聖子の勝利が確定した瞬間だ。もっとも彼女はファイティングポーズを解かない。
               もはやルール無しのカオスとなったステージでジェイソン(本体)は、断末魔とも思える呻き声を轟かせながら、聖子へと迫ってくるのだ。
               ここで聖子は、アイテムを使った。バックパックから煙幕をとり、ジェイソン(本体)から視覚を奪った。
              「小賢しいマネを……」
               苛立つジェイソン(本体)は、両手で煙を払いつつ、聖子を見つけコーナーへ追い詰める。その形相は、まさに鬼そのものだ。
              「聖子……お前だけは許さない。覚悟するがいい……」
              「ジェイソン。悪いけど、勝負ありよ」
               聖子は、涼しげな表情でコーナーをバックに指を鳴らす。ジェイソン(本体)が振り返ると、背後にあらかじめスタンバイしていたアネリさんとミスターDが、包囲している。
               完全に詰みの状況だが、流石はジェイソン(本体)である。どうやら最後の切り札を隠していたらしい。残り少ないエナジーを爆発させ、サイバー空間から姿を消し去った。
               その様をPC画面で確認した俺は、ジェイソン(クローン)と目配せの後、立ち上がる。
              「計算通りだ」
              「そうですね。優斗」
               俺達はサイバー空間から戻ってきた聖子を交え、潜伏していた部屋をあとにした。
               
               
               
               俺達が向かった先は、桜志会の事務局がある一和ビルだ。そこには、人集りができパトカーやテレビ局の中継車が推し寄せている。
               何でもジェイソン(本体)とその取り巻きが、一帯を吹き飛ばせられるほどの爆弾を抱え、部屋を陣取っているらしい。要求は、俺達の身柄だ。どうやら何か言い足りないようだ。
               ――めんどくさい奴だ。
               俺はぼやきつつ、ジェイソンと聖子に言った。
              「二人は、ここで待っていてくれ。俺が一人で行く」
              「や、ちょっと待ってください」「そうよ。私達も一緒にって話だったでしょう」
               食いつく二人だが、俺は固い意志でこれを拒絶した。
              「ここは、俺に任せてくれ。頼む」
               俺の懇願を受け、二人は渋々これに従った。
              「優斗、アレの使いどころだけは間違えずに頼みます」
               頭を下げるジェイソン(クローン)に、俺はうなずき、差し入れのラーメンとともに中へと踏み込んだ。見ると室内にはガソリンが撒かれ、爆弾の起爆装置を手にしたジェイソン(本体)が、数人の覆面男とともに狂ったような笑みを浮かべている。
              「ずっと思っていた。僕の理想をいつも邪魔する存在、それがお前らとこの桜志会だと。ならこの身もろとも、巻き添えにしてあげよう、とね」
              「ジェイソン、もういいだろう。確かにお前がやったことは許されることではない。だが、それは然る場所で裁かれるべきだ」
               俺の返答に対するジェイソンの反応は怒りだった。
              「ふざけないで欲しいね。そもそも税というものが重大な泥棒行為だ。税務当局への協力姿勢を見せるお前達の場合、なおさらたちが悪い」
              「ジェイソン、確かに無税国家構想は分かるが、なぜそこまで急ぐんだ。しかも、これだけ人を巻き添えにして」
              「決まってるだろう。そうでもしないとこの国は変わらない。もう時間は、残されていないんだ」
               切迫感を訴えるジェイソンに、俺は一定の理解を示しつつ、切り返す。
              「じゃぁ、海外に行くなり別の方法があるだろう」
              「無駄だ。この国もバカじゃない。何らかの網を張って資本の逃亡を阻止するのは、目に見えている。インフレにして国の借金帳消し? ふざけるな。対外純資産がトップだか知らないが、それは俺達、国民の金だ。無策の政府がもつ金じゃない」
               こんこんと持論を説くジェイソンに俺は、しばし考慮の後、ズバリと切り込んだ。
              「要するに好きなんだろう。この国が」
               これには、ジェイソンも返す言葉がない。図星と見た俺はさらに続ける。
              「ここで俺を巻き添えに桜志会の事務局丸ごと破壊すれば、お前の気は晴れるかもしれないが、お前が守りたかった日本は守れない。むしろ、これを機にお前達が信条としてきた無税国家構想自体が責められ滅びかねない。これまでの活動全てを否定されて、お前は満足なのか?」
              「ふん……どうせこの国は滅ぶ。何と批判されようが構わないね」
              「じゃぁ国境なき税務団は、どうなるんだ。たとえ組織が壊滅しても、その理念は生き続ける。だが、お前がここでぶち壊しにすれば、それすら守れない。生きた証を残したくはないのか?」
               黙り続けるジェイソンに俺は、畳み掛けた。
              「確かにこの国は、これから厳しい局面を迎える。それでも滅びはしない。戦後の復興、震災、オイルショック……色々あったがその都度、知恵を絞ってやってきた。これまでもそうだし、これからも一緒だ」
               どうやら効き目があったらしい。ジェイソンの表情に変化が見えている。俺はここぞとばかりに切り札を出した。 
              「ここに誓約書がある。国境なき税務団の活動は禁ずるが、無税国家構想を説くAI化したジョン黒田に対しては、手を出さない。これが俺達に出来るギリギリの譲歩だ」
               誓約書を受け取ったジェイソンは、それをまじまじと眺めている。脈ありと踏んだ俺は、ジェイソンに言った。
              「まずは飯だ。麺が伸びるぞ」

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              一井 亮治
              参加者

                 第二十六話

                 各自がそれぞれの持ち場につく中、俺は聖子と対J戦用の作戦へと入っていく。
                「いいか聖子、俺達の役割は……」
                「時間稼ぎ、ね」
                「そうだ。桜志会の片桐会長によれば、すでに特捜部と査察部が国境なき税務団の本部を押さえるべく動いている。ただなにぶん急だからな。突貫にならざるを得ず、時間が必要だ。それを俺達が捻出する。見てくれ」
                 俺はPCの画面上に聖子用に仕上げた新たなボディーアーマーを表示して見せたのだが、そのナリに聖子は言葉を失っている。
                「優斗、これって本当にボディーアーマーなの?!」
                 聖子は驚きを交え声をあげる。無理もない。画面上に表示されたそれは、これまでとは打って変わって装甲化されず、まるで探検家である。
                 俺は概要を説明した。
                「十中八九、Jはブラックアーマーで来る。だが、あれは危険なんだ。セイコ02との一戦を見ただろう」
                「もちろんよ。あれはジェイソンであってジェイソンじゃなかった」
                「ブラックアーマーは、装着主を内部から蝕み、潜在的に秘めたる攻撃性を過度なまで露出する。その動物本能的な残忍さは人にあらず。バーサーカー(狂戦士)だ」
                「その対抗策がこれ? まるで丸腰じゃない」
                「確かに装甲は捨てたが、代償に抜群の視認性と瞬発力を得た。ボディーアーマーと言うよりは、サバイバルアーマーに近い。戦闘中でも変幻自在に色を変え、及ばずながらも各々の機能を引き出せる。アイテムもモジュールパッケージ化で所持可能だ。いいか、俺達は奴を倒すんじゃない。時を稼ぐんだ」
                 俺の説明を受け、聖子はやれやれとお手上げの仕草を取りつつ、席を立つ。
                「なんだかよく分かんないけど、やってみるわ。慣らす時間、ある?」
                 俺はうなずき聖子にVRキッドを手渡す。なんだかんだ言いつつ、どんな武器でも使いこなすのが聖子だ。現に今も新たなオモチャを前に目を輝かせている。
                 俺は苦笑しつつ、聖子とともに新たなコンセプトアーマーの実証へと入った。VRキッドを装着した聖子は、サイバー空間に設けた実験場にダイブし、サバイバルアーマーの使い勝手や機能を確認していく。
                 その開口一番、こう言った。
                「軽っ……」
                「そりゃそうさ。それだけじゃないぜ。バックパックがあるだろう。そこにアイテムが収納されている。そいつを臨機応変に使うんだ」
                「オーケー。優斗、はじめて頂戴」
                 身構える聖子に俺は、エンターをキーパンチする。たちまち聖子の周辺が、ギミック化されたステージへと切り替わった。いわゆる訓練モードである。
                「まずは、ステージワン。いいか聖子、そこは……」
                「こう言うことでしょ」
                 御託は十分とばかりに聖子は、ステージをダッシュで駆け抜ける。様々なギミックを巧みに駆使しつつ、その身軽さと身体能力で一帯を制圧していく。
                 あっという間にゴールに辿り着き、フラッグを立て終えてしまった。俺は改めて痛感する。
                 ――聖子は、本当に生まれながらのデジタルファイターなんだな。
                 俺は「オーケー」とうなずき、徐々にステージの難易度を上げていく。まさにメタバース・ワンの決勝戦ギリギリまで、サバイバルアーマーの擦り合わせを行なっていった。

                 
                 
                 明朝の十時がきた。すでにメタバース・ワンはお祭り騒ぎだ。初代電脳バトルのチャンピオンが決まるのである。誰もが興奮を覚え歴史的瞬間に立ち会うべく、会場に押しかけている。
                 そんな中、俺とジェイソンはスタンバイ中の聖子と、PC画面越しに最後の会話を交わした。
                「時間がない中での調整だったが、おおまかな能力は解放できたと思う」
                「十分よ優斗。あとは任せて」
                 意気込みを見せる聖子だが、よく見ると手が震えている。流石の聖子も因縁の相手を前に恐怖が先立つらしい。俺は言った。
                「いいか聖子、絶対に無理だけはよしてくれ。いざとなれば俺が……」
                 気遣う言葉を遮るように、聖子が首を横に振る。
                「優斗、アンタのおかげで私はここまで来れた。感謝してる。最後に言うわ。タオルだけは絶対に投げないで。これは、私が越えるべき壁だから」
                「……分かったよ」
                 聖子の覚悟を前に俺は、かける言葉を失っている。やがて、その時が来た。MCが会場を煽る中、聖子の名前が高らかに呼ばれた。
                「じゃぁ、行ってくる」
                「あぁ、見守っているよ。聖子」
                 ステージに駆け上がる聖子を見送った俺は、傍らのジェイソンに問うた。
                「これからジェイソンの本体を相手にする訳だが、クローンのお前としては、どんな気分なんだ?」
                「朱に交われば赤くなる。本体の僕はあまりに急進派の影響を受け過ぎました。目指すべき生き方を失い、ダークサイドに闇落ちしている。もどかしいですね。あれだけのポテンシャルを持ちながら」
                「つまり、本体への未練はないという訳か?」
                「えぇ、確かに国家に依存しないという点では一致しています。ですが、僕はこれを己の身でもって実証したい。彼のように周囲を引き摺り回し、過激な手をかけるような真似はしません。おそらくジョン黒田も、本音ではそうありたかったはずです」
                 断言するジェイソンに俺は、つぶやくように言った。
                「パーマネント・トラベラー……終身旅行者か。居住者として納税義務が生ずる前に他国への移住を繰り返す。網は張られつつあるが、確かに究極の節税ではある」
                「目的は、節税だけじゃないんですよ」
                 否定して見せるジェイソンに、俺は「そうなのか?」と問う。ジェイソンは穏やかな微笑をたたえつつ、言った。
                「国の社会保険制度は先が見えず、企業の終身雇用も崩壊寸前、もう日本の安全神話は崩壊したんです。なら終身旅行者として複数の国を人生の目的別に使いわけ、一国に人生を一点張りせず、リスクをヘッジすべきでしょう」
                「例の5フラッグ理論か」
                「えぇ、その先に僕は真の自由を得たい。ネットやマスコミだけに頼らず、海外を周りながら実地へ赴き、あるがままの世界の実像を肌感覚で学んでいく。その上でどの国を祖国とするのかを、自分で決めたい。これが全ての出発点なんです」
                「ふむ。まぁ、それが日本であって欲しいところだが……」
                 そこでジェイソンのスマホに着信が入る。メールに目を走らせたジェイソンは俺に言った。
                「後藤三尉からです。どうやら国境なき税務団への実動部隊が配置についたらしいですね。突入までの時間を稼いでくれとのことです」
                「オーケー」
                 俺はすかさずキーボードを叩き、ミスターDとアネリさん、そして谷口エンタープライズの隼人さんとチャットを始めた。
                〈「ランチ」を頼みたいんだが〉
                 徐ろに隠語を切り出す俺に、三人はメニューを問う。すかさず俺は返答した。
                〈ラーメン、激辛でニンニクとメンマ増し増しにバター、サイズは特盛で〉
                 たちまち了解の返答がきた。俺は言った。
                「調理しろ」
                 意味深な表情のジェイソンを横目に俺は、ほくそ笑む。
                「斬首作戦、開始だ」

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                一井 亮治
                参加者

                   第二十五話

                   次の日、とある繁華街へと赴いた俺は、意中の人物との再会を果たす。
                  「優〜斗」
                   背中をゴツかれ振り向いた先に立っているのは、男性用の帽子と革ジャンを羽織る聖子だ。
                   どうやらお忍びで来たらしい。俺に人差し指を立てて静粛を促すや、深く帽子をかぶり直す。再会を喜び合った俺達は、繁華街を並んで歩き出した。
                  「聖子。いよいよメタバース・ワンも決勝を残すのみ、Jとの最終決戦とだな」
                   切り出す俺に聖子は、うなずく。ジェイソンとの因縁の一戦を前に覚悟を固めているようだ。やがて、探るように問うてきた。
                  「優斗、あんたはジェイソンについて、どこまで知ってる?」
                  「なんか二人いるとか。クローンらしいな」
                  「オッケー、なら話が早いわ。事の始まりは、今は亡きジョン黒田が桜志会を通じ、国家に依存しない組織の模索を持ちかけたことに発する」
                  「まぁ当然、国は反対だろ」
                  「表面上はね。ただこれに関心を寄せた一派があった。アンタがセイコ02をバトらせたサムライX、防衛省サイバー部隊と国税徴収部のタッグよ」
                  「あぁ、あの後藤三尉がいるところか」
                   俺はあの昭和を体現したような暑苦しい様を思い出し、苦笑する。同時に冷静に頭を働かせた。
                   ――ネットは国境を溶かしかねない。物理的制約がない以上、国家を再定義しデジタルの概念で束ね直すジョン黒田の戦略は理解できる。だが、方法論が問題だ。
                  「聖子、俺はデジタルテロリズムには、反対だぜ」
                  「同感。事実、ジョン黒田自身も国との妥協点を模索していた。ただ、これに国境なき税務団の急進派が猛反発してね。子息のジェイソンを立てて内紛状態となった。完全な内ゲバよ。知ってた? アイツ、あれでもう大学まで出てんのよ」
                  「まぁ、出来る奴ではあったな」
                  「一方、危機感を覚えたジョン黒田は、ジェイソンのクローンを立てた。過激派に染まったジェイソンの牽制を兼ねてね。だがこれにジェイソンは激怒し、ジョン黒田を抹殺。今はクローンの方のジェイソンを付け狙っている」
                  「俺達が知ってる方のジェイソンだな。今、どこにいるんだ?」
                  「ここよ」
                   聖子がパタリと足を止め、目の前の雑居ビルを指差す。そこは広くもなく、かと言っても狭すぎもしない潜伏先としては、理想的な場所だった。
                   早速、中へ赴きインターホンを鳴らすと、ジェイソンが現れる。しかもその背後には、後藤三尉まで控えていた。
                  「やぁ、待ってましたよ。お二人方」「お久しぶりだね」
                   思わぬ出迎えを受けた俺達は、驚きつつも促されるまま部屋へと上がり込む。通されたキッチンに腰掛けるや、徐ろに切り出した。
                  「ジェイソン、あらかたの事情は聞いた。だが俺には今一つ分からない。本体にせよ、クローンにせよ、なぜそこまで国家の拘束を嫌うんだ」
                  「優斗。僕が求めるのは、国境なき個人であって、国境なき組織ではありません。あくまで一個人として、永遠の旅行者でありたい」
                  「金はどうすんだよ」
                  「その地その地で働きます」
                  「足は?」
                  「自転車です。安上がりでしょう」
                   淡々と話すジェイソンに嘘をついている気配はうかがえない。そればかりか俺達に貴重な情報を提供してきた。
                   後藤三尉は言う。
                  「ジェイソンの……つまり本体側の方だが、メタバース・ワンの決勝戦で、デジタルテロを企んでいる。かなり、大規模なものだ」
                  「やはりか。俺の母さんは?」
                  「人質状態だ。無理やり協力を迫られているらしいが、迂闊には手が出せない」
                   ――参ったな……。
                   頭を痛める俺だが、ジェイソンはここで一つの作戦を提案してみせた。はじめこそ眉を顰めて聞いていた俺だが、やがて、説明が佳境に差し掛かるにつれ、その完成度に唸った。
                   俺は思わず言った。
                  「総力戦だな。本当に出来るのか!? 俺に聖子に後藤三尉、谷口エンタープライズ、ミスターD、アネリさん、そして桜志会……オールスターキャストだ。そもそもなぜお前はそこまで? 本体は俺達の敵なんだぜ」
                  「だからこそ、ですよ。これは僕にとって身から出たサビであり、パーマネント・トラベラーを確立できる絶好のチャンスなんです。無論、指揮権は優斗に委ねますが」
                   俺は聖子と目配せし合う。どうやら聖子も反対ではないらしい。俺は意を決し、ジェイソンに同意した。
                  「いいだろう。この斬首作戦、協力しよう。武器がいる。最新のVRセットにハイスペックPC、直近バージョンのソフトにサーバー利用権、どうだ。手に入るか?」
                   ジェイソンは笑みとともに、俺を隣の部屋へと促す。そこには、まさに俺が要求した品々が所狭しと並んでいた。
                   
                   
                   
                   その夜、俺達はメタバース・ワンの決勝に向けサイバー環境を整えていった。機材を梱包から取り出し、一つ一つ配線を組んでいく。
                   機材が発する熱に皆が肌着となる中、聖子が問うた。
                  「私達、本当に勝てるのかな」
                  「さぁな。ただこれだけは言える。聖子のコード表、最後の十個目が間違ってるぜ」
                  「あ……本当だ」
                   照れ隠しで苦笑する聖子に、俺は言った。
                  「つまり、そう言うことさ。九つ目まで正解しても誰も祝福はしないが、ただ一つのミスには皆が笑う。どれだけ成功しても社会はほんの小さな間違いを粗探しして、指摘するんだ」
                  「私は恥はかきたくないけどね」
                  「なら簡単さ。何も挑戦しなければいい。要するに、勝利や成功の果実は、リスクの先にしかないって話さ」
                   単刀直入に答える俺に、聖子は実に不服げだ。俺は笑みとともに続けた。
                  「結局、人生は思った通りにはならず、行動した通りにしかならない。ならダメ元で挑戦するしかないだろ? それでも成功の確率を上げることは出来るぜ」
                   やがて、機材が整ったところで、俺達は秘密回線を通じ、今回の作戦に参加する全員と繋がり共同作戦のブリーフィングに入った。俺は画面上の皆に吠えた。
                  「いいか。これより俺達は対国境なき税務団と本格的な交戦状態に入る。ターゲットは急進派筆頭のジェイソン、つまり、本体の方だ」
                   俺は懇々と今回の作戦を伝えていく。その内容は二本柱で構成され、三段階に分かれている。
                   まず、メタバース・ワンの決勝を聖子と、セコンドの俺が担う。性質上、舞台はサイバー空間だ。
                   次に現実世界で、国境なき税務団の作戦本部を後藤三尉らが強襲する。場所は判明しているが、母を人質に取られている上にジェイソン(本体)ら急進派がどう出るか読めない。
                   最後は総力戦だ。アネリさん、隼人さん、谷口社長、ミスターDらを交え、ジェイソン本体とAI化したジョン黒田を押さえる。
                   なお、この作戦を全面的にバックアップするのが、桜志会だ。すでに親父を通じて会長の片桐先生の了承を得ている。
                  「以上だ。作戦開始は半日後の午前十時。かなりシビアな展開になろうが、勝機は必ず訪れる。おのおの、それぞれの役割に備えてくれ」
                   俺は皆に内容を伝達した上で秘密回線を閉じた。

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                  一井 亮治
                  参加者

                     第二十四話

                     ベスト4が出揃い、いよいよメタバース・ワンがクライマックスへと向かいつつある。対J戦に向け着々と準備を整える俺だが、そこへSNSを通じ思わぬ人物から連絡が入った。
                    「聖子!?」
                     俺は慌ててスマホを取る。
                    〈優斗。今、連絡取れる?〉
                    〈もちろんだ。でもどういう事だよ。いきなり姿を消すわ、メタバース・ワンにアイスキッドとして参加するわ、一体、なぜ?〉
                    〈悪いけどその問いには、答えられない。けどせめてヒントだけでもと思ってね〉
                     聖子は断りを入れた後、本題に入った。
                    〈優斗。実はあの国境なき税務団だけど、桜志会とサイバー戦争があったの。無税国家か適正な納税か、それぞれのアイデンティティをかけてね。これに桜志会は勝った。敗北した彼らは今、手負のオオカミとなって周囲に牙を剥いている〉
                    〈ほぉ、危険な状態だな〉
                    〈えぇ、そこで彼らは今、最後っ屁とも言える破れかぶれの暴挙に出ようとしている。メタバース・ワンを乗っ取り、サイバーテロを目論んでいるの〉
                     聖子の文言に、俺は唸った。確かにそれっぽい動きはあった。国境なき税務団の焦りらしきものを感じていた俺は、聖子に同意しつつ応じた。
                    〈聖子、問題はない。次のゲームで俺はジェイソン扮するJと当たる。そこで白黒きっちりつけてやるぜ〉
                    〈や、多分、優斗は勝てない〉
                    〈どういうことだよ?〉
                     怪訝に思う俺に聖子は、続けた。なんでも彼らは今、Jに莫大な資本を投じているという。その規模たるや、中小国の国家予算レベルらしい。
                     俺はあまりの内容に声を失っている。
                    〈出来れば、優斗には棄権して欲しい〉
                     本音を切り出す聖子だが、俺は反論した。
                    〈聖子、悪いが俺は逃げるつもりはない。セイコ02も同様だ。たとえ勝ち目のない戦いでも、その中で何かを拾えるはずだ。おそらく決勝は、ジェイソンが扮するJと聖子が扮するアイスキッドの一騎打ちとなろう。俺はその礎になる〉
                     覚悟を示す俺に聖子が、そう言うと思ったと返した上で締めた。
                    〈とにかく気をつけて。健闘を祈ってる〉
                     
                     
                     
                     聖子の忠告に反し戦う意志を示した俺であるが、その意味を痛感することとなる。まざまざとJの強さを思い知らされた。
                     満を持してセイコ02をサイバースタジアムに送り出した俺だが、試合開始早々、Jはとんでもない手を打ってきた。漆黒のボディーアーマーを投じたのだ。
                    「ブラックアーマーだと!?」
                     俺は思わず我が目を疑った。これはある種の禁じ手で、他と異なり死を前提としている。攻撃力、防御力、スピードともに最高値が与えられる反面、制御には膨大なタックスエナジーを消費する。
                     これをジェイソンは国境なき税務団が有する全ての資本を投じ、この一戦に挑んできたようだ。
                     ――確かに聖子が棄権を促した気持ちも分かる。
                     大いに納得するものの、セイコ02は自ら戦う意思を示している。やむなく成り行きに任せることとした。
                     今、思えばこれが失敗だった。強引にでもセイコ02を撤退させるべきだったのだ。それほどまでにJのブラックアーマーの力は、凶悪に尽きた。
                     まず開始早々、セイコ02はそのボディーアーマーを木っ端微塵に打ち砕かれた。
                     反撃を目論むものの、Jはその余裕を与えない。たちまちセイコ02は、追い詰められそのライフをゼロ付近まで減らされていく。
                     ――負けた……。
                     あっという間の敗北に愕然とする俺だったが、奴の凶悪さはここに止まらない。すでに決着のゴングが鳴ったにも関わらず、攻撃をやめないのだ。
                     ――マズいっ!
                     動揺する俺は、審判にゲームセットを求めるものの、その要望はリジェクトされた。どうやらジェイソンに何かを仕込まれ、メタバース・ワンがハッキングされたようだ。
                     顔面蒼白となる俺は、画面に向かって吠える。
                    「おいジェイソン、もう決着はついただろう!」
                     答えはセイコ02への惨殺という形で返ってきた。
                     機能不全に陥ったメタバース・ワンのステージで思う存分、いたぶられたセイコ02は、真綿で首を絞めるように残り少ないライフを削られた挙句、誰もが目を背けたくなるような惨さで、デジタル生命体としての息の根を止められた。
                     まさに完膚なきまでの敗北である。俺は愕然とするあまり、声が出ない。
                     ――ジェイソン……お前は異常だ。ここまでやる必要がどこにある。
                     セイコ02の四肢をバラバラに引きちぎった上で、その顔面を踏み躙り高笑いするジェイソンを、俺はただ見届けることしか出来なかった。
                     
                     
                     
                     衝撃の敗戦から丸一日が経った。俺は未だにショックから立ち直れずにいる。セイコ02を投入したことへの懺悔の念が拭えない。
                     ――俺が間違っていた。
                     後悔に苛まれた俺が悩んだ末に頼った相手は、親父だった。スマホを取った俺は、徐ろに電話をかける。数コールもしないうちに、親父が出た。どうやら俺の電話を予想していたようだ。
                    「親父、俺はもう分からない。どうすればいい?」
                    「ふむ。敗因は分かるか?」
                    「俺の怠慢と油断が起こした判断ミスだ。J、いやジェイソンを舐めていた。セイコ02の投入が悔やまれてならない」
                    「なるほど……いいだろう。全てを明かす。実は今、国境なき税務団への斬首作戦が進行中だ。表面上は政府関係機関が主体となっているが、実質的な起案は桜志会のメンバーだ。私を含めてな」
                    「ジェイソンなら先日も会ったぜ。見る限り野放しだ。なぜ誰も取り締まらない?」
                    「それは、奴が我々側のスパイだからだ」
                     これには、俺も言葉を失った。どう言うことなのか、意味をはかりかねる俺に親父が順を追って説明した。
                    「国境なき税務団の元首領、つまり、ジョン黒田だが、奴はまだ生きている。AIとしてな。彼は組織の理念を永続させるべく、自らの信条を人工知能に落とし込んだ。だから、未だに映像にも出来るし、会話も交わせる。まるで本人が生きているかの如くな」
                    「それって以前、話題になったパナソニックの松下幸之助の言動を基にしたAIみたいなやつか?」
                    「そんなところだ。つまり、これを破壊しない限り、組織は何度でも復活し壊滅できない。そこで我々は、会長の片桐先生を通じお前達を泳がせた」
                     記憶を遡らせた俺は、思わず声を上げた。
                    「じゃぁ何か? 俺を聖子と会わせたのも、母さんを国境なき税務団に亡命させたのも……」
                    「計算のうちだ。もっとも、ここまで派手に暴れてくれるとは思わなかったがな」
                     ――相変わらず、いけ好かねぇ親父だぜ。
                     思わず舌打ちする俺だが、その計算高さには感服だ。なかなかの策士ぶりに呆れつつ、さらに疑問を投げた。
                    「ジェイソンだが、奴はどうなんだ。あの暴走ぶりは尋常じゃない。まるで二重人格だ」
                    「そりゃそうさ。二人いるからなら」
                    「はぁ!?」
                    「早い話がクローンだ。パーマネント・トラベラー(永遠の旅行者)のライフスタイルを許容することを条件に、国が協力を求めた」
                    「じゃぁ、俺が学校で会っていたのは」
                    「我々の協力者、サイバー空間を中心に暴走しているのが、国境なき税務団の現首領だ」
                     俺は呆れつつ頭を働かせる。親父の話を総括する限り、この案件は勝負所を迎えている。どうやら決戦の地は、あらかた定まっているようだ。
                     ――要するに尻拭い、か。
                     しばし考慮の後、俺は言った。
                    「聖子に会いたい。Jの方は俺達に任せてくれ」
                    「うむ。そう言うことだ。後ほど連絡先を伝えよう。優斗、働きを期待している」
                     そこでプツリと通話が途切れた。無駄な挨拶や与太話が一切なく、一方的に用件だけ伝えるスタイルは相変わらずだ。
                     全ては仕事が優先する――そんな生き様しか送れない父に半ば同情しつつ、俺はスマホを確認した。そこには、父から受信した聖子の潜伏先と思しき場所が記されていた。

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                    一井 亮治
                    参加者

                       第二十三話

                       メタバース・ワンが佳境に差し掛かっている。俺はこれから始まるベスト4をかけたアネリさんとアイスキッドの闘いに注目している。
                      「一度、敗れたとは言え、戦力で言えばアネリさんだろうが……」
                       MCが会場を盛り上げる中、俺はコーヒーを片手にゲームの成り行きを睨んだ。よく筋書きのないドラマと言われるが、俺に言わせればあらすじくらいなら書ける。
                       賭けろと言われれば、断然アネリさんだ。事実、ギャンブルサイトのオッズも同様のオッズを弾き出しており、AIの予想も然りなのだが、俺はアイスキッドに隠し球らしきものを感じている。
                       ――アイスキッドに扮する聖子の事情は、分からない。ただ勝負にはこだわる奴だ。本意ではないだろうが、何か小細工らしき仕込みは入れてくるはずだ。
                       画面に注視する俺だが、不意にスマホに着信が入る。その相手を見た俺は思わずコーヒーを吹いた。
                       ――ミスターDじゃねぇか。アイツ、どのツラぶら下げて、いけしゃあしゃあと……。
                       俺は着信に応じるや否や吠えた。
                      「おいミスターD、どういうつもりだ。今度は一体、何を企んでやがる!?」
                      「そう言わんでくれ優斗、君を売ったことは後悔している。その埋め合わせと言っては何だが、これからゲストを送りたい」
                       ――ゲストだと!?
                       俺が首を傾げていると、タイミングをはかったかの如くインターホンが鳴った。いぶかりつつも相手を確認した俺は我が目を疑った。
                       ――ジェイソン!?
                       驚く俺は迷うことなく扉を開く。
                      「やぁ優斗、お邪魔するよ」
                      「ちょっと待て、お前と俺は敵同士のはずだ。というかそもそもお前、何者なんだよ」
                      「それも含めてここに来た。国境なき税務団筆頭としてのお忍びだ。お邪魔していいかい?」
                       ――追い出す訳にもいかないか……。
                       意味深な笑みを浮かべるジェイソンに、俺は仕方なく手招きで応じた。コーヒーくらいは出してやった俺だが、PC画面の前で雁首を揃えながら、ジェイソンが切り出した。
                      「優斗。僕がここに来たキッカケは、優子さんなんだ」
                      「母さんが!? どういうことだ?」
                      「国境なき税務団からの逃亡をはかった。その結果がこれさ」
                       ジェイソンは自身のスマホをかざす。その画面には、身体中に爆弾を巻きつけられた母の姿が映し出されている。しかも乱れ髪の頭には幾本ものコードが繋がれ完全に電脳化されていた。
                       あまりにも衝撃的な姿に、俺はしばらく言葉を失った。
                      「……お前、一体、俺の母さんをどうする気だ!?」
                      「僕はどうもしない。ただうちの反乱分子が、これを放っておかなくてね。結果、彼女には我がサイバー戦力の人柱になってもらおうとあいなった」
                      「協力を拒めば爆死って訳か……」
                       俺は怒りに震えながらジェイソンを睨む。その上で感じた疑問をぶつけた。
                      「ジェイソン。そこまでするなら、なぜか母さんの命を取らないんだ。しかもこの俺の家にまで押しかけて」
                      「仕方がないさ。この女がそうさせまいと凄むんだから。変わらないね。お節介というか……」
                       ジェイソンは、冷めた目でPC画面を指差す。そこには、試合を控えるアイスキッドの姿が映し出されていた。
                       よく分からないものの、どうやら聖子が消え、アイスキッドとしてメタバース・ワンに単独参加した要因は、俺の母を守るためだったらしい。
                       ただ微妙な事情ゆえに何も言わずに俺の前から去り、自身の正体を伏せ阿吽の呼吸で閉塞状態の打破を目論んでいるようだ。
                       ――アイツらしいな。
                       俺は、改めて聖子が時折見せる奥ゆかさに感じ入っている。PC画面上でアイスキッドとアネリさんが対峙する中、ジェイソンが問う。
                      「優斗。一つ賭けましょう。どちらが勝つとお思いですか?」
                      「アイスキッドだ」
                      「ほぉ……いいでしょう。もし、聖子扮するアイスキッドが勝てば、優子さんの身の安全は、この僕が保証しますよ」
                       ジェイソンが破格の条件を示す中、俺はPC画面に注視する。互いに間合いをはかる二人だが、やがて、意を決したかの如く激突した。
                       双方とも巧みに相手を牽制しつつ、ステージ上のコインを吸収していく。ある程度のタックスエナジーをゲットしたところで、アネリさんが仕掛けた。
                       なんと自らのボディーアーマーを、ゴールドへと変化させたのだ。
                       ――アネリさん、もう俺の隠し技をモノにしたのか!?
                       凄まじいキャッチアップぶりに俺は驚きを隠せない。
                      「優斗、どうやら一発勝負となりそうですね」
                      「みたいだな」
                       俺は生返事しつつ、勝負のなりゆきを見守っている。と言うのもこのゴールドアーマーは、瞬間的に戦力を飛躍させる長所がある反面、その状態が安定せず長持ちしない欠陥を抱えているのだ。
                       ゆえにその勝負は、一撃で決めざるを得ない。案の定、アネリさんが仕掛けた。アイスキッドのガードの上から、強引に渾身の一撃を放った。
                       いかに防御を固めようとも、ゴールドアーマーの一撃を受けては、ひとたまりもない。ジェイソンが冷徹につぶやく。
                      「勝負あり、ですね」
                      「……や、これからだな」
                       反論する俺の目の先には、スッと姿を消し去り、別の場所に出現したアイスキッドの姿がある。
                      「ほぉ。囮の幻影、ですか」
                       ジェイソンは、意外そうに舌を巻いている。まんまとアネリさんを騙したアイスキッドは、ここぞとばかりに畳み掛けた。だがアネリさんもさるもので、取っておきのタックスエナジーを注ぎ込み応戦している。
                       息もつかせぬ激しい応酬を打ち破ったのは、アイスキッドだった。アネリさんの一撃に自身のボディーアーマーを粉々に砕け散らせつつも、反撃の拳を叩き込んだ。
                       これにはアネリさんも敵わない。決着のゴングが鳴る中、勝利を勝ち取ったアイスキッドは、拳を突き上げた。その姿は紛うことなき聖子のそれだった。
                       ジェイソンは、パチパチパチと手を叩く。
                      「いいでしょう優斗、約束です。優子さんの身は、保証しましょう。もっとも僕には、それほどの時間も残されていないのですが……」
                      「〈183日ルール〉だな」
                      「ほぉ、それをどこで?」
                       意外げな表情を見せるジェイソンに、俺は核心を突いた。
                      「ジェイソン、悪いがお前の事は色々調べさせてもらった。これまで一つの国に183日以上、滞在したことがない。理由は税金だ。居住者としてカウントされる前にその国を去り、別の国へ転々と移動を繰り返す。非居住者として合法的にどの国にも税を払わない節税スキーム、つまり、パーマネント・トラベラー(永遠の旅行者)というわけだ」
                       じっと聞き役に徹するジェイソンに、俺はさらに続ける。
                      「5フラッグ理論ってやつだな。不確実な世界情勢に対応し、一個人として国の介入を排除し、国家に依存しない永遠の旅行者。国籍・住所・ビジネス・資産運用・余暇を五つの国で使い分け、国家にとらわれず、自由を求めて世界を旅する独立した個人、それがお前の本質だ」
                      「えぇ、それが何か?」
                      「別にそのライフスタイルを否定はしないがな。実の父を手にかけ、国境亡き税務団の地位を承継するとなれば話は別だ。言っとくが、武富士事件の贈与税スキームならもう抜け道はないぜ」
                       畳み掛ける俺にジェイソンは、冷笑を交え言った。
                      「優斗、申し訳ないが、僕が亡き父の殺人に関与した証拠は何もない。全ては憶測の状況証拠でしかない」
                      「そう。お前は全てがそうだ。拘束を巧みにすり抜ける幻影。悪いが俺はお前を認めない。それをこのメタバース・ワンで思い知らせてやる」
                      「結構。相手になりましょう。このままいけば準決勝は君との勝負となる。大いに励むことですね」
                       ジェイソンは、大胆不敵にも俺の宣戦布告を受け取るや、俺の家を去って行った。

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                      一井 亮治
                      参加者

                         第二十二話

                         下校中の俺は、帰路の途上でメタバース・ワンの結果を確認している。
                         ――どうやら全ての予選ブロックが終了したみたいだな。
                         俺は運営からのアナウンスを開くや、新たに発表されたトーナメントに目を走らせた。一回戦で当たるのは、以前、模擬戦でセイコ01が圧倒した防衛省と国税徴収部のタッグだ。
                         国の根幹を担う者同士で結成したデジタルファイターで、コードネームを〈サムライX〉と称している。決戦は、今夜の十時だ。
                         ――フフッ、リベンジという訳か。いいだろう。デジタル時代の国の番人たり得るか、俺がテストしてやる。悪いが手加減する気はないぜ。
                         帰宅した俺は早速、PCを立ち上げたるや、晩飯のカップ麺をすすりながらセイコ02のメンテナンスへと入る。入念に細部を調整しつつ、対サムライX戦の準備を施していく。
                         なお、決勝トーナメントのステージは、白を基調とした幾何学的な空間らしい。勝敗の鍵は、距離制約のないステージに設けられたギミックだ。
                         これを駆使し、伏せられたタックスエナジーの源となるコインをゲットすることで、ボディーアーマーを強化変形させ戦いを有利に運ぶことができる。
                        「要するにサイバー空間における徴税技能の実地開発だな」
                         大会の真意を見抜いた俺は、いかなる試合運びを見せるか頭を捻っている。その辺は実に徹底しており、いざというときのための奥の手まで考慮を済ませていた。
                         やがて、試合開始の時間が到来する。
                        「よしセイコ02、行け!」
                         俺の合図を受けセイコ02がステージ入りした。ボディーアーマーのモードは黄色である。これは戦闘力は他より劣るものの、ゲットしたコインを倍に飛躍させるモードだ。
                         意外なのは、サムライXもこの色で揃えてきたことだ。パワー重視の武骨な外見に似合わぬ守銭奴っぷりに俺は、思わず突っ込んだ。
                         ――おいおい、武士は食わねど高楊枝だろう。
                         嘲笑する俺だが、勝利に向けたなりふり構わぬ姿勢には、感じ入るものがある。ゴングが鳴る中、俺はコインを求めセイコ02にステージ中を疾走させた。無論、サムライXと戦いつつだ。
                         互いを牽制しながらも、様々なギミックを駆使しコインに変えていく駆け引きに、ネット界隈は早くも興奮の渦である。
                         一方、当事者の俺は、以前の模擬戦からガラリとスタイルを変えたサムライXに舌を巻いた。
                         ――よくこの短期間にここまでレベルを上げたな。設計思想もかなり理解出来ている。流石だ。
                         ほぼ互角の展開を見せる中、俺は頃合いを図っている。やがて、ステージのコインをほぼ取り終えたと見たところで、セイコ02に命じた。
                        「セイコ02。もうコインはいい。バトルだ!」
                         セイコ02は反転するや、サムライXとの格闘戦に入る。互いに潤沢なコインを得ているだけに、その破壊力は凄まじい。
                         ステージ上の構築物を次々に巻き込みながら繰り広げられるバトルは、もはや戦争だ。一進一退の攻防を皆が固唾を飲んで見守る中、俺はもう一つの頃合いをはかっている。
                         ――そろそろだな。本当なら決勝まで取っておきたかったが……。
                         残りコイン数を横目に置きつつ、俺は言った。
                        「セイコ02、やれ!」
                         指示を受けたセイコ02は、サムライXと距離を取る。ファイティングポーズを解くや、黄色のボディーアーマーに隠された特別モードを起動させた。
                         その瞬間、セイコ02のボディーアーマーが七色の光を放ち、異質なモードへと変化させていく。金色に煌めくゴールドアーマーである。
                         これには、サムライXも意表を突かれたようだ。観衆も完全に言葉を失っている。無理もない。セイコ02の戦闘力数値が一桁跳ね上がったのだ。
                         実はこれこそが、このボディーアーマーの本質でもある。制限はあるものの、タックスエナジーを極限のフルパワーにまで高めることが出来るのだ。
                         それは開発者の俺だから知る秘密の高等ノウハウである。この荒技に周囲が愕然とする中、俺はセイコ02に命じた。
                        「今だ。サムライXを始末しろ」
                         そこからの展開はあっという間だった。互角の健闘を見せていたサムライXは、たちまち守勢へとまわり、気がつけばエナジーがゼロになっている。
                         トドメとばかりに飛び膝蹴りを放つセイコ02に、サムライXはマットへと崩れ落ちた。その圧勝ぶりは会場の全員を驚愕させるに十分な内容だった。 
                         俺は敗れたサムライXの健闘を称えつつ、その限界にも気付いた。
                         ――確かにボディーアーマーの本質をよく理解できている。だが、所詮はコピーだ。オリジナルには勝てない。なり切る努力が足らなかったのだろう。
                         努力は夢中に勝てない――その事実を俺は改めて痛感していた。
                         

                         
                         さて、決勝トーナメント初日を白星で飾った俺だが、これには後日談がある。下校途上の俺の前にサムライX扮する三十前と思しき自衛官が直接、押しかけてきたのだ。
                         後藤三尉といい、桜志会を通じて俺の学校を教えてもらったらしい。
                         ――な、何だ。殴られるのか!?
                         屈強な肉体を前に身構える俺だが、後藤三尉は十歳程歳下の俺に頭を下げてこう迫った。
                        「なんで俺は君に勝てないんだ!」
                         ――はぁ……プロって凄いこと聞くな。
                         俺は心の底から感服しつつ、思うところを述べた。どうやら後藤三尉にも思い当たる節があったらしい。大いにうなずきつつ、俺に言った。
                        「確かにそうだ。俺は対策を叩き込まれはしたが、四六時中熱中する程の熱さはなかった。完敗だな」
                         素直に負けを認める後藤三尉に、俺はこう思った。
                         ――アツいなこの人、暑苦しい。タイプが昭和だ。きっと俺より強くなるわ。
                         意気投合した俺と後藤三尉は、ファーストフード店で互いに意見を交わした。何でも自衛隊サイバー部隊きってのエースで、国税徴収部とのタッグにいの一番で参加を表明したという。
                         言わばエリートとして出世の道具にしようとしていたらしいのだが、思わぬ挫折を味合わされ今回のエントリーに至ったとのことだった。
                        「適正な納税は、国土防衛の要でもある。自分は何とかここで足跡を残したい」
                         ざっくばらんに語る後藤三尉の熱意に俺は共鳴すること大だ。その後、互いの連絡先を交換したのだが、その別れ際に後藤三尉は置き土産とも言える貴重な情報を残してくれた。
                        「優斗君。ここだけの話、今、国境なき税務団を率いているのはジョン黒田ではない。手を下したのは、J扮する息子のジェイソンだ。今、彼らは内紛の最中でその渦中に君のお母さんがいる」
                         ――母さんが!?
                         身を乗り出す俺だが、後藤三尉の口は固い。
                        「すまない。俺に言えるのは、ここまでだ。だが、君の健闘は祈っている」
                         俺は去っていく後藤三尉の背中を、ただ見送るしかなかった。

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                           第二十一話

                           メタバース・ワンは順調に進んでいる。予選リーグをトップで通過した俺は、はや決勝トーナメント入りを決めている。その後も続々とお馴染みのメンバーが続く中、思わぬ人物が接触してきた。
                           それは新学期の初々しさが残る四月中旬だ。帰宅途上の俺の前に一台の車が滑り込んできた。その運転手に俺は思わず目を疑う。
                          「ミスターDじゃないか!?」
                           驚く俺にミスターDは、ニヤリと笑みを浮かべつつ車内へと促す。俺は警戒しつつも助手席に乗り込み、問うた。
                          「ミスターD、普段は身を隠しているお前が一体、何用だよ?」
                          「プレゼントだ」
                           ミスターDは、ひと束の資料を俺の前に放った。不審に思った俺は、内容に目を走らせ思わず息を飲む。そこには、母の居場所に関する情報が記されていた。
                           俺は驚きつつもミスターDに疑ってかかる。
                          「ミスターD、お前とも付き合いは長い。一体、どういうつもりなんだ。この情報を買えってことか?」
                          「それには、及ばない。全てタダで提供しよう」
                          「ほぉ、で、コイツが本物である保証は?」
                          「お前次第だ。優斗」
                           淡々と語るミスターDに俺は、疑惑の目を向けている。
                           ――コイツには何度も騙されたが、その情報力ゆえに隅にはおけない。果たして今回はどうなのか。
                           悩んだ挙句、俺はその情報を信じることとした。車を降りミスターDを見送った俺は、早速、母の居場所と目される雑居ビルを訪れた。
                           インターホンを鳴らしたものの、反応はない。試しにノブを捻ると扉の鍵が開いている。意を決し中へ踏み込んだ俺だが、そこで思わぬものと遭遇した。
                          「ジョン黒田!」
                           あろうことか国境なき税務団のボスが倒れている。慌てて駆け寄るも既に脈はない。動揺のあまりよろめく俺だが、そこへ待っていたかの如くパトカーが押し寄せた。今、彼らに見つかれば、俺は殺人の容疑をかけられ一貫の終わりだ。
                           ――くそっ、まんまと嵌められた。ミスターDの奴、俺を売りやがったな。
                           俺は、忸怩たる思いで裏口からの脱出を目論む。何とか路地裏へ逃れたものの、警察は着々と捜査網を狭め、俺を追い詰めていく。
                           ――万事休す、か。
                           絶望する俺だが、ここで思わぬ助け舟が現れる。スマホにメール着信が入ったのだ。相手を確認した俺は、思わず声をあげた。
                          「アイスキッドだと!?」
                           何でも秘密の逃走ルートがあるらしい。半信半疑ながらも、俺はメールにあるルートを探ってみると、確かに逃走に可能な地下道が続いている。
                           俺は、最後の望みとばかりにそのルートにかけた。祈るような気持ちでドブネズミの如く地下道を進んでいく。すると、見事に警察の包囲網から脱することが出来た。
                          「助かった……」
                           無事に地上へと這い出た俺は、安堵のあまりヘナヘナとその場に尻餅をついた。同時に謎のメール送信者である〈アイスキッド〉に謝礼のメールを送る。
                           願わくば、その正体を問いただしたかった俺だが、敢えて差し控えた。おそらく聖子だと推測されるものの、どうやらその正体を大っぴらに晒せない事情があるらしい。
                           ――ここは当面、阿吽の呼吸だな。
                           俺はアイスキッドとのやり取りを程々に、帰路へとついた。

                           

                          「一体、どうなってるんだ!?」
                           俺が憤るのは、翌朝のニュースだ。死んだはずのジョン黒田がごく自然に演説しているのだ。
                           ――昨日、確かに俺はジョン黒田の死体を目の当たりにした。あれは紛れもないジョン黒田本人だった。俺は一体、何を見せられているんだ。
                           困惑を隠せない俺だが、世間ではジョン黒田は健在なことになっている。もっともその映像が本物であることを証する手段は、何一つない。まるで狐に摘まれたような気分である。
                           学校へ向かった俺は、真っ先にジェイソンに噛みついた。
                          「おいジェイソン。一体、どうなってるんだ!?」
                          「何がです?」
                          「何が、じゃねぇ。ジョン黒田は死んだんじゃなかったのか」
                           吠える俺にジェイソンは、微笑を浮かべつつ応じた。
                          「優斗、この世というのは所詮、幻影なんです。次の瞬間には消えてしまうかもしれない儚い幻影……それでも、そこに夢を見てしまう。人間というのは実に愚かな生き物です」
                          「はぁ!?」
                           首を傾げる俺をおちょくるかの如く、ジェイソンは続けた。
                          「これから本格的な電脳社会が来る。その先陣を切るのは、ジョン黒田か。それとも……」
                           ――ダメだ、これは。
                           俺は、ジェイソンに答えを求めることを諦めた。とは言えこれといった手がかりもなく、俺としてもいつも通りの生活を続けるしかない。
                           ホームルームが始まり席についた俺は、担任の長話をよそにメタバース・ワンについて頭を整理した。
                           目下のランキングは、セイコ02をJら他のメンバーが追っている。よそのグループでは、アイスキッド、アキムさんがトーナメント入りを決めているのだが、意外なところでは、ミスターDが敗退している。
                          「ざまぁみろだ。俺を売りやがった罰だ」
                           俺としては、実にいい気味である。
                           無論、メタバース・ワンが抱える裏ミッションも忘れてはいない。デジタル時代に即した課税技術の向上だ。いわゆるデジタルサービス税である。
                           ――デジタルプラットフォームへの課税は、従来の税制で捉えにくい。最終的には強制執行となるが、仮想空間でいかにデジタル戦力を備えるか、その一里塚が国境なき税務団対策だな。
                           頭によぎるのは、ジェイソン扮するJだ。奴らのデジタル戦力が結実したJをいかに倒すか。俺はPCを前に連日、対策を練っている。
                           やがて、ホームルームが終わり休憩時間に入った。トイレへと立ち上がった俺を担任が呼び止めた。
                          「おい優斗、進路の用紙はどうした。出していないのは、お前だけだぞ」
                          「あー……スミマセン。あの、すぐ出しますんでもうちょっと待ってください」
                           俺は担任に断りを入れ、逃げるようにトイレへと向かった。
                           ――進路、か……。
                           俺は一人、つぶやく。かつてはネットベンチャーかもしくは起業を考えていた俺なのだが、実は今、新たな道について真剣に模索している。
                           ――税理士も悪くないかもしれない。
                           これまで親父への拒絶反応もあって完全に選択肢から取り除いていただけに、俺は考えを改めている。ただ、決断に至るほどの覚悟までは持てずにいた。

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                          一井 亮治
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                             第二十話

                             メタバース・ワンは、華やかな開会セレモニーを終え予選リーグへと突入した。初戦を任されるのは、知名度で鳴るセイコ02だ。
                            「優斗、健闘を祈る」
                             部屋を去る親父を見送った俺は、満を持してセイコ02をサイバー・スタジアムに投入した。その途端、割れんがばかりの大歓声が沸き起こった。
                             ――凄い人気だな……。
                             あまりの反響に俺は、やや面食らい気味だ。確かにその名が広く認知されているとはいえ、この反応は想像をはるかに上回るものがあった。
                            〈さぁ、数々の戦士を葬っていたデジタル生命体に死角はないのか。注目の一戦だ!〉
                             MCがさらに観客を煽っていく。会場のボルテージが最高潮に達する中、対面ステージに初戦の相手が現れた。それは、セイコ02の同様のデジタルファイターである。
                             俺は呆れながら、そのナリを見渡した。
                             ――確かに同じデジタル生命体だが、ファイターとして肝心の魂が入っていない。しかもこの中途半端なパクリ方……間違いない。ミスターDだ。
                             俺はセイコ02に命じた。
                            「作戦はお前に託す。一つ、格の違いを見せてやれ」
                             セイコ02は了解の仕草とともに、自律戦闘モードに入った。選んだモードはスピード系の赤とノーマル系の白を七対三でブレンドした、やや速さ重視の紅ピンクだ。
                             対するミスターDは、流石にボディーアーマーを変幻自在にパラメータさせられる機能までは及ばなかったらしく、白一色である。
                             そんな中、二体のデジタルファイターは対峙した。
                             まさにゴングが鳴ろうかという寸分の一秒前――ミスターDのデジタルファイターが仕掛けた。セイコ02への姑息な奇襲である。
                             ――少しでも有利に勝負を運ぼうって訳か、見え透いた魂胆だな。
                             呆れる俺だが、ここで不可解なことが起きる。襲撃側であるミスターDのデジタルファイターが、糸が切れた操り人形の如く、くたくたとマットに崩れ落ちたのだ。
                             その傍らには、ほとんど動きを見せていないセイコ02が立っている。
                            〈何だ。何が起きた?〉〈一体、どうしたのだ?〉
                             皆がキョトンとする中、会場に設営された電光ビジョンに、勝負の瞬間が映し出された。
                             そこには、ほんの一瞬の隙を突いたセイコ02の見事なカウンター技が確認できた。驚くべきはその速さだ。誰も気づくことすら出来ないほどの、凄まじい瞬殺ぶりだった。
                            〈凄い!〉〈これが真のデジタルファイターの威力なのか!〉
                             真相を目の当たりにした観客の盛り上がりたるや、主催者の想像をはるかに超えた。あまりの熱量にサーバーがダウンする始末である。
                             開始早々にしてミスターDのデジタルファイターに黒星がつく中、セイコ02はヘルメットを収納する。
                             表に晒されたその冷徹な表情を眺めつつ、俺は心の中でつぶやいた。
                             ――悪いなミスターD。だが、もし俺がパクるならもっと徹底的にやる。それこそ設計思想までしゃぶり尽くすぜ。
                             

                             
                             初日を終了させたメタバース・ワンだが、思わぬ波乱もあった。優勝候補筆頭であるエストニアのアネリさんが、謎の青いファイターに敗れたのだ。
                             無論、予選リーグであるため即敗退とはならないが、それでも黒星には違いない。アネリさんに土をつけたその相手こそ〈アイスキッド〉である。
                             青いヘルメットで面を隠してはいるものの、その戦いぶりをチェックした俺は、確信した。
                             ――間違いない。聖子だ。
                             問題は、なぜナリを偽ってエントリーしたのかだ。その謎を敗れたアネリさんに電話でぶつけてみると、同じような答えが返ってきた。
                            「多分、国境なき税務団絡みですね」
                            「でも理由が。何が目的で俺達の元を去り謎のファイターでエントリーを?」
                            「洗脳されているのか、もしくは別の事情を抱えているのか。とにかく要注意プレイヤーです。優斗も目を離さないで」
                             アネリさんは、そう言い残し通話を切った。俺は、改めて録画を眺めている。
                             ちなみにアイス・キッドのボディーアーマーの青は、変幻自在さに長けた機能のモードだ。イメージは〈水〉である。
                            〈型を捨て形をなくせ。容器に注げば容器に、ポットに注げばボットに。まさに水は自在に動き、ときに破壊的な力をも持つ〉
                             ジークンドーを創設したブルース・リーの言葉だが、まさにこれを体現したファイターのエッセンスを凝縮させたような戦いぶりだった。 
                             さらに気になるのは、母の情報だ。Jのサポートについていることは、疑いようもない。様々な痕跡データがそれを裏付けている。
                             ただ、俺はそこに何か迷いのようなものを感じた。
                             ――案外、母さんは国境なき税務団を抜けたがっているんじゃないか。
                             そんな疑念すら覚えるのだ。もしそれが事実なら、必ず何らかのサインを送るはずである。それをいかに見抜き、母を国境なき税務団から脱退させるか、俺は頭を痛めていると、まさにその件について着信が入った。
                             相手は、あの桜志会会長の片桐先生だ。
                            「やぁ、優斗くん。初戦の圧勝劇、実に見事だった」
                            「ありがとうございます。あの……もしかして母の件ですか?」
                            「ほぉ、よく分かったな。防衛省と国税徴収部のタッグがJに敗退した。これは間違いなく君の母さんの仕事だ。税務当局はいかに彼女を日本に亡命させるか、頭を痛めている」
                            「片桐先生。それなんですが、一つ手があります」
                             俺は思うところを述べた。はじめこそ疑いを持って聞いていた片桐先生だが、話が佳境に差し掛かるにつれ非常に興味を示し、最後に至っては声をあげて笑って見せた。
                            「優斗君、なかなかの策士ぶりじゃないか。分かった。あくまで水面下ではあるが、我が桜志会も大いに協力しよう。必要なものを言ってくれ」
                            「助かります。では……」
                             俺は幾つかの依頼を投げたところ、片桐先生は全てを即答で了承してくれた。
                            「片桐先生、感謝します」
                            「それには及ばない。おそらく今が変わるべきタイミングなのだ。これを新たな時代に即した税務業務や支援体制を整える機としたい。今後も協力は惜しまない。君の健闘を祈っている」
                             片桐先生は頼もしげに語り通話を切った。

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                            一井 亮治
                            参加者

                              「聖子がいなくなった!?」
                               学校でその知らせを受けた俺の動揺たるや、半端ではない。真っ先にジェイソンの元に駆けつけるや吠えた。
                              「おいジェイソン。一体、どう言うつもりだ!?」
                              「何がです?」
                              「何がもへったくれもねぇ。聖子をどこへやった?」
                               激昂のあまり胸ぐらを掴んでいることに気付かない俺に、ジェイソンは冷静さを崩すことなく返答した。
                              「だから、言ったでしょう。サイバーはサイバー、リアルはリアル、と」
                              「つまり、現実世界の方で身柄を押さえたってことか?」
                              「優斗、この僕が言うのもなんですが、あまり国境なき税務団を舐めない方がいい。彼らは理念のためならテロ、拉致、殺人も厭わない連中だ。下手に動けば、最悪の事態もあり得ますよ」
                               淡々とした口調ながらも強迫も辞さないジェイソンに俺は怒りが収まらない。聖子の命という切り札を握られていなければ、とっくにぶっ飛ばしているところだ。
                               俺は感情を押さえつつジェイソンを突き離すや、矛先をミスターDへと切り替える。スマホを開きチャットで問いかけたのだが、待っていたのは、判を押したような答えだった。
                              〈ノーコメント〉
                               どうやらミスターDも国境なき税務団絡みでの協力を拒んでいるらしい。極め付けは、谷口エンタープライズだ。隼人さんに電話をかけてはみたものの、その返答は実につれない。
                              「優斗君。悪いが、この件に関して我々は何も出来ない」
                              「隼人さん、谷口社長さんに変わってください」
                              「無理なんだ。これは社長直々の命令なんだ。すまない」
                               一方的に詫びを入れ、隼人さんとの通話は切れた。まさに八方塞がり、四面楚歌だ。その後も四方八方に手を伸ばしものの、大した情報は得られない。どん詰まりの中、俺はよろよろと夕暮れの公園のベンチに腰かけ頭を抱えた。
                               ――もはや頼るべき相手がいない。下手に動くこともできない。どうすりゃいいんだ。
                               俺は改めて己の無力さを嘆く。いくら這いずりまわろうと出来ることなど限られている。所詮、俺は一介の高校生に過ぎないのだ。その現実に直面した俺は、痛切に身の程を思い知らされた。
                               どれほど時間が経っただろう。不意にベンチで呆然とする俺に声がかかった。
                              「そんな場所にいたら、風邪を引くぞ」
                               驚き顔を上げた先にいた人物に俺は、思わず声を上げた。
                              「親父!?」
                               確定申告の繁忙期にも関わらず、事務所を空にした親父は、俺にホットの缶コーヒーを手渡しながら、隣に腰掛けた。
                               そこで一言、ポツリと述べた。 
                              「優斗、今は動くな。思惑が錯綜している。下手をすれば、聖子さんだけじゃなくお前に危険が及ぶ可能性だってある」
                              「じゃぁ、何もせずただ黙ってろっていうのか?!」
                              「機を待てと言っている。それが出来ないからお前は、いつまでたっても子供なんだ」
                              「そういう親父はどうなんだ。大人ならどうすべきだって言うんだよ」
                               声を荒げる俺に、親父は言った。
                              「人生をかける」
                               ――どう言うことだ?
                               意を察しかねる俺に親父は、こんこんと説いた。
                              「あのな優斗、お前の喧嘩は、感情だけで突っ走る駄々っ子の喧嘩なんだよ。大人は違う。これまで何十年とひたすら積み重ねてきた人生の全てを棒に振る覚悟で喧嘩するんだ。その覚悟がないうちは、争いなどしないことだ」
                               黙り込む俺に親父は、さらに続ける。何でも今、この事態に対処すべく桜志会が本格的な策を講じているという。ただ、その内容はあまりにセンシティブで機微に触れるだけに、水面下に止め、公には出来ないとのことだった。
                              「今回の件に関して言えば、要するにお前は目立ち過ぎたんだ。動くときは動くが、いざ待つとなれば腐るまで待つ。お前ももうその歳だ。そのくらいの度量は持て。ストレートだけで通じる程、世間は甘くないぞ」
                               親父はそう言い残し、ベンチから立ち上がるや俺の元を去っていった。その後ろ姿を見送った俺は、誰に言うでなしに呟いた。
                              「大人の喧嘩、か……」
                               
                               
                               
                               ひと月が経った。まだつぼみが固いとはいえ桜がチラホラと咲き始めている。そんな中、新たな年度を迎えた俺は、高校二年生へと進学した。
                               その間、俺は親父に言われた通り待った。聖子への想いを封印し、表だった行動は控え続けた俺だが、その水面下では激しい鍔迫り合いが行われていることを知っている。
                               そんな中、一つのプロジェクトが秘密のベールを脱ぐ。谷口エンタープライズが主催する世界を股にかけたサイバー空間上の電脳格闘大会〈メタバース・ワン〉である。
                              「かつて、聖子が夢見た大会が、現実の形となった」
                               俺は感無量だ。ちなみにこの大会の出資者には桜志会が名を連ねている。この件について、俺はあらかじめ親父から知らされていた。
                               PC画面を前に親父は言った。
                              「優斗、いよいよ桜志会が本腰を上げる。お前を全面的にサポートするから、大いに暴れろ」
                              「もちろん、そのつもりさ。けど、いいのか? 何かあったら俺では責任が持てないぜ」
                              「気にしなくていい。その際は私に任せてくれ」
                               親父は断言した上で、一封の紙を見せた。桜志会に何かあった場合に、備えての辞表だ。
                               驚く俺に親父が断言する。
                              「優斗、勝ち戦はお前に任せる。ただお前では手に負えなくなったとき、負け戦は私が引き受けよう。いいな?」
                               念を押す親父に俺は黙ってうなずいた。
                               さて、大会のルールであるが、全プレイヤー総当たりの予選リーグ戦で、通過したファイターが、最終トーナメント戦へと駒を進めるスタイルだ。
                               エントリーが世界中から殺到する中、俺はセイコ02で戦いを挑もうと考えている。狙いは言わずもがな、聖子だ。
                               ――聖子は、必ずこの大会に姿を現す。その時こそが国境なき税務団を追い詰めるチャンスだ。
                               意気込む俺の鼻息は荒い。実はこの一月、行動を極力控えていた俺だが、セイコ02の自己学習だけは進めていた。
                              「聖子が何を考え、どう行動するか」
                               俺は可能な限りのデータを入力し、自信を持ってこのデジタル生命体を送り込んだ。やがて、全ての募集が打ち切られ、ファイターのメンバー表が送られてきた。
                               連なる参加者の中で、俺は一人のファイターに目を止める。そこに記されたコードネームに思わず声を上げた。
                              「〈アイスキッド〉だって!?」
                               俺はそのコードネームを知っている。かつて、防衛省との模擬演習の際、聖子につけられた名前だ。
                               さらに別の箇所には、国境なき税務団で知られるコードネーム〈J〉のジェイソンや、ミスターDのものと思しきファイター、以前、模擬戦で一戦を交えた防衛省や国税徴収部も名を連ねている。
                               他にもかつて、エストニアを訪問した際に、随所を見学させてくれたアネリさんの名前や、かつてのハッカー仲間など、実に多種多様なメンバーが一堂に集結していた。
                               その陣営たるや、壮観たるものである。
                              「どうやら波乱の幕開けとなりそうだ」
                               感想を述べる親父を傍らに、俺は闘いへの覚悟を固めながらVRセットを装着した。
                               やがて、メタバース上に今大会〈メタバース・ワン〉の主催者である谷口エンタープライズの谷口社長がアバター姿で登壇した。開会宣言を告げるスピーチが世界に向かって翻訳されていく。
                               曰く、サイバー空間の世界一を決めようではないか、と。
                              「望むところだ」
                               俺は画面を前に武者震いを覚えている。誰もがメタバースの歴史を切り拓かんと意欲に溢れる中、親父は釘を刺すことを忘れない。
                              「優斗、分かっていると思うが、自分の立ち位置だけは踏み外すな」
                              「あぁ、分かってるさ」
                               うなずく俺の脳裏に、メタバース・ワンが秘める裏ミッションがよぎる。それは国境なき税務団の打倒と、税務における概念フレームワーク構築だ。デジタル化に対し徴税はいかにあるべきか、適正な徴税のあり方を探らんとする切実な実情があった。
                               ――国境なきネットは税を簡単にすり抜けてしまう。いかにデジタル時代に有効な課税技術を確立するか。その鍵を見つけるのが、このメタバース・ワンだ。
                               早い話が主催者と税務当局の橋渡し役である。これを桜志会が買って出るとともに、その先に聖子の救出も見据えていた。

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                              一井 亮治
                              参加者

                                 第十九話

                                 圧倒的なスピードで聖子は、最終ステージまで駆け上がる。待っていたのは、このエリアを統括する集中コンピューターだ。国境なき税務団の中枢とも言える最深部を前に、聖子は気を昂らせている。
                                「いよいよラスボスの登場ってとこかしら」
                                 警戒しつつ、内部へと進んだ先に待っていたのは、宙に浮かぶ一枚の鏡だった。その鏡面に聖子がうつった瞬間、表面にヒビが走る。凄まじい破裂音とともにその鏡は木っ端微塵に砕け散った。
                                 問題は、その中から現れた人影だ。俺達は、我が目を疑った。そこには、寸分変わらぬ聖子の姿があった。
                                「何これ、どう言うことよ!?」
                                 戸惑いの声を上げる聖子に、俺は舌打ちする。
                                 ――母さん、そこまでやるのか……。
                                 俺はインカムを取るや、モニター越しに吠えた。
                                「聖子、そいつはドッペルゲンガーだ」
                                「何それ?!」 
                                「自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種で、自己像幻視現象……つまり、早い話が自分とそっくりの姿をした分身だ。厄介な事に、攻撃が出来ない。与えたダメージがそのまま聖子にも跳ね返ってくる」
                                「えぇ!? じゃぁ、どうすりゃいいのよ」
                                 モニターの聖子が困惑する中、俺は隼人さんに意見を乞うた。流石の隼人さんもこれは、想定外だったらしい。苦悩の挙句、こう言った。
                                「優斗君、三十六計逃げるに如かず。君子危うきに近寄らずだ。ここは……」
                                「脱出ですね」
                                 念を押す俺に隼人さんがうなずく。俺は再びインカムを取った。
                                「聖子。ここらが引き際だ。これから脱出路のデータを送る。うまく逃げてくれ」
                                「随分、簡単に言ってくれるわね」
                                 聖子は愚痴りつつも、俺達の指示に従い逃避を図る。何とか白い仮想空間からの脱出には成功したものの、分身の追跡は終わらない。退却を図る聖子を執拗に追い続けてくる。
                                「さて、どうするか……」
                                 俺は頭を大いに捻った。目下、物陰に隠れやり過ごしている聖子だが、分身は一帯を周回中し完全に逃してはくれない。
                                 打開策を待つ聖子に、俺と隼人さんは書類の山をひっくり返し、マニュアルに目を走らせた。だが、これといった打開策は見当たらない。
                                 ――参った……。
                                 頭を痛める俺だが、ふとひっくり返した鞄から溢れた書類が目に入る。見ると、たまたま親父から持たされていた税務書類である。そこには、こう書かれていた。
                                〈贈与税は、相続税の補完税である〉
                                 ――補完税かぁ……。
                                 俺は全く無関係の分野に思わぬ活路を見出した。ドッペルゲンガーが分身だとすれば、贈与税と相続税のように似て非なる共通関係があるのではないかと考えたのだ。
                                 そこからは早かった。俺は閃きと着想をもとに、突貫でプログラミングを施して行く。隼人さんと確認作業を終えるや、インカムを取る。
                                「聖子、付け焼き刃だが修正パッチを送る。確認してくれ」
                                「了解……って、ちょっと何よこれ!?」
                                 思わず声を上げる聖子に、俺は苦笑しながら言った。
                                「ちょっとした分身対策さ。いいか聖子、奴はファイターであってファイターでない。戦ったら負けなんだ」
                                「ふーん……よく分からないけど、軍師殿に従うわ。私の命、アンタの策に預けたからね」
                                 こうと決めたら迷いを完全に断ち切るのが聖子だ。意を決し物陰から飛び出すや、ドッペルゲンガーとの間合い一気に詰めた。
                                 無論、ドッペルゲンガーもこちらに気付いたが、その対処がままならないうちに、聖子は見事なタックルを決めた。
                                 さらにマウントを取り、ドッペルゲンガーから体の自由を奪った上で、額を手で押さえ、俺が送ったばかりのプログラムを一気に流し込んだ。
                                「いい? アンタは私の補完体。本体と分身の関係なんだから仲良くやりましょう」
                                 うそぶく聖子にはじめこそ抵抗を見せていたドッペルゲンガーだが、全てのダウンロードが終了するや否や、まるで電源が落ちたように静かになった。
                                「どうやら成功のようよ。軍師殿」
                                 笑みを浮かべる聖子に、俺はほっと安堵の溜息とともに胸を撫で下ろす。額の汗を拭うや、傍らの隼人さんとハイタッチを交わした。
                                 かくして任務は終了した。可能な限りの情報収集に成功した俺達は、サイバー空間から戻ってきた聖子を交えデータ解析を進めていく。
                                 そこで明らかになったのは、国境なき税務団が目論む壮大な計画だった。
                                「どうやら彼らは、この確申期に本気で国を乗っ取るつもりだったらしい」
                                 隼人さんは内容を精査しながら、唸った。俺は税務当局を中心に広大なテロを目論んでいた事実を一本のレポートにまとめ、依頼人である片桐先生へ報告メールとして送信した。
                                 

                                 
                                 世間は確定申告期へと突入している。事務所も繁忙期でてんやわんやだが、俺のレポートもあってか、税務当局に目立った混乱は見られない。
                                 片桐先生によると、国境なき税務団にはかなりのダメージとなったらしい。再起不能とまではいかないものの、当面サイバー空間での作戦行動は控えざるを得ないだろうとの事だった。
                                 ただ、それでも分からないことはある。まさに今、この教室で泰然自若に振る舞うジェイソンの神経だ。
                                「ジェイソン。お前、よくのこのことここに出てこれるよな」
                                 しみじみと疑問を投げかける俺に、ジェイソンはこれまた涼しげな笑みを浮かべながら、いけしゃあしゃあと言った。
                                「それはそれ、これはこれ。大体、僕自身が国境なき税務団の方針の全てに賛成しているわけではないですしね」
                                「つまり、何か。このままサイバー空間での影響力を失っても構わない、と?」
                                「えぇ、サイバーはサイバー、リアルはリアル、ですよ」
                                 何を企んでいるのか皆目、見当がつかない俺だが、それでも分かる。
                                 ――どうやら、コイツには先日の敗戦をものともしない十分な余裕があるみたいだ。
                                 非常に癪だが、それは認めざるを得ない。その自信の根源がどこにあるのか、首を傾げる俺だが、思えばこの時、その疑念をはっきりさせるべきだった。実は裏でそれ相応の準備が着々と進みつつあったのだ。
                                 だが、この時の俺にはその疑念に対する答えを見つけることが出来なかった。全てが好転していただけに、油断があったのだろう。その際たるが、聖子である。
                                「おい聖子、飛ばし過ぎだ!」
                                 放課後、谷口エンタープライズへ向かった俺は、サイバー空間でダイブ中の聖子にペースを咎めたものの、まるで聞く耳を持たない。
                                「大丈夫よ優斗、ここの勝手は十分に分かったから。それより次の指示を頂戴」
                                「分かったよ。ただ油断はするな」
                                 俺は聖子に指示を下していく。完全にサイバー戦用ボディーアーマーをものにした聖子は、次々に任務をコンプリートしていく。
                                 ――聖子の奴、面白くて仕方がないらしい。
                                 咎めようにも声がまるで届かない事に頭を痛める俺に、隼人さんは諦めモードで言った。
                                「こうなったら、聖子ちゃんには好きにさせよう」
                                「えぇ、そうしかないみたいですね」
                                 俺も呆れつつ、サイバー空間を制圧していく聖子をPC画面越しに見守り続けた。
                                 事実、バーチャル世界は聖子の庭と化し、谷口エンタープライズの業績もうなぎ登りだ。全てがうまくいき、感覚が麻痺していた。
                                 やがて、サイバー空間から戻ってきた聖子を交え、俺達は今度の計画を立てていく。
                                「聖子ちゃん、どうやら君の夢が叶いそうだよ」
                                 隼人さんが見せたのは、一本の企画書だ。そこには、聖子が夢見た世界を舞台にサイバー空間で開催する電脳格闘大会がプロジェクトとして上がっていた。
                                 聖子の喜びようたるや尋常ではない。聖子の人生は今、まさに絶頂を迎えようとしていた。
                                 その後、谷口エンタープライズを出た俺達は、ともに帰路に着く。
                                「私、今がサイコーに幸せ」
                                 そう語る聖子の瞳には、輝かしい未来に向けた生命力が爛々とみなぎっている。無論、俺も同様だ。
                                 そんな中、不意に空が暗くなった。見ると分厚い雲とともに雨が降り始めている。聖子が舌打ちした。
                                「あちゃー雨だよ。私、今日、傘忘れちゃった」
                                「俺が差すよ」
                                 折り畳み傘を取り出す俺だが、軽装の聖子はそれを断り荷物を背負って走り出した。
                                「ジョギングも兼ねてジムまで走る。じゃぁね優斗」
                                 聖子は手を振るや、小雨の中を走っていく。その背中を見送った俺の気分は、夢見心地だ。
                                 ――このまま聖子を軸に夢を叶えていこう。
                                 俺はフッと笑みをこぼし、雨の中を自宅へと向かった。
                                 思えば、ここが運命の分岐点だった。好事魔多し――全てが順調な今こそ、俺は初心に戻るべきだったのだが、そこに気付かない。
                                 翌日、俺はその代償を知ることとなる。この雨の日を境に聖子は、忽然と姿を消した。

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                                一井 亮治
                                参加者

                                   第十八話

                                  「やぁ聖子。あんな無様な負け方をしておいて、よく再戦しにきましたね。ほどほどにしないと、負け癖がつきますよ」
                                   慇懃無礼に登場したのは、迷彩武装を施したジェイソンである。奴がまとうボディーアーマーは、間違いなく母の仕事だ。その助けを得たジェイソンの表情たるや、すでに勝った気でいる。
                                   対する聖子は、挑発に乗ることなくじっとジェイソンの様子をうかがっている。実はこれが聖子に課した俺の作戦だ。
                                  〈機が熟すまで、ジェイソンへの攻めを一切、禁ずる〉
                                   俗にいうところの守愚作戦である。そんな聖子をジェイソンは鼻で笑った。
                                  「ふっ、攻めないのなら一つ、こちらから攻めてあげましょう」
                                   ジェイソンはぬらりと構えるや、一気に間合いを詰め、聖子に強烈な一撃を放つ。
                                   何とかガードで凌ぐ聖子だが、ジェイソンの攻勢は止まらない。巧みにフェイントをかましつつ、軌道の見えないトリッキーな蹴りを次々と放っていく。
                                   その読みにくい連打を前に、聖子はじわじわと追い詰められた。これに気をよくしたジェイソンは、ガードに徹する聖子に、大胆な攻撃を仕掛ける。聖子の上半身を狙って見せつつ、無防備になった下半身に足払いをかけてきた。
                                  「くっ……」
                                   足元をすくわれ地面に叩きつけられた聖子に対し、ジェイソンはいよいよその本性を露わにした。あろうことか聖子の顔面を、足で踏みつけてきたのだ。
                                   たちまち聖子のヘルメットが粉々に砕け散り、中から現れた素顔が踏み潰されていく。
                                  「くっくっくっ……聖子、あなたはこうやって無様を晒しているのがお似合いですよ」
                                   ジェイソンはニンマリ笑い、上から侮蔑の視線を注ぐ。聖子にとっては屈辱の極みなのだが、ここで異変が起きる。ジェイソンの足に凄まじい電撃が走ったのだ。
                                  「予感的中だな。優斗君」
                                   感心する隼人さんに俺は、ほくそ笑む。というのもジェイソンの性格を洗いざらい聞いた俺が、あらかじめ仕込みを入れておいたのだ。
                                   ――ジェイソンの奴、面食らうぜ。
                                   俺の思惑通り、ジェイソンは戸惑いを隠せない。慌てて足をのけようと試みるも、時すでに遅し。その足をガッチリ掴んだ聖子によって逆に体をひっくり返されてしまった。
                                  「よし聖子、攻撃に切り替えろ!」「やっちまえ!」
                                   吠える俺達の声に弾かれたように聖子は、畳み掛ける。これまでのお返しとばかりにジェイソンを地面に叩きつけマウントを取った。
                                   この思わぬ奇襲にジェイソンは、完全に我を失っている。だが、そこはさるもので、巧みに聖子のマウントから逃れ、立ち技へと切り替えて来た。
                                   対する聖子も負けじとジェイソンに打撃を放っていく。その蹴りの応酬を制したのは、聖子だった。
                                  「くっ、小癪な……」
                                   あまりに多くのダメージを負ったジェイソンは、覚えておけとばかりに、よろめく体で撤収をはかった。
                                   もっともこちらにジェイソンを追う余裕はない。聖子は肩で荒い息をしながら、ヘナヘナと膝をつき、その場に座り込んでしまった。
                                  「聖子。あと一歩、及ばなかったな」
                                  「うん……そうね。でも勝った。ついにアイツに……」
                                   聖子はガッツポーズを取るや喜びを爆発させた。その目は涙で滲んでいる。どうやら「ジェイソンには勝てない」という思い込みが、聖子をずっと追い詰めていたらしい。
                                   それだけに今回の勝利に嬉しさを抑えられないようだ。
                                   そんな聖子に俺は言った。
                                  「聖子、俺達はもうチームなんだ。いかにジェイソンが強敵でも、皆でかかれば、必ず倒せる」
                                  「優斗君の言う通りだよ。聖子ちゃん」
                                   隼人さんも追従する中、聖子は涙を拭いつつ一言、礼を述べた。
                                  「ありがとう……」
                                   見事にジェイソンを撃退した聖子だが、ふと見ると先程とは異なる光の塊が転がっている。不審に感じた聖子に俺は説明した。
                                  「聖子、それはジェイソンの持っていたタックスエナジーだ」
                                  「タックスエナジー?」
                                  「あぁ、お前が今、着用しているボディーアーマーのエネルギー源さ。これがあれば、傷ついたボディーアーマーの修復も瞬時だ。別の形に変化させることも出来る」
                                   聖子は俺の指示従い、ジェイソンが残した光源を取り込んだ。その途端、先程の戦いでボロボロになったボディーアーマーが見る見るうちに元の形状へと戻った。
                                  「凄いっ!」
                                   驚く聖子に「それだけじゃないぜ」と、俺はさらなる変化を施した。すると今度は、白いボディーアーマーが真っ赤な別タイプへと変わった。
                                   俺は説明を続けた。
                                  「聖子、タックスエナジーっていうのは要するにRPGファンタジーのMPだ。修復や変形のたびに消費され、ゼロになるまで自由に使える」「ゼロになったら、補給はどうするの?」
                                  「基本、自然回復を待つ。ただ今みたいに敵が残して逃げ去った場合は、自身に取り込むことも可能さ」
                                  「分かったわ、軍師殿。で、次は何をすればいい?」
                                  「このエリアに威力偵察を仕掛ける。その赤いボディーアーマーの特徴は〈スピード〉だ。今から、そっちに一帯をスキャンした位置情報を送る。母さんが作ったこの空間を、トラップを回避しながら駆逐するんだ」
                                  「オーケー……」
                                   聖子は、俺が流したマップのダウンロードを受けるや、ニッタリと微笑む。その表情はまるで新たなオモチャを得た子供の様だ。
                                   俺は思わずつぶやいた。
                                  「生まれながらのアスリートファイターだな。聖子は」
                                  「そう言う優斗君は、生まれながらのクリエイターってとこかい?」
                                  「ただのオタクですよ」
                                   謙遜して見せる俺だが、悪い感じはしていない。事実、デジタル生命体にサイバー戦用ボディーアーマー、作戦立案にデータ分析と聖子のヘッドワークの大部分を担っている。
                                   ――俺が聖子の参謀なら、ジェイソンの参謀は母さんだ。ジェイソンが去りし今、母さんとの頭脳戦だな。
                                   俺は徐ろに左右それぞれにストップウォッチを構えるや、聖子に吠えた。
                                  「今だ聖子、行け!」
                                   俺の合図を機に聖子は、白いサイバー空間をダッシュで駆け出していく。そのスピードたるや実に凄まじい。目にも止まらぬ速さで、一帯を駆け抜けていった。
                                  「隼人さん! ルートの探索を頼みます」
                                  「オーケー、任せてくれ」
                                   俺と隼人さんは、互いの役割を分担するや、聖子に具体的なルートを提示していく。疾風怒涛の勢いで聖子に探索させつつ、一帯の攻略へと乗り出した。
                                   やがて、断片的にしか把握出来なかった周辺の実情が、露わになった。驚くべきは、その規模だ。実に広大な空間がプレイヤーを嵌めるトラップと化していた。
                                   まるでゲームステージである。
                                   ――これは、何かあるな。
                                   考慮の末に辿り着いた結論は、情報収集を目論んでいるのが、俺だけではないらしいということだ。
                                   サイバー空間における聖子の身体能力や潜在力を、このステージではかろうとしているらしい。
                                   ――そうはいかないぜ。母さん。
                                   俺は聖子に命じた。
                                  「聖子、ステルスモードだ。左腕から三つ目のボタ……」
                                  「これね」
                                   聖子は持ち前の間の鋭さで機能を理解し、ステルスモードを起動させた。たちまちボディーアーマーの一部が変形し、半透明さを帯びて行く。
                                   こうなればもはや聖子を止めるものは、何もない。次々にステージを攻略して行った。

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