一井 亮治
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第三話
街がクリスマスに色づいている。その聖夜、勇気をしぼった俺は聖子をデートに誘い出すことに成功した。
……よしっ!
思わず俺は、拳を握り締めガッツポーズを取る。ガラにもなくデートコースの予習までし、万全の体制で聖子と再会した。
「お久〜」
手を振る聖子に緊張を覚える俺だが、会ってしまえば完全に彼女のペースである。いつしかデートは名ばかりとなり、聖子が夢みる電脳バトルプロジェクト談義へと成り果てていく。
それでも、この特別な日に聖子を独占出来る事が何より嬉しかった。
――このまま何とかデートコースに連れ戻して聖子に告白を……。
ヨコシマな気持ちを隠しつつ機をうかがう俺だが、不意に聖子の足がぴたりと止まる。何事かと怪訝に感じた俺が聖子を見ると、目が一点に釘付けになっている。不審に思いその方向を見た俺は、思わず声を上げた。
「何だあれは!?」
それはビルの壁面を彩る大型LEDビジョンに映し出された映像だ。普段なら広告が流れるべき画面に、一人の男が映り盛んに叫んでいる。
しかも、その内容がちょっと尋常でない。反税で無政府主義で急進的である。
――広告用の画面がハッキングでもされたのか?
首を傾げる俺に聖子が苦虫を噛み殺したような顔で言った。
「国境なき税務団よ」
「え、あの男がか!? 以前、俺を嵌めようとした」
「そう、ジョン黒田……国境なき税務団を牛耳るボスよ。ここに現れるなんて一体、どう言うつもり?」
自問する聖子に俺も若干の動揺を覚えている。謎に満ちたその正体は未だに不明。ただ、今何かを始めようとしていることだけは確かだ。
やがて、スピーチが終わったのか、ジョン黒田は指をパチンと鳴らした。その途端、映像がカウンドダウンに切り替わる。
訳も分からず突っ立つ俺達だが、その数字がゼロを刻んだ途端、一帯は惨劇の間へと変わった。街角の全てが爆風で吹き飛ばされたのだ。
周囲が炎に飲まれる中、どこからともなく黒の迷彩服に身を包んだ集団が現れ、逃げ惑う人々に機銃照射を浴びせていく。
――テロだ!
振り返る俺は、はたと聖子がいないことに気付き、目を走らせ息を飲んだ。あろうことか聖子は、自動小銃で武装した集団に素手で戦いを挑んでいる。
その強さたるや凄まじい。次々に男達を薙ぎ倒していく。
だが、あまりに多勢に無勢だ。そうこうするうちに一人の男が、聖子に狙いを定めた。
「危ないっ!」
俺は聖子に声をあげ、その男に体当たりをかました。何とか照準はそれたらしい。急所は外れたものの、弾は聖子をかすっていく。
「聖子!」
叫ぶ俺だが、男は自動小銃のグリップで俺の後頭部を叩きつけた。その激痛に俺は倒れ込む。見上げる先にあるのは、銃口を向ける男の顔だ。
流石に観念した俺だが、その引き金が引かれることはなかった。聖子の飛び膝蹴りが男の顔面に叩き込まれたのだ。
「優斗!」
「だ、大丈夫だ。スマン。助かった」
俺は聖子の差し出す手を取り立ち上がる。その視線は自然と壁面の大型LEDビジョンへと向かった。なんと再びカウントダウンが始まっている。
「どうやら次があるみたいよ」
聖子がビジョンを睨みつける中、俺は周囲に目を走らせる。そこでボスらしき男が持っていたノートPCを見つけ、駆け寄った。
――頼む。動いてくれ。
祈るような気持ちで電源スイッチを押すと、ヒビの入った画面が立ち上がった。俺はすかさず、システムを立ち上げる。そこへ聖子が駆けつけた。
「聖子、血が……」
「構わない。優斗、いいから教えて。私、どうしたらいい?」
「これを頼む」
俺が手渡したのは、ノートPCの近辺に転がっていたコード表だ。それを聖子に読み上げさせて解読していく。
そうしている間も大型ビジョンのカウントダウンは続いていく。
――頼むぜ。間に合ってくれ……。
俺は指をキーボードに走らせ、現場の突貫でプログラムを組んだ。やがて、画面にハッキング成功の文字が踊る。
「よっしゃっ。いくぜ!」
俺は聖子と目配せの後、エンターをキーパンチで叩き込みテロシステムの中断プログラムを走らせた。あとは、どちらが早いかの勝負である。
――行け。間に合え。
固唾を飲んで見守る中、ついにその願いが叶った。大型ビジョンのカウントダウンが止まったのだ。どうやらさらなる被害の食い止めには成功したらしい。
「私ら、助かったんや、な?」
半信半疑の聖子に俺は力強くうなずく。強心臓でなる聖子も流石にこれには、安堵したらしい。ほっと一息つくやその場に倒れ込んでしまった。
その後、警察や消防、救急が駆けつけ一帯の秩序が回復する中、傷の手当を受けた聖子がポツリポツリと話し始めた。
なんでもあのジョン黒田は以前、税務当局と一悶着あった曰く付きの国際手配犯らしい。税理士業界と袂を分つや闇落ちし、国境なき税務団の構成員として国内外を問わず陰謀を張り巡らせているという。
「しかし、なぜあんなテロを? しかも俺達の前でわざわざカウントダウンまでして見せて」
「それがアイツの手口なのよ。周りくどい演出で私らをいたぶり動揺する姿に興奮を覚えるサイコパス、完全にイカれた異常者ってとこね」
「ふーん。つまり、俺はかなりヤバい奴に目をつけられたってことか。しかし聖子、その情報ってあれか?」
「そ、桜志会よ。メンバーの一人の岡本って先生が警察と太いパイプを持っていてね。海外の組織のこととか色々、情報が入るのよ」
「そうなのか、ふむ……」
俺は改めて桜志会が持つネットワークに驚きつつ、徐ろに切り出した。
「聖子、その岡本先生なんだが、直に会うことは出来るか?」
「そう言うと思ったわ。もう呼んでる。ほら、あそこ」
聖子が指差す方向を見ると、一台の車が滑り込んできた。運転席には、四十代半ばと思しき恰幅のいい男性が手を振っている。
俺は聖子に連れられ、岡本先生にペコリと頭を下げるや後部座席へと乗り込んだ。やがて車が高速に入ったところで、さりげなく本題へと切り込む。
「あの、岡本先生。国境なき税務団の目的って何なんでしょうか?」
「日本への復讐と独立国の建設さ。国際的な承認を狙っている」
「え……や、ちょっと待ってください。大体、建国なんてどこに?」
「サイバー空間だ。形態としてはイスラム国に似ている。反税を教義とするアナーキでカオスな連中さ。今、防衛省が奴らのサイバー戦に備え、攻性の組織を模索している」
あまりの内容に唖然とする俺に、聖子が補足説明を入れた。
「国って煎じ詰めて言えば、徴税権でしょ。彼らはそれを狙っているの。知っての通り、日本は天文学的な財政赤字を抱えているよね。それを意図的にデフォルトさせ、制約に束縛されたリアル世界から、より自由で流動的なサイバー空間に移し替えようって訳」
「えらい過激だな。よく分からんが、以前に流行ったセカンドライフみたいな奴か?」
「まぁね。SNSプラットフォーム、つまり、ネット上の仮想空間に和のアイデンティティを設ける。少子高齢化と財政難に喘ぐ日本をリアルから分離し、現実的には難しい移民の受け入れや資金移動をデジタルでスムーズに行い、サイバー上で高度経済成長を再現させようってプランね」
「それはまた……随分と進んでいる」
「えぇ、でもそれって困るのよ。日本が色々問題を抱えつつもやりくりが出来るのは、世界最大の対外純資産を持つ債権国だから。でも国境なき税務団の考えでは、国という括りがない。国富を止めておくことが出来ないの。そこに仕手筋が入ってくる」
聖子や岡本先生の熱心な説明に、旧態依然とした俺の頭が切り替わっていく。
――国家、民族、言語、文化……境目が消えていく。物質に依存しなくなる。今、まさに漫画や映画の世界が現実になろうとしているんだ。
地殻変動ともいうべき変化の波に、俺の心は大いに揺れていた。Attachments:
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次の土曜日、集合場所のテーマパークへと向かった俺に声がかかる。
「優斗」
振り返った先にいたのは、親父の五十嵐賢治だ。案の定、いつものお説教タイムである。やれ一分三十七秒遅刻だなんだと、事細かに俺を問い詰めてくる。その神経質な性格に俺は、ゲンナリだ。
はや不機嫌オーラ全開となった俺だが、それを一変させる出来事が起きた。
「優斗。先日、お前に弁護士を紹介してくれた税理士の鈴木先生だ。しっかり礼を言え」
親父に促され、俺はその鈴木先生に頭を下げる。やや中年太りのいかにも優しげな鈴木先生だが、驚くべきはその傍らに控える娘さんである。
歳は俺と同じくらいか、やや色黒ながらも黒い装いに清楚な佇まいを見せるその容姿は、実に別嬪だ。いかにもお嬢様といった雰囲気を醸し出している。
聞けば兄を税理士にもつ末っ子だという。
「おほほ……ご機嫌よう。鈴木聖子と申します。よろしくお願いしますね。優斗君」
丁寧に腰を折る鈴木聖子に俺も挨拶で応じる。実に大人しげな優等生といった感じだ。その後、しばし談笑の後、親父は鈴木先生を連れて、他の先生への挨拶に去っていく。
その背中を見送った俺だが、ふと傍らの鈴木聖子を見て目が点になった。
「えっ。や、ちょっ……鈴木さん……」
「聖子でええよ。何?」
「何って、タバコは……」
「あぁコレ? アンタもやる?」
一本差し出す聖子に俺は、慌てて手を振りその好意を拒む。聖子は、ふんっと鼻を鳴らすや、先程までとは打って変わって、いきなり毒気付き始めた。
「なんでこんな土曜にうちが付き合わされなきゃならないんだか。けっ、バカらしい。かったるいわ。どうせアンタも同じクチでしょ。優斗?」
スイッチが入ったのか、いきなり呼び捨てタメ口モードに豹変する聖子に、俺は開いた口が塞がらない。だが、聖子は構うことなく続けた。
「優斗、色々聞いてるよ。ネットで下手打ってポリにパクられかけたんだって? しかも、相手はあの国境なき税務団らしいじゃん」
「あ、あぁ……そうらしい」
「そうらしいってアンタ、自分のことでしょ。なに人事みたいになってんのよ。まぁいいわ。で、これからどうすんの?」
「どうするって?」
「進路! 決まってんじゃん。税理士って結構、イバラの道よ。いずれ全部AIがやるようになる。私達はさながら絶滅危惧品種ってわけ」
自嘲する聖子に俺は言葉が見つからない。それでも何とか話を繋ぐべく問うた。
「その……聖子は国境なき税務団の事は、詳しいのか?」
「まぁね。とにかく厄介な連中よ。目をつけられたアンタには、同情するわ」
聖子は俺に微笑を浮かべつつ、スマホを取り出し、俺に顎をしゃくる。何事かと訝る俺に聖子が苛立ち混じりに言った。
「アンタの連絡先よ! 国境なき税務団の動き、色々分かるからその都度、教えてあげるって言ってんの」
「あ、そうか……助かる」
俺はカクンと首を振るや、自身のスマホに聖子のアドレスを登録しつつ、素朴な疑問を投げかけた。
「でも聖子。何で俺にそこまで?」
「ふふっ、うちはな。強い奴が好きなんや。アンタ、随分とネットで腕が立つらしいね。なんかやって見せてよ」
スマホを差し出す聖子に、俺は戸惑いつつも、とあるサイトに接続し簡単なプログラミングを施した。それは違法ではないものの、グレーゾーンのギリギリをついたテクニックだ。
「聖子、これで国際電話をタダでかけられる」
「え、何それ! マジ!?」
「あぁ、ただ三日間だけどね」
「へぇ……優斗、アンタって超便利ぃ」
どうやら俺は聖子のお気に入りになったらしい。その後も盛んに話しかけてくるのだが、その内容が実にラジカルだ。何でもかなりの格闘技マニアらしく、自身も新たな流派を見つけては門を叩き、教えを乞うばかりか道場破りまでこなす強者だという。
ーーこれは、とんでもない跳ねっ返り娘だ。
俺は半ば呆れつつも、問うた。
「じゃぁ聖子の進路は、プロの武道家なのか?」
「またこれだ。男ってのは皆、発想が貧相。そんなケツの穴の小さい未来、誰も描いちゃいないわよ」
聖子は人差し指をチッチッチッと振るや、自らのとんでもない構想をぶちまけ始めた。曰く、世界を舞台にサイバー空間で電脳格闘大会を開催したいと言う。
「優斗、ハッカーオタクのアンタと格闘技マニアの私で組んでみない?」
「ちょっと待ってくれ。大体、俺達まだ学生だぜ。どうやって資本を……」
「クラファンよ。はじめは個人事業でいいじゃん。いずれ法人成りさせ上場を目指し、世界へ打って出る」
「それが聖子の描く将来像なのか?」
「違う。将来じゃなくたった今、始まったのよ。私、これまで何かが足りなかった。構想を練っても最後のワンピースが見つからなかったの。でも今、見つかったわ。優斗、アンタよ」
どこまでも捲し立てる聖子に、俺はまるでついていけない。察した聖子が諭すように続けた。
「あのね優斗、時代は変わったの。いい学校を出て有名企業に入り定年まで勤め上げる。社会が右肩上がりだった頃は、そのアナログな価値観がプラスに働いた」
「今は違うのか?」
「えぇ、国や会社におんぶに抱っこじゃ凌げない。日本は厳しい局面を迎えていくわ」
「俺達の未来は真っ暗ってわけか」
「それも違う」
どう言う事なのか、意を察しかねる俺に聖子は、鼻息荒く続けた。
「いい? たとえ社会が没落しても、個々として成功していくことは十分に可能なの。組織につかえる時代じゃない。逆にこちらから組織を利用し、個々の才能で未来を切り開く時代なのよ」
「つまり、聖子にとって桜志会は……」
「夢を叶えるためのツールよ。桜志会の兄を通じ、親睦と研鑽の先に皆で成功を掴む。父も言ってるよ。楽しくない桜志会なんて桜志会じゃない。ゾクゾクしてこその任意団体だって」
聖子が示すビジョンに俺は、改めて感じ入っている。確かに内容は破天荒なのだが、不思議な説得力を伴っていた。
その後、俺達は皆と一行になってテーマパークを回っていく。無論、その間も聖子の与太話は続いている。熱く夢を語り尽くすその様は、まさにゴーイングマイウェイだ。
――一体、どこまで続くんだ。
途切れることのない談話に半ば呆れ気味の俺だが、なぜか飽きは来なかった。それどころか触発されたように沸き起こるフワフワとした高揚感を実感している。
それは夢であったり希望であったり、いつしか現実の生活に埋没していったものだ。そんな楽しいひとときを過ごした俺の心は、気がつけば聖子一色に染まっていた。
「じゃぁね。優斗」
夜のイルミネーションが煌めく中、父や従兄らとともに去っていく聖子に俺の心は締め付けられるような苦しさを感じている。
――俺はどうしてしまったんだ。
なぜか迸る感情を抑えることが出来ない。溢れる想いはいつしか切なさに変わっていく。俺は悟った。どうやら恋に落ちてしまったみたいだと。
その後、父とも別れた俺は熱に浮かされたようにフワフワと帰路についていく。その心はもどかしいほどに痛かった。Attachments:
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桜志会――その組織との出会いは、突然だった。高校二年生にすぎない俺・五十嵐優斗に、あろうことか国家転覆の容疑がかけられたのだ。
「物証は上がっている。どこのスパイだ?!」
畳み掛ける捜査官に無罪を主張するものの、全く信じてもらえない。
ま、多少の非はある。プログラミングにハマった俺は、すっかりオタクと化し、有名企業や官公庁にゲーム感覚でハッキングを仕掛けていたからな。
だが、所詮はお遊び、ネット仲間に自慢し合う程度のものだ。国家転覆だのスパイだの、あまりに大それて考えたことすらない。
「俺は嵌められたんです。大体、動機がないじゃないですか」
「お前の口座に多額の金が振り込まれている。それも米ドルと人民元でな。スイス銀行にまで手を伸ばしたそうじゃないか!」
「だからそれ、全部ガセです。罠です。俺を陥れる陰謀なんです!」
必死に訴えるものの、あまりに揃い過ぎた証拠を前に信憑性の欠片すら感じてもらえない。
裁判しても十中八九、負けるだろう――そう言われた俺の絶望たるや、並大抵のものではない。
「終わったな。俺の人生」
生まれて初めて悔し涙を流した。とにかく無念でやり切れなかった。
そんなこんなですっかり留置所で落ち込んでいた俺なのだが、そこへ突如、救いの手が差し伸べられる。敏腕弁護士・権藤先生がついたのだ。
なんでもその筋に強く、検察にも顔が効くとかでびっくりするくらい頼りになった。
「優斗君、何とかなりそうだよ」
そう言われたときの俺の感激は、とても言葉にあらわせるものではない。これ以上はない嬉しさを噛み締めつつ、俺は問うた。
「でも、何で権藤先生みたいな偉い人が、俺なんかに?」
「税理士である君のお父さんのツテだ」
「え、親父の!?」
俺の笑顔は急に曇る。と言うのも親父とは仲が悪く別居中なのだ。世間体ばかり気にする教育方針とやらが、とにかく肌に合わない。
母親が出て行って以降、それはより顕著だ。そんな俺に権藤先生は、さらに続ける。
「より正確に言えば、君のお父さんが所属する桜志会のだね」
「桜志会?」
「税理士二世で構成されるネットワークのプラットフォームだ。彼らに頼られれば、私とて断れない。君を助けるに至ったって訳さ」
内情を晒す権藤先生に俺は、頭を捻る。
――桜志会……確か親父がそんな話をしていた記憶はあるが……。
訝る俺は思わず詰った。
「その桜志会って組織、チラッと聞いたことはありますけど所詮、見栄っ張りが意地張るためだけに作った馴れ合い集団でしょ」
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いではないが、険悪な親父との関係が俺の印象をすこぶる悪くした。国家資格か何だか知らないが、実態は人の金をネタにメシ食ってる卑しい連中だと嘲笑する俺に、権藤先生の表情が凍った。
しばしの沈黙の後、権藤先生は見据えた目で重い口を開く。
「優斗君、これだけは言っておこう。彼らは税に特化したお金のプロだ。中でもあの桜志会は一見、和気あいあいと見せてはいるが、恐ろしいほどのポテンシャルを秘めている」
「でも、たかが任意団体ですよ」
「たかが任意団体、されど任意団体。君はまだ社会の恐ろしさを知らないからな。強固な地盤、人脈、いざとなったときに見せる団結力……羨ましい限りだ」
――羨ましいだってぇ!?
思わず吹き出す俺だが、権藤先生の表情は真顔だ。何より目が笑っていない。
「これ、君のお父さんからの差し入れだ。留置所にいる間くらい、これで人生を考えてみろとのことだよ」
権藤先生は一冊の本を差し出した。どうやら税理士という仕事の魅力と大変さについて書かれた本らしい。
――何が税理士だ。もうウンザリなんだよ。馬鹿らしい。
権藤先生との接見を終えた俺は、留置所に戻るや、その本をポイっと放り投げた。
しばらく目すら合わさない俺だったが、何ぶん留置所には娯楽がない。仕方なしにその本を拾い直すと時間潰しにパラパラとめくり始めた。
やがて、会計の仕訳について書かれた箇所に目を走らせた俺は、思わず呟いた。
「ん。これって要するにプログラミングじゃん」
どうやら両者には共通点があるらしい。例えば、プログラミングにおいて、ウェブサイトはHTMLやCSSが支えている。情報技術における共通言語といっても過言ではない。
他方、会計は簿記に従い、財務諸表を作成していくビジネスの共通言語だ。HTMLがここにある有価証券報告書なら、CSSはその説明資料と言えよう。
これまで親父を毛嫌いし、税理士に見向きすらしなかった俺だが、いつしかその隠れた魅力に気付き始めていた。
――いけ好かない親父だが、案外、税理士も悪くないかもしれない。
その上で今一度、桜志会という組織を考えてみた。今回、俺を貶めたのがどこの誰かは分からないが、見事に救うキッカケを作ってくれた。もし桜志会というネットワークがなければ、俺の人生は完全に詰んでいたのだ。
「権藤先生をもってして、あそこまで言わしめるとは、なかなか頼もしいじゃないか」
俺は格好良さを感じつつ、改めてその名を呟いた。
「桜志会、か」
その後、俺の嫌疑は晴れ無事釈放されるに至ったのだが、今回の事態は俺に様々な教訓をもたらしてくれた。
――この世は人の繋がりだ。社会を敵には回せない。なら特別なコネクションを押さえ、そこから広がりを狙っていく方が効果的なんじゃないか。
これまでろくに将来設計を考えることのなかった俺だが、改めて人生について考えている。その橋頭堡と位置付けたのが、税制だ。日本国憲法第三十条は、国民に納税の義務を課している。国家の国家たる拠り所といっても過言ではない。
――その根幹に位置するのが、税理士と言う訳だ。
さらに俺の思索は、俺を陥れようとした謎の存在にも及ぶ。浮かび上がったのが、〈国境なき税務団〉なる組織である。
何でもタックスヘイブンやマネーロンダリングに長けた組織らしいのだが、その詳細は不明でなぜ俺が狙われたのかも分からない。どうやら闇が深そうである。
その後、ネットを終え家を出かけた矢先、俺のスマホに一本の着信が入る。その相手に舌打ちしつ、通話を受けた。
「親父? 朝っぱらから一体、何の用だよ」
嫌々ながらも応対する俺に親父は、思わぬ話題を切り出した。何でも次の土曜日に厚生部の行事があるらしく、そこに参加しろとのことである。
本来ならそんな七面倒くさいイベントなど見向きもしない俺だが、今回ばかりはそうもいかない。何を隠そう、俺を絶望の淵から救ったあの桜志会のイベントである。
「分かったよ親父、行きゃいいんだろう」
俺は苛立ち混じりに応答するや、用は済んだとばかりに着信を切る。あからさまに嫌々を装う俺だがその実、かなりの興味を覚えている。
――桜志会、か……一体、どんな連中がいる組織なんだ。
その実態を想像するだけで、ゾクゾクと興奮する己を感じていた。Attachments:
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