一井 亮治
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第二十四話
ベスト4が出揃い、いよいよメタバース・ワンがクライマックスへと向かいつつある。対J戦に向け着々と準備を整える俺だが、そこへSNSを通じ思わぬ人物から連絡が入った。
「聖子!?」
俺は慌ててスマホを取る。
〈優斗。今、連絡取れる?〉
〈もちろんだ。でもどういう事だよ。いきなり姿を消すわ、メタバース・ワンにアイスキッドとして参加するわ、一体、なぜ?〉
〈悪いけどその問いには、答えられない。けどせめてヒントだけでもと思ってね〉
聖子は断りを入れた後、本題に入った。
〈優斗。実はあの国境なき税務団だけど、桜志会とサイバー戦争があったの。無税国家か適正な納税か、それぞれのアイデンティティをかけてね。これに桜志会は勝った。敗北した彼らは今、手負のオオカミとなって周囲に牙を剥いている〉
〈ほぉ、危険な状態だな〉
〈えぇ、そこで彼らは今、最後っ屁とも言える破れかぶれの暴挙に出ようとしている。メタバース・ワンを乗っ取り、サイバーテロを目論んでいるの〉
聖子の文言に、俺は唸った。確かにそれっぽい動きはあった。国境なき税務団の焦りらしきものを感じていた俺は、聖子に同意しつつ応じた。
〈聖子、問題はない。次のゲームで俺はジェイソン扮するJと当たる。そこで白黒きっちりつけてやるぜ〉
〈や、多分、優斗は勝てない〉
〈どういうことだよ?〉
怪訝に思う俺に聖子は、続けた。なんでも彼らは今、Jに莫大な資本を投じているという。その規模たるや、中小国の国家予算レベルらしい。
俺はあまりの内容に声を失っている。
〈出来れば、優斗には棄権して欲しい〉
本音を切り出す聖子だが、俺は反論した。
〈聖子、悪いが俺は逃げるつもりはない。セイコ02も同様だ。たとえ勝ち目のない戦いでも、その中で何かを拾えるはずだ。おそらく決勝は、ジェイソンが扮するJと聖子が扮するアイスキッドの一騎打ちとなろう。俺はその礎になる〉
覚悟を示す俺に聖子が、そう言うと思ったと返した上で締めた。
〈とにかく気をつけて。健闘を祈ってる〉
聖子の忠告に反し戦う意志を示した俺であるが、その意味を痛感することとなる。まざまざとJの強さを思い知らされた。
満を持してセイコ02をサイバースタジアムに送り出した俺だが、試合開始早々、Jはとんでもない手を打ってきた。漆黒のボディーアーマーを投じたのだ。
「ブラックアーマーだと!?」
俺は思わず我が目を疑った。これはある種の禁じ手で、他と異なり死を前提としている。攻撃力、防御力、スピードともに最高値が与えられる反面、制御には膨大なタックスエナジーを消費する。
これをジェイソンは国境なき税務団が有する全ての資本を投じ、この一戦に挑んできたようだ。
――確かに聖子が棄権を促した気持ちも分かる。
大いに納得するものの、セイコ02は自ら戦う意思を示している。やむなく成り行きに任せることとした。
今、思えばこれが失敗だった。強引にでもセイコ02を撤退させるべきだったのだ。それほどまでにJのブラックアーマーの力は、凶悪に尽きた。
まず開始早々、セイコ02はそのボディーアーマーを木っ端微塵に打ち砕かれた。
反撃を目論むものの、Jはその余裕を与えない。たちまちセイコ02は、追い詰められそのライフをゼロ付近まで減らされていく。
――負けた……。
あっという間の敗北に愕然とする俺だったが、奴の凶悪さはここに止まらない。すでに決着のゴングが鳴ったにも関わらず、攻撃をやめないのだ。
――マズいっ!
動揺する俺は、審判にゲームセットを求めるものの、その要望はリジェクトされた。どうやらジェイソンに何かを仕込まれ、メタバース・ワンがハッキングされたようだ。
顔面蒼白となる俺は、画面に向かって吠える。
「おいジェイソン、もう決着はついただろう!」
答えはセイコ02への惨殺という形で返ってきた。
機能不全に陥ったメタバース・ワンのステージで思う存分、いたぶられたセイコ02は、真綿で首を絞めるように残り少ないライフを削られた挙句、誰もが目を背けたくなるような惨さで、デジタル生命体としての息の根を止められた。
まさに完膚なきまでの敗北である。俺は愕然とするあまり、声が出ない。
――ジェイソン……お前は異常だ。ここまでやる必要がどこにある。
セイコ02の四肢をバラバラに引きちぎった上で、その顔面を踏み躙り高笑いするジェイソンを、俺はただ見届けることしか出来なかった。
衝撃の敗戦から丸一日が経った。俺は未だにショックから立ち直れずにいる。セイコ02を投入したことへの懺悔の念が拭えない。
――俺が間違っていた。
後悔に苛まれた俺が悩んだ末に頼った相手は、親父だった。スマホを取った俺は、徐ろに電話をかける。数コールもしないうちに、親父が出た。どうやら俺の電話を予想していたようだ。
「親父、俺はもう分からない。どうすればいい?」
「ふむ。敗因は分かるか?」
「俺の怠慢と油断が起こした判断ミスだ。J、いやジェイソンを舐めていた。セイコ02の投入が悔やまれてならない」
「なるほど……いいだろう。全てを明かす。実は今、国境なき税務団への斬首作戦が進行中だ。表面上は政府関係機関が主体となっているが、実質的な起案は桜志会のメンバーだ。私を含めてな」
「ジェイソンなら先日も会ったぜ。見る限り野放しだ。なぜ誰も取り締まらない?」
「それは、奴が我々側のスパイだからだ」
これには、俺も言葉を失った。どう言うことなのか、意味をはかりかねる俺に親父が順を追って説明した。
「国境なき税務団の元首領、つまり、ジョン黒田だが、奴はまだ生きている。AIとしてな。彼は組織の理念を永続させるべく、自らの信条を人工知能に落とし込んだ。だから、未だに映像にも出来るし、会話も交わせる。まるで本人が生きているかの如くな」
「それって以前、話題になったパナソニックの松下幸之助の言動を基にしたAIみたいなやつか?」
「そんなところだ。つまり、これを破壊しない限り、組織は何度でも復活し壊滅できない。そこで我々は、会長の片桐先生を通じお前達を泳がせた」
記憶を遡らせた俺は、思わず声を上げた。
「じゃぁ何か? 俺を聖子と会わせたのも、母さんを国境なき税務団に亡命させたのも……」
「計算のうちだ。もっとも、ここまで派手に暴れてくれるとは思わなかったがな」
――相変わらず、いけ好かねぇ親父だぜ。
思わず舌打ちする俺だが、その計算高さには感服だ。なかなかの策士ぶりに呆れつつ、さらに疑問を投げた。
「ジェイソンだが、奴はどうなんだ。あの暴走ぶりは尋常じゃない。まるで二重人格だ」
「そりゃそうさ。二人いるからなら」
「はぁ!?」
「早い話がクローンだ。パーマネント・トラベラー(永遠の旅行者)のライフスタイルを許容することを条件に、国が協力を求めた」
「じゃぁ、俺が学校で会っていたのは」
「我々の協力者、サイバー空間を中心に暴走しているのが、国境なき税務団の現首領だ」
俺は呆れつつ頭を働かせる。親父の話を総括する限り、この案件は勝負所を迎えている。どうやら決戦の地は、あらかた定まっているようだ。
――要するに尻拭い、か。
しばし考慮の後、俺は言った。
「聖子に会いたい。Jの方は俺達に任せてくれ」
「うむ。そう言うことだ。後ほど連絡先を伝えよう。優斗、働きを期待している」
そこでプツリと通話が途切れた。無駄な挨拶や与太話が一切なく、一方的に用件だけ伝えるスタイルは相変わらずだ。
全ては仕事が優先する――そんな生き様しか送れない父に半ば同情しつつ、俺はスマホを確認した。そこには、父から受信した聖子の潜伏先と思しき場所が記されていた。Attachments:
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メタバース・ワンが佳境に差し掛かっている。俺はこれから始まるベスト4をかけたアネリさんとアイスキッドの闘いに注目している。
「一度、敗れたとは言え、戦力で言えばアネリさんだろうが……」
MCが会場を盛り上げる中、俺はコーヒーを片手にゲームの成り行きを睨んだ。よく筋書きのないドラマと言われるが、俺に言わせればあらすじくらいなら書ける。
賭けろと言われれば、断然アネリさんだ。事実、ギャンブルサイトのオッズも同様のオッズを弾き出しており、AIの予想も然りなのだが、俺はアイスキッドに隠し球らしきものを感じている。
――アイスキッドに扮する聖子の事情は、分からない。ただ勝負にはこだわる奴だ。本意ではないだろうが、何か小細工らしき仕込みは入れてくるはずだ。
画面に注視する俺だが、不意にスマホに着信が入る。その相手を見た俺は思わずコーヒーを吹いた。
――ミスターDじゃねぇか。アイツ、どのツラぶら下げて、いけしゃあしゃあと……。
俺は着信に応じるや否や吠えた。
「おいミスターD、どういうつもりだ。今度は一体、何を企んでやがる!?」
「そう言わんでくれ優斗、君を売ったことは後悔している。その埋め合わせと言っては何だが、これからゲストを送りたい」
――ゲストだと!?
俺が首を傾げていると、タイミングをはかったかの如くインターホンが鳴った。いぶかりつつも相手を確認した俺は我が目を疑った。
――ジェイソン!?
驚く俺は迷うことなく扉を開く。
「やぁ優斗、お邪魔するよ」
「ちょっと待て、お前と俺は敵同士のはずだ。というかそもそもお前、何者なんだよ」
「それも含めてここに来た。国境なき税務団筆頭としてのお忍びだ。お邪魔していいかい?」
――追い出す訳にもいかないか……。
意味深な笑みを浮かべるジェイソンに、俺は仕方なく手招きで応じた。コーヒーくらいは出してやった俺だが、PC画面の前で雁首を揃えながら、ジェイソンが切り出した。
「優斗。僕がここに来たキッカケは、優子さんなんだ」
「母さんが!? どういうことだ?」
「国境なき税務団からの逃亡をはかった。その結果がこれさ」
ジェイソンは自身のスマホをかざす。その画面には、身体中に爆弾を巻きつけられた母の姿が映し出されている。しかも乱れ髪の頭には幾本ものコードが繋がれ完全に電脳化されていた。
あまりにも衝撃的な姿に、俺はしばらく言葉を失った。
「……お前、一体、俺の母さんをどうする気だ!?」
「僕はどうもしない。ただうちの反乱分子が、これを放っておかなくてね。結果、彼女には我がサイバー戦力の人柱になってもらおうとあいなった」
「協力を拒めば爆死って訳か……」
俺は怒りに震えながらジェイソンを睨む。その上で感じた疑問をぶつけた。
「ジェイソン。そこまでするなら、なぜか母さんの命を取らないんだ。しかもこの俺の家にまで押しかけて」
「仕方がないさ。この女がそうさせまいと凄むんだから。変わらないね。お節介というか……」
ジェイソンは、冷めた目でPC画面を指差す。そこには、試合を控えるアイスキッドの姿が映し出されていた。
よく分からないものの、どうやら聖子が消え、アイスキッドとしてメタバース・ワンに単独参加した要因は、俺の母を守るためだったらしい。
ただ微妙な事情ゆえに何も言わずに俺の前から去り、自身の正体を伏せ阿吽の呼吸で閉塞状態の打破を目論んでいるようだ。
――アイツらしいな。
俺は、改めて聖子が時折見せる奥ゆかさに感じ入っている。PC画面上でアイスキッドとアネリさんが対峙する中、ジェイソンが問う。
「優斗。一つ賭けましょう。どちらが勝つとお思いですか?」
「アイスキッドだ」
「ほぉ……いいでしょう。もし、聖子扮するアイスキッドが勝てば、優子さんの身の安全は、この僕が保証しますよ」
ジェイソンが破格の条件を示す中、俺はPC画面に注視する。互いに間合いをはかる二人だが、やがて、意を決したかの如く激突した。
双方とも巧みに相手を牽制しつつ、ステージ上のコインを吸収していく。ある程度のタックスエナジーをゲットしたところで、アネリさんが仕掛けた。
なんと自らのボディーアーマーを、ゴールドへと変化させたのだ。
――アネリさん、もう俺の隠し技をモノにしたのか!?
凄まじいキャッチアップぶりに俺は驚きを隠せない。
「優斗、どうやら一発勝負となりそうですね」
「みたいだな」
俺は生返事しつつ、勝負のなりゆきを見守っている。と言うのもこのゴールドアーマーは、瞬間的に戦力を飛躍させる長所がある反面、その状態が安定せず長持ちしない欠陥を抱えているのだ。
ゆえにその勝負は、一撃で決めざるを得ない。案の定、アネリさんが仕掛けた。アイスキッドのガードの上から、強引に渾身の一撃を放った。
いかに防御を固めようとも、ゴールドアーマーの一撃を受けては、ひとたまりもない。ジェイソンが冷徹につぶやく。
「勝負あり、ですね」
「……や、これからだな」
反論する俺の目の先には、スッと姿を消し去り、別の場所に出現したアイスキッドの姿がある。
「ほぉ。囮の幻影、ですか」
ジェイソンは、意外そうに舌を巻いている。まんまとアネリさんを騙したアイスキッドは、ここぞとばかりに畳み掛けた。だがアネリさんもさるもので、取っておきのタックスエナジーを注ぎ込み応戦している。
息もつかせぬ激しい応酬を打ち破ったのは、アイスキッドだった。アネリさんの一撃に自身のボディーアーマーを粉々に砕け散らせつつも、反撃の拳を叩き込んだ。
これにはアネリさんも敵わない。決着のゴングが鳴る中、勝利を勝ち取ったアイスキッドは、拳を突き上げた。その姿は紛うことなき聖子のそれだった。
ジェイソンは、パチパチパチと手を叩く。
「いいでしょう優斗、約束です。優子さんの身は、保証しましょう。もっとも僕には、それほどの時間も残されていないのですが……」
「〈183日ルール〉だな」
「ほぉ、それをどこで?」
意外げな表情を見せるジェイソンに、俺は核心を突いた。
「ジェイソン、悪いがお前の事は色々調べさせてもらった。これまで一つの国に183日以上、滞在したことがない。理由は税金だ。居住者としてカウントされる前にその国を去り、別の国へ転々と移動を繰り返す。非居住者として合法的にどの国にも税を払わない節税スキーム、つまり、パーマネント・トラベラー(永遠の旅行者)というわけだ」
じっと聞き役に徹するジェイソンに、俺はさらに続ける。
「5フラッグ理論ってやつだな。不確実な世界情勢に対応し、一個人として国の介入を排除し、国家に依存しない永遠の旅行者。国籍・住所・ビジネス・資産運用・余暇を五つの国で使い分け、国家にとらわれず、自由を求めて世界を旅する独立した個人、それがお前の本質だ」
「えぇ、それが何か?」
「別にそのライフスタイルを否定はしないがな。実の父を手にかけ、国境亡き税務団の地位を承継するとなれば話は別だ。言っとくが、武富士事件の贈与税スキームならもう抜け道はないぜ」
畳み掛ける俺にジェイソンは、冷笑を交え言った。
「優斗、申し訳ないが、僕が亡き父の殺人に関与した証拠は何もない。全ては憶測の状況証拠でしかない」
「そう。お前は全てがそうだ。拘束を巧みにすり抜ける幻影。悪いが俺はお前を認めない。それをこのメタバース・ワンで思い知らせてやる」
「結構。相手になりましょう。このままいけば準決勝は君との勝負となる。大いに励むことですね」
ジェイソンは、大胆不敵にも俺の宣戦布告を受け取るや、俺の家を去って行った。Attachments:
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下校中の俺は、帰路の途上でメタバース・ワンの結果を確認している。
――どうやら全ての予選ブロックが終了したみたいだな。
俺は運営からのアナウンスを開くや、新たに発表されたトーナメントに目を走らせた。一回戦で当たるのは、以前、模擬戦でセイコ01が圧倒した防衛省と国税徴収部のタッグだ。
国の根幹を担う者同士で結成したデジタルファイターで、コードネームを〈サムライX〉と称している。決戦は、今夜の十時だ。
――フフッ、リベンジという訳か。いいだろう。デジタル時代の国の番人たり得るか、俺がテストしてやる。悪いが手加減する気はないぜ。
帰宅した俺は早速、PCを立ち上げたるや、晩飯のカップ麺をすすりながらセイコ02のメンテナンスへと入る。入念に細部を調整しつつ、対サムライX戦の準備を施していく。
なお、決勝トーナメントのステージは、白を基調とした幾何学的な空間らしい。勝敗の鍵は、距離制約のないステージに設けられたギミックだ。
これを駆使し、伏せられたタックスエナジーの源となるコインをゲットすることで、ボディーアーマーを強化変形させ戦いを有利に運ぶことができる。
「要するにサイバー空間における徴税技能の実地開発だな」
大会の真意を見抜いた俺は、いかなる試合運びを見せるか頭を捻っている。その辺は実に徹底しており、いざというときのための奥の手まで考慮を済ませていた。
やがて、試合開始の時間が到来する。
「よしセイコ02、行け!」
俺の合図を受けセイコ02がステージ入りした。ボディーアーマーのモードは黄色である。これは戦闘力は他より劣るものの、ゲットしたコインを倍に飛躍させるモードだ。
意外なのは、サムライXもこの色で揃えてきたことだ。パワー重視の武骨な外見に似合わぬ守銭奴っぷりに俺は、思わず突っ込んだ。
――おいおい、武士は食わねど高楊枝だろう。
嘲笑する俺だが、勝利に向けたなりふり構わぬ姿勢には、感じ入るものがある。ゴングが鳴る中、俺はコインを求めセイコ02にステージ中を疾走させた。無論、サムライXと戦いつつだ。
互いを牽制しながらも、様々なギミックを駆使しコインに変えていく駆け引きに、ネット界隈は早くも興奮の渦である。
一方、当事者の俺は、以前の模擬戦からガラリとスタイルを変えたサムライXに舌を巻いた。
――よくこの短期間にここまでレベルを上げたな。設計思想もかなり理解出来ている。流石だ。
ほぼ互角の展開を見せる中、俺は頃合いを図っている。やがて、ステージのコインをほぼ取り終えたと見たところで、セイコ02に命じた。
「セイコ02。もうコインはいい。バトルだ!」
セイコ02は反転するや、サムライXとの格闘戦に入る。互いに潤沢なコインを得ているだけに、その破壊力は凄まじい。
ステージ上の構築物を次々に巻き込みながら繰り広げられるバトルは、もはや戦争だ。一進一退の攻防を皆が固唾を飲んで見守る中、俺はもう一つの頃合いをはかっている。
――そろそろだな。本当なら決勝まで取っておきたかったが……。
残りコイン数を横目に置きつつ、俺は言った。
「セイコ02、やれ!」
指示を受けたセイコ02は、サムライXと距離を取る。ファイティングポーズを解くや、黄色のボディーアーマーに隠された特別モードを起動させた。
その瞬間、セイコ02のボディーアーマーが七色の光を放ち、異質なモードへと変化させていく。金色に煌めくゴールドアーマーである。
これには、サムライXも意表を突かれたようだ。観衆も完全に言葉を失っている。無理もない。セイコ02の戦闘力数値が一桁跳ね上がったのだ。
実はこれこそが、このボディーアーマーの本質でもある。制限はあるものの、タックスエナジーを極限のフルパワーにまで高めることが出来るのだ。
それは開発者の俺だから知る秘密の高等ノウハウである。この荒技に周囲が愕然とする中、俺はセイコ02に命じた。
「今だ。サムライXを始末しろ」
そこからの展開はあっという間だった。互角の健闘を見せていたサムライXは、たちまち守勢へとまわり、気がつけばエナジーがゼロになっている。
トドメとばかりに飛び膝蹴りを放つセイコ02に、サムライXはマットへと崩れ落ちた。その圧勝ぶりは会場の全員を驚愕させるに十分な内容だった。
俺は敗れたサムライXの健闘を称えつつ、その限界にも気付いた。
――確かにボディーアーマーの本質をよく理解できている。だが、所詮はコピーだ。オリジナルには勝てない。なり切る努力が足らなかったのだろう。
努力は夢中に勝てない――その事実を俺は改めて痛感していた。
さて、決勝トーナメント初日を白星で飾った俺だが、これには後日談がある。下校途上の俺の前にサムライX扮する三十前と思しき自衛官が直接、押しかけてきたのだ。
後藤三尉といい、桜志会を通じて俺の学校を教えてもらったらしい。
――な、何だ。殴られるのか!?
屈強な肉体を前に身構える俺だが、後藤三尉は十歳程歳下の俺に頭を下げてこう迫った。
「なんで俺は君に勝てないんだ!」
――はぁ……プロって凄いこと聞くな。
俺は心の底から感服しつつ、思うところを述べた。どうやら後藤三尉にも思い当たる節があったらしい。大いにうなずきつつ、俺に言った。
「確かにそうだ。俺は対策を叩き込まれはしたが、四六時中熱中する程の熱さはなかった。完敗だな」
素直に負けを認める後藤三尉に、俺はこう思った。
――アツいなこの人、暑苦しい。タイプが昭和だ。きっと俺より強くなるわ。
意気投合した俺と後藤三尉は、ファーストフード店で互いに意見を交わした。何でも自衛隊サイバー部隊きってのエースで、国税徴収部とのタッグにいの一番で参加を表明したという。
言わばエリートとして出世の道具にしようとしていたらしいのだが、思わぬ挫折を味合わされ今回のエントリーに至ったとのことだった。
「適正な納税は、国土防衛の要でもある。自分は何とかここで足跡を残したい」
ざっくばらんに語る後藤三尉の熱意に俺は共鳴すること大だ。その後、互いの連絡先を交換したのだが、その別れ際に後藤三尉は置き土産とも言える貴重な情報を残してくれた。
「優斗君。ここだけの話、今、国境なき税務団を率いているのはジョン黒田ではない。手を下したのは、J扮する息子のジェイソンだ。今、彼らは内紛の最中でその渦中に君のお母さんがいる」
――母さんが!?
身を乗り出す俺だが、後藤三尉の口は固い。
「すまない。俺に言えるのは、ここまでだ。だが、君の健闘は祈っている」
俺は去っていく後藤三尉の背中を、ただ見送るしかなかった。Attachments:
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メタバース・ワンは順調に進んでいる。予選リーグをトップで通過した俺は、はや決勝トーナメント入りを決めている。その後も続々とお馴染みのメンバーが続く中、思わぬ人物が接触してきた。
それは新学期の初々しさが残る四月中旬だ。帰宅途上の俺の前に一台の車が滑り込んできた。その運転手に俺は思わず目を疑う。
「ミスターDじゃないか!?」
驚く俺にミスターDは、ニヤリと笑みを浮かべつつ車内へと促す。俺は警戒しつつも助手席に乗り込み、問うた。
「ミスターD、普段は身を隠しているお前が一体、何用だよ?」
「プレゼントだ」
ミスターDは、ひと束の資料を俺の前に放った。不審に思った俺は、内容に目を走らせ思わず息を飲む。そこには、母の居場所に関する情報が記されていた。
俺は驚きつつもミスターDに疑ってかかる。
「ミスターD、お前とも付き合いは長い。一体、どういうつもりなんだ。この情報を買えってことか?」
「それには、及ばない。全てタダで提供しよう」
「ほぉ、で、コイツが本物である保証は?」
「お前次第だ。優斗」
淡々と語るミスターDに俺は、疑惑の目を向けている。
――コイツには何度も騙されたが、その情報力ゆえに隅にはおけない。果たして今回はどうなのか。
悩んだ挙句、俺はその情報を信じることとした。車を降りミスターDを見送った俺は、早速、母の居場所と目される雑居ビルを訪れた。
インターホンを鳴らしたものの、反応はない。試しにノブを捻ると扉の鍵が開いている。意を決し中へ踏み込んだ俺だが、そこで思わぬものと遭遇した。
「ジョン黒田!」
あろうことか国境なき税務団のボスが倒れている。慌てて駆け寄るも既に脈はない。動揺のあまりよろめく俺だが、そこへ待っていたかの如くパトカーが押し寄せた。今、彼らに見つかれば、俺は殺人の容疑をかけられ一貫の終わりだ。
――くそっ、まんまと嵌められた。ミスターDの奴、俺を売りやがったな。
俺は、忸怩たる思いで裏口からの脱出を目論む。何とか路地裏へ逃れたものの、警察は着々と捜査網を狭め、俺を追い詰めていく。
――万事休す、か。
絶望する俺だが、ここで思わぬ助け舟が現れる。スマホにメール着信が入ったのだ。相手を確認した俺は、思わず声をあげた。
「アイスキッドだと!?」
何でも秘密の逃走ルートがあるらしい。半信半疑ながらも、俺はメールにあるルートを探ってみると、確かに逃走に可能な地下道が続いている。
俺は、最後の望みとばかりにそのルートにかけた。祈るような気持ちでドブネズミの如く地下道を進んでいく。すると、見事に警察の包囲網から脱することが出来た。
「助かった……」
無事に地上へと這い出た俺は、安堵のあまりヘナヘナとその場に尻餅をついた。同時に謎のメール送信者である〈アイスキッド〉に謝礼のメールを送る。
願わくば、その正体を問いただしたかった俺だが、敢えて差し控えた。おそらく聖子だと推測されるものの、どうやらその正体を大っぴらに晒せない事情があるらしい。
――ここは当面、阿吽の呼吸だな。
俺はアイスキッドとのやり取りを程々に、帰路へとついた。「一体、どうなってるんだ!?」
俺が憤るのは、翌朝のニュースだ。死んだはずのジョン黒田がごく自然に演説しているのだ。
――昨日、確かに俺はジョン黒田の死体を目の当たりにした。あれは紛れもないジョン黒田本人だった。俺は一体、何を見せられているんだ。
困惑を隠せない俺だが、世間ではジョン黒田は健在なことになっている。もっともその映像が本物であることを証する手段は、何一つない。まるで狐に摘まれたような気分である。
学校へ向かった俺は、真っ先にジェイソンに噛みついた。
「おいジェイソン。一体、どうなってるんだ!?」
「何がです?」
「何が、じゃねぇ。ジョン黒田は死んだんじゃなかったのか」
吠える俺にジェイソンは、微笑を浮かべつつ応じた。
「優斗、この世というのは所詮、幻影なんです。次の瞬間には消えてしまうかもしれない儚い幻影……それでも、そこに夢を見てしまう。人間というのは実に愚かな生き物です」
「はぁ!?」
首を傾げる俺をおちょくるかの如く、ジェイソンは続けた。
「これから本格的な電脳社会が来る。その先陣を切るのは、ジョン黒田か。それとも……」
――ダメだ、これは。
俺は、ジェイソンに答えを求めることを諦めた。とは言えこれといった手がかりもなく、俺としてもいつも通りの生活を続けるしかない。
ホームルームが始まり席についた俺は、担任の長話をよそにメタバース・ワンについて頭を整理した。
目下のランキングは、セイコ02をJら他のメンバーが追っている。よそのグループでは、アイスキッド、アキムさんがトーナメント入りを決めているのだが、意外なところでは、ミスターDが敗退している。
「ざまぁみろだ。俺を売りやがった罰だ」
俺としては、実にいい気味である。
無論、メタバース・ワンが抱える裏ミッションも忘れてはいない。デジタル時代に即した課税技術の向上だ。いわゆるデジタルサービス税である。
――デジタルプラットフォームへの課税は、従来の税制で捉えにくい。最終的には強制執行となるが、仮想空間でいかにデジタル戦力を備えるか、その一里塚が国境なき税務団対策だな。
頭によぎるのは、ジェイソン扮するJだ。奴らのデジタル戦力が結実したJをいかに倒すか。俺はPCを前に連日、対策を練っている。
やがて、ホームルームが終わり休憩時間に入った。トイレへと立ち上がった俺を担任が呼び止めた。
「おい優斗、進路の用紙はどうした。出していないのは、お前だけだぞ」
「あー……スミマセン。あの、すぐ出しますんでもうちょっと待ってください」
俺は担任に断りを入れ、逃げるようにトイレへと向かった。
――進路、か……。
俺は一人、つぶやく。かつてはネットベンチャーかもしくは起業を考えていた俺なのだが、実は今、新たな道について真剣に模索している。
――税理士も悪くないかもしれない。
これまで親父への拒絶反応もあって完全に選択肢から取り除いていただけに、俺は考えを改めている。ただ、決断に至るほどの覚悟までは持てずにいた。Attachments:
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メタバース・ワンは、華やかな開会セレモニーを終え予選リーグへと突入した。初戦を任されるのは、知名度で鳴るセイコ02だ。
「優斗、健闘を祈る」
部屋を去る親父を見送った俺は、満を持してセイコ02をサイバー・スタジアムに投入した。その途端、割れんがばかりの大歓声が沸き起こった。
――凄い人気だな……。
あまりの反響に俺は、やや面食らい気味だ。確かにその名が広く認知されているとはいえ、この反応は想像をはるかに上回るものがあった。
〈さぁ、数々の戦士を葬っていたデジタル生命体に死角はないのか。注目の一戦だ!〉
MCがさらに観客を煽っていく。会場のボルテージが最高潮に達する中、対面ステージに初戦の相手が現れた。それは、セイコ02の同様のデジタルファイターである。
俺は呆れながら、そのナリを見渡した。
――確かに同じデジタル生命体だが、ファイターとして肝心の魂が入っていない。しかもこの中途半端なパクリ方……間違いない。ミスターDだ。
俺はセイコ02に命じた。
「作戦はお前に託す。一つ、格の違いを見せてやれ」
セイコ02は了解の仕草とともに、自律戦闘モードに入った。選んだモードはスピード系の赤とノーマル系の白を七対三でブレンドした、やや速さ重視の紅ピンクだ。
対するミスターDは、流石にボディーアーマーを変幻自在にパラメータさせられる機能までは及ばなかったらしく、白一色である。
そんな中、二体のデジタルファイターは対峙した。
まさにゴングが鳴ろうかという寸分の一秒前――ミスターDのデジタルファイターが仕掛けた。セイコ02への姑息な奇襲である。
――少しでも有利に勝負を運ぼうって訳か、見え透いた魂胆だな。
呆れる俺だが、ここで不可解なことが起きる。襲撃側であるミスターDのデジタルファイターが、糸が切れた操り人形の如く、くたくたとマットに崩れ落ちたのだ。
その傍らには、ほとんど動きを見せていないセイコ02が立っている。
〈何だ。何が起きた?〉〈一体、どうしたのだ?〉
皆がキョトンとする中、会場に設営された電光ビジョンに、勝負の瞬間が映し出された。
そこには、ほんの一瞬の隙を突いたセイコ02の見事なカウンター技が確認できた。驚くべきはその速さだ。誰も気づくことすら出来ないほどの、凄まじい瞬殺ぶりだった。
〈凄い!〉〈これが真のデジタルファイターの威力なのか!〉
真相を目の当たりにした観客の盛り上がりたるや、主催者の想像をはるかに超えた。あまりの熱量にサーバーがダウンする始末である。
開始早々にしてミスターDのデジタルファイターに黒星がつく中、セイコ02はヘルメットを収納する。
表に晒されたその冷徹な表情を眺めつつ、俺は心の中でつぶやいた。
――悪いなミスターD。だが、もし俺がパクるならもっと徹底的にやる。それこそ設計思想までしゃぶり尽くすぜ。
初日を終了させたメタバース・ワンだが、思わぬ波乱もあった。優勝候補筆頭であるエストニアのアネリさんが、謎の青いファイターに敗れたのだ。
無論、予選リーグであるため即敗退とはならないが、それでも黒星には違いない。アネリさんに土をつけたその相手こそ〈アイスキッド〉である。
青いヘルメットで面を隠してはいるものの、その戦いぶりをチェックした俺は、確信した。
――間違いない。聖子だ。
問題は、なぜナリを偽ってエントリーしたのかだ。その謎を敗れたアネリさんに電話でぶつけてみると、同じような答えが返ってきた。
「多分、国境なき税務団絡みですね」
「でも理由が。何が目的で俺達の元を去り謎のファイターでエントリーを?」
「洗脳されているのか、もしくは別の事情を抱えているのか。とにかく要注意プレイヤーです。優斗も目を離さないで」
アネリさんは、そう言い残し通話を切った。俺は、改めて録画を眺めている。
ちなみにアイス・キッドのボディーアーマーの青は、変幻自在さに長けた機能のモードだ。イメージは〈水〉である。
〈型を捨て形をなくせ。容器に注げば容器に、ポットに注げばボットに。まさに水は自在に動き、ときに破壊的な力をも持つ〉
ジークンドーを創設したブルース・リーの言葉だが、まさにこれを体現したファイターのエッセンスを凝縮させたような戦いぶりだった。
さらに気になるのは、母の情報だ。Jのサポートについていることは、疑いようもない。様々な痕跡データがそれを裏付けている。
ただ、俺はそこに何か迷いのようなものを感じた。
――案外、母さんは国境なき税務団を抜けたがっているんじゃないか。
そんな疑念すら覚えるのだ。もしそれが事実なら、必ず何らかのサインを送るはずである。それをいかに見抜き、母を国境なき税務団から脱退させるか、俺は頭を痛めていると、まさにその件について着信が入った。
相手は、あの桜志会会長の片桐先生だ。
「やぁ、優斗くん。初戦の圧勝劇、実に見事だった」
「ありがとうございます。あの……もしかして母の件ですか?」
「ほぉ、よく分かったな。防衛省と国税徴収部のタッグがJに敗退した。これは間違いなく君の母さんの仕事だ。税務当局はいかに彼女を日本に亡命させるか、頭を痛めている」
「片桐先生。それなんですが、一つ手があります」
俺は思うところを述べた。はじめこそ疑いを持って聞いていた片桐先生だが、話が佳境に差し掛かるにつれ非常に興味を示し、最後に至っては声をあげて笑って見せた。
「優斗君、なかなかの策士ぶりじゃないか。分かった。あくまで水面下ではあるが、我が桜志会も大いに協力しよう。必要なものを言ってくれ」
「助かります。では……」
俺は幾つかの依頼を投げたところ、片桐先生は全てを即答で了承してくれた。
「片桐先生、感謝します」
「それには及ばない。おそらく今が変わるべきタイミングなのだ。これを新たな時代に即した税務業務や支援体制を整える機としたい。今後も協力は惜しまない。君の健闘を祈っている」
片桐先生は頼もしげに語り通話を切った。Attachments:
You must be logged in to view attached files.「聖子がいなくなった!?」
学校でその知らせを受けた俺の動揺たるや、半端ではない。真っ先にジェイソンの元に駆けつけるや吠えた。
「おいジェイソン。一体、どう言うつもりだ!?」
「何がです?」
「何がもへったくれもねぇ。聖子をどこへやった?」
激昂のあまり胸ぐらを掴んでいることに気付かない俺に、ジェイソンは冷静さを崩すことなく返答した。
「だから、言ったでしょう。サイバーはサイバー、リアルはリアル、と」
「つまり、現実世界の方で身柄を押さえたってことか?」
「優斗、この僕が言うのもなんですが、あまり国境なき税務団を舐めない方がいい。彼らは理念のためならテロ、拉致、殺人も厭わない連中だ。下手に動けば、最悪の事態もあり得ますよ」
淡々とした口調ながらも強迫も辞さないジェイソンに俺は怒りが収まらない。聖子の命という切り札を握られていなければ、とっくにぶっ飛ばしているところだ。
俺は感情を押さえつつジェイソンを突き離すや、矛先をミスターDへと切り替える。スマホを開きチャットで問いかけたのだが、待っていたのは、判を押したような答えだった。
〈ノーコメント〉
どうやらミスターDも国境なき税務団絡みでの協力を拒んでいるらしい。極め付けは、谷口エンタープライズだ。隼人さんに電話をかけてはみたものの、その返答は実につれない。
「優斗君。悪いが、この件に関して我々は何も出来ない」
「隼人さん、谷口社長さんに変わってください」
「無理なんだ。これは社長直々の命令なんだ。すまない」
一方的に詫びを入れ、隼人さんとの通話は切れた。まさに八方塞がり、四面楚歌だ。その後も四方八方に手を伸ばしものの、大した情報は得られない。どん詰まりの中、俺はよろよろと夕暮れの公園のベンチに腰かけ頭を抱えた。
――もはや頼るべき相手がいない。下手に動くこともできない。どうすりゃいいんだ。
俺は改めて己の無力さを嘆く。いくら這いずりまわろうと出来ることなど限られている。所詮、俺は一介の高校生に過ぎないのだ。その現実に直面した俺は、痛切に身の程を思い知らされた。
どれほど時間が経っただろう。不意にベンチで呆然とする俺に声がかかった。
「そんな場所にいたら、風邪を引くぞ」
驚き顔を上げた先にいた人物に俺は、思わず声を上げた。
「親父!?」
確定申告の繁忙期にも関わらず、事務所を空にした親父は、俺にホットの缶コーヒーを手渡しながら、隣に腰掛けた。
そこで一言、ポツリと述べた。
「優斗、今は動くな。思惑が錯綜している。下手をすれば、聖子さんだけじゃなくお前に危険が及ぶ可能性だってある」
「じゃぁ、何もせずただ黙ってろっていうのか?!」
「機を待てと言っている。それが出来ないからお前は、いつまでたっても子供なんだ」
「そういう親父はどうなんだ。大人ならどうすべきだって言うんだよ」
声を荒げる俺に、親父は言った。
「人生をかける」
――どう言うことだ?
意を察しかねる俺に親父は、こんこんと説いた。
「あのな優斗、お前の喧嘩は、感情だけで突っ走る駄々っ子の喧嘩なんだよ。大人は違う。これまで何十年とひたすら積み重ねてきた人生の全てを棒に振る覚悟で喧嘩するんだ。その覚悟がないうちは、争いなどしないことだ」
黙り込む俺に親父は、さらに続ける。何でも今、この事態に対処すべく桜志会が本格的な策を講じているという。ただ、その内容はあまりにセンシティブで機微に触れるだけに、水面下に止め、公には出来ないとのことだった。
「今回の件に関して言えば、要するにお前は目立ち過ぎたんだ。動くときは動くが、いざ待つとなれば腐るまで待つ。お前ももうその歳だ。そのくらいの度量は持て。ストレートだけで通じる程、世間は甘くないぞ」
親父はそう言い残し、ベンチから立ち上がるや俺の元を去っていった。その後ろ姿を見送った俺は、誰に言うでなしに呟いた。
「大人の喧嘩、か……」
ひと月が経った。まだつぼみが固いとはいえ桜がチラホラと咲き始めている。そんな中、新たな年度を迎えた俺は、高校二年生へと進学した。
その間、俺は親父に言われた通り待った。聖子への想いを封印し、表だった行動は控え続けた俺だが、その水面下では激しい鍔迫り合いが行われていることを知っている。
そんな中、一つのプロジェクトが秘密のベールを脱ぐ。谷口エンタープライズが主催する世界を股にかけたサイバー空間上の電脳格闘大会〈メタバース・ワン〉である。
「かつて、聖子が夢見た大会が、現実の形となった」
俺は感無量だ。ちなみにこの大会の出資者には桜志会が名を連ねている。この件について、俺はあらかじめ親父から知らされていた。
PC画面を前に親父は言った。
「優斗、いよいよ桜志会が本腰を上げる。お前を全面的にサポートするから、大いに暴れろ」
「もちろん、そのつもりさ。けど、いいのか? 何かあったら俺では責任が持てないぜ」
「気にしなくていい。その際は私に任せてくれ」
親父は断言した上で、一封の紙を見せた。桜志会に何かあった場合に、備えての辞表だ。
驚く俺に親父が断言する。
「優斗、勝ち戦はお前に任せる。ただお前では手に負えなくなったとき、負け戦は私が引き受けよう。いいな?」
念を押す親父に俺は黙ってうなずいた。
さて、大会のルールであるが、全プレイヤー総当たりの予選リーグ戦で、通過したファイターが、最終トーナメント戦へと駒を進めるスタイルだ。
エントリーが世界中から殺到する中、俺はセイコ02で戦いを挑もうと考えている。狙いは言わずもがな、聖子だ。
――聖子は、必ずこの大会に姿を現す。その時こそが国境なき税務団を追い詰めるチャンスだ。
意気込む俺の鼻息は荒い。実はこの一月、行動を極力控えていた俺だが、セイコ02の自己学習だけは進めていた。
「聖子が何を考え、どう行動するか」
俺は可能な限りのデータを入力し、自信を持ってこのデジタル生命体を送り込んだ。やがて、全ての募集が打ち切られ、ファイターのメンバー表が送られてきた。
連なる参加者の中で、俺は一人のファイターに目を止める。そこに記されたコードネームに思わず声を上げた。
「〈アイスキッド〉だって!?」
俺はそのコードネームを知っている。かつて、防衛省との模擬演習の際、聖子につけられた名前だ。
さらに別の箇所には、国境なき税務団で知られるコードネーム〈J〉のジェイソンや、ミスターDのものと思しきファイター、以前、模擬戦で一戦を交えた防衛省や国税徴収部も名を連ねている。
他にもかつて、エストニアを訪問した際に、随所を見学させてくれたアネリさんの名前や、かつてのハッカー仲間など、実に多種多様なメンバーが一堂に集結していた。
その陣営たるや、壮観たるものである。
「どうやら波乱の幕開けとなりそうだ」
感想を述べる親父を傍らに、俺は闘いへの覚悟を固めながらVRセットを装着した。
やがて、メタバース上に今大会〈メタバース・ワン〉の主催者である谷口エンタープライズの谷口社長がアバター姿で登壇した。開会宣言を告げるスピーチが世界に向かって翻訳されていく。
曰く、サイバー空間の世界一を決めようではないか、と。
「望むところだ」
俺は画面を前に武者震いを覚えている。誰もがメタバースの歴史を切り拓かんと意欲に溢れる中、親父は釘を刺すことを忘れない。
「優斗、分かっていると思うが、自分の立ち位置だけは踏み外すな」
「あぁ、分かってるさ」
うなずく俺の脳裏に、メタバース・ワンが秘める裏ミッションがよぎる。それは国境なき税務団の打倒と、税務における概念フレームワーク構築だ。デジタル化に対し徴税はいかにあるべきか、適正な徴税のあり方を探らんとする切実な実情があった。
――国境なきネットは税を簡単にすり抜けてしまう。いかにデジタル時代に有効な課税技術を確立するか。その鍵を見つけるのが、このメタバース・ワンだ。
早い話が主催者と税務当局の橋渡し役である。これを桜志会が買って出るとともに、その先に聖子の救出も見据えていた。Attachments:
You must be logged in to view attached files.第十九話
圧倒的なスピードで聖子は、最終ステージまで駆け上がる。待っていたのは、このエリアを統括する集中コンピューターだ。国境なき税務団の中枢とも言える最深部を前に、聖子は気を昂らせている。
「いよいよラスボスの登場ってとこかしら」
警戒しつつ、内部へと進んだ先に待っていたのは、宙に浮かぶ一枚の鏡だった。その鏡面に聖子がうつった瞬間、表面にヒビが走る。凄まじい破裂音とともにその鏡は木っ端微塵に砕け散った。
問題は、その中から現れた人影だ。俺達は、我が目を疑った。そこには、寸分変わらぬ聖子の姿があった。
「何これ、どう言うことよ!?」
戸惑いの声を上げる聖子に、俺は舌打ちする。
――母さん、そこまでやるのか……。
俺はインカムを取るや、モニター越しに吠えた。
「聖子、そいつはドッペルゲンガーだ」
「何それ?!」
「自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種で、自己像幻視現象……つまり、早い話が自分とそっくりの姿をした分身だ。厄介な事に、攻撃が出来ない。与えたダメージがそのまま聖子にも跳ね返ってくる」
「えぇ!? じゃぁ、どうすりゃいいのよ」
モニターの聖子が困惑する中、俺は隼人さんに意見を乞うた。流石の隼人さんもこれは、想定外だったらしい。苦悩の挙句、こう言った。
「優斗君、三十六計逃げるに如かず。君子危うきに近寄らずだ。ここは……」
「脱出ですね」
念を押す俺に隼人さんがうなずく。俺は再びインカムを取った。
「聖子。ここらが引き際だ。これから脱出路のデータを送る。うまく逃げてくれ」
「随分、簡単に言ってくれるわね」
聖子は愚痴りつつも、俺達の指示に従い逃避を図る。何とか白い仮想空間からの脱出には成功したものの、分身の追跡は終わらない。退却を図る聖子を執拗に追い続けてくる。
「さて、どうするか……」
俺は頭を大いに捻った。目下、物陰に隠れやり過ごしている聖子だが、分身は一帯を周回中し完全に逃してはくれない。
打開策を待つ聖子に、俺と隼人さんは書類の山をひっくり返し、マニュアルに目を走らせた。だが、これといった打開策は見当たらない。
――参った……。
頭を痛める俺だが、ふとひっくり返した鞄から溢れた書類が目に入る。見ると、たまたま親父から持たされていた税務書類である。そこには、こう書かれていた。
〈贈与税は、相続税の補完税である〉
――補完税かぁ……。
俺は全く無関係の分野に思わぬ活路を見出した。ドッペルゲンガーが分身だとすれば、贈与税と相続税のように似て非なる共通関係があるのではないかと考えたのだ。
そこからは早かった。俺は閃きと着想をもとに、突貫でプログラミングを施して行く。隼人さんと確認作業を終えるや、インカムを取る。
「聖子、付け焼き刃だが修正パッチを送る。確認してくれ」
「了解……って、ちょっと何よこれ!?」
思わず声を上げる聖子に、俺は苦笑しながら言った。
「ちょっとした分身対策さ。いいか聖子、奴はファイターであってファイターでない。戦ったら負けなんだ」
「ふーん……よく分からないけど、軍師殿に従うわ。私の命、アンタの策に預けたからね」
こうと決めたら迷いを完全に断ち切るのが聖子だ。意を決し物陰から飛び出すや、ドッペルゲンガーとの間合い一気に詰めた。
無論、ドッペルゲンガーもこちらに気付いたが、その対処がままならないうちに、聖子は見事なタックルを決めた。
さらにマウントを取り、ドッペルゲンガーから体の自由を奪った上で、額を手で押さえ、俺が送ったばかりのプログラムを一気に流し込んだ。
「いい? アンタは私の補完体。本体と分身の関係なんだから仲良くやりましょう」
うそぶく聖子にはじめこそ抵抗を見せていたドッペルゲンガーだが、全てのダウンロードが終了するや否や、まるで電源が落ちたように静かになった。
「どうやら成功のようよ。軍師殿」
笑みを浮かべる聖子に、俺はほっと安堵の溜息とともに胸を撫で下ろす。額の汗を拭うや、傍らの隼人さんとハイタッチを交わした。
かくして任務は終了した。可能な限りの情報収集に成功した俺達は、サイバー空間から戻ってきた聖子を交えデータ解析を進めていく。
そこで明らかになったのは、国境なき税務団が目論む壮大な計画だった。
「どうやら彼らは、この確申期に本気で国を乗っ取るつもりだったらしい」
隼人さんは内容を精査しながら、唸った。俺は税務当局を中心に広大なテロを目論んでいた事実を一本のレポートにまとめ、依頼人である片桐先生へ報告メールとして送信した。
世間は確定申告期へと突入している。事務所も繁忙期でてんやわんやだが、俺のレポートもあってか、税務当局に目立った混乱は見られない。
片桐先生によると、国境なき税務団にはかなりのダメージとなったらしい。再起不能とまではいかないものの、当面サイバー空間での作戦行動は控えざるを得ないだろうとの事だった。
ただ、それでも分からないことはある。まさに今、この教室で泰然自若に振る舞うジェイソンの神経だ。
「ジェイソン。お前、よくのこのことここに出てこれるよな」
しみじみと疑問を投げかける俺に、ジェイソンはこれまた涼しげな笑みを浮かべながら、いけしゃあしゃあと言った。
「それはそれ、これはこれ。大体、僕自身が国境なき税務団の方針の全てに賛成しているわけではないですしね」
「つまり、何か。このままサイバー空間での影響力を失っても構わない、と?」
「えぇ、サイバーはサイバー、リアルはリアル、ですよ」
何を企んでいるのか皆目、見当がつかない俺だが、それでも分かる。
――どうやら、コイツには先日の敗戦をものともしない十分な余裕があるみたいだ。
非常に癪だが、それは認めざるを得ない。その自信の根源がどこにあるのか、首を傾げる俺だが、思えばこの時、その疑念をはっきりさせるべきだった。実は裏でそれ相応の準備が着々と進みつつあったのだ。
だが、この時の俺にはその疑念に対する答えを見つけることが出来なかった。全てが好転していただけに、油断があったのだろう。その際たるが、聖子である。
「おい聖子、飛ばし過ぎだ!」
放課後、谷口エンタープライズへ向かった俺は、サイバー空間でダイブ中の聖子にペースを咎めたものの、まるで聞く耳を持たない。
「大丈夫よ優斗、ここの勝手は十分に分かったから。それより次の指示を頂戴」
「分かったよ。ただ油断はするな」
俺は聖子に指示を下していく。完全にサイバー戦用ボディーアーマーをものにした聖子は、次々に任務をコンプリートしていく。
――聖子の奴、面白くて仕方がないらしい。
咎めようにも声がまるで届かない事に頭を痛める俺に、隼人さんは諦めモードで言った。
「こうなったら、聖子ちゃんには好きにさせよう」
「えぇ、そうしかないみたいですね」
俺も呆れつつ、サイバー空間を制圧していく聖子をPC画面越しに見守り続けた。
事実、バーチャル世界は聖子の庭と化し、谷口エンタープライズの業績もうなぎ登りだ。全てがうまくいき、感覚が麻痺していた。
やがて、サイバー空間から戻ってきた聖子を交え、俺達は今度の計画を立てていく。
「聖子ちゃん、どうやら君の夢が叶いそうだよ」
隼人さんが見せたのは、一本の企画書だ。そこには、聖子が夢見た世界を舞台にサイバー空間で開催する電脳格闘大会がプロジェクトとして上がっていた。
聖子の喜びようたるや尋常ではない。聖子の人生は今、まさに絶頂を迎えようとしていた。
その後、谷口エンタープライズを出た俺達は、ともに帰路に着く。
「私、今がサイコーに幸せ」
そう語る聖子の瞳には、輝かしい未来に向けた生命力が爛々とみなぎっている。無論、俺も同様だ。
そんな中、不意に空が暗くなった。見ると分厚い雲とともに雨が降り始めている。聖子が舌打ちした。
「あちゃー雨だよ。私、今日、傘忘れちゃった」
「俺が差すよ」
折り畳み傘を取り出す俺だが、軽装の聖子はそれを断り荷物を背負って走り出した。
「ジョギングも兼ねてジムまで走る。じゃぁね優斗」
聖子は手を振るや、小雨の中を走っていく。その背中を見送った俺の気分は、夢見心地だ。
――このまま聖子を軸に夢を叶えていこう。
俺はフッと笑みをこぼし、雨の中を自宅へと向かった。
思えば、ここが運命の分岐点だった。好事魔多し――全てが順調な今こそ、俺は初心に戻るべきだったのだが、そこに気付かない。
翌日、俺はその代償を知ることとなる。この雨の日を境に聖子は、忽然と姿を消した。Attachments:
You must be logged in to view attached files.第十八話
「やぁ聖子。あんな無様な負け方をしておいて、よく再戦しにきましたね。ほどほどにしないと、負け癖がつきますよ」
慇懃無礼に登場したのは、迷彩武装を施したジェイソンである。奴がまとうボディーアーマーは、間違いなく母の仕事だ。その助けを得たジェイソンの表情たるや、すでに勝った気でいる。
対する聖子は、挑発に乗ることなくじっとジェイソンの様子をうかがっている。実はこれが聖子に課した俺の作戦だ。
〈機が熟すまで、ジェイソンへの攻めを一切、禁ずる〉
俗にいうところの守愚作戦である。そんな聖子をジェイソンは鼻で笑った。
「ふっ、攻めないのなら一つ、こちらから攻めてあげましょう」
ジェイソンはぬらりと構えるや、一気に間合いを詰め、聖子に強烈な一撃を放つ。
何とかガードで凌ぐ聖子だが、ジェイソンの攻勢は止まらない。巧みにフェイントをかましつつ、軌道の見えないトリッキーな蹴りを次々と放っていく。
その読みにくい連打を前に、聖子はじわじわと追い詰められた。これに気をよくしたジェイソンは、ガードに徹する聖子に、大胆な攻撃を仕掛ける。聖子の上半身を狙って見せつつ、無防備になった下半身に足払いをかけてきた。
「くっ……」
足元をすくわれ地面に叩きつけられた聖子に対し、ジェイソンはいよいよその本性を露わにした。あろうことか聖子の顔面を、足で踏みつけてきたのだ。
たちまち聖子のヘルメットが粉々に砕け散り、中から現れた素顔が踏み潰されていく。
「くっくっくっ……聖子、あなたはこうやって無様を晒しているのがお似合いですよ」
ジェイソンはニンマリ笑い、上から侮蔑の視線を注ぐ。聖子にとっては屈辱の極みなのだが、ここで異変が起きる。ジェイソンの足に凄まじい電撃が走ったのだ。
「予感的中だな。優斗君」
感心する隼人さんに俺は、ほくそ笑む。というのもジェイソンの性格を洗いざらい聞いた俺が、あらかじめ仕込みを入れておいたのだ。
――ジェイソンの奴、面食らうぜ。
俺の思惑通り、ジェイソンは戸惑いを隠せない。慌てて足をのけようと試みるも、時すでに遅し。その足をガッチリ掴んだ聖子によって逆に体をひっくり返されてしまった。
「よし聖子、攻撃に切り替えろ!」「やっちまえ!」
吠える俺達の声に弾かれたように聖子は、畳み掛ける。これまでのお返しとばかりにジェイソンを地面に叩きつけマウントを取った。
この思わぬ奇襲にジェイソンは、完全に我を失っている。だが、そこはさるもので、巧みに聖子のマウントから逃れ、立ち技へと切り替えて来た。
対する聖子も負けじとジェイソンに打撃を放っていく。その蹴りの応酬を制したのは、聖子だった。
「くっ、小癪な……」
あまりに多くのダメージを負ったジェイソンは、覚えておけとばかりに、よろめく体で撤収をはかった。
もっともこちらにジェイソンを追う余裕はない。聖子は肩で荒い息をしながら、ヘナヘナと膝をつき、その場に座り込んでしまった。
「聖子。あと一歩、及ばなかったな」
「うん……そうね。でも勝った。ついにアイツに……」
聖子はガッツポーズを取るや喜びを爆発させた。その目は涙で滲んでいる。どうやら「ジェイソンには勝てない」という思い込みが、聖子をずっと追い詰めていたらしい。
それだけに今回の勝利に嬉しさを抑えられないようだ。
そんな聖子に俺は言った。
「聖子、俺達はもうチームなんだ。いかにジェイソンが強敵でも、皆でかかれば、必ず倒せる」
「優斗君の言う通りだよ。聖子ちゃん」
隼人さんも追従する中、聖子は涙を拭いつつ一言、礼を述べた。
「ありがとう……」
見事にジェイソンを撃退した聖子だが、ふと見ると先程とは異なる光の塊が転がっている。不審に感じた聖子に俺は説明した。
「聖子、それはジェイソンの持っていたタックスエナジーだ」
「タックスエナジー?」
「あぁ、お前が今、着用しているボディーアーマーのエネルギー源さ。これがあれば、傷ついたボディーアーマーの修復も瞬時だ。別の形に変化させることも出来る」
聖子は俺の指示従い、ジェイソンが残した光源を取り込んだ。その途端、先程の戦いでボロボロになったボディーアーマーが見る見るうちに元の形状へと戻った。
「凄いっ!」
驚く聖子に「それだけじゃないぜ」と、俺はさらなる変化を施した。すると今度は、白いボディーアーマーが真っ赤な別タイプへと変わった。
俺は説明を続けた。
「聖子、タックスエナジーっていうのは要するにRPGファンタジーのMPだ。修復や変形のたびに消費され、ゼロになるまで自由に使える」「ゼロになったら、補給はどうするの?」
「基本、自然回復を待つ。ただ今みたいに敵が残して逃げ去った場合は、自身に取り込むことも可能さ」
「分かったわ、軍師殿。で、次は何をすればいい?」
「このエリアに威力偵察を仕掛ける。その赤いボディーアーマーの特徴は〈スピード〉だ。今から、そっちに一帯をスキャンした位置情報を送る。母さんが作ったこの空間を、トラップを回避しながら駆逐するんだ」
「オーケー……」
聖子は、俺が流したマップのダウンロードを受けるや、ニッタリと微笑む。その表情はまるで新たなオモチャを得た子供の様だ。
俺は思わずつぶやいた。
「生まれながらのアスリートファイターだな。聖子は」
「そう言う優斗君は、生まれながらのクリエイターってとこかい?」
「ただのオタクですよ」
謙遜して見せる俺だが、悪い感じはしていない。事実、デジタル生命体にサイバー戦用ボディーアーマー、作戦立案にデータ分析と聖子のヘッドワークの大部分を担っている。
――俺が聖子の参謀なら、ジェイソンの参謀は母さんだ。ジェイソンが去りし今、母さんとの頭脳戦だな。
俺は徐ろに左右それぞれにストップウォッチを構えるや、聖子に吠えた。
「今だ聖子、行け!」
俺の合図を機に聖子は、白いサイバー空間をダッシュで駆け出していく。そのスピードたるや実に凄まじい。目にも止まらぬ速さで、一帯を駆け抜けていった。
「隼人さん! ルートの探索を頼みます」
「オーケー、任せてくれ」
俺と隼人さんは、互いの役割を分担するや、聖子に具体的なルートを提示していく。疾風怒涛の勢いで聖子に探索させつつ、一帯の攻略へと乗り出した。
やがて、断片的にしか把握出来なかった周辺の実情が、露わになった。驚くべきは、その規模だ。実に広大な空間がプレイヤーを嵌めるトラップと化していた。
まるでゲームステージである。
――これは、何かあるな。
考慮の末に辿り着いた結論は、情報収集を目論んでいるのが、俺だけではないらしいということだ。
サイバー空間における聖子の身体能力や潜在力を、このステージではかろうとしているらしい。
――そうはいかないぜ。母さん。
俺は聖子に命じた。
「聖子、ステルスモードだ。左腕から三つ目のボタ……」
「これね」
聖子は持ち前の間の鋭さで機能を理解し、ステルスモードを起動させた。たちまちボディーアーマーの一部が変形し、半透明さを帯びて行く。
こうなればもはや聖子を止めるものは、何もない。次々にステージを攻略して行った。Attachments:
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暦が二月を刻んでいる。世間が迫る確定申告に備えつつある中、俺は以前、偶然公園で鉢合わせた桜志会会長の片桐先生の事務所を単身で訪れている。
「わざわざのご足労、すまないね」
「や、別に構いませんが、一体、何用で? 確定申告を前にお急ぎのご用件とか」
「ふむ。実は税務当局から水面下で協力の打診があってね。国境なき税務団がこの確申期に何かを企んでいるらしい。その動きを追って欲しいんだ。すでに君のお父さんには了解を得ている」
「なるほど。協力することにやぶさかではありませんが、一体、税務当局はどこからのその情報を?」
「無論、信憑性はあるのだが、その情報源は……うーん、なんと言ったらいいか……」
口を濁す片桐先生に俺は、頭を働かせる。そこまで悩ませるとは一体、何者なのか。その正体に想像力を膨らませる俺に、片桐先は意外な人物の名をあげた。
「優斗君、君のお母さんだ」
「え、うちの母ですか?! でも母は国境なき税務団にくだって以降、顔も合わせていません。一体、なぜ自ら不利になるような情報のリークを?」
「うむ。これは私の憶測に過ぎないのだ、多分、君のお母さんは嫉妬しているんだと思う」
「誰に?」
「君に」
俺は思わず絶句した。あろうことか息子に嫉妬するとは何事か、疑問に頭を悩ませる俺に片桐先生は自らの見解を述べた。
「君のお母さん、つまり優子さんのことは私も知っている。一言で評すれば天才になり切れない秀才タイプだな。才に長けつつも、それを活かし切れない。そこへ君が労せず、次々に新規軸を打ち立てるものだから内心、焦っているのだろう」
「や、仮にそうだとしてですよ。なぜリークを?」
「挑戦状さ。同じ土俵に立ちサシで息子の君と勝負したいのだ」
鋭く分析してみせる片桐先生に俺は、大いに苦悩した。その上でさらに頭を働かせる。
「片桐先生。この話、リークしたのが母として、おそらくその間を取りもった人物がいますよね?」
「ほぉ、鋭いな。残念ながら一税理士に過ぎない私に、その名は言えない。だから、君が判断してくれ。誰だ。ズバリ言ってみろ」
「ジェイソン黒田」
即答する俺に片桐先生は、黙ったまま微笑で応じた。どうやらビンゴらしい。
――アイツ。一体、どう言うつもりだ。母とどんな関係があるんだ。
俺の疑問は尽きることがない。そんな中、不意に片桐先生が立ち上がった。何事かと顔を伺う俺にこう述べた。
「トイレ」
部屋から出ていった片桐先生だが、ふと前を見るとノートが開かれている。表紙にトップシークレットと刻まれたノートだ。
その意図を察した俺は、思わず苦笑した。
「要するに見て見ぬふりをしてやるから、さっさと知りたい情報を探れってことか。あの先生、政治家かよ」
片桐先生の腹芸に感服しつつ、俺はそのノートを取るや目を走らせていく。そこからかなり時間が経ったところで、ノックとともに片桐先生が何食わぬ顔で戻ってきた。
その意味深な笑みに俺は黙って頭を下げ、片桐先生も阿吽の呼吸で黙ったままうなずき返した。「つまり、果し状を受ける訳ね?」
谷口エンタープライズで、詳細を語る俺に聖子が問う。俺はうなずき思いを述べた。
「セイコ02に出来る限りの経験をさせたい。デジタル生命体にとって良質な実戦データは、深層学習の品質を左右する。無論、単体でも活動は出来るが、当面は聖子に入ってもらいたい」
「えぇ、そうね……」
聖子は同意しつつも鎮痛な表情を見せている。その脳裏にジェイソンの敗北があることは明らかだ。完全にトラウマとなり、苦手意識を払拭できないらしい。
見かねた俺は隼人さんとともに言った。
「聖子、大丈夫だ。作戦は俺が立てる。サイバ戦用防護アーマーも含め全力でカバーするから」
「優斗君の言うとおりだ。責任はこの僕が持とう」
二人がかりで説得を試みるものの、聖子の表情は固い。
「分かってる。私もファイターの端くれ。アイツへの借りは、きっちり返すつもりだから。でも本当にこの作戦で大丈夫なの?」
「あぁ、そこは俺を信じてくれ」
胸を叩く俺に聖子は黙ってうなずくや、重い手つきでヘッドセットを装着する。セイコ02とシンクロし、サイバー空間へとダイブした。
目的地は、国境なき税務団の活動が目撃されたネットの海の底だ。俺は片桐先生のノートから転記したメモ書きを片手に指示を下していく。
「どうだ聖子? 何か兆候はあるか?」
「今のところは特に……ただ、得体の知れない何かを感じる」
端末越しに返答する聖子に、俺は隼人さんとPC画面を睨み頭を捻っている。
――きっと母さんは俺を試すはずだ。リークによれば、それがこの海域……別ステージへのワープポイントがある。
この予感は見事に的中した。聖子の目前に国境なき税務団のものと思しきワームウィルスが現れ、まるで誘うように一定方向へと潜っていったのだ。
「聖子!」
「了解よ」
後を追う聖子に対し、ワームウィルスは付かず離れずの絶妙な距離を維持しながら、逃げていく。聖子を誘導しようとしていることは、明らかだ。
――ここは一つ、母さんに従うか。
俺は聖子にそのまま追跡をさせた。やがて、追っていたワームウィルスが姿を消す。代わりに現れたのは、ワープポイントと思しき光のカケラだ。
それを手にした途端、聖子の体は海底から別のステージへと飛ばされた。広がったのは、白を基調としたエリアだ。
幾何学的な文様がどこまでも続くそのだだっ広い世界に、異様な殺気を覚えた俺は聖子に言った。
「聖子、来るぞ」
「オーケー」
聖子はボディーアーマーのスイッチを押し、ヘルメットを作動させた。
たちまち白の幾何学文様から次々とワームウィルスが現れ、聖子を取り囲む。
「来たわね」
聖子は間髪入れずにワームウィルスの懐に潜り込むや、目にも止まらぬ早業で手玉に取っていく。まさに飛んで火に入る夏の虫。気が付けば、あっという間に全てを撃退してしまった。
恐るべきサイバー戦用ボディーアーマーの威力だ。何より聖子は、これを完全にものしている。
「流石だな」
舌を巻く俺だが、もっともこれは前哨戦に過ぎない。本命は後ろでしっかり待機していた。Attachments:
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谷口エンタープライズの開発室で、俺は隼人さんとともにヘッドギアを装着し、コード類に繋がれた聖子を見守っている。
「どうだ聖子?」
俺はセイコ02とリンクし、防護アーマー姿の聖子とPC画面越しに会話を交わす。
「悪くないよ。ただちょっと重いけどね」
「オーケー、じゃあ早速、サイバー空間で実証試験と行こうか」
切り出す隼人さんに画面上の聖子は、うなずく。
本来ならもっと簡単なテストから始めたいのだが、聖子が首を縦に振らない。やむなく初歩をすっ飛ばし、いきなり実戦的なテストから入った。ステージはスペースエリアの開放ミッションである。
対戦相手は、国税局徴収部と防衛省のサイバー部隊がタッグを組む混合部隊だ。国境なき税務団を仮想敵としている。
――さて、聖子はどこまでサイバー戦用防護アーマーを使いこなせるか。
隼人さんとPC画面で成り行きを見守る俺だが、その結果は凄まじいものだった。サイバー空間に放たれた聖子は、まさに水を得た魚の如く縦横無尽に暴れ回り、あっという間に全ての仮想敵を撃退してしまったのだ。
俺は思わず舌を巻く。
「驚いたな」
「僕もだよ」
隼人さんも同調している。
興奮を覚えた俺達は、したり顔で戻ってきた聖子に次のステージへと進ませた。野生エリアだ。隼人さんが説明にかかる。
「いいかい聖子ちゃん。君が着るパワードスーツの一番の特徴は、状況に応じて変形出来る点だ。右腕のタッチパッドで……」
「これね」
あたりを付けた聖子が、タッチ操作を入力する。たちまち白い宇宙戦仕様の角張ったパワードスーツが、光とともに粉々に砕け散り丸みを帯びた迷彩仕様へと形状を変えた。
「凄ーいっ! 変身ヒロインみたい」
興奮する聖子に隼人さんは、さらに続ける。
「この野生ステージで是非、試して欲しいのが……」
「ステルス、かな」
応用を効かせた聖子が操作を入れると、パワードスーツの表面が周囲の景色を読み取り保護色に変わった。まるでカメレオンの如くだ。
「……お察しの通りです」
説明する前に次々と機能を使いこなす聖子の順応力に、隼人さんも苦笑いだ。ここで俺達は一つの案を試みた。聖子にこのエリアの詳細なルールや注意点を敢えて伏せることとしたのだ。
――戦場には誤算がつきものだ。その中でどれだけ応用力を働かせられるか。
俺達がPC画面を注視していると、不意に背後から声がかかる。
「どっちが勝つか、賭けてみる?」
驚き振り返る俺達の前には、いつの間にか谷口社長が立っていた。挨拶に立ち上がろうとする俺を手で制し、谷口社長は言った。
「もし、このエリアを聖子がクリア出来れば、ランチを奢ってあげるわ」
「え、マジですか! ゴチになります」
「何それ優斗? アンタ、もう勝った気?」
呆れる谷口社長に隼人さんが声をあげて笑った。俄然、応援に熱の入った俺達は画面を注視していく。
鬱蒼と茂るジャングルを、電子迷彩を駆使して敵地エリアに忍び込む聖子だが、その前に敵司令部が現れた。
本来ならここで一気に攻めに出るのがセオリーだが、意外にも聖子は慎重だ。ひたすら待機し、じっと時を待っている。
――なるほど。我慢比べという訳か……。
聖子の意図を汲んだ俺は、その変化に驚いている。どうやらジェイソンとの一戦が相当こたえたらしい。勝ちを急ぐあまり感情面でアツくなり過ぎるこれまでとは、打って変わって冷静だ。
ミッションの終了時間が迫る中、痺れを切らしたのは敵役だった。聖子が待機していると思しき場所に一斉攻撃を掛けたのだ。そこで彼らは、己の未熟さを知ることとなる。聖子と思しき痕跡は、彼女のトラップだった。
「勝負あり、ね」
谷口社長がうなずく中、まんまと囮に吊られ術中にハマった敵役は、次々に仕掛け爆弾にやられ、生き残った部隊も聖子に狩られていく。
その冷徹さたるや、氷の如くだ。ここで聖子にコードネームがつく。曰く〈アイスキッド〉と。
結局、国税局徴収部と防衛省のサイバー部隊がタッグを組んだ混合部隊は、聖子の前に完敗とあいなった。
見事に谷口社長からゴチを勝ち取った俺達は、高級レストランでランチを楽しんでいる。ご機嫌な聖子は、メイン料理の肉をナイフとフォークで捌きながら、俺に問うた。
「今日の結果ってさ。やっぱりセイコ02に反映されたりするの?」
「もちろんさ。君がセイコ02を通じサイバー空間で得た経験は、ミネルヴァシステムを通じ深層学習されていく。その繰り返しの先に、デジタル生命体のさらなる進化が待っているんだ」
「それは国境なき税務団のJも一緒?」
「そうだ」
「オーケー……」
聖子は深々とうなずいている。どうやら心の中でリベンジを誓っているようだ。その後、メイン料理を平らげながら、谷口社長は上層部の内情を晒していく。
「鍵は税金よ。知っての通り無税国家を是とする国境なき税務団は、その原資を日本の徴税権に求めている。ジョン黒田を筆頭にね。国税局と防衛省がタッグを組んだのも、それが理由なんだけど……どうも国境なき税務団は、一枚岩ではないみたい」
「え、そうなんですか?」
驚く聖子に谷口社長がうなずく。納得すること大な俺は、頭を働かせた。
――確かにそうだ。特に謎なのが息子のジェイソン黒田……。
俺の日常生活に飄々と現れた奴は、国にマークされながらも、その身を案ずることもなく、いけしゃあしゃあと学生生活を謳歌している。
その様たるやにくらしいほどに、平然だ。まさに泰然自若である。
さらに言えば国も国だ。あれほどの容疑者を注視しつつも野放しにしている。試しにその旨を問うてみると、谷口社長はかぶりを振りつつ、一言だけ述べた。
「優斗、それはアンタッチャブルよ」
――要するに闇が深いってことか。
俺は閉口するしかなかった。
やがて、話題はメタバース関連に及んでいく。ここで聖子が素朴な疑問を口にした。
「メタバースって、ネット上の仮想空間に設けた疑似現実じゃないですか。ここに国境なき税務団が和の概念を広めサイバー空間を制す狙いを持っている。それは分かるんですが、そもそもメタバース自体がオワコンなんじゃないかって」
「聖子ちゃん。言わんとしていることは分かる。セカンドライフの失敗に技術的制約、高額なデバイス等々難は多い。ただそれでも僕は普及に賭けるね」
胸を張って断言するのは、隼人さんだ。なんでもビッグテックの本格参入や巨額投資が技術的制約を解き、デバイスに価格破壊をもたらす。今は基礎固めの重要な時期なのだ、と。
これに俺が続いた。
「その普及のためのキーデバイスが、今回テストしたサイバー戦用防護アーマーなんだよ」
「どういうことよ?」
首を傾げる聖子に俺は、説明していく。
「今はサービスが各社乱立で内容もクオリティも玉石混合だろう。接続性と空間コンピューティングという概念はあるが、リアルとバーチャルを切り替える標準規格がない。そもそもデジタル空間自体に国境の概念がないからな。このカオスな状況であらゆる条件にあわせ瞬時に防具を形成する変幻自在な能力は、必須なんだ」
「なるほど。逆に言えばこのテクノロジーがあれば……」
「デファクトを取れる。俺達のシステムが事実上の標準規格となるのさ。いずれ標準化を含め国際的なルールが国際社会との連携で形成させるだろう。それまでを繋ぐ過渡期の技術だよ」Attachments:
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約束の東洋ジムに赴いた俺達だが、肝心のジェイソンが来ない。すでに約束の時間から一時間が経過したにもかかわらずだ。怒り心頭なのが聖子だ。
「ジェイソン。アンタ一体、どういうつもりよ。逃げる気? はぁ? 電車が混んでて遅れる?! 車ならいざ知らず電車が混んでてどうやって遅れるのよ! アンタ、完全に私を馬鹿にしてるわね」
戦闘モードから憤慨モードに入る聖子に、俺はおっかなびっくりだ。何を言っても焼け石に水である。そんな中、何の悪びれる素振りも見せずに、悠々とジェイソンが現れた。
「ジェイソン、アンタ覚悟しなさいよね!」
早速、噛み付く聖子にジェイソンは、涼しげな顔でこう言った。
「聖子、もうお前は負けているんだよ」
「はぁ!? どう言う意味よ?」
「そう言う意味だよ。お前、本当に変わらないな」
遅刻を悪びれるどころか、大胆にも勝利宣言をするジェイソンに、聖子の堪忍袋の尾がきれた。
「上等よ! 叩きのめしてあげる。リングに上がりなさい」
「言われなくても、そうするよ」
ジェイソンは、実に冷めた目でうなずくや、着替えを済ませ、リングで聖子と対峙した。
早速、スパーに入る二人だが、意外にも先制パンチを放ったのは、ジェイソンだった。どうやら聖子も意外だったらしい。冷めた態度から見て様子見に徹すると思っていたが、完全に裏切られた。
面食らう聖子にさらにジェイソンは、意外な対応を見せた。なんとノーガードで聖子を挑発して見せたのだ。
――マズい。
俺は思わず舌打ちする。確かに丁寧な言葉遣いだが、俺にはわかる。ジェイソンは完全に聖子のプライドと尊厳を全力で踏み躙ろうとしているのだ。
「聖子、冷静になれ! 術中にハマるぞ!」
セコンドの俺が吠えるものの、聖子の耳には届かない。
ただでさえ熱くなっている上に度重なる挑発を受けた聖子は、完全に怒り心頭で周りが見えなくなっている。もはや誰も止めることが出来ない。憤慨のあまり前のめりになっていることにすら、気づいていないのだ。
――ジェイソンの奴、完全に計算済みって訳か。
俺は改めてジェイソンの残酷なまでに冷徹な試合運びに舌を巻いた。対する聖子の力んだ蹴りとパンチは、完全に見切られ虚しく空を切り続ける。
気が付けば完全にコーナーに追い詰められていた。トドメを決めにきたジェイソンだが、ここでゴングが鳴る。
「ふっ、救われたね。聖子」
ジェイソンは鼻で笑いながら、聖子の額を軽くゴツき自身のコーナーへと戻っていく。
インターバルの間、俺は懇々と聖子にジェイソンの策に乗るなと説くものの、聖子の気は静まらない。完全に弄ばれ悔しさに涙すら滲ませている。
ジェイソンのペースは、第二ラウンドに入ってさらに加速した。軌道の読めないトリッキーな蹴りを、聖子のボディーに的確に集中させていく。
そのダメージの蓄積に、ついに聖子が膝から崩れ落ちた。息すらままならない地獄の苦しみに腹を抱え込み、背を丸めてうずくまった。
口から唾液の糸を引かせマウスピースを吐き出す聖子の顔は、苦悶に歪んでいる。まさに悶絶の絶頂だ。それをジェイソンが涼しげに見下ろしながら、鼻で笑う。
「聖子、やっぱり君はそうやって芋虫みたいにリングに転がっている姿がお似合いだよ」
「ふざけるな……私は、まだ……」
聖子はマットに腕を突き立て必死に立ちあがろうととするものの、上体が上がらない。結局、リングを去るジェイソンの冷笑をただ見送るしか出来なかった。
「悔しい……」
聖子は、マットに腰砕けに座り込むや人目も憚らず号泣した。屈辱に塗れた顔で感情を露わにする聖子に、俺はかける言葉を失っていた。
一見、気丈に見えてその実、ナイーブなのが聖子だ。一度、折れると立ち直れない脆さがある。冷静さを取り戻す中、聖子はポツリポツリと心中を吐露した。
「もう私はアイツに勝てない……」
「何言ってるんだよ聖子。お前らしくないぜ」
俺は諭すものの聖子は、かぶりを振って続けた。
「今回が最後のチャンスだったの。悔しいしリベンジしたい。けど、ここから先はどうしても男女の差が出る。それは埋めようのない差なのよ」
「だったら男女の差が出ない領域でやればいい。リアル世界では無理でも、バーチャル世界なら肉体の差を潰せる。世界を舞台にサイバー空間で電脳格闘大会を開催するのが夢なんだろ。俺も付き合うぜ。パートナーなんだから」
俺は涙に濡れた聖子の拳に手を置く。どこまで伝わったかは分からないが、聖子は黙ったままうなずき一言、礼を述べた。
「ありがとう。優斗」
聖子と別れ帰宅した俺は、早速、夕飯のカップ麺をすすりながらパソコンに向き合っている。改めて感じたのが、ジェイソンの大胆不敵さだ。
「あいつ、相当なやり手だな」
平然と奇襲をかけておきながら自分は無関係だとうそぶき、リアルのガチバトルであの聖子を手玉にとるなど、おおよそ普通の神経の持ち主とは思えない。
――何より策士で勝負師だ。しかも奴には、国境なき税務団を率いるジョン黒田と俺の母がついている。このままでは奴らに勝つことは出来ない。
俺は徐ろにチャット画面を開くやミスターDと連絡をとった。さすが情報屋なだけに既に今回の事態について色々通じているようだ。
俺は早速、キーボードに指を走らせる。
〈俺達がサイバー戦で奴らを制すには、武器がいる。何かないか?〉
すると待ち構えていたかの如く、データが送られてきた。試しに開いてみた俺は、その中身に思わず唸った。
――サイバー戦用防護アーマーか……。
ミスターDによると、既に国税局徴収部のサイバー部隊が防衛省とその開発を目論んでいるという。俺はミスターDに別れを告げた後、続け様に桜志会の岡本先生と連絡を取った。
どうやら国も今回の事態を重く見ているらしく、国境なき税務団への対抗策を講じていると言う。試しにサイバー戦用防護アーマーについて問うと、明らかな反応があった。
「ほぉ、そこまで知っているとは優斗君も隅に置けないな。確かにその構想には着手済みだ。ただ実証が追いつかない。新型機のテストパイロットがいないんだ」
「と言いますと?」
「脳波と直接リンクする関係で若い脳がいる」
「それならセイコ02が……」
「無論、それも考えたが安定性を欠く。まだ人間と代替するには早すぎるんだ」
口を濁す岡本先生に、俺はズバリと断言した。
「一人、候補がいます」Attachments:
You must be logged in to view attached files.第十四話
「いいか聖子、使える時間はせいぜい十分だ。無理だけは絶対にするなよ」
「そうだ。許可はするが、身の安全は守ってくれ」
必死に注意を喚起する俺と隼人さんに聖子はうなずくや、ヘッドセットを装着する。スイッチを入れシステムを起動させるとともに、脳波をセイコ02とリンクさせた。
どうやら成功のようだ。これまでうんともすんとも言わなかったサイバー空間上のセイコ02が、ゆっくり目を開いた。無論、意識は聖子本人が担っている。
はじめこそ若干の戸惑いを見せた聖子だが、持ち前の順応性ですぐさま活動へと入った。
――よし、いいぞ……。
俺は送られてくる映像を眺めながら、聖子と意思疎通を図っていく。まず始めたのが、サイバー空間の探索だ。その光景たるや目を覆わんがばかりである。
暴走したワームウィルスが、これでもかと押し寄せてくるのだ。
〈優斗、隼人さん、私はどうすればいい?〉
作戦を問う聖子に、俺は応答した。
〈まずは、コアを見つけるんだ。それを撃退すれば、自然と他の連中も去っていく〉
〈オーケー〉
聖子は俺に応じるや、雲霞の如く押し寄せるワームウィルスの大群へと自ら飛び込んだ。襲いかかるワームウィルスの攻撃をものともせず、物凄いスピードでかっ飛ばすその様は、まさにスーパーマンだ。
やがて、聖子はコアらしき中枢を捉えた。そこをてぐすね引いて待っているのがJだ。
――どうやら修復は完了していたようだな、J……。
存在を確認した俺は、すぐさま聖子に交戦を指示した。
だが、どうも様子がおかしい。目の前のJは、なりこそ同じであるものの、以前に戦った様子とは雰囲気が大いに変化している。
まず攻撃力が違う。奴が突き出す手から放たれる衝撃波は、一発でも食らえば致命傷レベルだ。そこにスピートが伴うのである。
――何なんだこの強さは!
違和感を覚えた俺だが、そこに臆する聖子ではない。巧みにその衝撃波をかわしつつ、遠距離攻撃を得意とするJの懐へと飛び込み、至近距離での肉弾戦へと持ち込んでいく。
たちまち二体は格闘ゲームさながらのガチバトルに入った。手に汗握る攻防に俺達の声援も熱が入る。だが、なかなか勝敗に行きつかない。
――マズい。もう時間がない……。
タイマーが残り一分を切る中、二体は壮絶な戦いを繰り広げている。そんな中、ついに決着のときが来た。
聖子とJの放つ拳が交差し、互いの顔面を同時に捉えた。その威力は、双方にとって油断ならぬレベルである。
「聖子!」
思わず声をあげる俺だが、何とか持ち堪えている。対するJは、戦況を不利と見たのか、戦いを中断し去っていった。その背中を見送りながら、隼人さんが言った。
「何とか勝った、か」
「えぇ、ただ我々も追い打ちをかけるところまでには至らない。もう時間がない」
「分かった。撤収しよう」
隼人さんの一声に俺はうなずき、聖子の意識を仮想空間から現実世界へと引き戻した。
完全に意識を回復させたところで聖子が起き上がり、ヘッドセットを外した。
「聖子、よくやった。国境なき税務団の撃退成功だ。皆が撤退していく。よくやったな」
労をねぎらう俺だが、聖子の表情は冴えない。何やら考え事をしているようである。しばし時間を待った上で、ポツリと言った。
「私が戦ったJ。おそらくデジタル生命体じゃないわ」
「え、どう言うことだよ」
問い返す俺に聖子は、しばし考慮の後、言った。
「あいつ。多分、Jじゃなく本体よ」
「それって、つまり……」
「ジェイソンが直接、乗り込んできたのよ」
聖子の推論に思わず俺は声を上げた。
「それはないだろう。何でそこまでの危険をおかすのさ?」
「多分、うちと同じ。間に合わなかったんだと思う。確証はないけどね」
「つまり、ジェイソンは平然と俺のクラスメイトを演じつつ、今回、好機と見て攻撃を仕掛けてきたと?」
俺の問いに聖子は黙ってうなずく。俺は思わず宙を仰いだ。確かにそう考えれば辻褄は合うものの、あまりに自然体を振る舞うジェイソンに確信が持てない。
俺は徐ろにスマホを取り出すや直接、本人に確認を試みた。
「ジェイソン。一体、どう言うつもりだよ。税務当局と和平調停に入っていたんじゃなかったのか? しかも、J本体とリンクして直接、襲ってくるなんて、卑怯撃ちもいいところだ」
多少、かまをかけて問い詰める俺だが、ジェイソンはシラを切り続ける。そのすっとぼけぶりにキレたのが、聖子だ。俺のスマホを奪い取るや、吠えた。
「ジェイソン、これ以上交渉しても埒が開かない。勝負しなさい! 場所は私が通ってる東洋ジム、そこでケリをつけましょう」
どうせのらりくらりで応じないだろうなと思っていた俺だが、意外にもジェイソンはこれを受けた。
聖子はスマホを俺に返すや、立ち上がり言った。
「優斗、行くよ。奴に引導を渡してやるわ」
かくして俺達はジェイソンに果し状を突きつけ、東洋ジムへと向かった。その道中で聖子の鼻息は荒い。
「あのときの屈辱もまとめてリベンジしてやるわ」
憤慨気味の聖子を傍らに置きつつ、俺は冷静に頭を働かせる。どうしてもジェイソンに対し、違和感が残るのだ。
――アイツは一体、何をしたいのか。立ち位置が読めない。
国境なき税務団と繋がっている以上、敵なのだろうが、平然と俺達の前で私生活を送る大胆さには、やや感服だ。
話し合った感じでは、実に礼節の行き届いた好青年だ。もっとも聖子に言わせれば、慇懃無礼となる。過去に一悶着あった経緯は聞いているものの、これに執着する聖子と無頓着なジェイソンの間には、明らかなズレがある。
――何はともあれ売った喧嘩だ。聖子の性格もある。納得いくまでやり合って白黒つけるしかないのだろう。
やや達観気味な俺は、息巻く聖子の後に続いた。Attachments:
You must be logged in to view attached files.第十三話
ジェイソンの暗躍が著しい。ある時は国境なき税務団のエージェントとして、またある時はただの一高校生として、ころころとその身を変えながら時代に干渉していく。
桜志会を通じ税務当局との和解を打診したかと思えば、米中の圧力を演出し日本にデジタル開国を迫るなど、そのハードネゴシェーターぶりはまさにフィクサーだ。
あまりの目まぐるしさに、見ているこっちも認識が追いつかない。目指すべきゴールを矢継ぎ早に設定し、そこに時代を引き寄せていくのである。
――ただの一高校生のくせに……。
苦々しく見ていた俺だが、奴はまるで気にかけない。それどころかこんな説教までしやがった。
〈優斗、世の流れが早い今、大器晩成を待っているうちに時代が変わってしまう。これからは早熟の時代なんだ〉
つまり、高校生でもスマホ一つで世界に発信し世の中を変えられる。今や才能の時代に突入したのだ、と。
事実、ジェイソンのSNSは著名な起業家や投資家、政治家で溢れ、大企業が特許を取る前にそのアイデアをネットに晒し、クラファンで資本まで調達してしまう。実にデジタルネイティブだ。
その発信力を前に学歴は死語と化し、むしろフォロワー数の方が人を計る指標に変わりつつある。
これに疑惑の目を向けたのが、聖子だ。
「アイツ特有の時間稼ぎよ。すでに国境なき税務団は、計画の第一段階を終了していると見るべきね」
ファーストフード店でハンバーガーを豪快に齧りながら、聖子が罵る。俺は手短に念を押した。
「ジェイソンが言ってた天沼矛プロジェクトだな?」
「それ、ちょっと調べたけど綺麗なのは表面だけ。一皮ひん剥けば、エゴの塊だわ」
「確かリアルを排したデジタルの境目で、世界中の国境をAIに統廃合させるんだよな。国籍、年齢、宗教、職業といった顕在的な属性データではなく、何に関心を示し興味を覚えるかという潜在的な行動ログデータをベースとする、と」
まとめる俺に聖子は、口の中に頬張ったポテトをジュースで強引に流し込みながら、続けた。
「奴はこのデータ源をメタバース、つまり、サイバーシティに求めている。すでに各国のデータサイエンティストも動き出しているわ。情報戦が始まっているの」
「そうは言うが、日本は平和だぜ」
「あのね優斗、有事の結果は平時の備えで決定するの。アイツは必ずアナログ日本からデジタルジャパンの建国を宣言する。独立戦争も辞さないと言ってね。とにかく目を光らせておいて」
聖子は、怒り心頭に立ち上がるや、自分の分の会計をテーブルに叩きつけ、一人で去ってしまった。聖子にほぼ一方的に捲し立てられつ俺だが、どこかでジェイソンに共鳴する己を感じている。何となく俺と似ているのだ。それも嫌な部分が。
――最終的にものをいうのは財の根幹をなす徴税権だ。果たして日本は、国境なき税務団が模索する独立国家デジタルジャパンからこれを守り切れるのか。日本人はどちらを祖国と認めるのか。
俺はその成り行きを注視している。厳冬がピークに差し掛かるある日、事件が起きた。セイコ02が忽然と姿を消失させたのだ。
それはメタバース関連会社から、サイバー空間上に謎めいた光の報告を受けたことに起因する。セイコ02を走らせた俺達だが、確かに光が検出された。
「ただのバグにしては、サイズがデカい。国境なき税務団の新兵器ですかね?」
あたりをつける俺に隼人さんがかぶりを振る。
「ない。今、奴らは税務当局と交渉中で微妙な時期だ。こちらを刺激することは避けるだろう」
「じゃぁ、プログラムの不具合とか?」
「それもない。ソフトの見直しは先日やったばかりだ」
「となると……」
頭を捻る俺だが、ここで聖子が思わぬ指摘をする。
「多分、Jの残骸よ。先日のバーチャル戦で砕け散った断片がサイバー空間に残って、メタバースに悪さをしている」
「なるほど、それはあり得るか。奴らを知る手掛かりになる。回収しよう」
隼人さんはすぐさま指令を下す。たちまちセイコ02の姿が電子防護服モードに切り替わり、入力した座標で作業へと入った。
だが、事態は思わぬ方向に転がる。断片と思しき光にセイコ02が触れた途端、一帯が振動で乱れ始めたのだ。隼人さんが動揺しながら言った。
「エラーだ。かなりデカいバグが発生している!」
「隼人さん、早くシステムを。セイコ02を撤収させてください」
俺は叫ぶものの、隼人さんの操作をセイコ02は受け付けない。
「聖子! そっちで何とかならにか」
「ダメ。こっちも反応がない」
――なんてこった。
俺は頭を抱えた。その後も盛んにアプローチをかけ続けるものの、セイコ02は完全に沈黙している。そうこうしているうちに、サイバー空間にいたセイコ02は、電子の海に飲み込まれ始めた。
混乱をきたす俺達だが、どう足掻こうとにっちもさっちもいかない。
「参った……」
隼人さんが苦悶の表情を浮かべる中、俺は聖子とともに手作りのマニュアルを追っかけていく。そこで思わぬ事実が発覚した。どうやらデータが書き換えられてしまったらしいのだ。
聖子が声を上げた。
「どう言うことよ? じゃぁセイコ02はもう……」
「いや、それは支障がない。とにかく元に戻そう」
俺は隼人さんと復旧作業に取り掛かる。そこで何とか消失前の痕跡を見つけ、リカバリーリをかけた。
気の遠くなるような作業の末にようやくセイコ02の復元に成功したものの、スリープ状態に入ったままうんともすんとも発しない。
判明したのは、何かを仕込まれたらしいという事実だ。そのコードの特徴を俺は知っている。
――間違いない。母さんの仕事だ。
俺は冬眠に入ったセイコ02を前に頭を働かせる。おそらく奴らは何らかの意図があって時間を稼ぎ、こちらの動きを封じたのだ。
「まんまと嵌められたわね」
唸る聖子に俺も異論はない。ただその規模には違和感を覚えている。
――おそらく想像を超える動きを狙っているに違いない。
身構える俺達だが、やがて、その意図は明らかとなった。これまでなりを潜めていた国境なき税務団が、大攻勢を仕掛けてきたのだ。
その勢いたるや、実に凄まじい。あっという間に三段構えの防御壁の二番目までが突破されてしまった。
さらに桜志会の岡本先生からも、サイバー攻撃を受けている連絡が入った。税務当局も同様らしい。
――かなりマズい。セイコ02の起動を待つ時間がない。だが、このままでは全滅だ。
ジレンマに陥る俺だが、はたと傍らで何やら作業に入る聖子に気がつき、声を上げた。
「おい待て聖子、まさか……」
「そのまさかよ。セイコ02にかわって私が直接、サイバー空間にダイブする」
「幾ら何でもそれはマズい。リスクも考えろよ。まだテスト中の技術なんだぞ」
俺と隼人さんが慌てて説得に入る。実はデジタル生命体のプログラミングにあたり、ベースとなるパーソナルデータを聖子に求めたのだが、その技術を転用し、直接サイバー空間へダイブする開発を進めていたところなのだ。
俗に言うVRMMO技術で、バーチャル空間内の世界に専用デバイスで入り、五感を使って遊ぶ〈仮想現実大規模多人数同時参加型オンラインゲーム〉をさす。
当然、臨床試験も終わっておらず、テストも数回しか行われていない。下手をすれば脳波に直接ダメージを受け意識は戻ってこない。
俺と隼人さんは、その旨を懇々と説くものの聖子は「リスクは承知の上」と構わず準備に入っていく。元々、喧嘩っ早い聖子だ。一度、闘争心に火がついてしまえば、誰にも止められない。
やむなく俺と隼人さんは、聖子のギャンブルに付き合うこととなった。Attachments:
You must be logged in to view attached files.第十二話
「優斗、国境なき税務団について、どこまでご存じですか?」
「デジタルジャパンを建国し、世界を最適化した上でその運営を無税で回していこうってことくらいだ」
「十分です。では桜志会については?」
「税理士からなる任意団体だ」
「この二つ、似てると思いませんか?」
「はぁ!?」
俺は思わず首を傾げた。無理もない。全くの異物を同類だと説明されたのだ。混乱するのも筋だろう。だが、ジェイソンは構うことなく続けた。
「優斗、君も感じていると思いますが、ネット社会では分かってるか、分かっていないかのオール オア ナッシングで、そこに理解はないんです。あるのは肌感覚の実感だけ」
「まぁ、言わんとすることは分かる」
俺は取り敢えず、納得してみせた。かつて、俺もプログラミングの威力と凄さに衝撃を受けた瞬間はあった。人間が手間を労する作業を、機械はわずか十数行のプログラムで簡単にこなしてしまうのだ。
凄いパワーを手に入れた――まるで己の力が数倍に飛躍したかのような錯覚が、俺を虜にし今あるネットリテラシーのベースとなっている。
才能や努力じゃない。ただ知っているか知らないかだけ。だが、慣れていない人間は、この差を理解で埋めようとしてしまう。
結果として、実態とかけ離れた虚像を思い描き失敗に至るのだ。
「時空を超えた非言語的コミュニケーション能力、とでも言いましょうか。超人的な直感力に洞察力……つまり、我々はニュータイプ世代と言うです」
「ガンダムか? 随分、古い例えだな」
「えぇ、ですが言い得て妙でしょう?」
ジェイソンは、微笑を浮かべながら続けた。
「あくまで私見ですが、桜志会が担う税務行政支援の肝は、公平・中立・簡素。これを突き詰めた先に国境なき税務団が目指す無税国家がある。特にデジタルがこれを加速させる力を持っている」
「あのなぁジェイソン。俺達は人類のためと称し、テロを起こしたりはしない。同じ土俵で語るな。心外だ」
吠える俺だが、ジェイソンはここで爆弾を落とした。
「優斗、僕は君こそがデジタルジャパンの初代国家元首に相応しいと思っているんです。そのためにここに転校して来ました」
これには、さしもの俺も思考が停止した。一体、何をどう考えればそのような結論に達するのか。大いに疑問を感じる俺だが、どうやらジェイソンは本気らしい。
「優斗、本当に君は理想なんです。適度にものを知りつつ、同時に深くものを知らない。一つ、僕が指南役となりましょう」
そこでジェイソンは、ピタリと説明を終えた。
放課後、俺はいつもの公園の自販機前で聖子と合流した。普段と違うのは、ジェイソンを伴っている点だ。これが場の空気を凍らせている。
特に聖子が頑として口を聞かない。
――どうやら、これは想像以上らしい。
俺が時間を持て余していると、ジェイソンが両手を上げ肩をすくめて、お手上げの仕草を見せた。
「分かってくれよ聖子。僕は君達の味方なんだ。ただネット社会に適合する未来のあり方について、段取りをつけに来たに過ぎない」
「ジェイソン、悪いけど私は信じられない。あなたは、もっと別の目的で派遣されてきたはずよ」
「ないない。聖子、確かに君とは以前、一悶着あったかもしれないが、それも含めて詫びる。どうか信じてくれ」
ここでジェイソンは、一束の資料を見せた。何事かと首を傾げつつ、俺は聖子とその資料に目を走らせ思わず声を上げた。
「ジェイソン。これって……」
「国境なき税務団で見積もられているデジタルジャパン建国の行程表、通称・天沼矛プロジェクトさ。水面下ながらも各国から独立国の承認を得ている。まさに古事記の国産みだ。興奮するだろう?」
「しねぇよ。日本だけならいざ知らず、これを一里塚に世界の国境を和の価値観で書き換えるつもりなのだろう」
「いかにも。時代の要請を受ける形でね。これは、目に見えない独立戦争の新しい形態というわけです」
鼻息荒く語るジェイソンに俺は、達観美味に問うた。
「ジェイソン、百歩譲ってそれを認めるとして、だ。俺達に何を求める?」
「イザナミとイザナギをやって欲しい。日本をアナログの楔から解き放ち、デジタルという新たな坂の上のクラウドに向けて駆け上がる。その先陣を切っていただきたい」
「詭弁だな。要するに桜志会を通じ、和解交渉を持ちかけたいって事か?」
「有体に言えば、そういう事です。協力出来るところは協力し合う。合理的でしょう?」
涼しい顔で言ってのけるジェイソンだが、確かに筋は通っている。一定の理解をした俺だが、それでも胡散臭さは残った。
――さて、どうしたものか。当然、聖子は反対だろうしな。
そんなことを感じつつ頭を捻る俺だが、意外にもこれを聖子は受け入れた。
「いいでしょう。ジェイソン、アンタを信じる」
「本当かい。そうか、分かってくれたか。嬉しいよ。桜志会と国境なき税務団――君達にとっては相入れない存在だろうけど、その間はこの僕が取り持つ。任せてくれ」
善は急げとばかりに去っていくジェイソンを見送った俺だが、その姿が見えなくなったところで、聖子がポツリと言った。
「優斗。絶対、あいつから目を離さないで。あれは何らかの魂胆を隠した顔よ。そのうち必ず尻尾を出すから、それを見逃さないで。いい?」
「え、あぁ……分かった」
俺は促されるがままにうなずく。その後、しばらく今後の方針を話し合っていた俺達だが、不意に甘い香りが漂ってきた。見るとクレープの移動販売カーが公園に立ち寄っている。
「あ、あそこのクレープ。評判になってた奴! ちょっと待ってて」
甘いものに目がない聖子は、取るものも取らずに駆け出していく。その背中を見送った俺だが、そこへ太いダミ声が響く。
「お、君は確か五十嵐先生のところの息子さんじゃないか!」
驚き振り返った先に立っているのは、大柄の五十代半ばと思しきスーツ姿の中年男性だ。恰幅のいいその様は、どこかの社長といった風体だる。
――ん? 何だこのオッサンは?
首を傾げる俺だが、そのオッサンは「ちょっといいかい?」と了解を求め、俺の前に腰掛けた。
「あの、どこかでお会いしましたっけ?」
「桜志会のイベントでね。まぁ、チラっとだけだが」
「あー……桜志会の先生でしたか」
「うむ。片桐だ。君の事は色々聞いているよ。国境なき税務団を相手にあそこまで立ち回るとは。五十嵐先生もさぞお喜びだろう。君もやっぱり税理士を目指すのかい?」
「や、そこまではまだ……」
「ふむ。もしなったら是非、桜志会に参加してくれ。喜んで迎えよう」
大いに歓迎モードの片桐先生に俺は「それはどうも」と頭を下げた。その後、いくつかの雑談を挟んだ後、何用で来られたかを問うと、片桐先生は丸メガネを押さえ、ため息とともに説明した。
なんでも桜志会の活動が、閉塞状態気味になっているらしい。
「会の運営に支障はない。だが、何というか……組織が持つポテンシャルを活かし切れていなくてね。君はどう思う?」
「え、や……どうと言われても、親父が桜志会なだけで、俺自身に資格はありませんし……」
「その割には、随分と活発じゃないか。一つ、五十嵐先生に変わって助言してくれ。忌憚なく言ってくれればいい」
胸の内を晒す片桐先生に、俺は恐縮しつつも、思いの丈を述べた。
「あの、俺が言うのも生意気ですが……皆、桜志会活動を心の中から楽しんでおられないのでは?」
「そりゃ、付き合いもあるだろう」
「その考え方は、時代が右肩上がりだった頃にはプラスに働きます。ですが、会員数が五百人を切っている。入ろうか迷っている、もしくは辞めたいと思っている状況では逆効果です。なら作戦がいる」
「ほぉ……」
興味深げに身を乗り出す片桐先生に、俺はズバリと切り出した。
「〈太陽と北風作戦〉で、どうですかね?」
どこまで伝わるか不安だった俺だが、どうやらその意を察してくれたようだ。片桐先生は、意味深に問うた。
「つまり、あれか。活動の参加を強制する北風でなく、太陽で胸襟を開かせろ、と」
「はい。桜志会は任意団体です。なら本気で楽しまないと」
「出来るか?」
「出来ると思いますよ。楽しさを感じれないのは、きっと組織に使われているからです。逆にこちらからその組織力を使ってやる感じ? そうなれば自然と楽しくなる。その空気は確実に伝播する。自分も楽しまねばとなって」
「旅人は外套を脱ぐ。太陽の勝ちとなる、と」
「はい。参加すると言うより攻略する感覚ですかね。小さく産んで大きく育てよ。少しずつ楽しめる領域を広げていければ。そもそも楽しくなければ続きません。続けば継続は力となる。その好循環が数年後に大きな差となって返ってくる気がします」
「なるほどな。しかし、会員でもないのに、その歳でそこまで考えているとは驚きだな。ちょっとマセ過ぎじゃないか」
片桐先生は冗談を絡めつつ、肩を揺らし大いに笑っている。楽しげなその表情は、まるで少年に戻ったようだ。
「いやぁ、愉快だ。昔を思い出すよ。何も考えず、ただ目の前に熱中していたあの若かれし頃をね……っとイカン。もうこんな時間か。優斗君、また会おう」
笑顔で手を振り去っていく片桐先生を見送った俺だが、そこへクレープを手にした聖子が戻ってきた。
「優斗。あれ片桐先生じゃない。一体、何を話してたのよ?!」
「や、大した事は……っていうか片桐先生って有名なのか?」
「有名も何も、あの人が今の桜志会の会長さんなのよ!」
――あぁ、あの先生が……。
俺は改めて納得するや、片桐先生が去っていた方向を呆然と眺め続けた。Attachments:
You must be logged in to view attached files.※ スミマセン。第七話から「桜志会」を間違えて「竹葉会」と書いてきてしまいました。
(誤)竹葉会 → (正)桜志会 です。
第十一話
Jを嵌めたつもりが、逆に嵌められる始末となった俺達は、固唾を飲んで画面を注視している。聖子の言う通り、トラップがバレた以上、勝負は欺瞞のために用意されたゲーム・アルゴへと移らざるを得ない。
――マジかよ。
俺は頭を抱えつつ、カウントダウンを追った。やがて、ゼロとなったところでゲームがスタートした。たちまち画面が切り替わる。
セイコ02とJは、ともに木造の飛行船が飛び交うファンタジックな世界へと投げ出された。
「隼人、ここのゲーム設定は?」
谷口社長の問いに隼人さんが、マニュアル片手に応じた。
「うまくギミックを活かしてポイントを稼ぎながら闘うサバイバルゾーンです。まさか本当にここを使うとは、想定していませんでしたが……」
「仕方がないわ。こうなった以上、セイコ02に勝負を託しましょう」
どうやら谷口社長も腹を括ったらしい。勝負を見守るその目は、まさに経営者として戦う者の目だ。
一方、俺は作業に忙殺されている。使うことを想定していなかったゲーム・アルゴが不具合を起こさないか、コードを見直しているのだ。
社内がてんやわんやの大騒ぎとなる中、隼人さんの怒声が響く。
「優斗、アルファーモードのチェックを頼む!」
「今、やってますけど、もう持ちません」
「持たないって、じゃぁどうするんだよ!?」
声を荒げる隼人さんに、俺はしばし考慮の後、言った。
「こうなったら隼人さん、切り札を使いましょう」
「切り札って、アレか?」
隼人さんの目が谷口社長を向く。谷口社長は迷うことなくゴーサインを出した。
「優斗、やれ」
俺は間髪入れずにエンターキーを叩く。たちまちギリギリだったゲームステージの負荷が半減した。難を逃れた俺達だが、この策にはリスクを伴っている。あくまでセイコ02の勝ちを前提とした処置なのだ。
もし負ければ、谷口エンタープライズのデータは筒抜けとなり、全ての技術が国境なき税務団に渡ってしまう。それだけに二体の戦いに対する眼差しは真剣だ。
――頼むぜセイコ02。
俺は祈るような気持ちで成り行きを注視している。一進一退の攻防が繰り広げる中、俺の関心はJの正体へと移った。
〈Jのパーソナルデータ提供主、おそらくジョン黒田の息子よ〉
先だって聖子から明かされたJの正体だが、俺は信じられなかった。ただ今、改めて見るとその雰囲気は揃っている。ただ確信が持てない。
そんな中、セイコ02の放つ前蹴りがJの顔面を捉えた。たちまちJのサングラスが弾け飛び、その下から素顔が露わになった。
――あれがJの素顔!?
俺は思わず目を奪われた。それは、明らかにジョン黒田の遺伝子を引く面構えだった。
――間違いない。Jのパーソナルデータはジョン黒田の息子、ジェイソン黒田だ。となれば……。
解明した謎に吹っ切れた俺は、セイコ02に新たなプログラムを施した。実は聖子からこの可能性の指摘を受け、あらかじめ専用の戦闘パターンを用意していたのだ。
画面にインストール完了の文字が踊るや否や、セイコ02のファイティングスタイルがガラリと変わった。
「へぇ、カポエラじゃない」
興味深げに身を乗り出す聖子に、俺はうなずく。このカポエラとは、黒人奴隷が看守にばれないようダンスのふりをして修練した格闘技とされている。
手かせをされていた奴隷が鍛錬した格闘技ゆえに、足技がメインとなる。特徴はトリッキーでアクロバティックな動きだ。これが対J戦で大いに威力を発揮した。
「よしっ」「いけ」「やっちまえ」
画面を前に俺達の観戦にも熱が入った。手に汗握るバトルは、やがて佳境に差し掛かる。ついにJを甲板の端まで追い詰めたのだ。
――勝ったな。
勝利を確信した俺達だが、不意にJがガードを下げニヤリとほくそ笑んだ。次の瞬間、Jは自らの身体もろとも木っ端微塵に吹き飛んだ。その衝撃たるや用意したアルゴのサイバースペースの約半分を破壊する凄まじいものだった。
「自爆するとは、な……」
「まさかセイコ02もJの道連れに!?」
愕然する俺達だが、聖子が笑みとともに画面を指差し言った。
「曲がりなりにも私のコピーよ。そんなやわじゃないわ。ほら、ここ」
促されるままに目を走らせると、確かにセイコ02の姿があった。どうやら周囲のプログラム素材でバリアを構築し、最深部への通路へ逃れたらしい。
そのポテンシャルに俺達は、改めて舌を巻いた。かくして勝利をおさめた俺達だが、失ったものも大きい。Jの自滅の巻き添えとなったサーバーは三台、うち二台が再起不可能なダメージを受けオシャカとなった。
谷口エンタープライズが全社を挙げて復旧に取り組む中、俺はやり切れない気持ちでいっぱいだ。
――確かに勝利はした。自滅したとはいえ、断片の回収からJの分析は可能だろう。だが……。
項垂れる俺に聖子が傍らから声をかけた。
「優斗、大丈夫?」
「あぁ、ただちょっとやり切れなくてね……」
「Jの事ね?」
聖子の問いに俺は黙ってうなずく。確かに本体が保存されている以上、複製を産むことは可能だろう。
だが、あれも俺達と同じ一つの生命体なのだ。その命を何の躊躇もなく、いとも簡単に自滅させた。それは間違いなく母の仕事なのだ。
「戦争は人を狂わせる。どうやら母さんは変わってしまったらしい」
虚ろな瞳を宙にさまよわせる俺の気持ちは、塞ぎ切っていた。
Jとの激闘から数日が経った。相変わらず気の晴れない俺だが、そんな憂鬱を吹き飛ばす出来事が起こった。キッカケは学校のホームルームで、いかにも体育会系といった担当教師の岡村が、転校生を知らせたことに由来する。
――転校生? 今どきか?
頭にクエスチョンマークを浮かべる俺は、岡村の合図で入ってきた男子学生に思わず目が点になった。茶髪に後ろを括った丁髷姿を俺は知っている。誰であろう。Jだ。
「ジェイソン黒田君だ。皆、仲良くするように。席は五十嵐の隣でいいだろう」
岡村に促されたジェイソンは、一礼とともに俺の隣に腰掛けるや、片目をつぶって見せやがった。その大胆さに俺は、驚きを通り越し呆れている。
その後、休憩時間を待って俺は切り出した。
「おいJ。一体、どういう魂胆だよ!」
「優斗、リアルの僕はJじゃない。ジェイソンだ」
「どっちでもいい。何の真似でここに来た!?」
問い詰める俺にジェイソンは、冷笑しつつ目を細めながら言った。
「ちょっと、色々ありましてね。何かと思惑が錯綜してるんですよ。特に桜志会絡みで、ね」
――桜志会絡みだと!?
怪訝な表情を浮かべる俺に、ジェイソンは席を立ち手招きした。促されるまま後に続く俺だが、胸の内は疑心暗鬼でいっぱいだ。
――コイツは、俺達が敵対する国境なき税務団のボスの息子じゃなかったのか。その御曹司がなぜここにいるんだ。
謎が次々と頭を駆け巡る中、俺達は自販機前の休憩室でベンチに腰掛けた。徐ろに切り出したのは、ジェイソンだ。
「まず初めに申し上げますが、僕はあなたと敵対関係にありません。これだけは保証しましょう」
「おいちょっと待て。よく言うぜ。つい先日、サイバー空間でやり合ったばかりじゃねぇか。ド派手に自爆かましやがって、復旧にどのくらいかかるか見当もつかねぇんだぞ」
「だから、それは僕じゃないんです。ただ分身がネット上で暴れただけで、僕個人とは一切、無関係。あなたも十分ご存じのはずですよ」
「じゃぁ、その本体とやらが何の用でここへ? 桜志会とどういう関係なんだよ?」
立て続けに問いを重ねる俺に、ジェイソンは澄まし顔で紙コップのコーヒーを口につけながら、ゆっくり説明を始めた。Attachments:
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