【新企画】桜志会のイメージキャラ小説

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【新企画】桜志会のイメージキャラ小説

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    • 一井 亮治
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        桜志会を擬人化したマスコットキャラ案――『桜子と志郎』ーーの連載を試みるマイ企画です。

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      • 一井 亮治
        参加者

          『桜子と志郎』

           一話

          「私は、自分が嫌い」
           嫌悪感を吐露するのは、女子高生の源桜子だ。上に三つ離れた兄・志郎がおり、既に税理士資格を有し、大学の傍ら税理士事務所を営む父を補佐している。
           いわゆる源家自慢の兄であり、桜子にとってコンプレックスの対象だ。志郎はいう。努力は裏切らない、と。
          「対して私は……」
           嘆く桜子は、頭を抱えた。とにかく不器用なのだ。いつしか兄と比べられることに嫌気が指し、最低限の努力すらしなくなった。
           今日も授業をサボり、屋上でタバコを吸いながら、進路の提出用紙を眺めている。
          「進路も何も、どうせ私は落ちこぼれよ」
           鼻を鳴らす桜子だが、そこへ突風が吹き進路の用紙が飛んだ。慌てた桜子がその用紙を追った矢先、足を踏み外してしまった。
           ――ヤバいっ……。
           既に片足は屋上にない。桜子は真っ逆様に転落するや地面に激突し、意識を失った。

           どれほど時間が経過したことだろう。はたと目を覚ました桜子は、己の姿に息を飲んだ。体は透け宙に浮いており、その下には昏睡状態の肉体が病床の上で寝かされているのだ。
           周囲には、泣き崩れる家族の嗚咽が響き渡っている。幽体離脱中の桜子は、愕然としながら呟いた。
           ――私、死んだの?
           傍らの医者が曰くには、桜子は植物人間状態にあり、余程のことがなければ意識が戻ることはないだろう、との事だった。
           切り裂くような親の号泣に桜子は、胸を引き裂かれる思いだ。そこへ背後から声が響いた。
          「ま、そう言うことさ」
           振り返ると、いかにも生意気といった天使とも悪魔とも取れる少年の姿がある。
          「僕はシュレ、死神だ。桜子、君をあの世から迎えに来た……と言いたいところだが、ちょっと事情があってね」
           シュレは、意味深な笑みとともに続けた。
          「桜子、実は君は閻魔から無作為に選ばれたんだ。生き返らせてやってもいい。ただ条件がある」
          「条件?」
           聞き耳を立てる桜子にシュレは、続けた。曰く、日本は霊界ともに危機にあり、亡国の憂き目にある。もし救国の任務を受けてくれれば、生き返らせてやってもいいとの事だった。
          「どうだい。いい条件だろう?」
           腕を組み鼻で笑うシュレに桜子は、しばし考えた後、大きくかぶりを振った。
          「いらない」
          「おいおい桜子、生き返れるんだぜ」
          「もういい……十分よ」
           桜子は自嘲気味に嘆いた。
          「源家のお荷物の私が国を救う? そんなのムリよ。これまでも色々努力はしたよ。でも何をやってもダメ。むしろ、そう言う崇高な仕事は、優秀な志郎兄がやればいい」
           桜子の言葉にシュレは、肩をすくめながら言った。
          「桜子。キミは一つ誤解をしてるよ」
          「誤解?」
           聞き耳を立てる桜子にシュレが言った。
          「努力は裏切らない。必ず結果が伴うって思ってる? 違うよ。平気で裏切る。正しくやらないとね。しかも何が正しいかは時代によって変わるし、効果も人によってまちまちだ」
           淡々と語るシュレに桜子は、返す言葉がない。シュレは畳み掛けた。
          「要するに単なるトライさ。あくまで挑戦であって、確実に見返りが保証されている訳じゃない。でも前進するにはトライしかない。難儀な話さ」
          「じゃぁ、私は……」
          「あぁ、今のままじゃ、どんなに頑張ってもお兄さんみたいにはなれないね」
           断言するシュレに桜子は、改めて己を嫌悪した。そんな心中を察したようにシュレが続けた。
          「ただね。キミには、そんなお兄さんに頼る権利はある。才能には恵まれずとも親兄弟には恵まれた。ならそれを十二分に活用して、自分にしか出来ない事をやればいいじゃないか」
           ――自分にしか出来ない事……
           桜子は改めて考えた。そんなものがあるなら、真っ先にでも頼りたい気持ちだ。
           さらにこうも思った。国を救うなど大それた事が出来なくとも、親兄弟の力を得てなら、こんな自分にも何か出来るのではないか、と。
          「どうだい。この契約、受ける気になった?」
           改めて問うシュレに桜子は、しばし考慮の後、うなずく。
          「えぇ……いいでしょう。ただし、こちらにも条件があるわ」
          「ほぉ、何だ?」
           聞き耳を立てるシュレに桜子は、言った。
          「救国とはいえ、まず守るのは家族。もし、それが破られたら、私は迷わずこの国を棄てる」
          「ふむ。なるほど……まぁ、確かに国なんて、沈めば乗り換える船みたいなもんだ。オーケー、契約成立だ。期待してるぜ」
           シュレは、パチンと指を鳴らす。すると見る見るうちに桜子の透けた魂が、病床の肉体へと戻り、それまでピクリとも動かなかった桜子が、はっきりとまぶたを開いた。
           驚いたのは、家族だ。
          「桜子!」
          「志郎兄……」
           布団から出す桜の手を志郎兄が握りしめる。慌てて戻ってきた医者の診断を受けながら、桜子は感涙する家族を前に誓いを立てた。
           ――手に入れたこの命。もう一度、大事に使ってみよう。皆のために……。
           決意を固めるその目には、力強い光が宿っていた。

        • 一井 亮治
          参加者

            『桜子』『志郎』のキャラ絵

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          • 一井 亮治
            参加者

               二話(※十日ごとの連載予定です)

               退院から数日後、桜子はシュレとともに荒廃した大地に立っている。
              「これが百年後の日本……」
               あまりの惨状に絶句する桜子にシュレが言った。
              「止まらない少子高齢化、国際競争力を失う製造業、天文学的な財政赤字、インフレ……その行くつく先がこれさ」
              「シュレ、何とか未来を変える方法はないの?」
               愕然としつつ、問いを投げる桜子にシュレが肩をすくめながら答えた。
              「なくはないよ。ただ、そのためには歴史のクリスタルを集める必要がある」
              「何それ。どこにあるのよ?」
              「それがよく分かっていない。ただ歴史を揺るがす大事件に絡んで現れるのは、事実だ。要は段階を踏もうってことさ。今、君は僕とこの国の暗い未来を確認した。なら次にすべきはこの国の成り立ちを見直すこと」
              「つまり、過去へ飛ぶってことね」
               確認する桜子にシュレはうなずき、意味深に問うた。
              「桜子、日本って国の出発点ってどこだと思う?」
              「え……そりゃぁ税制かな。租・庸・調が整備された頃じゃない?」
              「ハッハッハッ……さすが税理士一家だけあるね。確かに一理あるが、まずは日本の風土を決定づける出発点へ飛ぼう。おそらくそこに歴史のクリスタルがある。鍵はここに書かれているよ」
               シュレは、一冊の書物を差し出した。
              「これって、古事記じゃない!」
              「そうだよ。日本の歴史の出発点だもん。じゃぁ健闘を祈るよ」
               そこでシュレは指を鳴らした。その直後、桜子の視界から未来の景色が消え、その身が時空の移動空間に投げ込まれた。桜子は体の上下もままならないまま、いきなり大昔の時空へと放り出された。
              「ここが、太古の日本……」
               桜子は、文明らしきものがほとんど見られない情景に困惑しつつ、古事記を開く。そこには、日本という国が神々から生み出された出発点が記されている。いわゆる〈国産み〉だ。
              「イザナギとイザナミの二神が、泥の海を矛で掻き混ぜ、滴り落ちたものが島となり日本の原型になった、か。トンデモ本ね」
               桜子は鼻で笑いつつ、古事記を閉じた。まずは視察とばかりに西へ向かうと、広大な水場が広がっている。
              「あれは、日本海?」
               試しに波打ち際へ歩み寄り、調べてみてみると、意外に淡水湖だった。ただ、そのサイズは海の如く広い。琵琶湖など比べ物にならないほどだ。
               さらに驚くべきことに、一本の浜辺を挟んだ向こうには、まごうことなき大海原が広がっていた。
               そうこうするうちに天候が崩れ始めた。風が強まり波が激しさを増していく。
               ――嵐が来る。早く避難を。
               桜子は、叩きつけるような雨風に晒されながら、近辺の丘へと避難した。よじ登った頂上から一帯を見下ろすと、今まさに海と湖を隔てる浜辺が切れかかっている。
               その光景に桜子は、はっと息を飲んだ。
               ――もしかして、これって……。
               実は以前、兄・志郎から太古の日本は大陸と地続きである事実を聞かされていたのだ。
               ――間違いない。今まさに日本を決定づける大事件が起ころうとしている。
               その直後、心臓が止まるかと思うほどの雷が落ちた。稲妻は地上に矛を突き立てるが如く浜辺の岩を打ち砕き、蟻の一穴となって海水をなだれ込ませた。
               そこから始まったのは、一大スペクタルである。まさに古事記にある『神が矛でかき混ぜる』が如く、怒涛の勢いで淡水湖を海へと変えていった。
               それは、古代の人々にとって忘れられない出来事となったはずだ。この嵐が去った後には湖は海水に変わっており、大陸から切り離され島国になっていたのである。
               まさに国が生まれ変わったが如くだ。その歴史的瞬間を目の当たりにした桜子の前に光る物体が現れた。
              「あれだっ! 歴史のクリスタル!」
               迷うことなく駆け出し丘から跳び込んだ桜子は、クリスタルをその手で掴んだ。その瞬間、桜子の体はまばゆい光に包まれ、体が時空の移動空間に飲まれていく。
               気がついたときには、周囲は現代に戻っていた。目の前には、笑顔のシュレが立っている。
              「桜子、どうやら成功したようだね」
               桜子は大いにうなずく。
              「日本の歴史の出発点は、大陸から切り離され島国になった瞬間って事ね」
              「そう。島国となったことを機に日本は、大陸の影響を色濃く受けつつも、独自の文化を育んでいくことになる。税制も然りさ」
               諭すように語るシュレを前に桜子は、改めてクリスタルを見る。そこには美しさと妖しさを兼ねあわせた独特の輝きがあった。

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            • 一井 亮治
              参加者

                 三話
                 
                「日本の特徴?」
                 桜子の問いに首を傾げるのは、兄・志郎である。書籍が山積みの部屋で大学の研究に向き合っていたところを、桜子が割って入り答えを求めたのだ。
                 無論、狙いはシュレから求められている歴史のクリスタルの解明にある。そんな桜子に志郎が切り出した。
                「やはり税制でみれば、シャウプ勧告だろうな。社会情勢に応じ修正されてきたとはいえ、現在も我が国の税制の基礎だ」
                「や、税理士としての模範解答はそうなんだろうけど、もっと分かりやすいやつってない?」
                 安直さを求める桜子に志郎は、腕を組み考慮の後、言った。
                「日本語かな。平仮名やカタカナがあり、漢字に至っては訓読みと音読みに分かれ、困ったことにその使い分けに法則性がない。だが、そんな複雑さを持ち前の器用さで使いこなしてしまう。まさにガラパゴスだ」
                「確かに」
                 納得する桜子に持ち前の知的好奇心をそそられたのか、志郎は「研究してみよう」と机上のパソコンを立ち上げた。
                「桜子、『黄金虫』って知ってるか?」
                「何それ、おいしいの?」
                「食い物じゃない。エドガー・アラン・ポーの短編推理小説だ。そこに暗号解読が出てくる。使用頻度を調べ最も多い記号が、アルファベットでよく使われる〈e〉だとして解読していくんだ」
                「へぇ、頭っいい! じゃぁ日本語はどうなんだろう」
                「それを調べるのさ」
                 志郎は、画面に夏目漱石の『草枕』を開くと、さらにエクセルを立ち上げ縦軸にアイウエオの母音を、横軸にアカサタナの子音を作りリストにした。
                 そこで、草枕の文章に出てくる文字の使用頻度を一つ一つ入力していったのだが、集計すると思わぬ傾向が出た。桜子が画面を指差しながら言った。
                「志郎兄、これって……」
                「あぁ、間違いない。母音の〈ア〉が多く、〈エ〉が少ない。なぜだ?」
                 顎を手に乗せ画面を睨む志郎に、桜子は素直な意見を出した。
                「〈ア〉の母音が一番、発音しやすいからじゃない?」
                「あぁ……確かにそうだ。桜子、お前の言うとおりだ。凄いじゃないか」
                 驚く志郎に桜子は、思わず照れつつもさらに言った。
                「この傾向って、どの場合でも同じなのかな」
                「人名とかどうだ。女性なら〈子〉で終わる場合が多いから、母音も〈オ〉が多そうだ。おそらく違う傾向が働くはずだ」
                 そこから知的探究心に火がついた二人は、日本語の言語研究をデータから読み解き始めた。まさにID野球ならぬID文学である。
                 やがて、二人の研究が佳境に入り始めた矢先、桜子のポケットが光を放ち始めた。歴史のクリスタルである。
                「おい桜子、何だよそれ!?」
                「や、これはその……歴史のクリスタルって言ってね」
                 桜子の説明もままならないうちに、二人はクリスタルが放つ光に飲み込まれ、現代から姿を消した。

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              • 一井 亮治
                参加者

                    四話
                   
                   上下もままならないまま時空を移動した二人は、見知らぬ空間へと乱暴に放り出された。
                  「痛っ……」「何だよ、ここは!?」
                   上体を起こした桜子と志郎だが、そこで一人の女性を下敷きにしているのを見つけ、慌てて場所を退いた。雛人形の如く重ね着をまとったその女性は、ぶつけた頭を押さえつつ声を上げた。
                  「あなた達は一体、何ですか。いきなり!」
                  「や、それが俺達もいきなりここに放り出されて……」
                   戸惑いの声を上げる志郎だが、傍らの桜子が周囲を眺めつつ素早く頭を働かせた。
                   ――この感じ。多分、平安時代ね。そこで日本の特徴や起源に行き着くとすれば……。
                  「もしかしてあなたは、紫式部さん?」
                  「おい桜子、お前何言ってんだよ」
                   笑う志郎だが、その女性は乱れた身なりを整えつつ、返答した。
                  「えぇ、紫式部ですが、なぜそれを?」
                  「実は私達、未来から来たんです」
                   これには紫式部は言わずもがな、傍らの志郎も驚きを隠せない。そんな二人に桜子は、事の顛末を手短に説明していく。
                  「つまり、歴史のクリスタルとやらに呼ばれて、日本の起源を探るべく平安時代にタイムリープしたってことか?」
                  「そうなの志郎兄。と言っても信じてもらえないだろうけど……」
                  「いえ、私は信じますよ」
                   声を上げるのは、紫式部である。
                  「感じるんです。遣唐使の廃止に伴い国風文化とでも言いましょうか、この国……つまり、桜さんの仰る〈ニホン〉の根幹たる日本語が独自の形に作り変えられていくのを。でもね……」
                   そこで紫式部は表情を曇らせ、その目に涙を滲ませた。驚く桜子と志郎に紫式部は「ごめんなさんね」と謝りつつ、説明した。曰く、夫の宣孝に先立たれ生きる希望を失いかけている、と。
                  「もういっそのこと、この身ともども……」
                  「や、ダメです紫式部さん。あなたにはやらねばならぬことがあるでしょう!」
                   吠える桜子に紫式部は首を傾げている。やむなく桜子は、言った。
                  「『源氏物語』ですよ! 世界最古の長編小説にして、日本が誇る萌え萌え宮廷ゴシップノベル! あなたは、その元祖なんです」
                  「フフッ……確かに書き掛けの小説はあるのですが、とても人にお見せできるものでは。それに私如きがそんな大それたこと……」
                   恥じらう紫式部に、前のめりになる桜子だが、それを志郎が手で制す。目配せの後、志郎は思わぬ角度から紫式部を刺激した。それはまさに寸鉄人を刺す一言だった。
                  「そういえば、清少納言さんも有名ですね」
                   これに紫式部はピタリと体を止める。ジロっと睨む紫式部に脈ありと見た志郎は、朗々と『枕草子』の一節を詠みあげた。
                  「春は、あけぼの。ようよう白くなりゆく山ぎは、すこし明かりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる……」
                  「志郎さん」
                   紫式部は、咳払いの後、厳かに言った。
                  「私の前であの女の話は、なさらないでくださるかしら」
                  「や、しかし名文ですし……」
                  「名文?! ちょっと漢文が読めるからって皆に煽られて得意げになって、実に浅ましい。よく読めばあの人の漢文は未熟だし「人と違うんですよ、私は」って思い込んでるだけでしょう。ふん、馬鹿らしい。こうしちゃいられないわ」
                   紫式部は、いても立ってもいられなくなったのか、書き掛けの小説を机に広げ言った。
                  「桜さんと志郎さん、悪いけど出ていってもらえるかしら。執筆の邪魔だから」
                   人が変わったように己の世界に没頭する紫式部に二人は、笑顔でうなずき合う。そこで歴史のクリスタルが光を放った。
                   たちまち二人は、その光に飲まれ平安時代から姿を消し、元いた現代へと舞い戻った。周囲が志郎の部屋であることを確認した桜子がしみじみと言った。
                  「志郎兄。平安時代って、要するにヒキコモリの時代よね」
                  「あぁ。ある時は繋がり、ある時は鎖ざす。そうやって大陸から多分に影響を受けつつ、島国としての独自性も構築した。それが現代日本さ」
                   桜子はうなずきつつ、志郎に問うた。
                  「ところで志郎兄は、開国派? 鎖国派?」
                  「もちろん前者さ。鎖ざした国に待つのは没落のみ。未来はないね。桜子は違うのか?」
                   問い返す志郎に桜子は、複雑な笑みを浮かべながら、輝きを増した歴史のクリスタルを眺め続けた。

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                • 一井 亮治
                  参加者

                     五話
                     
                    「へぇ。随分と輝かせたじゃないか」
                     歴史のクリスタルを手に微笑むのは、シュレだ。あれ以降、桜子と志郎は救国の糧を過去に求め、日本のルーツを様々な角度から研究することで理解を深め合っていた。
                     感心するシュレに、志郎が徐ろに切り出した。
                    「シュレ、実は行きたい時空があるんだ」
                    「どこだい?」
                    「15世紀のベニスだ」
                     これには、シュレも驚かざるを得ない。救国の時空探検を海外に求めてきたのだ。理由を問うシュレに志郎は、断言した。
                    「俺が税理士だからさ」
                     意を察しかねるシュレに志郎は、続けた。
                    「シュレ、今まで俺は国を変え未来を救うには、政治家か官僚になるしかないと思っていた。だが、今は違う。救国は税務の現場から起こしたい。その為にも税制の基礎を担う会計……つまり、複式簿記のルーツと日本への伝来をこの目で確かめたいんだ」
                    「私も日本を内側からだけでなく、外からも眺めてみたいわ」
                     志郎の熱弁に桜子も続く。そんな二人にシュレは腕を組み考慮の後、うなずいた。
                    「オーケー、イタリア語は喋れるかい?」
                    「簡単な会話ならな」
                    「いいだろう。ただ海外の時空は僕の念力にも限界がある。リスクは伴うよ」
                    「あぁ構わん」「承知の上よ」
                     声を揃えて同意する二人に頼もしさを覚えつつ、シュレは言った。
                    「オーケー。じゃぁ一つ、頼まれてもらおうか。前にも言った通り、クリスタルは、歴史を揺るがすものに大きな反応を受ける。そのキーアイテムを入手するんだ」
                    「『スンマ』だな?」
                     返答する志郎にシュレがうなずく。一方の桜子はその正体が分からない。
                    「スンマ?」
                     首を傾げるものの、シュレは構わず指を鳴らした。たちまち二人の体が光に包まれ、現代から姿を消した。
                     時空を駆け光の空間を抜けた二人は、例の如く上下逆さまになって乱暴に放り出された。
                    「痛っ……」「どうでもいいがこの着地、なんとかならないのか」
                     二人は憤りを覚えつつ上体を起こすと、そこにはいかにも中世ヨーロッパといった風景が広がっている。どうやら港町の様だ。
                     風に帆を膨らませた船が、海上を力強く行き交う中、志郎は桜子を手招きした。
                    「桜子、行こう」
                    「いいけど、どこへ?」
                    「市場さ。認識・測定・記録・伝達……まさに会計の現場を見に行くんだ。会いたい人もいるしね」
                     桜子は期待に胸を膨らませる志郎に連れられ、港町近辺の賑やかな街中へと向かった。二人の場違いな格好に皆が不審な目を向ける中、桜子の心は色鮮やかな品々や、行き交う人の活気に、高揚している。
                    「ここがベニス、かぁ……」
                     一方の志郎は通行人や店主に話しかけ、聞き取り調査を始めた。どうやら意中の人物の住処が分かった様である。
                    「桜子、こっちだ」
                     志郎の手招きに応じ、桜子が向かった先は酒場だった。そこに五十前後と思しき二人の男性が熱心に話し合っている。
                     そこに志郎がやや強引に割って入ったのだが、会話のツボがハマったらしく、すっかり意気投合し、互いの意見をぶつけ合い始めた。
                     言葉の分からない桜子は、取り残された感でいっぱいだ。
                    「志郎兄、どういうことよ?」
                     改めて問う桜子に志郎は、笑みを浮かべながら二人を紹介した。
                    「桜子、この方はルカ・パチョーリ。数学者で『スンマ(算術、幾何、比及び比例全書)』を著し、初めて複式簿記を学術的に説明された簿記会計の父だよ。そして、この方がルカさんの生徒であるレオナルド・ダ・ヴィンチさんだ」
                    「え、あのモナリザの?」
                    「そう。今はルカさんから数学と会計学を学んでおられる。要するに天才のお二人さ」
                     やがて、志郎は二人の天才に別れを告げると、桜子を伴って周囲を一望できる高台へと移った。その手には、ルカから譲り受けた著書『スンマ』が握られている。
                    「この本が複式簿記の始まりなのね」
                     感慨深げに問う桜子に志郎がうなずく。
                    「これから世界は、大航海時代へと突入する。冒険商人が王族に出資を仰ぎ、インドから香辛料を持ち帰り莫大な利益を上げていく。その取引を克明な記録として残す仕組みとして簿記が開発され、このベニスで大いに発展するんだ。このスンマは、そこに一石を投じたキーアイテムって訳さ」
                    「へぇ、会計学の誕生ね」
                    「もっともこの時点で重視されたのは、BS中心の静態論だけどね」
                    「BS? 衛星放送のこと?」
                     素っ頓狂な桜子の問いに、志郎は呆れつつ説明を続けた。
                    「バランスシート……貸借対照表の事だよ。清算前提で継続企業の概念がないんだ。これを東インド会社が変えていく。航海毎に清算しない仕組みを維持する組織を持った事で、会計帳簿も途中経過を報告する適正な期間計算という概念が生まれた。PL中心の動態論の始まりさ」
                    「あぁ、PL。高校野球の強かったとこね?」
                    「……損益計算書のことだよ」
                     志郎は頭を抱えつつ、根気よく説く。
                    「PLを中心に大きく発展した現代会計学だが、さらに時代が進むと、今度は収益費用アプローチから資産負債アプローチへと変貌し、再びBSが重視される時代となっていく」
                    「何よそれ。行ったり来たり」
                    「フフッ。まぁ、日頃から何気なく接している会計も、その背景には悠久の歴史が横たわっているってことさ。俺もその流れに一石投じたいと思ってる。桜子、一緒にやろう」
                     思わぬ勧誘を受け桜子は、声を上げた。
                    「はぁ!? ちょっと待ってよ志郎兄。大体、私みたいなテストの偏差値もろくに……」
                    「そう! その偏差値もそうさ。昔はなかった。だが、新たな概念が受験の形を大いに変えた」
                    「あぁ……得点と平均点が全く同じでも、偏差値が異なってくるってやつね」
                     桜子はゲンナリとうなずく。つまり、仮に平均点が60点で最高得点が70点だとして、それが1人しかいなかった場合、平均点付近に得点が集中し、70点の人は「とても優秀」となるが、点数がバラつき70点以上を取った人がたくさんいれば、その70点は「まあまあ優秀」という程度に落ちる。
                     点数のバラツキ(標準偏差)を加味した上で、全体の中でその人がどのくらいに位置するかを偏差値が数学的に示し、受験制度に定着した。
                     これと同様に税務の現場で新たな概念を生み出し、救国に尽くそうというのが志郎の言い分だった。
                     ――やっぱり志郎兄は、違うわ。
                     桜子は改めて実感している。志の高さゆえに着眼点が異なっており、それが積もり積もって今の自分との差を生んでいるように思われた。
                     ――救国は、志郎兄に任せよう。私如きが関われる世界じゃない。
                     脱帽感でいっぱいの桜子だが、ここで志郎が小声でつぶやく。
                    「ところで桜子、あのシュレだがな。お前はどう思う?」
                     首を傾げる桜子に志郎は続けた。
                    「奴の正体の話だ。お前の説明によれば、シュレは死神で閻魔から特別に命を救われたって話だが、俺は違うと思う。おそらく奴の正体は〈シュレディンガーの猫〉だ」
                     ――何? 今度は猫の話?
                     困惑する桜子に志郎は、自説を説いた。はじめは眉唾モノで聞いていた桜子だが、その結論を聞いて考えを改めた。
                    「確かにその可能性はあるかもしれない」
                     納得する桜子だが、その背後から突如、女性の声が響いた。
                    「あら、よく分かったわね。お二人さん」
                     驚いた桜子と志郎が振り返ると、背後に二十代半ばと思われる奇抜な髪色の女性が立っている。さらにその背後には、屈強な男達が二人を包囲せんと機をうかがっていた。
                    「何者だ!」
                     声を上げる志郎に、その女性は丁寧にお辞儀しつつ名乗った。
                    「はじめまして、セツナと申します。以後、お見知り置きを」
                    「一体、私達に何の用よ?」
                     桜子も負けじと吠えるものの、セツナは構わず言った。
                    「決まっているでしょう。あなたが持っている歴史のクリスタル、それをこっちに渡してもらえるかしら」
                    「お断りだ!」
                    「じゃぁ、仕方がないわね」
                     吠える志郎にセツナは、目を細めつつ命じた。
                    「二人を捕らえてしまいなさい!」
                     襲いかかる男達に、二人は果敢に立ち向かうものの多勢に無勢は免れない。逃げようにも周囲は塞がれている。たちまちその身柄を押さえられしまった。
                     ――何なのよ。コイツらは!?
                     憤る桜子だが、その上体を地面に抑え込まれた、歴史のクリスタルを奪われてしまった。
                    「おーほっほっ……これで未来は、私達のもの」
                     高笑いを浮かべるセツナだが、突如、歴史のクリスタルが強烈なエネルギーを放ちはじめた。
                    「熱っ……」
                     セツナが歴史のクリスタルを掌から落とす中、光は桜子を包み込み、たちまち異なる時空へと吸い込んでいった。

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                  • 一井 亮治
                    参加者

                       六話
                       
                       桜子が新たに放り込まれた場所――それは、寺小屋らしき古風な部屋である。突如として現れた妙ななりの桜子に周囲の塾生は「お前は何者だ!?」と、驚き慄いている。
                       幸い言葉が通じることから、場所が日本であることは確認できた。皆が目を丸くする中、塾の講師と思しき初老の男が前へ出た。問題はその顔である。日頃から使い崇めている紙幣との切っても切れないその人相に桜子は思わず声を上げた。
                      「あなたは、福沢諭吉っ!」
                      「先生を呼び捨てにするとは、まかりならん!」「そうだ。曲者め!」
                       周囲が非難轟々となる中、福沢諭吉は桜子が持つ一冊の本に目をつけ、小さく笑いながら言った。
                      「その本、『スンマ』ですな?」
                      「え……あ、はい。何でも複式簿記の記述があるらしくて」
                      「うむ。なるほど。どうやら訳ありの様だ。いいでしょう。皆、しばし自習しておいてくれ」
                       福沢諭吉は食い下がる塾生を手で制し、桜子を自身の書斎へと促した。そこで事情を話す桜子に福沢諭吉は、驚きつつも興味深げな顔で聞き役に徹している。
                      「そうですか、未来から歴史のクリスタルの導きを経てこちらに……」
                       うなずく福沢諭吉に桜子は、ふと山積みされた書籍を見て言った。
                      「諭吉さんは、本当に勉強家なんですね」
                      「ふっ、大半は無駄な努力ですよ。黒船が来てこれからは外国だ、と漢語ではなく蘭語をすすめられたが、世界の主流は英語だった。努力も方向を間違えば、とんだ徒労に終わるってことです」
                      「でも、確か『学問のすすめ』だっけ? 勉学を奨励されておられる」
                      「えぇ、ただ学問の捉え方が違います。以前は、難しき字を知り、解し難き古文を読むことが正しいとされていた。だが、これからは違う。金儲けの功利主義・通俗主義的道具と非難されていた実学こそ、合理的な教養となるべきだ。あなたが持つスンマの様にね」
                       福沢諭吉は目尻を下げつつ、一冊の書籍を取り出し、桜子に手渡した。
                      「『帳合之法』ですか?」
                      「えぇ、複式簿記を中心とした会計にまつわる私の翻訳著書です。学者に学問の実用性を、商人に勘と経験から脱却した会計による商いを求め、欧米に負けない国を目指したい。おそらくこの本が桜子さんの持つ歴史のクリスタルのキーアイテムとなるのではないですか?」
                       福沢諭吉から諭された桜子は、試しに帳合之法にクリスタルをかざすと、内部から眩い光を放ち始めた。
                      「諭吉さん。どうやら私のいた時空に帰れそうです」
                       頭を下げる桜子に福沢諭吉は、目尻を下げつつ言った。
                      「いいですか桜子さん。あなたの一家が専門とする税金。これは、国と国民との約束なんです。どうかそれを忘れずに」
                      「はい。諭吉さんもお元気で」
                       桜子はペコリと頭を下げ、歴史のクリスタルに導かれるまま、元いた時空に戻っていった。

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                    • 一井 亮治
                      参加者

                         七話
                         
                        「桜子じゃないか!?」
                         声を上げるのは、現代で待機していたシュレである。連絡が途切れ困っていたらしい。
                        「シュレ、私は大丈夫よ。それより志郎兄は?」
                        「いない。セツナに拉致されてしまったらしい」
                         頭を抱えるシュレに桜子は、しばし考慮の後、ズバリと切り込んだ。
                        「ねぇシュレ。あなたは以前、閻魔の計らいで、私に命と引き換えに救国活動の従事を求めたわよね」
                        「あぁ、僕はその死神さ」
                        「ウソね」
                         桜子は、鋭い視線で志郎が述べていた仮説をぶつけた。
                        「シュレ、あなたは死神なんかじゃない。未来のテクノロジーで、巧みにそう見せかけ私を蘇生させたエージェントってところよ。そして、あのセツナって女は、あなたの近親者なのでしょう」
                        「へぇ……よく分かったね」
                        「茶化さないで! 私は本当のことを知りたい。あなた達は一体、何者? 本当の目的は何?」
                         問い詰める桜子にシュレは観念したように肩をすくめ、掌に身分証明書らしきものを映し出した。
                        「時空課税局査察部、エレキナノマシン・エージェント?」
                         桜子が首を傾げる中、シュレが説明した。
                        「通称ENMA(エンマ)、当局で内密に設計された情報生命体……つまり、ゴーストさ。セツナはそのプロトタイプモデルに当たる。時空の異なる、ね」
                        「どう言うことよ?」
                         怪訝な表情を浮かべる桜子にシュレは、説明した。
                        「桜子、あらゆる物質は細かく分割する原子、さらに電子等の素粒子に行き着く。そこは、確率としてあちこちに分身する非日常的な世界なんだ。僕らはシュレディンガーの猫理論に基づき、量子論的に不確定な……まぁ、煎じ詰めて言えば科学的に構成された幽霊(ゴースト)ってところさ」
                        「……よく分からないけど、要するに私達を騙してたってことね?」
                        「そうでもないさ。十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。どうせ事実を説明しても意味が分からないだろうし、ゴーストなんて君達から見たら死神みたいなもんだろう?」
                         全く悪びれることなく開き直るシュレに桜子は半ば呆れつつ、さらに問いを重ねた。
                        「じゃぁ、セツナは一体、何が目的で歴史のクリスタルを?」
                        「決まってるさ。脱税だ」
                         キョトンとする桜子に、シュレが鼻で笑いながら打ち明けた。
                        「桜子。僕らの世界では、タイムリープの際に時空税が課されるんだ」
                        「え、時空移動に税金がかかるの!?」
                        「当然さ。取りやすいところから取る、それが税金だからね。時空計算上、移動する期間の長さに応じ高税率を課す超過累進がとられている。だが歴史のクリスタルは、その負担を合法的に回避出来るんだ」
                        「つまり、タックスヘイブンみたいな?」
                        「そう。プロトタイプのセツナには、致命的な欠陥があった。バクに侵され課税当局から逃れて闇の勢力と繋がってしまった。もし歴史のクリスタルがセツナの手に渡れば、膨大なアングラーマネーが反社会的勢力の手によってマネーロンダリングされてしまう。それを防ぐのが僕の役目だ」
                         自慢げに説くシュレに桜子は、困惑しつつ根本的な疑問を投げかけた。
                        「じゃぁ、未来を救国するっていうのは……」
                        「それは事実さ。なぜなら歴史のクリスタルがそれを求めているからね。セツナに拉致された君のお兄さんの行方も、このクリスタルが知っているはずだよ」
                        「え……クリスタルが?!」
                         驚く桜子にシュレはうなずき、歴史のクリスタルを額にかざすよう促した。言われるがままに従うと、クリスタルは強烈な光を放ち、桜子を次なる時空へと連れ去っていった。

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                      • 一井 亮治
                        参加者

                           八話

                           例の如く、歴史のクリスタルによって乱暴に放り出された時空――それは一面が稲で覆われた一帯である。
                          「ここは?」
                           地面から起き上がった桜子が辺りを見渡していると、戸惑う男達の声が上がった。
                          「何だ何だ?」「お前は何者だ!?」
                           突然、宙が光り見たこともない身なりの女性が現れたのである。驚くのも無理もないのだが、一人の男が何やら思い当たる節があったらしく、周囲に指示を下した。
                          「皆、控えろ!」
                           たちまち男達は桜子の前に平伏した。
                          「え、何?!」
                           困惑する桜子に一人の男が切り出した。
                          「貴女様のことは姫様より伺っております。是非、直々にお会いになりたいと」
                          「姫様? 誰よそれ?」
                          「いやいや。お名前を口にするのも恐れ多い方にございます」
                           それを聞いた桜子は、思わず唸った。どうやら今度は、日本の歴史でもかなりの最古の時代に来てしまったらしい。
                           その後、桜子は男達に連れられ姫と奉られる女王の神殿へと案内された。恐る恐る中へと足を踏み入れた桜子は、そこに見知った人影を発見し、声を上げた。
                          「志郎兄!」
                          「おぉ、桜子じゃないか!」
                           二人は駆け寄り、再会を喜び合った。
                          「志郎兄、なぜこの時空に? セツナに捕えられてたんじゃ……」
                          「上手く隙をついて逃げ出したんだ。そこで追手から逃げてたら導きの声があって、この時空に放り込まれたって訳さ。全てはこの方のおかげだよ」
                           そう手を差し出して案内するのは、祭壇に佇む一人の女性である。いかにも昔の巫女といったその人相風体に、桜子は声を上げた。
                          「え、もしかして卑弥呼!?」
                          「桜子、ちゃんと〈様〉をお付けしろ」
                           志郎の注意に卑弥呼は「構いませんよ」と微笑んで見せている。
                          「でも志郎兄、なぜクリスタルは弥生時代を?」
                          「多分、日本において租税にまつわる最古の記録が残された時代だからだろう。『魏志倭人伝』に〈租賦を収む。邸閣あり〉と記述がある」
                          「へぇ、そうなんだ」
                           納得する桜子に志郎は改めてうなずき、卑弥呼に頭を下げた。
                          「卑弥呼様。ありがとうございます。おかげで俺達兄妹は再会できました」
                          「構いませんよ。私は生まれつき特異体質でね。そう言ったことが出来るんです。それにお二人を助けたのには、理由がありましてね」
                          「え、それはなんですか?」
                           桜子が志郎とともに聞き耳を立てていると、卑弥呼は苦悩の表情で一本の稲穂を手に切り出した。
                          「全ては、このコメが始まりなの」
                          「コメ? 稲作のこと?」
                           キョトンとする桜子に志郎が補足した。
                          「稲作って、この時代の一大革命だったんだ。狩猟採集から人類を解放した訳だからな」
                          「えぇ、志郎さんの言う通り、コメは人を幸せにするはずだった。これまででは出来なかった貯えができた訳ですから。ただ、この貯えは同時に貧富の差も生んだ。土地や水をめぐる争いの種ともなってしまったの」
                           卑弥呼は、一息つくや二人に訴えた。
                          「私はコメがもたらした負の側面をなくしたいの。どうすればいいと思う?」
                          「俺は放っておくべきだと思います」
                           そう主張するのは、志郎だ。曰く、富める者がより豊かになれば、貧しいものにもその恩恵が滴り落ちる、と。いわゆるトリクルダウン理論である。
                           だが、桜子はこれを否定した。
                          「私は、ある程度の公権力が必要だと思う」
                           このいわゆる小さな政府と大きな政府の是非は、現代社会においても一つの争点となり続けている。
                           延々と論争を広げる二人だが、おぼろげながらも答えは出ていた。格差の是正は税金が一つの解となり得る、と言う点だ。
                          「公平な租税で格差を是正する、と言う訳ですね。お二人の話はわかりますが、何を持って公平とすべきなのか……」
                          「えぇ、全員に一律の税を課す水平的公平と、高い担税力を持つ者により重い負担を課す垂直的公平に分かれます。俺達の時空では、そのバランスが鍵なんですが、まだこの国はその時期にない」
                           志郎は一息つくや考慮の後、卑弥呼に進言した。
                          「卑弥呼様、どうでしょう。ここは一つ、進んだ国に学ぶと言うのは?」
                          「進んだ国……つまり、魏に学べ、と?」
                           卑弥呼の問いに志郎は、うなずく。
                          「租税は歴史の中で、そのカタチを何度も変えてきました。社会の変化によって、求められるあり方も変わるからです。この国は、いい意味でも悪い意味でも島国だ。今は大陸に使者を派遣し、教えを乞うべきときかと」
                          「しかし、我が国は小さい。果たして魏が応じてくれるかどうか」
                          「小さいからこそ、です。胸襟を開き多くの知恵や進んだ考えを取り入れ、この国なりの形にアレンジする。そうすれば、おのずと答えが見つかりましょう」
                           志郎の説得に卑弥呼は、大いにうなずいている。その表情は実に晴れやかだ。
                           そこで桜子が持つ歴史のクリスタルが光を放ち始めた。
                          「どうやらお別れのようですね」
                           名残惜しそうな卑弥呼に、桜子が歩み寄りその手を取り合った。
                          「卑弥呼様、頑張ってください」
                          「えぇ、あなた達もね。応援しているわ」
                           卑弥呼と互いの健闘を誓い合った桜子・志郎は、クリスタルに導かれるが如く光に飲まれ、この時空から姿を消した。

                          「結局、卑弥呼様って何者だったのかな」
                           現代に戻った桜子の疑問にシュレが応じた。
                          「時代に対する共感能力が強かったんだろう。時空理論上、ごく稀にそういった力が宿ることがある」
                          「シュレ、俺も聞きたいことがある」
                          「なんだい?」
                           聞き耳立てるシュレに志郎が、言った。
                          「あのセツナだが、妙にこの現代に感度がいい、というか独特のこだわりを感じるんだ。奴の狙いは、歴史のクリスタルによる時空を超えた巨額脱税だろう。その背後に、この時代の税理士が絡んでいるって線はないか?」
                          「ふっ、相変わらず志郎は勘がいいね。丁度、同じことを考えていたところさ。十分にありえる話だ。もしそうなら……」
                          「いずれこの時空で対決するときが来る、だな?」
                           念を押す志郎にシュレは、黙ったまま静かにうなずいて見せた。

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                        • 一井 亮治
                          参加者

                             九話

                             長かった梅雨が明け、初夏を迎えた頃、桜子にちょっとした事件があった。なんと告白を受けたのだ。
                            「え、私を?!」
                             驚く桜子に頭を下げるのは、一学年下の〈平林翔〉というひょうきんな性格で同性に人気のある後輩だ。
                            「センパイの事が好きなんです!」
                             体育館の裏に呼ばれ、そう告白された桜子は、戸惑いを隠せない。劣等生の問題児で何ら誇れるものがない桜子なだけに、面食らっている。
                            「あの……こんな私のどこがいいの?」
                             思わず問いかける桜子に翔は、何ら恥じる事なく断言した。
                            「全てです。実に愛しております」
                             あまりのストレートさに気恥ずかしさで真っ赤になった桜子だが、翔の目は真剣そのものだ。むしろこんな自分を受け入れてくれた事に嬉しさすら覚えた。
                             やがて、翔は思いの丈を延々と桜子にぶつけた挙句、遊園地のチケット差し出した。言わずもがな、デートの誘いである。
                            「お願いしますっ!」
                             オーバーなくらいの平身低頭さを見せる翔に桜子の心は大いに揺らいでいる。やがて「ありがとう」と二つ返事でデートの誘いを受けた。
                             こんな私にも彼氏が出来た――喜びいさむ桜子は早速、志郎にメールを送った。七月十日と期限の迫る源泉の納特に追われ忙しいことは承知していたが、それでも自慢せずにはいられなかったのだ。
                             だが、志郎の返答は実に桜子の意に反するものである。
                             〈お前に告白!? それは絶対に怪しい。セツナの一派が仕掛けた罠って線はないか?〉
                             これには、桜子もカチンとした。確かに疑いはしたものの、桜子から見て翔は純粋さに溢れており、決して騙そうとするものには思えない。
                             〈それはない。私にだってそのくらいは分かる〉
                             憤慨気味に返信し、やり取りを重ねたものの意思疎通は図れず、桜子は「もういいっ!」と一方的にやり取りを切り上げた。
                             
                             
                             
                             その週末、十分にめかし込んだ桜子は、志郎に内緒で翔が待つ遊園地へと繰り出した。ゆうに三十分程、前もって集合場所に着いた桜子を翔は笑って受け入れ、ともに遊園地へ入った。
                            「翔君。私、あれに乗りたい!」
                            「はっはっはっ……僕もです。気が合いますね。行きましょう!」
                             絶叫系を攻める桜子に翔は、喜んで付き合った。
                             ――こんなに楽しいの……何年ぶりだろう。
                             桜子は改めて考えた。国際税務ライターの母・ソフィアは海外取材に忙しく、また善次郎・善次郎や在学中の兄・志郎も税理士業務の追われ、家庭を振り返る余裕がない。
                             それだけに才能が欠落し落ちこぼれの桜子の心は、ずっと満たされずにきた。
                            「うちもそうです。家族は皆、多忙で。センパイの気持ち、凄く分かりますよ」
                             笑って理解を示す翔に共感を覚えた桜子の気分は、大いに高揚している。
                             楽しい時間はあっという間に過ぎ、二人は最後の乗り物として観覧車に乗った。二人きりの空間で桜子は満面の笑顔で、幸せそうに言った。
                            「今日は、本当に楽しかった!」
                            「僕もです」
                             翔も笑ってうなずく。強い夕日に眼下の景色がくっきりとしたコントラストを見せる中、桜子は熱に浮かされたように翔と甘いひとときをともにしている。
                             さらに翔の気を引こうと、桜子はポーチからもっとも大切なものを取り出した。
                            「ねぇ翔君。これ、何か分かる」
                             自慢げに桜子が見せたのは、歴史のクリスタルである。
                            「綺麗でしょ。でもこれ、ただの宝石じゃないのよ。実はね……」
                            「歴史のクリスタル、でしょ」
                             ニヤリとほくそ笑む翔に桜子は、はっと息を飲む。そこには、今まで見せなかった翔の本性が露わになっていた。
                            「ちょ、ちょっと翔君!?」
                             戸惑う桜子を翔は、力任せに押し倒すや、その手からクリスタルを奪い取った。
                            「奪ったぞ!」
                             吠える翔に、桜子は理解が追いつかない。
                            「翔君、どういうこと?!」
                            「どうもこうも、そういう事ですよ。センパイって本当に頭が悪いですね」
                             立ち上がった翔は、床に倒れ込む桜子をバカにしながら、用済みとばかりに一周した観覧車から出て行った。
                            「ちょっ……待って!」
                             慌てて翔の背中を追う桜子だが、そこに見知った顔ぶれを見て愕然と声を上げた。
                            「セツナっ!?」
                             驚く桜子にセツナは、配下の男達とともに高笑いを浮かべている。
                            「ほっほっほっ……アンタみたいなおバカさん、騙すのは簡単よ。それとも何? 本当にアンタみたいな落ちこぼれに惚れる男がいたとでも思ったのかしら?」
                            「卑怯者っ!」
                             叫びながら飛びかかる桜子だが、周りの屈強な男達に止められ、地面にねじ伏せられた。桜子は満足げに去っていくセツナや翔達を、ただ呆然と黙って見送るしかなかった。
                             ――私、何て事を……。
                             桜子は己がおかしたことへの懺悔と、まんまと騙された情けなさに立ち上がることすら出来ない。完膚なきまでに打ちのめされた桜子だが、不意にその背後から声が響いた。
                            「大丈夫だよ、桜子」
                             振り返った先にいたのは、志郎である。その手には、奪われたはずの歴史のクリスタルが握られている。驚く桜子に志郎が笑って言った。
                            「こっちが本物、アイツらが持って行ったのはクリスタルに似せた偽物だ」
                            「え……じゃぁ、志郎兄は、アイツらが騙しにきたって分かってて……」
                            「あぁ、どうせ何を言ってもお前は聞かないだろう。だからシュレと相談して、すり替えたんだ。もう安心していい」
                             そう聞かされた桜子は、がくりと肩を落とした。安堵を覚える以上に凄まじい自己嫌悪にかられたのだ。
                             その後、ベンチで志郎と肩を並べた桜子は、スカートを握り締め思いの丈を吐いた。
                            「志郎兄。私、こんな惨めな自分が嫌っ! どうしたらいいのか、分からない……」
                            「そこまで自分を責めなくてもいい。ただ、軽率さを気をつければいいだけだよ」
                            「それは、志郎兄だから言えるのよっ!」
                             桜子は思わず声を荒げ、涙を拭いながら訴えた。 
                            「そりゃ志郎兄は、何をやってもそつなくこなすし頭もいい。スポーツも万能で……けど、私は逆。私みたいな劣等生の気持ち、分かんないわよ」 
                             肩を震わせ嘆く桜子を志郎はじっと眺めていたが、しばし考慮の後、思わぬ話を切り出した。それは、全てを変える魔法の一言である。
                            「桜子。お前、税理士を目指してみないか?」
                             桜子は、思わず言葉を失った。自分の能力からあまりにもかけ離れた提案に、怒りを超え呆れすら覚えている。
                            「志郎兄、何言ってるのよ。そんなのムリに決まってるじゃない! ろくに勉強も出来ない一家のお荷物の私なんかに……」
                            「いや、これはずっと思っていたことなんだ。桜子、お前は税理士に向いているよ」
                             ――自分が税理士に向いている!?
                             桜子は自問したものの、とてもその言葉を受け止める要素が見当たらない。かぶりを振る桜子に志郎はさらに続ける。
                            「桜子、税金の本質ってなんだと思う?」
                            「そんなの取る側と取られる側の騙し合いよ」
                            「お前がそう思うならそれでいい。代表なくして課税なし。政府と人民の約束なり。皆、色々言うけど、それぞれに各々の事情があるからな。ただ仮にこれを騙し合いとするなら、賢く振る舞った側の勝ちだ」
                             じっと聞き役に徹する桜子に志郎は、畳み掛けた。
                            「税理士試験もそうさ。出題者との騙し合い。なら勝たないと。幸いうちの事務所は基盤も安定している。皆でサポートするよ。歴史のクリスタルも含めてな」
                             こんこんと説く志郎だが、桜子は全く自信が持てない。確かに税理士一家に生まれた以上、憧れはしたが、その難度ゆえに端から諦めていた。それだけに今、改めて己に問うている。
                             ――このまま人生の敗者を続けたくない。こんな自分を変えたい。けど……。
                            「志郎兄。私、数字に弱いよ」
                             不安を晒す桜子に志郎は、笑って言った。
                            「大丈夫。秘策があるんだ。桜子、お前は数字をどう読んでる?」
                            「そりゃぁ〈イチ・ニイ・サン〉よ」
                            「短縮するんだ。〈イチ・ニイ・サン〉を〈イ・ニ・サ〉と通常の読みの半分にすれば、負担が半減し計算力が倍になるだろう」
                            「確かに……」
                             思わず唸る桜子に、志郎は「他にも方法は、色々あるんだ」と前置きし、桜子の肩をポンっと叩いた。
                            「桜子、一人で悩まなくてもいい。皆が応援するから。だって家族だろう。お前には、そこに甘える資格がある」
                             志郎の断言に桜子は、涙が止まらない。悩みを一緒に背負ってくれる家族がいる――その事実がたまらなく嬉しかった。
                             同時にその心は、新たな決意に固まっている。
                             ――どこまで出来るか分からない。けど、私も目指してみよう。税理士を……。
                             閉園の音楽が流れる中、桜子は大きな一歩を踏み出した。

                             ※第一部 完(第二部は月曜日の週刊で連載予定です)

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                               十話

                               税理士への決意から数日後、桜子は志郎やシュレと敵対勢力のセツナを調べている。丁度、両親が海外に出払っていたこともあり、税理士事務所を陣取り情報収集に励んだ。
                               鍵は翔だ。先日のデートで桜子を嵌めた後、忽然と姿を消したのだが、その痕跡からセツナらに絡む巨額脱税の全容が明らかになり始めたのだ。
                              「どうやら、かなり凄腕の税理士が絡んでいるみたいぜ」
                               入手した資料から憶測を述べるのは、志郎だ。曰く、至るところで現代会計と税法を駆使し、時空課税をもみ消す操作がなされているという。
                              「こんなスキーム、普通の税理士では思いつかない。相当なやり手だ」
                               志郎の意見にシュレも同意し、感想を述べた。
                              「かなり大掛かりなヤマになるね。時空を超えて政・官・財に根を張る巨大シンジケートだ。武器密売に違法カジノ、巨額脱税、まさにアングラーマネーのオンパレードさ」
                              「シュレ、お前の力で何とかならないのか?」
                              「難しいね。僕らは所詮、量産型ゴーストに過ぎない」
                              「つまり、プロトタイプに劣るってこと?」
                               口を挟む桜子にシュレが苦々しくうなずく。それを見た志郎は、首を傾げながら尋ねた。
                              「シュレ、普通は試作機の方が後継機種に劣るはずだ。OSが違うのか?」
                              「組み込まれたAIが違うんだ。未知のテクノロジーが使用されていたらしい。それが外部からのハッキングにより暴走し、逃亡を許してしまった」
                              「そのうえクリスタルまで奪われれば、セツナは地下経済を牛じる女王になってしまう訳か」
                               腕を組み唸る志郎にシュレも同意している。だが、桜子は今一つ納得がいかない。試しに聞いてみた。 
                              「ねぇシュレ。セツナにそこまでの力があるなら、もっと強引に奪いに来てもよさそうじゃない? わざわざ翔を使って回りくどいよ」
                              「ふっ、そこが歴史のクリスタルの難しいところさ。コイツはね。一定の条件下でしか譲渡できないんだ。先日は意図的にその状況を作って翔を誘い出した。だが、今度はそうはいかないだろう」
                              「オーケー。まずは、この現代でセツナの協力者を探ろう」
                               志郎はノート端末を開くや、独自に組んだサーチエンジンで検索プログラムを走らせてみた。そこでヒットした項目をリストアップしたのだが、奇妙な共通点が見て取れた。
                              「志郎兄、この〈ハル税理士法人〉って……」
                               画面を指差す桜子に志郎がうなずく。
                              「昨年、閉鎖した税理士法人だ。おそらくダミーだろう。時空工学上のトンネル会社に悪用していた可能性がある。シュレ、何か手掛かりはないか?」
                              「ノーコメント」
                               シュレは肩をすくめ、お手上げの仕草で言った。
                              「悪いけど、ここは僕らにとってアンタッチャブルな領域なんだ。イエスともノーとも言えないね」
                              「何よそれ!」
                               声を上げる桜子を志郎がなだめながら言った。
                              「俺が行こう。虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ」
                              「だったら私も行く!」
                               立ち上がる桜子を志郎は、手で制す。
                              「桜子、お前まで危険に晒せないよ」
                              「気にしないで。これは私が持ち込んだ案件よ。人任せになんか出来ない」
                               頑なに首を振る桜子に志郎は仕方なくうなずき、ともに家を出た。
                               約半時間ほど電車に揺られた二人は、駅を降りハル税理士法人が入っていた雑居ビルへと入った。
                               目的の階でエレベーターを降り、部屋の前へとたどり着いた志郎は、桜子を下がらせ慎重にノブを捻ると扉が自然と開いた。
                              「鍵が空いたままだ……」
                               志郎はしばし躊躇した後、桜子とこっそり部屋へ忍び込んだ。中は実に閑散としており、税理士法人があった痕跡は残されていない。
                              「おかしい。確かにここがセツナが時空移動を行う拠点だったはずだ。一体、どうなっているんだ……」
                               桜子とともに首を傾げる志郎だが、その背後の扉が閉まり、図太い男の声が響いた。
                              「よく来たね。源志郎君、桜子君」
                               二人が驚いて振り返ると、そこには一人の成人男性が立っている。背広を羽織っている手前、ビジネスマンとも見て取れるが、その顔は二十歳半ばと若さに溢れている。
                               やがて男は、神経質そうにメガネを手で押さえるや、名刺を取り出し志郎の足元に投げた。恐る恐るその名刺を拾った志郎は、そこに記された名を読み上げた。
                              「アラン・オニヅカ?!」
                              「え、それって確か不祥事を働いて税理士資格を剥奪されたってニュースが……」
                               記憶を辿る桜子にオニヅカがうなずく。
                              「その通りだ。君達なら必ずここへ来ると思っていたよ」
                              「セツナの一派か。悪いが歴史のクリスタルを渡すつもりはねぇよ」
                               吠える志郎にオニヅカは、笑ってかぶりを振る。
                              「ふっ、いつまで強がりを言っていられるかな。まぁ、本来は俺の出る幕じゃなかったんだがね。翔の奴がしくじったから、出ざるを得なくなった。困った話だ」
                               オニヅカは肩をすくめつつ、二人に言った。
                              「歴史のクリスタルで救国ごっことは実に嘆かわしい。そんなことをしても、この国はもう助からないさ。なら溺れる船でひと稼ぎと行こうじゃないか。どうだ。手を組むつもりはないか?」
                              「お断りだ!」「この売国奴!」
                               罵る志郎と桜子にオニヅカは、やれやれとため息混じりに手を振り、背を向ける。部屋を出ようとした手前で、意味深なセリフを吐いた。
                              「〈リクドウ・シックス〉。調べてみることだ。セツナにまつわる情報に行き着く」
                               志郎はキョトンとしつつ、オニヅカに問うた。
                              「なぜそんな情報を俺達にバラす?」
                              「ハンディだよ。せいぜい健闘したまえ」
                               オニヅカは不気味に笑いつつ、その場を去って行った。

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                            • 一井 亮治
                              参加者

                                 十一話

                                 オニヅカとの接触から数日間、桜と志郎は〈リクドウ・シックス〉について調べを進めたものの、大した情報に行きつかない。
                                「参ったな……」
                                 頭を抱える志郎に桜子も困り果てている。調査が暗礁に乗り上げる中、志郎のスマホに一本のメールが入った。
                                 送信主は海外に出張中の父・善次郎である。予定を切り上げ帰国するとの内容だったのだが、問題はメールの後半にある。
                                「母さんも一緒らしい」
                                「えぇ!?」
                                 桜子は思わず驚きの声を上げた。この母・ソフィアは著名な国際税務ライターとして海外取材に明け暮れ、滅多に戻ってくることはない。桜子や志郎と同様に褐色の肌を持ち、ラテン系の血を引いている。
                                 性格もよく言えば天真爛漫、要するに自己中で周りに惑わされず我が道を突き進むその姿勢は、一家を散々に振り回してきた。
                                「とにかく空港へ迎えに行こう」
                                「分かった」
                                 桜子はうなずき志郎と家を出た。車に乗りハンドルを手に取る志郎の隣で、桜子は頭を痛めている。というのも、ソフィアが帰ってくるとロクなことがないのだ。
                                「今回も色々と引き摺り回されそうよ」
                                 嘆く桜子に志郎は「まぁ、そう言うなよ」と早くも諦め顔だ。
                                 その後、高速のインターを出て空港へと到着した二人が車内で待っていると、遠方から手を振る人影が現れた。両親の善次郎とソフィアである。
                                「突然にすまなかったな。母さんが急遽帰国すると言い出してな」
                                 恰幅のいい善次郎が突き出た腹を揺らせながら、穏やかな顔で二人に笑いかける。一方のソフィアは桜子に目をくれたまま、じっと固まっている。
                                 何を言い出すのかと待っていれば、思い立ったようにこう言い放った。
                                「ランチ。寿司が食べたいわ」
                                 ちなみに予定では直帰し、家族水入らずの昼食となっていたのだが、鶴の一声で外食に変更とあいなった。そこから始まったのは、完全なるソフィアの独壇場である。
                                 寿司をペロリと平らげるや、やれショッピングだやれ展望台だと一家を引き摺り回していく。いつものこととは言え、桜子は嘆きが止まらない。
                                 ――困った母親だ。
                                 志郎や善次郎と目配せを交わしつつ、母の気まぐれに貴重な休日が潰されていく徒労感を感じている。やがて、桜子はため息混じりにソフィアに問うた。
                                「それで母さん、今回はいつまで日本にいられるの?」
                                「そうね、あと三時間ってとこかしら」
                                「えぇ!? 今日帰国したばかりじゃない」
                                「桜子、タイムイズマネーよ」
                                 ソフィアは、突き立てた指をチッチッチッと振って見せた。いつもの事とはいえ桜子は、善次郎や志郎とともに呆れている。
                                 そんな中、善次郎のスマホに着信が入った。どうやら仕事の関係で顧問先に赴くことになったらしい。
                                「桜子、悪いが母さんを頼む」
                                 そう言い残し、去っていく善次郎と志郎を見送った桜子は、ソフィアとともに空港へと戻った。
                                 すでに時間は夕刻で日が大きく傾いている。外から強い西日が差し込む中、二人はベンチで肩を並べフライトまでの時間を待った。
                                 すでに疲労困憊の桜子だが、ソフィアは徐ろに切り出した。
                                「桜子。アンタ、何かあったわね?」
                                 これには桜子も返事に詰まった。
                                「や、何かって、別に何も……」
                                「嘘、会った瞬間に分かったわ。あぁ、変わったなって。試しに今日一日、ずっと見ていたけど間違いない。以前は目が死んでいたけど、今は何かと闘っている目になってる」
                                 ソフィアの鋭い観察眼に桜子は、言葉を失っている。確かにあれから色々あった。だが全ての事情を晒す訳にもいかず、可能な範囲内で現状を伝えた。
                                 その一つ一つをソフィアは黙って聞いていたが、話が佳境に入るや驚きの表情で腕を組み、最後には唸り声を上げた。
                                「ふーん……歴史のクリスタルねぇ。救国とともに税理士を目指す決意を固めた、か」
                                「もちろん、皆に迷惑がかからないようにするつもりだから」
                                「桜子、それがアンタの悪いところよ」
                                 ソフィアはピシャリと否定し、持論を展開した。
                                「いい? 桜子、迷惑はかけていいの。遠慮するあまり引きずられる側に甘んじるか、逆に周囲を引きずり回してでも時代や世界を変える側になるか、この二つしかない。だったら常に騒動の中心にいないと」
                                「それは、母さんだから出来るのよ。私は特に取り柄もないし、いつも周りに振り回され放し……」
                                「私もそうだった。褐色の肌で差別も受けたわ。けど、次第にそういったことに慣れて、今は逆に振り回す側になっている。少なくとも私は、そうやって生きてきたし、その結果として今の地位がある」
                                 フライトのアナウスが流れる中、ソフィアは立ち上がると、桜子にURLが書かれたメモ書きを手渡した。
                                「桜子、アンタの言う〈リクドウ・シックス〉だけどね。ここを当たりなさい。おそらく手がかりになるから」
                                「え、あぁ……ありがとう」
                                 ソフィアは、メモ書きを受け取る桜子の手をギュッと握った。
                                「力(リキ)を送ってあげる。でっかく飛びなさい。地球の裏側からでも応援するから。アンタの成長を楽しみにしてるわ」
                                 やがて、ソフィアは桜子と別れ機内へと消えていく。その背中を見送る桜子の手には、ソフィアの温もりが残り続けていた。

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                              • 一井 亮治
                                参加者

                                   十二話

                                   帰宅した桜子は早速、志郎とともにソフィアから受け取ったURLをノートパソコン上に表示させた。だが、出てきたのは広告のページばかりで、これといった内容に辿り着かない。
                                  「おい桜子、どう言うことだよ。何かの間違いか?」
                                   異議を唱える志郎に桜子は、かぶりを振る。
                                  「分からない。でもURLはここで間違っていないはずよ」
                                   二人は画面の至る所を調べるものの、めぼしい手がかりは無さげである。だが桜子には、確信があった。
                                   ――あの母さんがすすめたサイトだ。必ず何かある。隠れた手がかりが仕込まれているはずよ。
                                   その後も盛んにマウスを転がし続けた桜子だが、ふと画面の端に反応する何かを見つけた。
                                  「志郎兄。これって」
                                  「隠しリンクかぁ……」
                                   志郎が唸る中、桜子が右クリックをしてみると、画面が別のページへと切り替わった。そこには、検索窓が開いている。
                                  「ここに要件を打つって感じのよね。志郎兄、これってこのページの管理人と繋がってるのかな?」
                                  「いや。多分、AIだ。試しに何か入力してみようぜ」
                                   志郎に促され桜子は早速、リクドウ・シックスについて問うてみた。すると十数秒後に返答がきた。曰く、機微に触れる案件につき答えられないとの事である。
                                  「何よそれ」
                                  「桜子、交代だ。作戦を変えよう」
                                   志郎は桜子と入れ替わりノートパソコンの前に陣取るや、キーボードを叩いた。内容は時空移動をめぐる課税理論とその争点である。
                                   遡る時間の長さに応じて超過累進を取ることが、果たして富の再分配につながるのか、担税力の有無から負担の応益・応能説、さらには公平の垂直・水平的考慮に至るまで考えうる限りの議論をぶつけた。
                                  「さぁ、どうだ」
                                   志郎が反応を見守ると、AIの対応が明らかに変わってきた。当初に見せた頑なな対応が緩やかなものへと変化したのだ。
                                  「志郎兄、これってどう言うことよ?」
                                  「俺達のアカウントのレベルが上がったんだよ。より深くやり取りが出来る相手だと、AIが認識を変えたのさ」
                                   志郎は、ここで改めてリクドウ・シックスについて質問を投げかけてみた。すると、AIは画面上に不可解な紋様絵図を映し出して来た。
                                  「何これ?」
                                   首を傾げる桜子に、志郎が応じた。
                                  「多分、輪廻転生をめぐる六道思想の絵図だ。真ん中に描かれているのが閻魔で、その周囲を六つの世界が取り巻いている感じだな」
                                  「あのさ志郎兄。悪いけど、この私にも分かるように説明してくれない?」
                                   桜子の要請に志郎は苦笑しつつ、噛み砕いて説明した。曰く、世界は閻魔の監視の下、天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道という六つの世界に分かれ、死と共に別の世界へと生まれ変わる輪廻転生を繰り返すのだと。
                                  「要するに坊主の説法さ」
                                   志郎が要約して見せるものの、桜子は今ひとつ納得がいかない。
                                  「その坊主の説法がリクドウ・シックスとどう関係するのよ?」
                                  「どうもシュレやセツナの様なENMA(エンマ)シリーズのゴーストをプログラミングする際の設計思想と共通しているみたいなんだ」
                                  「え、ちょっと待ってよ。閻魔大王に舌をひっこ抜かれたり、魂がぐるぐる輪廻転生したりって、昔からよく言うやつが、なんで未来のプログラミングと関係するのよ?」
                                  「過去を時空課税の財源にするためさ」
                                   怪訝な表情を浮かべる桜子に志郎は、問うた。
                                  「桜子、未来人が一番恐れるのは、何だと思う?」
                                  「や、分かんないけど」
                                  「過去の人間に未来を改変されることさ。だから、逆らえば地獄に落ちるだの閻魔の裁きがあるだの、伝承を流し過去の人間を未来から盲従させた」
                                  「じゃぁ、私に救国活動をさせるのも……」
                                  「何か魂胆があってのことだろう。全ては確実な時空課税のためってわけだ。それともう一つ、セツナの設計者のこと、覚えているか?」
                                  「あぁ、確か消されたっていう……」
                                  「俺は違うと思う」
                                   そう結論づける志郎の仮説に桜子は、言葉が見つからない。
                                   一方の志郎はさらなる核心に迫るべく、AIとのチャットを加速させていく。その矢先、突如として歴史のクリスタルが光を放った。
                                   たちまち二人はその光に飲まれ、新たなる時空へと連れ去られていった。

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                                • 一井 亮治
                                  参加者

                                     十三話

                                     桜子と志郎が新たに放り込まれた時空――それは、嵐で荒波に揉まれる木造船の中だった。
                                    「船が沈むぞっ!」
                                    「あぁ、南無阿弥陀仏……」
                                     怒声と悲鳴が飛び交う中、船を支える柱に亀裂が走った。
                                    「桜子、危ないっ!」
                                     志郎が桜子の手を取るや、甲板へと逃れた。その直後、轟音とともに柱が倒れ、船内の数人が下敷きになった。
                                    「誰か、手を貸してくれっ!」
                                     叫ぶ男に桜子と志郎は、顔を見合わせ駆けつけた。見ると四十前と思しき僧である。
                                    「大丈夫ですか!?」
                                     声をかける桜子にその僧は、叫んだ。
                                    「柱の下に鑑真様がおられるんだ」
                                    「え、鑑真!?」
                                     驚きの声を上げる志郎に対し、桜子はそれが誰なのか分からない。ただ下敷きになっていることだけは確かな様だ。
                                    「いくぞ」「せいのっ」「えいっ」
                                     三人は声を合わせ倒れた柱を持ち上げ、中に倒れている鑑真を救い出すことに成功した。
                                    「大丈夫ですか。鑑真様!」
                                     慌てつつも声をかける僧に鑑真は、微笑みで応じた。
                                    「大丈夫です。ありがとう。普照」
                                     普照と呼ばれた僧は、鑑真の無事に涙を流している。どうやら鑑真は、目が見えないらしく、身の回りの世話をするのが普照の役目のようだ。
                                     やがて、雨風や止み嵐が収まったところで、普照は我に返った様に言った。
                                    「ところでお前ら二人は何者だ? そのナリといい奇妙で見たことがない」 
                                    「や、その……ねぇ、志郎兄」
                                    「あぁ、ちょっとこれには、事情が……」
                                     アタフタする二人にますます疑念の目を向ける普照だが、それを鑑真が制した。
                                    「普照や、そのお二人は命の恩人だ。話を聞こうではないか」
                                     船内が落ち着きを取り戻す中、二人は事のあらましを伝え、鑑真と会話を交わした。
                                     何でも仏教の乱れを嘆いた聖武天皇の願いに応えるべく渡日を目指したものの、ことごとく失敗し、今回が六度目の挑戦だという。
                                     その過酷さに普照の相方である栄叡が倒れ、鑑真自身も心労から視力を失ったらしい。
                                     ――それでもなお、日本への意欲を失わないなんて……。
                                     桜子は、驚きとともに心を大いに揺さぶられている。やがて鑑真が問うた。
                                    「お話によれば、あなた方は遥か未来から来られたという。そこでは仏教は根付いておりますか?」
                                    「えぇ、それはもう。ただ、私達の時空より先の未来が真っ暗で……」
                                    「救国すべく奮闘されておられる、と」
                                     鑑真の要約に桜子は、うなずくや逆に問い返した。
                                    「もし鑑真さんが私達の立場なら、どうされますか?」
                                    「立ち上がります。それこそ何度でも。それで民が救えるならお安いものです」
                                     鑑真の力強い言葉に、桜子の心情は複雑だ。志郎によれば、その教えは時空課税理論に組み込まれたものだという。いわば未来人にうまく利用されているとも取れるだけに、心が痛んだ。
                                     だが、意外なことに鑑真はそれを見抜いている様である。
                                    「桜子さん。あなたの仰りたいことは、何となく分かります。ですが、私は一向に構いません。それで世に安寧をもたらせるのなら、何度でもこの身を投げ打ちましょう」
                                     やがて、普照のすすめで休みに入る鑑真を見送った桜子は、志郎と海を前に考えている。
                                    「ねぇ志郎兄、仏教は日本に救いをもたらしたのかな」
                                    「歴史的に果たした役割は、小さくないだろう。特に鑑真の功績は、大いに評されるべきだ」
                                    「私には、あそこまでの行動力が理解出来ない。五度失敗して、なおもチャレンジする心を失わないなんて……」
                                    「だからこそ、日本人は鑑真の仏教を心から受け入れたんだ。確かに未来の課税省庁の思惑はある。だが、行き着くところ時代を作るのは、教えの是非じゃない。情熱なんだ」
                                     拳で自身の胸を叩いて見せる志郎に、桜子はしみじみとうなずく。そこへ背後から声が響いた。
                                    「まぁ、そういう事さ」
                                     驚いた二人が振り返ると、そこにはシュレが立っていた。すかさず桜子が問うた。
                                    「シュレ、アンタはどうなのよ。時空ゴーストとして、歴史をどう捉えているの?」
                                    「税収のための財源さ。建前はね。ただ……」
                                     シュレは前置きの後、続けた。
                                    「ただ、時にそれだけでは説明し切れない事象が歴史にはある。そんな人類の不可解さを僕は見守りたい」
                                     深遠な笑みを浮かべるシュレの目は、是とも非とも取れるものである。やがて、三人はクリスタルの放つ光とともに、船上から姿を消していった。

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                                  • 一井 亮治
                                    参加者

                                       十四話

                                       本格的な夏が迫る中、桜子に変化が訪れている。これまでほとんど見向きもしなかった学問に目覚め始めたのだ。
                                       紫式部、福沢諭吉、卑弥呼、鑑真――歴史上の様々な著名人との接触は、明らかに桜子の人生観に影響を与えつつある。投げやりだった生き方を前向きなものへと変貌させていた。
                                       ――情熱が時代を作る、か。
                                       桜子は志郎の言葉を口ずさんだ。同時に「人類には理屈で説明し切れない潜在力がある」と言うシュレの歴史観にも感銘を受けている。
                                       無論、その正体は桜子にも分らないが、手がかりは座学の中に潜んでいるように思われた。
                                       そんな桜子の姿勢の変化に気づいたのが、担任の中村である。桜子を職員室に呼び、改めて進路を問うた。
                                      「桜子、希望は税理士でいいんだな」
                                      「はい。大学は経営系で考えています」
                                       桜子の返答に中村は、神経質そうにうなずきつつ桜子の成績表を前に言った。
                                      「これは俺の持論だがな。人の成長には三パターンある。一つ目は早熟系、スタートダッシュは凄まじいが次第に伸びが鈍化し、そこそこに収まる器用貧乏タイプだ」
                                       聞き役に徹する桜子に、中村は続けた。
                                      「二つ目は、はじめこそ伸びは鈍いが、何かを掴んだ途端に爆発的な伸びを見せ、もっとも伸びるタイプ。そして、三つ目はそういったムラがなく平均的に伸びていくタイプだ。多分、お前は二つ目の大器晩成タイプだと思う」
                                      「はぁ。あの……それは、いいことなんでしょうか?」
                                      「俺的にはな。だが、今は時代の変化が早い。大器が晩成する前に次の波が来て、それまでの努力が無に帰してしまう。これからは、器用貧乏と蔑まれようともスタートダッシュに重きを置く早熟タイプの時代だろう」
                                       中村の理屈によれば、時代を先取りして先行利得を稼ぎ、周囲が追いつき始めた頃には、次の波に乗り換えるウサギが勝ち、不器用ながらも一つの道を極めるカメは絶滅していくとのことだった。
                                      「不器用な努力が美徳とされた時代は、終わったんだ。それを踏まえた上で進路をどう取るか、考えるんだな」
                                       中村はそう説くや、桜子を解放した。
                                       ――時代、かぁ……。
                                       職員室を出た桜子は、教室に戻りながら考えている。中村の理屈は、桜子にもよく分かった。問題は、それを自分では選べない点である。カメはどう頑張っても、ウサギにはなれないのだ。
                                       ――嫌な時代だよ。
                                       憤慨する桜子だが、そこへ着信が入った。見ると志郎からである。
                                      「どうしたのよ、志郎兄」
                                      「桜子、シュレによると近々、セツナがオニヅカを使って大規模な時空テロを目論んでいるらしい」
                                      「どう言うこと? 狙いは歴史のクリスタルじゃないの?」
                                      「それもあるが、どうやら作戦を変えてきたらしい」
                                       志郎曰く、歴史改変に絡む大規模な動きが見られるとのことだった。
                                      「桜子、帰りに事務所に寄れるか?」
                                      「いいよ。分かった」
                                       桜子は着信を切るや、気持ちを戦闘モードに切り替えた。
                                       

                                       学校を終え事務所へ向かうと、志郎とシュレが待っている。
                                      「お待たせ。何か詳しいことは分かった?」
                                      「まぁな、ちょっと込み入ってる」
                                       目配せで発言を促す志郎に、シュレはうなずき説明に入った。
                                      「セツナがこの時代に時空戦を仕掛けようとしているんだ。オニヅカを先兵に大掛かりな時空テロを目論んでいるらしい。ターゲットはリクドウ・シックス全般で、その鍵をクリスタルが握っている」
                                       シュレの説明に桜子は、首を捻りながら問うた。
                                      「あのさシュレ。私にはそのリクドウ・シックスというのが、今ひとつ理解できないんだけど」
                                      「過去を統括し、歴史の秩序を守る未来の課税システムと思ってくれればいい」
                                       シュレが説くものの、桜子は合点がいかない。やむなく志郎が補足を入れた。
                                      「桜子、要するに税務署の系統部署みたいなもんさ。天道は法人、人道は所得、修羅道は消費、畜生道は管運、餓鬼道は酒、地獄道は徴収を受け持っている。そのシステムが毎年七月に輪廻転生の名の下、大異動するんだ。システムの構成を環流させアップデートを図るんだと」
                                      「ふーん。で、セツナらはその混乱に乗じて事を起こそうとしているわけね」
                                       桜子は唸るや腕を組み頭を働かせた。クリスタルが手の内にある以上、セツナらは何らかのアクションを仕掛けてくることは想像に難くない。
                                       それをいかに防ぐかだが、ここでシュレが思わぬ策を切り出した。
                                      「桜子、ここは逆にこちらから仕掛けよう。君達に行って欲しい時空がある」
                                      「いいよ。今度はいつの時代?」
                                      「三日後さ」
                                      「え、現代!?」
                                       桜子は意表を突かれ声を上げた。てっきり過去の歴史線上にある時空だと思っていただけに意外さを覚えている。
                                      「行くのはやぶさかでないけど、一体、何をしに?」
                                      「この人物と接触して欲しいんだ」
                                       シュレが示した人物――それは十歳程と思しき少年で、名を浦島俊介といった。
                                      「じゃぁ、頼んだよ」
                                      「えっ、ちょっと待って……」
                                       唐突さに慌てる桜子だが、シュレは構うことなく指を鳴らした。その途端、クリスタルが光を帯び、桜子と志郎を三日後の未来へと連れ去って行った。

                                       桜子と志郎が放り込まれた場所は、意外にも海外だった。マンハッタンの一角でイエローキャブが盛んに出入りを繰り返す中、桜子は立ち上がり志郎に問うた。
                                      「志郎兄、ここってアメリカよね? 浦島君は海外なの?」
                                      「らしいな。とにかく行こう。セツナ一派から守る必要がある」
                                       二人はシュレから与えられた情報を元に歩道を進んだ。ニューヨークの行政区を担うこのマンハッタンは五番街やタイムズスクエアなどの繁華街が栄え、世界中から訪れた観光客で沸いている。
                                       金融街で名高いウォール街も賑わっており、街中はイタリア系やユダヤ系、中国系、プエルトリコ系など多くの人種が混在するその様は、まさに人種のるつぼだ。
                                      「凄い熱気ね。街全体が活気付いてる」
                                       桜子は超高層ビルが密集して林立する摩天楼の景観に息を飲んでいる。やがて、一帯に閑静で広大な緑溢れる公園が現れた。ニューヨークを代表するセントラルパークだ。
                                       そこで桜子は、思わぬ人物を目撃する。
                                      「あれは翔君!」
                                       かつて桜子に告白し、たぶらかした挙句、罠に嵌めようとした翔がセントラルパークを歩いていた。どうやらこちらには、気づいていないようである。
                                      「追おう」
                                       志郎の言葉に桜子はうなずき、翔をそっと尾行した。
                                       追跡すること約十分、翔の前に目的の人物が現れた。浦島俊介である。どうやら一人のようで、様子から察するに両親とはぐれ迷子になっているようだ。
                                       ここで翔が動く。徐ろにポケットからスマホを取るや、どこかと連絡を取り始めた。
                                       ――一体、何をする気?!
                                       桜子が見守る中、事件が始まった。突如として黒いワンボックスカーが現れ、中から飛び出した男達が浦島俊介を掻っ攫ったのだ。
                                      「大変だ……」
                                       一部始終を目撃した志郎は、慌てて近辺のイエローキャブを捕まえ、ドライバーに英語で捲し立てた。
                                      「ハリーアップ!」
                                      「オッケー。アーユーレディ?」
                                       いかにもラテン系といった成人男性のドライバーは、状況を正しく認識したらしく、腕を捲りエンジンを噴かすや、ハンドルを切りタクシーを急発進させた。
                                       やがて、その前方に目的のワンボックスカーが現れる。
                                      「ヘイ、シロウ。ザッツエネミー・ライト?」
                                      「イエスっ! カルロス。レッツゴー!」
                                      「オーケー!」
                                       ワンボックスカーを指差す志郎に、カルロスという名と思しきドライバーが威勢よく応じ、アクセル全開でニューヨークの街を駆け抜けていく。
                                       ぐんぐん加速する車内で、荒い運転の反動をモロに受けた桜子は、悲鳴を上げている。
                                       だが、志郎は構う事なく、ドライバーにワンボックスカーを追わせた。ここで桜子は、ワンボックスカーの中に見覚えのある顔を見つけ叫んだ。
                                      「オニヅカ!」
                                       どうやら向こうもこちらに気付いたようだ。陰湿な目でニヤリとほくそ笑むや、メガネをくいっと押さえ何かを命じた。そこで両脇の男達が取り出したものに桜子は、目を見張る。
                                      「銃っ!?」
                                       何と窓を開けこちらに向けて発砲してきたのである。そこから始まったのは、映画さながらのカーチェイスだ。信号無視のワンボクスカーを、これまた制限速度無視のイエローキャブが迫っていく。
                                       やがて、カルロスは巧みなハンドル捌きで、ワンボックスカーを高速へと追いつめた。
                                      「オーケー……」
                                       カルロスがほくそ笑み、タクシー無線でどこかと連絡を取り始めた。訝る桜子に志郎が「大丈夫さ」と目配せを送る。
                                       その数分後、事態は明らかになった。周囲にアメリカのポリスが次々に現れ、カルロスに加勢し始めたのだ。
                                       さらにワンボックスカーの前方を他のパトカーが塞ぎジ・エンド。ここで男達は敢えなくお縄頂戴となり、浦島俊介は解放された。
                                      「ヘイ、シロウ。アーユーオッケー?」
                                      「イエス。サンキューカルロス」
                                       完全に打ち解けた志郎とカルロスは、ハイタッチで笑顔を交わしている。
                                       やがて、桜子の前を意味深な笑みを浮かべるオニヅカが連行されていく。その背中を見送った桜子は、まだあどけなさを残す浦島俊介に歩み寄った。
                                      「浦島君、大丈夫?」
                                       浦島俊介はこくりとうなずくものの、まだ緊張状態が解けないようだ。青ざめた顔でこちらを伺いつつ、ニューヨーク市警に保護されて行った。
                                      「何とか助かったらしいな」
                                       ほっと安堵のため息をつく志郎に、桜子が問うた。
                                      「志郎兄、あの浦島君は何者なの?」
                                      「時空課税上の最重要人物さ。とにかく無事でよかったよ」
                                       志郎の返答に桜子は、頭を捻っている。
                                       ――未来人の最重要人物……ということは、つまり……。
                                       閃きがよぎる桜子に志郎がうなずく。どうやらあの浦島俊介少年は、タイムマシンの開発者上において重要な何かを握る人物のようだ。とそこで桜子のクリスタルが光を放ち、二人を元の時空へと連れ戻していった。

                                    • 一井 亮治
                                      参加者

                                         十五話

                                         三日前の日本へと戻ってきた桜子と志郎だが、何かがおかしい。地震とは異なる強烈な振動が違和感となって襲ったのだ。
                                        「時空震だ!」
                                         声を上げる志郎に桜子が首を傾げる。
                                        「時空震? 何それ」
                                        「シュレが言っていた。時空課税の根底を覆す何かが進行中だって。多分、これがそうだ。桜子、急げ!」
                                         いきなり走り出す志郎に桜子は、戸惑いを隠せない。だが、目の前に飛び込んできた光景に思わず息を飲んだ。シュレが肉体を破壊され倒れているのだ。
                                        「シュレっ!」「しっかりして!」
                                         叫ぶ二人にシュレは声を絞り出した。
                                        「セツナ……に……気をつけて……」
                                         シュレが完全に機能を停止する中、周囲の一帯では無秩序な破壊が起こり始めた。
                                         目には見えないものの、何かが進行していることは明らかだ。
                                        「事務所が危ないっ!」
                                         叫ぶ志郎に桜子は混乱しつつも、走った。やがて、目の前に上がる火の手に二人は、愕然とした。
                                        「うちの事務所がっ……」
                                        「親父っ!」
                                         桜子と志郎は、炎に包まれる事務所に飛び込むや、中で倒れる父・善次郎に飛びつく。
                                         どうやらまだ息はある様だ。
                                        「桜子っ、手を貸してくれ」
                                        「分かった」
                                         二人は息を揃え、善次郎を事務所の外へと運び出した。その後、志郎が盛んに蘇生措置を施すものの、善次郎に反応は見られない。
                                         焦りに額が汗で濡れる中、救急車が駆けつけた。同行する志郎と桜子は、気が気でない。
                                         やがて、病院につくや善次郎は集中治療室へと運ばれた。手術中のランプが赤く点る中、事の真相を理解した志郎が舌打ちした。
                                        「陽動、か……セツナにまんまと騙された」
                                         
                                         
                                         
                                         善次郎の手術が終わった。無菌室でパイプに繋がれ横になる善次郎を、桜子と志郎は外から見守っている。
                                         包帯が巻かれた痛々しい姿を眺める二人だが、そこへ聞き覚えのある声が響く。
                                        「さて、どうしたものかしらね? お二人さん」
                                         驚き振り返る桜子と志郎は、背後に立つ人影に目を見開いた。諸悪の根源であるセツナが男達を引き連れ立っているのだ。
                                        「セツナ。どういうつもりだ!」
                                        「どうもこうもそういうことよ」
                                         吠える志郎にセツナは、肩をすくめながら切り出した。善次郎の命運は自分が握っており、いかようにも未来を改変できる、と。
                                        「条件は一つ、歴史のクリスタルよ」
                                         交渉を持ちかけるセツナに桜子の心中は揺れている。だが、志郎は即断した。
                                        「セツナ。残念だがお断りだ。未来をお前らの好き放題にはさせない」
                                        「あら、随分と威勢がいいのね。すでに勝負はあったというのに」
                                         笑うセツナに志郎は、かぶりを振る。
                                        「セツナ、勝負はこれからさ。確かに時空テロを防げず、その点で俺達負けたかもしれない。だがセツナ、お前はまだクリスタルに承認されていない。つまり、俺達の意のままにある状況は変わっていないってことさ」
                                         吠える志郎にセツナは、にんまり目を細めている。どうやら図星の様だ。セツナは満面の笑みを浮かべながら、言った。
                                        「志郎。アンタって本当にいいわ。この状況にあって冷静さを失わない。大したものよ。いいでしょう。条件を変えましょう」
                                         ――え、どういうこと?
                                         桜子が怪訝な表情を浮かべる中、セツナは意外な切り口で迫った。
                                        「志郎、条件はあなたよ」
                                        「ほぉ、俺をどうする気だ!?」
                                         志郎の問いかけに、セツナは構うことなく続けた。
                                        「あなたの身柄をしばらくの間、私達が頂く。安心なさい。危害は加えないから。ただ少しの間、行動をともにするだけよ」
                                        「志郎兄を連れていくですって!? 何言ってるのよセツナ。そんな条件、飲めるはずがないでしょう」
                                         憤慨する桜子だが、傍らの志郎が手で制し小声で囁いた。
                                        「桜子、親父とクリスタルを頼む」
                                        「え、ちょっと待ってよ。まさか志郎兄、セツナの条件を飲むっていうの?!」
                                         驚く桜子に志郎は、うなずく。
                                        「あらかじめ予想はしていたんだ。それしか妥協点はないからな。心配するな桜子。俺は必ず帰ってくる」
                                         志郎は桜子の肩をポンと叩くと、セツナに言った。
                                        「いいだろう。その条件を飲もう」
                                        「オーケー、交渉成立ね」
                                         セツナは満足げにうなずくや、男達に志郎の身柄を拘束させた。両脇を固められながら、連れ去られていく志郎の背中を、桜子は力なく見送るしかなかった。

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                                      • 一井 亮治
                                        参加者

                                          「志郎を持っていかれた、か」
                                           桜子の報告に頭を痛めるのは、新たに送られてきた量産型シュレ二号機だ。どうやら記憶は共有されているらしく、会話もこれまで同様で何ら変わることがない。
                                          「一体、どうすれば……」
                                           嘆く桜子にシュレは断言した。
                                          「僕は歴史のクリスタルをさらに強化すべきだと思う。それがセツナへの抑止にも繋がるからね」
                                          「でも、私一人じゃ……」
                                           すっかり弱気に転じた桜子に、憤りを覚えたシュレは混乱の収まらない街を指差し吠えた。
                                          「桜子、現状を理解してる? 君達はセツナに時空兵器で攻撃されたんだよ。この時空震は、しばらく収まらないだろう。死者も出てる。なのに反撃もせずに、ただ黙って見てるだけなの?!」
                                          「そうは言うけど、どう立ち向かうのよ。志郎兄を人質に取られているのに」
                                          「だからこそ、クリスタルが重要になってくるんじゃないか。君の時空トラベルがクリスタルを強化し、ひいてはセツナに対する交渉力を高めることにも繋がる」
                                           こんこんと説くシュレに桜子も異論はない。だが、その自信がなかった。不安で押し潰されそうになる桜子だが、そこへ一本の着信が入った。母のソフィアである。
                                           桜子は父の無事と兄の拉致を伝え、クリスタルをめぐる現状と、ありのままの思いをぶつけた。
                                          「私には自信がない。志郎兄と違って無能だし、どう戦えばいいのか分からない。分不相応もいいところよ」
                                          「桜子、一ついい? あなたにあって志郎にないものがある。何か分かる?」
                                          「そんなものないわよ!」
                                           嘆く桜子だが、ソフィアの答えは意外なものだった。
                                          「クリスタルが選んだのが、志郎ではなくあなただったってことよ」
                                           これには、桜子も黙らざるを得ない。確かにクリスタルは万能な兄ではなく、無能な自分を選んだ。それは偽らざる事実だ。
                                           さらにソフィアは意外な心中を吐露した。曰く、自分は桜子よりむしろ志郎の方が心配だ、と。
                                          「え、どう言うこと?」
                                          「これは初めて言うんだけど、私は志郎を叱ったことがないの。まぁ、叱るところが無かったって言うのもあるけど、本当は叱るともう立ち直れないんじゃないかって思うくらい脆い部分があってね」
                                          「や、でも私、志郎兄と違って褒められたことってほとんどないよ」
                                          「それは、褒めることが人をダメにする側面を持っているから。私はライターとして、賞賛を一身に浴びた人がその能力を発揮できないまま潰れていくのをいっぱい見てきた」
                                           黙って聞き役に徹する桜子に、ソフィアはさらに続けた。
                                          「桜子。あなたはさっき分不相応って言ったわね。確かに身の程をわきまえるっていうのは、大事よ。特に調和を重んじる日本ではね。でも身の丈を超えない限り、成長もないわ。クリスタルは志郎ではなく、あなたの方に伸び代と潜在的な魅力を感じたのよ」
                                           ――私に伸び代と魅力?
                                           思わぬ事実を知らされた桜子は、言葉を失っている。やがて、ソフィアが締めた。
                                          「桜子。事務所のことは、私が知り合いの先生に話をつけるから安心しなさい。あなたは今、すべきことをすればいい。分かった?」
                                          「分かった……」
                                           桜子はポツリと答えるや、通話を終えた。徐ろに歴史のクリスタルを手に取るや、密かに決意を固めた。
                                           ――どこまで出来るか分からない。伸び代なんて全く感じないけど、やれる限りのことをやってみよう。
                                           そんな桜子にクリスタルは、慈愛の灯火を放ち続けた。

                                           

                                           学校が夏休みに入った。この頃になると、桜子の学問に対する熱もかなりのものとなっている。
                                           シュレが家庭教師となって、歴史という日本がかつて歩んで来た道を伝えると同時に、いずれ行くイバラの道について進んだ考えを説いていく。
                                          「要するに歴史って、哲学なんだ」
                                           シュレの教えに桜子は、首を捻る。
                                          「シュレ、悪いけど哲学って実社会で何の役にも立たない暇人の禅問答でしょ?」
                                          「違う。発想が逆だ。実社会の発展の上に哲学じゃない。哲学が整備されてはじめて実社会が成り立つ。仮に今、大怪我をしても外科治療で治せるだろう。それはデカルトが物心二元論で精神と身体を切り離したからこそ、医者が安心して身体を科学的に研究できる倫理ができ、医学の発展につながった」
                                          「じゃぁ、歴史はどうなのよ?」
                                           桜子の問いにシュレは、しばし考えた後、返答した。
                                          「統治だね。いかに国を回していくか。民主制か君主制に行き着く」
                                          「どっちがいいの?」
                                          「一長一短さ。君主制は独裁を生み民主制は衆愚を生む。その時々で最適なものを選ぶのがベストだろう。ま、座学はこんなところさ。実践に移ろう」
                                           シュレがパチンっと指を鳴らす。たちまち歴史のクリスタルから光が溢れ、桜子を太古の時空へと連れ去っていった。
                                           シュレが次に照準を合わせた時空は、〈日本〉という国号が初めて歴史に登場した大化の時代である。
                                           例の如く時空移動により乱暴に放り出された桜子が一帯を見渡すと、宮中の様だ。楽しげな声の元へ向かうと、何やら鞠らしきものを高く蹴り合う男達がいる。
                                          「いた。あそこね。中大兄皇子!」
                                           桜子は物陰に隠れて機をうかがった。すると、その中大兄皇子が蹴りに乗じて靴を放り飛ばしてしまった。
                                           苦笑する中大兄皇子に靴を拾い近づいた人物こそ、古代日本において絶対的な権力を手にする藤原氏の祖――中臣鎌足である。
                                           ここで二人は、何かを囁き合った。一瞬ではあったものの、何かを察し合ったようだ。互いに意味深な笑みを浮かべ別れた。
                                          「よし、行こう」
                                           桜子は意を決し、中臣鎌足の元へと歩み寄った。案の定、桜子のナリに中臣鎌足は驚いている。だが、意外にも何かを察したようにうなずき、こう述べた。
                                          「君、未来からの使者だね?」
                                           流石に桜子も驚きを隠せない。
                                          「え……あの、なぜそれを?」
                                          「以前に似たような妙なナリの青年が来たからね。君と少し面影が似ている。肌の色も」
                                           ――それって志郎兄じゃ……。
                                           食い入るように見つめる桜子に中臣鎌足は、優しげな笑みを浮かべながら言った。
                                          「そんなナリでここにいたら、怪しまれる。私の家に来なさい。話を聞こうじゃないか」
                                           
                                           

                                           その後、中臣鎌足に招かれた桜子は、事情を晒した。
                                          「ほぉ、歴史のクリスタルで救国をねぇ。君の気持ちはよく分かるよ。私も身分の低い役人ながら、この国の未来を危惧する者だ。特に蘇我氏の横暴は目に余る。聖徳太子様の血を引く山背大兄王様すら葬ってしまった。一族もろともだ。何とかしたいのだが、肝心の中大兄皇子が煮え切らない」
                                           苦悩の表情を浮かべる中臣鎌足に、桜子は同意しつつ問うた。
                                          「鎌足様は、日本をどんな国にしたいですか?」
                                          「律令国家だ。租・庸・調を整備し、唐のような立派な国にしたい。それだけではない。この国を未来に輝く偉大な国にしたいのだ」
                                           そこから始まったのは、中臣鎌足による一大演説会である。ほとばしる情熱で熱弁を振るうその熱気に桜子は、圧倒されている。
                                           だが同時に頭もクールに働かせた。脳裏によぎるのは、中臣鎌足が以前に会ったという志郎のことだ。
                                           気になった桜子がその旨を問うと、中臣鎌足はこれまた意外な答えが返って来た。なんと蘇我入鹿を唆し山背大兄王様を討たせたのは、志郎だという。
                                          「それはないっ!」
                                           思わず声を荒げる桜子だが、中臣鎌足は間違いないと断言する。
                                          「君には悪いが、あの志郎という男はかなりの危険人物と見た。おそらく君がいう歴史の改変を目論んでいるんじゃないか」
                                           ――志郎兄が歴史改変を……。
                                           言わずもがな、歴史改変は時空課税の理論を根底から覆す大罪である。どうやら志郎は、セツナに唆されダークサイドに身を投じてしまったらしい。
                                           愕然とする桜子に中臣鎌足は同情しつつ、非情な論理を説いた。
                                          「桜子、おそらく君は志郎と対決する。覚悟しておいた方がいいだろう」
                                           ――志郎兄と、対決……。
                                           あまりの衝撃に桜子は、言葉が出ない。これまで志郎を頼りにずっとやってきた。その志郎と対決など、できようはずがない。何よりあの志郎が、自分を裏切るはずがないのだ。
                                           やがて、中臣鎌足と別れた桜子は急ぎ現代に戻り、その旨をシュレに伝えた。流石のシュレも事態の深刻さに、顔色を変えている。
                                          「志郎が寝返ったのか……」
                                           困惑の面持ちで未来の課税当局と連絡を取り始めたものの、セツナがあらゆる時空で同時多発的に起こした時空テロの混乱を受け未だ復旧できずにいる。
                                           そんな中、ようやく返した答えが「志郎にまつわる情報の収集に努めよ」とのことだった。
                                          「シュレ、どうすればいい?」
                                           必死の面持ちで問う桜子に答えるべく、シュレはあらゆる時空に検索エンジンを走らせた。そこで一つの事案がヒットする。
                                          「西暦645年6月12日の飛鳥、ここに志郎のものと思しき痕跡が確率として見られる」
                                          「分かった。すぐ行く」
                                          「待って、桜子。罠の可能性がある。今、闇雲に動くのはあまりに危険だ」
                                           はやる桜子を引き止め再考を促すシュレだが、桜子の決意は固い。
                                          「シュレ。危険は承知の上、でも今は動くべきときよ」
                                          「作戦も無しにどう動くっていうのさ!」
                                          「そんなものは、動きながら考えるものなのよ! 少なくとも今まで会って来た歴史上の偉人は、そうだった。皆、自分から時代にぶつかって、歴史を引き寄せていたわ」
                                           桜子の強行姿勢にシュレは苦悩の表情を滲ませ、ため息まじりに嘆いた。
                                          「桜子、君は事態の深刻さが分かっていない」
                                          「大丈夫よシュレ、任せて。志郎兄が裏切るなんてあり得ない。絶対、何か理由があるはずなの」
                                          「それが甘いんだ。後ろで糸を引いているのは、あのセツナなんだ」
                                           シュレはリスクをこんこんと説くものの、桜子は頑として引き下がらない。一見、無謀とも思える桜子の決断だが、その主張はあながち間違ってはいない。
                                           それを成長と取るか未熟と取るかは、分からないものの、自らの意思を鮮明にする桜子にシュレは折れた。桜子の条件を飲んだのだ。
                                          「伸るか反るかの大博打、いずれ来るとは思っていたが、こんなに早く到来するとは、ね……」
                                           そんな独り言をつぶやきながら、シュレは準備を整え、桜子に釘を刺した。
                                          「いいかい桜子、君が今まから活動出来る時間は、きっかり二十四時間。これより一秒でも遅れれれば、君は時空課税庁の管轄を離れ、現代に戻ってこれなくなる。それとこれはお守り。いざとなったら開けてくれ。もしかしたら役に立つかもしれない」
                                          「分かったよシュレ。礼を言う」
                                          「これが僕に出来る限界だ。健闘を祈る」
                                           シュレは全てを託し、桜子を再度、過去の時空へと送り出した。

                                        • 一井 亮治
                                          参加者

                                             第十七話

                                             桜子が訪れた時空は、飛鳥の宮中である。どうやら三韓の使者をもてなす儀式が進行中の様だ。皇極天皇を前に石川麻呂が使者の文を読み上げていた。
                                             無論、蘇我入鹿も同伴している。
                                             ――いよいよね。
                                             桜子がつぶやき様子をうかがうものの、何ら変化は見られない。すでに石川麻呂の読む文は終盤に差し掛かっている。
                                             どうしたことかと首を傾げていると、それは起きた。怖気付く手勢の兵に代わって中大兄皇子が自ら白刃を引き抜き、蘇我入鹿に襲いかかったのだ。
                                             この突然の出来事に王の間は、騒然となった。手傷を負った蘇我入鹿が叫ぶ。
                                            「大王様、私に何の罪があってこの様な仕打ちを……」
                                             だが、中大兄皇子は手を緩めない。やがて、周りの手勢も加わり、たちまち蘇我入鹿を討ち取ってしまった。
                                             蘇我入鹿の首が刎ねられる中、中大兄皇子は皇極天皇に曽我氏の横暴からクーデターに及んだ旨を説明している。さらに中臣鎌足が周囲の兵に命じた。
                                            「いくさだ。曽我氏を一掃する」
                                             この乙巳の変を機に歴史は、大化の改新へと大きく舵を切ることとなる。次々に兵が中大兄皇子の指揮の下に入り、蘇我蝦夷らの討伐へと動いていく。
                                             一方、桜子に気付いた中臣鎌足が声を上げた。
                                            「桜子じゃないか。なぜここへ?」
                                            「兄の行方を追ってやって来たんです」
                                             桜子の返答に中臣鎌足は、大いにうなずき言った。
                                            「志郎だね。彼ならおそらく飛鳥寺だ。これから軍勢を送るつもりだが……」
                                            「鎌足さん。私を連れて行ってください!」
                                             桜子の懇願を中臣鎌足は了承し、行軍に加えた。当初は少数だったこの軍だが、クーデター成功の噂を聞いた豪族達が次々に加わり、いつしか一大兵力へと膨れ上がった。
                                            「こんなに大勢の軍が……」
                                             驚く桜子に中臣鎌足がうなずく。
                                            「それだけ曽我氏が権力を独り占めにして、多くの豪勢の恨みを買っていたってことさ。だが、これでようやく本来の政治ができる。唐に負けない律令国家を目指せるのだ」
                                            「中大兄皇子は大王に?」
                                            「いや、それは難しいだろう。強引に権力を簒奪したんだ。すぐ大王になれば反感を買う。まずは皇太子として政治改革を進めて頂こう」
                                             中臣鎌足は改革へと熱弁を振るった。公知公民・租庸調の整備・班田収授等、やることは山積だ。
                                            「あとは、唐にならって年号を定める必要があるな。何か改革を知らしめるいい名は、ないものか……」
                                             頭を捻る中臣鎌足に桜子が言った。
                                            「鎌足さんの思いが伝わる名がいいですね」
                                            「ふむ。私は常々思っていた。この国は、まだその潜在力を発揮し切れていない。これを機に大化けさせたいのだが……そうだな。〈大化〉でいこう」
                                             うなずく中臣鎌足の表情は、実に満足げだ。
                                             やがて、前方に蘇我蝦夷氏が防備を固める屋敷が現れた。だが、その兵力は微々たるものだ。数と勢いに押され、すでに落城寸前である。
                                            「蝦夷の首は、見つかったか?」
                                             中臣鎌足が問うものの、伝令の兵はかぶりを振っている。焦りを覚える中臣鎌足の傍らで、桜子は首を傾げている。
                                             ――確か正当な歴史では、蘇我蝦夷はここで自害するはずだ。だが、その首が見つからないなんて……。
                                             そんな矢先、桜子は炎に包まれる屋敷の中に求めていた人影を見つけた。
                                            「志郎兄!」
                                             声を上げる桜子に中臣鎌足は、うなずき桜子を解放した。
                                            「行きなさい。くれぐれも気をつけて」
                                            「はい。鎌足様もお元気で」
                                             別れを告げた桜子は志郎を求め、炎の中へと飛び込んだ。至る箇所で柱が崩れ落ちる中、屋敷の裏手から野原へと抜けた桜子は、目の前に佇む人影に声を上げた。
                                            「志郎兄っ!」
                                            「桜子か、久しいな」
                                             振り返るその顔は、紛れもなく志郎そのものだ。ただ、その表情はどこかよそよそしい。
                                            「志郎兄。一体、どこへ行く気? 一緒に帰ろう」
                                            「桜子、悪いが俺は帰らない」
                                            「どう言うことよ!?」
                                             声を荒げる桜子に志郎は、思わぬ返答をよこした。曰く、セツナ一派に加わり歴史を改変してでも、この国を変えるつもりだ、と。
                                            「俺は分かったんだ。もうこの国は助からない。亡国の憂き目にあうくらいなら歴史を改変してでも、救国の財源を時空移動に求めるしかないって」
                                            「ちょっと待ってよ志郎兄、それは歴史のクリスタルで……」
                                            「手緩い。もう手遅れなんだ。桜子もこっちに来いよ」
                                             志郎の勧誘に、桜子は動揺を隠せない。
                                             ――あの志郎兄は、すっかりセツナに洗脳されてしまっている。
                                             桜子は愕然としつつ、なおも説いた。歴史に犠牲を強いるセツナのやり方はあまりに急進的であり、時空課税の枠組みを根本的に覆すものだ、と。
                                             だが、志郎の耳には届かない。
                                            「桜子、俺はシュレではなくセツナに賭ける。民主主義ごっこで何一つ決められない日本に君主制を敷き、犠牲を強いてでも未来を変える」
                                            「志郎兄、それはあまりに性急過ぎる。歴史って皆で作るものでしょう?」
                                            「大方はな。だが、時としてごく限られた人間にその裁量を委ねるときがある。今がその時なんだ!」
                                             志郎の強行姿勢を前に、桜子の言葉はことごとく弾かれる。ついに交渉は決裂した。
                                            「桜子、これは最後通牒だ。セツナを中心とした俺達改革一派を取るか、それとも手緩いシュレ一派でぬるま湯に浸り続けるか、今決めろ」
                                             強引に答えを迫る志郎に、桜子は答えに窮している。それを拒絶と解釈した志郎は、桜子に背を向けた。
                                            「次会うときは、敵同士だ。俺は俺の道を行く」
                                             志郎の宣戦布告とも取れる発言に、桜子はなおも説得を試みるが、志郎は振り返ることなく、この時空から姿を消した。残された桜子はあまりの急展開に考えが追いつかない。
                                             そうこうするうちに野原に火の手がまわり、桜子は完全に逃げ場所を失ってしまった。
                                             ――熱いっ、早く時空スポットまで移動しないと、時間が二十四時間を超えてしまう。
                                             焦るものの目の前が炎で遮られ進む事ができない。にっちもさっちも行かなくなった桜子は、はたとシュレから手渡されたアイテムを思い出し手に取った。
                                             するとそのアイテムは眩い光を放ち、一本の剣へと姿を変えた。
                                            「これって、もしかして草薙の剣!?」
                                             桜子は驚きつつ、その草薙の剣で一帯を刈り取り、炎の草原から活路を開いていく。
                                             ――もう時間がないっ……。
                                             焦る気持ちを抑えつつ、何とか炎の草原からの脱出に成功した桜子は、光の灯る時空スポットに飛び込んだ。
                                             その途端、桜子の体は光に包まれ、飛鳥の時代から姿を消した。時空移動の空間を漂い現代に戻った桜子は、頭から地面に叩きつけられ転がり込んだ。
                                            「痛っ……」
                                             強引な体勢で何とか現代に戻ることに成功した桜子が時間を確認すると、残り時間が一秒を切っている。
                                            「桜子、今回はマジでヤバかった」
                                             目の前でシュレがほっと安堵のため息をつく。一方の桜子は徐ろに上体を起こすや、よろよろと立ち上がり嘆いた。
                                            「志郎兄は、セツナの手に堕ちた。シュレ。私、どうしたらいい?」
                                            「どうしようもないさ。残された道は対決あるのみ」
                                            「そんな事、出来るわけないでしょう!」
                                             異議を唱え涙を見せる桜子だが、見守るシュレに答えはなかった。

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                                          • 一井 亮治
                                            参加者

                                               第十八話

                                               父・善次郎の病状が芳しくない。一時は回復に向かっていたものの、その後、悪化に転じ今は意識を失ったままだ。
                                               幸い事務所は、母・ソフィアの知り合いが助っ人に入り回っているものの、いつまでも頼り放しではいられない。それだけに桜子は、セツナの手に堕ちた志郎の心境が理解できない。
                                               ――ラボのバグで暴走し、設計者を消失させ時空テロを起こすセツナにつくなんて。
                                               憤慨する桜子に応じるのは、シュレだ。
                                              「それがセツナの怖ささ。奴はゴーストとして言葉巧みに囁き、人を陥れる。特に志郎みたいなタイプにはね」
                                              「どういう事?」
                                              「有能で挫折知らずだろう。それでいてなまじ使命感があるから一度、負に転じればなかなか戻らない」
                                               肩をすくめるシュレに、桜子は頭を抱え嘆いた。
                                              「シュレ。私、どうすればいい?」
                                              「答えはクリスタルにある。歴史のクリスタルが君を認証している限り、こちらの優位は変わらないさ」
                                              「けど、もし奪われれば、タックスヘイブンだけでなくマネーロンダリングまで可能になるんでしょう?」
                                              「だからこそ、君はクリスタルに向き合う必要がある。この国が取るべき道は成長か成熟か、政府は大きくあるべきか小さくあるべきか。国の未来が歴史のクリスタルに眠っているんだ」
                                               現状を説くシュレに桜子はうなずき、クリスタルを取り出す。内部に漂う淡い光を眺めながら、意を決したように言った。
                                              「分かったよシュレ。それで次はいつの時空に行けばいいの?」
                                              「ある人物を看取って欲しいんだ」
                                               キョトンとする桜子に構わず、シュレは指を鳴らしクリスタルを発動させた。たちまち桜子の体は光に包まれ、現代の時空から姿を消した。
                                               
                                               
                                               
                                               例の如く、乱暴に放り出された桜子が辺りをうかがうと、水辺が広がっている。どうやら琵琶湖近辺のようだ。そこへ聞き覚えのある年老いた声が響く。
                                              「君は、桜子じゃないか!?」
                                               驚き振り返った桜子は、思わず声を上げた。
                                              「中臣鎌足さん!?」
                                              「ハッハッハッ……今は藤原鎌足だ。昨日、帝から長年の功を評されてな。ワシの出生地である藤原(現・奈良県高市郡)にちなんでこの姓を賜った。懐かしのう。大化の改新以来か」
                                               目を細める鎌足に桜子は、頭を下げた。
                                              「その節は、お世話になりました」
                                              「いやなに。あの頃のワシは怖いもの知らずだったからな。ゴホゴホ……」
                                              「大丈夫ですか!?」
                                               気遣う桜子を鎌足は手で制し、「少し休もう」と近くの倒木に並んで腰掛けた。
                                               初夏の心地よい風がそよぐ中、桜子は琵琶湖を眺めながら話した。
                                              「都を飛鳥から近江に移されたんですね」
                                              「あぁ、大化の改新の理想を実現すべく人心の一新を図りたかった。それとワシの手落ちもある」
                                               鎌足曰く、白村江で唐・神羅連合軍に敗戦し、天然の要害であり交通の要衝でもある大津に遷都したとのことだった。
                                              「生きては軍国に務無し(私は軍略で貢献できなかった)。軍事と外交を司る身として、己と日本の未熟さを思い知ったよ」
                                              「でもその分、鎌足さんは内政で貢献されたじゃないですか」
                                              「フフッ、当時皇子だった帝と蘇我入鹿・蝦夷を討ち、阿部倉梯麻呂や石川麻呂を失脚に追いやった。ひたすら帝に尽くし大錦冠、大紫冠の地位についた。人生をかけて己の仕事を果たせたと思っている」
                                               鎌足は穏やかに語りつつ、湖辺で戯れる幼い息子の不比等を眺めながら言った。
                                              「財を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上。それがワシの信念だが、果たしてどうだったのだろうか」
                                              「その全てを残されたと思います」
                                               桜子の返答に鎌足は、照れくさそうに笑っている。もっとも誇張ではない。事実、鎌足は日本の歴史における最大氏族〈藤原氏〉の始祖となり、一族繁栄の礎を築いたのだ。
                                               その旨を伝えると、鎌足は大いにうなずきながら、問うた。
                                              「桜子、君はどうなんだ。お兄さんとの関係は、改善したのかい」
                                              「それが……」
                                               桜子は苦悩の表情を浮かべながら、窮状を説いた。鎌足はその一つ一つにうなずいていたが、やがて考慮の後、桜子に言った。
                                              「骨肉の争いだな。いつの時代も変わらない。おそらくワシの死後、次の帝の地位を巡って争乱が起きるよう。帝の兄弟をめぐる争いだ」
                                              「兄弟や身内の争いが国を滅ぼす……虚しいですね」
                                              「それでも人は前に進み、営みを続ける。それが歴史だ」
                                               鎌足は穏やかに微笑み、幼い不比等を眺めながらそっと口を閉じた。鎌足の体はぐったりもたれかかったまま、ピクリとも動かない。
                                               それは波乱に満ち、時代に翻弄されながらも歴史という大舞台で命を張ってきた偉人の静かな最期だった。

                                               
                                               
                                              「ご苦労だったね」
                                               鎌足の死を看取った桜子をシュレが出迎える。桜子は感慨深げに言った。
                                              「シュレ、志郎兄は以前〈歴史は時としてごく限られた人間にその裁量を委ねるときがある〉と言っていた。鎌足さんは、どうだったんだろう」
                                              「残した功績は大きいね。鎌足の死後、壬申の乱を制した大海人皇子(天武天皇)の治世へと繋がっていく。同時に鎌足が理想とする唐をモデルとした律令国家の志は脈々と引き継がれ、息子の藤原不比等らによって結実した」
                                              「大宝律令ね」
                                               桜子の返答にシュレがうなずく。
                                              「そうさ。日本で初めて確立された統一的な税制だ。租・庸・調という唐の均田法にならった税の仕組みが完成したんだ。まさに人類の叡智だ。ゆえにその改変は、許されない」
                                              「分かってる。志郎兄の一件は、この私が引き受けるから。差し違えてでもね」
                                               そう語る桜子の目は、確固たる決意に溢れていた。

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                                            • 一井 亮治
                                              参加者

                                                 第十九話

                                                 父・善次郎の意識が戻った。知らせを受けた桜子が我先に病院へ駆けつけると、病床から善次郎が笑顔で出迎えている。
                                                「父さん、よかった……」
                                                 桜子は善次郎の元に駆け寄るや、目に涙を滲ませた。
                                                「桜子、心配をかけたな」
                                                「本当よ! 一時は、どうなることかと……あのまま別れも言えずに〈さようなら〉なんて私、絶対に許さないから……」
                                                 怒ってみせる桜子に善次郎は、苦笑を禁じ得ない。やがて、会話もそこそこに桜子は善次郎の着替えを整理しつつ、現状を説明した。
                                                「そうか。志郎は出て行ったきりか」
                                                「うん……歴史を改変してでも、この国を救うんだって」
                                                「なるほど。アイツらしいな」
                                                「感心している場合じゃないでしょう。父さんがこんなになってるって言うのに」
                                                 声を上げる桜子に善次郎は理解を示しつつ、ふと思い出したように切り出した。
                                                「そういえば桜子、お前が言っていたオニヅカという元税理士だがな。父さんも一度、関わったことがある」
                                                「え……本当?! 何か情報はある?」
                                                 食いつく桜子に善次郎は、記憶を辿りながらオニヅカの情報を話し始めた。曰く、志郎同様に試験を一発合格した天才で、ヤマ当てがうまく生粋のギャンブラーで鳴らしていたと言う。
                                                「何でもカジノを自ら編み出した必勝法で何件か潰したらしい。その恨みを買って課税当局にタレコミされ査察にやられたって話だ」
                                                「ふーん……そう言うことね」
                                                 桜子は腕を組み考えを巡らせる。どうやらオニヅカは、歴史を哲学ではなく壮大な賭博場と捉えているようだ。
                                                 ――まぁ、あながち間違ってもいないか。
                                                 桜子は心の中でうなずく。と言うのも歴史上の偉人には、どこか己を賭け金に相場を張る勝負師としての側面が感じられるのだ。
                                                 やがて、面会時間が来たところで桜子は立ち上がった。
                                                「父さん。貴重な情報をありがとう」
                                                「あぁ、だが桜子。ムリは禁物だぞ」
                                                「分かってる。じゃぁね」
                                                 桜子は別れを告げ病院を出た。帰路の電車に揺られながら、スマホを取り出し母・ソフィアから教えられたサイトのAIへと繋ぐ。
                                                 善次郎から得た情報をもとに調べていくと、奇妙な情報がヒットした。
                                                「オニヅカの本名?」
                                                 その名を問うと、AIは思わぬ名字を挙げた。それは、桜子がよく知る氏である。
                                                「フジワラ、かぁ……」
                                                 どうやらオニヅカは先日、桜子が看取った鎌足の子孫に当たるようだ。シュレだけでなくセツナもこだわる藤原氏とは、果たしていかなる一族なのか。
                                                 さらに調べを進める桜子だが、ふと気配を感じ顔を上げた。
                                                「今、誰かに見られていたような……」
                                                 不審を感じ辺りをぐるりと見渡したものの、特に異変はない。
                                                 ――気のせいか……。
                                                 そうこうするうちに電車が駅に着いた。桜子は気を取り直すや、電車を出て家路についた。

                                                「藤原氏と税制の関係? あるよ」
                                                 帰宅するや質問を投げかける桜子に、シュレは答えた。
                                                「鎌足の子、不比等らが大宝律令で税制を整えたのは以前、見ただろう」
                                                「えぇ、私が知りたいのは、その結果よ。ちゃんと国や民のためになったの?」
                                                 前のめりな桜子にシュレは、しばし考え冷静に返した。
                                                「桜子。君、勘違いしてないか。歴史って、先に進むほど皆が幸せになれるとか思ってる?」
                                                「そうよ、違うの?」
                                                「とんでもない誤解さ。確かに鎌足や不比等らによって日本は律令国家となった。ようやく一人前の国になってきたと言っていい。だが、歴史は次の時代に光だけでなく影も落とす」
                                                 シュレ曰く、租庸調、つまり稲や布、地産品といった税は都まで自費で運ばねばならず、民は盗賊に怯え餓死と隣り合わせの命懸けな旅を強いられたという。
                                                 その日暮らしで不安定ながらも、皆で分け合う縄文時代の文化は、完全になくなったのだ。
                                                「さらに厄介なのは、公地が足りなくなったことだ。国が墾田永年私財法で開墾を促したものの、それが出来るのは余力がある豪族だ。彼らはこれを有力者への寄付を装い、租税回避を図った。荘園の始まりさ」
                                                「国司は、課税出来なかったの?」
                                                「不輸の権を盾に拒まれた。〈ここは田畑でなく私の庭園なんです〉とか言われてね」
                                                「何よそれ!」
                                                 憤慨する桜子にシュレは苦笑しながら、言った。
                                                「この荘園をもっとも効果的に使ったのが、藤原氏さ。彼らは日本最大の荘園領主として、道長の時代に絶頂を極めた。セツナは、藤原の血を引くオニヅカにこのシステムを転用させ、時空上の租税回避という大博打を張らせたいのさ」
                                                「なるほどね……」
                                                 桜子はシュレに同意しつつ、腕を組み考えている。
                                                 先日の時空テロで未来の課税省庁の軸をなすリクドウ・シックスは、完全に復旧できていない。
                                                 そもそも消失したセツナの設計者は、遺体すら見つかっていないのだ。
                                                 ゆえにセツナ達の動きが近いうちに予測され、それは平安時代と推測された。
                                                 ――問題は志郎兄ね。何としても目を覚まさせる必要がある。
                                                 有能で才に長けた志郎に対するコンプレックスは、桜子の中で不動のものだ。それでも、この兄を出し抜かねばならない。
                                                 ――ここは、策に頼ろう。
                                                 桜子は、シュレに問うた。
                                                「シュレ。現状で未来の課税省庁の稼働率は、どこまで見込める?」
                                                「天道(法人)、人道(所得)で二、三割と言ったところだね」
                                                「私が囮になるわ。それで可能な作戦を立てて」
                                                 この桜子の申し出にシュレは、驚いている。だが、桜子は本気だ。
                                                 やむなくシュレは、未来と連絡をとり始めた。そこで決まったのは、助っ人を寄越すとの事である。
                                                「明日、その助っ人がやって来る。作戦の成否は、桜子とその人物にかかっている。覚悟はいいね?」
                                                 念を押すシュレに桜子は、真剣な眼差しで同意した。
                                                 その夜、桜子は布団の中で考えている。
                                                 ーー本当に私なんかが勝てるのだろうか。
                                                 不安に押し潰されそうになりながらも、気持ちを強引に落ち着かせ眠りについた。

                                                「あーアンタが桜ちゃん?」
                                                 翌日、ガサツな声で話しかけるのは、不揃いなショートカットが印象的な、桜子と同い年と思しき娘である。
                                                 あまりに馴れ馴れしい態度に面食らう桜子に、シュレが紹介した。
                                                「彼女は藤原京子。この時空を監視するエージェントだ。今回の作戦の立案者でもある」
                                                「ま、そういうこと。ヨロシクぅ」
                                                「こちらこそ。藤原さん……」
                                                「いいっていいって。京子って呼んでくれれば」
                                                 京子はポンっと桜子の肩を叩くや、家の中にヅカヅカと入った。その軽々しさに桜子は不安さを隠せない。すかさずシュレに小声で問うた。
                                                「ちょっとシュレ、あの娘で大丈夫なの?」
                                                「あぁ、まぁちょっと性格はアレだけど、エージェントとしてはうってつけだから。末裔には末裔で対抗って事さ」
                                                 そう語るシュレに桜子も異論はない。ためらいつつ桜子もあとに続いた。リビングに入った京子は、ペラペラと身の内を捲し立てている。
                                                「京子。そろそろ始めてくれ」
                                                 見かねたシュレの注意を受け、京子は「あーゴメンゴメン」とこれまた軽々しく詫びるや、カバンからノート端末を取り出し、桜子の前に広げた。
                                                「桜ちゃん。いい? この作戦の肝はオニヅカのギャンブルを覆すこと。桜ちゃんはその囮になる。つまり陽動よ。その間、構成員が包囲に動くから、可能な限り引きつけ時間を稼いで」
                                                「分かったけど、京子は?」
                                                「あたいは、桜ちゃんと一緒だよ」
                                                「え、でも危険じゃ……」
                                                「いいじゃんいいじゃん。そんなのうちらの仲じゃん。お互い様ってことで」
                                                 陽気に笑って見せる京子に桜子の内心は、揺らいでいる。
                                                 ――本当にこの娘で大丈夫?
                                                 そんな心配をよそに京子は、言った。
                                                「じゃぁシュレ、作戦決行よ」
                                                「オーケー、準備はいいかい?」
                                                 シュレの問いかけに京子と桜子は、うなずく。
                                                「よし、現時刻をもって僕らは対セツナ戦に入る。標的はオニヅカ、作戦名は〈トトカルチョ〉だ。健闘を祈る」
                                                 作戦開始を高らかに告げるや、シュレは指を鳴らす。たちまち桜子と京子の体は光に包まれ、現代の時空から姿を消した。

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