一井 亮治
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第四十話
夏休みの終わりが迫っている。今、桜子が必死に取り組んでいるのは、自由研究である〈税と歴史〉の論文だ。
サクラとの最終決戦で、桜子を助けてくれた英霊達に応えるべく、自身が考える税の考えをまとめているのだ。
無論、セツナが提唱した無税国家論についても考慮を重ねている。もっとも考えれば考えるほど悩ましいのが、税金だ。ゆえにペンも一筋縄では進まない。
それでも桜子には、確信があった。
――税制こそが国を救い、もしくは滅ぼす。
直接税に間接税、法人・個人・消費などあらゆる活動にかかる税――かつては窓の大きさや間口の広さに課税され、それが経済活動の実態を歪めてきた側面は否めない。
だが、桜子は思う。
「税を申告し払うことで。社会の一員になりたい」
もっとも現行の税に多くの問題をはらんでいるのも事実だが、それは知恵でなんとかなるはずだと睨んでいる。
やがて、シャウプ勧告の翻訳本を閉じた桜子は、机上で輝きを見せるクリスタルに目を細めながら言った。
「代表なくして課税なし。税とは政府と国民が交わした約束なり……皆、正しいんだろうけど、私にとってはケースバイケースよ」
その後、桜子は黙々と持論を書き連ね、遂にこれを一本の論文に仕上げた。
――落ちこぼれの私だけど、それでも家族と同じ職を仕事にしたい。これは、その第一歩。
桜子は拙いながらも必死に考えた論文を兄の志郎に見せた。しばし真剣に読み込んでいた志郎だが、やがて、桜子に指でオッケーマークを作る。
「桜子、バッチリだよ。とっつきにくいが掘り下げれば奥が深いのが税金だ。試験の方も俺が応援するよ」
「ありがとう志郎兄……」
安堵する桜子だが、そこへクリスタルが光を放ち始めた。どうやらまた時空課税上で問題が起こったようである。
その輝き度からして、シュレや京子達では手に負えない物件らしい。
「オーケー、じゃぁ行こうか?」
やれやれと肩をすくめ立ち上がる志郎に、桜子はうなずきクリスタルを取る。互いに目配せを交わした後、二人は次なる時空へと飛び立っていった。(了)オワタ……
第三十九話
気がつくと桜子は、見知らぬ草原に立っている。目の前にいるのは、すっかり変わり果てたボロボロのセツナだ。
「セツナ、もうあなたに勝ちはない。クリスタルはまた見つければいい。だから、負けを認めなさい。でないとあなたの身が持たないわ」
救いの手を差し伸べる桜子に、ついにセツナは初めて負けを認めた。ゴーストとして格の劣る人間に首を垂れたのである。
――これでいい。あとはセツナの理想をこの私が引き継げば……。
そう考えた矢先、突如としてセツナが苦しみもがき始めた。その様子は明らかに尋常ではない。
「セツナ。一体、どうしたのよっ!」
叫ぶ桜子に構わず、セツナのボディがバラバラに砕けや、最後にはその身もろとも粉砕してしまった。
――一体、何が……。
驚きを隠せない桜子だが、その目の前に一人の人影が現れた。見たところ桜子と背格好の変わらない娘である。
「全く役に立たないゴーストね」
その娘は吐き捨てるように罵るや、かすかに微動を残すセツナの頭部を足で踏み躙り粉々に潰した。
「ちょっと、何もそこまでしなくてもいいじゃない!」
憤る桜子にその娘は「あら随分とお優しいのね」とケラケラ笑っている。問題はその容姿である。あまりに桜子に酷似しているのだ。そこにピンと来た桜子が言った。
「あなたが黒幕の未来の政府極秘調査機関、通称、サクラG課の設計者ね。名前は確か、源サクラ」
「えぇ、お察しの通りよ。源桜子さん……いや、こう言った方がいいかしらね。我がご先祖様」
「まさか私の子孫が、セツナの設計者とは思わなかったわ」
身元を明かし合った二人は、互いを警戒しつつ、出方を伺っている。
「ふっ、時空課税局も困ったものよ。他のメンツならともかく、私の先祖を使うとはね。殺しでもすれば、この私の存在が消えてしまう。うまく考えたものよ」
「サクラ、あなたはセツナに無税国家構想の理想を植え付け、その行動のタガを外した。過激ではあったものの、セツナには筋の通った思想があったわ。けどあなたの目的は分からない。一体、何を求めて……」
「気紛れよ」
何でもないことのように話すサクラに桜子は、我が耳を疑う。サクラはさらに続けた。
「桜子。アンタにいいことを教えてあげる。この世は結局、使う側と使われる側に分かれるのよ。私は常に歴史の勝者側に張る。それが私の目的。つまり、歴史の勝敗を賭けた娯楽ギャンブルなの」
ゾクゾクとするような笑みで語りかけるサクラだが、その次の瞬間、その顔は大きく歪むことになる。桜子がサクラの頬を思い切り引っ叩いたのだ。
「ふざけないで! 歴史を弄ぶ? 冗談じゃないわ。私はこれまで多くの偉人と接してきた。善悪は問われど誰もが真剣に向き合っていたわ。それを賭け事の娯楽にするっていうの!?」
「へぇ……結構なご挨拶じゃない」
罵る桜子にサクラは、完全に怒り心頭だ。指で合図を送るや、周囲に武装集団を出現させた。どうやら人間ではなくゴーストで構成されているようである。
「この娘をひっ捕えなさい!」
サクラの命令にゴーストは、桜子を取り囲む。だが、桜子は透かさず包囲を突破し、脱走を試みた。
必死に抵抗した桜子だったが、多勢に無勢は免れない。ついに武装ゴーストに取り押さえられてしまった。地面に押さえつけられた桜子が見上げると、目の前にはサクラが立っている。
「フフッ、これはさっきのお・か・え・し」
そう言い放つや、サクラは桜子の無防備に晒された腹に強烈な蹴りを叩き込んだ。
「うっ……」
柔らかい腹に内臓をえぐるようなえげつない蹴りをモロに受けた桜子は、呼吸すらままならない苦しみに悶絶している。
「あーら、足ではしたなくてゴメンナサイ」
上からケラケラと嘲笑うサクラの勝ち誇った顔が桜子は、悔しくて仕方がない。涙すら滲ませる桜子だが、そこに変化が現れた。サクラの武装ゴーストが、周囲に突如として現れた武士達に戸惑いを覚え始めたのだ。
そこへ志郎の声が響く。
「待たせたな、桜子」
見ると志郎の背後には、これまで時空の旅でともに戦った藤原鎌足や藤原道長、源義経、楠木正成、織田信長、豊臣秀吉ら英霊が応援に駆けつけている。
この錚々たる様にさしものサクラも、声を失った。やがて、武装ゴーストと英霊達が乱戦に入る中、さらに応援へと駆けつけた京子がオニヅカを連れて叫んだ。
「桜ちゃん。アレっ!」
桜子は京子達の指差す方向に目を向けると、何やら輝きを秘めたツイスターが何かを形成し始めている。
その様相からして新たなクリスタルのようである。それを見た桜子は腹を抱えつつ、ゆっくり起き上がり、光のツイスターへと向かった。
だが、サクラもこれに気付いたようだ。二人はお互いの身をぶつけ合いながら、その光のツイスターへと飛び込んだ。
その瞬間、パッと眩い光が一面を照らし、その輝きはやがて一つの結晶を形成し始めた。まさにクリスタルである。そして、それは桜子の手に握られていた。
「そんなバカなっ……」
サクラが強引に桜子からクリスタルを奪おうとするものの、クリスタルが放つ光に弾かれ吹き飛ばされてしまった。
「どうやら新たな歴史の監視人が決まったようだな」
歩み寄る志郎や京子達を前にした桜子は、照れつつも掌におさまった新たなクリスタルに目を細める。
そして、英霊達を背後に地面に叩きつけられたサクラに言った。
「サクラ、あなたの負けよ」
やがて、一帯が秩序を取り戻す中、英霊が一人、また一人と姿を消していく。無論、サクラは駆けつけた時空課税局員に連行されていく。京子とオニヅカも同伴だ。
その後ろ姿を眺めながら、桜子は新たなクリスタルを握り締め考えている。
「どうしたんだよ桜子、今やお前が歴史の監視者だ。大いには無理だが、多少の干渉なら許される立場になったんだぜ。もっと誇らしくしろよ」
「そんなことできる訳ないでしょう。私みたいなただの小娘。むしろ重荷よ」
そう表情を困らせつつも、桜子の表情はどこか明るい。それは今まで歴史の傍観者に過ぎなかった立場から、一歩踏み出したささやかな喜びだった。第三十八話
秀吉の最期を看取った桜子は、クリスタルとともに逃げ去ったセツナとその後を追う京子を追った。その傍らには、志郎とオニヅカを伴っている。
向かった時空は、大阪夏の陣だ。徳川軍により周囲が包囲される中、皆と合流した京子は事情を説明した。
「どうやらセツナ一派は、前回の時空テロ失敗や秀吉らに受けた致命傷で、満足に組織を運営出来ていないようよ。時空課税庁への投降や密告も相次いでいる」
「俺が受けた情報も同じだ。だが、クリスタルを手中に置いている。そんな中、起死回生の一手を大阪城に籠城する淀君と秀頼公に求めたってことだろう」
オニヅカの分析に皆もうなずいている。つまり、外堀は完全に埋まったのである。
「後はセツナとクリスタルの回収、そして残党の一掃だ。一気に片付けよう」
声をあげる志郎に皆が手を出しタッチを交わすと、それぞれの持ち場へと散った。
ちなみに桜子の担当は、家康の本陣である。
「時空の旅人とやら、話は信長公や秀吉公から聞き及んでおる。要はセツナとやらの対処にあたりたい、ということだな。よかろう。その自由を許そうではないか」
納得を見せる家康に桜子は、頭を下げた。とそこへ突風が抜け一枚の紙切れが吹き飛んだ。滑稽なのは、それを見た家康だ。まさにそれが命であるが如く、必死に飛び込んでその紙切れを掴んだのだ。その下が崖地であるとも知らず、である。
当然、家康は足元を崩し、崖へと落ち掛ける。だが、それを桜子が間一髪で手を差し伸べ、何とか大事に至らずに済んだ。
間近で見ていた家臣団は、たまったものではない。ほっと安堵のため息にくれるとともに、紙切れ一枚に必死になる家康のケチっぷりに呆れ返っている。桜子も同様だ。
だが、そんな周囲の者どもに恥じることなく、家康は言い切った。
「ワシはな。これで天下を取ったのだ」
確かに事実だろう。とかく家康はケチだった。関ヶ原の戦いでは、八百万石という広大な版図が転がり込んできたにも関わらず、家康はこれをほぼ直轄領とした。
元同僚の前田利家に百万石を与え、子飼いの家臣である加藤清正や石田三成に何十万石もを手放した豊臣秀吉とは真逆の施策だ。
もっとも、この家康のケチさが、結果的に江戸時代を約二百七十年年も持たせる大きな要因となった。
その意味において、家康は一代限りの秀吉とは違い、天下のはるか先まで見ていたことになる。
さて、戦さの方であるが「撃ち方始め」の号令とともに大筒が火を吹き、一帯は血みどろの壮絶な斬り合いへと発展した。
だが、いかに大阪方が健闘しようとも多勢に無勢は免れない。ついには真田丸も陥ち、残すは天守のみとなった。
「よし、時空の旅人とやら。機会をやろう。天守へ赴き淀君や秀頼公の背後にいるセツナとやらと交渉して参れ。もし、条件を飲むならその処遇は考えてやってもよい」
「ありがとうございます」
「礼には及ばん。そなた一人では心元なかろうから護衛をつけてやる」
「いえ、私一人で結構です」
これには、流石の家康も驚いている。
「桜子とやら、そなたも見たであろう。あれが戦場だ。おなごが交渉に行ったとて無事に帰って来れる保証はないのだぞ」
戦さ場での掟を懇々と説く家康だが、桜子は聞く耳を持たない。むしろあまりの頑固さに「なら勝手に致せ」と家康自身が突き放してしまった。
意を決し合戦場から天守へ一人で向かう桜子だが、その背中には微塵の恐怖も感じられない。
その様子をハラハラと眺めつつ、家康はつぶやいた。
「女ながらに大した肝っぷりだ。秀忠(家康の子)にもあの様にあって欲しいものだ」
やがて、裸同然となった大阪城の前に立った桜子だが、要件を伝える間もなく固い城門が開いた。そこには、今や立場の垣根を超えた間柄である翔が待っている。
「待ってましたよ。センパイ」
翔は実に軽々しく応じるや、桜子を天守へと案内した。
「翔君、あんたは一体、どっちの味方なのよ」
「さぁ、ただ常に勝ち馬に乗るのがポリシーっすかね」
軽く笑う翔の案内の下、最上階へと向かった桜子を待っていたのは、クリスタルの負の側面に侵され青色吐息のセツナである。
「セツナ、あなたにそのクリスタルは捌けない。それは母体にプラスだけでなくマイナスの影響も及ぼすのよ」
「ええい黙れっ、貴様の様な人間如きに我らゴーストの何が分かる。我らこそが崇高なる課税思想を、無税国家構想を叶えることが出来るのだ」
「その理想は、この私が引き継ぐわ」
これにはセツナも笑ってしまった。二十歳にも満たない小娘が国家論を引き継ぐと宣言してしまったのだ。
セツナは大いに笑いつつ、言った。
「とんだ余興だ。その自信はどこから来るのか」
「さぁ、ただこれだけは言えるわ。セツナ、あなたには無理なのよ。なぜならそうプログラムされているから」
「どういうことだ?」
怪訝な表情を浮かべるセツナに桜子は、真実を述べた。初めこそ戯言と軽く聞き流していたセツナだが、話が佳境に入るにつれその顔色は変わっている。
やがて、説明もそこそこに「黙れ忌々しい小娘め!」と吠えるや、クリスタルを握り締め、床に叩きつけてしまった。その途端、クリスタルは木っ端微塵に飛散し、まばゆい光に包まれた。第三十七話
桜子が飛ばされた時空、それは豊臣政権の末期である。そこで桜子は京子と再会を果たした。
「京子。一体、どうなってるの!?」
困惑する桜子に京子が事情を説明した。
「すべての始まりは秀吉様の子種なのよ。セツナは明らかにここに細工を施した。本来なら生まれてきたかもしれない子孫の種を根こそぎ奪ったの」
「それって立派な歴史改変じゃ……」
「まぁね。ただ厄介なのは、実際の正史もそう変わりはないってことなのよ」
京子がいう通り、〈戦国時代の三英傑〉として並び称される家康は十六人、信長に至っては二十人以上の子をもうけたのに比して、秀吉の実子は男子三人女子一人であり、三男の秀頼以外は幼少で短い生涯を閉じている。
ただ、子種の無さを背景に、セツナが秀吉を焦らせ、暴君へと駆り立てた点は否めない。
「秀吉様に利休様を斬らせ、朝鮮に出兵し、国を疲弊させ晩節を汚させたじゃん。その背後にセツナがいる。そこで生まれた多くの血が、現代の大阪城を起点にした時空テロに繋がっている」
「じゃあ京子。一体、どうすれば……」
「秀吉様とセツナを切り離すしかない」
ここで京子は一枚のタブレットを取り出し、画面を開いた。そこには、克明な地図とともに作戦の概要が記されている。
それを丹念に読み込んだ桜子は、思わず唸った。
「よく出来てるよね。この作戦」
「あぁ、立案はあのオニヅカだよ。頭だけは回るんだよ、あの悪党っ!」
京子は怒り気味にタブレットを戻すと、桜子と委細を詰め席をたった。
「じゃぁ行こうか」
「オッケーじゃん」
二人はパンっとハイタッチを交わすと、作戦に則って秀吉のいる大阪城の天守閣へと忍び込んでいった。
突如として現れた桜子と京子に病床に伏す秀吉以下、家臣団は驚きを隠せない。厄介なのは、背後にセツナと翔が控えている点だ。
「曲者だ!」「ひっ捕えよ!」
たちまち包囲される二人だが、桜子が叫んだ。
「セツナ、アンタは時の権力者を手中に収め、一体、何を企んでいるの!?」
「ふっ、決まったこと。この大阪城を起点に歴史の大転換を図るのよ。時空に散らばる全てアングラーマネーを集約し、クリスタルでマネーロンダリングと租税回避を行う」
「それは、時空課税上最大の罰則よ!」
吠える京子にセツナは構うことなく続けた。
「無税国家構想、その大いなる理想を実現するには、多少の犠牲はつきものなのよ」
「詭弁だわ」
吠える京子だが、セツナは構うことなく二人を拘束した。桜子からクリスタルを奪うや、秀吉の元から連行し大阪城内の地下牢へと放り込んだ。
冷たい地下牢に腰掛けながら桜子が囁く。
「ここまでは、作戦通り?」
「まぁね。あとはクリスタルへの仕込みがどこまで効果を発揮するかね」
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京子は、あぐらをかきながら腕をくみ考えている。そんな中、桜子は根本的な疑問を投げかけた。
「ねぇ京子、そもそも歴史のクリスタルって、どうやって生まれ、どう形成されていったの?」
「フフッ……実はあのクリスタルはね、三種の神器が歴史を歩んできた記憶が結晶したものなの」
「三種の神器? あの草薙の剣と八咫鏡、八尺瓊勾玉とかいう皇位継承に出てくるトンデモ宝具?」
「そうよ。言わばこの日本が辿って来た記録媒体ってわけ」
京子が語るトンデモ設定に桜子は、改めて驚いている。京子はさらに続けた。
「今、セツナはこの大阪城を起点に桜子のクリスタルを解明し、その力を発揮させようとしているじゃん。それがどこまで上手くいくかで、作戦の成否は変わってくるはずよ」
「なるほどね……」
桜子は納得しつつも、さらに問いを重ねる。
「ところであのセツナなんだけど、確かバグを侵され設計者の手を離れ闇の勢力との繋がりを持ってしまったのよね。けど、アングラーマネーを原資に無税国家構想を打ち立てようとしている」
「そうなの桜ちゃん。それがセツナの厄介なところじゃん。徴税ゴーストとして崇高な理想を持ちながら、反社勢力と繋がりアングラーマネーを当てにしている」
「うん。でさ、今回の全ての原因となった設計上のバグなんだけどね。実は設計者がわざと仕込んだもので、設計者自身が消失を装いながら、実はどこかで存命しているんじゃないかって……」
この桜子の疑問に京子は、黙り込んでいる。やがてしばしの間の後、冷徹な目で桜子に問うた。
「桜ちゃん、なぜそう思う?」
「分からない。ただ私には偶然と振る舞いつつ、意図的に理想を実現させようという設計者の隠れた意地が感じられるのよ」
「なるほど、ね……」
京子はしばし沈黙の後、観念したように言った。
「桜ちゃん。リクドウ・シックスは知ってるね?」
「よく分かんないけど、未来の時空課税省庁を構築する組織思想でしょう」
「えぇ、その中にあるべき課税社会をテクノロジーから実現する極秘の調査機関〈サクラG課〉が存在するの。そこを統括する人物こそが、今回の騒動を偶然を装って引き起こした張本人だと言われているわ。名前は……」
京子からその名を知らされた桜子は、思わず我が耳を疑った。
「え、じゃぁ京子。それって……」
「そういうこと。それが全ての真相よ」
桜子は驚きの声を上げるとともに、つぶやいた。
――道理で私に白羽の矢が立ったわけだ。
とそこで巨大な音が鳴り響句。何事かと身構える桜子だが、どうやら京子の方は見当がついているようだ。
「始まったわね」
京子がほくそ笑む中、地下牢に駆け寄る人影が現れた。
「翔君!?」
驚く桜子に翔は、地下牢の鍵を開けるや二人を解放し天守閣へと促した。
「二人とも早く出ろ!」
「ちょっと翔君。一体、何がどうしたのよ」
桜子が問うものの返答はない。だが、大体、何が起きているのか分かりかけていた。
――おそらくクリスタルに何かがあったんだ。
やがて、天守閣についたところで桜子は、京子と目配せを交わす。そこにはクリスタルにあらかじめ仕込まれたプログラムが作動し、強烈な光となってセツナを巻き込んでいる。
それを見た京子が言い放った。
「セツナ、悪いけどそのクリスタルには細工を入れさせて頂いたわ。あなたに残された道は二つ。クリスタルとともに滅びるか、未来の時空課税局で裁きを受けるか、よ」
「ふん、この私を騙したってことかい」
セツナは、クリスタルからの分離を図るものの、一度ゴーストと融合したクリスタルからの解放は簡単ではない。
「年貢の納め時よ。セツナ」
勝ち誇る京子だが、セツナはここで意外な手を打って出た。何と融合したクリスタルから強引に分離すべく、自らのボディーを切り落としたのだ。
肉を切らせて骨を断つセツナに京子は、意外さを隠せない。さらにセツナは、残る手で刀を引き抜き二人に反撃に打って出た。
完全に無防備に晒された二人に鋭い刃が振り下ろそうとされた矢先、突如、セツナの動きが止まった。
振り返ると、寝床にあった病状の秀吉がセツナを日本刀で斬り捨て立っている。
「お……おのれ……」
ふらつくセツナだが、なおもしぶとさを失っていない。翔の肩を借りるや、持てる全ての力を使って、異時空へ消えて行った。
「逃さないわ!」
京子は二人を追って異時空へと飛んでいく。一方の桜子は、セツナの刀を鞘に納めるや秀吉に頭を下げた。
「あの……助けて頂いてありがとうございます」
「礼には及ばん……そなたらは以前、会った時空の旅人であろう。どうやらワシは長い悪夢を見ていたようだ」
やがて、秀吉は力尽きたのか、その場に崩れ落ちた。慌てた桜子が周囲の家臣団とともに秀吉を寝床へと運んでいく。
「その方ら、しばし下がってはもらえないか」
秀吉の申し出に家臣達は、驚き引き止めるものの、その意思は固い。やむなく周囲から皆が姿を消していく中、残された桜子は秀吉を枕元から座視している。
「時空の旅人や……ワシには、どうしても敵わなかったものがある。分かるか?」
弱々しい声を絞り出す秀吉に桜子は、首をかしげる。やがて、秀吉は小さく笑いながら言った。
「信長様、だ。今でも夢に見る。草履取りから瓢箪片手に鷹狩りのお供をすべくよく走った。誰よりも可愛がってもらったが、ワシはその信長様が築いた織田家の天下を全て簒奪したのだ。だが、それでも信長様を超えることは出来なかった」
果たして信長様はこんな自分をどう見ているのか、恐ろしくて仕方がないと述べる秀吉に桜子は、信長の最期を話した。
「確かに無念がられてはおりました。ただ、次の天下人が秀吉様であることを告げると、実に楽しげに笑われましたよ。それでこそサルだ、と」
「ほぉ。それは、まことか!?」
「もちろん。まさに〈戦国〉だ、と」
「そうか……流石は信長様だ。やはり、ワシでは勝てなかった。感服だ」
敗北感に涙すら見せる秀吉に、桜子はフォローを入れる。
「それでも秀吉様は、天下を取られたじゃないですか。租税上重要な太閤検地も見事にこなされた」
「所詮は信長様の物真似に過ぎん。確かに追いつくことは出来たかもしれぬが、追い越すには至らなかった。それがワシの器の限界だ」
ここで秀吉は大きく咳き込んだ。慌てて背中をさする桜子に、秀吉は絞り出すように囁いた。
「お主が追っているあのセツナとやらだがな。あれは相当なやり手だ。今度は次の天下で己の野心を叶えるつもりだろう。おそらくそこが最終決戦となろう。覚悟してかかることだ」
「はい。秀吉様もどうかお気をしっかり」
「フフッ、露と落ち 露と消えにし 我が身かな なにわのことも 夢のまた夢……ワシの人生など本当に夢の中で見る夢だったんじゃないかと思う。人の一生など実に儚い」
そう告げるや秀吉は永い眠りについた。享年六十二歳――まさに戦国を駆け抜け、天下に上り詰めた怒涛の一生であった。第三十六話
桜子と志郎は一旦、時空の旅を京子と交代し、現代へと戻ってきている。丁度、夏休みが半ばを越した頃で、課題にも手をつけなければならない状況だ。
「まいった……」
桜子が頭を抱えるのが、社会科の教師から出された自由研究である。桜子としては〈税と歴史〉をテーマにした論文を考えているのだが、思わぬ奥深さに広げた風呂敷を畳めず困惑気味だ。
――思えば、いろんな偉人がいたな。
卑弥呼を筆頭に藤原氏や中世の貴族女官、さらには楠木正成や戦国三英傑とその茶人など皆、歴史を舞台に葛藤してきた者ばかりだ。
皆に共通するのは、大なり小なり〈税〉が絡んできたことだ。どうやらいつの世も悩みは同じらしい。
――果たして、理想の税制はどうあるべきなのだろうか。
そんな深淵なテーマに頭を捻る桜子だが、そこへ事務所の志郎から電話がかかってきた。なんでも母・ソフィアが帰国するらしい。
「いつ?」
「今日。今夜の七時程」
「えぇっ、あと三時間もないじゃない!」
いつもながらに唐突な母・ソフィアに桜子は、通話を切ると準備を始めた。なんとか時間ギリギリで電車に乗り、待ち合わせの空港に滑り込んだ。
「遅いぞ桜子」
「仕方ないでしょう。いきなりなんだから」
志郎の指摘に反論する桜子だが、傍らの善次郎が笑顔で言った。
「大丈夫だ。母さんはまだ来てない。もうそろそろのはずだが」
皆が首を揃えて待つこと十分強、遂に母・ソフィアが現れた。キャリーバックを引きずるソフィアに三人は、手を振り駆け寄った。
久しぶりの再会に声をあげる四人は、やがて、空港近辺のレストランに入った。だが、そこは母・ソフィアだ。盛んに海外取材での税制レポートを捲し立てまくる中、桜子ら三人はただひたすら聞き役に回っている。
――相変わらずね。
いつもながらのソフィアに呆れつつ、桜子が相槌を打っていた矢先――それは起こった。
「何だ。地震か!?」
一帯が揺れる中、店内のテレビも一斉に砂嵐に変わった。ただの地震にしては、ありえない現象だ。試しにハンドバックからクリスタルを取り出すと、明らかに反応を示している。
――時空震だ。
桜子は志郎と目配せを交わす。どうやらセツナの時空テロ第二弾が始まったようである。
その様子から察するに、第一弾とは異なり物理的な破壊は最小限に止め、むしろ中枢を担うデータ集約網のハッキングを主としたものの様である。
「参ったな。ネットが使えない」
スマホを手に嘆く善次郎だが、突如、砂嵐だった画面が収まり、一人の女性の姿が現れた。その顔を桜子は知っている。
――セツナ!?
自ら名乗りを上げたセツナは、そこで自らの無税国家論構想をぶち上げた挙句、その代償として凄まじい額を含む様々な要望をあげた。
「仮にこれらの要望が叶わない場合、ネットを含むすべての通信網は乗っ取られたまま、二度と元に戻ることはないだろう」
そう通告し、消えていくセツナを見届けたソフィアの反応は早かった。
「あなた、志郎を連れて今すぐ事務所に戻って顧問先を守って。私はこの現象を追うから」
立ち上がるや矢継ぎ早に指示を下すソフィアに、家族が一斉に動く。戸惑う桜子にソフィアは手招きして言った。
「桜子、アンタはこっちよ」
その後、単車に乗り換えたソフィアは、桜子を後ろに乗せ、渋滞の高速をかっ飛ばしていく。
「ちょっと母さん。一体、どこへ行こうっていうのよ」
「大阪城よ。おそらくそこに何か鍵があるはず」
「なんでそう思うのよ?」
桜子の問いにソフィアは、自身のスマホを手渡した。そこには以前、ソフィアから紹介されたAIにつながるサイトが開かれており、そこに大阪城を根源とする時空震の可能性が述べられていた。
高速を飛ばすこと約半時間、遠目に懸案の大阪城が見えて来た。
「母さん、アレ!」
桜子は思わず声をあげる。普段はライトアップされる大阪城だが、今は全てが炎の様な赤い光に包まれているのだ。
明らかに照明によるものではない。危機感を覚えた桜子は、ソフィアとともに大阪城へと乗り込んでいった。
オートバイを駐車し、ソフィアとともに物々しい警備を掻い潜って城門前まで来た桜子は、赤く染まるその異様さにつぶやいた。
「まるで血の色みたい……」
「桜子、クリスタルは?」
ソフィアの問いに桜子が確認すると、明らかに光を帯びている。どうやら赤い大阪城と共鳴しているらしい。
「オーケー、行ってらっしゃい、桜子。ただし無理だけはしないで。私はここでずっと見守っているから」
「分かった。ありがとう!」
桜子はソフィアに礼を述べるや、クリスタルを額にかざした。するとたちまち光が桜子を包み込み、現代から異時空へと引き連れていった。第三十五話
「今、セツナがマークしているのは、間違いなく秀吉だ」
タブレットに表示させたデータを指差すのは、京子だ。桜子と志郎を前にさらに説明を続けていくのだが、ここで京子は意外な作戦を提示した。
敢えてセツナを泳がせ、こちらは別の人物にマークを切り替えるというのだ。
「一体、誰をマークするのよ?」
桜子の問いに志郎が応じた。
「家康様だろ」
「そう。ちなみにこの作戦の立案は、オニヅカだ」
内容を晒す京子に桜子は意外さを覚えている。オニヅカは京子にとって不倶戴天の敵だったはずだ。にも関わらず、そこに頼る真意を問うと京子は、肩をすくめて言った。
「だってしょうがないじゃん。アイツの頭は超一流なんだから」
「オーケー、分かったわ。家康様には私達がアプローチする。でも京子、セツナは一体、秀吉様にどんな仕込みを入れたっていうのよ?」
桜子の素朴な疑問に京子が応じた。その答えに桜子は、大いにうなずいている。
――確かにそれは、ありかもしれない。
「とにかく桜ちゃんと志郎君は、家康様を頼んだよ」
京子はそれだけ述べるや、他の職員を引き連れ去って行った。残された桜子は、志郎に問うた。
「志郎兄は、この作戦をどう思う?」
「いいんじゃねぇか? あの感じだと京子はオニヅカと関係を持ってしまったようだしな」
「え!? 何それ……」
絶句する桜子に志郎は「気付かなかったか?」と苦笑しつつ、言った。
「とにかく今は家康様だ。クリスタルを頼む」
「あ、うん……分かった」
桜子は驚きつつも、志郎にうなずくやクリスタルを手に取る。たちまち光に包まれた二人は、次なる時空へと消え去って行った。
織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに食ふは徳川――道外武者御代のによれば、家康は労せず天下を取ったと詠まれている。
だが、家康の一生は決して棚ぼたと言える様なものではない。確かに信長のような先見性や秀吉のような機転はないものの、そこにはひたすら耐え忍ぶ我慢の人生があった。
六歳にして今川家に人質として送られたものの、道中で身柄を奪われ敵側の織田家に売り飛ばされた。
織田側は、今川と手を切るよう広忠(家康の父)を脅すが、返答は「息子を殺さんと欲せば即ち殺せ」と拒絶で応じて見せたのだ。
無論、そこには人質はなかなか殺せないという広忠なりの読みがあったのだが、幼少の家康にとってそれは、あまりに過酷な戦国の掟であった。
結局、織田・今川双方での生活は十年以上に及び、最も多感な時期のほとんどを人質として過ごすこととなる。
「我慢の人、よねぇ……」
しみじみと述べる桜子に志郎がうなずく。
「あぁ、だがそこはプリンス。家臣団が鉄の結束で支えたんだ。やがて、戦国武将として頭角を見せ本能寺の変での難を逃れ、天下をうかがえる機会を得た」
「……と思ったら、秀吉様にまんまと掻っ攫われた訳ね」
「まぁな」
苦笑する志郎に桜子は、考え込んだ。
――果たして秀吉様は、この家康様をどうたらし込むつもりなのか。
さらに秀吉亡き後に家康が築く江戸幕府の税制に対しても少なからず興味があった。
さて、この秀吉と家康であるが、小牧・長久手で激突し、家康が見事に戦いを制している。
だが、秀吉が食えないのは、その後だ。すぐさま作戦を調略に切り替え、戦さの発端となった織田信雄と和睦してしまったのだ。
わざわざ助けてくれと頼っておきながら、無断で和睦された家康としては、たまったものではない。かくして家康は大義名分を失い、梯子を外された形で軍を引くこととなる。
その後、二人はキツネと狸の化かし合いを演じ始める。いかに家康が局地戦で勝利したとはいえ、秀吉優位の大勢は覆らない。ならばいかに有利な条件で秀吉の軍門に下るかとなる。
対する秀吉は、無類のしぶとさと粘りを見せる家康に自身の妹だけでなく母まで、人質に送り込む作戦に出た。
これには、さしもの家康も打つ手がない。やむなく従属に向け重い腰を上げることとなった。
桜子と志郎が向かったのは、丁度、家康が秀吉に会うべく訪れた大阪の屋敷だ。会談を明日に控え、ピンと空気が張り詰めている。
「篝火が凄い」
その物々しさに驚く桜子に志郎がうなずく。
「秀吉様の襲撃を恐れて厳戒態勢を敷いているんだ」
「慎重な家康様らしいわね」
「まぁな。だが、それ以上に役者な方があそこにいるぜ」
志郎が指差す方向を見ると、小柄な人影がまるで散歩にでもきたかの如く、ひょいっと現れ単身で屋敷を訪ねた。
言わずもがな、秀吉である。これにはさしもの家康陣営も意表を突かれたようで、慌てて対応に当たっている。
「大丈夫なの!? たった一人で敵だった家康様の陣地に乗り込むなんて」
「相手が敵であれ、その懐に飛び込む。それが、あの人のやり方なんだよ」
驚く桜子に志郎が応じた。やがて、しばし時が経過した後、屋敷から満足げな顔の秀吉が出てきた。その傍らには家康を伴っている。
どうやら交渉は、成功したようだ。その後、家康と別れた秀吉は、桜子と志郎を見つけるや笑顔で出迎えた。
「おぉ、そなたらは時空の旅人ではないか。どうだ。これが天下人の政ぞ」
「はい。でも怖くはなかったんですか? 家康様に殺されるかもしれなかった訳でしょう」
桜子の問いに対する秀吉の返答は、短かった。
「もともとだから、な」
そこには、百姓に過ぎない自分が天下人にまで上り詰めるには、これしかないのだという秀吉なりの哲学がうかがえた。
何はともあれ天下統一への最大の障壁は取り除かれたことになる。意気揚々と大阪城へと戻っていく秀吉だが、桜子と志郎との別れ際にポツリと言った。
「あとは子、だな……」
類まれな才覚で様々な苦難を乗り越え天下人まで上り詰めた秀吉がどうにもならないもの――それが子種だ。
「こればっかしはどうにもならんがな……」
寂しさを見せつつ去っていく秀吉の背中を見送りながら、桜子は志郎に言った。
「志郎兄。セツナの罠って、これだよね」
「あぁ、間違いない。あいつは秀吉様の子種に仕込みを入れたんだ」
事実、秀吉はこの子種をめぐって翻弄され、暴君と化し多くの人生を狂わせていくこととなる。第三十四話
二人が次に向かったのは、本能寺の変から十日後の山崎である。ここで秀吉は歴史上名高い中国大返しを見せ、天王山を制し光秀討伐を成功させている。
二人が降り立ったのは丁度、戦さの終わった後だ。混乱が収まりきらない中、陣地で食事中の秀吉が桜子と志郎を見つけ、扇子を広げて招いた。
「その方らは、かつて亡き上様の元にいた時空の旅人ではないか。随分と久しいな」
「はい。覚えて頂いて恐縮です」「あの……戦勝、おめでとうございます」
志郎と桜子の祝辞を秀吉は満足げに受けつつ、こっそり囁いた。
「ここからがワシの本当の戦いだ。これまで身を粉にして尽くした織田家から全てを簒奪し、天下取りを目指すのだからな」
「はい。戦さですね」
相槌を打つ桜子に秀吉は「無論、それもあるが」と同意しつつ、意味深な笑みを浮かべている。
とそこへ一人の男がやって来た。見た限り武士というよりは、小姓上がりといった二十歳過ぎと思しき青年である。
「おぉ、佐吉か。どうだった!?」
「はっ、ここに……」
佐吉と呼ばれた男は、秀吉に一封の書面を差し出した。これを秀吉は食事中にも関わらず箸を放り出し、食い入るように目を走らせていく。
やがて、内容を読み切った秀吉は、佐吉に命じた。
「佐吉、アレを始めろ」
「はっ」
後に石田三成として豊臣政権の屋台骨を担っていく佐吉が去る中、志郎が言った。
「秀吉様、検地ですね?」
「フフッ、いかにも。ワシは百姓上がりだからな。奴らがいかにしぶといか身に染みて分かっておる。まずは、この山崎近辺の寺社地から台帳を集め権利関係を確認していく。いずれは、これを全国に対して行うつもりだ」
秀吉曰く、自分は信長の天下布武と異なり農地から全国をまとめ上げ、土地所有者と年貢納税者を整理・一本化し、全国の土地・人民を掌握する。
さらに測量基準と年貢換算法を統一し、土地ごとの経済力を数値として炙り出す。これにより同じ石高なら等価交換が可能だとする国替えの基準感覚を植え付けるとともに、主君に提供する軍役の目安にさせるとの事だった。
天下への構想を次々に練り上げる秀吉に戸惑いを覚えるのは、桜子だ。なんと言ってもまだ光秀を討った段階に過ぎない。だが、当の秀吉はすでに天下人の感覚なのだ。
そんな桜子の意を察した秀吉は、にんまり笑みを浮かべながら言った。
「桜子や。天下取りなら、もうとっくに水面下で始まっておる。戦さと一緒さ。始まったときには、すでに勝負はあらかたが決まっている。それがワシのやり方だ」やがて、軍勢を引き連れ意気揚々と去っていく秀吉を見送りながら、桜子は言った。
「志郎兄、秀吉様って意外の着実よね」
「あぁ。一見、根明な人垂らしのキャラに騙されがちだが、下剋上の恐ろしさを誰よりも知る人だ。検地で農民を中世から続く荘園や守護から解放しつつ、刀狩りで反抗手段を奪い、兵農分離の下、移住すら禁じ身分も体も土地に縛りつけていく」
「それって、どうなのかな……」
「さぁな。ただ旧態依然とした閉塞感が取り払われた分、風通しはよくなった。文化の担い手も公家や僧から武士や商人に変わり、落ち着いた自然さより煌びやかな力強さが花開いていく」
志郎の総括に桜子は、うなずく。
「安土桃山文化、か。秀吉様もそこは派手好きな信長様の性格を引き継いだのね」
「あぁ、皆に慕われる魅力もある。だからこそ時代の女神は、光秀でなく秀吉に微笑んだのだろう」
納得し合う二人だが、不意にその背後から思わぬ声が響いた。それは二人がもっとも警戒すべき相手の声である。
「甘いわね。志郎、桜子。そんな事を言っているようでは、まだまだ私には勝てないわよ」
驚き振り返った二人の前にいたのは、あのセツナである。傍らには翔と配下の男達を伴っている。
「セツナ。一体、どういうつもりだ!」
「この時代に何をたらし込む気!?」
身構え吠える志郎と桜子に、セツナは冷笑しながら、突き立てた人差し指を振った。
「何もしちゃいないわ。ただ……そうね。ちょっとばかし仕込みを入れさせてもらったか・し・ら」
「ふざけないで!」
桜子が噛み付くものの、セツナは余裕の笑みを浮かべながら配下の男達に言った。
「二人からクリスタルを奪いなさい!」
たちまち包囲された桜子と志郎だが、そこへ思わぬ援軍が現れる。時空を割って登場した京子達だ。
「京子!」
「桜ちゃん。助けに来たよ」
時空課税庁の職員を引き連れ現れた京子に、セツナは舌打ちを隠せない。
「セツナ、時空課税法第四三条二項の脱税容疑により逮捕する。観念しなさい」
吠える京子に職員達はセツナ一派の包囲を試みる。たちまち一帯は、男達が入り乱れる乱戦へと発展した。
その混乱の中、分の悪さを読んだセツナが撤収に動いた。どうやらきちんと退路を確保しておいたらしい。
翔とともに光に包まれながら、去って行ったのだが、そこで意味深な捨て台詞を残した。
「歴史っていうのは、あんた達が考えているよりはるかに厳しいものなのよ。それをせいぜい思い知ることね」
喧騒が収束する中、悔しげに地団駄踏むのは京子だ。
「ちっ、あと一歩で逃げられたじゃん」
その様子から察するに、あらかじめ桜子達をマークし、セツナが現れるのを待っていたようである。囮に使われた桜子としては、溜まったものではない。
――京子も結構、策士よね……。
桜子は妙なところに感心しつつ、志郎に問うた。
「志郎兄。あのセツナの捨て台詞。一体、どういう意味?」
「分からん。だが、セツナはこう言いたいんだ。秀吉様の根明さや人垂らしで和ませる協調性は出世のために演じていた表の側面に過ぎない、と」
「つまり、裏の本性が隠れているってこと?」
「あぁ、あの苛烈な信長様に擦り切れるまで酷使された秀吉様だ。意図せずその残虐性も引き継いでしまった側面はある。三木の干殺し、鳥取の飢え殺しとかな」
二人が恐るのは、秀吉がその事実に気付かずに天下人となってしまうことだ。秀吉の内面に潜む残酷な側面が炙り出されたとき、この天下人はただの暴君と化す。
その細工を、どうやらセツナは仕込んだようである。 -
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