一井 亮治

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  • 一井 亮治
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       第二十八話

       桜子が次に向かったのは、楠木正成が挙兵に及ぶ原因を作った後醍醐天皇の居所である。すでに鎌倉幕府は滅んでおり、次なる世を築くべく建武の新政を打ち立てたばかりの様だ。
       案の定、ここも志郎が訪れた後だった。突如、現れた桜子を後醍醐天皇は満足げに迎えた。
      「聞いておるぞ、桜子。そなたらは未来から来たらしいではないか」
      「はい。帝は歴史をどのように捉えておられるのか興味がありまして」
      「ほぉ……そうだな。例えるなら女みたいなもの、かのう」
       ――また女!?
       楠木正成と全く同じ答えに桜子は頭が痛い。やはり、後醍醐天皇も同じ穴のむじななのかと思いきや、どうもそうではないらしい。
      「よいか桜子、まず理念ありきだ。藤原氏の摂関政治、院政、武士ありきの鎌倉幕府、どの時代も天皇は飾り物として蔑ろにされてきた。神輿は軽くてパーがいい、とな。だが、わしは違う。己の手で自分が掲げる理想の世を作っていくつもりだ」
       つまり、まずヘッドワークがあり、それを実現すべくフットワークがいるのだと。まさに楠木正成と真逆の発想である。
       一体、どちらが正しいのか判断に迷う桜子だが、改めて感じたことがある。
       ――皆、個性が強烈だ。
       その強すぎる個性故に衝突が生まれ、化学反応が起き、歴史に意外性を加えて行くのだろう。
       その後、しばしの談笑を交わした桜子が後醍醐天皇の元を去ると、意中の人物が待っている。
      「久しぶりだな。桜子。千早城以来か」
      「正成さん!」
       駆け寄る桜子だが、楠木正成の表情は芳しくない。見事に鎌倉幕府を打倒し、その立役者になった後であるだけに意外さを覚えた。
       試しに理由を問うてみると楠木正成は、渋々心中を吐露した。曰く、後醍醐天皇の建武の新政が公家を重視するあまり、武士を蔑ろにしているとの事である。
      「俺は、間違っていたのかもしれん」
       桜子と肩を並べながら楠木正成は、苦悩の表情を浮かべている。それを見た桜子はふとある物語の冒頭を誦じた。
      「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」
      「ふっ、平家物語か。この世は無常だと言いたいのだな?」
      「はい。だからこそ今が大事だと。どんな状況であれ、その時々で活路を捻り出していく。それが正成さんの生き様でしょう?」
      「確かにそうなのだが……」
       言葉を詰まらせる正成に桜子は、畳み掛ける。
      「正成さんは体当たりでぶつかった先にしか未来を見れない方なんだと思います。人が時代を選ぶのではなく、時代が人を選ぶ。例えその未来が望んだものでなかったとしても、正成さんの生き様は未来永劫に語り継がれるんです。それって幸せなことだと思います」
      「うむ……確かに、そうかもな」
       楠木正成はしばし考慮の後、己に言い聞かせるように続けた。
      「俺は頭で考える人間じゃない。どうやら器用がつき始め、己を見失っていたらしい。分かった。例えこの身が滅びようと、俺は最期までこの生き方を貫かん」
       吹っ切れた楠木正成に、桜子は笑みで応じた。やがて、光るクリスタルとともに時空を去ろうとする桜子だが、ここで楠木正成が思わぬ情報を伝えた。
      「桜子、お前の兄の志郎だがな。どうも様子がおかしかった。何やら焦っておるように見えたぞ。俺の勘だが、何か重大な障壁にぶつかっているんじゃないか」
      「志郎兄がですか!?」
       桜子は驚かざるを得ない。
       ――あの冷徹でなる志郎兄を焦らせるなんて。一体、何が起きているの。
       桜子は心中に不安を抱えつつ、楠木正成の情報に謝意を示し、この時空から去った。
       なお、その後の歴史だが、楠木正成亡きあと、足利尊氏は後醍醐天皇から三種の神器を取り上げ、光明天皇を擁立し室町幕府を開府。
       一方の後醍醐天皇は渡した三種の神器はニセモノだと主張して吉野に朝廷を開き、混乱の南北朝時代・応仁の乱を経て戦国時代へと突入していくこととなる。 
       
       
       
      「や、待っていたよ」
       現代に戻ってきた桜子をシュレが出迎える。意外なことに京子も一緒だ。その表情から察するに何かあった様だ。
      「どうしたのよ二人とも、そんな顔して」
      「どうもこうもないよ桜ちゃん。今、未来の時空課税庁は大混乱よ。その原因の一端は桜ちゃんにあるっていうじゃん」
      「え!? 何それ」
       困惑する桜子にシュレが説明した。曰く、前回の時空テロを上回る強大な時空兵器が生まれつつあるらしい。しかもそれは桜子と志郎が持つクリスタルによって増幅され、もはや止められないところまで来ているという。
      「桜子。今、時空課税庁は強制調査権の発動に向けた準備の真っ只中だ。このままでは、クリスタルの所有者である君にも責任が及びかねない」
       シュレの警告に桜子は、考えを巡らせた。話の性質を鑑みるに志郎の企みとは思えない。どうやら歩調を合わせる桜子との関係に危機感を覚えたセツナが、これをうまく利用し動き始めた様である。
       ――セツナ、か……。
       桜子は頭を痛めつつ、二人に言った。
      「話は分かった。私にやましいところはない。いつでも取り調べに応じる。けど時間が欲しい。志郎兄を説得する時間が……」
      「桜ちゃん、そんなのセツナが許すわけないじゃん。絶対、妨害に動くよ。何より命を狙われかねないじゃん」
      「それは覚悟の上、けど志郎兄だって必ずその対策は打ってるはずなのよ。このクリスタルに懸けて誓う。歴史を私利私欲で動かさないって」
       桜子の必死の訴えにシュレはしばし考慮の後、京子に目配せした。
      「分かったよ桜ちゃん。そこまで言うなら、もう少し時間をあげてもいい。けど、その時空移動にはこのあたいも随伴する。いい?」
      「もちろんよ。大いに監視してもらえばいい」
      「オッケー、決まりだね」
       うなずくシュレがどの時空へ向かうのかを問うと、桜子は即答した。
      「もちろん戦国時代よ。戦国三英傑が揃ったこの時代なしに日本は語れないわ。何より志郎兄が次に目をつけるとしたら、ここしかない」
      「いよいよ時空トラベルも佳境って感じじゃん」
       身を乗り出す京子に桜子は笑みで応じるや、クリスタルをかざした。たちまち光に包まれた二人は、見送るシュレをあとに現代から姿を消した。

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      一井 亮治
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         第二十七話

         現代に戻った桜子は、部屋でシュレと作戦を練っている。
        「志郎と阿吽の呼吸で、ねぇ……」
         腕を組み唸るシュレだが、一呼吸置いた後、断言した。
        「言わんとしていることは分かる。だが、これだけは言わせてくれ。セツナはそこまで甘くない」
        「もちろん。承知の上よ」
         桜子は覚悟を見せつつ、確認するように問うた。
        「シュレ、頼朝が徴税権を奪ったことで貴族による平安時代が終わり、武士による鎌倉時代が始まったんだよね」
        「そうさ。以降、鎌倉幕府は百五十年の治世を脈々と築いていくことになる」
        「それってさ。朝廷側の心中は、どうだったのかなって」
        「そりゃ無念さ」
         シュレは当然のように即答するや、桜子を諭すように続けた。
        「例え無念でも、それが世の流れならどうしようもない。人間、時代には勝てないからね」
         ――確かにそうだろう。志郎兄も歴史を時代の空気であり潮流だと称していた。だから一旦、敵同士に分かれ静かな革命を起こそう、と。なら次に赴く時空は……。
        「シュレ、歴史って栄枯盛衰でしょ。じゃぁこの鎌倉時代を終わらせた人物もいる訳だ」
        「もちろん。後醍醐天皇さ。彼は実権を再び朝廷へと戻し、平安時代の古典的な政治の復活を目論んだ。これに悪党と名高い楠木正成が応じた」
         ――楠木正成……。
         その名にピンときた桜子が問うた。
        「楠木ってもしかして〈源平藤橘〉の橘?」
        「よく気づいたね。その通りさ。楠木正成は赤坂の戦いを経て千早城に乗り込むや、一千人程度の寡兵で百万人とも称される幕府軍と対峙している」
        「シュレ、その時空に飛べる?」
         思わぬリクエストを受けシュレは、戸惑いを見せた。いくら何でも戦場に乗り込むのは危険と判断したのだが、桜子は聞く耳を持たない。
        「なぜ、そこまでこだわるのさ?」
         シュレの疑問に桜子は、クリスタルを手に答えた。
        「このクリスタルがそう囁くから。私にはこの子がなぜ二つに分裂し、次にどうさせたがっているのかが分かる」
        「ふむ。なるほど……」
         シュレは桜子の真摯な訴えに理解を示しつつ、なおも考えている。やがて、思い切ったように言った。
        「いいだろう。虎穴に入らずんば虎児を得ず。多少リスクはあるが、やってみよう」
         シュレは徐ろに立ち上がるや、桜子に念を押した。
        「いいかい。接触するのは楠木正成を中心とした人物のみ。それも必要最小限にとどめること。分かったね?」
        「了解よ。シュレ」
         桜子の返答にシュレはうなずき、異時空へと飛ばした。
         
         
         
         桜子が放り込まれた時空ーーそれは正真正銘の戦場である。突如として現れた桜子に驚くのは、髭面ながらも精悍さを放つ中年武者だ。そのナリから察するに、楠木正成のようである。
        「今度は女か。一体、どうなってるんだ!?」
         ――え、どういうこと?
         桜子は戸惑いつつ、楠木正成に問うた。
        「今度は……ってことは、前にも誰か来たんですね? それって私と同じ肌の色の男性じゃなかったですか!?」
        「あぁ、そうだ。何でも未来からきたとか抜かしていたな。お前もその一味か?」
         問い返す楠木正成に桜子は、可能な範囲で事情を説明した。これに楠木正成は、納得こそしないものの、ある程度の理解は示した。
         ちなみに志郎は、すでに去った後だという。いずれ自分の妹が来るだろうから、よろしくやってくれと言い残し、消えたらしい。
         ――やっぱり志郎兄は、来ていたんだ。
         いつも先を越され、やや不満気味な桜子だが、気を取り直し一帯を眺めた。そこで奇妙なものを見つけ問うた。
        「正成さん。あの藁人形って……」
        「おぉっ、アレか。フフっ……幕府軍を騙すための秘密兵器さ」
         楠木正成は満足げにうなずき、桜子に説明した。何でも等身大の藁人形に甲冑を着させて並べ、それを囮に幕府軍を引き付けたところを投石で持ってして一網打尽にすると作戦だという。
        「とにかく幕府軍をこの千早城に釘づけするんだ。そうやって討幕の機運を高めるのさ」
        「え……でも、敵は大軍だし、何より百五十年も続いた鎌倉幕府を転覆させるなんて出来るんですか? 一体、どうやって?」
        「ハハハっ……これは、また面白い女が来たものだ。愉快愉快」
         楠木正成は、肩を揺らせて笑うや説明した。曰く、歴史は時代に漂う空気から変えていくのだという。
        「ここでどれだけ粘れるか、皆が固唾を飲んで見守っている。例え死んでもいい。七度人として生まれ変わり、朝敵を誅して国に報いん」
         いわゆる七生報国を説く楠木正成に桜子は、大いに興味を膨らませている。なお、ここまで鎌倉幕府の求心力が落ちた要因の一つに独特の相続がある。
         子供に土地を分けて与える習慣である。当然、一人当たりの土地が狭くなり作業の効率も落ちた。いわゆる愚か者〈たわけ(田分け)〉だ。
         この様な窮状を見かねた後醍醐天皇がクーデターをもくろみ、これに楠木正成らが応じた形だ。
         では楠木正成はどのような国家像を夢見ているのか、その歴史観を問うてみたところ思わぬ答えが返ってきた。
        「そんなものはない」
        「え……や、でもこんな世にしたいとか、こんな世は変えるべきだとか、そういった考えはあるから、こうやって戦って歴史を作っているんでしょう?」
        「ふっ、桜子とやら。いいことを教えてやろう。歴史は机上の空論では動かん。理屈などは後付けに過ぎず好きか嫌いか感情が先、戦さと一緒で女みたいなもんさ。気まぐれで飽きっぽく、振り向いたかと思えばそっぽ向く」
         女を気まぐれ呼ばわりされ憤慨する桜子に、楠木正成は苦笑しつつ続けた。
        「皆の裏を掻き、だましだまし活路を捻り出し、その瞬間瞬間で最大の効果を叩き出していく。そういった積み重ねの先に、ようやくお前の言うあるべき世ってのが見えてくるんじゃねぇかな」
         幕府軍の包囲を遠目に持論を説く楠木正成に桜子は、唸った。
         まずはフットワークありきで、そこにヘッドワークが付いてくるーーそれはゲリラ戦を得意とし、神出鬼没で縦横無尽に戦場を駆け抜ける楠木正成らしい考えと言えた。
         もっとも和泉国若松荘に押し入って年貢を掠め取ったり、何かと悪党呼ばわりされがちな楠木正成ではあるが、筋の通った信念はあるらしい。
         ――多分、この人は歴史に好かれるタイプだ。こういう人が時代の引き金を引くんだろう。
         桜子は大いに感銘を受けつつ、同時に楠木正成を訪れた志郎の心中も読んでいる。
         ――おそらく志郎兄は今後、時空をゲリラ的に飛んでいくはず。それこそ楠木正成の如く。なら次に行くべきは……。
         狙いを定めた桜子だが、そこへ突如として、矢が降り注いだ。どうやら幕府軍の総攻撃が始まった様である。
         悲鳴を上げる桜子に楠木正成が叫んだ。
        「桜子、ここは危ない。早く去れ。そなたがたどる時空の旅ーー健闘を祈っておるぞ」
        「はい。正成さんもお元気で」
         別れを告げた桜子は、志郎の後を追うべくクリスタルを手にこの時空から去っていった。

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        一井 亮治
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           第二十六話

          「クリスタルを半分、持っていかれた!?」
           声を上げる京子に桜子は、力なくうなずく。無論、半分の状態ではタックスヘイブンとして能力を持つことはない。
           だが、あらゆる可能性が新たに発生してしまったことは事実だ。
          「あー参ったね……これで、セツナの動きがますます読みにくくなったじゃん」
           京子は困惑しつつ、頭を整理している。やがて、事実を確認していくように言った。
          「いい桜ちゃん。西暦1185年4月25日、つまり今日、平家は滅んだ。平安時代が終わったの。そして半年後、鎌倉時代が始まるじゃん。その間、キーマンとなるのは源義経よ。なぜだか分かる?」
          「頼朝さんが義経さんの討伐に必要な兵糧確保を口実に、後白河法皇から守護・地頭(徴税権)の設置を認めさせたから」
          「そう。結局、国って税なのよ。私達の始祖、藤原鎌足は公地公民の名の下、租・庸・調の租税を中心に律令国家の礎を築いたじゃん。これを頼朝が法皇と義経の行動をうまく利用して、国を乗っ取ってしまったの」
           懇々と歴史を説く京子に、桜子は黙ったまま聞き役に徹している。京子は言った。藤原(奥州)氏と源氏のハルマゲドンが始まる、と。
          「まずは、その前哨戦の時空へ飛ぶよ。今から約四年後の1189年6月15日、場所は源義経終焉の地――衣川高館。いいね?」
          「えぇ、分かってるよ」
           桜子は、力なくうなずくや、半分になったクリスタルを手に取る。たちまち二人の体は光に包まれ、時空移動していった。
           例の如く、乱暴に放り込まれた桜子と京子が辺りを見渡すと、一帯は火の海に包まれている。
           その中に目的の人物はいた。
          「義経様?」
           声をかける桜子に義経は振り向き、目尻を下げた。
          「そなた達は確か、未来の使者とやらだったな」
          「そうです。外にいるのは、鎌倉の軍ですね?」
           桜子の問いかけに義経はかぶりを振る。何と義経が救いを求めた奥州藤原氏だという。
          「泰衡が兄頼朝に脅され裏切ったのさ。バカな奴だ。これで藤原氏が助かるとでも思ったのだろう。あの頼朝がそんなに甘いわけがない」
           笑う義経だが、これは事実だ。義経を討たせた頼朝は、憂いを完全に断つべく奥州藤原氏を滅ぼすに至る。
          「この世に生まれて三十年……あっという間であった。思い残すことは何もない。平家を滅ぼす。この大仕事を果たし史に名を刻めたわけだからな」
           そう語る義経の顔は、どこか晴れ晴れとしている。無念さを押し殺した上での笑顔だ。刃を手に取る義経だが、ふと思い出したように言った。
          「そう言えば、そなたらの話をしていた者がいたな。確かオニヅカという男だ」
          「オニヅカが!? 奴はどこに行きましたか」
           身を乗り出す京子に義経は答えた。
          「京だ。ある人物を訪ねると申していた」
           ――間違いない。後白河法皇だ。
           桜子と京子が目配せを交わす中、義経はこの世に別れを告げ自刃した。その最期を見届けた桜子は、京子とともに新たな時空へと飛んでいく。
           向かった先は、後白河法皇が在中する御所である。
          「来たか。頼朝の使者……いや、未来からの使者かの」
           いきなり現れた桜子と京子に後白河法皇は、意味深な笑みを浮かべている。その理由は、背後で囚われの身となっている人影にあった。
          「オニヅカ!」
           声を上げる京子にオニヅカは、舌打ちしている。
          「京子!? なぜ貴様がここに……」
          「悪いけどアンタの与太話に興味はないわ。今すぐ投降しなさい」
           銃口を突きつける京子にオニヅカは、交渉を持ちかけた。
          「同じ藤原一族だろう」
           だが京子は、睨みを解かない。
          「オニヅカ。あたいの家族はアンタが起こした時空テロの犠牲になった。そのときからずっと、アンタを刑務所にぶち込むことだけを考えて生きて来た。観念しなさい」
           畳み掛ける京子の顔は、鬼気迫るものがある。一方のオニヅカは、盛んに暴れるものの後白河法皇の家来に取り押さえられ、身動きを封じられている。
          「おのれ……お前ら、覚えておれ!」
           オニヅカは、京子達を睨みつけながら吠えた。
          「桜ちゃん。後を頼んだよ」
           オニヅカを連行する京子を見送った桜子は、後白河法皇と向き合っている。
          「もしかして法皇様は、私達が来ることを予測して、オニヅカを?」
          「うむ。そなたらがただものではないことは、会ったときから分かっておった。しかし、未来からの使者だとはな。オニヅカとやらは、歴史の敵なのであろう?」
          「そうです。それも重大な時空テロ犯なんです」
           桜子の訴えに後白河法皇は笑みで応じつつ、心中を吐露した。曰く、残りの人生の全てを新たな時代の構築に捧げる、と。
          「思えば源平の戦さは、私をめぐって起こった様なものだ。その歴史的責任は果たすつもりだ」
          「つまり、頼朝様に鎌倉幕府を開かせる、と?」
          「簡単にはさせんが、次の世を担う公武関係の枠組みは構築しようと思う。その話をそなたの兄としたところだ」
          「え……志郎兄と!?」
           驚く桜子に後白河法皇はうなずく。どうやらその条件がオニヅカだったようだ。
           ――志郎兄も策士ね……。
           ため息を混じえる桜子に後白河法皇は言った。歴史の正常化に手を貸すかわりに、頼朝との交渉を見守ってくれ、と。
          「もちろんです」
           二つ返事で応じる桜子に後白河法皇は、笑みを浮かべ一つの歌を誦じた。
          「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」
           いわゆる平家物語の冒頭である。これを朗々と読み上げた後、意を決し頼朝に向けて筆を取った。
           

           さて、この後の歴史であるが、西暦1190年11月7日に頼朝が千余騎を率いて上洛し、後白河法皇と院御所・六条殿で初の対面を果たしている。
           いわば政敵同士とも言えるこの会談であるが、両者は他者を交えず、日暮れまで腹を割って話し込んだ。
           頼朝に至っては、法皇を我が身に代えても大切に思っている旨を表明し、証拠として朝廷を軽んじる発言をした功臣の上総広常の粛清を語ったほどだ。
           これを受け後白河法皇はその日のうちに頼朝を、参議・中納言を飛ばし権大納言に任じた。
           さらにその翌日には、頼朝が後白河法皇に砂金・鷲羽・御馬を進上し、その後も長時間にわたり会談した。ここで後白河法皇は花山院兼雅の右近衛大将の地位を取り上げてまで、頼朝に与えている。
           頼朝の在京はおよそ40日間に及んだが、対面は八回を数え、ここで双方はわだかまりを払拭し、朝幕関係に新たな局面を切り開いた。
           武家が朝廷を守護する鎌倉時代の政治体制が確立したのである。その全てを見届けた桜子が向かったのは、京を一望出来る丘の上だ。そこに意中の人物を見つけ、静かに声をかけた。
          「志郎兄」
           志郎は振り向くことなく、言った。
          「来ると思っていたよ、桜子」
          「私も志郎兄なら必ずここに来るだろうと思って」
           桜子は志郎のお隣で肩を並べた。しばしの沈黙の後、志郎は鎌倉に戻っていく頼朝の軍勢を眺めながら言った。
          「一つの時代が終わるな」
          「そうね。でも志郎兄はまだセツナと繋がり歴史の改変を目論んでいる」
           嘆く桜子に志郎が意外な台詞を吐いた。
          「桜子、確かに俺は今はセツナに付き従っているが、全面的に信じた訳ではない」
          「え、どういう事?」
           首を傾げる桜子に志郎は言った。歴史はその時代の空気であり根底に蠢く潮流で、その捉えどころのない流れは、何となくゆっくり変えていくものだ、と。
          「つまり、潮流に影響を及ぼしこの国に静かな革命を起こしていくって事?」
          「あぁ。その先にセツナを取るかシュレを取るかの決断を迫られよう。特にセツナだが、背後にいる存在がヤバい。だからそれまでは桜子、お前とは敵同士であった方がいい」
           志郎曰く、双方が対立のポジションを取りつつ、その時々で歩調を合わせ阿吽の呼吸で進むべき道を探っていこう、と。
           無論、桜子も異論はない。むしろそれがこの国の未来に対する有効なスタンスに思えた。
          「桜子、父さんと母さんによろしく伝えておいてくれ。じゃぁな。次の時空で会おう」
           志郎は手を振るや、桜子に背に向け去っていく。
           ――阿吽の呼吸、か……。
           桜子は密かに心でつぶやきつつ、自身もこの時空から姿を消した。

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          一井 亮治
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             第二十五話

             頼朝との接触を終えた桜子と京子が次に向かったのは、京の都だ。かつて、この地を平定したのは平家だ。
             だが、奢る平家も久しからず、倶利伽羅峠で大敗し、木曽義仲に取って代わった。もっともその統治は短く、頼朝が送り込んだ義経に惨敗し、歴史から姿を消した。
             さらにこの義経も頼朝と対立しようとしている。これら一連の動きの背後には、一人の人物が見え隠れしている。
            「後白河法皇か……」
             桜子はその名をつぶやく。幾度となく幽閉・院政停止に追い込まれつつも、そのたびに復権を果たすしぶとさは、稀代の才と言えた。
             その後白河法皇と桜子と京子は、接触を持っている。
            「頼朝も妙な使者を遣わしたのぉ」
             二人のナリを興味深げに眺める後白河法皇に桜子が問うた。
            「法皇様は、この国をいかにしようとお考えですか?」
            「フフっ、そんな高尚なものは持っておらんわい。だが、この京を灰にする覚悟ならあるぞ」
             後白河法皇は意味深に笑うや、その信条を晒した。曰く「分割して統治せよ」と。
             ――確かに武士を源氏と平家に分断し、さらに源氏同士をも巧みに対立させている。気がつけば皆、この法皇様の掌の上で踊らされているわ。
             桜子は唸らざるを得ない。ちなみにこれまで桜子が抱いていた歴史上の偉人のイメージは、鮮明なビジョンを持ち情熱を持ってして世を動かす激情家だ。
             だが、目の前の法皇は、明らかに毛色が違う。深慮遠謀を企てつつも、敢えてそれを前面に出さず、のらりくらりと政敵を煙に巻いては機をうかがい、世に潮流を生み出していく。
             さらに歴史で台頭しそうなプレイヤーを見極めてはその心を絡め取り、心理的な措置を適度に施しつつ支配するスタイルなのだ。
             ――この法皇様、例えるならウワバミね。世の根底に流れる集合心理を巧みに刺激し、何となく時代を支配して、その全てを飲み込んでいく。まさに大蛇よ。
             なお、この後白河法皇を頼朝は「日本一の大天狗」と評したが、その気持ちが分かる気がした。
             表面上は今様狂いの遊び人を演じつつ、その実裏で権謀術数を駆使する稀代の策士ーーそんな後白河法皇に、京子もまたこれといった明言を避け、雑談に興じつつ探りを入れていく。
             やがて、後白河法皇と別れた京子は言った。
            「桜ちゃん。義経様だけど、頼朝様と法皇様の狭間で翻弄されるピエロになりそうよ」
            「それってどうなのよ。京子」
            「どうもこうもないわ。私は未来の時空課税局の人間だもん。税制の整備を第一に歴史に関わるのが仕事よ。クリスタルも然りね」
             割り切る京子に桜子は、憤りを感じていたものの、それは言葉にはならなかった。
             ――木曽義仲は法皇様に〈旭将軍〉の官位で釣られ見事に踊らされた。今度は、義経様が歴史の舞台で道化を演じさせられようとしている。
             その理不尽さを嘆く桜子だが、ため息とともに心中を吐き捨てた。
            「それもまた歴史の性、か……」
             その一方でセツナ一派の動きにも注力している。特に志郎だ。どうやら平家一派に接近し、何かを企んでいるようである。
             京を追われ福原を捨て西へと落ち延びた平家だが、今だ強力な水上戦力を有する一大勢力に違いはない。
             ――一体、志郎兄はどうしようというのだろう。
             その心中は計りかねるものの(何となくではあるが)志郎が目指す境地が見えなくもない。
             これまで歴史を渡り歩いてきた桜子には、その時々で根底に潜む潮流が感じられるようになっていた。
             ゆえにその潮流にベクトルを合わせ、対立の中に共同歩調を見出し、活路を見出そうというのが桜子の企みだった。
            「さ、行こうか桜ちゃん」
             京子の誘いに桜子はうなずきクリスタルをかざした。たちまち二人の体は光に包まれ、新たな時空へ飛んだ。
             行き先は壇ノ浦である。例の如く乱暴に放り出された桜子と京子は、目の前で繰り広げられる合戦に釘付けとなった。どうやら戦況は源氏有利に傾きつつあるようだ。
             一ノ谷、屋島と立て続けに敗れた平家はすでにあとがない。ここで平家は歴史に残る道を選ぶ。二位尼が幼少の安徳天皇を抱え、入水したのだ。
             さらにその後をお抱えの女官や武士が続く。その壮絶さの中に華やかさを求める最期を前に桜子の心は、平穏ではない。
             そんな中、桜子は乱の中に見知った人影を見つけ、声を上げた。
            「志郎兄!」
             だが、志郎は構うことなく駆けていく。やむなく桜子もその後を追った。
             船と船の間を跨ぎ、最後尾まで追い詰めたところで桜子は志郎に叫んだ。
            「志郎兄、なんで私を置いていくの。この国の歴史をどうするつもりなのよ!」
             そんな桜子に志郎は振り返るや、右手をかざした。その途端、一帯に凄まじい衝撃が走り、桜子は体を壁に叩きつけられた。
             何が起きたのか全く理解できない桜子は、激痛に耐えつつ顔を上げ、息を飲んだ。何と歴史のクリスタルが、宙に浮かんでいるのである。
             ――一体、どういう事!?
             桜子は困惑したまま上体を起こそうとするものの、先程の衝撃で足が動かない。そうこうするうちに志郎が近づき、歴史のクリスタルに手を伸ばした。
             その途端、クリスタルに変化が起きた。パリンっという音ともに真っ二つに割れたのだ。
             ――クリスタルがっ!?
             桜子が声を失う中、志郎は割れたクリスタルの半分を手中に収め、桜子に一瞥をくれるや何も言わずに去って行った。
             途方にくれる桜子は、半分になったクリスタルをただ呆然と眺め続けた。

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            返信先: 六月到来 #2927
            一井 亮治
            参加者

              答えです。
              どうでしたでしょうか^^b

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              一井 亮治
              参加者

                 第二十四話

                 父・善次郎が退院した。桜子はそのサポートにあたっている。
                「志郎は、まだ戻らないのか」
                 息子の不在を危惧する善次郎だが、桜子が掻い摘んで現状を報告し、大丈夫である旨を伝えた。
                 もっとも事務所の焼失といい、元の状態への復帰には今しばらくの時間が必要と見られている。だが、再開に向けた準備は着々と進んでいく。その第一歩が事務員の募集だ。
                「どこかに適当な人材は、いないものか」
                 そう考え募集をかける善次郎だが、目ぼしい人材が見当たらない。やむなく桜子に問うた。
                「桜子、夏休みの間の短期でいいから、お前の知り合いで事務員候補はいないか?」
                「えっ。や、いなくはないけど……」
                 口ごもる桜子の脳裏にあるのは、この時空を監視するエージェントの京子だ。もっとも大雑把でムラっけの激しさゆえ、事務員としての適性には疑問符は付くが、活動をともにする点で適材に思えた。
                 ダメ元で試しに連絡を取ってみると、意外にも乗り気である。二つ返事で了承の意を伝えるや、その日のうちにやって来た。
                「やー何か悪いっすねー。あたいなんかでいいんっすかぁ?」
                 相変わらずのガサツさで現れた京子に、善次郎はやや面食らいつつも面接を進めていく。
                 やがて、全ての項目をクリアしたところで、善次郎は京子に合格を下した。
                「桜子。お前が薦めるなら、よかろう」
                 善次郎は幾つかの条件付きではあるものの、桜子の意に従い京子を雇うことにした。
                 その後、桜子は祝いを兼ねて京子と外に繰り出した。向かった先は、あろうことか居酒屋である。
                「京子、アンタまだ未成年でしょ?」
                「やーいいじゃんいいじゃん、固いことなしってことでさー」
                 京子はざっくばらんに、生をジョッキで飲み干すや、今後の方針について話し合った。
                「京子、すでに藤原氏を中心とした貴族の世は追ったわ。道長さん曰く、次は武士の世だって」
                「んーそうね。租税も守護・地頭を通じて大きく変わるし」
                「でも貴族の既得権益を武士は、どうやって簒奪したのかな」
                「フフッ、そこが次の歴史トラベルの鍵じゃん。百聞は一見にしかず。明日、一緒に見に行こう。多分、クリスタルもそれを望んでいるはずよ」
                 語りかける京子に桜子はうなずき、歴史のクリスタルを取り出した。中から放たれる淡い光に目を細めつつ、桜子はこれまでのタイムトラベルを振り返っている。
                 ――これまでは、自分と無関係だったが、次は違う。源氏の末裔として、歴史に直接向き合うことになる。果たして私にその資格はあるのだろうか。
                 そんなことを思いつつ、新たな時空に思いを馳せた。

                 翌日、桜子は二日酔いの京子を引き連れ、平安末期へと向かった。降り立った場所は、夜の川辺だ。見ると白旗と赤旗を掲げた大軍が川を挟んで野営していた。
                「源氏と平家ね。果たしてどちらが勝つか」
                 成り行きを見守る桜子だが、傍らの京子が今にも吐きそうな顔で言った。
                「あー気持ち悪ぃ……」
                「だから、飲み過ぎだって言ったでしょう」
                 桜子は呆れつつ、川辺へ京子を休ませに向かった。降りしも季節は冬へと向かいつつある。冷える体を縮こませる桜子だが、傍らの京子の様子がおかしい。
                 両手を口元へ運び、何かを堪えている。何事かと見守っていると、京子は特大のくしゃみを放った。
                 その途端、川辺の草むらに潜んでいた水鳥が一斉に飛び立った。これが全てを決壊させた。
                「源氏の襲撃だっ!」「逃げろぉ!」「お助けぇ」
                 川辺に陣を張っていた平家が、赤旗を投げ捨て一目散に逃げ去っていく。
                「あらら……」
                 思わぬ形で歴史に関与し、騒動の中心となってしまった京子は、桜子に言った。
                「やっちゃった。桜ちゃん。どうしよう」
                「どうするもこうするもないわよ!」
                 声を上げる桜子に京子は、立つ瀬がない。やむなく反対側に陣を張る源氏側を目指したものの、暗闇もあって本陣か見失ってしまった。
                「もー参ったわ……」
                 頭を抱える桜子だが、そうこうするうちに夜が明けてしまった。完全に迷子になった二人だが、そこへ見知らぬ者の図太い声が響く。
                「お前達、何者だ!?」
                 驚き振り返ると、声の主と思しき大柄な僧兵が薙刀を手に睨みを効かせている。さらにその背後には、数名の騎兵と一団の主人と思しき小柄な武者が控えている。
                「あーもしかして弁慶さんと義経さん達だったりします?」
                 京子の問いに弁慶は「なぜ知っている」と、ますます不審げな表情を見せている。
                「や、大丈夫っす。うちら味方なんで。こっちが源氏の末裔の桜子さん。実はあたいら未来から来まして……」
                「はぁ!? 何を訳の分からぬことを言っておる。妙なナリといい怪しい奴め。ひっ捕えてやる」
                 弁慶の命令により、桜子と京子は敢えなくお縄頂戴となった。
                 ――もー最悪……。
                 桜子は、騒動の発端である京子に呆れ返っている。やがて、二人は義経や弁慶らと源氏の本陣へとやって来た。
                「兄弟の対面、か……」
                 桜子は陣幕の向こうで、涙の再開を交わしているであろう総大将の頼朝と義経を想像していると、不意に声が掛かった。
                 何でも頼朝が呼んでいるという。連行されていく二人は、頼朝の前に突き出されるや、その縄を解かれた。
                 頼朝は、二人に頭を下げた。
                「すまぬな。時空の旅人よ。弟が我が一族の子孫に働いた無礼、許してくれ」
                「え、信じてもらえるんですか!?」
                 驚きの声を上げる桜子に、頼朝はうなずく。何でも末裔を名乗る別の人物と既に会っているという。
                 ――志郎兄か……。
                 桜子は舌打ちした。どうやら向こうは向こうで何らかの目的の下に、活動を済ませているようだ。その後、互いに名乗る桜子と京子に頼朝は大いにうなずくや、手招きした。
                 不審を感じつつ近寄る二人だが、頼朝は意外なことを問うた。
                「あの義経だがな、どうすればいいと思う?」
                 頼朝の懸念はこうだ。自身は源氏の総大将を名乗ってはいるものの、それは多くの関東武士達の利害の上に成り立つ砂上の楼閣に過ぎない。
                 だが、義経はそれをあたかも当然のように捉えているきらいがある、と。
                 それを聞いた桜子は、驚きを隠せない。
                 ーー凄い。頼朝様が義経様と会ったのは、今日がはじめてなのに、義経様の至らぬ点を完全に見抜いている。
                 そんな桜子の心中を察した頼朝は、笑みとともに言った。
                「ワシには軍才はないが、人を見る目だけは持っているからの」
                「驚きです。ちなみに頼朝様が挙兵に至られた理由はなんですか?」
                「武士の世を作ることだ」
                 頼朝は、ここではじめて自らを野心をさらした。
                「これまで我ら武士は、貴族にいいように利用されてきた。平家も然り、完全に貴族に媚びるばかりか、自身まで貴族を振る舞っている。清盛に至っては、娘の子をわずか三歳で強引に天皇にしてしまった」
                「なるほど、今回の勝利で源氏への流れが出来ました。やはり上京を?」
                「いや、京はいい」
                 かぶりを振る頼朝に、桜子は首を傾げている。やむなく頼朝は心中を述べた。曰く、貴族の都である京ではなく、鎌倉に新たな武士の都を作るのだ、と。
                「それはまた壮大な野望ですね」
                 驚く桜子に頼朝は、表情を曇らせ懸念を述べた。
                「ただ、その際に問題となるのが、税だ。これがなければ絵に描いた餅に過ぎぬ。何か案はないか?」
                「あぁ、それなら一つ……」
                 頼朝の懸念に応えたのは、京子だ。それは全ての問題を払拭する絶妙の案だった。頼朝は、膝を打ち大いに喜んでいる。
                 一方の桜子は、その非情さに声が出ない。
                 ――それは、ちょっとあまりにも……。
                 やがて、頼朝から解放された桜子は、京子を問い詰める。
                「京子、あの案だけど、ちょっとあんまりじゃない?」
                「桜ちゃん。歴史っていうのは、ある程度の非情さはいるよ」
                 ――確かにそうかもれないけど……。
                 桜子は京子に理解を示しつつも、憤りを隠せない。
                 さらに気になるのは、京子が歴史への干渉を繰り返している点だ。察するに未来人は時空課税上、過去を統治すべく偉人の未来に影響を及す必要があるようにうかがえた。

                一井 亮治
                参加者

                   第二十三話

                   クリスタルが示した時空――それは、平安時代の絶頂期だ。その最たるが一家立三后を擁し、権勢の全てを手中に収めた藤原道長である。だが、その道長は今、病に伏している。
                   そこへ突如として桜子が放り込まれた。驚く道長だが、その面影にかつての出会いを思い出し、苦笑した。
                  「そなたは、確か桜子だったな。肝試しのときといい、望月の歌のときといい、いつも突然に現れる」
                  「毎度、スミマセン。お身体は大丈夫ですか?」
                  「ふっ、いくら私でも寿命には、勝てん。私の時代も終わる」
                   どうやら道長は、すでに覚悟を決めているようだ。夢でも見ているかのようであったと人生を振り返りつつ、桜子に言った。
                  「大いに繁栄を築いた我が一族だが、おそらく今が旬だろう。つまり、腐りかけだ。時代が変わる。貴族の世が終わり、武士の世となろう」
                   自嘲する道長だが、事実、長男の頼通の世では国司の租税取り立てに対する不満から反乱が勃発し、長期化する。
                   頼ったのは、河内源氏の祖となる源頼信だ。もはや武士の力を頼る以外に道はなくなっていく。
                   それは権力の裏付けが、高貴な血筋から武力へと変わりはじめたことを意味している。
                  「それでいい……そうやって歴史は進んでいくのだ。一時代を築けたことを私は光栄に思う」
                  「道長さんは、自分の時代が終わることに憤りはないのですか?」
                  「あろうはずがない。思えば我が世は権謀術数に明け暮れた時代だった。皆で教養を競ったものだ。これが武に変わる。フフッ、実に愉快だ……」
                   道長は、まんざらでもなさげだ。それは、藤原氏の世がピークを越した瞬間であり、次の時代の幕開けでもある。
                  「桜子、君は確か源氏の末裔だったな」
                  「はい。正直、あまり自覚はないんですけど」
                  「フフッ……よかろう。先駆者として一言贈ろう。背後に御用心――健闘を祈る」
                   それだけ述べるや、道長は口を閉じた。

                   道長の最期を看取った桜子だが、外に出ると京子とシュレが待っていた。
                  「桜ちゃん。心配したよ」
                  「どうやら無事のようだね」
                   声をかける二人に桜子は、笑みで応じつつ考えている。これまで見てきた歴史で、租税はどの時代もアキレス腱であった。同時に国家が体をなす根源でもある。
                  「ねぇシュレ。福沢諭吉さんは租税を国民と国との約束と表現していた。卑弥呼さんは、稲作がもたらす格差を是正する所得再分配を説いた。セツナに至っては、無税国家論構想よ。理想の税制って何なのかな?」
                  「フフッ、桜子の言いたいことは、よく分かるよ。だが、性急な税制は中立性と経済実態を大いに歪める。簡単じゃないさ」
                   まとめるシュレに京子も続く。これは国家を運営する上で永遠のテーマであろう、と。
                   ――歴史に学び時代を読む。時空を超えた先にある答えを私は知りたい。
                   桜子はそんなことを思いつつ、シュレや京子とともに現代へと戻って行った。

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                  一井 亮治
                  参加者

                     第二十二話

                     セツナらに連れ去られた桜子は、監視の下、隔離された部屋にいる。そこへオニヅカが入ってきた。
                    「ダージリンティは、いかがかな?」
                     紅茶を差し出すオニヅカに桜子は、そっぽ向く。オニヅカは苦笑を浮かべつつ、前の座席に腰掛け対面した。
                    「桜子。私には一つ、分からない事がある。君は救国を条件にシュレに助けられた。そして今、クリスタルと歴史を旅している。だがはっきり言って、この国は手遅れだ。なら発想を切り替えるべきだろう」
                    「つまり、祖国を売れってこと?」
                    「『トム・ソーヤの冒険』は知ってるかい? 著者のマーク・トウェインが言っている。〈歴史は繰り返さないが、韻を踏む〉とね」
                     オニヅカは、メガネを指で押し上げながら、さらに続けた。
                    「これから日本は、厳しい局面を迎える。だが悲観することはない。かつて、世界を大恐慌が襲った。だが、そこで儲けた人もいなかったわけではない。世界には危機の中でお金を稼ぐ人が常にいる。皆が売るタイミングで買い、皆が買うタイミングで売るんだ。例え危機が起き、経済が崩壊しようとも、必ず復活するのさ」
                    「だから歴史まで改変しようっていうの? 悠久の時空を賭場に相場を張って、儲けのためなら国すら滅ぼすなんて間違ってるわ」
                    「ふっ、見解の相違さ。まぁゆっくり考えてくれればいい。それはそうと君のお兄さんだが、なかなかにしてしたたかじゃないか。私にとって歴史はギャンブルだが、彼にとってはゲームのようだ」
                     薄ら笑いを浮かべるオニヅカに、桜子は被りを振りつつ、声を上げた。
                    「オニヅカ、私にはさっぱり分からない。歴史がギャンブルやゲームな訳ないでしょう」
                    「じゃぁ、何だと言うのかね? 時空課税上の財源か? 君はいつまで未来の奴隷でいるつもりなんだ」
                     罵るオニヅカに桜子は言った。
                    「私にとって歴史は、過去との対話よ。これまで色んな偉人に会って来た。皆、悩みの中で現実と直視し、それぞれの答えを見つけていたわ。なのに、あなた達はそこに敬意を払わず私物化しようとしている」
                     非難の声を上げる桜子にオニヅカは、肩をすくめお手上げのポーズをとる。桜子の説得を諦め席を立つや、部屋を出て行った。
                     入れ替わるようにやって来たのは、セツナである。
                    「お嬢さん。いらっしゃい」
                     セツナの手招きに桜子は、警戒しつつも従った。桜子はセツナの背中を追いながら問うた。
                    「セツナ。一体、私をどうするつもり? あなたの設計者同様に始末する気ね」
                    「お言葉を返すようだけど、私の設計者は死んじゃいないわ」
                     言葉を失う桜子をセツナが笑う。
                    「そんなに身構えなくても大丈夫よ。私達には、あなたを簡単に始末できない事情もある。ただ……そうね。一つ、いいものを見せてあげるわ」
                     意味深な笑みを浮かべつつ、セツナが向かったのは祭壇のような場所である。そこで立ち止まったセツナは、振り返るや桜子の額に人差し指をかざした。
                     その途端、桜子の頭の中を走馬灯のように映像が走り抜けた。
                    「え……今のは、何!?」
                     戸惑う桜子にセツナが言った。
                    「私の目指す世界――無税国家論のビジョンよ」
                     ――無税国家論ですって!?
                     桜子は見開いた目でセツナを見た。冷静に考えて、それは不可能である。だが、そのビジョンを直接、頭の中にありありと見せられた桜子は、反論の言葉を失っている。
                     そんな桜子にセツナは言った。
                    「お嬢さん。今から二十四時間、あなたに時間をあげる。私かシュレか、どちらに着くべきかをよく考えて、はっきりと道を決めなさい」
                     
                     
                     
                     無税国家論――それは財政支出の徹底削減により国家予算の剰余金を積み立てて、非常に長いスパンでこれを目指す、という福沢諭吉を参考に松下幸之助が描いた国家論構想である。
                     無論、そこには企業経営のノウハウ援用を念頭においている。つまり、日本産業株式会社という訳だ。
                     ただその実現には多くの資本を要するため、歴史のクリスタルで資金を捻出し、新たな国家像を打ち立てようというのが、セツナの目論見らしい。
                     部屋に戻された桜子は、改めてその可能性について考えている。
                     ――確かに国や民、未来のあるべき姿を追求すれば、それは理想かもしれない。
                     だが、それを多くの犠牲を強いてでも強行しようとする考えには、やはり賛同できなかった。
                    さらに気になるのは、セツナが述べた設計者存命の報である。無論、事実とは信じきれないが、どうもその設計者は、桜子をむげに出来ない事情があるらしい。
                     ――一体、何がどうなっているのよ……。
                     謎が謎を呼ぶ中、ふと時間を確認すると、タイムリミットが迫っている。悩む桜子だが、そこへ思わぬ声が響いた。
                    「セーンパイっ、お久っす」
                     調子の良さげな挨拶に振り返った桜子は、思わず声を上げた。
                    「翔君!」
                    「さ、センパイ。今のうちに早く逃げて」
                     脱出を促す翔に桜子は、困惑しつつも後に続いた。監視員が睡眠薬で眠りにつく中、翔は桜子を連れて、裏口を案内していく。
                     不審さを感じた桜子が問うた。
                    「翔君。一体、どういうつもり?」
                    「や、これはですね。志郎さんの差し金なんです」
                    「志郎兄の!?」
                     驚く桜子に翔は続けた。何でも志郎は完全にセツナを信じた訳ではなく、ある種の保険をかけたつもりだという。
                     その上で桜子はシュレに、志郎がセツナに従いつつもあうんの呼吸で息を合わせ、互いに歩むべき未来を探っていこうという目論見のようである。
                    「あの人もなかなかにして腹黒いですよね」
                     笑って見せる翔に桜子の心中は、複雑だ。だが、ここはその考えに従い共存を図るべきだと思い直した。
                    「さ、センパイ。歴史のクリスタルをかざして下さい。クリスタルが導く時空へ逃れた先に、センパイの未来が待っていますよ」
                    「分かった。ありがとう翔君」
                    「礼は結構。今日の味方は明日の敵、それじゃあまた」
                     手を振る翔に桜子はうなずくや、クリスタルを額にかざし、光とともに導かれるままに姿を消した。

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                    一井 亮治
                    参加者

                       第二十一話

                      「まさか志郎に邪魔されるとは、ね」
                       手負いの京子にシュレは嘆いている。幸い道長の応急措置のおかげで大事に至らなかったものの、一歩間違えば命に関わっていた。
                       それだけに桜子は、変貌した兄に困惑を隠せない。
                       ――志郎兄は、どうなってしまったの……。
                       頭を抱える桜子の脳裏によぎるのは、道長だ。二人の兄を亡くした後、伊周と権力闘争を繰り広げることとなる道長だが、すでに一族の争いを運命と位置付けていた。
                       一方の桜子は覚悟を固めたとはいえ、やはり躊躇は残る。
                      「何はともあれトトカルチョ作戦の第一段階は、終了だ。あとは京子の代わりを……」
                      「あぁ。あたいなら、大丈夫……」
                       よろけつつも上体を起こす京子を、桜子が慌てて止めに入る。だが、京子は構うことなくシュレに作戦の継続を訴えた。
                      「これは藤原氏の末裔として、避けられない戦いだからね」
                      「京子。一体、何があなたをそこまでさせるの?」
                       桜子の問いに京子と目配せしたシュレが打ち明けた。
                      「京子はね。かつて、オニヅカが絡む時空テロで家族を失ったんだ。その後、時空課税庁のエージェントに志願し、厳しい訓練を経て今に至る。つまり、京子にとってこれは、復讐であり贖罪なんだ」
                      「フフッ、全てはあたいが悪いのさ。素行の悪さで家族に無茶を強いた結果、オニヅカの騒動に巻き込んでしまった……」
                       悔やむ京子の表情は、実に沈痛である。詳細は分かりかねるものの、京子には京子なりの事情があるようだ。
                      「シュレ、桜ちゃん。次にオニヅカが仕掛けるのは、寛仁二年十月十六日よ」
                      「え、どういうこと?」
                       キョトンとする桜子にシュレが応じた。
                      「その日、道長の三女、威子が後一条天皇の皇后になったことを祝う宴が開かれたんだ。事はその二次会にある」
                      「あぁ『望月の歌』ね?」
                       意を察した桜子に京子はうなずき、その歌を詠んだ。
                      「此の世をば 我が世とぞ思ふ望月の かけたることも無しと思へば(この世で自分の思うようにならないものはない。満月に欠けるもののないように、すべてが満足にそろっている)」
                      「藤原氏の摂関政治、ここに極まれりだ」
                       シュレの総評に桜子も異論はない。問題は右大将の藤原実資が返歌を拒んだ点にある。京子は言った。
                      「オニヅカは、必ずつけ込んでくる。奴はギャンブラーだ。賭け金を全てベットするはずよ」
                      「そこを逆にこちらから仕掛けるってことね?」
                       確認する桜子に京子は、うなずいた。
                       かくして、対セツナ戦トトカルチョ作戦は、第二段階へと移行した。筆頭に立つのは、京子だ。
                      「次は狙撃兵を三名に増やす。ここで勝負を決め切るよ」
                      「配置は、どうするんだい?」
                       シュレの問いに京子は屋敷の地図をノート端末に広げ、作戦の詳細を詰めていく。そんな中、桜子はふと、根本的な疑問を投げかけた。
                      「あのさシュレ。藤原家が荘園の最大領主になって、国政を牛耳ったのはわかるんだけど、自身の荘園に税は取られなかったんでしょう」
                      「あぁ、不輸不入の権だね」
                      「じゃあ、国の歳入ってどうなってたのよ?」
                       この疑問にシュレは、ニヤリとほくそ笑む。
                      「フフッ、その通りだよ桜子。それこそが藤原氏最大の急所になったんだ。摂政として国を回そうにも、肝心の財源が荘園の増加により減少していく。藤原氏も自身が当事者なだけに、その聖域にメスを入れれない。これが藤原氏の時代を終わらせ、次の時代を産むきっかけとなるのさ」
                      「次の時代?」
                       首を傾げる桜子に、シュレと京子が意味深に言った。
                      「桜子、君達の時代さ」
                      「そう言うことよ、桜ちゃん。もとい源桜子さん」
                       これには、桜子も言葉を失ってしまった。シュレと京子が言わんとしていることは、こうだ。〈藤原氏を筆頭とする貴族の時代は終わり、源氏や平家ら武士の時代が来る〉と。
                       いわゆる〈源平藤橘〉である。
                      「じゃあ何? シュレが私に目をつけた本当の理由は、私が源氏の血を引くから?」
                      「まぁね。日本の歴史上、この四家は外せないだろう。時空課税理論もこの四家を主要プレイヤーに立脚している」
                       それを聞いた桜子の脳裏にある節が思い当たる。
                       ――うちが源氏で京子とオニヅカが藤原氏、なら残るは……。
                      「シュレ、もしかして翔君って」
                      「お察しの通り。四家の一角――平家の末裔さ」
                       思わぬ事実を前に桜子は、呆然とした。同時にまだ見ぬ次の世に想いを馳せている。
                       かつて、シュレは言った。歴史は次の時代に光だけでなく影も落とす、と。つまり、桜子や翔の先祖は、道長を頂点とする藤原氏から大きな影響を受けたことになる。
                       ――時代の転換点、か……。
                       桜子は、自らの祖が織りなすであろう武士の世の到来を意識しつつ、オニヅカらが目論む時空戦への対処を練り続けた。

                       翌日、作戦を決行すべくシュレが呼びかけた。
                      「じゃぁ、行くよ」
                      「オッケーよ」「始めましょう」
                       準備を終えた二人が応じる中、シュレは歴史のクリスタルを作動させた。たちまち辺りが光に包まれ、桜子と京子は現代から姿を消した。
                       二人が放り込まれた時空――それは、寛仁二年十月十六日の夜である。庭から屋敷を覗くと、中から賑やかな声が響いている。どうやら宴の真っ最中のようだ。
                      「いよいよじゃん」
                       京子は昂る気持ちを抑えるや、時空課税局から駆けつけた応援部隊とインカムで連絡を取っていく。
                       やがて、全部隊が配置についたところで、オニヅカらの襲撃に備えはじめた。だが、一向に現れる気配がない。
                      「おかしい……」
                       京子は時間を確認しつつ、首を捻る。本来なら既に現れているはずなのだ。そうこうするうちに屋敷で道長が例の『望月の歌』を朗々と詠んだ。
                       これに藤原実資が返歌でなく、吟詠で応じている。道長もまんざらでもなさそうだ。一方の京子は、全く現れる気配のないオニヅカらに焦りを覚えている。
                       そうこうするうちに何事もなく、宴会が終わった。皆が楽しげに声を上げて笑いながら帰っていく。道長は一人となったところで縁側で月を眺めていたのだが、ここで異変が起きた。突如、道長が胸を抑え縁側に崩れ落ちたのだ。
                       桜子と京子は、驚きのあまり目を見開いた。慌てて庭園の影から姿を現すや、道長の元に駆けつけた。
                      「道長さん。しっかりして!」
                       桜子が背中を揺するものの、道長は苦悶の表情で呻き声をあげている。これに京子が舌打ちする。
                      「しまった。先手を打たれたんだ。おそらく毒を盛られている」
                       まんまと裏をかかれ出し抜かれたことに憤る二人だが、そこへ意中の人物が現れた。オニヅカである。さらに背後には、屈強な男達とともにニンマリと笑みを浮べるセツナがいる。
                       急ぎインカムで応援部隊と連絡を試みる京子だが返答がない。セツナは笑って言った。
                      「悪いわね。あなた達が配置した部隊は、こちらで始末させてもらったわ」
                      「へぇ、随分なご挨拶じゃん」
                       京子がいきり立つ中、傍らの桜子は冷静に頭を働かせている。やがて、意を決し言った。
                      「セツナ。あなたの狙いは、このクリスタルを傘下に置く私でしょう。いいわ。あなたの軍門に下りましょう」
                      「ちょっと、桜ちゃん」
                       驚く京子に桜子は、小声で囁いた。
                      「京子、癪だけど今回は私らの負けよ。今、一番大事なのは道長さんの身、それは京子に任せるから」
                      「桜ちゃん、それはあまりにキケン過ぎる」
                      「京子、私なら大丈夫。後を頼むから」
                       桜子は京子に笑って見せるや、クリスタルを手にセツナらの元へと歩み寄った。そんな桜子をセツナは満足げに眺めている。
                      「理解が早くて助かるわ。お嬢ちゃん。じゃぁ、参りましょうか。お兄さんも待っているわ」
                       セツナは勝ち誇ったように笑うや、桜子の身柄をオニヅカらに託し、平安の時空から姿を消した。

                      一井 亮治
                      参加者

                         第二十話

                         二人が訪れた時空――それは真夏の夜の宮中である。突如、現れた二人に殿上人装束の男が悲鳴をあげた。
                        「ひぃっ、もののけだ。お助けぇ……」
                         腰を抜かし逃げ去る男に桜子が憤慨する。
                        「誰がもののけよ。失礼ね!」
                        「フフッ、あれは藤原道隆ね。随分と気の小さい男じゃん」
                         笑う京子だが、さらに別の場所からも悲鳴が聞こえ人影が走り去った。道隆の弟の道兼だ。
                         どうやら肝試しをやっているようである。
                        「さて、お目当ての殿方はどうなのかな」
                         京子は意味深に笑うや、桜子と大極殿へと向かった。すると暗闇の中を小刀で柱に細工を施す男がいる。藤原道長である。
                         桜子と京子の気配に気がついた道長は、声を上げた。
                        「何だお前達は!?」
                        「時空の旅人でーす。やーご先祖様にお会い出来て光栄っす」
                         実に軽いノリの京子に道長は、怪訝な表情を浮かべている。やむなく傍らの桜子が事情を話した。
                        「ほぉ、未来からの使者、と……」
                         道長は驚きの表情を浮かべている。そこへ突如、宙に光が放たれ、見覚えのある男が手下と思しき者達を引き連れ現れた。
                        「オニヅカ!」
                         吠える桜子にオニヅカは、眼鏡を手で押さえながら笑った。
                        「久しいですな、お嬢さん。わざわざ危険を承知で乗り込んでくるとは、大胆なことだ」
                        「アンタの狙いは、このクリスタルでしょう」
                        「いかにも。だが今回、用があるのはそちらの御仁だ」
                         オニヅカは、道長の方を向き跪いた。
                        「道長様、お迎えに参りました」
                        「それはどういう事だ?」
                        「こういう事です」
                         怪訝な表情を浮かべる道長に対するオニヅカの答えは、驚くべきものだった。なんと懐から銃を取り出し、発砲したのだ。
                         自分の祖先を撃てば、それは子孫の自身にも跳ね返ってくる。にも関わらず、オニヅカは道長を倒してしまった。
                         驚き慄く桜子に京子が囁く。
                        「大丈夫よ、桜ちゃん。多分、麻酔銃だから」
                         その上でオニヅカに吠えた。
                        「オニヅカ、アンタとあたいは同じ藤原の血を引いている。一体、どういうつもりなのさ?」
                        「簡単な事です。私がこのギャンブルでベットするのは、伊周様。道長様には別の道を歩んで頂きたいのです」
                        「出家でもさせるつもり?」
                        「推測はご自由に。さて藤原京子、お前には実弾をくれてやろう」
                         引き金に指をかけるオニヅカだが、遠方から銃声が響きその銃が弾かれた。
                        「くそっ……仲間がいたのか」
                         オニヅカは腕を押さえ舌打ちするや、手下の男達に命じた。
                        「この小娘らをひっ捕えろ!」
                         周りを男達に取り囲まれる中、桜子と京子は背中合わせになって身構えた。
                        「どうするのよ、京子?!」
                        「大丈夫。桜ちゃんは道長さんを守って」
                         京子は背中越しに囁くや、何と包囲を狭める男達に向かって逆に打って出た。
                         体格差をものともせず、見事な体捌きで男達を倒していく京子に、桜子は驚きを隠せない。
                         ――凄いっ……。
                         固唾を飲んで見守る中、ついに京子は全ての男達を片付けてしまった。
                        「おのれ小娘がっ!」
                         オニヅカは床に落とした銃を拾い直し京子に照準を合わせる。だが、その顔は突如、苦悶に歪んだ。振り返ると、目覚めた道長がふらつきながらも小刀を握りしめ立っている。
                         思わぬ一撃を背中に受けたオニヅカは、床に膝から崩れ落ちた。それを見た京子が、前に立ち言い放った。
                        「アラン・オニヅカ、もといアラン・フジワラ。時空脱税及び歴史改変罪で逮捕する」
                         手にした端末を操作する京子に、床に倒れた男達が次々に光の中に吸い込まれていく。やがて、その光がオニヅカに及ぼうとした矢先、別の光が現れそれを阻んだ。
                         何事かと驚く京子だが、突如として人影が現れる。その顔を見た桜子が声を上げた。
                        「志郎兄っ!」
                         ずっと姿を消していた志郎の突然の出現に桜子は、驚きを隠せない。だが、志郎は桜子に構うことなく京子に発砲した。
                        「うっ……」
                         呻き声とともに倒れる京子に、桜子は息を飲みその体をゆすった。
                        「京子っ、しっかりして!」
                         だが、京子の反応はない。動揺する桜子が振り返ると、志郎が銃口を桜子に向けている。
                        「志郎兄、この私を撃つ気なの!?」
                         呆然とする桜子だが、志郎の目は本気だ。引き金に指をかけた志郎だが、突如、桜子の前を道長が身を持って塞いだ。桜子は思わず声を上げた。
                        「道長さんっ……」
                        「誰だか知らんが、女性に手を出すのは感心せんな」
                         道長はそう言い放ち、志郎から桜子を庇い続けている。流石に道長をやる訳にはいかず、志郎は諦めたように銃を直すや、オニヅカを抱えこの時空から去って行った。
                        「道長さん、ありがとうございます」
                         頭を下げる桜子に道長は「大したことじゃない」と首を振り、京子に応急手当を施した。どうやら急所が外れていたらしく、命に別状はなさそうである。
                        「桜子さんとやら、さっきの男は君のお兄さんかい?」
                         道長の問いに桜子は、表情を曇らせながらうなずく。道長は同情を見せつつ、言った。
                        「私達も似たようなものだ。同じ一族で陰謀を張り巡らせ権力を奪い合っている。実に嘆かわしい」
                        「あの……道長さんは、どんな世を理想とされているんですか?」
                        「平安の世だ。だが、現実は違う。なら勝たねば。相手が一族でもな。君にも分かるときがくる」
                         道長は桜子の心境を察しつつ、徐ろに立ち上がった。
                        「さ、ここは私が何とかする。君達は帰りなさい」
                        「はい、道長さんも気をつけて」
                         桜子は内裏に戻っていく道長の背中を見送るや、怪我を負った京子を抱え平安の時空から姿を消した。

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                        返信先: 五月到来 #2908
                        一井 亮治
                        参加者

                          答えです。
                          どうでしたでしょうか^^b

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                          一井 亮治
                          参加者

                             第十九話

                             父・善次郎の意識が戻った。知らせを受けた桜子が我先に病院へ駆けつけると、病床から善次郎が笑顔で出迎えている。
                            「父さん、よかった……」
                             桜子は善次郎の元に駆け寄るや、目に涙を滲ませた。
                            「桜子、心配をかけたな」
                            「本当よ! 一時は、どうなることかと……あのまま別れも言えずに〈さようなら〉なんて私、絶対に許さないから……」
                             怒ってみせる桜子に善次郎は、苦笑を禁じ得ない。やがて、会話もそこそこに桜子は善次郎の着替えを整理しつつ、現状を説明した。
                            「そうか。志郎は出て行ったきりか」
                            「うん……歴史を改変してでも、この国を救うんだって」
                            「なるほど。アイツらしいな」
                            「感心している場合じゃないでしょう。父さんがこんなになってるって言うのに」
                             声を上げる桜子に善次郎は理解を示しつつ、ふと思い出したように切り出した。
                            「そういえば桜子、お前が言っていたオニヅカという元税理士だがな。父さんも一度、関わったことがある」
                            「え……本当?! 何か情報はある?」
                             食いつく桜子に善次郎は、記憶を辿りながらオニヅカの情報を話し始めた。曰く、志郎同様に試験を一発合格した天才で、ヤマ当てがうまく生粋のギャンブラーで鳴らしていたと言う。
                            「何でもカジノを自ら編み出した必勝法で何件か潰したらしい。その恨みを買って課税当局にタレコミされ査察にやられたって話だ」
                            「ふーん……そう言うことね」
                             桜子は腕を組み考えを巡らせる。どうやらオニヅカは、歴史を哲学ではなく壮大な賭博場と捉えているようだ。
                             ――まぁ、あながち間違ってもいないか。
                             桜子は心の中でうなずく。と言うのも歴史上の偉人には、どこか己を賭け金に相場を張る勝負師としての側面が感じられるのだ。
                             やがて、面会時間が来たところで桜子は立ち上がった。
                            「父さん。貴重な情報をありがとう」
                            「あぁ、だが桜子。ムリは禁物だぞ」
                            「分かってる。じゃぁね」
                             桜子は別れを告げ病院を出た。帰路の電車に揺られながら、スマホを取り出し母・ソフィアから教えられたサイトのAIへと繋ぐ。
                             善次郎から得た情報をもとに調べていくと、奇妙な情報がヒットした。
                            「オニヅカの本名?」
                             その名を問うと、AIは思わぬ名字を挙げた。それは、桜子がよく知る氏である。
                            「フジワラ、かぁ……」
                             どうやらオニヅカは先日、桜子が看取った鎌足の子孫に当たるようだ。シュレだけでなくセツナもこだわる藤原氏とは、果たしていかなる一族なのか。
                             さらに調べを進める桜子だが、ふと気配を感じ顔を上げた。
                            「今、誰かに見られていたような……」
                             不審を感じ辺りをぐるりと見渡したものの、特に異変はない。
                             ――気のせいか……。
                             そうこうするうちに電車が駅に着いた。桜子は気を取り直すや、電車を出て家路についた。

                            「藤原氏と税制の関係? あるよ」
                             帰宅するや質問を投げかける桜子に、シュレは答えた。
                            「鎌足の子、不比等らが大宝律令で税制を整えたのは以前、見ただろう」
                            「えぇ、私が知りたいのは、その結果よ。ちゃんと国や民のためになったの?」
                             前のめりな桜子にシュレは、しばし考え冷静に返した。
                            「桜子。君、勘違いしてないか。歴史って、先に進むほど皆が幸せになれるとか思ってる?」
                            「そうよ、違うの?」
                            「とんでもない誤解さ。確かに鎌足や不比等らによって日本は律令国家となった。ようやく一人前の国になってきたと言っていい。だが、歴史は次の時代に光だけでなく影も落とす」
                             シュレ曰く、租庸調、つまり稲や布、地産品といった税は都まで自費で運ばねばならず、民は盗賊に怯え餓死と隣り合わせの命懸けな旅を強いられたという。
                             その日暮らしで不安定ながらも、皆で分け合う縄文時代の文化は、完全になくなったのだ。
                            「さらに厄介なのは、公地が足りなくなったことだ。国が墾田永年私財法で開墾を促したものの、それが出来るのは余力がある豪族だ。彼らはこれを有力者への寄付を装い、租税回避を図った。荘園の始まりさ」
                            「国司は、課税出来なかったの?」
                            「不輸の権を盾に拒まれた。〈ここは田畑でなく私の庭園なんです〉とか言われてね」
                            「何よそれ!」
                             憤慨する桜子にシュレは苦笑しながら、言った。
                            「この荘園をもっとも効果的に使ったのが、藤原氏さ。彼らは日本最大の荘園領主として、道長の時代に絶頂を極めた。セツナは、藤原の血を引くオニヅカにこのシステムを転用させ、時空上の租税回避という大博打を張らせたいのさ」
                            「なるほどね……」
                             桜子はシュレに同意しつつ、腕を組み考えている。
                             先日の時空テロで未来の課税省庁の軸をなすリクドウ・シックスは、完全に復旧できていない。
                             そもそも消失したセツナの設計者は、遺体すら見つかっていないのだ。
                             ゆえにセツナ達の動きが近いうちに予測され、それは平安時代と推測された。
                             ――問題は志郎兄ね。何としても目を覚まさせる必要がある。
                             有能で才に長けた志郎に対するコンプレックスは、桜子の中で不動のものだ。それでも、この兄を出し抜かねばならない。
                             ――ここは、策に頼ろう。
                             桜子は、シュレに問うた。
                            「シュレ。現状で未来の課税省庁の稼働率は、どこまで見込める?」
                            「天道(法人)、人道(所得)で二、三割と言ったところだね」
                            「私が囮になるわ。それで可能な作戦を立てて」
                             この桜子の申し出にシュレは、驚いている。だが、桜子は本気だ。
                             やむなくシュレは、未来と連絡をとり始めた。そこで決まったのは、助っ人を寄越すとの事である。
                            「明日、その助っ人がやって来る。作戦の成否は、桜子とその人物にかかっている。覚悟はいいね?」
                             念を押すシュレに桜子は、真剣な眼差しで同意した。
                             その夜、桜子は布団の中で考えている。
                             ーー本当に私なんかが勝てるのだろうか。
                             不安に押し潰されそうになりながらも、気持ちを強引に落ち着かせ眠りについた。

                            「あーアンタが桜ちゃん?」
                             翌日、ガサツな声で話しかけるのは、不揃いなショートカットが印象的な、桜子と同い年と思しき娘である。
                             あまりに馴れ馴れしい態度に面食らう桜子に、シュレが紹介した。
                            「彼女は藤原京子。この時空を監視するエージェントだ。今回の作戦の立案者でもある」
                            「ま、そういうこと。ヨロシクぅ」
                            「こちらこそ。藤原さん……」
                            「いいっていいって。京子って呼んでくれれば」
                             京子はポンっと桜子の肩を叩くや、家の中にヅカヅカと入った。その軽々しさに桜子は不安さを隠せない。すかさずシュレに小声で問うた。
                            「ちょっとシュレ、あの娘で大丈夫なの?」
                            「あぁ、まぁちょっと性格はアレだけど、エージェントとしてはうってつけだから。末裔には末裔で対抗って事さ」
                             そう語るシュレに桜子も異論はない。ためらいつつ桜子もあとに続いた。リビングに入った京子は、ペラペラと身の内を捲し立てている。
                            「京子。そろそろ始めてくれ」
                             見かねたシュレの注意を受け、京子は「あーゴメンゴメン」とこれまた軽々しく詫びるや、カバンからノート端末を取り出し、桜子の前に広げた。
                            「桜ちゃん。いい? この作戦の肝はオニヅカのギャンブルを覆すこと。桜ちゃんはその囮になる。つまり陽動よ。その間、構成員が包囲に動くから、可能な限り引きつけ時間を稼いで」
                            「分かったけど、京子は?」
                            「あたいは、桜ちゃんと一緒だよ」
                            「え、でも危険じゃ……」
                            「いいじゃんいいじゃん。そんなのうちらの仲じゃん。お互い様ってことで」
                             陽気に笑って見せる京子に桜子の内心は、揺らいでいる。
                             ――本当にこの娘で大丈夫?
                             そんな心配をよそに京子は、言った。
                            「じゃぁシュレ、作戦決行よ」
                            「オーケー、準備はいいかい?」
                             シュレの問いかけに京子と桜子は、うなずく。
                            「よし、現時刻をもって僕らは対セツナ戦に入る。標的はオニヅカ、作戦名は〈トトカルチョ〉だ。健闘を祈る」
                             作戦開始を高らかに告げるや、シュレは指を鳴らす。たちまち桜子と京子の体は光に包まれ、現代の時空から姿を消した。

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                            一井 亮治
                            参加者

                               第十八話

                               父・善次郎の病状が芳しくない。一時は回復に向かっていたものの、その後、悪化に転じ今は意識を失ったままだ。
                               幸い事務所は、母・ソフィアの知り合いが助っ人に入り回っているものの、いつまでも頼り放しではいられない。それだけに桜子は、セツナの手に堕ちた志郎の心境が理解できない。
                               ――ラボのバグで暴走し、設計者を消失させ時空テロを起こすセツナにつくなんて。
                               憤慨する桜子に応じるのは、シュレだ。
                              「それがセツナの怖ささ。奴はゴーストとして言葉巧みに囁き、人を陥れる。特に志郎みたいなタイプにはね」
                              「どういう事?」
                              「有能で挫折知らずだろう。それでいてなまじ使命感があるから一度、負に転じればなかなか戻らない」
                               肩をすくめるシュレに、桜子は頭を抱え嘆いた。
                              「シュレ。私、どうすればいい?」
                              「答えはクリスタルにある。歴史のクリスタルが君を認証している限り、こちらの優位は変わらないさ」
                              「けど、もし奪われれば、タックスヘイブンだけでなくマネーロンダリングまで可能になるんでしょう?」
                              「だからこそ、君はクリスタルに向き合う必要がある。この国が取るべき道は成長か成熟か、政府は大きくあるべきか小さくあるべきか。国の未来が歴史のクリスタルに眠っているんだ」
                               現状を説くシュレに桜子はうなずき、クリスタルを取り出す。内部に漂う淡い光を眺めながら、意を決したように言った。
                              「分かったよシュレ。それで次はいつの時空に行けばいいの?」
                              「ある人物を看取って欲しいんだ」
                               キョトンとする桜子に構わず、シュレは指を鳴らしクリスタルを発動させた。たちまち桜子の体は光に包まれ、現代の時空から姿を消した。
                               
                               
                               
                               例の如く、乱暴に放り出された桜子が辺りをうかがうと、水辺が広がっている。どうやら琵琶湖近辺のようだ。そこへ聞き覚えのある年老いた声が響く。
                              「君は、桜子じゃないか!?」
                               驚き振り返った桜子は、思わず声を上げた。
                              「中臣鎌足さん!?」
                              「ハッハッハッ……今は藤原鎌足だ。昨日、帝から長年の功を評されてな。ワシの出生地である藤原(現・奈良県高市郡)にちなんでこの姓を賜った。懐かしのう。大化の改新以来か」
                               目を細める鎌足に桜子は、頭を下げた。
                              「その節は、お世話になりました」
                              「いやなに。あの頃のワシは怖いもの知らずだったからな。ゴホゴホ……」
                              「大丈夫ですか!?」
                               気遣う桜子を鎌足は手で制し、「少し休もう」と近くの倒木に並んで腰掛けた。
                               初夏の心地よい風がそよぐ中、桜子は琵琶湖を眺めながら話した。
                              「都を飛鳥から近江に移されたんですね」
                              「あぁ、大化の改新の理想を実現すべく人心の一新を図りたかった。それとワシの手落ちもある」
                               鎌足曰く、白村江で唐・神羅連合軍に敗戦し、天然の要害であり交通の要衝でもある大津に遷都したとのことだった。
                              「生きては軍国に務無し(私は軍略で貢献できなかった)。軍事と外交を司る身として、己と日本の未熟さを思い知ったよ」
                              「でもその分、鎌足さんは内政で貢献されたじゃないですか」
                              「フフッ、当時皇子だった帝と蘇我入鹿・蝦夷を討ち、阿部倉梯麻呂や石川麻呂を失脚に追いやった。ひたすら帝に尽くし大錦冠、大紫冠の地位についた。人生をかけて己の仕事を果たせたと思っている」
                               鎌足は穏やかに語りつつ、湖辺で戯れる幼い息子の不比等を眺めながら言った。
                              「財を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上。それがワシの信念だが、果たしてどうだったのだろうか」
                              「その全てを残されたと思います」
                               桜子の返答に鎌足は、照れくさそうに笑っている。もっとも誇張ではない。事実、鎌足は日本の歴史における最大氏族〈藤原氏〉の始祖となり、一族繁栄の礎を築いたのだ。
                               その旨を伝えると、鎌足は大いにうなずきながら、問うた。
                              「桜子、君はどうなんだ。お兄さんとの関係は、改善したのかい」
                              「それが……」
                               桜子は苦悩の表情を浮かべながら、窮状を説いた。鎌足はその一つ一つにうなずいていたが、やがて考慮の後、桜子に言った。
                              「骨肉の争いだな。いつの時代も変わらない。おそらくワシの死後、次の帝の地位を巡って争乱が起きるよう。帝の兄弟をめぐる争いだ」
                              「兄弟や身内の争いが国を滅ぼす……虚しいですね」
                              「それでも人は前に進み、営みを続ける。それが歴史だ」
                               鎌足は穏やかに微笑み、幼い不比等を眺めながらそっと口を閉じた。鎌足の体はぐったりもたれかかったまま、ピクリとも動かない。
                               それは波乱に満ち、時代に翻弄されながらも歴史という大舞台で命を張ってきた偉人の静かな最期だった。

                               
                               
                              「ご苦労だったね」
                               鎌足の死を看取った桜子をシュレが出迎える。桜子は感慨深げに言った。
                              「シュレ、志郎兄は以前〈歴史は時としてごく限られた人間にその裁量を委ねるときがある〉と言っていた。鎌足さんは、どうだったんだろう」
                              「残した功績は大きいね。鎌足の死後、壬申の乱を制した大海人皇子(天武天皇)の治世へと繋がっていく。同時に鎌足が理想とする唐をモデルとした律令国家の志は脈々と引き継がれ、息子の藤原不比等らによって結実した」
                              「大宝律令ね」
                               桜子の返答にシュレがうなずく。
                              「そうさ。日本で初めて確立された統一的な税制だ。租・庸・調という唐の均田法にならった税の仕組みが完成したんだ。まさに人類の叡智だ。ゆえにその改変は、許されない」
                              「分かってる。志郎兄の一件は、この私が引き受けるから。差し違えてでもね」
                               そう語る桜子の目は、確固たる決意に溢れていた。

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                              一井 亮治
                              参加者

                                 第十七話

                                 桜子が訪れた時空は、飛鳥の宮中である。どうやら三韓の使者をもてなす儀式が進行中の様だ。皇極天皇を前に石川麻呂が使者の文を読み上げていた。
                                 無論、蘇我入鹿も同伴している。
                                 ――いよいよね。
                                 桜子がつぶやき様子をうかがうものの、何ら変化は見られない。すでに石川麻呂の読む文は終盤に差し掛かっている。
                                 どうしたことかと首を傾げていると、それは起きた。怖気付く手勢の兵に代わって中大兄皇子が自ら白刃を引き抜き、蘇我入鹿に襲いかかったのだ。
                                 この突然の出来事に王の間は、騒然となった。手傷を負った蘇我入鹿が叫ぶ。
                                「大王様、私に何の罪があってこの様な仕打ちを……」
                                 だが、中大兄皇子は手を緩めない。やがて、周りの手勢も加わり、たちまち蘇我入鹿を討ち取ってしまった。
                                 蘇我入鹿の首が刎ねられる中、中大兄皇子は皇極天皇に曽我氏の横暴からクーデターに及んだ旨を説明している。さらに中臣鎌足が周囲の兵に命じた。
                                「いくさだ。曽我氏を一掃する」
                                 この乙巳の変を機に歴史は、大化の改新へと大きく舵を切ることとなる。次々に兵が中大兄皇子の指揮の下に入り、蘇我蝦夷らの討伐へと動いていく。
                                 一方、桜子に気付いた中臣鎌足が声を上げた。
                                「桜子じゃないか。なぜここへ?」
                                「兄の行方を追ってやって来たんです」
                                 桜子の返答に中臣鎌足は、大いにうなずき言った。
                                「志郎だね。彼ならおそらく飛鳥寺だ。これから軍勢を送るつもりだが……」
                                「鎌足さん。私を連れて行ってください!」
                                 桜子の懇願を中臣鎌足は了承し、行軍に加えた。当初は少数だったこの軍だが、クーデター成功の噂を聞いた豪族達が次々に加わり、いつしか一大兵力へと膨れ上がった。
                                「こんなに大勢の軍が……」
                                 驚く桜子に中臣鎌足がうなずく。
                                「それだけ曽我氏が権力を独り占めにして、多くの豪勢の恨みを買っていたってことさ。だが、これでようやく本来の政治ができる。唐に負けない律令国家を目指せるのだ」
                                「中大兄皇子は大王に?」
                                「いや、それは難しいだろう。強引に権力を簒奪したんだ。すぐ大王になれば反感を買う。まずは皇太子として政治改革を進めて頂こう」
                                 中臣鎌足は改革へと熱弁を振るった。公知公民・租庸調の整備・班田収授等、やることは山積だ。
                                「あとは、唐にならって年号を定める必要があるな。何か改革を知らしめるいい名は、ないものか……」
                                 頭を捻る中臣鎌足に桜子が言った。
                                「鎌足さんの思いが伝わる名がいいですね」
                                「ふむ。私は常々思っていた。この国は、まだその潜在力を発揮し切れていない。これを機に大化けさせたいのだが……そうだな。〈大化〉でいこう」
                                 うなずく中臣鎌足の表情は、実に満足げだ。
                                 やがて、前方に蘇我蝦夷氏が防備を固める屋敷が現れた。だが、その兵力は微々たるものだ。数と勢いに押され、すでに落城寸前である。
                                「蝦夷の首は、見つかったか?」
                                 中臣鎌足が問うものの、伝令の兵はかぶりを振っている。焦りを覚える中臣鎌足の傍らで、桜子は首を傾げている。
                                 ――確か正当な歴史では、蘇我蝦夷はここで自害するはずだ。だが、その首が見つからないなんて……。
                                 そんな矢先、桜子は炎に包まれる屋敷の中に求めていた人影を見つけた。
                                「志郎兄!」
                                 声を上げる桜子に中臣鎌足は、うなずき桜子を解放した。
                                「行きなさい。くれぐれも気をつけて」
                                「はい。鎌足様もお元気で」
                                 別れを告げた桜子は志郎を求め、炎の中へと飛び込んだ。至る箇所で柱が崩れ落ちる中、屋敷の裏手から野原へと抜けた桜子は、目の前に佇む人影に声を上げた。
                                「志郎兄っ!」
                                「桜子か、久しいな」
                                 振り返るその顔は、紛れもなく志郎そのものだ。ただ、その表情はどこかよそよそしい。
                                「志郎兄。一体、どこへ行く気? 一緒に帰ろう」
                                「桜子、悪いが俺は帰らない」
                                「どう言うことよ!?」
                                 声を荒げる桜子に志郎は、思わぬ返答をよこした。曰く、セツナ一派に加わり歴史を改変してでも、この国を変えるつもりだ、と。
                                「俺は分かったんだ。もうこの国は助からない。亡国の憂き目にあうくらいなら歴史を改変してでも、救国の財源を時空移動に求めるしかないって」
                                「ちょっと待ってよ志郎兄、それは歴史のクリスタルで……」
                                「手緩い。もう手遅れなんだ。桜子もこっちに来いよ」
                                 志郎の勧誘に、桜子は動揺を隠せない。
                                 ――あの志郎兄は、すっかりセツナに洗脳されてしまっている。
                                 桜子は愕然としつつ、なおも説いた。歴史に犠牲を強いるセツナのやり方はあまりに急進的であり、時空課税の枠組みを根本的に覆すものだ、と。
                                 だが、志郎の耳には届かない。
                                「桜子、俺はシュレではなくセツナに賭ける。民主主義ごっこで何一つ決められない日本に君主制を敷き、犠牲を強いてでも未来を変える」
                                「志郎兄、それはあまりに性急過ぎる。歴史って皆で作るものでしょう?」
                                「大方はな。だが、時としてごく限られた人間にその裁量を委ねるときがある。今がその時なんだ!」
                                 志郎の強行姿勢を前に、桜子の言葉はことごとく弾かれる。ついに交渉は決裂した。
                                「桜子、これは最後通牒だ。セツナを中心とした俺達改革一派を取るか、それとも手緩いシュレ一派でぬるま湯に浸り続けるか、今決めろ」
                                 強引に答えを迫る志郎に、桜子は答えに窮している。それを拒絶と解釈した志郎は、桜子に背を向けた。
                                「次会うときは、敵同士だ。俺は俺の道を行く」
                                 志郎の宣戦布告とも取れる発言に、桜子はなおも説得を試みるが、志郎は振り返ることなく、この時空から姿を消した。残された桜子はあまりの急展開に考えが追いつかない。
                                 そうこうするうちに野原に火の手がまわり、桜子は完全に逃げ場所を失ってしまった。
                                 ――熱いっ、早く時空スポットまで移動しないと、時間が二十四時間を超えてしまう。
                                 焦るものの目の前が炎で遮られ進む事ができない。にっちもさっちも行かなくなった桜子は、はたとシュレから手渡されたアイテムを思い出し手に取った。
                                 するとそのアイテムは眩い光を放ち、一本の剣へと姿を変えた。
                                「これって、もしかして草薙の剣!?」
                                 桜子は驚きつつ、その草薙の剣で一帯を刈り取り、炎の草原から活路を開いていく。
                                 ――もう時間がないっ……。
                                 焦る気持ちを抑えつつ、何とか炎の草原からの脱出に成功した桜子は、光の灯る時空スポットに飛び込んだ。
                                 その途端、桜子の体は光に包まれ、飛鳥の時代から姿を消した。時空移動の空間を漂い現代に戻った桜子は、頭から地面に叩きつけられ転がり込んだ。
                                「痛っ……」
                                 強引な体勢で何とか現代に戻ることに成功した桜子が時間を確認すると、残り時間が一秒を切っている。
                                「桜子、今回はマジでヤバかった」
                                 目の前でシュレがほっと安堵のため息をつく。一方の桜子は徐ろに上体を起こすや、よろよろと立ち上がり嘆いた。
                                「志郎兄は、セツナの手に堕ちた。シュレ。私、どうしたらいい?」
                                「どうしようもないさ。残された道は対決あるのみ」
                                「そんな事、出来るわけないでしょう!」
                                 異議を唱え涙を見せる桜子だが、見守るシュレに答えはなかった。

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                                一井 亮治
                                参加者

                                  「志郎を持っていかれた、か」
                                   桜子の報告に頭を痛めるのは、新たに送られてきた量産型シュレ二号機だ。どうやら記憶は共有されているらしく、会話もこれまで同様で何ら変わることがない。
                                  「一体、どうすれば……」
                                   嘆く桜子にシュレは断言した。
                                  「僕は歴史のクリスタルをさらに強化すべきだと思う。それがセツナへの抑止にも繋がるからね」
                                  「でも、私一人じゃ……」
                                   すっかり弱気に転じた桜子に、憤りを覚えたシュレは混乱の収まらない街を指差し吠えた。
                                  「桜子、現状を理解してる? 君達はセツナに時空兵器で攻撃されたんだよ。この時空震は、しばらく収まらないだろう。死者も出てる。なのに反撃もせずに、ただ黙って見てるだけなの?!」
                                  「そうは言うけど、どう立ち向かうのよ。志郎兄を人質に取られているのに」
                                  「だからこそ、クリスタルが重要になってくるんじゃないか。君の時空トラベルがクリスタルを強化し、ひいてはセツナに対する交渉力を高めることにも繋がる」
                                   こんこんと説くシュレに桜子も異論はない。だが、その自信がなかった。不安で押し潰されそうになる桜子だが、そこへ一本の着信が入った。母のソフィアである。
                                   桜子は父の無事と兄の拉致を伝え、クリスタルをめぐる現状と、ありのままの思いをぶつけた。
                                  「私には自信がない。志郎兄と違って無能だし、どう戦えばいいのか分からない。分不相応もいいところよ」
                                  「桜子、一ついい? あなたにあって志郎にないものがある。何か分かる?」
                                  「そんなものないわよ!」
                                   嘆く桜子だが、ソフィアの答えは意外なものだった。
                                  「クリスタルが選んだのが、志郎ではなくあなただったってことよ」
                                   これには、桜子も黙らざるを得ない。確かにクリスタルは万能な兄ではなく、無能な自分を選んだ。それは偽らざる事実だ。
                                   さらにソフィアは意外な心中を吐露した。曰く、自分は桜子よりむしろ志郎の方が心配だ、と。
                                  「え、どう言うこと?」
                                  「これは初めて言うんだけど、私は志郎を叱ったことがないの。まぁ、叱るところが無かったって言うのもあるけど、本当は叱るともう立ち直れないんじゃないかって思うくらい脆い部分があってね」
                                  「や、でも私、志郎兄と違って褒められたことってほとんどないよ」
                                  「それは、褒めることが人をダメにする側面を持っているから。私はライターとして、賞賛を一身に浴びた人がその能力を発揮できないまま潰れていくのをいっぱい見てきた」
                                   黙って聞き役に徹する桜子に、ソフィアはさらに続けた。
                                  「桜子。あなたはさっき分不相応って言ったわね。確かに身の程をわきまえるっていうのは、大事よ。特に調和を重んじる日本ではね。でも身の丈を超えない限り、成長もないわ。クリスタルは志郎ではなく、あなたの方に伸び代と潜在的な魅力を感じたのよ」
                                   ――私に伸び代と魅力?
                                   思わぬ事実を知らされた桜子は、言葉を失っている。やがて、ソフィアが締めた。
                                  「桜子。事務所のことは、私が知り合いの先生に話をつけるから安心しなさい。あなたは今、すべきことをすればいい。分かった?」
                                  「分かった……」
                                   桜子はポツリと答えるや、通話を終えた。徐ろに歴史のクリスタルを手に取るや、密かに決意を固めた。
                                   ――どこまで出来るか分からない。伸び代なんて全く感じないけど、やれる限りのことをやってみよう。
                                   そんな桜子にクリスタルは、慈愛の灯火を放ち続けた。

                                   

                                   学校が夏休みに入った。この頃になると、桜子の学問に対する熱もかなりのものとなっている。
                                   シュレが家庭教師となって、歴史という日本がかつて歩んで来た道を伝えると同時に、いずれ行くイバラの道について進んだ考えを説いていく。
                                  「要するに歴史って、哲学なんだ」
                                   シュレの教えに桜子は、首を捻る。
                                  「シュレ、悪いけど哲学って実社会で何の役にも立たない暇人の禅問答でしょ?」
                                  「違う。発想が逆だ。実社会の発展の上に哲学じゃない。哲学が整備されてはじめて実社会が成り立つ。仮に今、大怪我をしても外科治療で治せるだろう。それはデカルトが物心二元論で精神と身体を切り離したからこそ、医者が安心して身体を科学的に研究できる倫理ができ、医学の発展につながった」
                                  「じゃぁ、歴史はどうなのよ?」
                                   桜子の問いにシュレは、しばし考えた後、返答した。
                                  「統治だね。いかに国を回していくか。民主制か君主制に行き着く」
                                  「どっちがいいの?」
                                  「一長一短さ。君主制は独裁を生み民主制は衆愚を生む。その時々で最適なものを選ぶのがベストだろう。ま、座学はこんなところさ。実践に移ろう」
                                   シュレがパチンっと指を鳴らす。たちまち歴史のクリスタルから光が溢れ、桜子を太古の時空へと連れ去っていった。
                                   シュレが次に照準を合わせた時空は、〈日本〉という国号が初めて歴史に登場した大化の時代である。
                                   例の如く時空移動により乱暴に放り出された桜子が一帯を見渡すと、宮中の様だ。楽しげな声の元へ向かうと、何やら鞠らしきものを高く蹴り合う男達がいる。
                                  「いた。あそこね。中大兄皇子!」
                                   桜子は物陰に隠れて機をうかがった。すると、その中大兄皇子が蹴りに乗じて靴を放り飛ばしてしまった。
                                   苦笑する中大兄皇子に靴を拾い近づいた人物こそ、古代日本において絶対的な権力を手にする藤原氏の祖――中臣鎌足である。
                                   ここで二人は、何かを囁き合った。一瞬ではあったものの、何かを察し合ったようだ。互いに意味深な笑みを浮かべ別れた。
                                  「よし、行こう」
                                   桜子は意を決し、中臣鎌足の元へと歩み寄った。案の定、桜子のナリに中臣鎌足は驚いている。だが、意外にも何かを察したようにうなずき、こう述べた。
                                  「君、未来からの使者だね?」
                                   流石に桜子も驚きを隠せない。
                                  「え……あの、なぜそれを?」
                                  「以前に似たような妙なナリの青年が来たからね。君と少し面影が似ている。肌の色も」
                                   ――それって志郎兄じゃ……。
                                   食い入るように見つめる桜子に中臣鎌足は、優しげな笑みを浮かべながら言った。
                                  「そんなナリでここにいたら、怪しまれる。私の家に来なさい。話を聞こうじゃないか」
                                   
                                   

                                   その後、中臣鎌足に招かれた桜子は、事情を晒した。
                                  「ほぉ、歴史のクリスタルで救国をねぇ。君の気持ちはよく分かるよ。私も身分の低い役人ながら、この国の未来を危惧する者だ。特に蘇我氏の横暴は目に余る。聖徳太子様の血を引く山背大兄王様すら葬ってしまった。一族もろともだ。何とかしたいのだが、肝心の中大兄皇子が煮え切らない」
                                   苦悩の表情を浮かべる中臣鎌足に、桜子は同意しつつ問うた。
                                  「鎌足様は、日本をどんな国にしたいですか?」
                                  「律令国家だ。租・庸・調を整備し、唐のような立派な国にしたい。それだけではない。この国を未来に輝く偉大な国にしたいのだ」
                                   そこから始まったのは、中臣鎌足による一大演説会である。ほとばしる情熱で熱弁を振るうその熱気に桜子は、圧倒されている。
                                   だが同時に頭もクールに働かせた。脳裏によぎるのは、中臣鎌足が以前に会ったという志郎のことだ。
                                   気になった桜子がその旨を問うと、中臣鎌足はこれまた意外な答えが返って来た。なんと蘇我入鹿を唆し山背大兄王様を討たせたのは、志郎だという。
                                  「それはないっ!」
                                   思わず声を荒げる桜子だが、中臣鎌足は間違いないと断言する。
                                  「君には悪いが、あの志郎という男はかなりの危険人物と見た。おそらく君がいう歴史の改変を目論んでいるんじゃないか」
                                   ――志郎兄が歴史改変を……。
                                   言わずもがな、歴史改変は時空課税の理論を根底から覆す大罪である。どうやら志郎は、セツナに唆されダークサイドに身を投じてしまったらしい。
                                   愕然とする桜子に中臣鎌足は同情しつつ、非情な論理を説いた。
                                  「桜子、おそらく君は志郎と対決する。覚悟しておいた方がいいだろう」
                                   ――志郎兄と、対決……。
                                   あまりの衝撃に桜子は、言葉が出ない。これまで志郎を頼りにずっとやってきた。その志郎と対決など、できようはずがない。何よりあの志郎が、自分を裏切るはずがないのだ。
                                   やがて、中臣鎌足と別れた桜子は急ぎ現代に戻り、その旨をシュレに伝えた。流石のシュレも事態の深刻さに、顔色を変えている。
                                  「志郎が寝返ったのか……」
                                   困惑の面持ちで未来の課税当局と連絡を取り始めたものの、セツナがあらゆる時空で同時多発的に起こした時空テロの混乱を受け未だ復旧できずにいる。
                                   そんな中、ようやく返した答えが「志郎にまつわる情報の収集に努めよ」とのことだった。
                                  「シュレ、どうすればいい?」
                                   必死の面持ちで問う桜子に答えるべく、シュレはあらゆる時空に検索エンジンを走らせた。そこで一つの事案がヒットする。
                                  「西暦645年6月12日の飛鳥、ここに志郎のものと思しき痕跡が確率として見られる」
                                  「分かった。すぐ行く」
                                  「待って、桜子。罠の可能性がある。今、闇雲に動くのはあまりに危険だ」
                                   はやる桜子を引き止め再考を促すシュレだが、桜子の決意は固い。
                                  「シュレ。危険は承知の上、でも今は動くべきときよ」
                                  「作戦も無しにどう動くっていうのさ!」
                                  「そんなものは、動きながら考えるものなのよ! 少なくとも今まで会って来た歴史上の偉人は、そうだった。皆、自分から時代にぶつかって、歴史を引き寄せていたわ」
                                   桜子の強行姿勢にシュレは苦悩の表情を滲ませ、ため息まじりに嘆いた。
                                  「桜子、君は事態の深刻さが分かっていない」
                                  「大丈夫よシュレ、任せて。志郎兄が裏切るなんてあり得ない。絶対、何か理由があるはずなの」
                                  「それが甘いんだ。後ろで糸を引いているのは、あのセツナなんだ」
                                   シュレはリスクをこんこんと説くものの、桜子は頑として引き下がらない。一見、無謀とも思える桜子の決断だが、その主張はあながち間違ってはいない。
                                   それを成長と取るか未熟と取るかは、分からないものの、自らの意思を鮮明にする桜子にシュレは折れた。桜子の条件を飲んだのだ。
                                  「伸るか反るかの大博打、いずれ来るとは思っていたが、こんなに早く到来するとは、ね……」
                                   そんな独り言をつぶやきながら、シュレは準備を整え、桜子に釘を刺した。
                                  「いいかい桜子、君が今まから活動出来る時間は、きっかり二十四時間。これより一秒でも遅れれれば、君は時空課税庁の管轄を離れ、現代に戻ってこれなくなる。それとこれはお守り。いざとなったら開けてくれ。もしかしたら役に立つかもしれない」
                                  「分かったよシュレ。礼を言う」
                                  「これが僕に出来る限界だ。健闘を祈る」
                                   シュレは全てを託し、桜子を再度、過去の時空へと送り出した。

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