一井 亮治

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  • 一井 亮治
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       七話
       
      「桜子じゃないか!?」
       声を上げるのは、現代で待機していたシュレである。連絡が途切れ困っていたらしい。
      「シュレ、私は大丈夫よ。それより志郎兄は?」
      「いない。セツナに拉致されてしまったらしい」
       頭を抱えるシュレに桜子は、しばし考慮の後、ズバリと切り込んだ。
      「ねぇシュレ。あなたは以前、閻魔の計らいで、私に命と引き換えに救国活動の従事を求めたわよね」
      「あぁ、僕はその死神さ」
      「ウソね」
       桜子は、鋭い視線で志郎が述べていた仮説をぶつけた。
      「シュレ、あなたは死神なんかじゃない。未来のテクノロジーで、巧みにそう見せかけ私を蘇生させたエージェントってところよ。そして、あのセツナって女は、あなたの近親者なのでしょう」
      「へぇ……よく分かったね」
      「茶化さないで! 私は本当のことを知りたい。あなた達は一体、何者? 本当の目的は何?」
       問い詰める桜子にシュレは観念したように肩をすくめ、掌に身分証明書らしきものを映し出した。
      「時空課税局査察部、エレキナノマシン・エージェント?」
       桜子が首を傾げる中、シュレが説明した。
      「通称ENMA(エンマ)、当局で内密に設計された情報生命体……つまり、ゴーストさ。セツナはそのプロトタイプモデルに当たる。時空の異なる、ね」
      「どう言うことよ?」
       怪訝な表情を浮かべる桜子にシュレは、説明した。
      「桜子、あらゆる物質は細かく分割する原子、さらに電子等の素粒子に行き着く。そこは、確率としてあちこちに分身する非日常的な世界なんだ。僕らはシュレディンガーの猫理論に基づき、量子論的に不確定な……まぁ、煎じ詰めて言えば科学的に構成された幽霊(ゴースト)ってところさ」
      「……よく分からないけど、要するに私達を騙してたってことね?」
      「そうでもないさ。十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。どうせ事実を説明しても意味が分からないだろうし、ゴーストなんて君達から見たら死神みたいなもんだろう?」
       全く悪びれることなく開き直るシュレに桜子は半ば呆れつつ、さらに問いを重ねた。
      「じゃぁ、セツナは一体、何が目的で歴史のクリスタルを?」
      「決まってるさ。脱税だ」
       キョトンとする桜子に、シュレが鼻で笑いながら打ち明けた。
      「桜子。僕らの世界では、タイムリープの際に時空税が課されるんだ」
      「え、時空移動に税金がかかるの!?」
      「当然さ。取りやすいところから取る、それが税金だからね。時空計算上、移動する期間の長さに応じ高税率を課す超過累進がとられている。だが歴史のクリスタルは、その負担を合法的に回避出来るんだ」
      「つまり、タックスヘイブンみたいな?」
      「そう。プロトタイプのセツナには、致命的な欠陥があった。バクに侵され課税当局から逃れて闇の勢力と繋がってしまった。もし歴史のクリスタルがセツナの手に渡れば、膨大なアングラーマネーが反社会的勢力の手によってマネーロンダリングされてしまう。それを防ぐのが僕の役目だ」
       自慢げに説くシュレに桜子は、困惑しつつ根本的な疑問を投げかけた。
      「じゃぁ、未来を救国するっていうのは……」
      「それは事実さ。なぜなら歴史のクリスタルがそれを求めているからね。セツナに拉致された君のお兄さんの行方も、このクリスタルが知っているはずだよ」
      「え……クリスタルが?!」
       驚く桜子にシュレはうなずき、歴史のクリスタルを額にかざすよう促した。言われるがままに従うと、クリスタルは強烈な光を放ち、桜子を次なる時空へと連れ去っていった。

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      一井 亮治
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         六話
         
         桜子が新たに放り込まれた場所――それは、寺小屋らしき古風な部屋である。突如として現れた妙ななりの桜子に周囲の塾生は「お前は何者だ!?」と、驚き慄いている。
         幸い言葉が通じることから、場所が日本であることは確認できた。皆が目を丸くする中、塾の講師と思しき初老の男が前へ出た。問題はその顔である。日頃から使い崇めている紙幣との切っても切れないその人相に桜子は思わず声を上げた。
        「あなたは、福沢諭吉っ!」
        「先生を呼び捨てにするとは、まかりならん!」「そうだ。曲者め!」
         周囲が非難轟々となる中、福沢諭吉は桜子が持つ一冊の本に目をつけ、小さく笑いながら言った。
        「その本、『スンマ』ですな?」
        「え……あ、はい。何でも複式簿記の記述があるらしくて」
        「うむ。なるほど。どうやら訳ありの様だ。いいでしょう。皆、しばし自習しておいてくれ」
         福沢諭吉は食い下がる塾生を手で制し、桜子を自身の書斎へと促した。そこで事情を話す桜子に福沢諭吉は、驚きつつも興味深げな顔で聞き役に徹している。
        「そうですか、未来から歴史のクリスタルの導きを経てこちらに……」
         うなずく福沢諭吉に桜子は、ふと山積みされた書籍を見て言った。
        「諭吉さんは、本当に勉強家なんですね」
        「ふっ、大半は無駄な努力ですよ。黒船が来てこれからは外国だ、と漢語ではなく蘭語をすすめられたが、世界の主流は英語だった。努力も方向を間違えば、とんだ徒労に終わるってことです」
        「でも、確か『学問のすすめ』だっけ? 勉学を奨励されておられる」
        「えぇ、ただ学問の捉え方が違います。以前は、難しき字を知り、解し難き古文を読むことが正しいとされていた。だが、これからは違う。金儲けの功利主義・通俗主義的道具と非難されていた実学こそ、合理的な教養となるべきだ。あなたが持つスンマの様にね」
         福沢諭吉は目尻を下げつつ、一冊の書籍を取り出し、桜子に手渡した。
        「『帳合之法』ですか?」
        「えぇ、複式簿記を中心とした会計にまつわる私の翻訳著書です。学者に学問の実用性を、商人に勘と経験から脱却した会計による商いを求め、欧米に負けない国を目指したい。おそらくこの本が桜子さんの持つ歴史のクリスタルのキーアイテムとなるのではないですか?」
         福沢諭吉から諭された桜子は、試しに帳合之法にクリスタルをかざすと、内部から眩い光を放ち始めた。
        「諭吉さん。どうやら私のいた時空に帰れそうです」
         頭を下げる桜子に福沢諭吉は、目尻を下げつつ言った。
        「いいですか桜子さん。あなたの一家が専門とする税金。これは、国と国民との約束なんです。どうかそれを忘れずに」
        「はい。諭吉さんもお元気で」
         桜子はペコリと頭を下げ、歴史のクリスタルに導かれるまま、元いた時空に戻っていった。

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        一井 亮治
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           五話
           
          「へぇ。随分と輝かせたじゃないか」
           歴史のクリスタルを手に微笑むのは、シュレだ。あれ以降、桜子と志郎は救国の糧を過去に求め、日本のルーツを様々な角度から研究することで理解を深め合っていた。
           感心するシュレに、志郎が徐ろに切り出した。
          「シュレ、実は行きたい時空があるんだ」
          「どこだい?」
          「15世紀のベニスだ」
           これには、シュレも驚かざるを得ない。救国の時空探検を海外に求めてきたのだ。理由を問うシュレに志郎は、断言した。
          「俺が税理士だからさ」
           意を察しかねるシュレに志郎は、続けた。
          「シュレ、今まで俺は国を変え未来を救うには、政治家か官僚になるしかないと思っていた。だが、今は違う。救国は税務の現場から起こしたい。その為にも税制の基礎を担う会計……つまり、複式簿記のルーツと日本への伝来をこの目で確かめたいんだ」
          「私も日本を内側からだけでなく、外からも眺めてみたいわ」
           志郎の熱弁に桜子も続く。そんな二人にシュレは腕を組み考慮の後、うなずいた。
          「オーケー、イタリア語は喋れるかい?」
          「簡単な会話ならな」
          「いいだろう。ただ海外の時空は僕の念力にも限界がある。リスクは伴うよ」
          「あぁ構わん」「承知の上よ」
           声を揃えて同意する二人に頼もしさを覚えつつ、シュレは言った。
          「オーケー。じゃぁ一つ、頼まれてもらおうか。前にも言った通り、クリスタルは、歴史を揺るがすものに大きな反応を受ける。そのキーアイテムを入手するんだ」
          「『スンマ』だな?」
           返答する志郎にシュレがうなずく。一方の桜子はその正体が分からない。
          「スンマ?」
           首を傾げるものの、シュレは構わず指を鳴らした。たちまち二人の体が光に包まれ、現代から姿を消した。
           時空を駆け光の空間を抜けた二人は、例の如く上下逆さまになって乱暴に放り出された。
          「痛っ……」「どうでもいいがこの着地、なんとかならないのか」
           二人は憤りを覚えつつ上体を起こすと、そこにはいかにも中世ヨーロッパといった風景が広がっている。どうやら港町の様だ。
           風に帆を膨らませた船が、海上を力強く行き交う中、志郎は桜子を手招きした。
          「桜子、行こう」
          「いいけど、どこへ?」
          「市場さ。認識・測定・記録・伝達……まさに会計の現場を見に行くんだ。会いたい人もいるしね」
           桜子は期待に胸を膨らませる志郎に連れられ、港町近辺の賑やかな街中へと向かった。二人の場違いな格好に皆が不審な目を向ける中、桜子の心は色鮮やかな品々や、行き交う人の活気に、高揚している。
          「ここがベニス、かぁ……」
           一方の志郎は通行人や店主に話しかけ、聞き取り調査を始めた。どうやら意中の人物の住処が分かった様である。
          「桜子、こっちだ」
           志郎の手招きに応じ、桜子が向かった先は酒場だった。そこに五十前後と思しき二人の男性が熱心に話し合っている。
           そこに志郎がやや強引に割って入ったのだが、会話のツボがハマったらしく、すっかり意気投合し、互いの意見をぶつけ合い始めた。
           言葉の分からない桜子は、取り残された感でいっぱいだ。
          「志郎兄、どういうことよ?」
           改めて問う桜子に志郎は、笑みを浮かべながら二人を紹介した。
          「桜子、この方はルカ・パチョーリ。数学者で『スンマ(算術、幾何、比及び比例全書)』を著し、初めて複式簿記を学術的に説明された簿記会計の父だよ。そして、この方がルカさんの生徒であるレオナルド・ダ・ヴィンチさんだ」
          「え、あのモナリザの?」
          「そう。今はルカさんから数学と会計学を学んでおられる。要するに天才のお二人さ」
           やがて、志郎は二人の天才に別れを告げると、桜子を伴って周囲を一望できる高台へと移った。その手には、ルカから譲り受けた著書『スンマ』が握られている。
          「この本が複式簿記の始まりなのね」
           感慨深げに問う桜子に志郎がうなずく。
          「これから世界は、大航海時代へと突入する。冒険商人が王族に出資を仰ぎ、インドから香辛料を持ち帰り莫大な利益を上げていく。その取引を克明な記録として残す仕組みとして簿記が開発され、このベニスで大いに発展するんだ。このスンマは、そこに一石を投じたキーアイテムって訳さ」
          「へぇ、会計学の誕生ね」
          「もっともこの時点で重視されたのは、BS中心の静態論だけどね」
          「BS? 衛星放送のこと?」
           素っ頓狂な桜子の問いに、志郎は呆れつつ説明を続けた。
          「バランスシート……貸借対照表の事だよ。清算前提で継続企業の概念がないんだ。これを東インド会社が変えていく。航海毎に清算しない仕組みを維持する組織を持った事で、会計帳簿も途中経過を報告する適正な期間計算という概念が生まれた。PL中心の動態論の始まりさ」
          「あぁ、PL。高校野球の強かったとこね?」
          「……損益計算書のことだよ」
           志郎は頭を抱えつつ、根気よく説く。
          「PLを中心に大きく発展した現代会計学だが、さらに時代が進むと、今度は収益費用アプローチから資産負債アプローチへと変貌し、再びBSが重視される時代となっていく」
          「何よそれ。行ったり来たり」
          「フフッ。まぁ、日頃から何気なく接している会計も、その背景には悠久の歴史が横たわっているってことさ。俺もその流れに一石投じたいと思ってる。桜子、一緒にやろう」
           思わぬ勧誘を受け桜子は、声を上げた。
          「はぁ!? ちょっと待ってよ志郎兄。大体、私みたいなテストの偏差値もろくに……」
          「そう! その偏差値もそうさ。昔はなかった。だが、新たな概念が受験の形を大いに変えた」
          「あぁ……得点と平均点が全く同じでも、偏差値が異なってくるってやつね」
           桜子はゲンナリとうなずく。つまり、仮に平均点が60点で最高得点が70点だとして、それが1人しかいなかった場合、平均点付近に得点が集中し、70点の人は「とても優秀」となるが、点数がバラつき70点以上を取った人がたくさんいれば、その70点は「まあまあ優秀」という程度に落ちる。
           点数のバラツキ(標準偏差)を加味した上で、全体の中でその人がどのくらいに位置するかを偏差値が数学的に示し、受験制度に定着した。
           これと同様に税務の現場で新たな概念を生み出し、救国に尽くそうというのが志郎の言い分だった。
           ――やっぱり志郎兄は、違うわ。
           桜子は改めて実感している。志の高さゆえに着眼点が異なっており、それが積もり積もって今の自分との差を生んでいるように思われた。
           ――救国は、志郎兄に任せよう。私如きが関われる世界じゃない。
           脱帽感でいっぱいの桜子だが、ここで志郎が小声でつぶやく。
          「ところで桜子、あのシュレだがな。お前はどう思う?」
           首を傾げる桜子に志郎は続けた。
          「奴の正体の話だ。お前の説明によれば、シュレは死神で閻魔から特別に命を救われたって話だが、俺は違うと思う。おそらく奴の正体は〈シュレディンガーの猫〉だ」
           ――何? 今度は猫の話?
           困惑する桜子に志郎は、自説を説いた。はじめは眉唾モノで聞いていた桜子だが、その結論を聞いて考えを改めた。
          「確かにその可能性はあるかもしれない」
           納得する桜子だが、その背後から突如、女性の声が響いた。
          「あら、よく分かったわね。お二人さん」
           驚いた桜子と志郎が振り返ると、背後に二十代半ばと思われる奇抜な髪色の女性が立っている。さらにその背後には、屈強な男達が二人を包囲せんと機をうかがっていた。
          「何者だ!」
           声を上げる志郎に、その女性は丁寧にお辞儀しつつ名乗った。
          「はじめまして、セツナと申します。以後、お見知り置きを」
          「一体、私達に何の用よ?」
           桜子も負けじと吠えるものの、セツナは構わず言った。
          「決まっているでしょう。あなたが持っている歴史のクリスタル、それをこっちに渡してもらえるかしら」
          「お断りだ!」
          「じゃぁ、仕方がないわね」
           吠える志郎にセツナは、目を細めつつ命じた。
          「二人を捕らえてしまいなさい!」
           襲いかかる男達に、二人は果敢に立ち向かうものの多勢に無勢は免れない。逃げようにも周囲は塞がれている。たちまちその身柄を押さえられしまった。
           ――何なのよ。コイツらは!?
           憤る桜子だが、その上体を地面に抑え込まれた、歴史のクリスタルを奪われてしまった。
          「おーほっほっ……これで未来は、私達のもの」
           高笑いを浮かべるセツナだが、突如、歴史のクリスタルが強烈なエネルギーを放ちはじめた。
          「熱っ……」
           セツナが歴史のクリスタルを掌から落とす中、光は桜子を包み込み、たちまち異なる時空へと吸い込んでいった。

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          返信先: 2024年到来 #2724
          一井 亮治
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            答えです。
            どうでしたでしょうか^^b

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            一井 亮治
            参加者

                四話
               
               上下もままならないまま時空を移動した二人は、見知らぬ空間へと乱暴に放り出された。
              「痛っ……」「何だよ、ここは!?」
               上体を起こした桜子と志郎だが、そこで一人の女性を下敷きにしているのを見つけ、慌てて場所を退いた。雛人形の如く重ね着をまとったその女性は、ぶつけた頭を押さえつつ声を上げた。
              「あなた達は一体、何ですか。いきなり!」
              「や、それが俺達もいきなりここに放り出されて……」
               戸惑いの声を上げる志郎だが、傍らの桜子が周囲を眺めつつ素早く頭を働かせた。
               ――この感じ。多分、平安時代ね。そこで日本の特徴や起源に行き着くとすれば……。
              「もしかしてあなたは、紫式部さん?」
              「おい桜子、お前何言ってんだよ」
               笑う志郎だが、その女性は乱れた身なりを整えつつ、返答した。
              「えぇ、紫式部ですが、なぜそれを?」
              「実は私達、未来から来たんです」
               これには紫式部は言わずもがな、傍らの志郎も驚きを隠せない。そんな二人に桜子は、事の顛末を手短に説明していく。
              「つまり、歴史のクリスタルとやらに呼ばれて、日本の起源を探るべく平安時代にタイムリープしたってことか?」
              「そうなの志郎兄。と言っても信じてもらえないだろうけど……」
              「いえ、私は信じますよ」
               声を上げるのは、紫式部である。
              「感じるんです。遣唐使の廃止に伴い国風文化とでも言いましょうか、この国……つまり、桜さんの仰る〈ニホン〉の根幹たる日本語が独自の形に作り変えられていくのを。でもね……」
               そこで紫式部は表情を曇らせ、その目に涙を滲ませた。驚く桜子と志郎に紫式部は「ごめんなさんね」と謝りつつ、説明した。曰く、夫の宣孝に先立たれ生きる希望を失いかけている、と。
              「もういっそのこと、この身ともども……」
              「や、ダメです紫式部さん。あなたにはやらねばならぬことがあるでしょう!」
               吠える桜子に紫式部は首を傾げている。やむなく桜子は、言った。
              「『源氏物語』ですよ! 世界最古の長編小説にして、日本が誇る萌え萌え宮廷ゴシップノベル! あなたは、その元祖なんです」
              「フフッ……確かに書き掛けの小説はあるのですが、とても人にお見せできるものでは。それに私如きがそんな大それたこと……」
               恥じらう紫式部に、前のめりになる桜子だが、それを志郎が手で制す。目配せの後、志郎は思わぬ角度から紫式部を刺激した。それはまさに寸鉄人を刺す一言だった。
              「そういえば、清少納言さんも有名ですね」
               これに紫式部はピタリと体を止める。ジロっと睨む紫式部に脈ありと見た志郎は、朗々と『枕草子』の一節を詠みあげた。
              「春は、あけぼの。ようよう白くなりゆく山ぎは、すこし明かりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる……」
              「志郎さん」
               紫式部は、咳払いの後、厳かに言った。
              「私の前であの女の話は、なさらないでくださるかしら」
              「や、しかし名文ですし……」
              「名文?! ちょっと漢文が読めるからって皆に煽られて得意げになって、実に浅ましい。よく読めばあの人の漢文は未熟だし「人と違うんですよ、私は」って思い込んでるだけでしょう。ふん、馬鹿らしい。こうしちゃいられないわ」
               紫式部は、いても立ってもいられなくなったのか、書き掛けの小説を机に広げ言った。
              「桜さんと志郎さん、悪いけど出ていってもらえるかしら。執筆の邪魔だから」
               人が変わったように己の世界に没頭する紫式部に二人は、笑顔でうなずき合う。そこで歴史のクリスタルが光を放った。
               たちまち二人は、その光に飲まれ平安時代から姿を消し、元いた現代へと舞い戻った。周囲が志郎の部屋であることを確認した桜子がしみじみと言った。
              「志郎兄。平安時代って、要するにヒキコモリの時代よね」
              「あぁ。ある時は繋がり、ある時は鎖ざす。そうやって大陸から多分に影響を受けつつ、島国としての独自性も構築した。それが現代日本さ」
               桜子はうなずきつつ、志郎に問うた。
              「ところで志郎兄は、開国派? 鎖国派?」
              「もちろん前者さ。鎖ざした国に待つのは没落のみ。未来はないね。桜子は違うのか?」
               問い返す志郎に桜子は、複雑な笑みを浮かべながら、輝きを増した歴史のクリスタルを眺め続けた。

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              一井 亮治
              参加者

                 三話
                 
                「日本の特徴?」
                 桜子の問いに首を傾げるのは、兄・志郎である。書籍が山積みの部屋で大学の研究に向き合っていたところを、桜子が割って入り答えを求めたのだ。
                 無論、狙いはシュレから求められている歴史のクリスタルの解明にある。そんな桜子に志郎が切り出した。
                「やはり税制でみれば、シャウプ勧告だろうな。社会情勢に応じ修正されてきたとはいえ、現在も我が国の税制の基礎だ」
                「や、税理士としての模範解答はそうなんだろうけど、もっと分かりやすいやつってない?」
                 安直さを求める桜子に志郎は、腕を組み考慮の後、言った。
                「日本語かな。平仮名やカタカナがあり、漢字に至っては訓読みと音読みに分かれ、困ったことにその使い分けに法則性がない。だが、そんな複雑さを持ち前の器用さで使いこなしてしまう。まさにガラパゴスだ」
                「確かに」
                 納得する桜子に持ち前の知的好奇心をそそられたのか、志郎は「研究してみよう」と机上のパソコンを立ち上げた。
                「桜子、『黄金虫』って知ってるか?」
                「何それ、おいしいの?」
                「食い物じゃない。エドガー・アラン・ポーの短編推理小説だ。そこに暗号解読が出てくる。使用頻度を調べ最も多い記号が、アルファベットでよく使われる〈e〉だとして解読していくんだ」
                「へぇ、頭っいい! じゃぁ日本語はどうなんだろう」
                「それを調べるのさ」
                 志郎は、画面に夏目漱石の『草枕』を開くと、さらにエクセルを立ち上げ縦軸にアイウエオの母音を、横軸にアカサタナの子音を作りリストにした。
                 そこで、草枕の文章に出てくる文字の使用頻度を一つ一つ入力していったのだが、集計すると思わぬ傾向が出た。桜子が画面を指差しながら言った。
                「志郎兄、これって……」
                「あぁ、間違いない。母音の〈ア〉が多く、〈エ〉が少ない。なぜだ?」
                 顎を手に乗せ画面を睨む志郎に、桜子は素直な意見を出した。
                「〈ア〉の母音が一番、発音しやすいからじゃない?」
                「あぁ……確かにそうだ。桜子、お前の言うとおりだ。凄いじゃないか」
                 驚く志郎に桜子は、思わず照れつつもさらに言った。
                「この傾向って、どの場合でも同じなのかな」
                「人名とかどうだ。女性なら〈子〉で終わる場合が多いから、母音も〈オ〉が多そうだ。おそらく違う傾向が働くはずだ」
                 そこから知的探究心に火がついた二人は、日本語の言語研究をデータから読み解き始めた。まさにID野球ならぬID文学である。
                 やがて、二人の研究が佳境に入り始めた矢先、桜子のポケットが光を放ち始めた。歴史のクリスタルである。
                「おい桜子、何だよそれ!?」
                「や、これはその……歴史のクリスタルって言ってね」
                 桜子の説明もままならないうちに、二人はクリスタルが放つ光に飲み込まれ、現代から姿を消した。

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                一井 亮治
                参加者

                   二話(※十日ごとの連載予定です)

                   退院から数日後、桜子はシュレとともに荒廃した大地に立っている。
                  「これが百年後の日本……」
                   あまりの惨状に絶句する桜子にシュレが言った。
                  「止まらない少子高齢化、国際競争力を失う製造業、天文学的な財政赤字、インフレ……その行くつく先がこれさ」
                  「シュレ、何とか未来を変える方法はないの?」
                   愕然としつつ、問いを投げる桜子にシュレが肩をすくめながら答えた。
                  「なくはないよ。ただ、そのためには歴史のクリスタルを集める必要がある」
                  「何それ。どこにあるのよ?」
                  「それがよく分かっていない。ただ歴史を揺るがす大事件に絡んで現れるのは、事実だ。要は段階を踏もうってことさ。今、君は僕とこの国の暗い未来を確認した。なら次にすべきはこの国の成り立ちを見直すこと」
                  「つまり、過去へ飛ぶってことね」
                   確認する桜子にシュレはうなずき、意味深に問うた。
                  「桜子、日本って国の出発点ってどこだと思う?」
                  「え……そりゃぁ税制かな。租・庸・調が整備された頃じゃない?」
                  「ハッハッハッ……さすが税理士一家だけあるね。確かに一理あるが、まずは日本の風土を決定づける出発点へ飛ぼう。おそらくそこに歴史のクリスタルがある。鍵はここに書かれているよ」
                   シュレは、一冊の書物を差し出した。
                  「これって、古事記じゃない!」
                  「そうだよ。日本の歴史の出発点だもん。じゃぁ健闘を祈るよ」
                   そこでシュレは指を鳴らした。その直後、桜子の視界から未来の景色が消え、その身が時空の移動空間に投げ込まれた。桜子は体の上下もままならないまま、いきなり大昔の時空へと放り出された。
                  「ここが、太古の日本……」
                   桜子は、文明らしきものがほとんど見られない情景に困惑しつつ、古事記を開く。そこには、日本という国が神々から生み出された出発点が記されている。いわゆる〈国産み〉だ。
                  「イザナギとイザナミの二神が、泥の海を矛で掻き混ぜ、滴り落ちたものが島となり日本の原型になった、か。トンデモ本ね」
                   桜子は鼻で笑いつつ、古事記を閉じた。まずは視察とばかりに西へ向かうと、広大な水場が広がっている。
                  「あれは、日本海?」
                   試しに波打ち際へ歩み寄り、調べてみてみると、意外に淡水湖だった。ただ、そのサイズは海の如く広い。琵琶湖など比べ物にならないほどだ。
                   さらに驚くべきことに、一本の浜辺を挟んだ向こうには、まごうことなき大海原が広がっていた。
                   そうこうするうちに天候が崩れ始めた。風が強まり波が激しさを増していく。
                   ――嵐が来る。早く避難を。
                   桜子は、叩きつけるような雨風に晒されながら、近辺の丘へと避難した。よじ登った頂上から一帯を見下ろすと、今まさに海と湖を隔てる浜辺が切れかかっている。
                   その光景に桜子は、はっと息を飲んだ。
                   ――もしかして、これって……。
                   実は以前、兄・志郎から太古の日本は大陸と地続きである事実を聞かされていたのだ。
                   ――間違いない。今まさに日本を決定づける大事件が起ころうとしている。
                   その直後、心臓が止まるかと思うほどの雷が落ちた。稲妻は地上に矛を突き立てるが如く浜辺の岩を打ち砕き、蟻の一穴となって海水をなだれ込ませた。
                   そこから始まったのは、一大スペクタルである。まさに古事記にある『神が矛でかき混ぜる』が如く、怒涛の勢いで淡水湖を海へと変えていった。
                   それは、古代の人々にとって忘れられない出来事となったはずだ。この嵐が去った後には湖は海水に変わっており、大陸から切り離され島国になっていたのである。
                   まさに国が生まれ変わったが如くだ。その歴史的瞬間を目の当たりにした桜子の前に光る物体が現れた。
                  「あれだっ! 歴史のクリスタル!」
                   迷うことなく駆け出し丘から跳び込んだ桜子は、クリスタルをその手で掴んだ。その瞬間、桜子の体はまばゆい光に包まれ、体が時空の移動空間に飲まれていく。
                   気がついたときには、周囲は現代に戻っていた。目の前には、笑顔のシュレが立っている。
                  「桜子、どうやら成功したようだね」
                   桜子は大いにうなずく。
                  「日本の歴史の出発点は、大陸から切り離され島国になった瞬間って事ね」
                  「そう。島国となったことを機に日本は、大陸の影響を色濃く受けつつも、独自の文化を育んでいくことになる。税制も然りさ」
                   諭すように語るシュレを前に桜子は、改めてクリスタルを見る。そこには美しさと妖しさを兼ねあわせた独特の輝きがあった。

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                  返信先: 十二月到来 #2675
                  一井 亮治
                  参加者

                    答えです。
                    どうでしたでしょうか^^b

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                    一井 亮治
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                      『桜子』『志郎』のキャラ絵

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                      一井 亮治
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                        『桜子と志郎』

                         一話

                        「私は、自分が嫌い」
                         嫌悪感を吐露するのは、女子高生の源桜子だ。上に三つ離れた兄・志郎がおり、既に税理士資格を有し、大学の傍ら税理士事務所を営む父を補佐している。
                         いわゆる源家自慢の兄であり、桜子にとってコンプレックスの対象だ。志郎はいう。努力は裏切らない、と。
                        「対して私は……」
                         嘆く桜子は、頭を抱えた。とにかく不器用なのだ。いつしか兄と比べられることに嫌気が指し、最低限の努力すらしなくなった。
                         今日も授業をサボり、屋上でタバコを吸いながら、進路の提出用紙を眺めている。
                        「進路も何も、どうせ私は落ちこぼれよ」
                         鼻を鳴らす桜子だが、そこへ突風が吹き進路の用紙が飛んだ。慌てた桜子がその用紙を追った矢先、足を踏み外してしまった。
                         ――ヤバいっ……。
                         既に片足は屋上にない。桜子は真っ逆様に転落するや地面に激突し、意識を失った。

                         どれほど時間が経過したことだろう。はたと目を覚ました桜子は、己の姿に息を飲んだ。体は透け宙に浮いており、その下には昏睡状態の肉体が病床の上で寝かされているのだ。
                         周囲には、泣き崩れる家族の嗚咽が響き渡っている。幽体離脱中の桜子は、愕然としながら呟いた。
                         ――私、死んだの?
                         傍らの医者が曰くには、桜子は植物人間状態にあり、余程のことがなければ意識が戻ることはないだろう、との事だった。
                         切り裂くような親の号泣に桜子は、胸を引き裂かれる思いだ。そこへ背後から声が響いた。
                        「ま、そう言うことさ」
                         振り返ると、いかにも生意気といった天使とも悪魔とも取れる少年の姿がある。
                        「僕はシュレ、死神だ。桜子、君をあの世から迎えに来た……と言いたいところだが、ちょっと事情があってね」
                         シュレは、意味深な笑みとともに続けた。
                        「桜子、実は君は閻魔から無作為に選ばれたんだ。生き返らせてやってもいい。ただ条件がある」
                        「条件?」
                         聞き耳を立てる桜子にシュレは、続けた。曰く、日本は霊界ともに危機にあり、亡国の憂き目にある。もし救国の任務を受けてくれれば、生き返らせてやってもいいとの事だった。
                        「どうだい。いい条件だろう?」
                         腕を組み鼻で笑うシュレに桜子は、しばし考えた後、大きくかぶりを振った。
                        「いらない」
                        「おいおい桜子、生き返れるんだぜ」
                        「もういい……十分よ」
                         桜子は自嘲気味に嘆いた。
                        「源家のお荷物の私が国を救う? そんなのムリよ。これまでも色々努力はしたよ。でも何をやってもダメ。むしろ、そう言う崇高な仕事は、優秀な志郎兄がやればいい」
                         桜子の言葉にシュレは、肩をすくめながら言った。
                        「桜子。キミは一つ誤解をしてるよ」
                        「誤解?」
                         聞き耳を立てる桜子にシュレが言った。
                        「努力は裏切らない。必ず結果が伴うって思ってる? 違うよ。平気で裏切る。正しくやらないとね。しかも何が正しいかは時代によって変わるし、効果も人によってまちまちだ」
                         淡々と語るシュレに桜子は、返す言葉がない。シュレは畳み掛けた。
                        「要するに単なるトライさ。あくまで挑戦であって、確実に見返りが保証されている訳じゃない。でも前進するにはトライしかない。難儀な話さ」
                        「じゃぁ、私は……」
                        「あぁ、今のままじゃ、どんなに頑張ってもお兄さんみたいにはなれないね」
                         断言するシュレに桜子は、改めて己を嫌悪した。そんな心中を察したようにシュレが続けた。
                        「ただね。キミには、そんなお兄さんに頼る権利はある。才能には恵まれずとも親兄弟には恵まれた。ならそれを十二分に活用して、自分にしか出来ない事をやればいいじゃないか」
                         ――自分にしか出来ない事……
                         桜子は改めて考えた。そんなものがあるなら、真っ先にでも頼りたい気持ちだ。
                         さらにこうも思った。国を救うなど大それた事が出来なくとも、親兄弟の力を得てなら、こんな自分にも何か出来るのではないか、と。
                        「どうだい。この契約、受ける気になった?」
                         改めて問うシュレに桜子は、しばし考慮の後、うなずく。
                        「えぇ……いいでしょう。ただし、こちらにも条件があるわ」
                        「ほぉ、何だ?」
                         聞き耳を立てるシュレに桜子は、言った。
                        「救国とはいえ、まず守るのは家族。もし、それが破られたら、私は迷わずこの国を棄てる」
                        「ふむ。なるほど……まぁ、確かに国なんて、沈めば乗り換える船みたいなもんだ。オーケー、契約成立だ。期待してるぜ」
                         シュレは、パチンと指を鳴らす。すると見る見るうちに桜子の透けた魂が、病床の肉体へと戻り、それまでピクリとも動かなかった桜子が、はっきりとまぶたを開いた。
                         驚いたのは、家族だ。
                        「桜子!」
                        「志郎兄……」
                         布団から出す桜の手を志郎兄が握りしめる。慌てて戻ってきた医者の診断を受けながら、桜子は感涙する家族を前に誓いを立てた。
                         ――手に入れたこの命。もう一度、大事に使ってみよう。皆のために……。
                         決意を固めるその目には、力強い光が宿っていた。

                        返信先: 十一月到来 #2636
                        一井 亮治
                        参加者

                          答えです。
                          どうでしたでしょうか^^b

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                          返信先: 十一月到来 #2634
                          一井 亮治
                          参加者

                            恒例のオマケ企画――間違い探し(3か所)の11月編をコミpoで作ってみました。
                            是非、チャレンジくださいませ。答えは後日、追って投稿します。

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                            返信先: 十月到来 #2550
                            一井 亮治
                            参加者

                              答えです。
                              どうでしたでしょうか^^b

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                              返信先: 十月到来 #2526
                              一井 亮治
                              参加者

                                さて、恒例のオマケ企画――間違い探し(3か所)の10月編を『コミpo』と『AI(ミッドジャーニー)』で作ってみました。
                                是非、チャレンジくださいませ。答えは後日、追って投稿します。

                                Attachments:
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                                返信先: 八月到来 #2452
                                一井 亮治
                                参加者

                                  答えです。
                                  どうでしたでしょうか^^b

                                  Attachments:
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